堀井On-Line



2702, 閑話小題

2008年08月28日(木)


 *首都圏の不動産の本格的倒産が始った
アメリカのサブプライムローンの影響で、外資が一斉に引きはじめた影響が出始めた。
一昨日も「旭ホームズ」が780億の負債を抱えて倒産。
先日はアーバンコーポレーションが2500億円、旧興和不動産が1700億、ゼファーが1000億弱、
セボンが700億、スルガコーポレーションが600億と、たて続きに倒産してきた。
周辺をみると長岡市内も、新潟市内も、過剰なマンション建設がおこなわれている。 
誰が見ても不況の中にあって無謀に見える。 土地の仕入れから完成まで3?5年は最低かかるので、
急な景気停滞に対処できないのが、彼らの宿命である。
完成時には、時代が様変わり、というのが現在の経済状態である。
数日前のTVで、売れ残ったマンションを買い叩いて再販する業者の特集をしていた。
だいたい仕入れ値が、当初の6割。 2割が経費と利益として、8割の売値が相場。
新潟市内も売り出す前から、既に値くずれが生じているという。
これが今後5?10年間つづく大変動の始まりか。 あくまでも始まりであるところが、恐ろしい。

 *星野野球のバッシングが手厳しい
日本野球が負けた時に、星野野球の批評を書いたが、同じことを解説者が言っていた。
「星野の選定したこと、それ自体がおかしい(現役から遠ざかっていた人物の監督、コーチでは)」
「お友達(同士)野球じゃないか、あれらは」とか、私より厳しい評論だった。
ところが、昨日の報道では、選手達は五つ星のホテルに宿泊、一度も選手の宿舎に来なかった、という。
これは、既に問題以前の話である。 
「韓国、中国人で笑っている顔は全くないのに、日本人選手はニヤニヤしていた」
「オリンピックだろうが、そんなことは自分には関係ない」と混血ベトナム人が言っていたとか、手厳しい。
これが現在の日本の姿なのだろう。

 *ロト6で 3億2000万を当てた男
金曜日に、この題名のTVドラマをしている。 面白そうだが見たことがない。
昨日の昼のTVショーで、このモデルになった人が出てきた。
顔を隠していたが、41歳の独身男のサラリーマン。
当てて二年が経つが、現在の残金が9600万円。
そのうち、2億円を株で損。 保険の美人に貢いだあげく、下の病気をうつされたとか。
フィリッピンパブの女性にたかられたとか、お金に振り回される日々という。
誰にも話せないプレッシャーと、ストレスが大きいとか。
そして、それを知った女性は、そのトタンに態度が一変して、たかろうと一心になるとか。
その対談をしていた映画監督の山本晋也は、チャップリンの
「世の中では、勇気と想像力と、少しのお金があればよい」の言葉を紹介して、あまり金は持たないほうが良い、
と最後をしめていた。 その男、損をしたとしても2億6000万円も使ったのだから、そしてドラマ化したのだから。
それだけで良しとしないと。  それより、解るような気がする、それが。今度、そのドラマを見たくなった。

・・・・・・・・・・
2007年08月28日(火)
2338, ホッファー −4
             (*'▽'*)/☆゜’
          ほっふぁー ようさん〜〜〜〜♪ (;-""-);'↑
ー更にHPにあったホファー「波止場日記」の中から言葉を拾ってみるー
            ー 〜〜 ー は感想です。

<たびたび感銘を受けるのだが、すぐれた人々、性格がやさしく内面的にも
 優雅さをもった人々が、波止場にたくさんいる。この前の仕事でアーニーとマックとしばらく一緒になったが、
 ふと気付くと、この二人はなんと立派な、寛大で、有能で、聡明な人間だろうと考えていた。 
 じっと見ていると、彼らは賢明なばかりではなく 驚くほど独創的なやり方で仕事にとりくんでいた。
 しかも、いつもまるで遊んでいるように仕事をするのである>
  ー人間の価値とは何か?最近、解らなくなってきた。誠実であるということ、そして努力をし続けること、
   他人と比較しないこと、知恵を出す術を知っていること、他人ことを気遣いすること、
   他人に笑顔を浮かべること、迷惑をかけないこと。その基準で図れば解るはずだがー
 
<労働者としても、また人間としても比類ないニグロが幾人か波止場にいるのを知っている。
 この人たちは柔和で、誠実で、非常に有能である>
  ー結局は、アメリカこそヒンズー教のような差別・階級社会である。これだけは、仕方がないと割りきるしかない。
   おうおうにして下の人の中に、柔和で、誠実で、有能な人がいるのも解る。ただミス・フィットなだけだー
   
<知識人は自己の有用性と価値とに自信がもてないために、とてもプライドなしには
 立っていけないのであり、普通は国家とか教会とか党とかいった
 ‘ある緊密なグループと自己を一体化してプライドの根拠としている’のである>
  ーロータリー、青年会議所、銀行の主催した会とか、色いろあって名刺に
   ベタベタ書いている立派な方がいる。
   誰も面と向かってアフォと言わないのが日本的で良いが、それにしてもね〜。

<自分自身の幸福とか、将来にとって不可欠なものとかが全く念頭にないことに気付くと、
 うれしくなる。いつも感じているのだが、自己にとらわれるのは不健全である>
  ー不健全の何処が悪い?という声が聞こえそうだが。でも、健全に越したことはないー
  
<全般的に見て、教育のある人間より大衆の方が、人類についてよい見解をもっている。
   ・・・教育はやさしい心を育みはしない>
  ーその人の性格によるが、概してそうみてもよいか?−

<人は、充実した2,3分の間に、数ケ月にわたる努力以上のことを なしとげられるものだ>
  ーそれじゃ、努力した数ヶ月はどうなるの? そういうこともある!というのが本当じゃないか!ー

<私は欠点や欠陥にみちた社会に生きている。
 しかし、この社会は全ての人に好きなことをさせる十分のゆとりをもった社会である。
 ・・・干渉されることなく自己の能力と才能を発揮したい人にとっては、
 この国(アメリカ)は理想的な国である> −そう思うから、良いんじゃないのですか? 違う?ー

<人間のつくり出した実用的な諸道具は、大部分非実用的なものの追求のなかから得た洞察や技術を応用したものである>
  ーインターネットを代表として、軍事産業から民間の転用に多く見られるのが良いのか悪いのか?
   それと昔の王侯貴族の贅沢品?もあるかー

<二十世紀最大の犯罪は、金銭欲にかられた資本家たちによってではなく、献身的な理想主義者たちによって犯された。
 レーニン、スターリン、ヒトラーは、金銭を軽蔑した。 十九世紀から二十世紀への移行は、金銭尊重から
 権力尊重への移行であった、 金は諸悪の根源だというきまり文句のなんという単純さ>
  ー金銭って何?という、基本的な概念が問われなければ、何も解決しないだろう。−
 
<仕事に行く気がしなかった。ほとんど一日中買い物をしてすごした。
 エリックに大きなトラを、そしてリリーにはお盆。25ドルばかりかかった。
 昼、株価のひどい暴落を告げる新聞の見出しに気づいた。大変愉快になった。
 ずいぶん意地の悪い見方だが、私がほくそえむにはそれなりの理由があった。
 株価の上昇はしばしば物価一般の上昇を意味してきた。賃金や預金の実質価格の低下は数千人の
 ギャンブラーたちの破産よりも影響が大きく、不幸な災難となるのである>
  ーこれ以上、落ちようがない立場の真骨頂であるがー
  
<自由に適さない人々、自由であってもたいしたことのできぬ人々、
 そうした人々が権力を渇望するということが重要な点である。
 ・・・ もしもヒトラーが才能と真の芸術家の気質を持っていたなら、
 もしもスターリンが一流の理論家になる能力を持っていたなら、
 もしもナポレオンが偉大な詩人あるいは哲学者の資質をもっていたなら、
 彼らは絶対的な権力にすべてを焼きつくすような欲望をいだかなかっただろう。
 ・・・自由という大気の中にあって多くを達成する能力の欠けている人々は権力を渇望する>   
                  −権力って最高の自由って見方は出来ないのか?−

 彼が愛読したモンテーニュの「エセー」の言葉
<ベッドで死ぬよりも馬の背で死ぬべきだと思う。自分の家を去り、縁者たちから遠く離れて死ぬべきだと思う。
 友人たちと愉快に生きよう。しかし、死ぬときは見知らぬ人々の中で死のう>
    ーこれに向かって生きたのがホッファーである。孤独を守るこそ人生の核心である。言葉では幾らでも言える。
    しかし、彼は人生を通して彼は守り通したところに彼の生き方があるー
              ○´・ω・]ノ ヂャァネッ !
 ・・・・・・・・・
 2006年08月28日(月)
1973, 三回目のケニヤ旅行 −1

ケニアに行ってきた。 家に着いてまだ二時間だが、現実に帰る前に書いている。
これでタンザニアに行った時に通過したことも含めて4回目になる。
旅行をしていて気づいたことは、三回で充分。
タンザニアのセレンゲッテーか、南アフリカのオカバンゴにすべきであった。
といってもケニアの大地は、そこにいるだけでも精気を充電でき、バカンスとしては十分に満足できた。

今回のハイライトを印象度から書いてみると
①まず初日のサンブルのサファリでみた、豹のペアリングである。
 これは、プロのカメラマンでも、ほぼ見ることが出来ないもの。 これだけでも、
 今回の元をとってしまったといってよい。(しかし、初日に何枚か撮った写真を間違えて全て消去してしまった。)
 仲間内のSDカードをコピーしてもらったので、何とか・・・
②マサイ・マラの夕景も良かった。あとで写真を掲載するが、マサイの夕陽は何ともいえない哀愁がある。
 そういえば以前のヌーの河渡りのウォッチングの帰り道の夕景の小高い丘の光景を思い出した。
 一匹取り残された足の折れたヌーが怯えて、神経質に周りを見渡していた姿。
 夕景は死の間近を暗示、 足の折れた姿は病気を、一匹取り残された姿は孤独を、
 人間の死期を悟った時の心象風景そのものである。夕陽の赤に近いオレンジ色は、朝日の色にも似ている。
 死と生は酷似しているのだろう! 今回の夕景は 2~3日うちに掲載予定。
③いつも感動するのが、ナイロビからマサイマラに向かう道路からみる大地講帯の広大な風景である。
 それも、どんどん変わっていく風景が素晴らしい。 これも見ているだけでも心が洗われる。
④アバーディアのサファリで見た、小さな川での二匹の象の水場での争いも
 印象的であった。一匹の象が水を飲んでいるのを後できた象が待機していた。
 やおら飲み終えて帰ろうとしたのを見はらかって、待機をしていた象が歩き出した姿を見て、帰るのを止めて後ずさりをして
 その象を頭で押し返してしまった。さらにその河水飲み場に糞をして嫌がらせをした。何か人間の浅ましい姿に似ていた。
⑤サンブルでの、変わった動物が次から次へと見れたことだ。
  特に印象的であったのは、網目キリンと、オリックス、ディクディク、ゲレヌクなどが印象的であった。
 
 前回の、ヌーの河渡りの時も、そうだったがアフリカに来る人は癒しを求めてやってくる。
 あの大地は、そこにいるだけで心が洗われる思いになる。
 今回も、充分過ぎるぐらいの精気をいただいた思いである。

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2005年08月28日(日)
1608, 日本人「上機嫌化」プロジェクト−1

またまた斉藤孝だが、文藝春秋・7月号<日本人「上機嫌化」プロジェクト>が面白い。
鬱々とした空気の現在の日本で、読めばみるみる元気になる方法を書いている。
少しふざけた文章なのだが、なるほどと合点がいく。
戦後、日本はバブル崩壊までずっと右上がりの経済成長の環境を背景に、前向きな熱気の中で生きてきた。
失われた10年、いや15年とかいう右下がりの時代になって、全員が自信を失い、前途に明かりを見出せないでいる。

著者は、この文章で、日本人の本来持っているエッセンスを抽出して、社会全体で確認しなおす必要性をといている。
そのエッセンスとして次の6つをあげている。「上機嫌文化」「子供文化」「とにかく流す」「身体からはいる」
「気づかいを育てる日本語」「はかなさを愛でる」である。 その中で特に面白のは、「上機嫌文化」である。
最近は世界でも有数な欝病気質だといわれる。 不景気のせいだが、これは本来の日本の姿だろうか。
私の過去を振り返ってみても、著者のいう「上機嫌文化」が背景にあった。高度経済成長期は特にその傾向が強かった。
彼はこの文章の中で、19世紀末に日本に来た外国人作家などの旅行記に描かれている日本人の姿を紹介している。

ーその文章を抜粋してみる
19世紀後半、日本に1ヶ月ほど滞在してフランスのボーヴォワールは、こんな光景を目にしている。
<たいへんお茶のみで、煙草とおしゃべりが大好きな日本人は、この火鉢を前に一日を過ごす。・・・
我われの入ったどの店でも、我われの国では見られないような丁重さと、人を引き付ける愛想のよさをもって応対した>
また同時期に東アジアを旅したオーストリアの軍人グスタフ・クライトナーはこんな光景をみた。
<荷物を担いでいる人たちは、裸に近い恰好だった。肩に竹の支柱をつけ、それにたいへん重い運搬籠を載せているので、
その重みで支柱の竹が今にも割れそうだった・・・・しかし難儀な仕事をしているにかかわらず、この人たちは上機嫌で、
気持ちのよい挨拶をしてくれた。彼らは歩きながらも、締めつけられた胸の奥から仕事の歌を口ずさんでいた。>
日本人はかって、このようにストレスの解消の手段が非常に多く用意されていた。
まずは、上機嫌を取り戻すことだが、この不景気という環境にとりあえず慣れることか。              
                                    ーつづく
・・・・・・・・・
2003年08月28日(木)
876, 「2003年、日本国破産<対策編> 」
  ーYEN(円)と国債が紙クズとなる日が近づいている !?

 この内容も前回の本に劣らないほどショッキングである。
・まずは2003年に前兆があらわれる(4年前の文章)ー金利上昇、円安、デフレの終了
・2005~7年にはかなりの事があらわれる ーインフレのスタートなどのスタート
・2010年ー国家破綻などが私たちの前に重大な脅威として本来の姿を現す。
 国の借金が雪ダルマ式にふえていき、20㌫近いインフレで国民生活に重大な脅威が生じ始める。
・2010~2015年 日本がIMF管理下に入る可能性もある。(ハイパーインフレと経済の大混乱)
・2025年ー国家破産と老人大国化で政府そのものがぼろぼろに。インフレ以外は現在の日本は既に
 その状態であるといっても過言でない。そして著者が書いている2003年になっても、大した対策を立ててない。
そうすると、この本の通り最悪を想定しなくてはならない。
最近になって、事業をこの規模にとどめていて良かったと思うようになった。
いややり過ぎだったのかもしれない。昨日以前読書日記に書いた「財産をなくす人財産を残せる人」
の著者・清水洋のセミナーに東京まで行ってきた。 内容を明日書くが絶望的な見解であった。

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2002年08月28日(水)
502, 40才の禁酒ー隠れ酒の味

30歳になった記念で、10年間の喫煙を止めた。
大変だったが、それから体調がかなり良くなった。そして40歳の年に禁酒に挑戦をしてみた。
約半年で頓挫をした。宣言をした翌日が義弟の結婚式だった。 結婚式場で隣の人に
「何馬鹿を言っている!明日からにしなさい!」と出鼻をくじかれ飲まされた。まずは幸先が悪かった。
自分を律する手段で周囲の人に宣言をした。しかし一ヶ月もしないうちに、禁断症状が出た。
そして台所にある料理酒を、皆が寝静まった後に飲み始めた。その後、水を入れて誤魔化すのだが。
だんだんその酒が薄くなり、家内が気がついたのか首をかしげていた。
そして半年たって、人に勧められて一寸一口飲んでから、だんだんエスカレートして、最終的には元に戻ってしまった。
約束をしたメイン銀行の支店長が都合の悪いことに?転勤でいなくなってしまった事もある。
その後その反動で、より痛飲をするようになったのだから始末が悪い。
最終的には、「一人酒をやらない、自宅で日本酒は飲まない、自分から人を誘わない、自棄酒は飲まない」
というルールをつくり自己規制をしている。隠れ酒の酒のうまさは格別であった。

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2001年08月28日(火)
[124] 酒乱-鵯

酒飲みの悩みの一つに酒乱がある。私も酒乱のけがある。
酒による失敗は数あげれば限がない、命を失いかけた事も何度もある。
ある限度を越すと、スケベイになるか喧嘩だ。最近は笑いだ。とりあえず笑いの種を探す。
5年前に毎年やっているいる高校と小学校の同級会が同じ日にあった。5年に一回の小学校の同級会に出た。
二次会に行くと10人位の暗い集団がいた。高校の同級会の二次会に遇然鉢合わせたのだ。
その時本当に嬉しかった事を思い出す。その中の一人が
「おい堀井!こっちの会にに出てこいや、お前がいねえと葬式だいや!」
その時これだな!と思った。愉快な酒これほど楽しい事はない。 今は明るい酒乱!になっている。
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H0905 宴会好き!
 創業来16年、当社の宴会が110回以上という。
私も宴会が好きな上に支配人がさらに好きというのがこの回数になったのだろう!。
忘新年会、工事関係の祝賀会、海外旅行の出発、帰国、理由をつけてよく飲んだものだ。
もともと私の父が宴会好きであった。酒はあまり飲めなかったが、その雰囲気が好きで年に2回ぐらい、
無礼講で家族と従業員と取引先数人を集めて50〜60人の会を開いていた。

これが私の4〜5歳の時からで、親の目を盗んで日本酒を飲んでいた。
今考えてみても相当の盛り上がりで、これほど楽しい思い出はない位だった。
芸者や幇間や素人芸人を呼んで“粋”な会でもあった。
丁度、父が私と同じ位の年齢で親子がカタチを変え同じ事をくり返していると思うと
“三つ子魂”何やらである。当時の貧しい時代のハレとケのハレであったのであろう。
今でも忘れられない芸の一つがある。畳の上に一本の紐をおき、その上をあたかもサ−カスの綱渡り
のマネをする芸であった。酔っているその姿が危なく面白おかしいのだ。その人も10年位前、痴呆で亡くなった。


2701, 地球史における革命的事件

2008年08月27日(水)

  6500万年前に巨大な隕石が衝突し、恐竜が絶滅したというドキュメントをTVでみた記憶はある。
  この本で知ったことだ、米ソの核の爆発のエネルギーの1万倍の規模とは驚いた。
  当時、「もし核戦争で起こって核が全て使われたら人類を数万回は殺戮できる」と聞いていた。
  その一万倍の破壊が6500万年前に実際あったのである。 それが現代に来たとした物語の映画が幾つかみたが...
  その御陰で、恐竜が絶滅して人類の祖先が生まれる環境が出来たのである。
  1000万年遅れれば、我々人類の祖先さえ、まだ地球上に存在してないのである。
  
以下は「レンタルの思想」を読んで、さっそく取り寄せた本にあった地球にとっての
  革命的事件の内容を抜粋した。
  −−−
「地球システムの崩壊」松井孝典著  −読書日記
  *地球史における革命的事件
   〜〜〜
K/T境界層と略称される地層がある。絶対年代では、6500万年前の地質のことである。
この年代を境に、生物の絶滅が起こっている。それぞれの地層にふくまれる化石に基づいて
その年代が決められる地質年代では、その前後の年代を、白亜紀、第三紀と命名して区分している。
それぞれの年代の、外国語表記の頭文字がKとTなので、その境界の地層は、K/T境界層と呼ばれる。
この地層は世界中至る所に分布する。もちろんわが国にもある。・・・・・・

カリフォルニア大学の、アルパレスという地質学者を中心とするチームが、そのK/丁境界層で、
イリジウムといら元素が濃集している事を発見し、それが巨大な隕石の衡突によってもたらされた、とする学説を、
サイエンス誌に発表したのである。 それが地球史観においてなぜ革命的なのかといえぱ、従来、
地質学の根本原理といわれていた「斉一説」を否定するものだったからである。斉一説とは、前にも紹介したように、
現在生起する自然現象が過去においても同様に起こったと考え、従ってそれを前提にして、地層に残された記録を
解読しようとする考え方のことである。 天体衝突のようなアドホックな現象を排除して、地質詑録の解釈をするのが
より科学的、ということで導入され、悟奉されてきた。 その後一〇年くらい、この論文の妥当性に関し、論争が読く。 
論争に終止符がうたれたのは、1991年のことだ。メキシコのユカタン半島において、その地下に6500万年前に形成された。
直径180キロメートルに達する巨大なクレーターが発見されたのだ。 一九九四年、筆者は米国、メキシコの研究者らと共同で、
このチチュルブ・クレーターと呼ばれるクレーターの地琢物理学的調査を始めた。多くのダイナマイトを使うことなどで、
許可まで時間がかかったが、一九九六年にようやく、地質調査の許可を得るところまでこぎつげた。 予備調査を開始したところ、
欧米やメキシコのK/T境界では、これれまで報告されないような異常なK/T境界層が存在することを発見した。・・・・

例えば、ぺニャ一ルベル層、ババナ周辺の100キロmくらい渡って、東西に分布する。
それぞれが場所ごとに、様々な厚さをもつ。それらは、当時のユカタン半島の東に分布した地塊の、大陸棚斜面ドに、
東.西に分布したひと連なりの地層と考えられる。ユカタン半島に、直径10キロメートルを超える巨大な阻石が衝突し、
直幡180キロメートルに連なる巨大なクレーターが形成されたその時、衝突の衝撃波は大地を揺るがし、
海には波長が1千キロメートルにも達するような、また海岸ではその波高が数百メートルに連するような、巨大な津波が発生した。
地震により大陸棚の斜面は崩壊し、すざましい土石流となって海底に滑り落ち、更に津波によって運び込まれた土砂で、
海は汚され、泥海と化す。それらが堆積し、形成されたのが、キューバ各地に堆積されたK/T境界層である。

これらの地層を調ぺた結果、それまで知られていなかった、いくつかの新事実が明らかにされた。
ひとつは、いずれもが、津波によって形成されたことである。天体働突と津波とがどう結びつくか?
直後10kmの巨大隕石が秒速二〇船瓠璽肇襪鯆兇┐訛度で衝突すると、
その瞬間、膨大なエネルギーが解放される。その衝突のエネルギーは、かって米ソが冷戦時代
に保有していた核弾頭のすべてを同時に爆発させエネルギーにひってきする。
今は亡きカール・セーガンらが指摘したように、全面的な核戦争が起これば、
いわゆる"核の冬゜呼ばれる地球環境の変動が起こるが、この衝突によぞ引き起こされる
環境変動は、そのエネルギーの比較からもわかるように、それとは桁違いの大きさである。
 〜〜〜
 その衝撃のため生き延びたのが海中の動物と、小動物だったというのも注目に値する。
 地球システムからの人間圏への報復は、この延長ならもっと大きな事態になるのだろうか?

