堀井On-Line



2932,筑紫哲也の残日録

2009年04月15日(水)

文藝春秋の二月号の、 
筑紫哲也の「がん残日録」ー告知から死まで5百日の闘いー が壮絶な死と生の記録であった。
2人に1人が癌になり、3人に1人が癌で死ぬ時代である。50歳を過ぎれば何時何が起きるかもしれない。
癌は体内に発生して、最初に発見されるまで、14〜5年かかると言われる。
発見されるまでの潜在的なものを含めると、全員が癌を持っており、全ての人が癌への道を歩いていることになる。
一グラムの癌細胞は鼠算的に2倍ずつ増えていくと、1キロに増加するに10回の2倍を重ねるだけでよい。
  =この残日録の中の印象に残った部分を抜粋してみる=
・《07年10月20日》 福田康夫様
   歴代の総理を拝見していますと、この人がと思う人でも、鬱積が溜まっていくものです。
   それをあまり我慢するのもよくありません。秘訣は、本当に怒らないことです。
   口さがない批判、非難の大部分は、それを口にする者の身の丈、思考の水準に見合ったものでしかない。
   そんなものに自分がとらわれてたまるか、と思えば腹は立たないでしょう。
   総理の仕事は、それより遥かに次元が違うでしょう。
・《07年12月8日》 執行猶予
   この病を得ることは、いわば《執行猶予ー死ぬまでの》の時間を与えられたことになる。 
   それは自分の正体を見つめなおす機会を与えられたということだ。私は何ほどのものか。  
   何をしてきたか、何をしてこなかったのか。己を正視するのは、そんなにたやすいことではない。
   それに加えて、もう一つの困難がある。こうやって、何事かを言語を用いて表現することは、
   通常は他者に向かっての意思伝達の手段なのだ。そのための工夫や表現力は、訓練次第、
   あるいは個人的能力によって多少とも向上させることができるだろう。
   だが、本質的に社会的、公共的ツールである言語が、自分に向かって自分を説明するのに、
   どこまで有効なのか。どんな言語表現もすり抜けていく部分、そこに自分の正体はぼんやりと、
   または黒々と潜んでいるのではないか。「よい人生だった」「悔いの多い、くだらぬ人生だった」
   どちらにしても、言語を用いる以上、他者への説明を意識しているのだろうし、そうでなくとも、
   「自分の中の他者」に言い聞かせているのかもしれない。
・《08年1月 日付なし》 
   泣いても一日 笑っても一日 どちらでも良い 良くないのは どちらでもない一日 せめて怒ってみるか
・《08年2月15日》 次女ゆうな の言葉
    この宣告以前に、父が違う病院のお医者さんに余命について質問をしたことがあるんです。
    その時に言われたことは『自分が駄目だと思ったときが余命の始まりです』という言葉。
    はっきりとした余命を伝えることは『ダメか』と思わせることになるから、と家族で結論を出して、  
    伝えることをしませんでした。
・《08年11月5日》 こん睡状態、次女に『メモ、メモ』と紙とエンピツを用意させ、
    《THANKY YOU》
   ーひとりの人の死は、生きてきたプロセスを圧縮して立ち現れてくる。

・・・・・・・・
2568, ドル覇権の崩壊 ー3
2008年04月15日(火)

 著者はアメリカが実質的価値のないドルと、偽札のドルとどこが違うと疑問を呈する。
私も以前から北朝鮮が国家として作っているといわれる偽ドルと、アメリカのドルと、
どこが違うか疑問を持っていたが、その極めつけがプライムローンである。
    まずは、その部分を書き写してみる。
  ーー
 第二章 世界はこうしてドルに騙された
  非兌換紙幣であるドルの刷り散らかしはアメリカによるマネーの偽造
ーP100
「紙幣を印刷するものがが法律を制定する」少なくともまだ暫くの間はこの格言が真実として通用するだろう。
今日では、ゴールド(金貨〉は通貨としてもはや使われていない。
表面上は、ゴールドによる貿易決済もゴールドを準備貨幣とする経済体制も存在しなくなっている。
しかし、それでも今のアメリカの強大(そうに見える)な軍事的優越性と、米ドル紙幣の印刷と
強制通用のみせかけの信用によって、諸外国の国民が、米ドルをゴールドと同じような信用力を
有するものと、思いこみ、深く信用しているからだ。また、そのように信用させることが大事であるから、
そのように、上手に「ドル紙幣の生産とそのドル紙幣で各国への軍需や経済援助を実行し続けるという
外見は今も不変である。実際には、ぺーバーマネーでしかない今のドルは、非兌換紙幣、不換紙幣である。

金にいつでも替えてもらきという保証のある紙幣でないものは、
マネーとしての信用の一番大切な価値を失っているのである。今の紙幣(お札)は、
非兌換紙幣であるから、ゴールドなどの実物資産の裏付けがない。
この非見換紙幣を印刷し続けることは、極端に言えば国家によるヤネーの偽造である。・・・
・・・・ 基軸通貨の発行者は、必ず世界の金融のシステムの支配と管理を保証するだけの
信用保持力(サステイナビリティ)の保有国でなくてはならない。
アメリカ政府の・現代の悪化鋳造、実質の価値を持たない粗悪なマネーの製造という、
隠されたあっ刻が露見しつつあるのである。アメリカの世界中からの信頼が傷つき、
アメリカは詐欺の大国である、という悪評を受けるようになっているのである。
悪貨(資金の裏付けのない紙幣の大量印刷、大量発行)によって、アメリカ国民は自分の収入以上の
楽な暮らしをこれまで享受してきた。しかしアメリカの偽計による繁栄による、アメリカ国民の甘やかしは、
健全な国民性を破壊してしまった。 このやり方はゴールド(金)が本当に通貨であった時代に、
諸外国を支配して政治的、軍事的に屈服させて、ゴールドを帝国が手に入れていたやり方と全く同じ手法。
(中略) アメリカ国民の貯蓄は、いまも 0%である。 薯貯蓄するよりも、目先の贅沢のために消費し、
さらには出来る限りの限界まで借金をして、それを投資に回して、その金融バクチで国民までもが
豊かな生活をしようとしている。 そのせいで、だから自己の返済能力を超えた、銀行からの過剰な
融資という悪性の借金や、とめどない浪費、贅沢がアメリカでは奨励されている。
例えば不産産王のドナルド・トランプが司会者を務める、「あなたもこのようにして儲けましょう。
その具体例の指南をしましょう」という、儲け目的の、露骨で下品なテレビ番組が今もまだ人気を博している。
そのうちに、すでにもうアメリカの住宅バブルは、激しく破裂して全ての金融財産を失うときが刻々と近づいている。
 ーー
 今回のドル安、株安は地震の前揺れで、本震はこれから。
その一番の被害者は日本の中産階級になる。アメリカの国債を五百兆も持たされているというから、
いくら隷属国家とはいえ、絶望的な事態である。そして、政治が、この有様ときているから・・・

・・・・・・・・・・
2007年04月15日(日)
2203, 自殺について ー2
                (~Q~;)  おはよう??

経済的の問題や時代の大きな変化、そして国民性が自殺の要因になる。。
日本人のような生真面目な性格も世界で1~2位の自殺率に要因なっている。
それに対して南米やアフリカの陽気な国民性のところでは、自殺は激減する。
フィンランドやデンマークなどの北欧で、冬の黒夜(14時位から夜になってしまう)が人の心を暗くして
自殺が多いという話を聞く。そういえば秋田や山形などの北国も冬は雪で閉ざされるから自殺が多い。
 ー自殺率の世界分布地図を見るとー
 ・ロシアを中心にユーラシア大陸で自殺率が高く、
 ・インドやイギリス、スペイン、イタリア、ノルウェイなどユーラシア大陸周辺部、及び北米大陸で低く、
 ・ラテンアメリカではさらに低いという状況が見てとれる。
  *自殺率が低くはなかったロシアが、1991年のソ連崩壊後の自殺率が急増、現在は断然世界一となっている。
  また、米国、英国、カナダ、オーストラリアといったプロテスタント国、
  及びイタリアは、以上の国々と比較すると低い自殺率水準で推移している。
 ー日本の自殺率の高さと推移についてー
  日本では、自殺が文化の一部になっているようにさえ思える。過労や失業、倒産、いじめなどで、
  自殺で自身の名誉を守る、責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえられていて、
  これは他のアジア諸国やキューバでもみられる傾向である。
 ・第二次大戦後、社会保障が整備される以前は高齢者の自殺率が高かったことや、
  戦後の価値観の大転換などで若者の自殺率が急増したことが原因で、1958年の自殺率25.7人は過去最高の値になった。
 ・その後、1959年国民健康保険法施行、1961年国民皆年金など社会保障制度の充実や1960年所得倍増計画に代表される
  経済成長目標の国民的普及により自殺率は、15人前後への低下した。国民全体で明るい夢を抱いていた時代だった為だ。
 ・その後、1973年のオイルショック前後から自殺率は上昇に転じた。
  あまり注目されなかったが、1983年の景気後退は自殺率の急増(前年の17.5人から21.0人へ)を招いた。
 ・1997年秋の三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券と立て続けの大型金融破綻事件がきっかけとなり、
  98年の5月にかけて失業者が急増し、自殺率も、97年から98年にかけて18.8人から25.4人へと急増した。
  このときは自殺者数も前年の2万3千人台から、一気に3万1千人台へと急増したこともあり社会的に大きく注目を浴びた。
  そして、その傾向は十年経つ現在も続いている。
  ーー
  時代の変化と、それによる経済的困窮が自殺の要因として大きくなる。激変の中、生きていくことは大変である。
 「死にたくない」と同じように「死にたい」という気持ちも自然である。
  死など存在してないのだから、気持ちの一現象でしかないが。
  
 ーーーーー
 2004/07/24
 1208, 自殺 3万4427人
(以下字数の関係でカット2008年04月15日)

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2006年04月15日(土)
1838, あちら側の世界 ー9 
          才八∋ウ_〆(∀`●)

グーグルについて書いてきたが、先日の産経新聞の一面に興味ある記事が出ていた。
簡潔に現在の流れを浮き上がらせている内容である。先ずは、その記事のコピーである。           
                      ~~旦 ゝ(-_- )まあ、茶でも!
ーー
産経新聞 2006年4月13日[木]
=サービス基盤、OSからウェブに 
 IT覇権争い グーグル台頭、MSネット強化 =

インターネットの進化に伴い、IT業界の勢力地図が替わる可能性が強まっている。
パソコンの基本ソフト(OS)の代名詞と呼べるウィンドウズで台頭したマイクロソフト(MS)だが、
同様の機能をインターネット上で利用できるようになったことから、米グーグルが新たな主役に躍り出ているからだ。
パッケージソフトの販売で利益を上げるマイクロソフトと広告収入で無料ソフトを開発するグーグルのビジネスモデルは、
正反対。ブロードバンド(高速大容量)時代の覇者はどちらに軍配が上がるのか。(谷口正晃、大柳聡庸)
偶然にも十二日、東京都内でマイクロソフトとグーグルの新製品発表が重なった。
マイクロソフトは、テレビやDVDなど娯楽機能を強化したOS「ウィンドウズXP・メディアセンター・エディション」
を搭載したパソコンの新製品と映像と音楽配信サービスの拡充を発表。OSに依存しないデジタル家電との競争激化の中、
ジョー・ベルフィオーレ副社長は「パソコンは娯楽の道具として進化する」と述べ、優位性を強調した。
 一方のグーグルは、企業が社内ネットワークに蓄積する文書や書類を検索する機器「グーグル・ミニ」をアピール。
 (字数制限の関係でカット09年4月15日)

・・・・・・・
2005年04月15日(金)
1473, 指桑罵槐(しそうばかい)

ある知人が中国人の国民性を一言で表している表現としてとして、教えてくれた言葉である。
問題になっている中国のデモは明らかに中国政府の政治的な意図が読み取れる。
日本も中国人の何時もの手法として、ただ蔑視を決めつけている状態といってよい。
中国内で起こっている暴動の目を逸らそうという意図と、尖閣列島問題などに対する駆け引きが目的である。
チャイナリスクという言葉まであるが、都合が悪くなると問題を摩り替てしまおうとするのは、いま始まった問題でない。
15年ほど前、中国に行ったとき現地のガイドが何げなく「文化大革命のときは、地方の村に行くと
死体の山があちこちにあった。2千?3千万ほどの人が虐殺をされました」と言い放ったのを聞いて耳を疑った。
まだ今ほど国内の開放が進んでない時のことである。中国とは、そういう国である。いや共産主義か。
現在もそうだが日本のマスコミは中国の入国拒否を恐れて真実を報道しない。
都合が悪くなると、60年以上前の中国侵略と虐殺を言い立てる。すでに17回も陳謝させているのに。
  以下は指桑罵槐を検索で調べた内容である。
ーーーー
 指桑罵槐 ー桑(くわ)を指さして槐(えんじゅ)を罵るー

桑は、蚕の食べる桑の木のこと。槐は、えんじゅの名で知られ、街路樹や庭木として植えられる喬木を指します。
つまり、似ても似つかないものどうしのことです。本当の怒りの対象とは全く違うものを攻撃するという意味だといいます。
「鶏を指して犬を罵る」というのも同じです。中国人は当事者を直接批判することはほとんどなく、
この「桑を指さして槐を罵る」というやり方をするという。 ある相手を攻撃しているように見せているけれど、
実は別のところにいる人を批判していることになっているというのです。
中国が激しく批判などしてくる問題があったなら、マに受けて腹を立てるのではなく、
彼らが真に攻撃したいのはどこなのか、誰なのかという視点で思いを巡らしてみるのがよいらしい。
中国産冷凍ホーレンソーから基準を超える残留農薬が検出され問題になったことがあるが、中国当局は記者会見で、
「日本の野菜に関する現在の安全基準が非科学的で不合理なところに問題がある」と、逆に日本の検査手法を非難してきた。
指桑罵槐で読み解けば、中国国内の検査方法や検査担当者たちを非難している、と見るべきなのだろう。 
「言いたいことがあるなら正面切って言ってこい」と、「陰でこそこそ言ってないで本人に言いなさい」など、
正々堂々を良しとする日本のメンタリティーとは違った面があるようです。

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2004年04月15日(木)
1108, 西武鉄道・堤会長の辞任

「西武の堤義明会長が辞任!」とニュースで報道していた。随想日記で専務が逮捕された時
「お笑い西武鉄道」という文章を書いたが、所詮は悪口でしかないと、掲載を止めた。
しかし辞任ということで、ケジメをつけたということで書く。
西武の森元監督が講演会で、彼のことを「超ワンマンで、西武の試合の采配に対して、
口うるさく電話がくる」と言っていた。監督にとって大きなプレッシャーだったとか。
テープだけはとらないようにと講演前に言っていたのは、堤を恐れていたのだろう。
西武鉄道の専務が逮捕された時「彼が知らないわけがない!」と誰もが思ったはずである。
逮捕されないだけよかったのだろうが、やはり辞めて当然である。
歴代の首相が就任をすると、3億の祝い金を払っている?という話を聞いたことがある。
一つの時代が終わった事件である。堅実経営で、バブルにもたいして踊ることなく西武グループを
ここまで率いた力は大である。最後をまっとうすることの難しさをつくづく感じる。
もっとも、辞めるのは本社の会長だけで他は留まるというから、カタチだけなのだろう。

・・・・・・・・・・
2003年04月15日(火)
741, デフレと対策 ?2

ー 前にもこのテーマで書いたが、今一度書く。

 今の日本はデフレである。しかしそれでもアメリカの物価より物価は実感として、2倍3倍高い。
それが修正過程に入っているだけである。戦後の実質社会主義制度による統制物価が、
その崩壊とグローバル化で世界的な物価への平準化プロセスに入っているだけである。
家具のニトリにしても、イタ飯屋のサエゼリアやマクドナルド、100円ショップが好調なのは、
グローバルな物価の追求を実践をしているためだ。世界的な物価に下がるまでデフレは続くのが当然である!
それで恐慌になっても仕方がないことだ。ジタバタバタしないで、このデフレの中で自分を変えるしかない。
政治頼みや批判をしても、仕方がないのは自明の事。やるべき事をキッチリやってそれで駄目なら退場するしかない。
やるべき事もしないで仲間内で愚痴をいいあってもどうにもならない。
 先日の日経流通新聞に箱根の湯本の二番目に古い、370年の歴史を持つ温泉旅館の『一の湯』が
一面トップ記事で出ていた。半値から三分一のプライスー一泊二食つきで6800円をうちだして、
低価格旅館グループを拡大しているという内容であった。親父が高級旅館をつくってしまったが
高プライスの為に不振になった。座して死を待つよりよいだろうと、25000円から9800円に期間限定で、
この値段に下げたら、お客が殺到した。それで延長延長で、この値段を固定にしたとか。
その代わり徹底した合理化を図ったという。最近は一泊4500円の旅館も始めたとか。
潰れた旅館を買い取れば、これも可能になるだろう。こういうのを「高級を高度に切り替える」という。
 銀座のクラブも三分の一以下で、商品価値を落とさない店が好調だと、先日このコナーでかいた。
昨日いって来た京都は深夜にバスに乗って、宿泊なしで翌日の深夜に帰ってくるパックさえ出来てきている。
これで京都に一万円でいってこれるのだから、価値がある。 凄い時代である。
  http://www.ichinoyu.co.jp/
   以前書いたのをコピーしておきます。
 ーーーーー
デフレと対策 ー1  2002年10月01日
(字数の関係でカット2008年04月15日)
 
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2002年04月15日(月)
377,「知ったかぶりをするな」

「到知」という雑誌に出ていた文章で、今でも強烈に残ってる言葉だ。誰かに聞かせたい言葉でもある。
ーその人が社命をかけて、ニューヨークにセールスに行った。ある製品を売り込まなくては、会社が潰れる瀬戸際である。
まともに英語も話せず、どのセールスも上手くいかない。英会話さえ出来れば何とかなるが、その時間もない。
どうにもならず、公園で途方に暮れ泣き出してしまった。その姿をみて近くの老人が事情を聞いてくれた。
その人は事情を聞いて「よし解った。明日からここで英語の特訓をしよう。ただし条件がある、けして知ったかぶりをするな。
わからないことは正直にいえ」それから公園で英会話の特訓が始まった。そして数ヶ月もしないうち、英語が
だんだん話せるようになった。そしてセールスを始めると、見る見るうちに上手くいくようになった。  
 以上である。
この話の中に多くの教訓がある。
・ぎりぎり追い詰められた状況ーゼロからの出発になった。
・その老人がかなりのレベルの人であった。
・本当にそれが必要であった。
・真剣なぶつかり合いになった。
実際事業の立ち上げは、この状態からの出発といってよい。 赤裸々の対話の積み重ねである。 
それもぎりぎりの。いつでも立上げはそうであった。みしらずの人を集め、どうなるか判らない事を
始めるのだから。しかし新しい事業を興す時は、そのほうがいい。 真っ白から始められるからだ。


2931,わが人生最良の瞬間

2009年04月14日(火)

ある雑誌に、「わが人生最良の瞬間」というテーマで各界30人の有名人が寄稿していた。
歓びと、悲しみ、そして出会いと別れが、その人をつくりあげたことを、それぞれが心を込めて書いている。
なるほど、このテーマで自分の思いを語ることは、自分自身を語ることでもある。
それぞれの人が、自分の思い入れがあり、その一番印象的な瞬間こそ、「わが人生最良の瞬間」になる。
その中で、印象に残ったものは、
  宗教学者ひろさちや「即今・当処・自己」である。
【 華々しい賞を貰ったこともないし、逆に刑務所に入ったこともない。
 それにかかわらず著作活動で500冊の本を書いた。 何処をもって最高だったか?・・・
 と考えた瞬間にハッと閃きました。そうだ〈いまが最高なんだ〉と。
 ラテン語に「カルペ・デイム」という言葉があります。「いまを楽しめ」という意味。BC1世紀のローマの風刺詩人の
 ホラティウスの言葉です。   仏教では ー即今・当処・自己ー と、いっています。「いま、ここ、わたし」です。
 もし、いまが苦しみの内にあるなら、わたしはその苦しみを味わって生きればよいのです。病気なら、その病人を
 しっかり生きればよいのです。病気でないわたし、苦しみのないわたし、そんなわたしは存在してないのである。
 あの頃は良かったといっても、それはもう存在してないのです。未来に求めても存在してないのです。
 それゆえ、「人生の最良のとき」と問われれば、「いま」になるのです。何か遺言みたいになってしまったが。】 
   以上だが、最良の瞬間には永遠という時間が縦に流れとすれば、彼のこの言葉は当然のことだろう。
  
 わたしの「わが人生最良の瞬間」を、考えてみたことが何度もある。
 私もそれほど、華やかの経験もないし、実績もない。しかし「わが人生最良の瞬間」という経験を数多くしてきた。
 多くの感動の積み重ねが自分の中に沈殿し、それが磁力になって感動を求めて(引き寄せて)いったのだろう。
 その度に感受性が強くなってしまったのだろう。 
 秘境で大自然の神秘的な光景との思わない出会い、酒を飲んで騒ぎ、読書を通して時空を超えて多くの人と出会い、
 それぞれの節目ごとに多くの人と邂逅し、多くの美術館で有名な絵画などに出会うなどの集積が、
 多くの最良の瞬間を引き寄せてくれたのである。
  小さな自己満足でしかないが。 「 いま、ここ、自分 」を大事にしろ!ということだ。
  そして、その場をつくる積極的な準備もである。
 「 ひとがみな われより偉くみゆる日に 花を買いきて独りでしたしむ 」も、人生最良の瞬間になりえる。

・・・・・・・
2567, 閑話小題
2008年04月14日(月)
 
 *桜咲く
*今日現在、桜が満開である。
三分咲き、六分咲き、七分咲き、そして満開と自分の人生を開花の中にみる。
毎年、同じ桜でも気持ちが新たになる。 短時間に咲いて散るから心を打つのである。
一日ごとに、それぞれの姿を見せてくれる。そして今日あたりから一日一日と散っていく。
通勤途中だから、それがよく見える。散るのもまた良しの気持ちにはどうしてもなれない。 
 ーー
 *最近の身近な景気状況
取引先の都銀の担当の話だと、去年の秋口から小さな倒産が続いていて、
ここにきて更に景気の悪化が著しいという。税理士や知人の情報からも似たような話を聞く。
三月期末の結果の数字は1?2ヶ月後に出るので緊迫感がないが、厳しい事態が予測できる。 
特に建設と運輸関係の倒産が中心になるだろう。飲食・サービス関係もかなり切迫している。
 ところで、当方はどうかというと、団体が七ヶ月にかけて入っているが、これを除くと
やはり、二つの地元の地震による影響がある。 そう甘いものではないが、
駅前再開発がここにきて急ピッチになっている。 ここだけは別のようだ。
 ーー
 *その後のipod
日にちが経つほどipodの良さを実感している。
本体が小さいのと、操作が簡単なのが良い。通勤の車内では行き帰り、ほぼ聞いている。
それと就寝時は20分は聞く。それと昼休みの食事時も聞いている。
TPOSに合わせて選曲を気楽に出来るのがよい。
 ー
 *最後の叔父が亡くなる
両親とも7人兄弟(姉妹)で連れ添いを含めると26人になるが、その最後の一人が一昨夜亡くなった。
89歳だったが、老衰だという。従兄弟の平均年齢が70歳になるのだから、その時期なのだろう。 
昨夜が通夜で、今日は本葬である。 何か寂しい気がするが、叔父叔母全てが明治・大正生まれ。
その時節ということ。 後ろに感じていた死が、前に見えてきだしたきた?
父方の従兄弟(従姉妹)達は、既に三分の一以上亡くなっている。平均年齢が70歳というから、
叔父叔母全てが亡くなっても不思議ではない。ご冥福を! これから葬式に十日町に出発。

・・・・・・・・・
2007年04月14日(土)
2202, 自殺について ?1
      ?? <(_ _)> ??
                   おはようございます!   
自殺について、ここでは何回も書いてきた。書いても書いても尽きないのが自殺である。
考えてみれば、自殺ほど考えさせられることはない。「死」が哲学(考えること)
の究極であるから、自分で死を実行する自殺は、深い意味があって当然である。
歳を重ねれば重ねれば重ねるほど、生きていることの深さに気づくためか、
自殺に対して否定的になってきている。状況がそう言わせていることもある。
若かりし時に何度か挫折をするたびに、この世から消滅をしたいと心底思った。
しかし、今から考えてみても気もちの何処かに「今のこの気持ちは何時か変わり、
必ず素晴らしい未来ある」という楽観があった。それは未来という時間があったからである。
この数年でも従兄弟や従妹の亭主やポン友が自殺をしたが、死にたくなるほど苦しかったのだろう。
先進国の中で、日本が一番自殺率が高いと聞いてから10年近く経つ。
数年前に韓国が一番になったようだが、同じ位の数字である。
検索で『日本の自殺率』というキーワードで検索したが、
1990年代後半から異常に自殺率が跳ね上がり、7~8年間は先進国の中で一番になってしまった。
以下は、幾つかのHPの自殺の現状をマトメタものである。
不景気と体制変換期には自殺が跳ね上がることからみて、
環境の変化と、その不適応と、自殺は大きく関連しているようだ。
    ーー
日本は、人口10万人あたりの比率に換算する自殺率でみると世界第10位で、
旧ソ連・東欧圏を除く主要先進国の中では最も多い。
主要先進国の自殺率は、米国10.4人、英国7.5人、フランス17.5人、ドイツ13.5人、に対し
日本25.3人(平成16年)。日本の自殺率を押し上げている最大の要因は「成人男性」の自殺だ。
平成14年、15年ともに自殺者の72%は男性が占めている。
このうち、25歳〜44歳までの男性の自殺率は42.3人と著しく高い(平成14年)。
100人の死者のうち、なんど24人は自殺!
この年齢層はリストラ対象層。再就職しても、給与は落ちる。
家のローン、子供の教育費、親の介護の資金と、金はいくらあっても足りない。
生命保険の保険金目当てに自殺を企てる人間も多い。

この年代を含む30代?50代男性の自殺の動機は、1位が経済・生活問題である。
女性や他の世代では自殺の動機1位は健康問題だが、金の切れ目が人生の切れ目とは、何とも哀しい。

    主な自殺のサインは、
   ・うつ病にかかっている、
   ・周りの人とかかわりをもてない、
   ・身の回りの整理を考えている。
   ・ゆうううつな状況を不安な口調で訴える、
   ・アルコールや薬物に依存している、
   ・長期にわたる不眠を訴えている、
   ・人との接触がほとんどない、などがあげられる。
 
ー自殺予防としては、
  一人で悩まずに、妻、家族、親、友人に相談すること。
  それができないときは、「命の電話」「自殺防止センター」などに
  電話で相談するのがよい。相談することで、心が少しは軽くなる。
ー日本における自殺の手段は、
    ・圧倒的に首吊り  20,669件(64.4%)、
    ・次がガスか排気ガス 3,538件(11%)、
    ・飛び降り     2,774件(8.6%)と続く。
    ・拳銃とライフル銃による自殺は、それぞれ13件、19件と少ない。
                    ーつづくー
   以前書いた内容をコピーしておきます。
ーーーーー
2006/10/25  2031, 「私」のための現代思想  ?15
       (+>∀<+)ノ おぁはは?ようさん!
      字数の関係でカットー2008年04月14日

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2006年04月14日(金)
1837, ローマから日本が見える?2
       才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)  ー読書日記

読めば読むほど、ローマ人のリーダーの面々に引き込まれていく。
彼らは自分達のありのままの姿を直視し、それを改善しようとする気概があった。
この書はローマ人が如何にして自己改革を行うことに成功したかの実例でもある。
それは、保守派と改革派の熾烈な戦い実例でもある。
改革が為されなければ、衰退か破滅の瀬戸際の中で行われるから引き込まれる。
そして、そこにリーダーとしての優劣が出てくる。 
   ーリーダーの本質についてー

    イタリアの高校の教科書には次のように書かれているそうだ。
    「指導者に求められる資質は、次ぎの五つである。
     知力、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志。
     それをカエサルだけが、このすべてを持っていた」。
    著者はリーダーについてもローマ人の指導者からみて重要な示唆をしている。

 日本で指導者の資質として取り上げられる決断力、実行力、判断力、
 ましてや「調整力」などということはまったく述べてない。
「経営者の決断力」などが課題になること自体が問題であると看破。
 決断力のないリーダーが多すぎるのが問題であり、
 リーダーであれば当然、決断力や実行力は持っていて当然のこと。
 毎年一冊の割合で発表される「ローマ人の物語」は、
 その中に著される多くのローマの興亡に携わった人物たちの
 生き生きとしたドラマとしての歴史読み物としての面白さにある。
 古くからローマの歴史を演繹することによって、有史以来の様々な国々の興亡の要因を学び、
 又、自分達の生きている社会の問題点の解決方法を学んできた。
 現代においてもローマの歴史は現代の政治的、社会的な問題解決の糸口にもなる上に、社会・文明批評の書ともなりうる。
 巻末にはアレクサンダーから、ローマの英雄、皇帝たちを含む歴史上の人物たちの通信簿が掲載されている。
     (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? C□^(゚◇゚;)ノ゙アチチ!

 ーところでシーザーの『賽は投げられた』の詳細は、どういうことだったのか?ー
     腐敗堕落した元老院政治打破を叫んで立ち上がったユリウス・カエサルは
     紀元前49年1月29日早朝、「賽は投げられた」と叫んでルビコン川を渡った。
     ルビコン川はローマ本国と北イタリア属州との国境。
     川岸に立った武将カエサルも幕僚も配下第13軍団兵士も身動き一つしなかった。
     川幅は狭く渡るのは容易だ。 しかしこの川を渡るには勇気と決断が必要だった。
     ルビコンを越え、本国に軍団を率いて入ることは「祖国への反逆」を意味していた。
    クーデターと見なされ追討軍を差し向けられローマ人同士の内戦になる。
    「ここを越えれば人間世界の悲惨さが待っている。
     越えなければわが身の破滅」。カエサルは兵士を振り返り叫んだ。
     進もう。神々の待っている所へ、我々を侮辱した敵の所へ。賽は投げられた。
   次回からは、目次にそって印象深い部分を抜粋しながら考えてみる。  
                  (*^▽^*)/ バイ?
・・・・・・・
2005年04月14日(木) 1472, カリスマについて

先日、少女暴行で朝鮮人の変態牧師様?が捕まった。
キリスト教の普及手段として、音楽を取り入れたりして現代風にアレンジした
ファッションが売りのようだ。 しかし、見るからに怪しげな集団である。

宗教そのものも、本来怪しげなものであるが。
といって、30人以上の少女を毒牙にかけていながら問題にならないのもおかしい。
カルトもオットセイ的絶倫教祖様が異常なハーレム世界がいきつく先だ。
この手合いは、現在でも世界中に満ち溢れている。 ニーズがあるからである。
救いとしてのセックスもカリスマならストレートで効用があるのかもしれないが。(もちろん皮肉である)

前に読書日記でカルトの教祖様について書いたことがあった。
コリン・ウイルソンの「カリスマへの階段」という本で、初めから終わりまで息を詰めて読んだ。
教祖様の描いた天国の世界に、教徒は洗脳され、そして・・・の世界である。
共同体は、カタチは変われど似た側面があるが。言葉を使った教祖様空想世界の夢商品の販売である。
信じるものは救われるのだろう。以下は、以前書いた読書日記のコピーである。
今度[カリスマへの階段]?2で、他にも幾つかの集団と教祖を紹介してみる。
ーーーーー
2003/05/08 「カリスマへの階段」
(字数の関係でカット09年04月14日)
 
 ーーー
「カリスマへの階段」
コリン ウィルソン (著) 青土社 (1996/03)

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2004年04月14日(水)  1107, 大逆転ー2

昨夜の巨人戦が久々に面白い内容であった。一昨夜は、世界ヘビー級の劇的逆転KOに驚いたが、
昨夜は7対1で負けていた巨人が8回の裏に9対9の同点に追いついた。
たまたま逆転の場面からTVを見たので,一番面白いところを見ることができた。
そのうち、安部が二本のホームランで6点の打点をあげた。
まさかと思っていたら、いまの巨人はそれをやってのけるから凄い。
最後は12回裏に阿部の押し出しでファーボールでサヨナラ勝ちをした。
その時は寝てしまっていたが。あれだけのバッターを集めるのだから、こういうことがおこるのだろう。
昨夜の対戦相手が中日であるが、今年から監督になった落合監督が飄々として面白い。
長年の構想を練って監督になったのが見ていてよく解る。長島元監督とは全く違うタイプである。
阪神の岡田、中日の落合、巨人の堀内という新しい監督の個性がこれからの試合で、
出てくるだろう。過去に蓄積されたものがどの程度であったか、あからさまになるのだから監督業も大変な仕事である。

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2003年04月14日(月)
 740, 深夜特急

沢木耕太郎の「深夜特急」という小説がある。彼が若い時にロンドンへ貧乏旅行をしたときの深夜に移動する
乗り継ぎバスからとった小説の題名である。 TVドラマにもなった。
昨夜の十時半に京都の桜見に出かけた。一万円パック・バスツアーで、
翌日の21時半に帰ってきた。天気が良かったが、先週に桜のピークは過ぎていた。
しかし、この桜の時期のパックのシステムが良い。
・朝6時に、京都の清水寺の開門に合わせて到着するコースが組んであった。
・その後7時に嵐山に行って、あとは解散してそれぞれが嵐山・嵯峨野
 めぐりをして11時に集合して、オプションの食事
・その後、一般公開の最終日の京都御所をみて14時半に帰ってくる内容であった。
ハイライトは自転車を借りて周った、嵐山周辺のお寺周りであった。
印象順に書いてみると
・愛宕念仏寺の羅漢仏の群れがよい。写真では何回もみたが、実際にみたのは始めてであった。
 人間臭い像が多くあちこちに郡をなして並んでいた。
・壇林寺の多くの仏像と仏画が印象的であった。
・祗王寺の小宇宙を思わせる庭とその中の家もすばらしい。
最近は殆ど国内旅行はしなくなったが、パックシステムに参加して、効率的に行ってくるのもよいことが解った。
こういうシステムに参加して嵐山だけに絞って周り最終地で待ち合わせて帰りのバスに乗るいう方法もある。 
43人の参加で添乗員がついていた。新発田、新潟、三条、長岡と参加者を拾っていくのも効率的である。
深夜特急?が意外と疲れないのを知ったのも収穫であった。

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2002年04月14日(日)  376,新潟駅前界隈

新潟の駅前で事業を始めて21年になる。場所柄、いろいろな商売をみてきた。
本当に商売の難しさを思い知らされる。意外と潰れてないのが驚きだ。半分は生き残っている。
しかし多くの潰れていく店も多い。数年たつといつの間にやめている。
その共通点は私生活の乱れが多い。それといつの間に「唯我独尊」になってしまうことだ。
店が悪くなると、すぐ客単価を上げようとする。お客は「お値打ち」を求めて店に来ているのが解らなくなる。
こと値段に対して厳しい査定をしている事が見えなくなる。そういう危なくなっている店が、ここにきて多い。
おかしくなる数年前に、何かその種をつくっている。お客は一度離れたら二度と戻ってこない。
いろいろな事情と思惑で、商売を始めている。しかし原理原則が商売にきっちりある。その原則がわかってない人が多い。
大きい本屋を数軒回れば幾らでもあるが、気がつかないのも仕方ない。他人事ではないが。
特に飲食店がよくない。原因は
・一人当たりの可処分所得と小遣いが減ったこと。
・出張と社交費が激減したこと。
・自宅近くのチェーン店に行くようになった。
・TV のハードとソフトがここにきて格段によくなった。
 その為、家でビールを飲みながら、TV を見ていたほうがずっと価値がある。
・そして最大の原因は不景気である。デフレと売り上げが減っている為、客単価を下げる事が出来ない。
商品の質を一ランク上げ、価格を一ランクか二ランク下げなくてはならない。
客が来ないため鮮度と質が落ち、客単価を上げてくれば客は減って当然だ。お客は食べ物には敏感である。
おまけにデフレの為スーパーやファーストフードは合理化を進め、値段を下げてくる。
「誰がそんな不味いものを高い金を出して食べるか!」と黙って行かなくなる。
それでもまだ店を出したがる人がいるのだから。


2930,新潟清酒達人検定

2009年04月13日(月)

一昨日の法事で、隣に座った従兄が三月に「新潟清酒達人検定」に受験、
銀と銅のランクの、銀に合格したという。
・銀が500人、銅が800人が受験、合格率が7割。発表はネット上だという。
・3000円位の教科書があって、その中から問題が出て、○×で答えるもの。
・内容は、大吟醸は何の基準で決められるのか?とか、
 清酒のアルコール度は1〜22度まであるとか、いう軽い内容が中心のようだ?
・受験生は若い女性から、あらゆる世代の人にわたっていたという。

それから、酒のメーカーの批評から話題が次々と出て和気藹々になってしまった。
新潟の酒蔵は104あったが、現在では97に減ってしまったという。
酒は米の質と、水と、米を何処まで削り落とすかで清酒の質が決まってくる。
「上善酒、水の如し」というが、水の質も大きな味の要素になる。
酒は朝日山と、寒梅が良いとか、南魚沼の「緑川」が美味しいとかの議論が伯仲した。
そこから、NHKの「天地人」に話題が移行、長岡近郊の与板城主が、井伊直弼の4男だったとか、
まあ面白い話題をそれぞれの人が持っているものである。
法事も普段に会えない、叔父叔母の連れ添いの親戚などの色いろの人生を知るチャンスでもある。
一人の人生の中には、生きてきた経験と知識が詰まっている。 当然のことだが・・・
清酒達人検定試験、来年でも受けてみようか?

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2566, ターニングポイント
2008年04月13日(日)

・世界のターニングポイントは
 ソ連が崩壊した1991年か、
 アメリカの9・11テロの起きた2001年か、意見は分かれるだろう。
・日本は、バブルと、その崩壊の(1986年12月から1991年2月までの4年3か月の)1991年か、
 阪神淡路大震災、オウム事件、そしてネット社会の始まりをつげるウィンドウ95の発売で始まる
 ネット社会の起動の1995年か、これもまた分かれるところである。 
 世界にとって、ソ連の崩壊と、アメリカのテロによる威信の失墜と弱体化は、同じ位の意味はある。
 世界も、日本も、その背景にあるのは、情報化社会の到来によるグローバル化がある。
 民族と宗教対立が世界規模で生じてきたのである。そして中国ではオリンピックを契機に大混迷期に入る。
 以上のことから
 「日本はバブルの発生した1986年からウィンドウ95・阪神淡路大震災・オウム教事件の発生した10年間、 
 世界はソ連崩壊の1991年から2001年の9.11事件の10年間が、ターニングポイントの期間になる」ということになる。

これは20世紀から21世紀への時代の千年単位の変化で、その背景にIT革命などの科学の飛躍的進歩がある。 
まさか、ソ連が崩壊するとは思っていなかったし、ニューヨークのアメリカを象徴するビルが
二つ瞬時に消滅するなど、考えられない事件であった。
日本では、バブルと、その崩壊、そしてインターネットの普及は大事件である。
20以上あった都銀が、あれよあれよという間に3つに集約され、西武グループも、西武鉄道も解体された。
デパートも、ここにきて4つに集約されようとしているし、ナショナルチェーンも2つに集約された。
ターニングポイントは、10年にわたったが、その余波は政治経済の事象を大きく変え続けている。
それだけ大きな時代の断層は大きいのである。 身近では、僅か3年半で大地震が二度も起きた。
幸い事業には最小限の影響ですんだが、それでも決して甘い状況ではない。
ハッキリいえることは、これで新潟県のエネルギーが10?15%ダウンした。 その中で、
一つ状況への対応を間違えれば事業として即死するしかない。これは、どの事業も同じことだが。
もう一つターニングポイントといえば、今年が大きな変わり目になる。
恐ろしい年と覚悟をしたほうがよい。 特に、後半に政治も経済も大波乱がある。

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2007年04月13日(金)
2201, 新幹線乗り越し、6回目
                  (~Q~;) おはよう?? ファ?
一昨夜、6回目の新幹線の乗り越しをしてしまった。飲み会の帰りの新幹線、燕三条駅まではしっかりしていたが、
その直後、少し寝込んでしまった。そして、目を開けたら長岡駅。鞄を持って走ったが、目の前でドアが無情にも閉った。
またか、と思ったが、最終便の一本前なので何とかなると慣れたもの。
そして、無事Uターンした帰ってきた。4年弱ぶりということになる。
HP内検索で「新幹線乗り越し」と入れたら、出てきたのが以下の文章である。
なるほど文章化をしておくのも面白い。 乗り越した「浦佐」の駅員に、「長岡では乗り過ごさないように」
と注意されたり、横にいたホロヨイ気分の人に「頑張ってね!」と励まされたり、
シッカリ酔っ払いをしてきた。いや酔っ払いずれをしているということだ。
5年前の湯沢で乗り過ごした時に、やはり乗り過ごした人がいたので、割り勘で同部屋に泊まったことがある
(全く知らない人だった)、その半年後、会社のパソコンに光ファイバーを入れた。
その時のNTTの営業担当が何とその人。 互いにビックリした事があった。
 以下は以前の書いたものだ。
 ーーー
2003/08/22  
 5回目の乗り過ごし
昨夜、5回目の新幹線の乗り過ごしをしてしまった、十四年?ぶりである。
コンサルタントの林さんと新潟の沼垂で痛飲、22時16分の最終列車で寝込んでしまった。
気がついた時は既に長岡を通過してしまっていた。仕方がなく浦佐の駅前のビジネスホテルに泊まってきた。
最終に乗るくらいなら泊まると決めていたが、酔った勢いの判断ミスであった。
ホテルを始めた頃、東京からの新幹線で大宮で降りる予定のサラリーマンが新潟まで寝過ごしてきた。
財布は空で宿泊代は無し。「宿泊代と帰りの切符代を貸してもらえないか」と頼まれた当時の大矢マネージャーが
気の毒なのでその通りに応じたという。本来は警察に行けば何とかしてくるはずだが、気が動転していたのだろう。
他人事の話ではないが。以前「乗り過ごしについて書いた文章」をコピーしておきます。
ーーーーー
2002/02/10
 新幹線の乗り越しー4回!
通勤22年間に乗り過ごしの経験が4回ある。それぞれに思い出がある。
たて続きに3回乗り過ごした。10?15年前で一番酒を飲んでいた時期であった。
初めは湯沢で泊まった。飲んでいた勢いでビジネスホテルの近くのスナックに飲みに出た。
10時半過ぎであった。大きい猫がいて手を噛まれた!中年のママさんがいた。湯沢の情緒が漂っていた!
その次は浦佐駅であった。乗り過ごした2人と話し合い「割りかん」で帰ってきた。
長岡駅と思い歩いていて,何かが違うのでよく駅名を見ると[浦佐]であった。

(以下、字数の関係上カット2009年04月13日) (*´∀`)ノバイ

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2006年04月13日(木)
1836, ローマから日本が見えるー1  
                        b(’0’)d おっ (゚Д゚)w  ハァよー
                 ー 読書日記
この本は塩野七生が1992年より年に一冊の割合で書いてきた『ローマ人への手紙』のローマ建国から帝国成立までを、
自らダイジェスト版にした本であり、その入門書でもある。 その意味で、解りやすい中味の濃い一冊である。
 =まずは、この本の概要をまとめてみる。
ー「なぜローマにこれほどの入れ込みをしたか」ー
著者の塩野七生は「私がローマ人に興味を抱くのは、彼らが人間性に対する幻想を抱かず、
ということは、自分自身に対する幻想を抱くことなく行動していたから」と述べている。
イタリアの一地方都市に過ぎなかったローマが、有史以後最大の帝国にまで成長を遂げ、
千年以上(1229年間)に亘って世界を支配した、その原動力は何であったのか。
そして、そのローマ帝国が何故衰退の道を歩んだのか。ローマ史は、歴史の面白さに満ち溢れている。
古代ローマ時代のローマ街道の道端にあるお墓に「これを読む人に告ぐ。健康で人を愛して生きよ。
あなたがここに入るまでのすべての日々を。」 と、書かれていたという。
「幸運の女神は、すべての人にすべてを約束する。と言っても約束が守られたためしはない。
だから一日一日を生きることだ。一時間一時間を生きることだ。何ごとも永遠ではない。生者の世界では。」
「ローマ人の物語」の中の言葉である。人生の全てが、ローマ人の行蔵や言葉の中につまっている。
また、そこで活躍した男達の魅力は計り知れないものがある。
著者がローマに入れ込んでしまうのは自然のことだ。ε=ε=ε=(。・ω・)_旦~~              
ーローマ人の改革についてー
「真の改革とは再構築である」「改革とは『過去の否定』ではない」ー