・・・・・・・・・
2007年08月27日(月)
2337, 郵便配達夫シュバルの理想宮  −1
                                 ゚∇^*)オハヨ♪
 「郵便配達夫シュバルの理想宮 」−河出書房ー岡谷公二著

図書館の返却コーナーで見つけ一昨夜読んだが、とにかく面白い! 
以下は、シュバルの理想宮の概要であるが、私好みである。最近は、普通の成功話など何とも感動などしないが、
こういう馬鹿と気違いの紙一重の話には興味をそそられる。 それもユング的な世界を、
そのまま理想宮という形で33年間もかけて、コツコツと創りつづけるなど、何と感動ものである。

ーまずは、その概要というとー
   (字数の関係でカット08年8月27日1)

ーーーーーーー
2006年08月27日(日)
1972、事業百訓ー1996年(10) 
  (字数の関係でカット08年8月27日)
ーH0805 エジプト、トルコ感激の旅  ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。まず最初に訪ねたのがカルナック神殿。
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
 日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの熱心な説明も手伝って
古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
空に天を指すオペリスクとラムセス�世などの王や神の像の数々、今まで何度か海外旅行をしていながら、
何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。
 次に行った“王家の谷”。ここは何代の王様の墓が、 かくれるように数々掘られている集団墓地だ。
この中で英国の考古学者カーターの執念でつきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
 また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と、そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な光景も印象的であった。
 その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス�等の巨大な立像も実際そこに立ってみて
古代歴史の深さを実感する事ができた。またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という
小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、一瞬の中に永遠を感じる事ができるようだった。
 旅の後半になってカイロに入ったが、ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”という、
まさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化されているのが対比する事ができた。
 早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、それがイスラム教という。
 カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげたピラミッドも本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうなラムネス�をはじめとする数々のミイラも
数千年をこえて、不死への激しい希求を魂に語りかけてくるようであった。

ーH0805 エジプト、トルコ感激の旅  −トルコ編 ー
 トルコといえばキノコ岩等の奇岩の群れのあるカッパドキアが有名である。
トルコ中央に位置しているアンカラの南東に広がる高原地帯にある。
中世にイスラム教徒の圧迫により逃れ逃れたキリスト教がたどりつき、奇岩をくり抜き洞窟教会や住居をつくりあげた聖地。
まさにSF映画やアニメ漫画に出てくるような現実ばなれした奇景そのもの。“本当にここは地球上?”と息をのんでしまうほど。
 その近くにあった地下都市・カイマルクも異教徒からの目から逃れる為の秘密地下都市群。
あちこちに蟻の巣穴のように縦横に掘られており、地下のマンションと形容できた。
一万人以上が何世紀にわたり隠れ住んでいたという、信仰の深淵さをみた思いであった。
そして、その帰りのバスの中より夕景の“大きな 丸い真赤の月光”も生まれて始めてみる生涯忘れられない光景であった。
 イスタンブールの地下宮殿と呼ばれている地下水道の貯水池“イエレバタン・サライ”も非常に印象的なものであった。
十二列×八mの列柱が三百三十六本整然と並んでおり、その一本の柱の下に神話に出てくる女神、メンドーサの石首が
土台になっているのが神秘的だ。バック・グランド・ミュージックにベートーヴェンの第九が厳かに流されていたが、
その場の雰囲気にぴったりであった。
 トプカプ宮殿では、かのオスマントルコ帝国が、何世紀にわたって世界中より集めた秘宝がところ狭しく展示してあった。
リンゴ大の四十数カラットのダイヤモンドや純金の椅子には驚いた。
宮殿もその絢爛たる宮廷生活をしのばせ、四〇〇年間のスルタン(皇帝)の日々が目に浮かぶようだ。
 また、イスラム寺院のブルーモスクやアヤソフィアも、その荘厳な内部も圧倒された。
私自身、気功をやっている為か、右手がいたくなるほど、しびれがきたのには驚いた。
 これだけの深い歴史の国に四日間だけで、ほんの一部しか触れる事はできなかったが、
この国の“光”の一部はしっかり見たつもりである。 最後に行った巨大市場、スークも面白かった。
五千の貴金属、みやげ物を売っているが、ほとんど偽物の金銀の貴金属商品という。
そういう目でみると逆に面白いものばかりであった。 殺人的なスケジュールの十日間の旅であったが、
中味の濃い感動・感動そして感激の日々であった。
                          (H 8年.1月30日〜2月8日)
ーH0807  インカ帝国<夢の旅> ーマチュピチュの遺跡編  ー
 ペルーはインカ帝国がスペインに滅ぼされるまで文字が一切ないという不思議な文明の国であった。
その為かプレインカ(インカ帝国以前の文明)と、インカ帝国がより神秘的にナゾめいて来る。
その圧巻がマチュピチュの遺跡である。高度三千三百mのインカの首都であったクスコよりバス、登山列車、
登山バスを乗り継いで四時間あまりの行程。 四千〜五千mの山々の谷間に、突然小さな(といっても二千三百m)
山が見えてきた。
 そこに空中都市といわれるマチュピチュの遺跡が、霊界のように造られていた。
まさに地上世界ではなく「あの世」を思わせる神秘的、霊的、宇宙的な別世界である。
エジプトのカルナック神殿をみた時の驚き!と同じか、それ以上の驚嘆に一瞬につつまれてしまった。
あれだけTVドキュメントと写真でみていたのに、“現実にみると全く違う!” 神秘的あまりにも神秘的、
いや霊的神性という言葉が、ぴったりとする! 本当に地球は広いそして深い!とあらためて実感した。
 この空中都市は、インカの人々がスペイン人より逃れる為と復習の為の作戦都市といわれている。
そして突然、この都市を焼き払い奥地へと消えていき、 まだ発見されてない地に伝説のそして幻の
ビルカバンバの都市を建設したという。マチュピチュを去る決意をした人々は老人と“太陽の処女”たちを殺し、
その一角の墓地に葬った。この遺体がこの遺跡が発見された時に一緒に発見されたという。
私もこれだけの異界文明の“すごみ”を経験するのは生涯で初めてであった。
まさにSF小説の地を夢で浮遊しているようであった。

ーH0807インカ帝国<夢の旅>  −ナスカの地上絵編ー 
 AC百〜六百年の昔、海岸から三百八十kmの乾燥地帯に一つの文化が栄えていた。
謎の地上絵で知られるナスカ文化である。彼等は何を思ってか九百k屬砲錣燭觜大な大平原に直接、
三角形の図形と線の動物、虫、植物、宇宙人(?)の絵を描いた。
(その絵と同じものが当時の土器に描かれているので、彼等の時代に描いたのが判明できたという。)
 その地上絵は飛行機ではじめて発見、判明された。それが何を意味しているのか、
宇宙人説、空飛ぶ人間説、星座をあらわすカレンダー説などあるという。
灰色の土地を十cmも削ると黄色の地面が出てくる。それを三十cmの巾で十〜三百mにおよぶ絵をえがいている。
その数がペルー全土で二百以上あるという。そしてその多くがナスカに集中している。
 セスナ機で二十分位飛んだ大平原にあちこち見えてきた。
本当に宇宙人にみせる為としか思えない。“UFO”のまさに世界である。
少なくとも、このフライトの間は宇宙人は本当に存在しているのでは?と確信したくなる光景であった。
ハチドリ、クモ、コンドル、サル、宇宙人の絵と、その背後に何キロにわたる縦横に描かれた直線は、
誰に見せる為のものであろうか不思議そのものである。
 編みあげの髪の毛のインデォのおばちゃん、アンディスの山脈、チチカカ湖にすむ原住民の素朴な生活。
そして世界の七不思議といわれる巨石建設の技術等に、強烈なペルーの魅力的な世界が今でも脳裏に
やきついてはなれない。高山病に悩まされ死ぬ思いであったが、そんな事は些細に思わせるほどの
聖なる不思議な日々であった。
 (次の南米はペルーの反対側にあるキアナ高原にある世界最後の秘境、テーブル・マウンテン)
                              ーH08年6月6日〜
ーH0809 大地の果て南アフリカー
 はじめに南アフリカに注目した時、何と遠い国かと思ったが、
 英国・ジンバブエ・ボツナワと飛行機を乗り継いで本当に“遠くへ来たものだ!”と実感した。
 わずか十一日の間にこれだけ多くの見聞と感激と驚きを経験できるとは…。
 ツアーの同行者十名が二十〜五十回以上のリピーターが大部分で、トラベルにつきもののトラブルを
 全員で逆に楽しむ強者ばかり。そのためかストレスが最小に済んだ事もあって、非常に楽しく味わい深い旅行であった。
一番の圧巻はジンバブエにある世界三大瀑布の一つのビクトリア滝であった。
 リビングストンの発見したこの滝は幅千七百m、落差百五mあり、
 まさにあのイグアスの滝に匹敵する壮大かつ豪快な男性的な景観であった。
 またそこでの超恐怖体験のバンジージャンプは、この旅行のすべての記憶を消しさる位の強烈な体験であった。
また次に行ったボツナワ共和国のチョベ国立公園でのサンセット・サファリと、
  翌朝のポート・サファリもケニア・サファリと違った味わい深いものであった。
  野生の象がハトやスズメのように街の中へ入りこみ、木の葉を食べているのには腰を抜かさんばかり驚いた。
  そしてロッジに帰ってくるとホテルの柵の入り口に、やはり五〜六頭 木の葉を食べていた。
  ケニアの殺気だった緊張感がまるでなく、田舎の、のんびりしたアフリカ…
  という感覚であった。ここでは象があまりに増えすぎ間引をしているという。
喜望峰も感激の連続であった。 大地の果ての峰の左にインド洋、右に大西洋という。
  ここでしか見られない高台で海をみとれていると、何と!クジラが泳いでいるのが見えたのだ!
  これこそ喜望峰での最高の見ものであった。 また喜望峰に来る途中でたち寄ったミニ・クルーズでの、
  数千頭のオットセイの群れの岩場も印象に残った。帰路にたち寄った小さな湾の野生ペンギンの群れに
  一〜二m近くまで近づき顔をつきあわせたのも、自分が人間である事を一瞬忘れてしまいそうであった。
南アフリカといっても、ヨハネスブルクは一千万人近いロスアンゼルスを思わせる大都会であった。
  ケープ・タウンも人口百三十万人の高速道路、高層ビルがたちならぶ超近代都市であった。
  反面、地方の大部分が超貧困層の黒人が占めており、まだ深刻な人種対立が根が深いようだった。
  現地の年配の英国人妻の日本人ガイドの視点よりみる、人種間の対立の話を聞くうち、あくまで我々は生活者でなく、
  旅行者(通行人)でしかない事を思い知った。まだまだほとんど書けないほど多様な旅行であったが、
  どこに行っても人間の普遍性とそれぞれの文化の多用性、特殊を見ることができるのが旅行の最大の収穫でもあった。
                                        H 7.10/27〜11/6
  ーH0809 愛と憎しみと価値判断ー
「“愛”の反対語は“憎しみ”ではなく、“価値判断を下すこと”」という言葉に接して、
その深い含蓄ある意味を私なりに考えてみた。この事よりまず愛の一面の意味として“価値判断を下ださずに、
1歩さがって見守る”という事になる。“憎しみ”とは“価値判断を下す事”それより生じる壁を相手との間につくる事、
それはとりもなおさず自分の壁をつくる事につながる。それはその壁を越えてくる(相手)、事象の拒否感情といえるのではないか。
この壁の内側は長い間の価値判断のくり返しにより、ますます卑小化していく。 そしてマイナス思考回路の習慣化と、
その結果としての病気の誘発を供う。 価値判断を下さない事はそれでは可能なのだろうか!?という疑問も残るが、
対象を“あるがままの姿でみる(きれいとみるでなく、きたないとみるのではなく、そのままみる目)が必要となる。

  ーH0811  人生の楽しみ方ー
 遊びの定義とは“自分の好きな事をして、それを楽しむ”というらしい。人生五十年の実感として
全く苦労した感が少ないのは、自分で目標をたて、そのプロセスを楽しんだ為とハタッと思った。
 もっとも“自分の目標をたて、それを楽しむ”までの準備期間と、そのエネルギ−は大変であったが。
両親がこの達人であった。仕事も趣味も本当に楽しみつくしていた。“お金”とは楽しみの滓と父は常々いっていた。
母もありとあらゆる趣味を持っていた。そのほとんどが一流の域に達していた。
 そのポイントを聞いた事があるが、“好きになれるかどうか、そして自分のモノになれるかどうか
始める前に見きわめる事、そして手をつけたら死んでもその域にいくまであきらめない。
そしてライバルをみつけて、その人についていく事”という。何事も遊びにまで昇華していく事がその主旨のようだ。
制約等でワクをはめられて“好きな事”ができないなら、“好きになる事”だ。
好きになれないのは自分の“主観”の固さでしかない。ある新興の大手企業で社是として
“おもしろ、おかしく”にしているのを知って驚いたが、単純だが奥ゆきの深さを感じる


2700, 「レンタルの思想」−6

2008年08月26日(火)

                        ー 読書日記
 進化生物学者の長谷川真理子との対談が面白い。
ネアンデルタール人と、現生人類が重なってた時期があるが、何故に 現生人類が生き残ったのか?
脳の大きさよりコネクションが違っていて、そのことが多くの道具を使うことを促して生き延びたこと、
言語能力が格段と上だったこと、更に病気に対する抵抗力の差があったという。
そして「おばあさん」の誕生が現生人類の特徴という。 それまでの色いろな人類のメスは排卵が終わると
直ぐに死んだ。 しかし現生人類の女性はその後も生き延び、お産のノウハウを娘に伝授したので人口が増えたという。
人骨から「おばあさん」の骨が多く発見されたことから分かったという。 面白い節である。
 〜〜
ーおばあさんの誕生ー 長谷川真理子×松井孝典

  *おばあさんの不思議

長谷川: いまある限りの現生人類の骨から年齢を測ると、おばあさんの骨が含まれているから、
 長生きしたのだと思います。
松井: それは現生人類が繁栄するという意味で、非常に本質的な点ですね。
 なぜそうなのかについて何かアイデアはあるのですか。
長谷川: 「グランドマザー仮説」というのがありまして、祖母の知恵が、娘が母親になるときの孫の
 生存率を上げたのではないかと言っています。
松井: それはそう思いますね。出産の経験がまったく蓄積されないで単なる生物として初めて出産を経験するのと、
 出産とはこういうものだということをあらかじめ意識として持っているのとではすごく違いますよね。
長谷川: 全然違いますね。
松井: それで人口が増えることに加えて、寿命も長くなるわけで、環境には二重の負荷がかかる。
長谷川: そうですね。でも流行病とかが時々ありますから、長いこと人間の人口はそんなに増えませんでした。
 だけどまず一万年前に増えて、それから産業革命から増えて・・。でもそれから豊かになると出生率が減るでしょう。
 進化的に生物として考えると、 自らの繁殖率を減らそうとする生き物はいないわけです。
 豊かになるということは条件がよくなるわけで、条件がよくなると普通はもっと産むので、
 だから人間がどうして豊かな暮らしになればなるほど持ちたい子供の数が減るのかなと。
松井: おばあさんが存在するという不思議と、もう一つは豊かさがあるところに達すると産まなくなるという不思議と。
長谷川: 全世界的にそうです。それがどうしてそういう心理状態になるのか。
松井: やはり出産が大変じゃないのかな。本当は産みたくないんじゃないのかな。
長谷川: それもあるかもしれませんが、進化生物学的に考えれば、そんな心理を持つこと自体が 不思議なことですから、
いろいろモデルをたてて研究している人がいます。そこから見えてきたのは、べつにこういう先進国だけではなく、
牧畜民の社会とか、農耕社会とか、少しでも富の蓄積ができたあとには、 子供だけではなくてー子供も富と数えてー
持っている富全体を最大化しようとするみたいなのです。・・・・・
  〜〜
 (−対談を終えて) 松井孝典
これまでの人間論には、生物学的人間論と哲学的人間論があった。
今回は生物学的人間論とはいかなるものか、ということで長谷川さんと対談した。
現生人類の起源には、多地域進化説と出アフリカ説とがあり、後者が有力になりつつある。
現生人類はなぜアフリカから拡散したのか?あるいは数万年前、同じ地域に存在した
ネアンデルタール人が絶滅し、ホモ・サピエンスが繁栄したのはなぜか?現生人類は
なぜ人間圏をつくって生き始めたのか? など、生物学的人間論には興味ある問いが数多く残されている。
そのすべてを議論するには紙面が十分ではなかったが、今回の対談で、少なくとも上に挙げた問いへの
答えは出せたと思っている。 なぜか知らないが現生人類には、おばあさんが生存できるという特徴と、
言語能力が格段に高いという特徴がある。この二つの特徴が、現生人類をして短期間に世界へ拡散させ、
それぞれの地域での繁栄をもたらし、一万年くらい前の環境変動に対し農耕牧畜という生き方を選択させた。
今回の対談で明らかになったように、右肩上がりを前提とし、共同幻想を抱いて生きるといういまの生き方は、
現生人類の誕生以来の生物学的特徴なのだ。
宇宙からの傭鰍的視点はこの特徴に対し、何らか有効なフィードバック作用をもたらすだろうか?  (松井)
 〜〜
言語能力を高くして、より良い情報手段を獲得して長生きする。
 それが現代の特徴ではないかい?? 私もか!