ローマに限らず、どんな国家であれ、どんな時代であれ、改革とはけっして会議で決まるものではない。
一人の指導者が現われ、みずからの信じるところに従って改革を断行しない限り、永遠に体制は変わらない。
そして変わらないで過ごすうちに、国力は衰微する一方になる。しかし、改革はむずかしい。
どんな改革であれ、それによって損をする人たちがかならず現われる。
しかし彼らの反対に耳を傾けてしまえばどうなるか。
結局、どんな改革も大幅な修正をされて小幅な改良に終わってしまうのが落ち。
したがって改革をやろうとすれば、結局は力で突破するしかないということになる。
カエサルは彼に最終勧告(要するに追放もしくは死刑の宣告)を与えた元老院を
潰すことなく、彼の体制の下に置いた。 ただし、改革も行った。
それは従来ローマ市民にしか与えられなかった元老院議員の資格を属州の人たちにも与えた。
彼の大きな改革として私たちが今でも恩恵を受けているのはユリウス暦の制定。
カエサルは様々な改革をわずか2年で成し遂げた。
                        …(´Д`驚)…!!              
改革にはタイミングがポイントとなる。ローマは紀元前390年に北方ケルト族の襲撃であっけなく占領された。
このどん底から這い上がることで真のローマになった。
敗因が自分たち自身にあったことを反省し、ローマ独特の共和制を樹立し政治改革を完成させた。
ローマは、その苦境を乗り越えるために、ローマは、自らを改革して行った。
それこそが、ローマが王政から共和制へ、そして帝国へと変わっていった
過程なのだという。「ローマは試行錯誤によって作られた」のである。
もちろん改革の時期には改革を阻止しようとする勢力が優勢になり、後戻りも頻繁にある。
しかし、その後戻りも結果的には改革への推進力に切り替えるかたちで
ローマは自らを成長させてきたことが、本書でも簡潔に示されている。
著者はローマが新生ローマになるには20年の年月がかかった。
それだけかかっても改革への取り組みを諦めなかったからこそローマはローマになったと指摘している。
ローマも改革も1日にして成らずである。改革には時間と手間がかかる。既得権益を持つ人達は手放したがらない。
多くの人は改革の手間を惜しみ、まだ大丈夫と思っている内に国家は衰退していく、と指摘。
当時のローマに今日の日本の姿を投射しながら改革の「必要性」とタイミングの「重要性」を説いている。
急激な経済の拡大成長に従来の国内システムが対応できない日本。
その間に業者や特定利益団体が自民党族議員・一部官僚と結託して、利権体質を作りあげた。
現在の日本はその体質改善が求められる。 
                 ーつづく   ヾ(^ω^*) バイバイ!
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2005年04月13日(水)
1471, 『冥途のお客』を読む

佐藤愛子著の「霊の話」光文社ーが面白い。

月刊誌の「新潮45」で、数年前に霊体験を連載していた。
読んでいて、背筋が寒くなるほどリアルで中味の濃いものであった。
文春文庫から[あの世の話]という題名で出版されている。私は27歳時の父親の死の直後、霊体質になった。
最近は、あまり妙なことは起きなくなったが、以前は信じられないような色いろな現象に出くわした。
そのことは随想日記にも何度か書いてきた。 佐藤愛子は30数年前、50歳で霊体質になったというから、
私の方が若くしてなった。ほぼ同時期になる。霊体質になる以前は、こういう話は興味本位で聞いていただけで、
内心は全く信じてなかった。 しかし、自分がなってみると違うのだ。
違う感覚器官が、身についたという感覚である。そのことを、佐藤愛子も書いている。
耳の聞こえない人に、音楽の話や、風の音の話をしても何も解るはずがない。それと同じことである。
私の場合は、身近な人の葬式前後に何かが起こる場合が多い。
どこどこで、全く知らない霊と出会うことは少ない。最近は本当に少なくなっている。
おそらく仏壇で毎日、亡くなった因縁のあった人の名前を挙げて、[あの世で静かにお眠りください]と
祈っているためだろう。2年位前の、自社ホテルの因縁部屋(初の自殺者出た部屋)に泊まった時の話である。
夜半トイレに入ったところ、換気扇が人の鳴き声になっていた。
「今更、そこで亡くなった人が泣いているわけもあるまい」と、
気を取り直して、何回もスイッチを入れたところ人の鳴き声に聞こえる。
それも何回も聞きなおしてもである。この部屋で亡くなった、あの女性が出てくるはずがない
と思いながら、まんじりとしない一晩を過ごした。翌日事務所に行って暫くすると、
私の泊まった前の部屋で「病死のようだが、人が死んでいた」という報告が入った。
あの泣き声は、故人が私に悲しみを伝えたかったのではと?
理屈から考えれば有り得ない話だが、実際信じられない現象が起こるのだ。
霊感の強い人は、普通の人が見えないものが見えるのだから大変である。佐藤愛子の場合、私よりズット霊体質は強い。
自分に霊体質が無ければ、こんな内容の本には見向きもしない。理屈に全く合わないのだから。

ー以下は検索で調べた、この本の大筋と感想を書いた内容である。
けっこう上手くまとめてある。
 ーーー
著者自らの霊体験を告白
(以下、字数の関係上カット2008年04月13日)

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2004年04月13日(火)
1106, 大逆転-ヘビー級の醍醐味

昨夜、ヘビー級の世界タイトルマッチを見ていて驚いた。
圧倒的有利のウラジミール・クリチコフが、サウンドバックのように
相手選手を攻め立てていた。そして4回に相手選手がダウンをきっし、
ノックアウト寸前。 5回はいつダウンをするか一方的の試合になってしまった。
そしてラストの40秒前に、相手のパンチが当たって、最後0秒で劇的大逆転でクリチコフが負けてしまった。
数年に一度見れるかどうかの面白い内容であった。映画の「ロッキー」を見ているようであった。
ヘビー級はこれがあるから面白い!当り前のことだが、見ていないと、その面白さがわかるわけがないが。
9回2アウトからの大逆転のようなものである。
最盛期のタイソンが日本でまさかの敗退や、レノックス・ルイスが数年前に負けるわけのない選手に
一発で負けた試合を思い出す。 しかし今回みたいに、サンドバックのように一方的に攻められていた選手の、
劇的な大逆転も珍しい。子供の頃の楽しみは「巨人・大鵬・玉子焼き」ではないが、ごく限られたものであった。
白井やファイティング原田や海老原などの世界戦が思い出に残っている。
それと青年期にはカシアス・クレイ(アリ)とリストン戦や、フォアマン戦が記憶に残っている。
ボクシングも最近以前のように熱心には見なくなってしまった。しかし昨夜の対戦は記憶に残る面白い内容であった。

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2003年04月13日(日)
739, 睡眠時無呼吸症候群

一度だけだが、寝ていて息苦しいので目が覚めてた時に,
息するのを忘れていたことに気がついた。「エッ!」というのが、その時の印象だった。
「なんで呼吸を忘れるんだ?」という疑問であった。
「こういうことが実際にあるんだ!」と思った記憶がある。5?6年前の事だった。
ところが最近になって無呼吸症候群が問題になって、初めてなるほどと感じた。
それで死んでしまう事ってあるのだろうか?そういえば新幹線の停車ミスの運転手も無呼吸症候群だった!
そこでインターネットで「睡眠時無呼吸症候群」を調べた。その結果、私のその経験と違う?ので安心をした。
 ー睡眠時無呼吸症候群の定義ー
一晩(7時間)の睡眠中に10秒以上の無呼吸が30回以上おこる。
または、睡眠1時間あたりの無呼吸数や低呼吸数が5回以上おこる。
実際に止めてみると辛いことがわかります。睡眠時無呼吸症候群(SAS:Sleep Apnea Syndrome)は、
睡眠中に呼吸が止まった状態(無呼吸)が断続的に繰り返される病気です。
その結果十分に睡眠がとれず、日中の眠気、集中力、活力に欠ける、居眠りがちになる、
居眠り運転で事故や重大事故などを起こしやすくなります。
治療をせずに放置しておくと生命に危険が及ぶ場合もあります。
よって適正な症状分析と診断、治療、予防などの対策が必要になります。
眠っている間に呼吸が数十回、ときには数百回と止まるようであれば、体内の酸素不足が深刻になってくるでしょう。
酸素不足がおこれば「寝苦しい」「息苦しい」などの症状が現れ、睡眠不足がおこります。
また酸素不足は循環機能に負担をかけ、不整脈、高血圧、心不全、糖尿病が現れ生存率が低くなるなど無呼吸症候群には
様々な問題がでてきます。いびきのあとに呼吸が止まるようなときには無呼吸症を疑い、 早めの治療が必要です。
ーーー
もしこういう症状であったら本当につらいだろう!睡眠はある意味で、天国の世界である。
それが楽々眠れないとしたら、これほどの不幸はない。信じられない病気が多い。
病気になった当人しか、その苦しみは解らないものである!

・・・・・・・・・・
2002年04月13日(土)
375, 「テーマ日記」を書き始めて一年

あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。
旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。何処までやれるか自身との闘いで始めた。
あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。
気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。よく書いたものだが、内容はこんなもの。
あと1?2年つづけたら殆ど内面を、いや底を尽くのではないか。
その後で底から真水が出てくるのではないか。今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。
テーマの種が尽き始めた事は事実だ。大した事を考えてない自分が顕わになった。
本気になって第三者を意識して書き出して、プロの文筆家の能力に今更驚かされる。
それで食べているのだから当然といえば当然だが。書くということと、内面で考える事とあまり違いはない。
内面を赤裸々に顕してしまう。毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。
しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ?(;一_一)(+_+)ー恥ずかしいことはない。
後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。人生の7割生きたのだから仕方ない。自分史そのものだ。
自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。



2929,閑話小題

2009年04月12日(日)


 * 昨日は法事
去年早々、母方の叔父が亡くなり、両親の全ての兄弟・姉妹と連れ合いが亡くなった。
その叔父と連れ合い、そして長男の合同の法事が昨日あり、家を代表して参列してきた。
「自分たちの法事としては、最後ではないか」と言っていた。これから法事は少なくなる傾向のようだ。
「家」の意識が、ここで大きく変化している。親戚も最小にして、ごく内々で済ますようになった。
坊様の商売は不景気に大きく左右される上に、これだから上ったりだろう。
 
* 国債>税収 
09年度の一般会計が、ついに税収を国債発行が超えてしまったと、あった。
目を疑ったが、事実である。 もちろん戦後60数年で初めてで、異常事態である。
国債大量発行で国債価格が下落し、金利が上がれば、企業の資金調達が困難になる。恐ろしいことである。
世界規模の大恐慌を避けるために、15兆円の大ぶるまいだが、それは国債発行でまかなうしかない。
しかし、その結末は将来の大きな負担と禍根を残すことは間違いない事実。
あらゆるところから、綻びが現れてきている。
 
* 宮城県が2011年にも財政破綻
これまた、目を疑ったが、宮城県が2011年にも財政破綻という。
宮城県だけでなく、多くの県が同じような窮状にあるという。
一般には隠しているだけで、数年以内に露呈するという。
一日一日と何か恐ろしい事態が迫っている。
マイナスばかりが、目に付くが、それが現実なら仕方がない。
 
 * 桜が満開に
新潟市は昨日一昨日と花見と年度変わりの歓迎会を兼ねた宴会が集中する。
不景気になって今年は、それが顕著に現れたようだ。
近くの地元の大型居酒屋は、予約で満杯という。但し長岡は、どこもガラガラ。
地域によって違うようだ。桜は満開になり、渡り鳥の姿が見られるようになったが、心は・・・

・・・・・・・・
2565, ドル覇権の崩壊 ?2
2008年04月12日(土)
                     (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
この本で面白いと思ったところといえば、
・第二次世界大戦後に、「金・ドル体制」が確立、
・ニクソンが1971年に金ドル体制で崩壊、それに変わって「ドル・石油交換体制」が成立した。
・そして、ここにきて「コモデティ・バスケット通貨体制」と移動しようとしている。
 という点である。 現在の天然資源や穀物などの値上がりは、そういう要素もあったのだ。
 イラクにアメリカが攻撃を仕掛けたのは、フセインが石油の決済をユーロにしようとしたことが、原因というのも解る。
その『コモデティ・バスケット通貨体制』とは、
「金を中心にして、その他の鉱物資源、石油、天然ガスなどのエネルギー、農産物等の実物資産を
まとめてバスケットの中に入れて、それを評価、信用の基礎とする通貨体制のこと。
コモデティとは基本物質という意味であり、貴金属と鉱物資源を中心とする戦略的な物質の全てである。
現在のドル決済、ユーロ決済、更には円決済は、それぞれ為替相場の変動が実物経済に及ぼす影響が
無視出来ない程、大きくなってきていることから研究されているものである。
 現在の通貨体制をゴルフのハンディに例えると、お互いに相手国のハンディが多すぎる、自分(自国)の方に
もっとハンディをくれないとゴルフ(国際貿易)に参加できないといっているようなものである。
そのため毎日日々刻とハンディ(外国為替相場)をお互いにそのつど替えてゴルフ(国際貿易)を行っている。
 コモデティ・バスケット通貨体制は、 金本位制度、 為替の固定相場制、 為替の変動相場制 に続く
新しい第4の通貨・貿易の決済体制とされ、将来の通貨体制の混乱を防ぐには、これ以上の方策は今のところ
見当たらないといわれている。 ただ、あくまで理論上のものであり、更に研究しなければならない点も多く、
実際に導入されるにしても、相当の紆余曲するだろう」
ー以上だが、
 米国は国家単位で贅沢な生活を続け、その結果として 巨額の貿易・財政赤字を垂れ流している。
 ところが自国が基軸通貨なので、輪転機を動かしドルを刷れば自己決済が出来る。、
 これではドルはいずれ暴落すること必定、早く他の通貨か物に避難すべし!ということになる。
 サブプライムローン問題は、アメリカのドル・石油交換体制の崩壊を決定付けた。
 その大混乱が、これから何年にわたって始まるのである。その一番の被害は資源のない日本であるのは
 誰の目にも明らかである。 本当の本格的プアー社会は、これから本番になる!
 格差社会というが、それは違う、中間層がプアーになっていくのである。
 上層とかいうのも、激減していくだけ。 大変なのは団塊世代の後の人たちである。
  プアーといっても、1950年?60年代の生活レベルに近づくだけ。
  社会資源は残っているから、それよりましか?
            .:+:.::.:+:(,, ・∀・)ノ バイ
・・・・・・・・・
2007年04月12日(木)
2200, 反時代的毒虫 ?1

才八∋ウ_〆(∀`●)  ー読書日記   
 何げなく図書館で、この本を手にして、ーまえがきにかえてー
  の部分の中の一節に目が吸い寄せられた。

*カフカに「皇帝の使者」という短編小説がある。ある男のところに皇帝の使者が出発したというお告げがある。
ところが、その使者は何時になってもこない。使者はその男が死んだあと、到着するのである。
私は自分をその使者を待つ男と同じでいいと思うていた。
ところが47歳の時、新潮社から『シオ壷の匙』という本を上板していただくと、
突然、私は白洲正子さま、吉本隆明氏、江藤淳氏の絶賛を浴びて、世に認められた。
皇帝の使者がきたのである。驚いた。「駄目な男」であることになれきっていた
私には、青天の霹靂である。あれから12年経ったいまでもまだ「変な気分」である。
ーー
そして中には、江藤淳、水上勉、白洲正子との対談が載っていて、対等に対談しているのである。
本屋で彼の名前は見たことがある程度だったが、借りてきて読んでみたが、なかなか面白い。
文学の授業を受けているような気持ちにさせられる内容である。
ー表紙裏よりー
私小説における虚点とは何か。命の通った言葉、通わない言葉とは何か。いかに女を描くか。
創作と金をめぐる関係とは。 小説とは、虚実皮膜の間に漾う人が人である謎を書くことである。
異形の作家が私小説の真髄を語り尽くす。
ー1998年から2004年までの間の車谷長吉が行った対談や、妻・高橋順子との句会が掲載されている。
 対談相手は、江藤淳、白洲正子、水上勉、中村うさぎ、河野多惠子・奥本大三郎である。
 小説やエッセイの毒虫的な車谷からすれば、たやすく想像されることではあるが、
 人と語る車谷は誠実で、言葉を選んで、理性的で、少年のようである。
 ーまずは江藤淳との対談ー
『私小説に骨を埋める』から
江藤淳との対談は、それぞれの言葉が相手の言葉を引き出す、非常に内容の濃い対談になっている。
車谷の言葉が非常に豊かに引き出されてくるのがわかる。
ーP16
車谷「私には私小説というよりも、まず物語を書くという気持ちがありました。
 その物語の「物」とは「物狂い」「物の怪」「物心がつく」の「物」だ、という意識があります。
 物を語るというのではなくて、物が語る。書き手である私に「物」がくっついて、 私の口、
 あるいは手を借りて、「物」がある物語を私に書かせる。
 初めて小説を書いた頃からずっとそう考えているんです。江藤「物が書かせるということですね。
車谷「はい。人間は2,3歳になると物心がつきますね。
 その物心の『物』とは何だろうと、ずっと考えていたんです。
 …夜にアパートで一人でいると、何ともいえず生きていることが恐ろしくなって
 きましてね。・・この恐ろしさが『物心がつく』の『物』ではないかと
 気づいたんです。『夏目漱石』で江藤さんがお使いになる言葉でいえば、
  (以下、字数の関係でカット2,008年04月12日)
ーーー
私の親戚にも何人か数奇な人生を生きてきた人がいる。
差し支えがあるので書けないが、書いたら面白い小説になる!
どの世界にも「事実は小説より奇なり」の話は転がっている。
             
            (℃゛)/ また、明日!
ーーーーーーー
2006年04月12日(水)
1835, 善意について
      \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/

善意については、色いろ考えさせれることが多い。
最近になって、そのプラス面でなくマイナス面の指摘を目にする。
善意の善は、善悪の善である。 善悪なぞ、価値観の一側面でしかない。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、一つとっても互いの善悪は全く違う。
善をプラス、悪をマイナスみても、善も悪も何時までも持続はしない。
環境が変化するからだ。環境が変化をすると、善はマイナスー悪になる。
現在の自民党の族議員、ゼネコン、官僚の構造的汚職など典型的なものである。
善意は、善意でよいが! 善意だから何も許されるという甘えがマイナスになる。
日本の裁判の特徴に、善意による脇の甘さが起因しているトラブルがあまりにも多いという。
「友人の困窮に家を貸したが、相手が権利を主張をしてトラブルになった」とか、
「連帯保証に、善意で判を押してしまった」という話だ。その善意が狙われるのだ。
善意を売りにしている人間で真っ当な人は多いが、何らかのペルソナ(仮面)の一部ぐらいに
割り切っていたほうがよい。ただ、善意ではなく、できることならギブ&ギブを心がけていた方がよい。
善意と優しさは、似て異なるものである。善意という動機にクールの視線を持てということだ。
(ウオーム?ハートにはクールヘッドがコインの裏表のように必要である。)   
 ー以前書いた、善意の小悪党に関する文章である。
  これは、善意ー善人面を売りにして事例だから、すこしづれるが・・。

ーー
2004/02/06
1038, 「わたしは悪い不動産屋」?2

以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた
私の目から見た不動産業に対する批判と知識である。
この本を読む限り、不動産屋とかマンション屋は全て悪徳のように思えるが、
実際はそうではない。真面目な不動産屋が大部分である。
しかし、20??は悪徳に近い。80対20の法則がここでも当てはめることができる。
その20?が80?の悪さをする。しかし、それを素人は見抜けるわけがない。
80?の善良の不動産屋にも20?の悪徳要素が含まれていると考えた方がよい。
完全な物件は無い、それをよい部分だけを誇張していまうのだ。(実際は5?が、95?の悪さをするのだろうが)
面白い善意の不動産屋がいる。自分は何も社会倫理に反する事をしていないが、
不動産屋の習性で、物件に対する瑕疵を見つけて冷静な判断をする。それが彼の仕事である。
ところが無意識で親しい人間の瑕疵を見つけ、他人に瑕疵を営業代わりに、内幕情報屋をしている。
しかし、そのことを自分で自覚してない。その瑕疵を純粋に相手を変えて言ってしまう。
悪意なしの無意識の世界の恐ろしさの深さがある。
不動産業の業というよりも、誰もが持っている人間の業であるが。
人間は誰も善意の悪党の要素を多く含んでいる。人間論になってしまった。まあ他人事でない。
違うカタチで自分の生き方で、同じことをしていたのだろう。
生きるということは、こういうことなのだろう。 純粋性の恐ろしさがある。
不動産屋は、なるべく相場より安く値づけをして早く商売を成立させたい。
その為に対象のケチとあら捜しをするのが習性になっている。不動産取引は情報の売り買いである。
長期物件の売買で生きていく糧を長年かけて網を張っていく世界だ。蜘蛛の巣に情報がかかってくるのを待つ商売である。
少しマイナスの視点で書いているが、それだけ深い世界ということだ。そして無くてはならないビジネスである。
不動産屋をみていると、それぞれの個性がある。 野球のバッターに例えると
・バント専門
・ヒットバッター
・ホームランバッター
・代打専門と、それぞれの特性がある。
・バントは、アパートなどの仲介を中心に扱う
・ヒットは、マンションや住宅の売買を得意とする
・ホームランは億単位のビルの取引を狙う1発屋
・代打は、そういう情報を得て、長期物件に不得意の人に代わりに時間をかけて
 得点を得るために三割?半額をもらうことを裏契約をして共同作戦をする人
 等々、生臭い情報を探し求めて利益を探しだす世界である。
 自分を、その世界にサラシテ生きてきたからよく解るのだ。
トンビという仕事もある。事務所を持たないで、情報を売り買いしているハイエナ的な仕事である。
饅頭のアンコという言葉もある、情報のやり取りで利益を分け合うのだ。
                    ー つづく   ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
・・・・・・・・・
2005年04月12日(火)
1470, 書く(一人、語る)ということ?2

このHPを開設をして一番の効果について何回か書いてきた。
今までは、知識を得ても自分の内面に落とし込んで、それでお終い。
殆んどが記憶の底から出ることなく埋没するだけであった。
知識・教養とはそれでもよいが、やはり外部化をしておいたほうが良いに決まっている。
いつでもコピーをしたりできるし、分類や再考が可能になる。
反面、このHPに落とし込んだ場合に第三者にも曝すことになり、
自分のノートや備忘録に落とし込むのとはおのずから違ってくる。
まず第三者にも理解するように書かなくてはならない。
自分の気持を書き込む時には、自分の中の第三者の目ー理性ーで、
一度濾過をしなくてはならない。それが自分をコントロールをしてくれる。
1年、3年、10年経った時の自分や、子孫の目も意識しなくてはならない。
しかし、その加工は時間が経った時の自分にとってプラスに働くうえに、
第三者の人とも共用が可能になる。この共有感が、気持ちを安らげてくれることになる。
いま一つ良かったことは何か感じたリ驚いたりした時に、それを無意識に起承転結として文章化をするようになった。
いつの間にか、書くように頭の中でまとめている習慣がついてしまったことだ。
また他人と話している時なども、書くように話しているのだ。これも結果として大きな収穫であった。
更に、他人の話を聞くときも、文章を読むように聞いてしまっている。
相手の起承転結を整理しながら聞いてしまっている。インプットも、アウトプットも、
無意識に整理しながら聞いたり話したりする習慣(脈絡を掴むよう)になっていた。
                    つづく
・・・・・・・・
2004年04月12日(月)
1105, 「ありがとう」戦略ー2

・「幸せだから感謝をするのではない。感謝をするから幸せなのだ」
 感謝はー大勢の人々のお陰、宇宙の森羅万象のお陰という気づきは、
 チャンスのときよりピンチのときに生じることが多い。
 ー「ありがとう」と、心の底から周りに対して言える状態が幸福といえるのだろう。
 ・「お客様は来てくださらないもの」「取引先は商品を卸してくださらないもの」
 「金融機関はお金を貸してくれないもの」ヨーカ堂の伊藤名誉会長が母親から受けた教えだという。
 この「ないないづくし」を前提に考えれば、『有り難い』という言葉が自然とでてくるものである。
 ーこの気持ちを忘れてしまうのが人間である。他人のことは見えるがいざ自分のこととなると見えなくなる。
・言葉の原則がある。
 第一は「言葉はレストランのオーダーの如し」という原則がある。
  注文どおりの料理が運ばれてくるものだ。 言葉のとおりになっていくのだ。
 「疲れた」「(>_<)困った」「できない」と、消極的な言葉を発するとおり不幸な状態を発注をしているのだ。
 第二は「言葉はエネルギー」という原則である。」言葉の強力な言霊エネルギがピンチをチャンスに変えてくれる。
 第三は「言葉は表情」という原則である。言葉や表情を明るく変えるから人生も明るくなる。
・言葉には「明元素言葉」と「暗病反言葉」がある。
 ー「明元素言葉」は
「ありがとう」「簡単だ」「愉しい」「恵まれている」「面白い」「美しい」「楽しい」
「嬉しい」「素敵だ」これらの言葉は、積極的で、肯定的で、状況を陽転していく
 エネルギーを持っている。「現状打破言葉」とも言える。
 ー「暗病反言葉」は
「忙しい」「疲れた」「嫌だ」「困難だ」「やってられない」「駄目だ」「不幸だ」
「もう歳だ」「できない」「どうでもよい」これらは「現状維持言葉」という。
 この言葉を使っていると本当に「暗病反」になってしまう。
                          ーつづく
 ・・・・・・
2003年04月12日(土)
738, NTTの現状から時代の変化をみる

先日、NTTの人が光ファイバーの件できたので、IP 電話の内容を聞いた。 
NTTが現在、大きい分岐点にあるのは私でも解る。
一般回線からの収入は数年後には、減っているなか更に激減するという。
今後の収入源が光ファイバーと、ADSLの収入しかなくなるという。
それも他業種の参入で競争が厳しいという。
固定費が本来高いので競争に不利である。今の時代の象徴そのものだ。
あの電信柱と電話回線という数兆の資産が、たんなるゴミになってしまうのだ。
他人事ではない!観光白書によると一昨年だけで、ビジネス客が一年間で6割も減っているのだ。
昨年は更に減少傾向にあったから、三分の一になっている。
ある日突然、ある価値が全くの無価値になるのが、今の時代である。
東京の中央部の中型・小型の貸しビルが、最近目立ち始めた超高層ビルに
取って代っているという。NHKスペシャルでやっていたが、
出揃う4年後の2007年に大問題になるという。
立地がよいという理由だけでは存在価値が無くなるのだ。
この情報化革命という奴は、想像をはるかに超えて世界を根底から変えている!
   
・・・・・・・
2002年04月12日(金)
374, 主観と客観(喜劇と悲劇)

以前も書いた事があるが?
「滑って転んだとする、その人は骨を折ったか、悲しいぐらいのいたみである。
たまたま横にいた人にそれが非常に可笑しく見えた。前者にとって悲劇、後者は喜劇である。」
後者は同じ出来事を傍観している。他人事として見ている、これが喜劇。
前者はその滑った本人の目で書いている、これが悲劇だ。後者は客観で、前者は主観である。
あれだけ苦しんだ事も、あとで笑い飛ばした時に気持ちが癒される。
何事も笑い飛ばしてみれば、どうっとことはない。
「早く忘れたい嫌な事は、笑い飛ばしてしまえ!」というのが肯ける。
「喜劇と悲劇は紙一重」とは、視点を主観から客観に少し変えてしまう事だ。
「人を笑う前に自分を笑え」ともいえる。
特に日本人は「恥じの文化」ともいわれるように、他人に笑われる事を嫌う。
それだけ自立していないのと、多神教のせいもある。
逆に他人を笑っている自分は何だろう? 自嘲か軽蔑か、それとも同化か?
あまり他人を笑わないほうがいい!その他人に対する同化になってる状態だ。
考えてみたら、この二律背反だからこそ生きられるのだろう。


2928,中沢新一の『三位一体モデル』 −7

2009年04月11日(土)

 
 それでは、実際の演習をしてみる。

ー「会社役員」ー
子=会社役員
父=変化する社会変化、その変化に関わるニーズの変化、市場の変化そのもの。
  会社の理念、そして「あるべき姿」を把握。 
精霊=会社の現状、そして父の姿を反映しているか?
 ということになるが、何か書きながら赤面してしまうから、・・・
  〜〜
 ー設計事務所ー
子=設計事務所
親=会社の理念、創業者の積み重ねた信用、長年積み重ねてきたノウハウと実績。
  社会の変化と、新しい技術、そして
精霊(自己増殖するもの)=設計で完成した建物。地域社会との繋がりと貢献。
  〜〜
 ーソフトハウスー
子=ソフトハウス
親=ニーズとされる人材の確保と、
  〜〜
ー保険事務所ー
 子=保険事務所
 親=万一の危険に対する対応のニーズ。 危険を金で分散をしておくノウハウ
 精霊=得意先のニーズの充足。 顧客。 金融商品。

 こんなものだが、自分の名前を「子」に入れてみようか?ドッキとするだろうが。

・・・・・・・・・・
2564, サルも朝日の美しさに感動する! −1
2008年04月11日(金)

以前、旅番組で猿が二匹で夕陽が沈むところを眺めている姿を後ろから映していたが、
いやに、その画面が目に焼きついている。猿も日没の美しさに心打たれるのだろうか。
それは感動という心の働きではないだろうか?それを猿が持っている?等々、を考えた。
しかし、同じような姿を、ユングが見ていたのである。夕陽の入りと、朝日の昇るのを見るのは
 万国共通のようで、その不思議を感じていたが、猿も、その美しさに見とれていたのである。
 ユングの『自伝』の一節に以下のような印象的な言葉である。
まずは、その一節を書き写してみよう。
〜〜
ウガンダのナイル河上を、ユングが旅をしていたとき 断崖の上にヒヒたちの群れが東の方にむいて
  並んで座っている。 その地帯の夜明けは信じがたいほど劇的った。
朝日の光が、渓谷の深い闇の底から一切の物の形を浮かび上がらせる。
ヒヒたちはその朝日の最初の瞬間を、身じろぎもせず待っているのだ。
そしてその光のドラマを見終ると、ぞろぞろと台地の向こうに去ってゆく。
「光への憧憬、意識に対する憧憬」「原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動」・・・・。
  〜〜
この地方の日の出は、日々新たに私を圧倒する出来事であった。 
劇的だったのは、地平線上に太陽が急に昇ってきたときの光輝よりも、
それに続いてひき起こることの方にあった。私は夜明け直前に、キャンプ用の椅子を持ち出して、
アカシアの木の下に座る習慣をつけた。私の前には小峡谷の底に、黒い、ほとんど暗緑色のジャングルが
細長く横たわり、谷の反対側にはジャングルの上に聳える台地の外輪があった。 
まず、光と闇との対照がくっきりと鋭くなった。
それから緒事物がはっきりとした形をとって光のなかに現れ、光は緊密な輝きとなって峡谷を満たした。
谷の上方に見える地平線はまばゆいばかりに白んだ。
次第に輝きをましてくる光は諸物の構造にまで透過するようにみえ、諸々の事物は、
まるで色ガラスの破片のように、ついには透明に輝きだすほどにまで、内側から輝いてくるようになった。
すべてのものは閃耀する水晶に変容してしまう。 ベル・バードの鳴き声が地平線のあたりに響き渡った。
このような瞬間には、私はまるで寺院の内部にいるような気がした。
それは一日のうちの、もっとも聖なる時間であった。
私は歓喜して飽くことなくこの光輝を眺めており、むしろ時を超越した恍惚にひたっていた。
 (中略) そのとき私は、人間の魂には始源のときから光への憧憬があり、
原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動があったのだということを、理解した。
(中略) 光の来る瞬間(瞬間に傍点あり)が神である。その瞬間が救いを、解放をもたらす。
それは瞬間の原体験であって、太陽は神だといってしまうと、その原体験は忘れられてしまう。
「今や、悪霊の徘徊する夜が終わったと、われわれは喜ぶのだ」と土人たちが言うとき、これはすでに
合理化を意味している。 実際には、大地を覆う自然の夜とは、全く異質の暗黒が圧倒している。
それは心的な根源的夜であって、数え切れないほどの幾百万年もの昔から、今日と変わることはない。
光への憧憬、意識に対する憧憬なのである。」   (『ユング自伝2−思い出・夢・思想−』
    解)これに劣らない?場面を アフリカで何度も見てきた、次回、それを書いてみる。
      ユングとはいえ、よくぞ言葉にして描きだしてくれた。

〜〜〜〜〜〜〜
2007年04月11日(水)
2199, 歌舞伎町シノギの人々
              オッ(*^○^*) ハ〜ヨウ
                            ー読書日記ー
新幹線車内・読書用として図書館から借りてきて読み始めたが、これが面白い!
新潟駅前で宿泊業の仕事をしているから、尚のこと興味を引かれるのだろう。
遊びの達人?から「歌舞伎町は悦楽桃源郷の魔界」と聞いたことがある。
なるほど、この本に出てくる人たちは異様な住人である。
彼らの正体を知ってか知らないのか、普通の人と同じ目線で扱っている。
そこは刑務所と娑婆の塀の上の世界であり、舟板一枚下は地獄の人たちである。

ー背表紙の紹介文からー
ここでは日本一夜の魔界・歌舞伎町でシノいでいる人々の生き様が、
面白おかしく、悲しいが、どういう訳か暗さは感じない。
月収500万円のトップキャバクラ嬢、歌舞伎町バラバラ殺人犯のヤクザの妻、
巨大マーケットを押さえる麻薬の総元締め、などなど歌舞伎町でシノいでいる人々の
生きざまがすざましい。そこに住みついているというより歌舞伎町に寄生して生きてる、
といった方が似つかわしい一人ひとりにスポットを当てて、
なぜ彼等が歌舞伎町にこだわるのか?を浮かび上がらせている。

 ーこの著の中の最近の歌舞伎町のデーターが、この魔界をそのまま言い表しているー
・東京・新宿・歌舞伎町。3656軒の飲食店と3950店の風俗店があり、
100組以上の暴力団が200以上の事務所を構えている。
・一晩に職務質問されるのは200〜300人、新宿署に留置される人が80〜100人。
歌舞伎町関係で逮捕された暴力団員は1年に400人。
1年間に新宿で検挙した家出人は270人。一晩に歌舞伎町関係で受ける110番は20件以上。
・暴力団に支払われるみかじめ料(ケツ持ち料)は、
 カジノ50〜200万円、ゲーム屋20〜30万円、
 ぼったくりバー10〜20万円、ヘルス10万円、
 キャバクラ10〜20万円、エステ5〜10万円、
 クラブ1〜3万円、路上の店は3〜5万円。
 歌舞伎町には「会員制のヤクザ専門喫茶店」まであるという。
 想定だがヤクザが上げるシノギは月に一億円以上という。   (▼皿▼y
 登録されてないものを含めると、360平方メートルに8000軒以上の店があり、
 5年前に50台の監視カメラがセットされた。このカメラは100�先の持っているタバコの箱の
   文字までわかるもの。これで2003年だけで34件の犯人が検挙されたという。
                  連行ヽ(゜▽゜ )−C<(/;◇;)/
          (* ^)(*^-^*)  110 番  ξ\(・_・) (―□―メ)凸
   ーーー
  「歌舞伎町シノギの人々」 
 著者:家田荘子、出版社:主婦と生活社
                 ー つづくー ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪
・・・・・・・・
2006年04月11日(火)
1834, 壁際の名言−2   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
              −読書日記ー
唐沢俊一著の「壁際の名言」が面白い!この本は、「まえがき」と「あとがき」を読むだけでも充分に価値がある。
老詐欺師の「内面なんで 見かけだけだもの」の一言が目に付いて図書館から借りてきた。
  内容は馬鹿馬鹿しい?が、シビアで現実感がある。少し(15分)時間がかかったが「あとがき」を書き写してみた。
自分の経験と照らして、この文章を味わうとよい。

ーあとがきーの文章がよい!
老詐欺師は私のおだてに乗って、自分の若いときの女性遍歴を話し始めた。
今は詐欺師に身をおとしているが、京都のしかるべき家の出であることを本当らしく、大正時代の上流家庭の
  子女を篭絡させていった手管や失敗談は、一冊の本にしたいほど、スリリングで抱腹絶倒させた。
  そして彼は私の周りをウロチョロして、一円の金もとれずに消えてしまった。・・・
  それらの話も終盤にかかった時、私は彼に、「・・・結局女性の、どんなところがいいと思っているのですか?」
と聞いてみた。すると、彼はうつむいて考えていたが、やがて「・・・やっぱし、美しさだね」と言った。
「それは・・・顔の?それとも、内面の?」と私。「顔だよ。顔。それしかないよ」「内面とかはどうでもいいと?」
「・・君はね、まだ若いね。いいかい、内面の美しさなんて、見せかけにすぎないんだよ」
逆説なのか、それとも単なる言葉の言い違いかもしれないが、
「内面なんてみせかけだもの」という言葉のインパクトは、ずっと私の心に残った。
  それから十数年の間に、私もかなり、様ざまな女性と付き合った。(もちろん、仕事上である)
そして、最も仕事上で酷い目にあったのが、心が純粋で、内面が美しく、それのみを自分の価値観として生きていて、
  ビジネス的な話が理解できないところか私に内面の美しさを要求し、つまり金などという汚らしいことを云々するな、
と強要し、こちらはホトホト困窮した。
一方、外面〜顔〜の美しい女性は、世間に対する見栄を大事にして、
此方がわ(芸能プロダクション)が要求しているのは顔の綺麗さだけだということを理解して、
プロの論理できちんと応えてくれた。その度に、あの老詐欺師の言葉が、フラッシュバックしたものである。

以上であるが、これは美人論でもある。女の職場を渡り歩いてきて色いろな経験をしてきて、
著者の言いたい一部分は理解できる。美人は部下として使いやすい?という現実がある。
子供の時から、それを意識をしているから、その辺を認めてやればよい。(もちろん例外はあるが。)
美人の泣き所があるし、寂しさである。 逆に、その他(8割)の女性の泣きどころもある。
そんなことは、どうでもよいこと。 顔も心も、それにこだわることに問題がある!ということ。
  ーーー
 ーこの本は古今東西の有無名人の言葉から‘キワドイ’56名言を集めたものだが、
  その中から幾つかの言葉を選んでみた。 
「おまえらせいぜいまずいものでも食って長生きしろ」(尾崎紅葉)              
「バレなきゃイカサマじゃないんだぜ」       (ジョジョの奇妙な冒険)
「貧乏人は安いものが好きだ。そして金持ちは貧乏人よりさらに安いものが好きだ。
  だから金持ちになったんだ」           (マツモトキヨシ)            
「立派な芸人になりたかったら、まず人にたかれ。 それから女に貢がせろ。
  それも出来なかったら・・・・泥棒しろ」     (立川談志)
「談志師匠は、人格最低、芸最高」         ( 弟子たちによる談志の評価)
「生まれることは不幸であり、 生きることは苦痛である。死ぬことは厄介である」( 聖バーナード)           
『楽観論者は失望しか味わえないが、悲観論者は「意外な幸運」を味わうことが出来る』(唐沢俊一)
「よいお世辞があれば、2ヶ月はそれで生きられる」  (マーク・トウェイン)
「新聞に載るオレのコメントな、一人称がオレって言うてんのに、なんでワシになってんねん」(清原和博)
『人に限らない。 国も企業も、世間は実体よりイメージを先行させる』(唐沢俊一)
「純粋なバカ番組はふつうのバカ番組を駆逐する」 (キットマン)
「詩。1人の心に灯をともす 別の一人に欠伸をさせる」  (堀口大學)                                 
『人間の最も恥ずかしい瞬間は、若い頃書いた詩を、後年読み返すときである』 (唐沢俊一)
 
ー唐沢俊一 
「壁際の名言」 海拓舎 長岡中央図書館     
                  
・・・・・・・
2005年04月11日(月)
1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い

徳川家康の言葉で「人生は重荷を背負いて坂道を往くがごとし」という言葉がある。
人生には確かにそういえる部分がある。特に年齢を重ねるほど、その意味がよく解るようになる。
「負い方ひとつで、重荷も軽い」という言葉が人生の妙を言いあらわしている。
人生の荷物も、「人生のコツー技術」と、「心の持ち方」という面で何分の1にすることができる。
常に荷物を点検して減らすことを務めれば、重荷は軽くなる。
過去を如何に忘れるか、そして未来の不安を軽減するかは、努力と技術で可能になる。
いつも書いていることだが、「早く好きなことを見つけ、ライフワークにすること」がポイントになる。
荷物は決して減りはしないが、一時でも荷物の重さを忘れることが出来る。
荷物の背負い方を知っていると知らないとでは、重圧が全く違ってくる。
そういう私も大きな荷物の重圧があるが、しかし無いよりはズット良いと思っている。
海外旅行先で、2日に一度は旅行カバンの中身を全て外に出して整理をする。
翌日必要なものを直ぐ取り出せるようにしておく。慣れれば15分で可能だ。
気持ちが、落ち着くのだ。 これは人生の荷物にもいえることである。
常に中身を整理しているだけで、荷物が軽く感じるものだ。
その繰り返しの中で何が重要で、何が必要ないかが見えてくる。そしてシンプルになっていく。
金沢にいた時、先が見えず状況も最悪であった。 その時、悩みぬいた時にフッと
「今は修行の時、学ぶ時である。こういうマイナス状況こそプラスになる」と思った瞬間、
肩の荷の重みが半分以下になったのを覚えている。
考え方一つで、荷物は軽くなるのだ。状況そのものより、それに対する考え方がより重要である。
本当に軽い荷物を重そうに背負っている人が多い。整理がついてないからだ。そしてストレスの塊になっている。
無知と言おうか、誰でも思い浮かぶ人が何人かいるだろう。居酒屋や、スナックのママさんあたりの。
「負い方ひとつで、軽荷も重い」を、実践しているのだ。 他人事ではないが。
いらない荷物を幾つも持って喘いでいるのに、 さらにドンドン背負いこもうとする。それも人生か!