・・・・・・・・・・
2007年08月26日(日)
2336, ホッファー  −3
        (★>з<)。o○[ォハヨ]○o。

一昨日、アマゾンで注文をしていた中古本の、ホッファーの自伝が送って来た。
一昨夜半、二時間かけて読破したが期待したどおりの内容であった。 ミス・フィットや港湾労働者の立場で、
何故独学であらゆる分野の知的好奇心を持ち続けることが出来たのだろうか、まず疑問を持った。
それは7〜15歳までの盲目体験である。そして、彼の父親がやはり労働者に係わらず、
読書好きの教養人だったことが彼の勤勉性を培ったようだ。

さすらいのホームレスから見た、ミス・フィットの人たちの生態も克明に書かれていて、
時空を越えた当時の生身の生活が垣間見れ、彼と一緒に20世紀前半のアメリカを
彷徨っているような気持ちになってしまった。 ホッファーの言葉を幾つかのHPから拾ってみた。
  なかなか含蓄の深い言葉ばかりである。     (ー 〜〜 ー は私の内語である。)
  ーーーー
  
<世界で生じている問題の根源は自己愛にではなく、自己嫌悪にある。>
 ー自己嫌悪を無くすには、他人への愛が必要ということ!
  自己愛は、人への慈愛から育てるのが近道。それが出来ないのが人間か〜
  でも、半々と割り切ってしまうしかないか、自己愛と自己嫌悪!
  他人が嫌ってくれているのに、自分まで同調することもないだろうにー  

<驚くべきことに、われわれは自分を愛するように隣人を愛する。
 自分自身にすることを他人に対して行う。自分自身を憎むとき、他人も憎む。
 自分に寛大なとき、他人にも寛大になる。自分を許すとき、他人も許す。
 自分を犠牲にする覚悟があるとき、他人を犠牲にしがちである>
 ー{これはホッファーの「思いやり」についての最も深い部} というが、
  自己犠牲という奴ほど、自己というエゴがヘバリツイテイルということに
  注意しないと、軽い?人間のボランティアになってしまう。解る?その意味ー
  
<私の言う知識人とは、自分は教育のある少数派の一員であり世の中のできごとに
 方向と形を与える教授の権利を持っていると思っている人たちである。
 知識人であるためには、良い教育を受けているとか特に知的であるとかの必要はない。
 教育のあるエリートの一員だという感情こそが問題なのである>
 ーそういうこと!「教育のあるエリートの一員」か〜? 
  エリートなんぞ対比の問題でしかないのが解らないのは、単なる馬鹿!
  ある本を読んでいたら、何処かの大学の教授が自らを日本を代表する教養人と のたまっていた。 
  まあ、可愛いいから許せるか?−
ー字数の関係上カット(2008年08月25日)

                     バイヾ(・ω・`)ノバイ
・・・・・・・・・
2006年08月26日(土)
1971.事業百訓 ー1995年(9)

ー H0701新年にあたりー
 ー字数の関係上カット(2007年08月25日)

ーH0701  事業百訓 ー
446 “ドーナツの穴”、あれこそ色即是空です。
  ああそれと小沢昭一がいった“色っぽい事をすると空しくなる。
 ”あれも、まさにその意味をいいあてている。 −永六輔
  447 業態とは損益分岐点である。−ヨーカ堂、鈴木社長
  448 「自分なりに」を禁句とせよ!
   自分を限界づけて、その範囲内という意味におちいってしまう。−田舞徳太郎
  449 ほうたいをまいてやるなら、他人の傷にふれてはならない。−ヘッセ
  450 人の痛いのは三年でも我慢する。−ことわざ
  451 好きな事より、してよっかったと後で思える事をせよ。−ドバル
  452 真理はしばしば矛盾の中にある。
  453 釈迦については、人類史上最初に人間の肉体と人生より
  “精神”というものを抽出し、凝視し、よき作用を見、悪しき作用の機能を指摘した。
   さらに悪しき作用を押さえこむ処方まで与えた。 それが仏教であるといえる。
  この凝視と方法に医学が気付くのに十九世紀末のフロイトまでまたねばならなかった。
                               −司馬遼太郎
  454 「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」私の教会の牧師は「悪口のほうが罪が深い」といわれました。
   大事なものは取られても生活を根底より覆されるような被害ではない限り、いつか忘れる。
   それで自殺した話は聞かない。 しかし悪口を言われて死んだ老人の話や子供の話はよく聞きます。
   それは人をおいやり子供を精神薄弱にする力がある。...私達は二つの尺度を持っている。
  「自分のする事は、そう悪くない」「人のする事は大変悪い」自分の過失を咎める尺度とは、全く違う。
   ...自分の未来を勝手に決めないで下さい。こんな未来しか持ってないと、わかった顔をしないで下さい。
   紙の書かれるシナリオと貴方の書かれるシナリオは全く違うのです。..ドイツのことわざに
   “共に喜ぶのは二倍の喜び、ともに苦しむのは半分の苦しみ”があります。−三浦綾子

ーH0701  テーマ日記ー
(字数の関係でカット08年8月26日)
ーH0703 事業百訓ー
455 行動の動機が、行動の本当の判断基準である。 みかけ上は同じような行動を千人がする。
 本当はその動機が違えば、みな違うものである。
<なぜなら行動とは意志のことだからである。>しかし意志は行動と同じではない。
<行動せずに考えたり、意志したりすることは、そこにチャンスが存在するとしても
“壺”の中の炎や、砂にまかれた種と同じである。燃えずに消え、芽を出さずに死んでしまう。>
仏教徒と同じようにスウェデンボルグは、人間とはその人の意志した行動の総和だと断言する。
<人間の霊的肉体とは彼が自分の意志によってした行動以外の何ものでもない。>
そして<天国への道は、この世の外にあるのではなく、この世にある。>(スウェデンボルグ伝より)
456 自分の“木”をみつけるべし。さがしつづければ、ある日その木はどれだと判るはず。(山尾三省)
457 (a)七千万年前に原始ザルが生まれ、
  (b)二千年前に霊長類が生まれ、
  (c)七百〜八百万年前に今の人類の原型が生まれた。
  (d)一万二千年前に農耕がはじまり、地球上に三百〜四百万人の人類が存在した。
   人類は“森林”の中で天敵がなかった。その為自らのうちに敵を持つシステムをつくっていった。
                                       ―河合雅雄―
ーH0703 ブラジル旅行記ー
“行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で行われており、四日間全国がお祭りの為休みとなる。
その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれなのである。リオのカーニバルのランクがA・B・Cとなっており
Aランクが9チーム、 Bランクが15〜16チーム、 Cランクは数十チームとなっている。
AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー800mを80分の持時間で踊りながら行進する。
そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、その年の優勝等順位があらそわれる。
チケットは一般の人はほぼ入手不可能である。TV新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。
チームは四千名が1チームで構成されており、それが約500名×8チームに細分化され統一のコンセプトのもとに
仮装が華やかにつくられている。音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉をかけてつくる。
その作曲も採点の大きなポイントになるという。一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。
観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。
上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれて、
優勝チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けてのよいスポンサーが約束される。
その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”が、すべて含まれている。
東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。
ブラジルの印象を書くと、“サッカー”と、“サンバ”(カーニバル)と、“森林”と、
“イグアスの滝”そして“汚職まみれの国”である。さらに加えるなら“まずしさ”である。

ーH0705 バンジージャンプー
ーニュージーランドのバンジージャンプー
 字数の関係上カット(2007年08月25日)

ーH0705 事業百訓ー
458 “才能とは自分で決めること、そして人として最も大切な事は他人とは何かを考える事。”(山川方夫)
459  競争対策とは“差別化”のことです。 それはより徹することでのみ勝者となります。
   徹することは、より例外を少なくすることです。換言すれば“標準化”の徹底ということですが、
   それは内容を“単純化”しないと一向にすすまないものです(3S主ギ)―渥美俊一
460 「いや、あの世があるかどうか私にも判らない。 ただ死ぬ瞬間に“これからいいところにいける”と思って死ぬのと、
  “これから荒涼たる荒野を生ぐさい風と一緒に永久にさまよう”と考えるのと、
   “なにもかも虚無だ”と考えるのと、この三つを並べて考えると“楽しいところへ行ける”と考えるほうがよい。
   そこで死ぬ瞬間に、それが信じられるように“想像力”で、一生かかってあの世は極楽だというイメージを
   頭の中につくりあげている。それがカトリックというものです。 −「上智大学のホイベルス神父」
                  ―(井上はじめ、司馬遼太郎対談より)
461 “私の経験からすると、(夢)というのはまさに人間の魂そのものだと思います。
  夢を持っていない人間は、本当に魂がなくなってしまいます。
  カリブ海には一種の魔法使いがいるとされています。そして人の魂を奪ってしまうことがあると。
  そのぬけがらが映画になったゾンビ。 目が大きくなって中をみると何もない…”
462 アインシュタインでの(相対性理論)もう一つの重要な意義は“物質とエネルギーは交換することができる”という認識である。
  物質は一つのエネルギーの形態にすぎない。 またエネルギーの減速している状態、または結晶化したものにすぎない。
  私たちは肉体もエネルギー体そのものである。…(光の手…)
463 個人レベルでは、現代心理学や精神開発の世界により深くかかわっていくと、either/or(どちらかが)の古い形が、
  both/andの形にとけこんでいくのが判る。そこにはもはや善や悪が存在しない。
  誰かを憎むとか愛しているかでなく、もっと自身の中に広大な能力に気ずく。
  同じ人間に対して愛と憎しみを感じ、その中間にある総ての感情を感じられるようになる。
464 人(他人)を指さす時、他の指はすべて自分の方をむいている。(人を批判する時、その大部分は自分にあてはまる)
465 みんな(自分にとって)自分が主役!
466 欧米等のキリスト教、イスラム教にとっての神は、大文字のX(エックス)であるが、
  日本人にとっての神は小文字のxのn乗(神々達)である。従って同じ目線で議論は無駄であり…
467 あなたの事情よりチャンスを考えるのではなく、チャンスよりあなたの事情を考える事だ!
468 「それにしても一体何が残るのだろうか? よく判らぬが私は“想い”が残るとあえている。
  “想い”の“深さ”が残る。“想い”をつめると幽霊になるという。
   だから幽霊がいたとしても少しも不思議ではない。」(葉山照葉)

ーH0707 事業百訓ー
469 “永遠”とは今後の時間ではない。
  永遠は長い時間でさえない。永遠は時間とは無関係です。
  永遠は時間領域内のあらゆる思考が切り離している<いまここ>の次元です。
  ここで永遠を永遠ととらえない限り他のどんなところでも
  永遠はとらえられません。とにかく万物すべてにおいて永遠を経験すること、
  それが生命の機能なのです。(キャンベル)
470 “たとえ雷に打たれたとしても決して否定的な考えをするべきではない” (バートランド・ラッセル)
  −否定語にとりつかれた病的人間の臭い
  −“人間は一日大体九万位の事を考えるそうで、悲しい事に大部分が否定的な事だという。
471 “人の世は虚空(生前)と虚空(死後)の折り返し地点”
472 成功の“功”は「ねりあげる」という意味。 したがって成功はねりあげ成す事をいう。
  成功しないのは(計画準備)ねりあげがたりない為です。
473 出来るまでやってみる事です。やれないのは(できるまで)やってみないからです。(中村久子の母親あやの言葉)
 「お念仏なさいませ。一切は仏様におまかせすることです。どんなときも仏様は私たち衆生を抱きかかえて下さいます。
  お念仏させていただきましょう」 この深い意味が久子にはわかった。

ーH0709 事業百訓ー
474 “人にはやさしくやさしくおなりなさい。その為にあなたは強く強くならなければなりません。”(宮城まり子)
475 “怒りは無智、泣くは修業、笑いは悟り”60才になってはじめて、この味がわかってきた。(金語楼)
476 人生つらい事を探せば、つらい事ばかり!。  いやな事を探せばいやな事ばかり!。
  うれしい事を探せば、うれしい事ばかり!。  ありがたい事を探せば、ありがたい事ばかり!。(山本紹之介)
477 .Ε修鬚弔な ¬鸞を守れ フェアであれ じ朕佑鯊砂鼎擦
   スゴ饋瓦鯔困譴襪福淵蓮璽譟璽瀬咼奪肇愁鷁馗后Ε螢奪繊Ε妊アルング)
478 「半年先に会社を辞めることになって、  自分の仕事を引き継ぐ人間がいないと想定してみる。
  そして組織をみなおし、自分のしている仕事を部下に任せてみる。
  それから、どうしたら事業に新たな価値を付加する事ができるか考える。
  この過程を引退するまで何度でもくり返す」(トム・ピータース)
479 人を愛し、賞賛するほど大量のエネルギーが自分の中に流れ込む。
  人を愛し、エネルギーを与える事が自分の為にできる最上のことだ。
  (聖なる予言−ジェームス・レッドフォード)

ーH0711 旅についてー
ーH0711 事実とイメージー
 字数の関係上カット(2007年08月25日)


2699, 「レンタルの思想」−5

2008年08月25日(月)


「宇宙の発展と文化の論理 」−
  鷲田清一×松井孝典

  *ここにないものと関わる能力

松井:  前回は、生物学者の長谷川真理子さんと対談しました。
 そのときの話では、現生人類には抽象概念が生まれた契機の一つが、喉の構造の変化です。
 逸れによって、文節性の高い言語を獲得できたということです。その御蔭で目の前に起こってない現象でも、
 抽象化して相手に伝えることができ、知恵の伝達が可能になるということでした。
 つまり人類がいまのような生き方をするうえで重要な要素として、言語の機能というものがある。
 それを哲学がどう考えてきたかというところから、話を始めましょう。
鷲田:  人間とはなにかということは、思想史の中でいろんな語られ方をしてきました。
 いまおっしゃつた、話す人(ホモ.ロクエンス)という思想はもちろん根本的なものです。
 また、遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)というのもありますね。「遊び」ということができることを
 人間の本質としてみる。ホモ・サピエンスとか、ほかにもいろんな捉え方はあるのですが
 これらの共通点をみれば、ここにないものに関わっていくということ、つまり不在なものに
 自分を関係づける力をもつということなんです。いま目の前に現れているものを、
 取り換えられない必然のものと捉えるのでなく、それをさまざまな可能性のひとつとして
 了解しなおすということなんですね。
 人間以外の動物は、生物としてのシステム沼に、別のあり方がないような形で組み込まれている。
 〜〜
 解) 「ここにないものと関わる能力」、これは言葉の持つ最大の効力だろう。
カラスは500の鳴き声のサインがあるというし、ケニアではシマウマが鳴き声で多くのサインを出しているのを知った。 
それでは、鳴声と言葉の違いは何だろうか? それは、正に「ここにないものと関わる能力」が
言葉の中にあるということである。 亡くなった親族や恩師や友人とは、生きていた時より、むしろ
深く関わること出来るようになる。 教養とは、多くの「ここにいないものと関わってきた」蓄積である。
過去を振り返ると、自分の読書量と経験量が、ここにいないものとの関わる能力の質を決めることが解る。
予習能力も復習能力も、そのうちの一つになる。 それと、更にすすむと予知能力もある。
言葉は考えれば考えるほど、奥行きが深い世界に我々を誘い込む。ファンタジーも、妄想もある。

 ・・・・・・・・・
2007年08月25日(土)
2335, どうせ死んでしまう         ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
  「狂人三歩手前」ー中島義道著 −1
    ーどうせ死んでしまうー

この本は月刊誌「新潮45」の連載で、時々、このコーナーを図書館で読んでいた。
その連載をまとめたのが、この本である。本の題名が「狂人三歩手前」というのが良い。
この本の冒頭からして、 ーどうせ死んでしまうーである。
いずれプッツンするのは解っているが、生きているうちは、
せめて「いま・ここ」に集中して面白おかしく生きたいと思っているが・・・。
{いずれ死ぬのなら、何で「いま・ここ」に集中して生きる必要などあろうか?}
という投げかけの言葉も道理である! 生死の問いかけになる。
「死んでしまえば、それまでよ!」も、生き残った此岸から彼岸へいった死体に対する、
思い込みでしかない。まあ、哲学は哲学でも、この人はあまりに嫌世過ぎる。
でも、甘ったるい人生論より余程面白いし、考えさせられる。
心の奥に、「所詮は死んでしまう!ケセラセラ」という、中空を持っていないと、現実に振り回されてしまう。
「飯喰って、糞して、死ぬだけ、人生は!・・所詮死ぬのだから」
 
ーP・11
   (字数の関係でカット08年8月25日)
ーーー
解) まあ、そういうこと! そこから出発をしないと、人間をやっていて面白くはない!
と言って、逃れることの出来ない事実の前で、それに囚われるのも癪である!
せめて束の間の一時を馬鹿踊りをするのも良いかどうかは、その人の性格による。
馬鹿踊りが嫌なら、地球という稀有な存在の大気圏の中を、しっかり見るのも良い。
絶対的消滅?そりゃ、消滅したヤツのこと、消滅してない限り消滅など関係ございません!
と、絶対的存在の束の間を味あえば良い! ゴチャゴチャいおうが、楽しみつくそうが、
泣いて喚こうが、絶対的消滅の前では同じこと。 いずれ、どうせ消滅するのだから。
輪廻の思想は、その点では巧く不安心理を緩和する。逆に、そんなものに囚われてしまって何しているの?
所詮は洗脳された羊じゃないかい?と、こっけいでもある。結局は、哲学では死の不安は解消出来ないということか?
それとも、神様に頼るしかないか? それとも、自分が神になるか。 神は、この宇宙の外の存在だから矛盾するか? 

                 ☆―サラバ(o´c_`o) ジャ!
・・・・・・・・
2006年08月25日(金)
1970.事業百訓 ・・・  ー1994年
H0601新年にあたり
(目先の流れを間違わないように!)潮流は大不況である。
  −以下、字数の関係でカット(2007年08月25日)

ーH0603 海外旅行 
二年前まで五年つづけて年二回ずつ海外旅行に行った。
さすがこの二年は一回ずつだったが合計十六回になる。私の趣味の一つといってよい。
海外旅行より得た感激は私の人生を非常に豊かにしてくれた。それぞれ全てがすばらしい。
違う“とき”が流れていて、その中にはまりこむ、その広がりと深さの味わいは旅行し、
現実にその場に立ち感激しなければ理解できない。
初めて旅行したのは昭和四十二年、海外旅行が自由化された翌年だった。
大学の海外旅行研究会が募集した三〇日間世界一周というコースであった。
当時はまだ年間二十万人しか旅行者はおらず、旅行先で日本人と出会う事はほとんどなく、
オーストリアなどでは見ず知らずの日本人を平気で自宅に招待してくれたり、
英国では留学生が日本人が恋しいのだろう、どこまでも市内を案内してくれた。
また欧州の文化文明に大きなカルチャーショックを受けた。
帰国して数ケ月はただ呆然としていた。二十才という年齢もあろうがオーバーに言えば、
人生の一大転機のきっかけになった。 それだけ感激とショックは大きかった。
 
ーH0603ゴネ社会のカラス達
 ラジオで鳥学者の「カラスの習性」という話題の中で印象的な話があった。“牛の出産時に、ただ対象が弱味を見せている、
というだけでおそいかかり、時には牛が出血で死んでしまうケースが多々ある。 ”この新潟駅前花園地区近辺は、
ゼネコン関係者の間でも鬼門になっている位、そのカラス的習性人種のたまり場で有名の地区という。
飲食関係者とかミニオーナー達が自分達も、何かゴネ社会でチャンスがあればタカってやろうとうごめいている。
全く関係のないところまで出向き、口を出し?をせびる。 その為にそのカラス達は飲食組合や、
町内会の役員をまずねらうという。考えてみれば今の小物代議士(政治業界のたかり屋)と全く同じ手口だ。
今回の工事でもその代表的カラスが何匹かさわぎかけた。
但し今回は比較的うまう納まったが。 第二増築工事の時は、近隣のオーナーに停年退職期のウサを
すべて工事妨害にたたきつけられてしまった。(店子にあいさつに行きオーナーになかったという理由で)
隣地の工事等の妨害は相手は数十倍いや数百倍こたえる。当然その怒りは形を変えて数倍も攻撃する事となった。
隣地の攻撃は後ほど有利になるのだ。 これがわかってないから目前の相手を攻撃してしまうのだ。
“隣地境界は絶対に攻撃してはならない” あたり前の事がどうしてわからないのか。
人間の心の中にサド的なものが悪魔が秘んでいると、工事の度に思いしらされる。

ーH0605 般若心経のすすめ
 十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で、
般若心経のすばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。
今まで何万回唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。
二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。

十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記すると
ー分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
⊃澗_擦貿板垢あっている(リズム)
α波がくみこまれている
ぁ版亜匹この中に入っている
イ寺・神社等で唱えるとTPOとして、その場のイメージが鮮明に残る
情報雑念等を切断、整理をする働きがあり、結果として“運=無意識の判断”を左右する
Г海譴鬚り返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき、自己の中にその中空がつくられる
夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。
 立花隆と宇宙飛行士との対話の中で「彼等は地球をはなれた体験の中の一瞬に、
キリストや仏等の教祖が苦難の上で直感した“絶対無”を観た」のではないかと言っている。
それは般若心経をくりかえしの中で、少しでも近づける様な気がする。

ーH0605 事業百訓
432 長い人生において、誰しも受け入れ難いことに遭遇するときがある。
  真正面よりたち向い頑張ろうとしても、のり超えられないときもある。
  そんなときは「こうあらねばならない」というタテマエを取りのけて、
  あるがままの自分を受容しないと挫折してしまう。
  涙というものは、頑張りをはずし、無理のない自然な自分を再生させる。
  そんなエネルギーを持つものかもしれない。 −吉村はそんな事を考えたものだった。(涙による再生−柳田邦男)
433 “日本はトルコ以東において西洋人に侵略されなかった唯一の国である”という。
  外国政府に対して日本人が他のアジア人と違い異常な緊張力を持っている。
  内陸戦争になれば、こういう無数の侍と戦わねばならぬと、  まず第一に物憂く思った。(司馬遼太郎)
434 以来40数年僕の一応の答は「人間は不自然な動物である」、動物は自然に適応する為に自らを変化させてきた。
  ところが人間は自然のほうを変えて文化文明という反自然的な 環境をつくり上げてきた。(河合隼雄)
  上記より考えてみると、 数千年か数万年スパンで人類のつくりあげた不自然な文化文明は、
  すべて消滅する運命にあると考えるのが自然である。