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2004年04月11日(日)
1104、「ありがとう」戦略ー読書日記−1

以前「幸せの宇宙構造」という本を読んで、人生観が一変してしまった。
心の底の一番大事な芯として、「ありがとう」の言葉が根付いてしまった。単純といえば単純だが。 
  朝方、色いろ考えた後、後は自然の流れに従うしかないと思うと同時に、「ありがとう」の言葉の繰り返しが、
  心を明るくしてくれる。 この本もジックリと読むと深い暗示を多く含んでいる。
「ありがとう」という言葉には、考えれば考えるほど深い意味が含まれている。
過去に出会った周辺の「人生や仕事の上手くいっていない人」は、100�が「感謝の念の少ない人」である。
私自身も上手くいってない時期の原因を考えると「感謝が足りない」ことによる。
 (字数の関係でカット2008年04・11日)

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2003年04月11日(金)
737, 若い人の価値が下がってしまった

 現在の新卒の就職が問題になってきている。大学を出ても、まともな就職先がないのだ。
周辺の知人の子供が丁度その時期に来ているが、まともに就職している人が殆どいない。
フリーターか、準社員の勤めとのこと。何かの雑誌に、若い人の価値そのものが下がってしまったとあった。
会社が若い人を育て上げるだけの余裕がなくなってきた為だ。
ある程度育て上げると、訳のわからないことをいって辞めてしまう。
余裕のあるうちはよいが、会社も人件費を考えると正社員の比率を下げざるを得なくなってきた。
  いくらでも良質な準社員やパートを採用できるなら、敢えて正社員を入れる必要がなくなったのだ。
会社の寿命のサイクルもここにきて、極端に短くなっていることもその原因にある。
 それと若い人の間でも、勝ち組と負け組みの質の差がはっきりしてきた。
あえて負け組みの劣化した人は準社員として割り切ってしまった方が得策になる。
「素養のない人にどんなに教育しても金をドブに捨てるようなものだ」ということが、過去会社経営してきて
  身に沁みて解った。十数年前になるが、男子社員が「教育するなら金をくれ!」と嘯いていると聞いた。
ただ呆然として聞いたが、こうなると血筋のレベルの問題だ。 他人事でないか?
 今ではアルバイトでさえも、就職が困難といわれる時代になった。 時代は変わった!

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2002年04月11日(木)
373, 何故マイナス思考になるのか

ーこれは面白い問いかけだ。 経験を積むにしたがい、必ず失敗の経験を重ねていく。
そしてその失敗の経験が、マイナス思考を生み出す。
あれも駄目、これも駄目、全て駄目、一番悪いのはそういっている俺!
ある???会に行くと、マイナス思考の愛好会そのもの!
どうしたらあのような考え方が出来るかと不思議なくらいだ。現実に溺れて(下と横だけを見て)???
子狐がいるせいもあるが。この子狐不景気になってきたら急に元気になった。
周りが自分並に見えてきたためか。 ーマイナスに対するマイナスは拙いか?
いま一つがマスコミの毎日流される、事件の報道である。事件はほとんどがマイナスの出来事である。
犬が人を噛んでも事件にならないが、人が犬を噛むと事件になる。
それは別にマイナスの事でないが、幸福な家庭からは事件は起きない。それはニュースにならない。
めったに起きないマイナスを報道するのがニュースである。
それをまともに脳に流し込んでいるから、いつの間に頭はマイナスに侵されてしまう。
それに気づかないから、どんどんマイナス思考に落ちてしまう。
「あまり人を恨むな、恨んでいると知らないうちに主語が消えてしまう。
主語が消えた後、他の人達に主語が転化してしまう。」という話を聞いた事がある。
「あまり恵まれてない状態の人や人生の人に近づくな!」というが、この年になると実感する。

といってマイナス思考も必要である。ただ冷静に見据えておかなくてはならない。
人は他人の不幸をどういうわけか好むという。江戸時代の盲人が、それを看破していた。
目が見えない分だけ、人の気持ちが良くわかるという。
不幸の話をしている人の声が弾んであるという。幸福の人の話をしている時は沈んでいるという。
他人の不幸を悲しみ、幸福を喜ぶことは意識して訓練しなくては出来ない。

いやその前に自分が幸せと芯から思えなくてはならない。
まずは考え考え考え抜いて、自分が幸せと気づかなくては。それがプラス思考の第一歩。

以前にも書いたが、家内が「自分の友達の大部分が自分不幸と思っている。」と驚いていた。
「どうみても幸せの筈なのに、どうして?」これなど、典型的なマスコミとか、
周囲のマイナス思考に対する浄化装置を身に付けてない典型の例だ。


2927,中沢新一の『三位一体モデル』 −6

2009年04月10日(金)

*「三位一体モデル」を使った演習  ー ①

「三位一体モデル」を実際の知人の仕事を当てはめて演習をしてみたが、考えさせられる。
実際に丸を重ね合わせて三つ書いて、その一つの「子」の円に、職業を書き込んで、
次ぎに「父」、そして「子」の順に書き込んでいく。 それが、なかなか面白いのである。
 その前に、我われの生存ベースである幻想としての
  「国家」、「国民」、そして「家族」から考えてみる。
* まずはー「国家」ーから
 子=  国家
 親=  国家成り立ちの神話 日本なら「天皇神話」から、これまでの歴史と、これからの方向を示す羅針盤。
 精霊= 文化、文明(国家としての教養)。国民と、その民度。国家としての政治・経済・軍事力・警察力。
* 次に、ー「国民」ー
 子=  国民
 親=  国家憲法、法律、それを維持する暴力装置(対外的には軍隊、対内的に警察)。これに愛国心。
 精霊= 公共施設(道路、河川、鉄道、公園、学校 etc)、都市、街、村、故郷、政治家、芸術家、経済力、など・・
* 国家のベースとしてのー「家庭」ーとは
 子=  家族
 親=  血統、家柄。家訓、家そのもの。
 精霊= 子孫、盆暮れの集まり。家族の団欒。家族旅行。 

国家は、共同幻想の典型と言われるが、長い歴史に裏付けられた蓄積がある。日本では天皇制度である。
人間の「なすべき基準、価値観のベース」は、国家のために何をすべきかに行き着く。
我われの安全を最後に守るのは国家である。それが軍隊であり、警察という暴力装置である。
現在の憲法は、明らかにアメリカ庇護を前提として作られている。庇護は建前で実態は隷属である。
この憲法である限り、日本は衰退するしかない。右翼みたいなことを言うが、グローバル化になればなるほど、
ベースとしての国家の強固の基盤が必要になる。 無理だろうが・・・
                                      つづく
 ・・・・・・・・・・
2563, ディープ・スロート
2008年04月10日(木)

『ディープ・スロート 』ー大統領を葬った男  ボブ・ウッドワード著
                      ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜
これも図書館で見つけた本である。これが出版されていたことは知っていたが、買うほどではないと、判断していた。
 あまりに奇抜で、生々しいから目をそむけたのだろう。まずは、アマゾンの紹介文からして、面白い。
 ー内容
ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」から33年。
新米記者ボブ・ウッドワードに地下駐車場で極秘情報をリークしていた人物が名乗りを上げた。
当時のFBI副長官マーク・フェルトだった。
フェルトが死ぬまで秘密を守り抜く覚悟でいたウッドワードが、その告白を受けて初めて明かす、
フェルトとの出会い、情報源秘匿のエピソード、その後の二人の関係…。
 ー
著者のボブは、大統領ニクソンを辞任に追い込んだいきさつを書いた『大統領の陰謀』の著者。
ワシントン・ポスト紙の新米記者だった彼は、同僚のカール・バーンスタインと共にスクープを連発した。
ボブに情報をもたらした匿名の政府高官は「ディープ・スロート」と呼ばれ正体が明かされなかった。
 ーー
 はてな検索によると、
《いわゆる「内通者」の意。ウォーターゲート事件で一躍有名になった言葉だが、
実は同時期に上映されたポルノ映画の題名より取られていることは意外と知られていない。
二重スパイ(ダブルエージェント)と似ているが、ディープスロートは基本的に高官であり、二重スパイよりも
  高い位置からの工作を行うらしい。それが事件から20年以上の時を経て、誰であったか判明したということ。》
 ーー
三年前に世界中が、ディープ・スロートがFBIの副長官で、その捜査のトップも勤めた男に驚愕した。
 私も「まさか!」と耳を疑ったが、アメリカ国民ならもっと驚いただろう。
動機は「FBIの生え抜きだったがトップに上り詰められないナンバー2(マーク・フェルト)が、
 ニクソンへの復讐のためにスクープを出し続けた」というものだった。
それにしても、世界中の権力者は驚いただろう。 最近は情報化社会である。
デジカメ、携帯電話などの情報機器で内部情報が簡単に通報されてしまう。
ニクソンが、フェルトではないかと疑っていたようだが、確信は持てなかったようだ。
それを知らないで亡くなったのが、幸せだったのか? 事実は小説より奇なり、の一事例といえる。
                             (* ̄0 ̄)ノバイ? 
・・・・・・・・
2007年04月10日(火)
2198, リーダーシップの旅
                才八∋ウ_〆(∀`●) 
                   ー読書日記ー
「リーダーシップの旅」 ー 見えないものを見る (新書) 野田 智義 (著),
     
野田氏の考えを主として金井氏が聞き手として対談し、まとめたもので、サブタイトルは「見えないものを見る」である。
二人の気持ちが、そのまま現れて解りやすい内容になっている。

ー要点を先に言ってしまえばー
*リーダーは、それに相応しい人がリーダーの仕事をするのではなくて初めは、あることをやろうと思い立ち、
  自ら一歩踏み出すことがはじまりで、最初からリーダーだったわけではない。あることやり遂げることで
  初めてリーダーになる。それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するもの、生き様を問うことだ。
創業を何度か経験をしてきたので、野田氏の言わんとするところが、いやというほど解る気がする。
ツアーを使った秘境旅行でも、そのつど何処に行くかの選定の筋書きが始まる。
だいたい家内の大反対から始まり、それでは私一人で行くとなり・・その後、家内が従う物語になる。
この難関が一番大変である。 周囲の反対で中止というのは、それだけのことでしかない。

:面白そうな部分を抜粋してみると・・:
 ーー
リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。 ある人が、「見えないもの」、つまり現在、
  現実には存在せず、多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。
そして、その人は行動を起こす。世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、
リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと言われるが、私はそうは思わない。
旅はたった一人で始まる。 フォロワーは旅の途中で現れる。リーダーと出会い、一緒に旅をする。
しかも、この時点で、しばしばリーダーは自分のリーダーシップには気づかない。
見たいものを見、やりたいことをやり、自身が描く目標に向かって歩いているだけで、
自分がリーダーシップを発揮しているとは意識しない。リーダーとフォロワーが、実現したい何かに向かって、
ともに旅という時間と空間を過ごすプロセスで、お互いの共振関係が生じる。
決して、一方的な関係ではなく、相互の影響がそこにはある。その中で、リーダーが見る「見えないもの」が
  フォロワーにも共感され、いつしかフォロワーの目にも「見えないもの」が見え始める。
そんなリーダーの行動がフォロワーに向けて醸し出す「フェロモン」と、フォロワーがリーダーに感じる賞賛によって、
  リーダーシップは結果として成立する。リーダーは、リーダーになろうと思ってなったわけではなく、
「結果として」リーダーに「なる」のだ。  (21?22ページ)
 
ーー
社長になろうと思って社長になった人はいても、リーダーになろうと思ってリーダーになった人はいない。
リーダーは自らの行動の中で、結果としてリーダーになる。
はじめからフォロワーがいるわけではなく、「結果としてリーダーになる」プロセスにおいて、フォロワーが現れる。
リーダーシップは、本を読んで修得するものでも、だれかから教わるものでもない。
それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するものだ。リーダーシップはだれの前にも広がっている。
「すごいリーダー幻想」から脱却し、こぼれ落ちそうだったリーダーシップを再び手の中に、自らを生きる選択肢として
  捉えること。すべてはそこから始まる。何かを見たいという気持ちがあれば、可能性は無限に膨らむ。
自らが選択し行動することで、人は結果としてリーダーと呼ばれるのだ。(P39ぺージ)
ーー
中年がある時期、立ち止まり、自らの来し方を振り返ることには意味がある。
三十代半ばから四十代は、「人生の正午」に当たる。
学校を出て働き始めて二十年近くが過ぎ、定年を迎えるまで二十年少しを残している。
十分に経験を積み、現実もそんなに甘くないことは分かっている。 そのぐらいの年齢で、
  自分は本当に何を実現したかったのかを考え直す意味は非常に大きいのではないだろうか。(中略)
今なぜ仕事をしているのか、その会社や組織で働くことにどういう意味があるのか、
自分のいる場所にとどまり、会社や組織、社会に対しても貢献できて、そして何より
自分が生きいきできる夢とは何なのかを、考えることもできるのではないか。
とどまって挑戦する。精一杯やって、どうしても駄目だったら、別の場所を考え始めればいいのではないだろうか。
  そう私は、強く、とても強く信じている。中年の夢は、自分と真剣に向かい合い、よく生きるためのガイド役になりうる。
だだ、そうかといって、中年の夢が、神の啓示の如く、非連続に突如降りてくるというわけでもないだろう。
むしろ今まで生きてきた自分、自分が無意識にしても大切にしてきた自分との連続線上に、夢が浮かび上がって
  くるものだと考えられる。                      (161?162ページ) 
(2008/04/09字数の関係でカット)
                 ホンジャ~~ヾ(´ω`)バイバイ
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2006年04月10日(月)
1833, ずっとやりたかったことを、やりなさい?6
   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)          ー読書日記ー

この本の最後のページに書いてあった言葉である。言葉の効用を最も深くあらわしている。
  言葉は人を生かしもすれば、殺しもする!じっくり考えると、般若心経が一番効用がある! 
  生まれる前も、死んだ後も、そこにあるのは「無」である。いや「空」である。全てが、そこに帰結するだけである。
最後は一人である、人間は身近な人の慰めをもとめても、深いところの慰めは得られることは少ない。
先人の深い言葉は、数百年数千年の時空を超えて我われを元気付けてくれる。
先人の言葉を探し求めれば、必ず我われを勇気づける言葉はある。
 ー癒しの言葉ー
言葉を濡れた冷たい布切れのように折り畳み あなたの額に置いてあげたい。
あなたの手首を包んであげたい。 ほら、ほらとその言葉は語りかけるだろう。
あるいは、もっとましな言葉を語りかけてくるかも知れない。
私は言葉に、何もかも大丈夫よと囁いてくれるに頼むだろう。
私は言葉に、あなたを一晩中抱いてくれるように頼むだろう。
熱で火ぶくれになり、やけどを負った箇所に 熱があなたを傷つけた箇所に
言葉を塗り込め、冷やし、なだめてあげたい。 言葉でもって癒してあげたい。

丁寧にキヅ口に当てればタチマチ、傷口から優しさが沁みこみ、そして深い経験に昇華する。
                         ε(´',_c')зβyё
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2005年04月10日(日)
1468, 通販の時代の到来

先日、NHKのニュースで「韓国のホームショッピングが、デパートの売り上げと同額になった」と報じていた。
・韓国では既にインターネットの普及率が70?を超えたこと
・光ファイバーが隅々まで配置されている などが理由にあげられるという。、
結婚式などの無形商品もTVでそのサービスを見て選定をしてから、2?3の会場に行って決定するという。
日本もここにきて、本格的に光ファイバーが家庭に普及しだしてきた。
数年もしないうちに韓国と同じような状態になるだろう。このことは情報化の象徴的な現象とみることができる。
それにしても、TVショッピングがデパートの売り上げを超えようとは感慨深い。
私の場合は、電気製品を買う時は必ず価格ドットコムを見てから、量販店に、その事実と価格を告げて
  数?を上乗せをして買う。 万一故障の時、直接メーカーと交渉するのが面倒だからである。
健康食品と書籍も、半分は直接ネット上で買っている。

生物は経験の重なりが知識・情報になり、その結果として進化してきた。
ところが、その情報がインターネットで瞬時で世界中に飛び交う時代になったのだ。
これは人類にとって大革命である。 そして、このことが社会を根底から変えている。
新潟の駅周辺にも、隠れ居酒屋が彼方此方に出来始めて何処も結構繁盛している。
リクルートなどが出している情報誌を見て、予約をしてくるという。
新幹線の中で、最近パソコンを使っている人が目立ち始めてきている。
また、事務所も自分のセクションのないフリーのものが増えてきたという。
パソコンに事務所機能が入っているのでセクションがないほうが合理的になる。
日本も光ファイバーが、会社と事務所に本格的に入ってきた。さらにTV機能の付いたパソコンと携帯電話が
  一般的になってきた。これらが社会にもたらす影響はこれから色いろなカタチで出てくるだろう。
一昔(5~6年前)では考えられない面白い時代になった。経営する立場は大変である、一強多弱しかないのだから。

ーーーーー
2004年04月10日(土)
1103, マスコミは戦争地域には・・

今回イラクでこうそくされた邦人は何なんだろうという疑問がわく。
NPOに名を借りた1発屋のフリージャーナリストである。
現地に行って、その体験記や写真を新聞社に提供するのである。
リスクを売りにするのだから、殺されてもいたし方が無いともいえるのだ。
当然殺されるのも覚悟の上のイラク行きであったはずである。
以前「ヌーの河渡り」に行った時の添乗員兼インストラクターが「アフリカ専門何でも屋」であった。
TVでアフリカの事件が起きると何回かTVに出たことがあるが、殆どの人は名前も顔も知らない。
アフリカの紛争地に日本のマスコミと契約をして、記者が行くに危険すぎるところに乗り込んで行くのが仕事。
新聞社などの記者では、現地で死んだり、怪我をした時に、自社の社員には余りにも
リスクと金がかかりすぎる。フリージャーナリストの存在は互いに都合がよいという。
生命の危機や虐殺の現場に何回も出くわしたが、慣れてくると、その危険が
たまらないという。日本に帰ると病院の精神科に通院しているとか。
マスコミは奇麗事をいっているが、実際に身体を張っているのは、そういう人なのだ。
アフガンの戦争時も、そういう日本人ジャーナリストが一時現地で行方不明になったことがあった。
今井さんという18歳の青年は、両親や兄に必死に止められたようだ。
しかし退避勧告の中に行ったことは、まぎれもない事実である。

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2003年04月10日(木)
736, まずは「一日一図」から

 このホームページを開くきっかけをつくったのは久恒啓一著の「インターネット勉強法」である。 
先日、彼の本を買った、三冊目である。『人生がうまくいく人は図で考える』である。
なるほど買って読んだら単純にみえたが、なかなかよい本である。
・なかでも「一日一図」がよい。
・それと「借図から創図へ」。
・「文図両道」
・また「図解は一日にしてならず」もよい。
 サッソクこの本の勧めるとおり、3日前から大学ノートに「一日一図」専用ノートをつくった。 
  そこでまずは「借図」がポイントと気づいた。 気に入った図を、そのまま真似るのだ。
  次に「図解は一日にしてならず」もなるほどと思った。「借図」を続けることで、自分の「創図」をつくっていくのも肯ずけた。
  レオナルド・ダビンチなどの天才のノートは、空間をタップリとって文と図を解りやすく書いてある。まさに「文図両道」。
レオナルド・ダビンチのノートなどを借図にして、身につくまで真似ればよい。
しかし、なかなか図解するのは身に付かないものである。そこで「1日一図」を実行するのが第一歩だ。
どこまで続くかだが、四行日記あたりをこれにしてもよいだろう。
ーまずは「随想日記の下書き」や「読書日記やその目次写し」から始めてみよう。
以下はインターネットのホームページからのコピーである。
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「図解 人生がうまくいく人は図で考える 」 久恒啓一 販売元: 三笠書房
 
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2002/04/10  不安解消法

学生時代読んだ本だが、カーネギーの「道は開ける」に書いてあった方法である。
記憶なので何処まで内容が正確か定かでないが書いてみる。
 ある不安があったとすると、
1、まずその不安な気持ちの対象を書き出す。
2、その不安のさらなる最悪の出来事を想定して書いてみる。
3、その解決方法を幾つか書き出してみる。
4、それが本当に起きるだろうかと、今一度自問してみる。
5、そのプロセスで不安感は消滅してしまう。
という内容だったように記憶している。これを実行していく中で、不安症の性格がかなり修正された。
「まあその時はその時さ!」「何とかなるさ」「考えても仕方ない事は、考えても仕方ないさ」が口癖になった。
  不安を感じた時、それを直視すればそれは不安でなくなる。それに対する方策を考えれば、
  それが不安そのものを解消する。 不安そのものが、手順を考えるプラス要素に逆転する。
実際にケニヤにはじめて行った時の不安は、想像以上であった。
添乗経験10年の女添乗員と家内がヒソヒソと不安そうにロンドンへの機内で話していた。
 「ロンドンで降りようか」と。 実際タンザ二アやインドに行った時も「不安というプレッシャー」
が襲ってきたが、実際はその数百分の一でしかなかった。
その時時に、その不安を具体的に考え、その対処を具体的に考えていくしかない。
事業も然りであった。具体的に具体的に考えるしかない。そして具体的に一つずつ解決していくしかない。
「それで済むな生易しい問題は、本当の不安でない」という言葉が聞こえそうだが。
「直視できない問題だから大変なんだ、不安なんだ」 それももっともだが。


2926,中沢新一の『三位一体モデル』 −5

2009年04月09日(木)



     『三位一体モデル』中沢新一著  −読書日記
  *「三位一体モデル」を読んだ人たちの座談会

 それぞれの職業の立場で考え出した三位一体モデルの事例が面白い。
 これからみても思考モデルとして充分に使える。
 私の思考法として利用しているのが、この随想日記である。
 テーマ選定から始まり、それを起承転結にまとめあげる、そのプロセスで頭の中を整理していく。
 第三者から見れば、私の脳の中が少しは見ることができるのだから面白いだろう。
 =その事例から=
ー広告代理店の勤務ー
 「精霊(代理店)」と、「子(お得意先の企業)」は、一緒になって、見えにくくなった「父(理念)」を
 探しにいく旅に出るということでしょうか。 父は「企業の社会的価値」と理解できる。 
ー中学校の教師ー
 自分(教師)を「子」とすると、父が「法則」「原理」「先人の知恵」。
 そうすると、まずは<成功や幸福という概念>が「父」だと思われます。
 分かりやすくいうと予備校の教師群こそが「精霊」なのです。
 資本主義社会では予備校こそ一番分かりやすい「三位一体モデル」です。
ー音楽業界にいるものー
 先ず「子」として、音楽家とする。そして私たちは音楽産業を「精霊」の場所とする。
 父の部分を逆算して「歌われるべきもの=神の意思」と。この原型になるのに教会音楽がある。
 神の思し召しを、バッハが音楽を通して地上の民に伝えてくれる。それを伝える場所が教会であった。
ースポーツ業界にいるものー
 ルールが父なんです。見えないけど絶対の「神」です。「子」が選手です。
 「霊」の中には、「競技場」とも「観客席」ともいいし、「テレビ」でもいいと思います。
 いっそ、「スポーツ業界」ともいえる。いまの時代に、もっとも考えられているのが、この部分です。
 一番のポイントは、装置化した「霊」の部分が、「子」の材料を探してくることです。
 スポーツでは、三位一体は考えやすいのです。何しろ「父」が確固として存在しているからです。
ー料理人ー
 レストランでは、前から「三位一体」を「味」「料理」「ムード」といってました。。
 今回の、この「三位一体」を読んだことで、「美味しい幸せ」が父。
 それを作り出すのが「料理人」というのが「子」。そして、「お店とムード」が「霊」に変わりました。
  ――
 スポーツ業界のルールが親には驚いた。コーチとか、父親・母親ならわかるが。
  次は、身近な知人の職業を『三位一体モデル』で演習をしてみる。