435 ある日突然“進化論”に関する本を読んでいた時、ある活字が矢のようにとびこんできた。
 私達を形作る宇宙の原子の数は10の80乗と見積もられているが、宇宙のはじまりより現在までの時間は、
 秒単位で10の80乗と推定される結果、原子の配列と時間の配置に同じものは絶対に起こりえない。
 −私は気の遠くなる孤独感におそわれた。自分と同じ生きものは過去150億年にはいなかったし、
 今後50億年をすぎ、太陽が爆発しても同じ生きものはあらわれない…
 (脚本家−橋本忍−時の流れ−より)
436 たまるべきは何か?それはただ一つ、現在の努力のみである。 それが主観的価値の基準である。
437 セックスとは相手を介ざいしたマスターベーションである−
 (“エスの論理”より 1991/11/末 読売新)
438 一遍という人は、川の流れのように下へ下へ下っていった人ですから
 軽いですね。人間は重いうちはまだ駄目です。軽くならないと。彼は最初のうちは重いです。
 松山を出るうちはまだ重い。それがすてて捨ててるうちにだんだん軽くなるのです。
 −彼は“南無阿弥 仏決定住生六十万人”という浄土行きのパスポートを配って歩いた(板村真民)
439 魂は出来事を経験に高める。…“精神は山の頂上に、魂は谷に”たとえる事ができる。
440 第一生命サラリーマン川柳
    1993年入選作より−(注)(1)→一位
    ・つれこむな私は急に泊まれない(1)
    ・OLの口につけた万歩計(2)
    ・耐えてきたそういう妻に耐えてきた(4)
    ・休暇とれ五時には帰れ仕事しろ(5)
441 人間の最大の悪は何であるか?―鈍感である。
442  子供叱るな、来た道じゃ   年寄り笑うな 往く道じゃ
    来た道、往く道、一人道   みんな来た道、往く道じゃ
    これから通る、今日の道    通り直しのきかぬ道
    いまやらねば、いつ出来る   わしがやらねば、誰がやる (平櫛田中)
443  八笑七敗(負けても笑える心を持つ事)
444  腹たたば 鏡を出して 顔をみよ、鬼の姿が ただでみられる
445 僕は(+)(−)をはずして生きるという事を、若い時よりやっていたと思います。
  常識でいえば(−)と考えられる事も、体験の大きさでは(+)(−)も同じ。
 (+)3と(−)300なら、マイナスが損と思うが
 (+)(−)の符号をとれば…(日野啓三)

ーH0607  ケニア・サファリ紀行 (機
 前知識はほとんどなし、
「何がおきるのか出たとこ勝負の旅」というのが率直な気持であった。
ところが秘境の旅というイメージで行ったところ、そこは欧州の高級リゾート地であった。
三十年前まで英国領であった為、欧米のサファリを目的としたリゾート地として区画整備されてあった。
広大な動物保護区及び国立公園と一般の土地はわけられており、前者は天国、後者は貧困そのものであった。
サファリ(動物ウォッチング・ドライブ・ゲーム旅行)は生まれて初めて、
一日一日、一シーン、一シーンが鮮明な感激として脳裏に焼きついている。

強烈な印象の順に列記してみると、
夕方、五十頭の象の群れが一列になり、右手にキリマンジェロをみながら林の方に帰っていく、
 (TVでこのシーンを見た事があるが、まさか初日にこれをみれるとは思わなかった)
ライオン二匹がペアリングしている横で一頭がシマウマを食べているシーン、
チーターが二百m先に一匹のガゼルをねらいを定めて木影でスキをねらっているシーン、
二十頭位の象の群れに三m位近ずいたシーン、
湖でカバの群れに近ずいたところ一頭が我々のボートを追いかけてきたシーン
 (一ケ月前にその群れに漁師が殺されたとか)、
数千〜数万頭のヌーの大移動、
マサイ・マラ族の村の中での異様な雰囲気、
気球の船上よりのアフリカの大地の景色、
四〇〜五〇頭の水牛の群れの真只中にサファリーカーでつっこんだシーン、
キリマンジェロの遠景、等々書けばきりがない。過去十七回の海外旅行の中でも最も刺激的印象的なものであった。
 欧州では“アフリカの毒”という言葉があるとか。その毒(魅力)にあたり、ウワ言のようにアフリカ、アフリカと
 言うそうで、今の私はまさに毒にあたっている状態です。(1994.7/10 〜18 )

^ーH0609 歩行とダンス
 丸山圭一郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が面白かった。
“ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段である。ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的。
それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか!?ありうる!”という。非常に含蓄のある面白い内容である。
人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容である。今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、
“よしこの仕事とチーク・ダンスをして、ドアまでいってやれ”と、一人笑った。
私の学生時代の大手商社に勤めている友人と、酒をのみながら右の話をした。
本人いわく “私はさしずめ、それはホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間でまわってくる。
それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!”当意即妙であった。
ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンスとしてリズムをとりながらパターンをマスターし、
かつ楽しみまで高めてドアに向かう事となると誰にでもできない。 ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れてしまう。
ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。 そしてその反対に逆の人も。

ーH0609 至福の時
 母が八十六才になり、年相応?の初期の痴呆症があらわれて三年、年を重ねるという事は大変な事と思いしらされる。
痴呆とは脳の回線が時々はずれたり夢の世界に入りこみ、現実との境界がつかなくなったり昼夜の別がつかなくなったりする。
はじめは周囲の私達の気が動転、本人の症状にふりまわされたが、今ではほとんど、それぞれの現象に
それぞれの原因がわかるようになり、あまり動じなくなった。(それには二年以上経過したが)
しかし回線がはずれている時は、なれている私達でも背スジがゾーッとする事がある。
本人にも喜怒哀楽はあるし、外部環境の把握をそれなりにしてある。
夜半の半錯乱の翌朝、すべてを忘れている本人にその話をすると
“それでは私はどうしたらよいのか?”と逆に聞かれて返事に窮する事もあった。
この春より母を早朝、公園へ一時間位リハビリも含めてドライブ+散歩に行くが、
誰一人いない公園で母と二人いると幽界か霊界にいるような気になる事がある。
その時の母のうれしそうな顔をみると、この時が人生の“至福の時”かもと感じられる。

ーH0609 ゲームと人生ー
ハーバード著の“思考の原理”という書物の、「人生ゲーム化」という内容が面白く印象に残った。
要旨は “ゲームとは、目標を設定し、そこに障害と自由を与えて、互いに(あるいは自分自身)競わせる。
重要なのは障害である。 自由配慮の中で障害をのりこえさせて、目標に到達させる。
この三つのバランスをとりながら競争するのがゲームである。
人生をこのゲームにたとえると、人生の障害も自由そのものも余裕を持って客観視ができるし、
楽しむ事ができる、という内容であった。人生をゲームにたとえると妙味が違ってくるように思える。
人生にとってのその人の目標は、つきつめて考えると、その人の精神とも考えられる。
その達成において当然目標が大きければ大きいほど障害が大きく、多くなるし自由度合も大きく、多くなってくる。
その障害を楽しんでとり組む自由な心(とらわれない視野が“自由”というのかも)こそ人生のゲーム化といえる。

ーH0609 ケニア・サファリ紀行(供法
国立公園よりナイロビへの帰り道(雨あがりの泥々のいなか道)を命がけで四時間、
 つきぬけた、その時の赤茶色の大地と緑の森の コントラストのすばらしさと、
 数十km先までみえた広大な地平線も生まれて初めて見る光景だった。
 そして小学校の近くを走っている時みた、子供達のあどけない愛嬌のある目と顔も忘れる事ができない。
野生動物も、今まで動物園でみたのと全く違うものだった。 毛色の光沢、目のかがやき、
 悠然たる動きが、あの大地を背景として自然と一体となり絵になっているのだ
A當の牧場の乗馬もよかった。 新鮮な空気と草の臭い!
 その帰りの車で、前方に10人あまりの若い男達が必死な形相で走っている。
 その後を、一頭のバッファローが追かけている。我々の車が間に入って
 その場は収まったが・・。離れバッファローは非常に危険だとか!
ささ紊茲蠍たアフリカの広大な草原。下を見るとシマウマの群、他に目を向けると、気球に驚いて逃げている
 二頭のライオン。そして、気球を降りての食事。乗客三人に対して、10人のスタッフ。そして一応、機長もいる。
 360度の展望の中での食事が、格別美味しい。シ,知て小屋のイメージだったロッジが、実際は高級ホテルであった。
 食事も高級レストラン並。 夜半聞こえてくる不気味なハイエナの声!

 ケニア人の90涌幣紊蓮一生の間で野生のライオン、キリンを見ないという。
それだけ一般大衆は貧しいという。首都ナイロビでホテルから一歩外に出ると、
物乞いと、物売りが瞬時に寄ってくる。現地の女の日本人ガイドが、その貧しさに涙を溜めて訴えていた。
日本人の観光客は、年間に一万人に満たないという。その点で超穴場といえよう。
実感として、一試合で二本のホームランを打った感じ!であった。


2698, 閑話小題

2008年08月24日(日)

 

  *大曲の花火
昨夜は、秋田の大曲の花火をNHkのハイビジョンでみた。
この数年の年中行事の一つになっている。
電気を消した見ていると、自分が土手で見ている気分になる。
プロの花火師の評論が面白い。 花火には「菊」と、「牡丹」の形があるとか。 
丸い花火は割りものとか、云々。
大曲は、日本中のプロの花火師が競う競技大会。 その結果が公表される。
開くタイミング 10点、
開き具合、   30点
色彩および配色 30点
技術      30点 の比率で評価される。
地元の長岡の花火も良いが、大曲の方が華やかで規模(数)が大きい。
 〜〜
 
  *日本野球がオリンピックで敗れた訳
日本が、良いところがないまま、敗退してしまった。結果論からいうと、星野監督の選定ミスである
現役を退いて何年もたった監督と、コーチでは勝負勘が全く無くなっている。
せめて副監督として古田元ヤクルト監督をつけておくべきで、御友達感覚の監督、コーチで勝てるわけがない。
選手が、星野監督とコーチの前で、すくんでしまって実力を発揮できなかった、ということ。
更にG.G佐藤の二回の大エラーも、水を大きく指した。 本人の一生の傷になる。数年間は針の筵だろう。 
ニュースに流れた日本人の観客のヤジ「御前ら、日本の野球はこんなものだったのか?」も厳しいが、
それくらい星野には良いだろう。 あまりにプロ野球の監督とし鮮やかな辞め方をしたのだから。
それより、あの二年前のワールド・ベースボール、あれは劇的過ぎただけ。
ただ星野は、酷かった。 人生は、こんなものだろう、 所詮は!+−ゼロ。
 〜〜
 
  *オリンピックが終わるか
これまでは、あまりオリンピックは見ないが、時差のあまりない北京で行われたことと、
お盆を跨いでいたこともあり、これだけ見るのも珍しい。といって決勝進出と、注目された試合だけだが。
前回の三分の二の金メダルだったが、こんなものだろう。
テロによる混乱も無く、まあ無事終了のようだが・・・
中国にとっては大成功のオリンピックとは言えないが、そこそこ(65点)だった。
独裁国家がオリンピックを開催すると、何年後かに独裁体制が崩壊するのは、
ナチのドイツと、ソ連の崩壊から推測出来る。
これから10年間は、大きな試練が待っている。上海の万博まで持つだろうが、火はついたことは間違い。

・・・・・・・・・・
2007年08月24日(金)
2334, 離人症体験
       オハ…YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+

ある本の中の「離人症」の経験者の話に目が釘付けになった。
私の最も好きな内容だからである。そこでネット辞書で調べてみた。
 ーー
「離人症とは、自分が自分の精神過程または身体から離れて
外部の観察者になったかのような自己の知覚または体験の変化」と定義される。
・離人感は深刻な感覚の歪みがあらわれる。 例えば、世界が霧か煙を通すようにぼやけて見えるとか、
 声がくぐもって遠方からのように聞こえます。
 ガラスの檻に閉じ込められ、それにより「現実の」世界から切り離されている感覚。
 具体的には、自分が存在する実感がない、自分が見知らぬ人間であるように感じる、
 自分が生きている感じがしない、などがある。

・身体に関する訴えとして、自分の体が死体・ロボットのように感じる、
 自分の体の実感がない、自分の体が大きく・小さく感じる、などがある。
・また、行動する自我とそれを観察する自我の分離があり、
 自分の行動を離れたところから自分が観察するという感覚がしばしば起きる。
 このような分離は、心の中での果てしない自問自答、堂々めぐりと体験されたり、
 自分の体から自分が抜け出す経験(体外離脱体験)と感じられることもある。
 トランス状態にあるような様相を呈することもある。
・自分以外の人間は自分の体験を真剣に取り上げてくれないと嘆き、
 これらは心的外傷に深い関連があり、自傷行為や自殺企図もある。
 ーー

以上だが、その中で体外離脱体験もあるようだ。 私自身、色いろな体外離脱やパニックに陥ったことが度々あった。
この「離人症経験」とは違うプロセスで体外離脱体験になったのである。 人生の大きな変わり目とか、
厳しい秘境旅行の帰りの飛行機の中とか、大きなストレス状態の時などに生じるところが似ている。
過去の随想日記に、そのことを幾つか書いてきたが、離人体験とは少し違う。
(後記の数年前の文章を貼り付けた中に、偶然に夢について書いてあった。)

一番近いのが、ある旅行からの帰りの飛行機の中での恐怖パニック体験。
(何度か書いたことがあるが・・・)秘境旅行の帰り、ホッとして眠っていたところ夢をみた。
自分が地上からフワフワと風船のように浮遊して、空に舞い上がっていく。
みるみる電信柱を越え、空に上がっていく。「これは危ない、地上に戻らないと!」と、
本能的に夢から我に帰ったところ、そこは地上ではなく空中を飛行中。戻るはずの地べたがないのである。
空中から地上に帰ったはずの自分が、逆に更に高い空中を飛んでいるのである。
それも自分が1000キロの速度で飛んでいる実感がしたのである。
飛行機も、周囲の人も消えて、独り空を超高速で飛んでいるのである。
恐怖で失神?なんてものではない! このような特異の恐怖体験をした人は世界広といえ、殆どいないだろうと、
パニックが収まった時に頭に浮かんだ。(実際は多くいるだろうが、特異という意味で・・・)
バンジージャンプで二回飛び降りているが、落下時の恐怖より恐ろしい?瞬間であった。
その落下としても垂直に空中を飛んだ経験があるから、その時に実感できたのだろう。
数分は続いただろうから、よく心臓が止まらなかったものである。

離人体験の恐怖を語っているブログがあったが。
その類の知識のない子供が、自分が自分から抜け出た感覚は本当に恐ろしいのは解るような気がする。
 
 離人症という病があるとは、知らなかったが、欝になり、落ち込んでいる心理状態は、正にこれじゃないか?
「ものみのとう」とかいう、あのカルト集団、あれも集団離人症候群じゃないかい?
{娑婆を「物見の塔」から見下して、あの集団で修行すれば、千年後に奇跡があらわれ、キリスト様と出会い・・・} 
 それも、幸せな集団離人症ということ?
                         ホンジャ(´_`○)ノ ノヾィ♪
・・・・・・・・・・
2006年08月24日(木)
1969.事業百訓・・・
  事業百訓ー1993年(7)
H0503事業百訓
  413 比喩は意味よりも深くしみいる。
    比喩は心象風景の点描である。比喩は意識の下の世界感である。
  414 (インディアンの教えより)・・・・
  415 敵を憎んではいけない…計算が狂ってしまう。(ゴッドファザー掘
  416 海の色はその陽ざしによって変る。
  417 量の“ゆらぎ”はエネルギーを生む。(高村光太郎)
  418 みずのたたえのふかければ おもてにさわぐ なみもなし 
   ひとも なげきのふかければ いよいよ おもてぞ しずかなる(高橋元吉)
  419 果実によって、その木のなんたるかが知られる(キエルケゴール)
  420 “善意の小悪党”→周辺に本当に多い輩。
   善意を道具に相手に近づき、結果として必ず相手を食い物にし、おとし入れる。
   それに対して、本人は全く気づいていない?相手が気をゆるすのを待ち、相手の一番の秘密をつかむと、
   手の裏をかえし内幕情報屋に変身する業(ごう)とする輩でもある。
  421 哲理の中で生きる(みる)
    仝る…内性的に(見る)    ∋襪襦塚性的に(視る)
    4僂襦津学・原理的に(観る) じ海襦沈弧薪に体験して(験る)  (中村天風)
  422 ・積極一貫(生命の原理)
    ・“心の積極性”−陽性・積極性・プラス思考→肯定・肯定・絶対肯定の世界
    ・“言葉の積極性”  −言葉は思考を造る。言葉の重要性を知る。
     積極的言葉を“グリーンのスイッチ” 否定的言葉を“黒のスイッチ”とし…
    ・“行動の積極化”……“いたわり”“おもいやり”を積極的になげかける。
  423 笑って暮そう、ハンカチーフ。

ーH0503 核本業
 “本業に徹する事”の重要さを失敗より書いてみる。
“徹しない”場合の生ずる最大の事は、本業で生じているチャンス・ロスに全く気づかない事にある。
学生ショップという衰退産業にまきこまれ、しかし一億の利益をあげたが
その数倍いや、数十倍ののチャンス・ロスが発生していた。
と同時にその心のスキが株投資という株屋の食い物にされ、その分をすっかりロスしてしまった。
本業以外に本当の利益を出す事があり得ないし、出せたとしても、その数倍のロスが発生している。
その時はそれは見えない。あとでふり返った時に初めて気づく。
当社の本当の御客様は誰なのか!そしてそのお客様に対して何ができるか!
それに対して、総てのエネルギーを集中し続ける事こそ核本業ではありまいか!
“客室のモア・スペシャル、モア・ディスカウント”の提供が核本業であったはずだ!
それを続けた時に会社の成長があった。 他に目を向けた時、停滞がはじまった。その責任は誰。 私である!

ーH0503 万歩計
“万歩計”をつけてから約一年が経過する。冬期八千歩・それ以外が一万三千歩・平均して歩いた。
一年で四百二十万歩、一歩五十センチとして、二千km歩いた事になる。
江戸時代の人は平均二万歩近く歩いたという。ある調査によると会社の営業系の人は七千歩!事務系六千歩!
管理職が五千歩!トップは四千歩が平均歩数との事。また人間の身体の構造は本来、歩くようにできているそうです。
私の場合必ず手帳に歩数をメモにとり一週と一ケ月の平均歩数を出します。
これを実施していて雨の日の休日でも傘をさしてでも散歩に出るか、天気予報を見ながら“歩き溜め”をしたりする様になった。
私の知人も数名万歩計をつける様になりました。今では、万歩計をつけ忘れても大体、歩数はわかるようになりました。
参考の為に、万歩計は薬局かドラッグストアに二千円位で売っています。

ーH0503 “死”について
・ 自宅の両隣の御主人や息子さんも含めて近所で五軒も葬式があった。
  六年程前に“いとこ”がやはり四人、たて続きに亡くなった。 私の年令の風景の一つなのか?
・ 人間の死亡率は百%!
・ 人間の恐ろしいのは、“死”より“死に際”じゃないか?
・ 親の死は、子供に対する最大のプレゼント
・ “我々が生きている間は死はこない。死が来た時にはわれわれはもはや生きていない”(エビクロス)
・ 死んでしまえば塵である。(伊藤栄樹)
・ 死んで三日もたてば三百年前に死んだと同じ事。
・ “苦”は生きているうち。それが死への苦しみであっても!
・ “色いろ、あったが死んでしまえば何ってこたあない!始めから無かったと同じじゃないか! 皆の衆”(山田風太郎)
・ “ああ、自分が消滅した後、空も地上も全く同じとは何たる怪事!
・ 死とは人生における最後の挑戦である。(ハイデッカー)
・ 死はお浄土への単身赴任である……極楽世界があるかないかではないのです。
  あるべきなのです。いや、あらねばならないのです。(さち・ひろや)
・ 死も人生というドラマの一部分、それも最後の仕上げという。
・ 死に直面した時“さようなら、たださようなら、さようなら!”これこそ、死の苦しみにとらわれない妙薬。
・ 人間は死ぬ事を、ひそかに望んだので戦争をしたのだ。
  自己保存の要求はきわめて強いかもしれないが“死”への欲情はさらに深い。
・ “死の準備”は大別して“自分の心の覚悟”と“自分の愛する者達への配慮”
  にわけられる。死は根本的には“無”である。“無”にはいかなる準備のしようがない。
  “無”になる事に覚悟せよと言ったって、いかなる覚悟も“無”であり“無”になる。
  死はどうであれ“無の世界”=“無”も自覚も存在のない世界へ運び去るのだ。
・ “父母によばれてこの世に遊びに来て、用が済んだら、はいさようなら”(一休和尚)
・ “自分の死”に対して、どれ位時間をかけたか?やっぱりかかった時間と比例します。
  だから死について考え続けるより他にありません。自分の心を明確にする事。それをやっていると毎日が濃縮されて、
  いつ死んでもいいと思う程、充実してきます!(曽野綾子)
・ 死は暗闇ではなく光明と考えられるかどうか、もどって来た人はいないのだから。
・ 他人(ひと)は先、我は後!