・・・・・・・・・
2562, ドル覇権の崩壊 -1
2008年04月09日(水)

 図書館で借りてきた本だが、この本が出版されたのが、去年の7月の末である。
 それから半年もしないうちにアメリカのサブプライムの問題が表面化をして、この本の大筋のとおりになってしまった。
 かなり刺激的な言葉に満ちているが、サブプライム問題で株とドルの暴落を目の当たりにすると、納得するしかない。
 この著者の本は何度か買って読んだが、何時も刺激的・悲観的な内容で一貫している。
 そして、指摘しているほどの事態に世界はならなかった。しかし、この本に関する限りアメリカのサブプライムが 
 表面化したために、決して悲観過ぎではなかった。 この一連の金融危機、考えれば考えるほど、
 恐ろしい近未来が待ち受けているようだ。 年々ジワジワと悪くなっているのが身に沁みる。どうなるのだろうか?
 まずは、この本の表紙裏の 「説明文」と 目次を コピーしてみる。
 これだけで、この本の半分以上の要旨が書いてあると言って過言ではない。
  ーー
「ドル覇権の崩壊」?静かに恐慌化する世界  副島隆彦著
 ー背表紙裏の説明文
ドル暴落を見越した資産逃避(キャピタル・フライト)が始まった
2007年5月からの「三角合併方式」での日本企業への買収の真実は"ドルの逃避"である。 
日本企業をただ単に乗っ取ることよりも、真の動機は、ドル資産の保全、
ドル暴落からの避難、外貨建て資産でのリスクヘッジという考えに変わりつつある。
日本の大企業を買収する利益は、チョップ・ショップ方式による、荒っぽい自動車泥棒・解体屋の手法ではなくて、
これからは、アメリカ本国からの資産逃避(キャピタルフライトである。

  ー 目次 ー
第一章 2008年末からドルが大暴落しアメリカ帝国は衰退する
  2008年末にかけての為替と株の動向を予言する
  円キヤリートレードは金融博打である
  いまのうちに黙って人民元を買え!
  ジェイ.ロックフェラーはアメリカのバブルを延命させて最後には奈落に突き落とす
  財政と金融の政策をごっちゃにしてきた日本
 すでに金融統制経済は始まっている
  ドルは2008年末ごろ暴落を始め やがて一ドル80円台の超円高が出現する
  ユーロの台頭でドル離れがますます進む
  アメリカの国力衰退によって円安の日米秘密合意も壊れていく
 アメリカ住宅バブル崩壊が世界恐慌の引き金を引く
 バーナンキは米ドル紙幣を刷り散らして大不況突入を阻止する
  原油価格がさらに高騰すると米国内では非常に危険な状況に
  原油高騰は日本にとってはチャンスの到来
  これからのエネルギーの鍵を握るのは何と原子刀発電
 ーー
第二章 世界はこうしてドルに騙された
  ロン・ポール下院議員が予言する「ドル覇権の終焉」
  「ドルによる世界支配」はやがて終焉する
  非交換紙幣であるドルの刷り散らかしはアメリカによるマネーの偽造
  "ドル外交"を"ドル覇権"へと変質させたアメリカ
  iMF体制は秘かにロックフェラー石油通貨体制にすりかえられた
   金キャリー・トレードで痛めつけられたゴールド
   金取引に関するワシントン協定がゴールドにとどめを刺した
   あらゆる帝国は 4代 120年で衰退に向かう
 ーー
第三章 かくてドル覇権は崩壊していく
  36年続いた「修正IMF体制」はもうもたない
  ドルの没落を阻止するためならアメリカは何でもやる
  世界各地から湧き起こるドル信任を掘り崩す動き
  ネオコンによる「世界革命」は完全に失敗した
  国際通貨体制のいかさまをもう世界は我慢しない
  アメリカは強大な軍事力で脅してドルの価値を維持してきた
  アメリカはもうイスラエルを見放すつもり
  日本がアメリカに貢いだお金の半分はもう戻らない
 ーー
第四章 日本はどこまで日本はアメリカに毟られるのか
(字数の関係でカット2009年04月09日)を徴収して維持されてきた
  
・・・・・・・・・
2007年04月09日(月)
2197, ファンタジー文学の世界へ ?3
            ( ^3)?♪ オハヨウゴザイマス!
 「ファンタジー文学の世界へ」  ー読書日記
 
 P-154 「さいはての島へ」(ゲド戦記?)
■目的と存在 ?「ある人生とする人生」について

 第三巻は、壮年になったゲドが王子アレンとともに、世界の均衡を取り戻す旅に出る物語です。
 これから本格的に冒険が始まろうとする前夜、ゲドは、以下のようにアレンに語りかけます。

 「よくよく考えるんだぞ、アレン、大きな選択に迫られた時には。
 まだ若かった頃、わしは‘ある人生’と‘する人生’のどちらかを選ばなければならなくなった。
 わしはマスがハエに飛びつくように、ぱっと後者に飛びついた。
 だが、わしらは何をしても、その行為のいずれからも自由にはなりえないし、
 その行為の結果からも自由にはなりえないものだ。ひとつの行為が次の行為を生み、それが、またつぎを生む。
 そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな時間が持てなくなる。
 一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、ただ、「ある」という、
 それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間をね。」

 ここでの「ある人生」とは人間の存在を意味し「する人生」とは人生の目的を意味する。
人間の全体性を哲学的に分析すれば、この存在と目的という観点は重要な切り口である。
抜粋にあるとおり、若きゲドは「する人生」に飛びついたという。
目的は若者の特権としても、目的だけの人生には、常に、危ないものがつきまとう。
目的を持つことと、それを目指す行為とは一体のものだからである。
目的と行為の一体性には、何ら問題がないように無いように感じるかも知れない。
しかし、往々にして行為のみに追われだすと、行為という活動に実在感を得て、
何もしないことや、何もできないことが自分にとって否定的に感じてしまう。
とにかく「動く」ことのみ専心してしまいがちになる。
活動のみに追われて、その意味を考えることが鬱陶しくなってくる場合が多くなる。

先の抜粋の中の『一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、ただ「ある」という、
それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間』が大きな意味を持つ。
この休止時間こそ最も大事な時間である。この時間の中で、一に戻って考えることこそ、
個々人の心や魂と向き合うことになる。
   ・・・・・・・
 ゲドも、世界の危機を救うさまざまな冒険を成し遂げ、魔法学院の長である大賢人となるが、
本人はそれを喜ばない。そして曰く「わしのほうは、うむ、いろんなものになった。いちばん最後が、
そして、おそらく、いちばんつまらないものが、この大賢人というやつだ」と。
河合隼雄が著書「生と死の接点」の冒頭「ライフサイクル」の中で、人生の「後半の問題」を解説する。
ユングがフロイトへの批判をして、「フロイトは人生の前半の問題(自我の確立といった言葉で表される)
しか相手にしていない」としている。「人生後半の問題とは、自分なりのコスモロジーを完成させることである。
コスモロジーとは、この世に存在するすべてを、自分もそこに入れ込むことによって、ひとつの全体性へと
作り上げることである。世界を対象化するのではなく、自分という存在との濃密な関係付けの中で、
全体性を把握することである。本人のなんらかのパフォーマンスが要請される。」
 
 ・前半の問題とは、平たくいうと「生きるためにすること/壊すこと」、
 ・そして後半の問題とは「死ぬためにすること/創ること」である。
 若い時は攻撃的だったのが、人生の後半になると大人しくなる。
 前半は「する人生」、後半は「ある人生」に転換してしまう。
   ーーー
   解)人生を振り返って一番重要と思えるのは、無駄と思えた『浪人』の時期である。
   一度、リセットをして一より考え、出直す時であった。
   その時は、無駄で意味がなく惨めで、辛く悲しいとしか思えない。
   しかし、その時ほど人生で一番大事なことをしていた時期であった。
   水平から、縦に立っているから、水平線の人からみたら無駄飯食にしか見えないし、
   当人も、仕方なく縦に立っているしかない。しかし、「する人生」を振り返り、
   「ある人生」の転換期でもある。水平の彼方の地平線が果たして幻覚かどうか、眼を据えて見るときである。
   「する」と「ある」という面では、ホテル業も似たところがある。
   立ち上げ(創業の時)という晴れの時と、日々の日銭で借金を返す倹約時(ケの時)と明確に分かれる。
   それをツマラナイとみるか、面白いとみるかは、性格によるだろう。

                 ホンジャ、バアアイ ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪
・・・・・・・
2006年04月09日(日)
1832, グーグル完全活用本 ?1
      ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★  ー読書日記

この本は「ウェブ進化論」と同じ位の、お勧め本だ。(ちなみに「ウェブ進化論」はベストセラーになった)
この随想日記を読んでいる人なら、検索を多用していると思うが、グーグルの「検索」を勧める。
(ウェブ進化論の影響があるが)
もしパソコンの検索機能や、Yahooの検索を使っているなら、直にでも切り替えたほうがよい。
別に洗脳されたわけではないが「ウェブ進化論」と、この「グーグル完全活用本」を読めば分るはずである。
30万台のパソコンが24時間、世界中のネット上にアップされた情報を収集しているという。
もう5年も、グーグルの検索を使ってきた。キーワード入れれば、アクセスの頻度の高い順に出してくれる。
これがキーポイントになる。          ~~旦_(^O^ )
この本を読んで殆どの検索の便利さを知らなかったことが解った。
・「120×180= 」と計算式を検索の窓に入れるだけで答えが、
・「新潟市 郵便番号」と入れれば、新潟市の郵便番号がすぐ調べられるHPが、
・「和英 何々」と入れれば、和英辞書の検索のように英語が、
・税金を調べたい時は「税金□(空間)源泉□控除」と入れれば、効率よく調べたい内容が、
・ある企業の株価を調べたい時は「企業名と株価」を、そのまま入れればよい。
 「ダイエー□株価」(□ー空間)と。 
・「イチロー」以外の「鈴木一郎」を検索する方法として、イチローの前にマイナス記号をつけて
 ( 鈴木一郎 -イチロー)とすれば、イチロウ以外の鈴木一郎の情報が出てくる。
・キーワードを<" ">で囲むと、完全一致検索ができる 
 ーその言葉の範囲内で検索する。
・意味を知りたいときは「?とは?」といれればよい。
・多く使えるのが「ビジネス□ ”文例集”」である。ビジネスの部分に色いろのキーワードを入れればよい。
 「”文例集”」 ー 手紙、スピーチ・・・
 知人が私の「随想日記」を読んで、どうしてそんな細かなことを知っているのか
 不思議そうな顔をしていた。  別に物知りなのではない。
 本の引用と、この検索から引き出しているだけである。
 グーグルのサイトは、普通の「検索サイト」と思っていたが、
 実は「人工知能」という方が正しい。擬人化をするか、電子図書館と思えばよい。
 ーー
「グーグル完全活用本 」 知的生きかた文庫 ー創藝舎 (著)
             ヾ(●・з)ノ" バイバイ!
・・・・・・・
2005年04月09日(土)
1467, おしっこ

雑誌に面白い歌が載っていた。なかなか面白いので、詩を書き写してみた。
おしっこをしている時の顔はみんな哲学的である。「水を飲みながら、おしっこをすると妙な気持ちになる」
と何かに書いてあったので、試みたこととがある。やはり妙な気分であった。馬鹿みたいだが面白い。
この詩の、おしっこの代わりにウンコを思い浮かぶと更に面白い。
何か臭いがしそうなので、やはりおしっこの方がよい。
でも、その方が人間の露な姿を表現できるだろう。シンプルな詩であるが、中味は濃い。

曲・ 小室等、 作詩・谷川俊太郎
ーお し っ こー    谷 川 俊 太 郎

大統領がおしっこしてる
おしっこしながら考えている
戦争なんかしたくないんだ
石油がたっぷりありさえすれば

テロリストもおしっこしてる
おしっこしながら考えている
自爆なんかしたくないんだ
恋人残して死にたくないもの

兵隊さんもおしっこしてる
おしっこしながら考えている
殺すのっていやなもんだぜ
殺されるのはもっといやだが

男の子もおしっこしてる
おしっこしながら考えている
マシンガンを撃ってみたいな
きっと気持ちがすっきりするから

武器商人がおしっこしてる
おしっこしながら考えている
銃がなければ平和は守れぬ
金がなければ自由も買えぬ

道で野良犬おしっこしてる
おしっこしながら考えている
敵もいなけりや味方もいない
ただの命を生きているだけ

・・・・・・
2002/06/05
おしっこをしながら、水を飲む
(字数の関係でカット2008年04月09日)

・・・・・・・・・
2004年04月09日(金)
1102, つもりちがい十ケ条

 高いつもりで 低いのが教養     低いつもりで 高いのが気位
 深いつもりで 浅いのが知識     浅いつもりで 深いのが欲望
 厚いつもりで 薄いのが人情     薄いつもりで 厚いのが面皮
 強いつもりで 弱いのが根情     弱いつもりで 強いのが自我
 多いつもりで 少ないのが分別    少ないつもりで多いのが無駄
        そのつもりでがんばりましょう
                    天台宗別格本山 両子寺
人間の浅はかさ、のぼせ上りをいっている。
「般若心教を唱えていたので、高いも低いも、深いも浅いも、多いも少ないも、
『色即是空・諸法空想』としか思っていなかったつもりであった」が、
果たして実際はそうであろうか。いや、そんなことはない。この通りであった。
この随想日記をその全てを露呈しているではないか。恥ずかしいことである。
それにしても、人間の心理の一番奥の逆上せ上がりをそのままついている。
これを読めば読むほど、本当に自分はバカで卑小とつくづく思ってしまう。

・・・・・・・・・
2003年04月09日(水)
735, ホームページを開いて二年

このホームページを開いてあと一ヶ月足らずで二年になる。
旅行以外は随想日記を一日も欠かさなかった。脳内の何パーセントを汲みだした感覚である。
その時その時の興味が移り変わっていくのもわかる。お笑いであったり、癒し系であったり、人間観察であったりだ。
・何事も三年である、あと一年は今のペースは続けるつもりである。随想テーマ日記の千項目がもう一つの目安だ。
・毎日書き続けるとネタ不足になるが、それが外部の情報収集の動機になる。
 公開をして第三者の目を意識をして書くことで、自己コントロールをするようになった。
・書き続けること、改善し続けることで自己の外部化をしていることになっている。
 毎日文章を書き続けることは大変である。
「今日飯食って、会社に行って、テレビを見て寝た」という内容なら如何といことないが、
テーマをみつけて筋の通った?文章にするにはエネルギーをつかう。
考える時間を入れると、2?3時間ぐらいはかかる。その危なさが面白いと感じるから、続けることができるのだが。
一人で、机の中の日記帳にこれをやろうとしても無理である。第三者に対する意識があるから続けることができるのだ。
なんで毎日書き続けるのかという疑問があるが、誰のために書いているのではなく、自分のために書いているだけだ。
読み返していると結構自分を鏡でみているようで面白い。ハッキリいって見る人が見たらバカじゃないのかと思うだろが、
これが自分でしかないのも事実である。参考の為に一年前に書いた「テーマ日記」を書き始めて一年
ー1・2をコピーしておきます。
ーこうしてあらためて読んでみると、今も一年前も考えることは、ほとんど変わらないものだ。
今のままの自分がいる。

・・・・・・・・・
「テーマ日記」を書き始めて一年   
    ?1ー2002・05・22)
(字数の関係でカット2008年04月09日)

・・・・・・・・
2002年04月09日(火)
371,花見

いつもこの時期、福島江と悠久山の花見に行く。
といって朝の散歩で行くのだが。今年の桜は当たり年のようだ。
「散る桜、残る桜も散る桜」 毎年このことをおもいしらされる。
人間の人生の短さに例えて言っているのだ。所詮自分の死もいずれ近くやってくる事を言っている。
京都の桜も素晴らしい。それぞれの地区で素晴らしい桜の名所がある。この時期の名物の一つである。
7年前私の従兄弟が桜の散際に自死をした。桜が好きで毎年写真を撮っていたという。
なくなった後で、その時の写真を見せてもらった。なくなった通夜の納棺の時、突風が吹いた。
納棺の桜吹雪である。背筋がこうりつく思いであった。 こういう事が実際あるのだ。
桜は人間の人生を見せてくれる。その年も桜の当たり年だった。


2925, 中沢新一の『三位一体モデル』 −4

2009年04月08日(水)

 *「三位一体モデル」と「カ・タ・チ・モデル」の相似と違い

三位一体のモデルを肯きながら読んでいて、似ている思考モデルを思い出した。
創造工学の故中山正和の創造思考法である。
 カ= 神の閃き(神のカ)
 タ= 田んぼのタで、カタチ取りをする
 チ= 道のチ、血のチ、力のチで、エネルギーを注ぐ
  カタ=カ+タで、型をつくることになる。
  カタ+チ=カタにエネルギーを入れて、カタチ(創造)にすること。
 何かそっくりだが、彼がこの三位一体モデルから、このヒントを得たかどうかは分からない。
「三位一体モデル」は、父、子、精霊のうち、まずは子の設定をした後に
父たる普遍と、増殖する精霊を考えるのが自然である。しかし、それに対して
「カ・タ・チ・モデル」は、カの閃きから、カタ、カタチ、へ発展していく考え方である。
そうすると三位一体の父たる「閃き」を纏めるに、「カ・タ・チ・モデルを使えば良い。
二つの思考法の合体である。いや、ややこしくなるので類似した思考法があるというだけで良い。
 カ=頭、タ=身体、チ=血液(循環器)・エネルギーということか?
思考法として、『起承転結』『カ・タ・チ・モデル』『正反合モデル』『曼荼羅思考法』
『雑記ノート書き散らし法』などをメインにしているが、『三位一体モデル』が一つ加わった。
次回は、この本の最後にあった、各職業の『三位一体モデル』の実例を書き出してみる。
 その一つだけを、まずは紹介してみる。
  ー書籍の出版社ー
 私たちの場合は、一冊の本ごとに「三位一体」があるといえます。
作家、作者が「子」であることは分かります。その作家に本を書かせた「動機」が、これが「神」なんです。
書いた人がいて、彼が書いたものがある。それを書かせたものがあるとしたら、それは「父」です。
何しろ、初めに「子」ありきで、一冊ずつ、みんなそうだとしたら、
出版社は八百万の神々の集会所のようなもの。

・・・・・・・
2561, ウォルト・ディズニーがくれた夢と勇気の言葉  ー2
2008年04月08日(火)

   創業のノウハウの全てが、ディズニーの全てに入っている。
   それが遊びという世界で万人が解りやすいから、尚のこと心を打つのである。
   感動、そして共感が一つずつのイベントに入っている。
   その原点が、チャップリンの凝縮されたミッキーマウスから出発している。
   ディズニーのの世界は参加型バーチャルであり、夢の世界で幻想を楽しませる。
   明るく、光にみちた世界に一時を過ごすのである。
   
 ーーー
ひとつ踏み出す、つまり、新しいことをやってみるということは勇気がいるけど、
自分を信じて、思いきってやってみよう。ひとつ踏み出さなくちゃ、何にもはじまらない。
 解)その一歩の勇気、それが大きく人生を左右する。
   その一歩も裏づけを十二分に持ってないと、逆の結果になってしまう。
 ーー
「人生の素晴らしい瞬間というのは、自分ひとりのためよりも、
 愛する者たちのために行ったことに結びついている。」
 解)押し付けにならない程度のことだが。
 ーー
実は人々はお互い相違する点よりも共通する点が多いということを、伝えていく。
 解)自分の中に、その共通点を見出していくのが教養?
 ーー
ただ、絶対に忘れてならない。すべてのはじまりが一匹のネズミだったということを。
 解)ミッキーマウスが、チャップリンの漫画化ということも?
 ーー
我々は何か人をひきつけるものが欲しくて、チャップリンのような切なげな様子を持つ小さなネズミを思いついた。
とにかく精1杯生きているちっちゃなやつ、というような.どこにいても人々がミッキーを見て笑い、
共に笑い続けてくれることだけを求めた。特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、
社会の欲求不満を代弁したり、痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。
ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
 ーー
どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれることだけを求めた。
特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、
痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
 解)笑わす使命を与えられた人格=チャップリン か?
  気の毒じゃないか、そういうのは? いや、人に微笑を浮かばせることこそ、人間としての使命ではないだろうか。

・・・・・・・・
2007年04月08日(日)
2196, ファンタジー文学の世界へ ?2
               オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! 
「 ファンタジー文学の世界へ」
                   ー読書日記
ーP57?58
「シーズ・リーヴィング・ホーム」はビートルズの画期的アルバムの
『サージャント・ペーパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド』の挿入歌である。
イギリスの教育界では粋なことに、この詩について二年にわたる論争があったという。
一方は「この詩は家出を推奨しているので青少年に与えるべきではない」
もう一方は「この詩こそ、現代家庭内の人間関係の疎外感を象徴している」
という肯定的なものである。教育界でこのような論争が起こるということは大変好ましいことである。
ここには誰も悪人はいない。ただ、人間の持つ自立願望(依存対象からの脱皮)に伴う絆(家族以外への愛情転換)
にかけようとする一種の成長願望があり、そこに向かおうとするパッションが、世代間における微妙な心の差異、
そこから生じる疎外感の蓄積となっていく。以下は、その挿入歌の詩を訳したものである。
   ーー
「彼女は家を出て行く」(シーズ・リーヴィング・ホーム)ービートルズ