ーH0505 小説のような本当の話!
 十数年前のこと、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。
生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、
お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。
その寺の近所に住んでいるという本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、
店にいた父に正直に事情を話したところ、全く見知らずの自分に分割払いをしてくれた。
それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている。”との事。
聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかと、考えさせられる出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?
当時、丁度今の会社の理念を考えていた矢先、それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決めました。

ー H0509 人間関係で最も大事な事
自身八人姉兄の末っ子の身を守る知恵の為か? 学生時代の寮生活での経験の為か?
“一つの原則を本能的に身につけてしまった。
”他人の陰口にしろ、よくない情報の媒体者の名前と情報源をあかさない事と、口どめされた情報は他に絶対流さない!
ところが世の中これがかなり教養のある人でも、この原則の重要性を気づいていない。
逆にこれこそ自分の特性として人間関係に利用している。
学生時代に、たしか“孤独の群集”(リースマン)という
都市社会を分析した書物を読んだ記憶があるが(内幕情報屋人間こそ都会人の特性とか)
この文章を読んでいて自分の事を書かれているのではと思うはずである。
それ位、ほとんどの人は人間関係の基本的原則が判っていない。
 この傾向の強い人は当然の事ながら不幸な人生を送っている。
これが善意という“カタチ”で実行されるから始末がさらに悪い。
以前いた会社の部下の女性にこの典型的なタイプがいた。頭がよく、美人なのだが誰もいやがる。
今でも悪い意味で忘れられない人だ。本人には悪気は全くない。
ただそれが趣味なだけだが。周辺の人は大変だ。当然ながら現在不遇である。
本人はその原因を判ってはないが、周囲の人間はそれを全員知っている。

ーH0511 高級化と高度化
(字数の関係でカット08年8月24日)
ーH0511 51対49
(字数の関係でカット08年8月24日)

ーH0511 無駄飯(浪人生活)
 私ほど浪人生活の回数を多く経験した人間も少ないのでは?と、馬鹿な自慢をしてみる。
大学浪人(18才)・社会浪人(24才)・事業浪人(26才と34才時)
等々。浪人生活は本当につらい!魂の芯まで氷つくようである。私の姉がいった
“ボクサーが三分たたかって一分休んでいるようだ!横でみていてもつかれる”
すぐ上の秋に最近妙な事をいった。“お前は若い時、いっぱい遊ばせてもらった。
末っ子だったからできたと思う。あれが羨ましい。”
たしかに、これほど戦略的にみてよい事はなかった。一生懸命やっていると、すばらしい事をやっている錯覚に落ちいってしまう。
結局それが何の為かを忘れてしまう。その事が浪人の立場にいるとみえてくる。 一生懸命やりすぎたのがこの様だ。
最重要のAをはずしてB・Cの事ばかりやりすぎて、そしてD(浪人)になってしまったこの様が、いやっという程身にしみる。
ところが、その立場に立っているのにそこより逃避しようとジタバタしてEFGとさらに落ちていく人を身近で何人もみた。
それも、中年期を過ぎた人が。私がこの経験より学んだ事は“何が自らにとって「A」であるか、それをじっくりみすえる事、
そしてその努力を人知れず、一人でこつこつ努力をする。世間とは周辺の馬鹿な現実にどっぷりつかりきっている四〜五人の事だ。
彼等こそ反面教師だ!”という事だった。定年退職期や事業の失敗等ではじめてそれに気ずく人が、
私がみている範囲で95%以上だ。要するに“節目”をつくるという事だ。そしてそこをうつという事だった。
〜〜
ーH0511 妙な夢―
(機砲△詭詒勝⊆宅のどこかで音が聞こえた。
泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、
居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。
ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になる, という夢(?)である。
これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて(そのまま水平にいて)
下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずいと思い下にもどろうとするがもどれない。
かなりうなされていたと思うが?何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
こんな事もあった、これは夢ではない。部屋の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。
はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみた。しかし夢ではなかった。
ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。

ーH0511
妙な夢―(供暴葉原のワシントンホテルに泊まった時の事。夜半、何かのケハイに横を見ると女の人の顔が浮いている。
夢だろうと腕をつねったが痛い。これは面白いとメガネをかけじっくりとみた。
全体が白光色の黒髪の27〜28才位の、のっぺらした美人であった。
別に恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。ところが何年か後に会社のある人にその話をしたところ、
“それってみんな同じ顔をしているんだよね!”といわれた時はじめてゾーッとした。 またこんな夢もある。
夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえてウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、
まずいと中断した。 あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。
その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという。
これも乗ったら危険と直観し去けた夢である。あれに乗ったらどんな景色がみえたのだろうか?
単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。


2697, 散歩について

2008年08月23日(土)

散歩の習慣と効用については何度か書いてきた。
1月から3月半ばを除けば毎朝、豪雨でない限り歩いている。もう25年ほどになる。
年々少しずつだが歩数は減っているが、それでも毎朝一時間弱は歩く。

日本人の歩行は、この三十年で激減しているという。
30年前で7000歩が現在では6000歩弱に、車通勤では、4000歩も歩かない。
江戸時代には日本には散歩という概念がなかった。
車がないので、何処に行くのにも歩いていたから、敢えて歩く必要も無かったようだ。
それでも、現代人と比べると3倍から5倍は歩いていたという。
西欧人のように、「楽しみのための目的なしの歩き」に名前を散歩と名をつけたのは、勝海舟であった。
氷川清話には、散歩の話がところどころ出てくる。散歩の語源は、漢方の言葉で、漢方の内服薬を飲んだあと、
その薬を早く吸収させるため歩くことを意味していた。
勝海舟は、外国人が生活の中に散歩を取り入れているのを見て、心身の健康の効用を看破した。

私にとって、散歩のない日々は考えられないほど、日常の生活の一部になっている。
大雨で歩かなかった翌日など、身体から毒素(恐らく活性酸素だろう)が抜けていくのがわかる。
それと、脳の活動が活発になるのも分かる。 これを続けていると鬱病などなる訳がない。
早朝に、陽光にあたりながら、鳥の声と、川のせせらぎの音を聞きながら、深呼吸をして歩いていれば、
マイナス思考など出ようがない。最近はiPodでアルファー波のタップリ入った音楽を聴く習慣も取り入れた。
哲学の小道が京都になるというが、決まった道を、他のことを意識しないですむ道という。
ソクラテスではないが、プラトンなどと問答しながら歩いたのは、脳が活性化するためである。
散歩を健康のためとか、考えるため、というのでは長続きはしない。
あくまで、楽しい日課の一つとして取り入れて、スキップするような気持ちで歩くことだ。

最近、80歳過ぎの少し痴呆症の入った年配の人が散歩をしている。
道に立って、来る人来る人に、手を上げて親しそうに話しかけている。
それが一日の大きな楽しみになっているようで、決まった時間に決まった何人かと親しそうに話しをしている。
私も話しかけられたが、どうも苦手で笑って通り過ごしているが・・・。
痴呆症にとっては、あの習慣は一番の薬になる。

ところで何でもっと多くの人が早朝散歩をしないのだろう。あれだけ心身にとって良いことを。
時間が無いのなら、チョットした時間に意識をしてあるくことだ。
もし私が散歩を取り入れてなかったら間違いなく現在、娑婆には居いだろう。
寝る前の風呂と、早朝の散歩で猿コールを蒸発させているから、事なきを得ている。

二十年ほど前に「散歩について」書いた随想を読んだ恩師が手紙をくれたことがあった。
その恩師は鬼籍に入られてしまった。

 後記)面白いものだ、偶然の一致になるが、「夜明けのリゾートタイム」で
    あとに書いてあった。
・・・・・・・・・・
2007年08月23日(木)
2333, ホッファー  −2
               *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!
この特異な哲人ホッファーの存在が、今日のように我々に知られるに至ったのは、
マーガレット・アンダーソンという「コモン・グラウンド」編集長である。
「たった一人、彼女が東海岸で自分の原稿を待っているのだと思えることが、
  自分の思索を持続させた」と、ホッファーは書いている。

世に出た著書は、好評だったが、爆発的に売れたわけではない。あくまでも彼は本の“著者”にすぎない状態だった。
1964年にカリフォルニア大学のバークレー校で週に一度の学生たちとの講義も担当するようになったときも
話題をよんだわけではなかった。ホッファーのような変わった人物を講師にするのは、バークレーのやり方である。
しかし、ホッファーはひとつの感慨をもつ。
「人にはこのように、世界のどこかでそれを待っているところが、少なくとも一カ所はあるものなのだ」ということを。

以下は、ある本からの抜粋である。
  −−
ホッファーが人気をもつきっかけは、テレビであった。
1967年、エリック・セヴァリードとの対談がCBSで放映され、大反響になった。
それから一年に一度、ホッファーはテレビ対談に登場する。
かれ自身はつねに目立たない存在を望んだが、どんな評価も名声もホッファーの生活を
豊かにすることも、その精神を危機から脱出させることもなかった。
社会や世間のほうがホッファーのような“例外者”を必要とした。
こういうホッファー・フィーバーのなかで、彼はまったく変わらなかった。
 
沖仲仕をやめて著述に専念するようになるのは六十五歳をすぎてから。
八十一歳で死ぬ(一九八三)まで、本を書きつづけ主要な著作は十一冊をかぞえる。
うち六冊は日本でも邦訳が出たが、現在も入手可能なものは一冊しかない。
これほど数奇な人生があろうかと思わせるほど波乱に富んでいるが、これ以上に面白いのが、
彼がいろんなところで出会った、数々の特異な社会的不適応者たちの語る自分の人生である。

この自伝には、そのような忘れがたい人々との忘れがたい出会いがつまっている。
その一つ一つが、まるで短篇小説以上の仕上がりになっている。
こういった出会いのすべてが彼の哲学的思索のナマの素材になっているのである。

自分自身がそのような不適応者の一人であり、その不適応者にまじって生きつづける中で、
「人間社会における不適応者の特異な役割」という、彼の生涯を通じての思索のテーマ発見する。
「人間の独自性とは何か」ということを考えつめていくうちに、「人間という種においては、
他の生物とは対照的に、弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ということと思いあたる。
つまり、「弱者が演じる特異な役割こそが、人類に独自性を与えている」のである。
そしてアメリカを作った開拓者たちというのも、実は、社会的不適応者が故に、
家を捨て荒野に向かわざるをえなかった放浪者たち(弱者)だったのであり、
それがアメりカ社会の独特の特質をもたらしているという考察にも導かれていく。
  ーー  ー「ぼくの血となり肉となった500冊」立花隆著よりー

ホファーの思想の根幹を成しているのは「思いやり」である。
不適応者に対する温かい眼差しと理解である。不適応といえば、誰もが他人事ではない。
誰もが思い当たる自分自身へのレッテルである。自己不一致こそ、本来もっている近代社会の中の特質である。
それぞれが情報化の中でも孤立しているから、誰もが不適応の弱者と思い込んで自己嫌悪に落ち込んでいるのである。
組織内では、歯車の一つとして自分の自己存在の意識の希薄さに、孤独感にさい悩まされる「自己疎外」
に陥っているのである。それぞれが孤立している中で、それぞれが自己認識を深め、その中で他人を、
弱者を思いやることこそ、アメリカ社会の特質と考えたのである。
 ボランティア運動も、このような思想の中から生まれてきた。
アメリカの開拓者は、実はそれぞれの国を追われたミス・フィットの人たち
放浪者だった!という説は、なるほど説得力がある!
逆に、ミス・フィットでない適応者?とやらが、哀れに思えてくる本である。       
      ホンジャ ミス・フィット紳士淑女諸君 ヾ(´Д`、)マタネ
                         −つづく      
・・・・・・・・・・
2006年08月23日(水)
1968.事業百訓・・・ −1991・1992年(6)
  H0301新年を迎えて!!

 (字数の関係でカット 08年8月23日)
ーH0305事業百訓ー
 376、(危)業 (気)業 (輝)業 (起)業
   (基)業 (旗)業 (企)業 (機)業
  377 、神よ!出切きない事を諦める能力を与えたまえ、
    そして出来る事をやる能力を与えたまえ、
    そして出来ない事と出来る事をみきわめる能力を与えたまえ!
   (ドイツ軍本部に書いてあった言葉)
  378 、私は目がよくみえた時にはよくつまずいたものだ(リア王―シェークスピア)
  379、 人間という奴は敵を口に流し込んで脳まで盗ませてしまう(オセロ−シェークスピア)
  380、 悩んでいる時は動けない!動いている時は悩まない!
  381 、??
  382 、??
  383 、 時流はー
    ディスカウンティング(競争の激化)
    イノベーションターゲット
    複合化   郊外化(本格的車社会)
  384、 人は、これでよいと思った瞬間その人間は利口でなくなる。
    えらいと思った瞬間えらくなくなる。
    自分はこれでよいと思った瞬間、その人はくさったも同然である。

ーH0307事業百訓 ー
 今より20年前、人間には周期(波動)があるのではないかと気がついた。
九年が一周期で前半が陰・後半が陽である。
(マイナス3才〜5才) (6才〜14才) (15才〜23才) (24〜32)
(33〜41) (42〜50才)(51〜59)(60〜68才)(69〜77)……。
そして周期の変わり目が厄年となり 人にとって非常に危険・不安定の年となる。
これは決して人の論理の借物ではなく私自身の周期であるが、昔より数え年で
24・33・42才と厄年と丁度一致する。

中高年の当社の応募の人の履歴書をみていると、大体厄年をきっかけに何か失敗しているケースを見うける。
厄年は、丁度肉体的に精神的にも節目の年ではないかと考えられる。
現在の私は今年までが陰で来年が転換の年となり1993年より陽転になっていく。
偶然の一致か事業計画も丁度それにあわせて立ててある。
過去を振り返ってみると全て陰陽はかったように明確になっており、一年の狂いもない。

少し運命論的な書き方になったがそうではなく、いかにその“節目”をみつけ“運”という波動(勢い)に乗るかである。
“陰”の時は“陽”の為の内的エネルギーの充実をはかる時になる。
これを書いていてマイナス3才(生まれる前の3年)とは、どういう意味なのか非常に興味がわいてきた。
私の兄が三才年上という年まわりに関係あるのだろうか? それとも……

ーH0309事業百訓ー
(字数の関係でカット08年08月23日)

ーH0311事業百訓ー
 最近私が造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。(江藤淳の“夜明けの紅茶”をもじったものだが)
〜當(4時半〜5時半)起床  近くの土手を一時間散歩
テレビ体操 も堊曄´ゲ搬価完のお祈り 食事風呂と続く。
 特に散歩が非常によい。山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。
 季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経をとなえる。
 この散歩に全てが含まれても過言ではないという“気”にもなる。 これを実施して4年、
 副産物として夜に出あるく事と、酒量が激減した事だ。健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。
 時々不節制が続くと散歩していると身体がだるく重くなるのがはっきり判る。
 また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったがなれると気分爽快になる。
 早朝型のきっかけは松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き感激して、自ら挑戦してみた事だ。
 彼は登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。
 1時間半10km歩くという。そして読書とシャワーをあびるとの事。
 夜は定時がくるとすぐ帰宅。夜のつきあいは一切断っている。これが逆に考える時間と、心の余裕をつくったのでないか。
 山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントではないか。

ーーーーーーーー
事業百訓ー1992年(11)
H0401新年を迎えて!!
            (字数の関係でカット)
ーH0403事業百訓ー
 385 、否定は結論であって、探究を中止する事だ。
   正しい結論は自ら体験をして、あらゆる角度から探究をして、疑問を解明してこそ出るものだ。
   根拠のない否定は自らを否定する事になる。(高橋信次)
  386、負けた時、すぐ反省することは一番良くない。反省するのは2番目でよい。
   反省というのは、まじめにものを考えすぎてしまうからです。そこには笑いがありません。
   趣味や道楽でもそうですが、とにかく無心になる、これが一番です。そして心底で笑うことです。
  “商売にうまくいく”“勝負に勝つ”すべてに共通している事は、無心になり笑うことです。
   それが幸せになれる最大の条件です。(米長邦雄)
  387 つきつめよ!あいまいにするな!先に伸ばすな!(渥美俊一)
  388 “人間の奇妙な特質の一つは他人の欠点はすぐみつけるが、
   失敗の原因となるような己の特質には気付かないという点である。
   ”この問題は人間に限らず企業にもあてはまるもので、危機管理における重要な課題を示している。
  389 「人間の真価は、その人が死んだとき、何をなしたかで決まるのではなく、
     彼が生きていた時何をなそうとしたかである。」  (ユング)

ーH0405事業百訓ー
  390 “阿弥陀仏”“十万億仏土”“極楽浄土”は“空”の別名であり、
   彼等(法然・親鸞・一遍)にとっての“空”の解釈であった。
   “空”こそさびしいものでなく、“光明”であり、
   極楽・阿弥陀如来のモチーフを借りた(司馬遼太郎)
  391 (一)十一年前に“統一料金×ロープライス×オールシングル
     =(業態の創造”をコンセプトに創業
    (二)(それより三年後)より“規模(量・シェア)の追求
     =300室規模・体制の確立”を次のコンセプトに、
    (三)二年前より次のコンセプトを目指して……
  392 “私は書物を人にはすすめない。その人にとって本は買うまでが勝負である。
    本屋でこの本を自分が買うと決めるその一瞬こそ最も大事なのだ。”
   (第一生命・桜井社長・“NHKトップインタヴュー”より)
  393 夫婦というものはおたがいの悪行を果しなく吸いこんでしまう、不気味な沼のようでもある。
                                   (川端康成“山の音”)
  394 人生は、ただ向こうから与えられるものではない。 自ら創ってゆくものである。
    自ら創ってゆくには、やはり三つの人生の段階が必要。ラクダの人生とライオンの人生と小児の人生。
   いいかえれば忍耐の人生と勇気の人生、そして創造の人生。
                          (梅原猛“学問のすすめ”)
ーH0407事業百訓ー
  395 ~402,字数の関係でカット
ーH0407高野山へ旅してー
 十年前より行きたいと願っていた高野山へ二泊三日の旅(ドライブ)をしてきた。
初日は比叡山の延暦寺へ寄り、“根本中堂”へ、二度目だがその荘厳さに圧倒された。
また新しくできた国宝堂の国宝・重要文化財の仏像・仏画等も延暦寺ならではのものであった。
翌日の高野山、特に“奥の院”への老杉に囲まれた参道は神秘的で左右の墓石群に千年の歴史の深さを感じた。
何げなくみた墓が上杉謙信、明智光秀、浅野内匠・伊達政宗・前田利長・豊臣秀吉等の墓であった。
三十人位の白装束の集団がすわりこみ“般若心経”を、あげていたのが武田信玄の墓であった。
県内では村上藩、長岡藩、新発田藩などがあった。
他にも代々の天皇家の墓や松下(電器)家の墓等も印象的であった。
この終点にある灯竜堂も灯竜の灯火が天井等に無数にならび、形容しがたい感動的なものである。
その奥にある弘法大師の御廟所も信者がそれぞれ“お経”をあげており、奥の院そのものという感じであった。
秀吉が母の菩提を弔うために建てた金剛峯寺も剛荘な構えで、“柳の間”(関白秀次が切腹させられた間)
がそれとは知らず、突然目の前に歴史を見せつけられたようであった。
高野山へ登る途中の林海の深さに感動、千百年も前によくぞこの場所をみつけたものと不思議であった。

ーH0407城下街小唄 ー
 私の出身地の長岡はかつて“長岡藩”の城下街であった。
その大手通りのほとんど真中に生まれ育った事もあり、その長所・短所がよくわかる。
その特質は閉鎖性・固定的、商人的であり、“城下街曼陀羅”がきっちりできており漫画的ですらある。

彼等の社会は“ウワサ社会”で構成されている。
特に長岡財界とかいう社会が存在(?)しており、彼等の出す“ウワサ”がその社会を大きく左右する。
それが事実であろうがなかろうが“マンダラ”の中心に近い人間が言った事こそ絶対?
(“ウワサ”として)彼等の社会をみていて、維持型の人間こそ“一級”と評価される。
固定社会が故に何もしない(何もできない)事こそがベストなのだ。

“非能動的二代目+婿取り娘サロン社会”と言える。
先日もいやな“ウワサ”を聞いた、今は下火になったのだが、新興の各業界の癸韻亮卍垢聞くに
耐えない“ウワサ”を流された。“一種の集団いじめ”なのだが、そのストーリーが陰湿でリアリテー。
冷静に考えればほとんどが尾鰭のついたウソである。それがおもしろおかしくて集団ヒステリック的に
つくりあげられており、自らの名が出るかどうか怯えている。
“参加型変態うわさゲーム”を全員で楽しんでいる“痴呆社会”そのもの。

ーH0407霊的体験ー
二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。
死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。
いや私自身(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。
夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が実感できたのだと思う。
それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になった!という不思議な実感。
経験した人間ではないとわからないはずだ。

また死後二〜三日後の夢も強烈な夢(?)であった。何か強烈な恐怖感がおそってきた。
その時、父のベットで寝ていたが“おやじ助けて!”と言ってしまった。
と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがり
トイレに行った。全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。

ーH0407禁断の秘密 ー
「近年の分子レベルの系統進化学は、神学者や哲学者によって数千年守られ続けてきた
禁断の秘密を一気に暴露してしまった。DNA(遺伝子)の構造上の相違量を測ると、
ヒトと二種のチンパンジーは1.6%であり、一方我々に近縁なもう一つの類人猿ゴリラは、
人とも二種のチンパンジーとも2.3%異なっていた。
この結果はゴリラがチンパンジーと人類が分枝する少し前にわれわれより分枝した。
となるとチンパンジーにとって最も近縁な動物はゴリラではなくヒトであり、
チンパンジーは実は“チンパン人”だった。……せいぜい六万年前まで
「単なる大型ほ乳類の一種あるいは、ちょっと変わったチンパンジーにすぎなかった。」
“7/14読売新聞” 東大、動物行動学 助教授・長谷川寿一

霊長類ヒト科ヒト属ヒト、これが我々の今までの分類上信じられており、
人類だけが高み立って勝手に分類していた事になる。
ヒトも含めた三種のチンパンジーの一種でしかなかった。 本当に刺激的“禁断の秘密”


2696, 「レンタルの思想」−4

2008年08月22日(金)

 
  ー人類を救う「レンタルの思想」松井孝典対談集ー

どの対談を読んでも、なかなか難しいが、何度か読むと解かってくるから不思議である。
対談でないと、専門家(特に学者)の書物を読む気にはならないが、対談の場合は意識的に
難しい部分を、噛み砕いて対談をしてくれるから、話しの内容についていける。

   私が、この二人の対談で理解できたことは、
・「『人間とは何かを考えたとき』 言語・法・貨幣 という本能と理性の間にある媒介物こそ、
  人間を人間にしているのだ」ということである。 しかし、その貨幣が欲望の肥大を生むのである。
・「貨幣という概念の誕生によって初めて、グローバルな人間圏が定義されるのではないか」
 「所有という欲望の具体的なカタチを貨幣という抽象化し、それがグローバルな人間圏を形成させた」
 という点である。
 これにインターネットで電子マネーが瞬時に世界を駆け巡るのだから、世界がグローバル化するのは必然。 
 
  まずは、一番印象に残った部分を抜粋してみた。

   −−−
ー欲望の倫理学ー  
           ー 松井孝典 × 岩井克人ー
岩井克人: 法のない社会では、たとえば他人に殴られた人間は、その人間を殴り返すか、
 または直接賠償を要求しなければならず、そこでは個人の力の大小や属するグループの強弱によって
 人間関係が支配されてしまう。しかし、法があれば、その法を媒介として、殴られた人間と殴った人間との 
 関係は抽象的な権利と義務の関係に還元されることになる。 それが人間社会を拡大する。
 さらに貨幣が導入されると、人間と人間との間の交換関係がグローバル化する。
 贈与交換にもとつく共同体では、交換の範囲がお互いに顔を知っている人間同士に限られるのですが、
 貨幣の媒介は顔を知らない人間同士でも交換を可能にする。
 地球上にちらばっていたローカルな人間圏が統合され、本来の意味での人間圏というのができることになる。
松井孝典: 地球システムのなかの人間圏という概念を定義する仕方に、二つあると。
 一つは物質エネルギー循環的に定義する方法、
 もう一つは貨幣という仮想的概念のもとに、一つの共同体として成立するか条件から定義する方法。
岩井克人:そういうふうに考えると、じつは『人間とは何か』と考えたときに、それは、言語・法・貨幣 という、
 自然でもなく人為でもない人間関係の媒介物、ハイエクの言葉を借りると(本能と理性の間)にある媒介物こそ、
 人間を人間にしているのだということになる。 それは同時に、人間を普遍化させることになります。

《対談を終えて》 松井孝典
生物圏から人間圏が分化したその時、人間の欲望が解放された、と私は考えた。
欲望の具体的表現が所有であるから、その時に人類の地球の所有が始まった、と以来考えている。
しかし、主流派経済学では所有権という概念を用いて、生物圏の種の一つに過ぎない段階でも、
人間の行動の全てを解釈する、という。 貨幣という抽象的概念の誕生によって初めて、
グローバルな人間圏が定義されるのではないか、という指摘と共に頭の中が刺激される。
ただし、未来という時間軸は、所有権という概念をもってしても、その議論に組み込めない。
私風に言えば、歴史を規定する境界条件が変化するとき歴史に基づいて未来は予測できない、
ということであるが、問題の難しさはいずれにせよ、この問題に帰着するようだ。(松井)
 〜〜
後記:電子マネーとか、地域マネーとか、ポイント制などの企業内マネーとか、
これまでとは違った貨幣が生まれだしてきた。特に注目するのはネット内の仮想世界のマネーである。
ネット内では、共通ルールと、共通マネーと、共通言語が必要となる。それを前提としてネット内の
仮の個々人が成り立つ。そして、リアル世界では実現できなかった欲望が解放される。
  金か〜 使ってこそ金、貯めるものじゃない、欲望を開放するもの。
   ただ仮想的概念でしかないことを忘れないことだ。

・・・・・・・・・・
2007年08月22日(水)
2332, ホッファー −1
                       オノヽ∋―_φ(゚▽゚*)
アメリカの社会哲学者というより、哲人・ホッファー。彼の文章を読むと、深い魂を呼び起こす熱が伝わってくる。
彼は自分の生きかたを通して人生の何たるかを考え続けている。
知識として、やっと彼まで行き着いか!というのが感想である。日本でいうと中村天風のような人物である。
「ホッファー」で検索をして、日本で現在一冊だけ出版してある本を見つけ、中古本だがアマゾンから発注をした。
「エリック・ホファー自伝 構想された真実」だが、今から読むのが楽しみである。

HPに彼に関する書き込みが多いのに驚いた。これからみても彼の哲人ぶりを垣間見れる。
生きていく上で真の「学び・学習」とは何かを深く考えさせられる。
まずは、検索で調べた哲人・ホファーの人生の概略図である。
 ーーー
・ホッファーは(1902年7月25日〜1983年5月20日)は、独学の社会哲学者。 
 ドイツ系移民の子としてニューヨーク、ブロンクスに生まれる。
・7歳のときに母と視力を一緒に失った。
・8年にわたる失明ののち奇15歳で跡的に視力を回復。
・生涯孤独を貫き、学校にも行かず渡りの日雇い労働者としてただ働き、
 時間ができると読書に没頭して思索を深めた。学校はまったく出てないかわり一日10時間、
 いや12時間、本を読みつづけ、綿花摘みから、鉱夫、ウェイターなど ありとあらゆる仕事を体験。
 1941年から、サンフランシスコで沖仲士として働いたことから、「沖仲士の哲学者」とも呼ばれる。
・20歳前後で父が死に、長らく養育役を買って出てくれたマーサ・バウアーがドイツに帰っていくと、
 本当の天涯孤独になった。
・残った300ドルをもってバスでロスに行き、「スラム」に入った。
 「まるで幼稚園から、いきなり貧民窟に入ったようなものだった」
 1930年、28歳までスキッド・ロウでその日暮らしを続けた。
 死んでみようかと思ったがそれはならず、ロスを出てカリフォルニア中を動きまわった。
・1934年の冬、こういう自分がいったい社会の中の何にあたるのか、やっと思い知った。
「ミス・フィット」(不適格者)という階層に属するということだったのだ。
 ミス・フィットは白人とか黒人とか、富裕者とか賃金労働者とはべつに、
 ひとつの階層をつくっていた。それがアメリカという社会だった。今でいうフリーターである。
・その後、農業労働に近い仕事を転々としながら、またまた読書に没入していった。
 あるとき砂金掘りに出掛けるときにモンテーニュをかばんの中に持って行ったのが、
 ホッファーを変えた。「モンテーニュは自分のことを書いている!」と思えたのだ。
・自分の活動に方針をもったホッファーは軍隊に入ろうとするが、ヘルニアで失格、
 その後はサンフランシスコで沖仲仕の仕事をしつづける。
・「家系はみな短命で、五十歳以上生きた者は一人もいない。
  将来のことなんか心配することないのよ、エリック。お前の寿命は四十歳までなんだから」
  養育役のマーサのこの言葉は私の奥深くに刻み込まれ、そのおかげで季節
  労働者をしていたときも、あれこれ先々のことを思い悩まずにすんだ。
  ーーー
 老年になるまで、ミス・フィットと沖仲士を続け、決して高ぶらず底辺の人たちから
 学び続けた哲人の姿に全米の人たちから激賞を受けた。その言葉の一言一言が重い。       
                     − つづく    マタネ! |ω‘●)ノ               
・・・・・・・・・
2006年08月22日(火)
1967.事業百訓・・・
     ー1989・1990年 (5)
ーH0101事業百訓ー
  313 生物はあきらかに“物”の領域である事を認識しなくてはならない。
  ……人間の“心”は社会現象によってつくられたものかも。
  あれだけ誰もが信じて疑わなかった天動説が地動説にとって変るように、心の存在そのものも……
  314 気分は悲観、楽観は意志である。(宇野収・東洋紡会長)
  315 父母によばれてこの世に客に来て、用が済んだらはいさようなら
       ー 一休和尚 −
  316 我々は法則を守り、法則は吾を譲るのである。我々は法則に従ひ、法則は吾にに従う −神示より−
  317 達磨さん、ちょいとこちむけ世の中は月花雪に酒に女だ。
  318 「人間この世に何しにきた?」−カリアッパ−
    「人間はこの世に宇宙本来の面目である進歩と向上に順応するべく、出てきた人だと思います。」−中村天風−
    「自分は今まで肉体だと思ったが、そうじゃなかった。
    心だと思ったがそうじゃなかった。見えない積極的な気体、いわゆる霊魂、これが俺なんだ。」
  319 これからの時代は規格大量の時代を卒業して、個性あるもの、好みを満たすものでなくてはならない。
   それには有利と、好きということを勘違いしないことです。好きな事をやれば必ず必ず熱心にできます。
   自分が何が好きかを考える事が基本となる時代です。

ーH0103ホテル事業についてー
 操業九年(準備一年)、ホテル業へ気楽に参入した後、強気強気でここまで時間がきてしまった。
 (字数の関係でカット、2008年8月22日)
 
ーH0105ー 事業百訓  
 320 あの世で神様が「あなたの一生の中で、一日だけ、もう一度生かせてあげます」
   と言ったら、どの一日をあなた選びますか?
  321 文学とは、もの言わぬ神の意志に言葉を与える事だ!(芹沢光次郎)
  322 我々にとって、出来ない事より、出来る事のいかに多い事か。
   出来ない事のみに目をやり、何故何もしないのか、出来る事に目を向けよう。
   そして一つずつ確実に実行していこう。それが我々の人間としての自然の営みのはずである。
                             (学生時代の日記より)
  323 彼は自分の能力・経験など全く信じていない。
   従って彼は、すぐに「事」のそばに行き、手で何回もくり返しさわり、確かめようとする。(アラン)
  324 彼は決心した!とは良い言葉だ。一言で決心と解決という二つの意味を示している。
  325 私は、最善を選ぶ事はできない。最善が、私の選ぶのだ!(タゴール)
  326 神様は、あなたに欲しいものは何でも与えています。与えられていないのは、あなたにその準備ができてない為。
  327 激しく生きただけ、深い眠りつく事が出来る。
  328 「昇君、一番大事な事は、人に相談するなよ!」(正力松太郎より五島昇へ)

ーH0107ー 事業百訓

  329 今ここ一升マスがあるとしよう。この中に栗を一升入れたら何にも入らないだろうか。決してそんな事はない。
   その栗の間に豆粒を入れればまだかなり入る余地がある。
   あとはもう入れられないかというと粟粒なら大分入る。それに水を入れればまだ入るだろう。
   このように時間の活用には上には上がある。(嘉納治五郎)
  330 明日為すべき事は今日これを為せ!(先まわし!)
  331 異質のものの組合せでしか新しいものは生まれない
  332 偉い人にならなくともよい、優れた人にならなくてもよい、
   人に役立つ人間になりなさい!(西田天香)
  333 “こころ”=念(こころ)=思い→想い→念い→空(念)即是色
  334 人生とは“人との出会いの歴史”である。それは自分史彩る知的財産である。
  335 商業半世紀の方向は\深造幣η筬∨/祐覿伐臭2然頁鵬であった。(創業も同じ道理を含む)
  336 ほめるとは
    (a) 祝う事・たたえる事
    (b) 美点擬視より自然発生
    (c) 言葉による親切である
    (d) 3ケ所×3回を実施できたらホメプロ!
    (e) 心のこもらないほめ言葉は品性のないお世辞おだて!

ーH0109事業百訓ー
  337 我社の社会的役割(事業としての存在理由)は、ホテルとしてのシングル・ルームの品質がよく、
   しかも安いという第三のテーゼの実現であった。そしてその事が新潟市内のプライスの下おさえとなり、
   他の大都市に比べ二割の平均プライスのダウンをさせている事である。
  338 事業経営にとっての“戦略”とは資産・資金・人材・組織等の経営資源の蓄積である。
   そしてこれとは全く違って“経営戦略”がある。これはその時流にあわせて乗りものを変えていく事である。
   時流にあわせて事業内容をガラリと変える事である。一般にこの二つ区分がつかず混同しているケースが多にある。
   非常な低レベルのトップでその下位にある営業戦略を“戦略”と思いこみ、
   レバー・ワーカー・レベルの人員不足と資金繰り不足を平気で口にしている。
   そして経営戦略(事業内容の変革)は全く考えている余裕すらなく、
   自らの舟が重大な危機にある事すら見えなくなっている。
  339 その事業内容が社会悪ならば、その努力すべては徒労であり悪の補佐としての罰を受けなくてはならない!
  340 不平家とは、その環境の不一致というより自分自身との不一致である事が多い。
   そしてその事に本人が気づいていない事が本人を不幸にしている。

ーH0111事業百訓 ー
341  a 21Cに向けての“コンセプトの明確化としぼりこみ”
    b イノベーション・ターゲットのしぼりこみ
    c “核本業”へ徹する→我社の社会的役割(存在基盤)
    d  戦略として確立
342 生きるとは“愛する事”“望む事”“感動する事”そして“身ぶるいする事”
343 企業とは解決すべき問題の集合体であり、経営者の仕事はその問題をみつける事である。
 問題さえみつければそれぞれの専門化にまかせればよい。(松下幸之助)
344 世界を引っ張ってゆく秘訣はただ一つしかない。それは強くある事だ。
 なぜなら“力”には誤診もなく錯覚もないからだ。力に裸にされた真実だかR(ナポレオン)
345 “因縁”と“果報”を分解すると “因”は直接原因であり“縁”は間接原因をいう。
 “果”は直接結果をいい、“報”は間接結果をいう。  (因→果)(縁→報)
346 …心を究めよ!しかしてその心をつくせ! 物質の足りざるは心で補うことができるが、
  心の足りざるは物質では補うことはできない!          (亀山閣−長末秀道)
347 春は人夢み、  夏は人と集う、  秋は人と語り、 冬は人と囲む (遠野物語)

ーーーーーーー
事業百訓ー1990年 
H0201 新年の御挨拶に代えて ー新年にあたり
  (字数の関係でカット、2008年8月22日)
 
H0205 事業百訓

  348 翔ぶ前には縮め!
  349 夢は天才である(黒沢明)
  350 “貧乏を直すな!貧乏で直せ!” “病気を直すな!病気で直せ!”
    …(結果をなおすのではなく原因をなおせ “もともとこの世に死んだ人間は一人もいないはずだ”
  351 経済的価値の創造  他者の価格のメッセージ
   私にとって仕事とは何か  現代の要請  自己実現の為の所為(創造こそ人生)
  352 毎日新聞の十二万首の川柳より選ばれたサラリーマンの川柳…
    無理させて、無理をすなと無理をいい(特選)
    粗大ゴミ、毎朝出すのに、夜戻り
    エム・エム・シー、余裕あらへん、イマイマシー
    過労死のニュースの時だけ妻やさし
    このカネ(給料)で24時間働けますか?
    露天風呂、化粧おとして、トドの群れ
    オバタリアン、選挙時だけマドンナに
  353 “過去が咲いている今、未来の蕾で一杯な今”河井寛次郎
  354 死ぬまで百倍!

H0207
事業百訓

  355 生きる最終目的を、私の(人間の)自己表現と思っていたが
    “神の自己実現”とは思っていもいなかった。(宗教書をよんで気づく)
  356 “それもそうだろう、この世には死んだ人間は一人もいない”
    “死とは何ですか?…死とは死んでから考えてもおそくない!今日一日が大切である”−中村天風−
  357 “自分の行動をもっとも身近な展望で、つまり今日的なもので決定する人間はもっと力弱い人間である。
                                  (マカレンコーソ連の教育者)
  358 ディスカウント+郊外+規模=好調という図式!流れ。
  359 意識はそれを持ち続ける事により無意識になる。
  360 肉体  気  意志  理智 歓喜  
  361 “気”とは ・全身呼吸(足芯呼吸)より生ずる ・“ゆるみ”が大事
    ・自然とのコミュニケーション ・“志”より生ず ・“今”(常に) ・宙遊
H0210
事業百訓
 
 362 〕体離脱  ▲肇鵐優訛慮魁´2岷狢慮魁´じの存在ー愛や慈悲を感じる
    ジの存在に案内されて亡くなった親や友人に会う κ匹箍呂嚢圓止まる
    Г修海膿誉犬鯣疹覆気擦蕕譴襦´┐前は早いと言われて戻ってくる。
    (臨死体験−一度死んだ状態より生きかえる事をいう。 ―カール・ベッカー筑波大学教授)
  363 愛とは立ちどまる事だ!ある一人の前にしばしたちどまる事なく、時間を使う事まく愛を交わす事はできない。
                                          (ピカート)
  364 末期癌の自然退縮の研究で医者に完全に匙を投げられた患者が、ときとして自然に治ってしまう。
   十数年前までは十万人に一人といわれていたのが五百〜一千人に一人あるそうです。
   そのうち69名を集めてわかった重大な事は人間の「実存的転換」という事です。
   自分の生命はいただいたものであり、“生かされて生きている”のであり、また自分という存在は
   他者からのサポートなしにはありえない(持ちつ持たれつ)という自己ルーツへの目覚め(実存的転換)
   がそれである。                         ―池見酉次郎−
  365 ワニ(爬虫類)と、 ウマ(下等哺乳類)と、 ヒト(後期哺乳類)が同居している人間の脳の矛盾。
 
H0211 事業百訓
  366 世の中で最も未開なところはアフリカや南極・北極ではなくあなたの帽子の下だ。
  367 モノ知りの馬鹿は、無学の馬鹿より馬鹿だ!(モリエール)
  368 “ニセモノ”にひっかかるのは、その人が“ニセモノ”であるからだ!
  369 賢い人は患者が賢者から学ぶより多いことを愚者より学びとる(カトー)
  370 “人間の知識は基礎的資源である”との洞察こそ近代日本が高度の成長に成功した原因である。−ドラッガ−
  371 最も有効な教育手段は仕事である。…その中で多くの事を少しずつやるな、
   物事を処理する優先順位をきめて努力を集中化する事が目的の達成と仕事の効率的な遂行との秘訣である。
  372 うっかりすると賞めてくださる人のすばらしさに気づかない事がある。
  373 出来ない事としない事を混同してはならない。
  374 人生80年と考えて、1時間1円とすると70万円、1万円と考えると70億になります。
    ところで私にとっていくらになるのか考えてみると……。
  375 “夢貯金” 自分の夢をどんどん想定し将来実現まで貯めていく事をいう


2695, 「レンタルの思想」−3

2008年08月21日(木)


「レンタルの思想」を、私の理解したレベルで、まとめてみよう。
ー以下は、思いのまま書いた内容で修正を敢えてしなかったー

《地球システムを構成しているのは、大気圏、その中の物質圏、その中の生物圏、そして、更に一万年前に出来た人間圏である。
それまでの生物圏で採取、狩猟で生きてきた人間が、牧畜・農業を始めたことで、爆発的な人口増加を可能にした。
そして5000年前から始る各地の文明は一万年前の牧蓄・農業への転換と、その結果としての人口の爆発的増加から始っている。
人間が狩猟に留まっていれば、せいぜい5〜600万の人口が限度であった。
それが、その1000倍を超えた現在、地球のシステムは、人間圏を支えることが出来ない相転移点
(水が氷、水蒸気に変化すること)に、達っしてしまった。
現在の天変地異や、エイズ、鳥インフルエンザなどの世界の混乱は、その一現象である。
我々は、人間圏からみた哲学的人間観、生物的人間観だけでなく、宇宙から俯瞰した地球システムの中の
人間圏の中の人間観を改めて作らなければならない。 
ここで、一万年前から始った牧蓄・農業のもととなる所有という欲望を、見直さなければならない。 
それは、地球上の自然だけでなく、土地、そして我々人間すら、地球からの借り物=レンタルという視点である。
地球システムは、このまま人間圏が膨張し、地球を汚染、破壊し続けると、人間圏に対してマイナスの
エネルギーを発することになる。いや、既に発している。
それがミャンマーのサイクロンであり、エイズであり、鳥インフルエンザであり、世界各地で起きている大地震である。
それを解決するヒントの一つが江戸時代にある。江戸時代の支配階級の武士社会は、武士階級の土地の所有を認めなかった。
更に江戸時代の消費をするものの大部分が有機物の植物であった。
それは、自然循環するもので、廃棄物そのものが、殆ど出ないもので賄われていた。》 
  〜〜
  以上が、私が著者のー地球をすくう「レンタルの思想」ーから理解した概要である。
著者は、著書の対談の中で、インターネットの社会は、地球外から俯瞰して考えてみると、危ないという。
情報が均質化され、個々人が過剰に主体的になりすぎるからである。
それが進むと、ビッグバンの状態に近い、混沌状態が生まれて、何が起きるか解らない事態になる。
これは、実感として解る。 現在の社会問題の多くは、これを起因しているといってよい。