水曜日の午前5時  夜が白み始める頃 そっと寝室のドアを閉める
書き切れない思いの残る手紙を残して 階段を下りてキッチンへ向う
手にはハンカチを握りしめながら 裏口のドアの鍵を静かに回してみる
外へ出る とうとう自由だ

 彼女は (あの子のために何でもやってきたのに)
 出て行く(夫婦の生活などは犠牲にしてきたのに)
 家を  (欲しがるものは何でも買ってあげたのに)
 彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
 何年も何年も   (さようなら)

父はいびきをかいている 母はガウンに袖を通す
そこにあった置手紙を見つけて拾い上げる 階段の上で呆然と立ちつくし
泣き崩れて夫のもとへ駆け込む お父さん、あの子が家を出て行ってしまったのよ
なぜ私たちがこんな目に会わなくてはならないの あの子は一体どうしたっていうの

彼女は       (私たち夫婦のことなんかどうでも良かったのに)
出て行く      (自分たちのことなんか二の次でやってきたのに)
家を        (頑張って頑張りぬいて何とかここまできたのに)
彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
何年も何年も    (さようなら)

金曜日の午前9時 遠く離れた場所にいた
きちんと約束の時間に待ち合わせ
自動車の仕事をしている彼氏がやってく

彼女は       (私たちは間違っていたのだろうか)
楽しい時を     (間違いだとは思いもよらなかった)
過ごしている    (楽しみをお金で買うことは出来ない)
彼女の心の中の何かが否定され続けてきた
何年も何年も    (さようなら)

彼女は家を出て行く (さようなら)
   ーーー
   解)
   これも、親離れへの情操の心理であり、誰もが通過しなくてはならない通過儀礼でもある。
   もし何らかのカタチで、このアップ・スケール(自立)をしないと、
   親という山姥に一生をとって食われてしまうことになる。しかし、親の愛ほど純粋なものはない。
   特にお腹を痛めた母親は、「子供は分身」という思いは強いだろう。
   親離れ、子離れの問題は、嫁・姑の問題と同じく、人類の永遠の問題である。
   私の場合、八人兄姉の末っ子で、両親の(特に父親の)深い愛情の
   元で育った。試行錯誤の後のため、いや大家族のため束縛は殆んど感じなかった。
   しかし両親が死ぬまで、盆と正月は、就職をした年を除けば、全て両親と過ごした。
   そういうものと信じて疑わなかった。少子化の時代。
   両親と子供の関係は強くなり、親離れの問題は大きくなる。 気の毒といえば、気の毒である。
                      ー続く
・・・・・・・・
2006年04月08日(土)
 1831, ブログの話
     は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
 
世界に80億のサイトが存在しており、日本のブログは、500万。アメリカでは2000万もあるという。
この中で、いかに面白い自分にあったブログを探し出すのがポイントになる。
先日NHK・BSで、「ブログおもしろ大賞」を特集していた。
おもしろいブログを紹介する番組。エントリーされた中から2つのブログが大賞に選ばれた。
それぞれの個性がはっきりしていた。いろんな要素を加え、角度を変えることで特徴が出ていた。
大賞は、「世にも奇妙なグルメリポート」と「夢を追う男」
面白そうなので、メモをして幾つか見てみたが、ナカナカ味がある。
「しまふく寮日記」「クリックブログ」「サブ・カルチャーの達人」「ガラクタイチ」
「うちの三姉妹」「月刊男心」「ゆめおう男」「私がみた事実」「ニコニコルソン」
「東京テッシュ」「元プロ野球選手のセカンドキャリア奮闘記」
その中で一番面白かったのが、これである。このブログの一部をコピーしてみた。
     (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
  ーー
「夫の不倫観察日記?阿修羅のごとく?」
夫がまた不倫をしている。
・・・また・・・そう、これが初犯ではない。この際、もうネタにするしかないか。
夫の浮気の一度や二度や三度・・・ 見て見ぬフリをしてきた。
しかしながら、今回はとうとう寛大な妻の『地雷』を踏んだぞ!!!
夫の不倫、観察します。 妻の皆さん、一緒に笑ってください。夫の皆さん、妻の恐ろしさに震えてください。
=これだけで、もう引き込まれてしまう=
                         ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
・・・・・・・・
2005年04月08日(金)
1466, 閑話小題

ーロシア人の大立ち回りのその後ー
拘留されて三週間、あと一週間で国外退去になるという。領事館が中に入って、警察の提案で告訴を取り下げることになった。
本人は日本の留置場に入るために来たようなものであった。
頭がおかしいとか、薬中とは警察も言わなかったが、国外退去が妥当というところであろう。
損害は20万弱でほぼ保険が下りることで実損は無かった。「何で?」という疑問が残ったが。
ー不景気風ー
このところ、4月になるとピタッと客が遠のく。
毎年のことだが、連休までは気持ちが悪いほど街そのものも閑古鳥が鳴く。
ー音楽の世界ー
私にとって高価なコンポを買った為に、知らなかった音楽の世界を飛躍的に知ることになった。
これが10万以下ならそうはいかなかっただろう。そろそろボーズのコンポの熱が冷めてよいころだが、
それでも最低2?3時間は聴いている。元々CDのソフトが揃っていたこともあるが。
読書日記で書くつもりだが、「知りたいことがなんでもわかる・音楽の本」がクラシックから、
ジャズ、ロックから、日本のポピュラーや伝統音楽まで、地図のような案内書になっている。
何回か読んでいるうちに、それまで断片的にしか知らなかった音楽の世界を少しは鳥瞰できるようになった。
他にも楽器の成り立ちや、種類や、音響マニアの存在、そしてCDよりすぐれた
SACD(スーパーオーディオCD)が5?6年前より市販され、最近になってドンドンソフトが
出されているということも知った。あの会場で聴い音が良かったのは、コンポそのものの性能だけでなく、
録音技術も、CDそのものも飛躍的に進化していたためだ。本屋で立ち読みをした音楽雑誌の音響広告に、
サッカーボールのようなものに、多くのスピーカが何面(8?12面?)も付いていたものがあった。
其々にアンプがついていて、室内の空間の壁に向かって反響させるためだ。

・・・・・・・
2004年04月08日(木)  
1101, 春がきた

新学期が始まった。春は誰にとっても心躍る時期だ。
幼稚園生、小学生、中学生、高校生、専門学校生、大学生と街に初々しい姿が見え始めた。
そして春といえば桜、その桜の花も咲き始めた。自然と春の歌が自然と口に出てくる。
「春がきた、春がきた、何処にきた、山にきた・・・」「春のうららの隅田川・・・」
何か魂の故郷に里帰りをしているような気持ちになってしまう。
近くの川には鴨が浮かび、雀がさえずり、小さな花があちこちに見える。
春は皆にとって、心がときめく。全ての始りのような気持ちにさせてくれる。
新鮮な希望の時なのだ。長い冬は、春にとっての母でもある。そこで大きな愛を充分与えられるのだ。
春は長い冬の眠りの中で過去を蓄積をして未来を膨らます。

・・・・・・・・・
2003年04月08日(火)
734, またまたお金の話ー銀座のママの・・

「銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」
の題名につれてて図書館で借りてきた本だ。日本のトップの財界人や政治家や役者などの
お客の色いろな人生の浮き沈みを見てきているはずである。軽く読むにはなるほど面白い内容だ。
 私は高級クラブなど、殆ど行かない主義。バカバカしいと思うのだが、
といって数回行った銀座の店の気分の好さは今でもはっきり憶えている。
5万10万出しても、価値を感じさせる何かを常に店に演出しているのだろう。
なるほどというのが所々納得できる。 このママの店のホームページをみてキーワードは、
「明朗会計」と「銀座としての安さ」である。以下はある書評からのコピーである。
 ーーーー
 数々のベストセラーを生み出した作家「ますいさくら」の双子の姉、ふたご屋のオーナーママ、
「ますい志保」が「銀座」から学んだ成功法則を元に、お金をつかむコツを知ったいわゆる出来る男と
出来ない男の違いを語ってくれます。不況こそチャンスと考える「出来る男」の成功法則やノウハウもぎっしり!
やはり彼女は男を見る眼が違います!
「ふたご屋」のWebサイトはこちら http://www009.upp.so-net.ne.jp/futagoya/
 人の世の摂理、富、名声、愛、信頼と裏切り。
人生の「旬」、成功と挫折、欲にまみれた人間模様。濃密な時間が流れる街、「銀座」。
巷には、不況や不景気を言い訳にする人は多く、夜ごと、愚痴や不満を口に
していませんか?語った「夢」に今でも責任を持っていますか?
能力だけではつかめない「お金と成功」。では、成功者たちは日頃からどんなことを
実践しているのでしょうか?「どなたも特別なことをされているわけではありません。
誰にでもできる、ちょっとした工夫で成功と大金をつかんだのです。」

ーますい志保?
その「ちょっとした違い」の一部をご紹介しましょう。
【目次から】
ー感想ー
この本から感じたことは、著者に上手くいく人の典型をそのままに観たことだ。
学ぶ姿勢、不景気の時代の合わせた廉価の追及、好きのことの追及などなどである。
一番印象的だったのは、たたき上げの居酒屋チェーンの社長が言ったという
「銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」
  ◇著者:ますい志保
               (字数の関係で中略2008年4月8日)
・・・・・・・・・
2002年04月08日(月)  370,なりきる

散歩のときはウオーカーに、旅行の時はツーリストに、会社に行けば会社の立場に、
家に帰れば父親になりきる。そしてなりきった立場で色々な自分を見てみる。
散歩の時、会社のことを考えたりして景色が見えなかったりする。
海外旅行でのケース。今まで会社の役員をしていた人が、その役員の状態で来ていた。
奥さんがその人を、社会へのリハビリでこの旅行にきたといっていた。
かたっぱなしに同行者を皮肉っていた。上から見下ろしている視線を引きずってきていたのである。
考えてみたら、なりきってない方が多いのではないだろか。
学生時代に学生になりきっていなかった自分。必至で働いていたあの時期、その時はなりきっていた。
実際なりきれないで、失敗を重ねていくのが人生かもしれない。
同級会などで久々に会うと、時間を超え昔の自分にいつの間になっている。
花が「今花やってんねん」と主張していると、考え見ている自分。
その時は見ている人になりきっている?いやなりきってないか?
名優は端役をやっても光ると云うが、名優の名優たる所以はなりきることだ。
 ところで自分は今、書き手になりきっているだろうか?


2924,中沢新一の『三位一体モデル』 −3

2009年04月07日(火)

 
『三位一体モデル』中沢新一著   読書日記

 * 煉獄の発明
キリスト教の資本主義にとって、都合の良い「煉獄」を発明した。
中世にこれを発明したのは、実に都合の良い大発明にある。
それまでは天国と地獄しかなかった。しかし、この発明で、いったん地獄に落ちた人が
煉獄に地獄から這い上がれば、上から天子がやってきて、天国にむかえてくれますよ、と、
こんなことを言い出したのである。こういう経緯を経て、資本主義が動き出したのである。
これは恐らく商人のために考えられたもので、動物の殺生などに従事していた職人たちも、
その恩恵にあやかった。それまでは彼等には、まったく救済がなかった。
だから、生前、極悪非道の金貸し商人だった人が、死後に、煉獄の山を苦労して登り、
天国に行ったという話しがでっちあげられるようになった。

こうした経緯を経て、西欧州の資本主義が動き出した。ガシャガシャと動き出したのが13〜14世紀。
それから、16,17世紀を経て、19世紀にフル活動をするようになった。
もし煉獄とうの考え方がなかったら、今日の西欧資本主義はなかった、といえる。
ようするに一神教である限り、資本主義の潜在力は抑えられてしまう可能性があった。
発達を可能にしたのは、それに加え、増殖の原理を飲み込んでいたからである。
キリスト教は、西と東に分裂したが、東のギリシャ、ロシア、東欧のキリスト教圏では
資本主義は実現できなかったのも「三位一体」の理解法にあったのである。
1990年代まで続いた東西対立の、いちばん深い根っこの部分にも「三位一体」は関係している。
さらには、現在のロシアの経済が何故あんなに混乱しているのか、また、70?80年前に。
その地に何故社会主義なるものができたのか。これも、この三位一体の歴史問題と関わってくる。
 ーー
煉獄という言葉を知ったのはロシアの文豪ソルジェニツゥインの『煉獄の中で』である。
地獄の一歩手前のところと解釈していたが・・・ 

 ・・・・・・・・・・
2560, ホモ・ルーデンス ?2
2008年04月07日(月)
          (*´∀`)」" おはよう☆彡
子供の頃、無我夢中で遊んでいた頃の楽しさ、あの時の無我夢中の気持ちが人生の中で大きな位置を占めていたのである。
人生の要諦、「よく学び、よく遊び、よく働く」のうち、一番満足度が高いのは、「よく遊んだこと」である。 
 ただし「よく」である??。 まずは遊びの本質と定義について書いてある部分を抜粋してみよう。
   ??
 ー文化は遊びのなかにはじまるー
遊びは文化よりも古い。動物は人間とまったく同じように遊びをしている。
遊びの基本的な要素のすべてが、すでに動物の戯れのなかにはっきりとあらわれている。
子犬が遊び戯れているところを観察してみさえすればよい。
子犬は一種の儀式めいた身振り、動作で、たがいに気を引きあったりする。
相手の耳を血が出るほど噛んではいけないという規則も守っている。
まるで恐ろしく怒っているかのようなふりをして見せる。
もっとも重要なことは、子犬はこれらすぺてを明らかに嬉々として楽しんでやっているということである。
このように動物の場合と同様、人を夢中にさせる力、〈面白さ〉のなかに遊びの本質があり、〈面白さ〉こそ、人間にとって
  もっとも根源的なものである。人類が共同生活をはじめるようになったとき、その行動にはすべて最初から
  遊びが織り交ぜられていた。 たとえば、人類の最初にして最高の道具である言語である。 
言語によってものごとを表現したり、伝えたりするという行為はいつも遊びながら行われるのである。 
どんな抽象の表現でも、その背後にあるのは比喩であり、いかなる比喩のなかにも言葉の遊びが隠されている。
 *遊びを定義すると
遊びとは、ある限定された時間および空間のなかで行われる、自発的な行為もしくは活動であり、
自発的に受け容れられた、絶対的な拘束力を持つ規則に従っている。
遊びの目的は行為そのものにあり、それは、緊張と歓びの感情を伴い、
また〈これは日常生活とは別のものだ〉という意識に裏づけられた、何ものかをめぐる闘争ないし表現である。
このような遊びが地球上のあらゆる地域に同じような形式や観念のもとに存在することが確かめられているが、
このことは、人間に遊びという機能が先天的に与えられているということの何よりの証拠である。
 ??
日本文化の典型の、茶道とか、華道は、遊びなのか、それとも修養なのか?
前記の内容からしたら、遊びそのものということが出来る。
ひと時の安らぎの茶のひと時を、茶道という文化に高めたのだから粋である。
パソコンのインターネットも、携帯電話も子供や若者の遊び心から飛躍的に普及した。
ホモ・ハーベン(働き蜂人間)だけでは人生はつまらないだろうが、仕事を遊びまで昇華させれば、良いだろう。
   死を直前にした人間で、もっと働いておけば良かったと後悔する御仁は少ない。
   もっと色いろなことをして楽しみたかった!という人が大部分である。
                  。・∀・)ノ ホナ!
・・・・・・・・・
2007年04月07日(土)
2195, ファンタジー文学の世界へ ?1
              オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
「ファンタジー文学の世界へ 」
ー主観の哲学のためにー 工藤左千夫著 (成文社) 
                           ー読書日記
一般的にファンタジーとは、夢 のような空想を元にした小説のことをいい、現代社会から、かけ離れた人物、
 事実、世界観がテーマとなる。前回にも書いたが、ファンタジーには、二通りのジャンルがある。
ハイ・ファンタジー とロー・ファンタジーである。
*ハイ・ファンタジーとは、社会構成・環境・文化など、世界観が詳細に設定されたファンタジー小説のことです。
 過去にも未来にも、世界のどこにも存在しない別世界を題材にしている。
*それに対しロー・ファンタジーは、現代を舞台にしたファンタジーで、ちょっとした不思議な世界を題材にする。
   情報社会の中で合理的世界観から一歩はなれて、非合理的な世界を持つことで合理的社会を
 鳥瞰することも必要となる。この本はファンタジー感覚の発祥と変遷について書いている。
 初期ファンタジーは、強烈な目的性を志向し、その通過儀礼を特徴としている。
 それに対し現代ファンタジーの傾向は、目的よりも存在論的視野を目指す傾向が強い、と論じている。
   この本の面白そうなところを、幾つか抜粋してみよう。
ーー
  P-23 ■ファンタジーの構造
神話的世界の「英雄」は孤独である。孤独は、「英雄」の条件と考えた方がよいほど、孤独である。
これは人間の人格形成において「自立願望」という母子分離の強烈な心理が、人間の属性だからである。
初期ファンタジーの多くは、明確なイニシエーションをかかえている。
それは、「分離」?>「周辺」?>「統合」という物語の構造で表現される。
依存対象から「分離」は、一人で「周辺」に向かうことを意味する。
それは、「依存対象に頼ることができない」こと、それが孤独なのである。
その孤独から自立への物語には、最後に何かを得て、元の場所に戻る精神がある。
元に戻ることが「統合」もしくは「全体性の回復」になる。・・・・中略
  P-31 冒険(ゆきて帰りし)とは、無自覚な日常感覚に対する警鐘である。
そして、非日常ー冒険で培われたものが、日常に命をもたらすものであり、
人生の新たな価値を模索する道でもある。この道は困難そのものと言える。
この困難を越えようとする強烈な意志こそ、大人への道標足りうるのである。
作者は、人間の成長において、身内以外の父性的存在がある局面で必要であり、
この父性的存在こそが、「わたし」の深奥に導く一つの契機ともなる。・・・
我われの周囲には様々な冒険(ゆきて帰りし)の扉が黙示されている。
その覚知なるものは、現実を積極的(主体的)に観ることの意識化を通して、
もう一つの世界(非日常、内的世界)へ向かうことである。狭き門の両側には二つの世界がある。
第一の世界ー第二世界、 日常ー非日常、 意識ー無意識、 平穏ー不穏。
この二つの世界を主役は往復するのである。この往復の困難性が人の心に「なにか」を生起させるのである。
「なにか」を主体化する作業が、現実の深い意味を客観化しうる認識の扉ともなる。つまり、困難を通して、
自らの潜在的力を引き出すこと。しかし、この地平は「英雄」にありがちな慇懃無礼の世界ではない。
自らが拠って立つ精神的基盤を自らが客観化した地平である。
    ーーー
これを書いていて気がついたが、15年間にわたり年二回平均の秘境ツアーが、ファンタジー小説に近い世界であった。
  ー日常に対して、非日常。 意識的世界に対して、無意識の世界。
平穏?に対して、不穏。ーで、夢そのものの中の世界である。
ファンタジー作家のかわりに、旅行代理店が物語を企画してくれている。

・・・・・・・・
2006年04月07日(金)
1830, あちら側の世界 ?8
          (’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?

「ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。
早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。
月の位置から地球に近づいて、見たい場所に降りていって、家や車や木まで見えるところまで接近できる。
  もちろん首相官邸や皇居の中もみえる。これで世界中の都市を見ていると、雲の絨毯で下界を飛び回っている
  ような感覚になる。 殆んどの大都市の衛星写真が貼り付けてあり、家の屋上や木や池まで識別ができる。
使ってみると、リアルな感覚になる。「グーグルアース」と、グーグルの検索に入れたところ、皇居や首相官邸、
 インド沖の大津波の写真、アメリカの本土のステルス(飛行機)まで紹介されていた。
数日前の新聞に、「インド政府がグーグルアースの写真公開に抗議!」という記事が載っていたが、
  これでは問題になるだろう。 世界中の政府が衝撃を受け戸惑っているというが、当然である。
北朝鮮など、嫌味か?、かなり詳細の平城の写真があった。原子炉?らしき写真もあった。
大都市圏以外は地形認識までしかできないが、有名観光地には、その情報の入った小さな箱が貼り付けてあり、
  クリックをすると見ることができる。検索で「グーグルアース」のキーワードを入れソフトをダウンロードをすれば、
誰でも無料で見ることができる。マウスでズームアップもダウンもできる。
手塚治のアトムの目を持って世界中を見ることができるということだ。
この大本の「グーグルマップス」のAPIを公開しているが、リクルートの不動産関連のHPに、
  マップで日本中の都市圏の場所に矢印を当てると、地図がアップででてきて、周辺不動産物件の
  詳細を紹介をするサービスがある。現在は地図だが、近い将来は写真になるのだろう。
  アフガンやイラクでは、アメリカ軍がこれを多用して勝利に導いたが、実際は顔の認識まで可能という。
スパイモノに出てくる衛星利用のSFもどき内容が、実際に個々人で使えるようになったのである。
「ウェブ進化論」を毎日、繰り返し読んでいるが読むほどに情報化社会の実態がおぼろげながら見えてくる。

ー以下は、あるHPにあった内容だが解りやすく紹介してあったので、貼り付けておきますー
(字数の関係でカット2008年04月07日)  
                (v^ー°)バイバイ!
・・・・・・・・
2005年04月07日(木)
1465, なんじゃい、こりゃ!