この本を読み返し、そしてインターネット上で、彼のインタビューや、彼の著書の評論を読みながら、
考えているが、深い大きな示唆が提示されている。 人生観や信条が根こそぎ揺らぎだしてさえいる。
考え出して僅か一週間で、根っこが揺らぐのだから、私も知れたものだが、それだけのインパクトがある。
この百年の人口増加の比率が、今後3000年続くと、地球の体積と人間の体積が同じになるという。
それだけ20世紀は、人口が爆発的に増えてしまった。 
その一部の文明国?先進国が化石燃料を使い込んだため、その汚染で地球システムは崩壊を始めたのである。
僅か100年で、地球が数十億年かけて創りあげてきたシステムを根こそぎ破壊したのである。

この狂った猿は、「一人の人間の生命の重さは、地球より重い」と、のたまっていたのである。
隣の国では、狂った独裁者が今だ存在をして、将軍様と名乗り国を乗っ取っている。
しかし内向きという点では下手な資本主義より、地球のシステムにとって良いのかもしれない。
オウム教を肯定するのではないが、視点は宇宙からである。 オームとは、宇宙からの音波の音である。 
地球システムに人間は従うべき?という思想があるかどうかわからないが、一度修行で、宇宙に出て、再び
現生を見直すことに関しては否定は出来ない。
インターネットという、人類にとって一万年、いや十万年スパンの、とてつもない手段を手に入れた
人間は、時を同じくして地球システムの破壊という大失態をしてしまった。
  以上だが、なるほどと、改めて納得する。
  図書館で借りた本だが、他の著書と同時にアマゾンで発注をした。

  ー次は、印象に残ったの対談の内容を書いてみる。

・・・・・・・・・・・
2007年08月21日(火)
2331, 「ぼくの血となり肉となった500冊」ー2
      (*'▽'*)/☆゜'Good☆Morning   −読書日記
              
「ハエとハエとり壺」は、哲学の意味の説明に解りやすい喩えである。
道理さえ解れば何とことがないが、知らない当人にとっては道理の存在があることすら解らない。
還暦過ぎたり、死の間際になって気づくことも、若いときに少し考えれば解ることばかり。
それが教養ということなのだろうが、若いときは人生経験が浅いので
如何してもディズニーランドのキャラクターのように頭でっかちになってしまう。
しかし、それでもよいから教養を身につけることこそ必要である。     
              
ーヴェド・メータ著『ハエとハエとり壼』ーの斬新さ

立花隆
 ある日、何かの用事で「諸君!」の編集部に行ったところ、田中さんがちょうど外から、
帰ってきたところでした。いきなり「お前、ウィトゲンシュタインって知ってるか?」
と聞いてきた。「知ってるも何も、いま大学の授業でやっていますよ」
と答えると、「じゃ、『ハエとハエとり壺』知ってるか?」と、この本の話をもちだしてきた。
 ハエとハエとり壼というのは、ウィトゲンシュタインの有名な哲学の定義、
「哲学というのは、ハエ取り壷にはまってしまったハエに、ハエ取り壺からどうすれば出られ
 かを教えてやるようなものだ」 (『哲学的探求』産業図書)から出ています。、

 ここでいうハエ取り壺は日本のハエ取り器とはちょっとちがいます。当時ヨーロッパで使われていたもので、
大きなガラスビンを伏せたような形状をしていて、下からは出入り自由です。
ガラスビンの下のほうに置かれたエサにつられてそこにとまったハエが、
そこから飛び立つと、ガラスピンにトラップされて逃げられなくなるというものです。
ハエは本能的に上に飛ばうとするからガラスビンにトラップされてしまうのであって、
一回下に飛んで、ガラスビンの下のフチをまわれば逃げられるのですが、
ハエはハエの本能に従って上に飛ぼうとするので、どうしてもつそれと同じように、
哲学的難問はすべて、人間の知が構造的にかかえこんでしまっている弱点によって
作り出されたニセの問題(ハエと同じように逃げ道が発見できればたやすく逃げられるのに、
普通に頭を働かせている限り逃げ道を発見できない)だというのが、ウィトゲンシュタインの立場です。

本当はそこに問題そのものが存在していないということに気がつけば、
すべての哲学上の問題は解決されるというより消えてなくなる、というのがウィトゲンシュタインの
哲学のエッセンスです。 それを端的に表現したのが、ハエとハエとり壺・のエピソードのわけです。
ーーーーー

解)
この喩えに近いのに、勝海舟の蝿取り器?がある。 
甘い餌を欲に喩え、それに群がり逃れられなくなった蝿を大衆に喩えている。         
人間は死ぬもの、なら死ぬという目で人生を180度ひっくり返してみれば
何をすべきか、何を優先しなくてはならないのか解るはずだ。
それは、このハエとり壺と同じで一度、娑婆を醒めた目でジックリと
見つめなおさないと、その辺の娑婆人達の世間とやらいうガラスに頭をぶつけてしまう! 

方向を一度変えて下向きに飛んでみれば、ガラスから逃れでることが出来ように! 
だから哲学が必要なのである。 哲学って何かって?それは、死んでしまえばお終いよ!
じゃあ、生きているうちに何をしておいた方がよいか?何を知っておくべきか? そして何処まで望むべきか?
せっかくの地球旅行に、旅行先で小さな水溜まりでチャポチャポしてないで、彼方此方に行って何もかも経験して、
感動して、見るべきものをみて、知るべきことを知って、もういいや!と、嫌になる位のことをしないと!
その為には考えて考えて考えること、それが哲学!ということ。 違う?
水でチャボチャボも良いけどね! でも地球は広いし、せっかく地球に数千億の人間が来て何かを残していったのに、
その跡を見るほうが帰る時に良いんじゃない?それだけじゃない他の動物も多く遊びに来ているし・・・
 でも、水でチャボチャボもしないで、出歩いていて良いのか? まあ、こんにゃく問答になってしまった!           
                                ヾ(・ω・`)ノバイ
・・・・・・・・・
2006年08月21日(月)
1966.事業百訓・・・ぁ〇業百訓ー1987年・1988年(4)
 ーS6201新年をむかえて

 私の予測として今年より三年間が大激変の時と位置づけられます。
その初年度として今年をみています。世界経済が本格的に衰退期に入り、
その風が日本に本格的にふきはじめる年です。
その現象として、アメリカが日本に対して本格的に政治経済面で攻撃をしかけてくるのは間違いありません。
 また、国内的には間接税が来年より実施されれば、内部留保の厚い企業をのぞいて整理統合がはじまります。
 その中で企業として生きぬくためには、 
 ,茲蠹阿靴紳傘彿岐点の引き下げと △茲蠧嘆修靴神鑪の徹底がますます必要です。

ーS6201霊的体験ー
私には少し強めな霊的感覚があります。 今回より数回シリーズで実体験を公開します。
“A”さんが数年前になくなった時の事です。
同じ会社仲間だった“B”さんと十日町の彼の家へおまいりにいきました。
その途中の車中で“B”さんと般若心経の話になりました。
そこで彼の供養も含めてお経をとなえました。その後、Aさんの家の確認のため車をとめ地図をみました。
何げなく“B”さんの顔をみると、彼の顔がまっ青になっているのです。車中で“C子”さんの話をしていたのです。
“A”さんが入社試験にやってきた時、彼(A)が優秀という事であり、同じ十日町出身の美人C子さんにお茶を出させ、
郷里の話をさせたのです。 そのせいかどうか彼は私の思いどおり入社したのです。
そのおもい出話をした事であったのか数万分の一、いや数十万分の一の確立で彼女の家の前に車がとまったのです。
十日町に出店をした時、彼女の家の前を“B”さんが通って知っていたのです。
私がそこに“偶然”(?)車をとめてしまったのです。
“B”さんはあまり霊的な事を信じない人ですが、その時は最後まで信じられないという風でした。
私自身またかというのが実感でした。その日一日“A”さんがニコニコ私達を見守っていた、という何かを感じとりました。

ーS6203事業百訓 ー
224 偉大な人間とは自分の理想(像)の演出者をいう。 −ニーチェ−
225 苦しいときは人生で一番すばらしい時期―真正面に−
226 本気になったら自分が変ってくる。変ってこなかったらまだ本気になってない証拠。
227 本当にわかってない事が解る事が本当にわかること。
228 お金にも“強い金”と“弱い金”とがある。強い金とは自分が苦労を重ねて貯めた金。
  弱い金とは浮利で得た金。 (事業にも株も強い金を使う事)
229 非常に健康的な人の共通点として“至高体験”がある。(非常にうきうきした絶対的な幸福感)
   我々が至高体験をたびたび持つ事ができないのは“わき見”をしているため。
230 ともかく具体的に動いてみる。具体的に動けば具体的な答が出るから。 (相田)
231 アノネ、がんばんなくてもいいからさ、具体的に動くことだね。  −相田みつお−
232 この世で一番重要なことは他人の表情に最大のほほえみをうかべること。 −コーラン−
233 好かれる事は好く一面でしかない。

ーS6205事業百訓ー
 234  母親の体内で30億年間の生命の進化の命をくり返して初めて人間になって生まれてくる。
    十ケ月の間に30億年の生命の変化−つまり魚になったり等々(平沢興)
 235  常に備えよ!(ボーイスカウト万国共通標語)
 236  会社というものは何をやるにしてもまず儲からねば間違い。
    利益が上がるようでないと仕事ではない。(西 順一郎 )
 237  頭で考える人は勝てない。
 238  昔の築城主が城を築くのは今の建築家が家を造るの比ではなかった。
    城を築けば、秘密を知る唯一の人として生命を召される事をしりながら城を築いて徒容と切腹……。
 239  流水先を争わず。
 240  成功とは九十九パーセント失敗に支えられた、一パーセントである。      
 250 お経の中に仏様がすんでいます。毎朝お経をあげるとすっきりするのは、仏様が頭の中を掃除してくれるためです。
 251 (a)一歩は一円、 (b)一mは一円、(c)一ページは一円、 (d)一聞一円、 (e)一礼一円
 252  ヘッドオフィスの考え方。
 253  現実の自分が、もしかしたらなれたかもしれない自分に、悲しげに挨拶する。

ーS6207事業百訓ー
  254 世間一般の仕事の八割は中学生でもできるといわれる。
  (何故その分類ができないか、中学生でもできる八割の仕事ばかりしたがるのか?)
  255 人生、いいように考える事がコツですね。人生を渡るコツです。
   ……ニューヨークの大通りを観光バスに乗って見学していたら、私の近くの若い女がきれいに化粧をしてね、
   花飾りのいっぱいついた帽子をかぶって、満顔に笑みをたたえ、みるからに幸福でたまらないという顔をしている。
   よくみると両手から肩まですっぽり切り落とされたようになっているんです。
   …「こんなに天気で気持がよいのに、両手がない位のことで、この私が幸福になってはいけない、とでも…。
   人間は誰でも幸福になる権利があるんじゃないでしょうか」とでもいっているようにほほえんでいる。
   あれだと思いました。(宇野千代)
  256 アウシュヴィッツの強制所で絶望の余り自殺を決心した二人の囚人と語ったところ二人の共通点は、
   二人とも「もはや人生から何も期待できない」という感情であった。
   この時、コペルニクス的転回を、「人生が何を彼等に期待するか?」を説いてきかせる事が重要であった。
    一人は彼を待つ家族のもとに必ず帰る事がどうしても必要であった。(フランクル)

ーS6209事業百訓ー
“宇宙と地球と人類”を大雑握にとらえまとめてみると−
  我々の宇宙は百二〇〜百五〇億年前にラグビーボール大の素粒子がビック・バン(大爆発)により生じた。
  そのひろがりは(a)二千億の太陽で一つの宇宙(銀河系)を形成
          (b)その銀河が百億存在しているところまで確認され
  地球誕生は四十五億年前であり、太陽のまわりの細かい隕石がぶつかりあって拡大して生じたもの。
  三十億年前に生命が地上に誕生
  数百数万年前、猿が誕生
  五万年前にホモ・サピエンス(今の人類)が出現
  文明は五〜六千年前以前にはじめてうまれた。
  宗教(仏教、キリスト教)がおよそ二千   五百年にうまれ
  現在の地上の人類は五十億人であり、過去人類として出現した数は、およそ八百億人という。
  その人間も五十兆の細胞で構成されており、脳細胞は百三十億である。
 
 以上の背景を持っておよそ八十年間の寿命を全うする。
 子供の頃、胸にワッペン、片手にお菓子をもって、好きな女の子をおいまわす。
 女の子は大人をまねたママゴト。それを少し拡大した事を一生を通じて、何等不思議ともおもわずくり返す。

事業百訓ー1986年(5)
ーS6101新年にあたりー
 (字数の関係でカット08年8月21日)
 ーーーーーーー
事業百訓ー1988年ーS6303 
  魂の色は何色
 5才の時、一年間牧師が毎週家庭に説教に来ていた時の事である。
牧師の質問が“魂の色は何色ですか?”であった。姉兄等は当然答えられず、最後に私のところにきた。
一瞬考えた後の私の答が“魂の色は顔色”であった。牧師と両親のその時の驚きを、今でもはっきり記憶しています。
そこであの時の牧師の用意していた答は何だったのか、
T氏と酒をのみながら話し合った事があるのですが、結論はでずじまいでした。
その時のT氏は“白光色”。私はおそらく“虹色”ではないかという意見だったようです。
もちろんこの話にはオチがつきます。
五才の子供にこの言葉の意味がわかる訳がなく、肌色という意味で顔色という単語がでたのがそのタネあかしです。
しかし絶妙のタイミングで、絶妙な答であった事は事実でした。今の私にこれ以上の“答”をだす事は不可能です。
せいぜい“目の色”“音色(ねいろ)”“夢色”“十人十色”です。でも本当にすばらしい答は“肌色”かもしれません。

ーS6305ー 新井石龍禅師に学んだ事 ー1
 学生時代に、父と禅師が親交があり、実家泊りに来ていただいた事等の因縁で、
六日町の禅寺“雲頓庵”に読書を兼ね春・夏休みになると滞在させていただいていた。
度々なので自然と禅師と話をさせていただく機会が多々あった。 無知と若さの為平気で生意気な質問をした
私にいつも笑顔で答えていただいた事が、今では懐しい思い出になっています。
(私) −禅とは一言で言うと何ですか?
 (禅師) −字の通り天地宇宙に己の単(一人)である事を示す(気づく)事。
社会に出て半年あまりで気負いすぎで早くも行き詰まり、
  五日間の夏休みでの雲頓庵の禅師との対話 
(私) −世間と理屈は違う。理屈どおりに世の中いかなという事がつくづくわかりました。
(禅師) −あなたの理屈がおかしいだけ、世の中は厳しくも甘くもない。世間も理屈もあるものか!
 (厳しく感じたのは自分自身そのものが甘いだけ)。
後者の時は頭を真二ツにわられてしまったというのが実感でした。
頭で物事を考えていた私が、“自分が”前に出ていた私が、その時点でたたきこわされ、
社会人の一員にやっと一歩踏み入った瞬間でした。

ーS6307ー 人生は雷光なり
 二人で二百才になろうという人の対談の中で、過去百年をふりかえり、実感として“人生は雷光のようなものだ”
との内容に驚かされました。宇宙時間という観点で人間の一生は、雷光のように一瞬である事はうなずけますが、
自身の事となるとまだまだ実感としてピンときません。 そこでマンダラで図解をしてみました。
・・・・
ーS6307ー 新井石龍禅師に学んだ事 −2
夜十時頃、一人で本堂より三百m先に入った禅堂で 坐禅のマネ事をしていた時の事。
我慢で時おり襲ってくる恐怖感に耐え、そろそろ本日の終了と思った矢先。
誰もいるはずのない堂内に何かの気配!雲水に因縁めいた話を聞いた事も手伝い恐怖のどん底に落とされた。
私の人生で二回の超恐怖体験の一つでした。大声を出し、逃げ出したいのをこらえ震える足で本堂にたどりついた。
雲水と“医者の卵”と“弁護士の卵”と四人で、懐中電灯と棒を各々持ち、
恐々禅堂にその正体をたしかめに行ったところ、猫位の大きさの獣物だったのです。
逃げられないように禅堂の戸閉まりをして翌朝に持ちこみました。

再び四人で棒を持ってその獣物の正体をたしかめに行ったところ、何と“モモンガ”だったのです。
そこで“生け取り”と追いかけ回したのですが、途中から反対に歯をむき追いかけられる仕末。
その時騒ぎを聞きつけた老師が我々の一人の棒をとりあげるや、一撃でモモンガをたたき殺してしまいました。
その気合のすごさに本当に驚いてしまいました。 二十才そこそこの大の男が四人逃げまわっているのに、
九十近くの禅師が何のためらいもなくただの一撃!
私自身その時、合気道を三年近くやり、少し逆せていた時だけに、その迫力にショックをうけてしまいました。
結局武道も禅よりみると枝葉でしかないのか?等々。 



2694, 「レンタルの思想」−2

2008年08月20日(水)

    二十年ほど前か、「人生は神様からの借り物、何を焦っているのか! 借金も資産のうち、
    その資産も借り(仮り)でしかない。自分自身も大自然からの借り物でしかない。
    借りの世界と言う人生では、何事も真正面から目を離さなければ、それだけでよい!」と、
    視点を見据えたら気持ちの重みが半減した。所詮、娑婆は生きているうちの幻想でしかない。
    「色即是空、空即是色」ということだが、それもこれもレンタルと思えば、それでよい。
    宇宙からの俯瞰からみる宇宙的人間論も必要な時代に差し掛かったのである。

 ーネットにあった「レンタルの思想」の松井教授の‘インタビュー’の部分をコピーしたー

・夜半球の地球を宇宙から眺めると煌々と輝く光の海が見えます。
 この光の海を "地球システムを構成する人間圏という構成要素"としている。
・大気が見えるとか、海が見えるとか、大陸地殻が見えるとか、森林が見えるとかと同様に森林は生物圏です。
・我々が一万年前か農耕牧畜という生き方をしている。狩猟採集"と"農耕牧畜"という生き方を宇宙から
 見るということと同じですが、地球システムという見方で比較すると、この二つはまったく違う。
 "狩猟採集"というのは、"生物圏"という地球システムのサブシステムに閉じて生きる生き方です。
 動物がやってる生き方なんです。我々人類が700万年ぐらい前に類人猿から分かれたといっても、
 狩猟採集をしているうちは基本的にほかの動物と変わらない
  
  ー人間は、生き物の一種にすぎなかったー
・人間は生物圏の中の種のひとつとして生きているということなんです。
 食物連鎖に連なって、生物圏の中の物やエネルギーの流れを利用して生きる生き方。
 いろんな人類が生まれては消えたという歴史の中で、現生人類も1万年前まではそういう生き方をしていた。
 その"農耕牧畜"という生き方を地球システム論的に考えてみる。例えば、森林を伐採して畑に変えると、
 太陽から入ってくるエネルギーが地表で反射される割合が変わるわけです。
 これは、太陽のエネルギーの流れを変えてるわけ
・雨が降ったときに大地が侵食される割合も、森林に覆われているときと農地とでは全然違うわけです。
 それが土砂として海に流れていく。これは、地球における物質循環を変えるということでしょ」
 これはすなわち、地球全体のエネルギーや物質の流れに関わって生きるということです。
 それを地球システム論的に分析すると、"人間圏"という新しい構成要素をつくって生きる生き方ということになる。
 その結果、地球全体の物やエネルギーの流れが変わったということです」
  ー"人間圏"というのは、我々が生物圏の中から飛び出して作った新たな構成要素ー
・1万年ぐらい前に生まれて、どんどん大きくなって今に至ると。その発展段階での違いも分析することができます。
 すると今の人間圏の問題点も浮き彫りになってくるわけですよね。
 そのシステムが何であれ、システムを記述するときにはその構成要素が何なのか、構成要素間の関係性が何なのか、
 これを特定するとそのシステムの特徴が分かるわけです。関係性とは駆動力が何なのか、によっています」
 地球システムの場合で言えば、構成要素とは先程述べたようなさまざまな物質圏です。その関係性とは例えば、
 海から蒸発した水が大気中で雲を作り、雨となって落ちて大陸を侵食して……といった循環ですね
・人間圏の場合だと、産業革命のころまではその誕生以来、基本的な変化はありません。
 駆動力という意味では、地球システム固有の自然のエネルギーを使っていたということです。
 すなわち、地球という星全体の物やエネルギーの流れを人間圏にバイパスさせていたということです。
 日本だと江戸時代まで、ずっとそうなんです」
・体にしたって、皆さん自分の体だと思ってるでしょ。でも、自分の体じゃないよね。
 生きている間、地球から借りてるだけだよね。
・元々地球を構成している元素の一部をたまたま体として利用している。
 我々が生きるときに身体という物が重要なんじゃなくて、それぞれの臓器が重要なんです。
 人体というシステムを構成する構成要素ですが、その臓器がそれぞれの機能を発揮して、
 人体というシステムを作ってる。重要なのは、その臓器の機能なんですよね
・これはどういうことかっていうと、実は身体という物を所有するんじゃなくて、レンタルしてるということです。
 こういうふうに物事を考えない限り、地球システムと調和的な人間圏は作っていけない
 こういう方向に動いていかなきゃいけないけど、これは基本的には資本主義経済とか市場主義経済とかと矛盾するよね
「例えば江戸時代だと、領地にしても家屋敷にしても、所有しているのではなく、貸し与えられているだけですね。」
「そのころは、もともと所有なんて概念はない。みんなレンタルだった。加えて駆動力をその内部にもたないから、
 江戸時代に環境問題なんてほとんどない。これは地球システムと調和的な人間圏。
 そういうことを考えてみれば、わたしの言ってることはそんなに荒唐無稽じゃないんだけど」
   ーーーーー
   一万年来の、大転換期に差し掛かっているのは解っていたが、それは情報化時代の到来が起因と思っていた。
   それが人間圏の膨張による限界点を超えたことによる、とは。
   地球のシステムが間違いなく人間圏を破壊する。それが温暖化による天変地異や、これから間違いなく
   数千万規模の死者が予測される鳥ウィルスの流感や、エイズである。 それを目の当たりに見ているのである。
   ミャンマーのサイクロン、中国の四川省の大地震、至近では中越大地震、中越沖地震、これは始まりでしかない!
   人生の元を取っている?ので、諦念でとらえているが、しかし5年〜10年スパンのことではない。
   50年〜100年単位で、いやもっと大きなサイクルだろう。20世の人類は何をしたのか?未来の人類に。
   