またかい!このホームページを見ている常連なら、オーバーな表現と思うだろう。
ただ実感でいう正直な話で、その時書いた文章である。
 ??
たまたま日本酒を取引先から貰って飲んだ感想をそのまま書く。
「これは今までとは全く違うほど美味しい酒ですよ!」といって置いていった酒である。
その人から、普段は飲まないような極上の酒を数回か貰っていたが。
そのことも忘れて口に含んだと同時に、その美味さにビックリ仰天。
新潟の土地柄もあり美味しい酒は数限り飲んできたが、これが特別なのである。
早くいえば、今まで飲んだ日本酒で一番美味しい。「嘘だろう、今まで日本酒に関しては美味しい酒は飲んできたのに。
自分が変ではないだろうか」と、飲んで何回も口に含んでみた。 しかし美味しいのである。日本酒に関しては、
  この随想日記にも書いたことがあるが、美味しい酒が飲める環境にあった。
  地元の人がみている前提で書いているが、美味しいものは美味しい。
そこで、その酒の箱を見てみたら、ヤッパリ仰々しい印刷があった。
「ロンドン開催ー第12回国際酒祭り酒類審査会ー世界第一位受賞」と書いてあった。
「天領盃 大吟醸」が、酒の名前。 メーカーは佐渡の「佐渡吟醸株式会社」。
このラベルにつられて、美味しいと思ったのではない。口に入れた瞬間、ただ水を飲んでいるようで何の味もしなかった。
そして二口目を口に入れたとき、何ともいえない香りと味がしてきた。
朝日山の久保田(万寿)や、吟醸古酒を少し薄口にした味というと、かなり大雑把な表現になるが。
酒の世界の深さを殆ど知らないが、底の知れない世界があるのだろう。
そういえば先日TVで、メーカー名は忘れたが四号瓶で数万円もする日本酒を紹介していた。
数十年かけて醸造したものであった。 どんな味がするのだろうか。
ワインなどは、もっともっと深い世界があるのだろう。
ー酒通がこの文章を読んだら、この程度でと鼻先でわら笑うだろうがー

・・・・・・・・
2004年04月07日(水)
1100, 撃墜王の秘密

ある本の「撃墜王の戦法」がなかなか面白い。そのまま書き写してみる。

ー第二次世界大戦で「独特の戦法をとった」二人のパイロットは、ハルトマン少佐と
その師であるロスマン軍曹。ハルトマンは確認されているだけで敵機352機、ロスマンも80機以上も撃墜している。
その戦法を最初に考案したのはロスマンである。彼はパイロットになりたての頃、完治不能の傷を負った。
普通、接近戦になると体力が勝っている方が有利であった。そこで普通の戦法ではとうてい生き残れないと
  悟ったロスマンは、考えつくした末、自分の体力を補うテクニックを編み出した。
彼は体力戦勝負の接近戦をやめて、計算しつくした戦法に切り換えた。
一つ一つの攻撃に、それぞれの計画を練り上げた。敵に実際に銃弾を浴びせることを考えないで、
  どうチャンスものにするか、さまさまな情況を分析することに多くの時間を費やしたのである。
彼が攻撃に出るのは確実に勝利が取れるポジションを取れたときだけだった。
理想的な標的となった相手にだけ、ありったけのエネルギーを使って集中攻撃をしかけるのだ。
ハルトマンは、ロスマンの「相手をよく見極めてから集中砲火を浴びせる」戦法が優れていることを、
  自らの戦果で証明をした。ー
ー以上のことより学ぶことは、完治不能の腕を持ったことで、考えつくして全く違った戦法を自ら作った
ことである。色いろな情況の研究に全てのエネルギーを入れたことだ。 孫子の兵法と同じである。
普通のパイロットは、接近戦の銃撃の手法を研究したのに対して、確実に勝利の取れるポジションとりの研究を
  していたのだ。 チャンスが来るまでエネルギーと知識の保存を充分に蓄積していたのだ。
過去に上手くいったケースを考えると、大体がそうである。勝てるポジション取りであったのだ。
人の真似とか、表面を見て準備不足の事業は失敗をしてきた。
といって、この時代ジックリ準備といっている間にチャンスは一瞬で消え去る。難しいところだ。
一病息災というが,一つ病気を持っていた方が健康にとってよいのも事実である。
 
・・・・・・・・・
2003年04月07日(月)
733, 30年間着ている礼服

現在も着ている礼服は忘れもしない記憶がある。ちょうど30年前になる。
父が「あと2週間の命」と医者に宣告された直後に母にいわれて、「村田仕立て屋」に、
  父に解らないように出かけて、つくったものだ。今でもしっかり冠婚葬祭に着ているが、全く古い感じがしない。
私が子供の頃に注文服も扱っていた頃から出入りしていた仕立て職人で、腕がよい人だった。
年に4回位、平均して着ているとしても、120回でしかない。それも大体が半日だから、そういたむものではないが。
  しかし身につけるもので30年も使っているものは勿論これだけ。まだまだ十年以上は使えそうなので、一生ものである。
  ということは体形が30年変わってないということだ。 当時は体重が56キロ、ウエストは76センチ。
  現在は60キロ、ウエストは79センチだ。ズボンの腰周りを20年前に直したが。こうなると愛着がわくものである。
 話は変わるが、その時もしかしたら、「父は勘で注文にいっていることを知っていたのではなかろうか?」
  とこの文章を書いていて気づいた。何か生々しい話になったが、私が死んだ時にお棺に入れてもらおう。
嬉しいとき、悲しい時に着ていたものだからだ。

・・・・・・・・・・
2002年04月07日(日)
369,植民地経営

西アフリカに行った時聞いた話しである。 文明国を統治する方法として、次の3つがある。
1、直接統治 2、間接統治でそこの王族と手を組み統治 3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治

大体がこの3つである。まずはフレンドリーに入って行き、徐々に統治していく。
その前にキリスト教の宣教者を派遣して、内側から攻めていくのが常套手段だ。
秀吉がそれに気づき、キリスト教禁止令を出したのは賢明だった。
戦後の日本も戦犯の天皇や官僚をそのまま温存させたのも王族の間接統治を狙った為だ。
今の日本は王族を飾り物に、戦後から続く官僚の支配がそのまま続いている。
そして悲しい事に、間接統治をされていることに全員満足している。
この不況は「1986年のアメリカのバブル押し付け政策」の結果である。
そして、直接支配に今露骨に入ってきたのは周知の事実だ。
今回の9・11テロは、この間接支配の露骨のアメリカ世界戦略に対するテロである。


2923, 中沢新一の『三位一体モデル』 −2

2009年04月06日(月)

  
『三位一体モデル』中沢新一著       −読書日記
 
 *「霊」は何か?
ここでいう霊とは、英語でスピリッツ、ドイツ語でいうガイスト、日本語で霊(たま)という。
語り得ない「神」とか「霊」をどう表現するか興味を持って読んだが、
神を三位一体モデルとして、「父」「子」「精霊」と構造的に分解している。
一つの見方だが、それを思考法として利用したり、この世界を理解するには有効になる。
その一つの「霊」を、ひとことで「増えていくもの=増殖するもの」としている。
「父」たる普遍的なことを、現実の姿として「子」キリストなどの現象とし、
霊(増殖するものとして)を使って世界中に布教していく便利な存在?である。
この霊を組み込んだキリスト教が、<増殖>現象を自分の中に抱えこんで世界に
爆発的に布教していくことになる。それが西欧資本主義の出発点になるのである。
ここが、イスラム教と、もっとも深い対立点になる。
 ーー
 * イスラム教との「増殖」をめぐる対立とは?
イスラム教は、キリストが神の「子」という点、そして増殖原理である「霊」を
唯一神の中に組み込むという点については、絶対に認めない。
イスラム教にとって、神と人間のあいだに立つ媒介する存在など、あってはならない。
イエスなど、ただの預言者でしかない。 ただひとつの神に霊を組み込むなどということは、
絶対にありえないこと。なぜなら、霊は「増殖現象>を起こすなど、唯一の神アッラーは増え得ないからである。
イスラムにとって、アッラー自体は変化しない。しかしキリスト教徒は、じつに微妙なかたちで、
「増える」という原理を組み込んでしまった。
イスラムにとって、「神の本質が増えるとはどういうことなんだ」ということになる。
キリスト教は、増殖という現象を内部に組み込むことによって、その後の奇跡的な
勢力拡大の基礎をつくっていったのである。
 ーー
結局は、キリスト教は欧米人の世界からの略奪行為の尖兵として、情報機関として
建前として使われてきたのは自明だったが、ここで、その宗教の歪みの部分を解明している。
この世界恐慌も、その崩壊の一つとみてよい。 霊を増殖するものという見方は初めてである。

・・・・・・・・・・
2559, 印度放浪 ー3
2008年04月06日(日)

 ー語録ー2

人間の身体を見ていて神々しいと思ったのは、一ぺん沈んで浮かんできた水葬体だね。
水葬にしていったん沈むんだけど、沈んだあと底につかないのはそのまま浮かばないで流れ浮かばないで
底についたのは必ず浮かんでくるんだ。そうやって浮かんできた時の顔とか身体というのは、
不純なものがいっさい流れたような美しいものなんだね。半眼微笑の仏像そっくりな場合すらある、
それが二、三日経つとだんだん膨らんできて、中の血管の血がバッーと表に出て、まるで不動明王や
五大明王みたいに赤黒くなる。それからまた血が引いて漂白されたようになって行く。
水に投げられたひとつの死体をずーっと見ていると、人間のもっているすべてが見えるよ。
日本でも死ぬ時に、これは単なる比喩的な言いまわしだろうけどさ、死ぬ時に一回苦しんだか二回苦しんだか、
三回苦しんだかで、その人の生前にもっている業みたいなものが出るということを言うじゃない。
それとは違うけど、水葬死体も人間のもっている生前のことを全部見せてくれるような気がするね。
 解)日本人は死体を特別に大事に考えている影響が40年前の著者に残っているようだ。
  こういうのを読むと、さっさと重油をかけて焼いてしまうのも良いと思う。その方が余程ドライである。
ーー
犬が水葬体を食っているのを見て、法華経に出てくるクンパーダカをふっと想像したんだ。
クンバーダカ鬼は架空の生きものだから見たことはないが、そういう感じがしたんだ。
広角で撮ろうと死体を食っている中洲の犬に近づいたら、そこにいた一匹が逃げたんだ。
それが遠くから十二、三頭を連れてきた。砂けむりを舞い上げてね。
僕がエサを取ってしまうとおもったのか、全部がうなりながらにじり寄ってくるんだよ。
人間を喰っている犬ににらまれたんだから、かなり危機感を持ったね。
眼を離して逃げたらワーッと襲われてやられるとおもったから、こっちも動けない。
川の中洲だから人間は誰もいない、助けも呼べない。カメラを持って投げつけるような恰好しながら、
それでもこれを投げたら壊れるからやめとこうとおもったりしながら、投げるものを探したわけね。
そのへんは写真にも写っているように頭蓋骨とか骨がけっこうあるんだ。
で、犬の目から目を離さないようにしながらゆっくりとしゃがんで、頭蓋骨を四ツくらい集めて
これをかかえて投げるかっこうをしながら、頭蓋骨もったまま少しずつあとずきりをして
川の中に胸まで入ったんだ。犬は向うでウロチョロしている。
奴に向けて力いっぱい投げつけたんだ。暫くするとあきらめて、
また向うの死体を喰いはじめてくれたんだね。こちらは川づたいに三脚のあるとまでやっと辿り着いてね、
これでやっと安心して、この三脚を持てぱこれ殴れるから何となく大丈夫だと思ったわけ。
これは後で考えると、地獄で何かしていたような気がするんだ。
 解)インドでないとこういう経験は出来ない。宗教で、かくも文化が違うかが理解できる。
ベナレスのガンジス川の底には骨が重なっているというが。その骨についている貴金属をあさっている子供もいる。
ーー
インドはね、撮りすぎるとダメなんだ。インドってのは撮れちゃうから。まわリ三六〇度ぐるりと
一回転して三十六枚押したら、一本フィトストーリーができてしまう。
だからインドへ行った人の写真ってのはみんな同じになる。写りすぎるってことは、
全部撮ってもダメということなんだね。インドは「何を撮らないか」というマイナスの作業でしか
自分の視点が出てこないのね。 加算とかブラス信仰の社会から行うた人からは、
撮らないということも表現であるという発想がなかなか生まれない。
 ?解)これって写真だけを言っているのでなく、全てにいえることじゃないですか。

・・・・・・・・・・
2007年04月06日(金)
2194, 大人のファンタジー読本
    おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ            
                  ー読書日記 
 ー未知なる扉をひらく180選ー  出版:マックガーデン
この本の副タイトルが、そのまま当てはまる内容である。1Pか2Pに一つの小説の概要が書いてある。
その概要だけで大きくイメージが広がるから不思議である。
わずか数分の間、ユックリと読んでいるうちに日常を超えてファンタジーな世界に引きずりこまれるのである。
この本は10年前のパソコン通信の時代からあったネット上の仲間が出会い、ネット上の語らいからつくり上げた本。
180選を45人が要約した共同執筆で10年がかりのエネルギーが入っている。
1P?2Pの要約の中に好きな人の魂が詰まっているから、要約というエキスに引きずりこまれるのだろう。 
これこそ現代の本と云えよう。「エネルギーを使わないで、いつ読んでも現実を忘れられる本がないか?」
と言われれば、間違いなくこの本を勧める。何せ一ヶ月間新幹線の列車の中で読み続けていた本である。
初めは図書館で借りて読んだが、アマゾンでさっそく発注をした(中古本だが)。
ファンタジー本は、1980年代にアメリカで「指輪物語」が一大ブームとなり、「ナルニア物語」
そして「ゲド戦記」などが映画化されている。それと最近のブームはやはり「ハリーポッター」映画化である。
これがファンタジーの世界を変えたと言えよう。この前と後というほど、大きな影響を与えたという。
 ファンタジーは、ハイ・ファンタジーとロー・ファンタジーの二つに分けられる。
・ハイ・ファンタジーとは、まったく架空の世界を創りあげて、そこで色んな人物が登場して
 冒険や旅をする形のもの。『指輪物語』や『ゲド戦記』など・・
・これに対して、昔の伝説をちりばめたり、歴史上の出来事を舞台にして語り直したものをロー・ファンタジーという。
 この本の母体になっている翻訳クラブのファンタジーの定義がある、「現実にはありえない何らかの法則に従う
 世界に従う世界を舞台にした物語。あるいは、現実のはありえない何らかの法則に従う世界を法則に従う現象を
 主な構成要素とした物語」である。それが、SFやホラーや御伽話とは違う。
 この本は、ハイ・ファンタジーだけでなく、ロー・ファンタジーなども多く紹介されていて、
 ファンタジーの魅力のブックガイドの本といえる。
 先日、その中で紹介してあった「トムは真夜中の庭で」を読み始めたら、これが面白い!
 小説でファンタジーを読むのが初めてであるが、なるほど、ファンタジーのイメージ世界は何とも夢がある。
列車の中で「獄中記」と交互に読んでいることもあり、内容が極端な段差があるから互いに刺激的になる。
                              (^o^)ノ バイ! 
・・・・・・・
2006年04月06日(木)
1829, あちら側の世界 ?7
    「ウェブ進化論」読書日記 
           (ヾ(。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ゚+.☆
ー「アマゾン」とはー

 =この本から「アマゾン」という会社とは何かを要約しながら、考察してみる。
 (このウエブ進化論ー3・ロングテールについてーに重なるが敢えて取り上げる。 
 ロングテールが書籍以外の商品群に広がるからだ。それは全ての流通経路の大変革を予感させる)
 IT革命の地殻変動を実感させる、もう一つの会社が「アマゾン」である。
 アマゾン・コムの「ロングテール現象」が、その象徴といえる。 本の流通の関係者といえば、
 インターネットが登場するまでは、出版社と流通業者と書店であった。
 今までの流通経路は店舗や倉庫や在庫といった固定費を抱え、ある程度以上売れる本ーつまり「恐竜の首」で
 収益を稼ぎ、「ロングテール」(恐竜の尾の部分ー80%以上の売れない部分)の損失を補う、事業モデルであった。
 2004年秋にロングテール論が脚光を浴びたのは、「アマゾン」が、この構造を根本から変えてしまったことである。
 日本での年間出版点数は約7万点であるが、アマゾンは230万点もの書籍を取り扱うことができる。
 売れない本には価格競争がないから利幅も大きい。2005年に入って、アマゾン・コムは全売上の約3分の1を
 リアル書店が在庫を持たない本から上げていると発表した。 
 インターネットの世界に異変が起こっている分りやすい事例である。
                    (字数の関係でカット2008年4月6日)
 ー
以上だが、最近、本以外の分野に枠を広げてきたが、アマゾンの本当の恐ろしさが出てくるのは、これからである。
世界中の人が、このネットで本格的に買い物を始めるのは、これからである!
間違いなく、あちら側の世界が、こちら側の世界を大きく変えようとしている。
                   ー (*"・∀・)ノバイバイ!
・・・・・・・
2005年04月06日(水)
1464, 発想名人 ?読書日記

最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、また「発想名人」を借りて読んでみた。
内容は前の本からみると軽いが、表紙裏の言葉がなかなかよい。
ー『ネガティブな意見を言っている暇があったらアイディアをだせ!』
これが私の最近のスローガンである。すべての現実の困難は、具体的な
アイディアによって乗りこえるものだと私は考えています?
ネガティブな意見を出すのは簡単である。相手の正反対の視点を設定して正面から突き刺すのである。
私も独りで考える時に、正反の問いかけを何回かしてみる。その繰り返しの中で問題を掘り下げる。
それが、考えることである。したがって、肯定だけでなく否定の視点も必要である。
計画を練ることは、正反合を繰り返し繰り返ししていくことである。
ネガティブの意見も「異見」として正の立場を逆に見直すことになる。
チームで計画を練ると、否定だけの人がいる。ネガティブはエネルギーを殆んど使わないで済むことを知っている。
ただ、アイデア・バスターをしていれば済むからだ。 ほぼ対案を持ってない。特に女性に多い。亭主の否定をして、
稼ぎを当然のように取りあげれば済む。それも自覚してないケースが多いから泥沼に陥ってしまうケースが多くなる。
(字数制限のためカット 09年04月06日)

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2004年04月06日(火)
1099, 「80対20」革命 ?4

「自分の20?のスパイク(強み)を見きわめる問い」が考えさせられて面白い!
 ー以下に書き写してみる。
△あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか?
 一番熱心になれることは、どんなことか?
△自分が有名になったと想像してみる。
 どんなことなら有名になれるか?
△自分の個性でもっとも特徴的なことは何か。
 人と一番変わっているところは何か?
△何をしているときがもっとも幸せで充実していると思うか?
△一番得意なものは何で、他の人より得意なものは何だろうか?
△どんな役割や仕事がもっとも適していると思うか?
△別の分野や活動で、自分が優れていることがないか、あらためて考えてみる。
 できるだけ現在とかけ離れた意外なものがよい。あまり深刻にならない方がよい。
△もし新しいベンチャーを始めて驚くほど成功するとしたら、どんな事業であろう?
 想像力をはたらかせて考えてみる
ー以上であるが、現在の自分について考えてみて書いてみた。ここでは書けないが、
如何に深耕があった部分と、無かった部分がよく見極めることができた。今回は内容を書くのは控えるが、
この随想日記に殆ど書いてあることばかりである。まあバカの壁を辛辣に見えてしまって
いるからだ。もう見せているから今更だが。全て反省の言葉が多いのが人生と思っているが。

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2003年04月06日(日)
732, 「こうすれば良くなる」

いまの日本の議論で大部分が「こうすればよくなる!」という発想が基点となっている。
これに対して「もうこの発想から脱却すべきではないか?」という論が新聞にあった。
その内容を私なりにアレンジをして書いてみたー誰もがいまの日本は縮小すべき時期にきていることを知っている。
それを回復とか現状維持を前提に議論しているから、ますますおかしくなる。
失業率だって今の倍の2?3倍になってどこが悪い。それで西欧並みでしかない。
日本をとりまく環境が変わってしまったのだから失業が増えて当然である。
 デフレもグローバルになったのだから仕方がない。
どうして日本の経済規模を縮小していくかを真剣に議論すべき時期である。
そうしなくては、自然の暴力にもろに破壊されてしまう。 恐慌というやつにだ。
 いまや株価や土地が20年以上前になっているなら、政府の予算規模も
縮小すべきである。それができないなら、恐慌が起こるのが当然である。
「良くするなどと考えている非常識」がまかり通っている。
思い切って、国家規模ー予算を20年前に戻すべきだと宣言すればよい。
それにしても、箱物や道路や橋や新幹線を造ってしまって、その借金をもあるから単純にはできない。
このジレンマからいつ抜け出る事ができるのだろうか?
 ー以上になる。
人の意見をこうアレンジして書いてみると、これが自分の意見になるのだ。
なるほどと、自分でも感心する。大体がこんなものだから批評家が存在するのだろう。

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2002年04月06日(土)
368,リオのカーニバル

いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで「リオのカーニバル」をやっていた。
2時間があっという間に過ぎてしまった。7年前に行った内容をコピーしておくが、本当に素晴らしい内容であった。
今見ている内容は当時に比べ、かなり豪華にかつ派手になっているようだ。
カーニバルは元々はヨーロッパで行われていた、キリスト教のお祭りである。
南米の農園に売られていった奴隷が、一年に一度のカーニバルに与えられる休日に輪を作って
歌い踊ったという。普段でも彼らの楽しみは歌と踊りだけで、それが段々サンバに変わっていったという。
1888年に奴隷制度が廃止された時、彼らはリオに仕事を求めていった。
彼らはグループを作って踊っていたが、そのそのトップクラスと準トップクラスが正式に会場で競う。
それぞれチームごとにテーマがあり、それによってストーリがある。それにより、衣装や歌や踊りが決まってくる。
上位のチームにそれぞれのチームにスポンサーが付いているという。それぞれ項目があって、
厳格の審査のうえで順位が決まる。去年から見ているが、ハイビジョンのせいもあるが素晴らしい。
一年は全て、カーニバルを中心に回っている。
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H0703ブラジル旅行記

“行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で行われており、
四日間全国がお祭りの為休みとなる。その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれ。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15?16チーム、Cランクは数十チームとなっている。
AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー850mを80分の持時間で
踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、
その年の優勝等順位があらそわれる。そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。
我々のTV新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。
チームは四千名が1チームで構成されており、それが約500名×8チームに細分化され、
統一のコンセプトのもとに仮装が華やかにつくられている。
音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉をかけてつくる。
その作曲も採点の大きなポイントになるという。一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで
延々と踊りの行進が続く。観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。
音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び
行進がおこなわれる。優勝チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けてのよいスポンサーが約束される。
その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれており、
東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。
 ブラジルの印象として残ったイメージとして、キーワードを書くと
“サッカー”と“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝”
そして“汚職まみれの国”である。  さらに加えるなら“まずしさ”である。

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