・・・・・・・・・
2007年08月20日(月)
 2330, 「ぼくの血となり肉となった500冊」 
                          ー読書日記
         (`・ω・。)っノXXXXXXX>C 才ノヽ∋―
「ぼくの血となり肉となった500冊そして血にも肉にもならなかった100冊」ー著者 立花隆

昨日の「株価暴落の意味するもの」で引用したが、この一ヶ月は隙間時間があると、この本を読んでいる。
彼の猫ビルにある3万5千冊の中から選んだ数百冊の本のミニ・ダイジェスト。 数行から数十行の内容が
キラリと光っているものばかりである。 ランダムに面白そうな部分を抜粋しながら考えるに丁度良い。
『思索紀行 ぼくはこんな旅をしてきた』の続刊的な本である。
この本がキッカケで、彼の著書「エーゲ 永遠回帰の海」を買って読んで、今年の旅行ははギリシャと決定した。
更にウィトゲンシュタインの「90分でわかるウィトゲンシュタイン」を買った。 彼の本は、読書のナビゲーター
として割り切って読んでいる。まずは、彼の彼たる所以である特徴の部分から抜粋してみる。

 −−−
*フィクションからリアル世界へ
(P−64 )
立花: 小説などフィクションの世界は、ぼくにとってリアルな世界の外にあるものなんです。
幻の世界は人間がいつでも作ったり消したりできる仮象の世界です。
しかし、リアルな人間社会の存在物のほうは勝手に消去できないじゃないですか。
そういう意味において、前者はもちろん後者も、「神様が作った被造物の世界」
のほうに属しているとぼくは思っています。つまり二つの「リアルな世界」
(自然世界とヴィーコ的人間社会の産物)は、どちらも神様が作った世界、人間が完全コントロール
できない世界といっていいと思うんです。神様の構想力と想像力は、いい意味でも悪い意味でも
人間の構想力と想像力をはるかにこえた高みに達しているということです。

リアルな世界を取材して書くという仕事をつづけていると、取材が深まるにつれて、前にはとても
見えなかったすごい世界が見えてきます。
リアルな世界の極限部分は、あらゆる意味において通常の人間の想像力をはるかにこえたところにあります。
ぼくの取材仕事の半分くらいは、科学技術の世界にありますが、
その世界でも同じことがいえます。極限部分は人間の想像力をこえます。
人間的世界の悪の世界においても、人間精神の高貴さの点においても、
あるいは数多の自然科学的世界の自然現象のパラメータにおいても、
あるいは人間が作った工学的世界のパラメータにおいても、途方もないものが、
この世の中に存在するというのが、リアルな世界の面白いところです。
極限世界を見る経験が積み重なるにつれて、ぼくの中で自然に、
フィクションの世界とノンフィクションの世界の間の価値の逆転が起きました。

 ーそれはいつ頃の話ですか。
立花: その逆転がいつどこで起きたのか自分でもはっきりしないのですが、
かつては、将来いつかフィクションの傑作を書いてやろうと思っていたのに、
あるときからそのようなことを夢想することが全くなくなりました。
いまは、作りものの世界より、リアルな世界のほうが何層倍も面白いと思っています。
しかし文春を辞めたばかりの頃は、寺山が書いてくれたオビに
「てっきり小説を書くのだろうと思った」とあるように、確かにぼくの心は、
フィクションとノンフィクションの間でゆれていたんです。
というよりは、むしろその間にあるもう一つ別の軸、先に述べたような、
「哲学的な新しい世界認識を得ることの誘惑」の間でゆれていたんです。

 ーしかし、ヴィーコなんていう妙な人のことをよく知っていましたね。
 (字数の関係でカット2008年08月20日) 

・・・・・・・・・
 2006年08月20日(日)
 1965.事業百訓・・・
  事業百訓ー1985年・1986年(3)
   S6001新年にあたり
 (字数の関係でカット2008年08月20日) 

ーS6004事業百訓ー
(字数の関係でカット2008年08月20日)

ーS6007事業百訓 ー
  151 彼は何も知らないのに何か知っていると信じている。これに反して
  私は何も知りはしないが、知っているとも思っていない。(ソクラテス)
  152 序、破、急
  153 暇を利用しない人は常に暇なし。
  154 芸術とは、破壊の集積である。−ピカソー
  155 三十才までで人生の大部分が決定する。それも二十才より二十五才までが人生の縮図と断定してよい。
  156 “ひらめき”は集中力のきわみ。
  157 万事を得んとすれば一事に専心すべし。
  158 個性、個性といって、一つの石ころが他の石ころと違うことを
    得意になってもお前さんがたを大勢一緒にあつめたら、ただの「砂利」ではないか。−広津和郎−
  159 集中力とは、問題に対して注意を一点に集める能力。
  160 問題解決の方法は「理ずめに考える−論理的に考える」
   「比喩−たとえ××」の二つの方法しかない。

ーS6008事業百訓ー
  161 ライバルは他社ではなく変化そのものだ。−イトーヨーカ堂−
  162 一番危険な事は多少とも知っていることだ。
  163 質の向上が自然と量の拡大になる。(質の追及は量をともなってくる。)
  164 一つの成功は次の成功の入場券を手に入れたにすぎない。
    −キッシンジャー−
  165 “旅立ちは夜あけ前に!”
  166 “常住戦場”“常住不況”
  167 D・D・S(Deep・Discount・Store)
    今までのディスカウント・ストアよりももっと安さを追求した店で、アメリカ流通業界の新しい業態の店。
  168 怒らず、恐れず、悲しまず。
  169 経験をしない者は、知ることができない。
  170 人間は神様によって生かされている存在である。この認識の上に立つといろいろな事がみえてくる。
    運にめぐまれ隆盛している人物がいる。彼は神につかわれているのである。
    別の言葉でいうと、この状態はツイている状態である。
    ……こうもいえる天地自然の法則にそって自然の流れに適応していく事が神様につかわれることである。
     −伊藤昌哉−

ーS6010事業百訓ー
  171 欧米社会の原型は“父性社会”であり、日本は“母性原理の社会”である。
    (グレート・マザの潜在意識の中の存在・マザコン社会)
  172 悩むのはお前の勝手!
    自分が悩むのは自分を“神”より見せてもらっているのだ。
  173 “情報化”とは“自由化”を意味する。(逆に“自由化”は“情報化”を意味する)
  174 時代の流れで“高度化”と“高級化”を間違わぬよう。
  175 順境は逆境のシグナル(逆境は順境のシグナル)
  176 生徒(我々)と先生(お客様)はむかいあうのではなく
    同じ方向に向いていなくてはならない。
  177 一日十通の手紙を出す事を自分に課した七万通を既に出した人の話。
  178 “商い”と“経営”のあたりまえの条件とは
    「一人一人のお客様がきちんとみえること」
    「一品一品の動きがきちんとみえること」
  179 店や企業にとってのチャンスは外にはない。我うちにある。
  180 真の価値は体質が生みだす。
    お客様の選択は表面的なものでなく体質そのものにむけられているはずだ。
  181 キューピーマヨネーズはマヨネーズだけであれだけ大きくなった。
  182 店の「心」がときめいているか。そのときめきをお客様につたえるのだ。

ーS6012事業百訓ー
  183 企業内にあるのはコストセンターのみ。プロフィットセンターは外部にある。
  184 経営の根幹は、
      第一に徹底したプレーン・ストーミング。  第二にそれによる明快な戦略の確立。
      第三に軍隊的な実行。  第四に公正な事業評価である。
  185 一棟規模を思いきって大きく投資する事が経営のポイントである。
  186 プライス力 四割 規模力 三割 駐車力 三割
  187 企業の「三力」 「知力」「体力」「魅力」
  188 予定挫折(人生マニアル化)
  189 葉書の達人たるべし(葉書の活用いかんでその人の人生の充足度がわかる。)
  190 人はこの世に神より封書をもたされておくり出されている。
    35才を中心とする小十年の間にあけてみるべし。
  191 “必要は発明の母”の時代より“発明は必要の母”の時代へ。
  192 地方における最大の害悪は、農民感覚をマイナス面に作用させてしまう事である。
    (毎年同じ作業をくり返す事がよい事であり変化は悪である。城下町はその典型。)

ーーーーーーー
事業百訓ー1986年
ーS6101新年にあたり
(字数の関係でカット2008年08月20日)

ーS6103事業百訓 ー
193 ・性相近 
  ・習相遠(人間はうまれた時は能力に差はないが、努力の積み重ねでその差は無限となる)
194 今なる時はなかりけり。“い”の時くれば“ま”の時は去る。
195 べきときにべくる事をべきすべき。
196 創造とは伏従行為である。耳をすましてきこえない声を聞く。
197 生のほうから死をみると暗いが、死のほうから生をみると明るい。
198 五年あるいは五億が一つの壁、この壁をこえなくては並の中小企業か倒産かどちらかである。
199 今年はごまかしごまかしやってきた高度成長期の遺物が、かたずけられるといった程度の年。
200 感謝をすれば感謝のできる事が近よってくる。
201 現在の絶対的方向
  (1) 国際化が進む事  (2) すべての面で自由化が進む (3) 都市の集中化が進行
  (4) 人工の老齢化が進む  (5) 科学技術の想像を絶した発展
202 “美”の本質を追求していくと秩序を内在している。
203 “美”とは誰がみても美しい不思議。
204 古今の名作はわかりやすい。(難しさはきえやすい)

ーS6107事業百訓ー
205 他人によってキズつけられるのは自分のエゴイズムだけである。
206 善き人におきる事は必ず善き事である。  (善き人には悪いことはおきない。)
207 みじめなということは低きところにおる人ではなくて、進むことのできなくなった人です。(八木重吉)
208 私みずからであること、それのみ絶対である。私みずからより大きい必要もない、自からである時のみ神を感ずる。
209 禅を通じて得たことは“徹すること”“こだわらぬこと”である。この二つがそのまま勝に通ずる。−川上哲治−
210 打破漆桶底(性の根底にある無明その底をぶち破る。その底がわれて仏とひとつづきになること)
211 もとはこちら、そのままけっこう(そのままけっこうがこの世の極楽である)
212 一日は一生の縮図です。それをさとって粛然たる思いがした時初めて人生の真実の一端にふれたようなものです。
213 人の幸福をともに喜び、ひとの不幸をともにかなしむ

ーS6109事業百訓ー
214 悟りということは
   「如何なる場合にも平気で死ぬ事かと思っていたのは間違いで、
    悟りとは如何なる場合でも平気で生きて居ること」であった。−正岡子規−病 六尺
215 平家を滅ぼすものは平家なり、鎌倉を亡ぼすものは鎌倉なり −徳川家康−
216 プライス戦争が最終的に勝てる条件である−そのための体質づくり−
217 大きくなるまでは専業できなくてはならない。
218 “量”の拡大は“質”の向上をうながす。(質が向上しなくて量の拡大を維持できなくなる)
219 “量”が70%、“質”が30%(量稽古を体験せずして、技術の向上なし…)
220 一流の結果を二流の選手が出しただけのこと(−野村元捕手の講演より−その為にあらゆる手段、頭を使いきった)
221 人間限界を知るようになると
   〔槁犬茲蠍充造鬚澆襪茲Δ砲覆襦´▲離Ε魯Δはっきりみえる Fをつかう必要性を知る(野村選手)
222 明確な他社との差別化こそ戦略のテーマ
   (→それは他社との闘いよりで得られるものでなく、(自社のお客様との闘いの中より勝ちとる事である)
223 人材とはある一面がすぐれている人をいう。
   人物とは一つ一つはたいした事はないが、トータルとして重量感があり魅力・能力のある人のことをいう。

ーS61 12ー  今年度をふりかえって                   以下字数の関係でカット2008年8月20日)
 


2693, 「レンタルの思想」−1

2008年08月19日(火)


   松井孝典の対談集の ー人類を救う「レンタルの思想」ーが面白い。
  あるブログに松井教授の「レンタルの思想」を簡略した内容があった。
 まずは、その思想の概略から、
 〜〜
・一万年の人間圏の歴史でみると、現代を人類の歴史上相対的な意味で、飢えから解放されて豊かになった時代。
 この豊かさはなぜ実現できたのか。 未来はこのまま豊かになり続けるのか。
・地球の歴史は、環境問題として考えれば汚染の歴史である。 
・地球システムの構成要素が変化すれば、地球システムのモノやエネルギーの流れが変化し、環境が変わることは
 当たり前である。 問題は人間が、この時間変化を速めている事にある。 
・では我々はこの問題になぜ危機感を抱いているか? 
 それは100年という非常に短い時間に環境が変化し、我々がそれに適応できないからである。 
 人間圏がここまで大きくなってくると、時間変化をこのままずっと速めていくという事はできない。
・我々が右肩上がりという共同幻想を維持したいとしても、それは達成できなくなりつある。
 そのひとつが、インターネットによるサイバーワールド。 情報という仮想的な世界、地球というリアルワールドでなくて、
 情報社会というサイバーワールドをつくって、その中の時間を速める事によってサイバーな豊かさを追求しようとしているのが、
 現代の人間圏のもう一つの特徴である。 サイバーワールドは飛躍的に拡大していけるが、リアルワールドはもう拡大できない。 
 これまでの右肩上がりが継続し、時間変化もいくらでも速められるという幻想を、あたかも現実であるかの様に見せる世界だけが
 発達しているのが現在の人間圈である。 そのサイバーワールドに、右肩上がりという共同幻想を押しつけて、あたかも未来も
 豊かになっていくかの様な幻想の中に生きているのが現在の我々である。

・人間圏の未来を考えた時、この様な右肩上がりで均質化をめざす事で良いのだろうか。 
 又、人間圏の現状をどう認識する上で宇宙から見た視点が必要だと言う事である。
・我々は20世紀を振り返って21世紀を考えるという発想をするが、もっと長いタイムスパンで現在を認識しないと、
 人間圏をつくって生きるという、我々が地球の上で行なっている生き方の是非は論じられないことを指摘しておきたい。
・長い歴史に基づいて未来を考えるとどうなるか。 その様な歴史においては、歴史とは「分化」だとすれば、
 人間圏が「分化」するというのが「未来」という事になる。 
「人間圏の分化」とは、人間圏を構成する要素、ユニットをどう考えるのかという問題である。 
・単なる造具にすぎないインターネット社会という人間圏に、今後どんな共同体が新たにつくられていくのか。 
 あるいは国家という共同体、EUの様な地域的な国家の共同体が、人間圏のユニットとして、今後どういう意味を持つのか
 という事を考え直さなければいけないのである。 人間圏の新しいユニットとしてどういう共同体をつくっていくのか、
 そこに未来がかかっている。その為には新しい思想が必要である。 それを「レンタルの思想」と呼んでおきたい。  

・人間圏をつくって生きるという生き方で、これまで追求されてきた事は、個人が豊かになっていく事である。 
 豊かさとは具体的には物を所有する事である。人開圏をつくって生きはじめた結果、我々は初めて欲望を解放しても
 生きられる様になった。 しかしそれは、人間圏への物やエネルギーの流入を増加させる事ができるからである。
・人間の欲望は際限なく、右肩上がりにどんどん増大するから、それを満たす様に人間圏を拡大させてきたのが人開園の歴史である。 
 人間園が拡大できなければ、これまでの様な豊かさの追求はできない。従って今、豊かさの意味が問われているのである。
・我々の存在そのものも実はレンタルである。 我々は自分のからだを自分の所有物だと思っているが、これは物としては地球から
 借りているにすぎないのである。 地球から材料をレンタルして我々は自分のからだをつくり、
 その機能を使って生きているだけの事である。
「所有」に対するアンチテーゼは「借り物」、即ち「レンタル」という事でレンタルの思想と命名したのである。
・本書では、地球の上にへばりつき人間圏の内部に閉じ、人間を絶対的な存在として全てを考える人間中心主義的な
 人が陥りがちな考え方へのアンチテーゼとして、 宇宙人という知性が存在すればこう考えるのではないか、
 という考え方を紹介してきた。 宇宙人としてどう生きるかを考えない限り、これからの地球システムと調和的な 
 人間圏=文明 はありえないと思うからである。 
 その様な視点から21世紀の科学が創造できるのではないか、その「解」一つがアストロバイオロジーである。
  〜〜
 以上だが、次回は松井教授のインタビューを紹介して、考えてみよう。

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2007年08月19日(日)
2329, この株価暴落の意味するもの
                   ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
この一ヶ月足らずで、株価が3000円近く、大よそ15佑硫爾欧蓮△笋呂蟲い砲覆襦
アメリカの低所得者のローンの破綻や、アメリカ経済の疲弊、自民党の参院の大敗、
近々に予測される衆院選挙と、その結果の混乱を先読みした結果である。
参院選挙以降から株価がジワジワ下がり始めて、ついに一昨日800円の暴落になった。

ところで立花隆の「ぼくの血となり肉となった500冊」で紹介されていたスティーブン.ローチ著『超大国の破綻』
(中央公論新社)の内容が、アメリカ経済の破綻が始まったのではないかと不安になる。
立花隆の本からの抜粋をしてみると・・・

−−−
目次には、
「もはやアメリカ経済は世界経済を支えられない」「ドルの暴落は必然的に起る」
「激突の道を走る世界経済/グローバリゼーションが生み出した世界的供給過剰/
 資産バブル破裂/かくてデフレは生じ、今後も続く」「情報革命は『失敗に終わった革命』」
「幻想をばらまく"ばら色のシナリオ」「景気二番底の危機に直面するアメリカ経済」がならぶ。
  (字数の関係でカット08年08月19日)

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2006年08月19日(土)
 1964.事業百訓・・・
   事業百訓ー1983年・1984年 (2)
 S5801新年にあたり 激動の年

 今年はあらゆる面での激変の年となりそうです。
本格的新幹線の年に入ると同時に高速道路の開通等による首都圏化が、
ますます明確になって時間的距離だけでなく、主観距離が数分の一になってしまいそうだ。
我々の身近にも世界的不況が一刻一刻と近づいてくるのがわかります。
と同時に超LSI等のマイコン革命が社会生活の中に顕著にあらわれ出しています。
当ホテルをみても(決してオーバーな表現ではなく)
機械の中に部屋がある機械の中にショップがあるといってよいほどメカニズムが入ってきています。
 また、新幹線の影響により今まで平日(月〜金)で空室が出る事は、
二ヶ月に一日あるかないかというのが、(年末という事もあったのですが)一ヶ月に3〜4日も出たりしています。
その反面、平日の火〜木曜日までの満室断りのTELが今までより、多くなったりしています。
学生ショップをみても、人事院の給与凍結の発表と同時に昨対50%以上つづいた売上の伸びが
20%の伸びにおちこんでしまったり、予測もできない現象が生じています。
今年からはこの様な予測外の事が(というより予測不可能な事が)
次々と出てくる事を前提に変化を見ていた方がよいかとも思われます。
今まで比較的環境条件のよかった当社も、今年はあらゆる点で大きい節目である事は事実です。
その中で一人一人が会社理念の“誠心誠意”と“七大方針”をもとに、
一体となり変化に対応していかなければ、競争環境の中生きぬく事は不可能です。
ーー

ーS5801事業百訓
51 会社経営のコツ=平均年令を常にひき下げる事
52 事業の鉄則=2分の余裕を常にもつこと
53 案に一案、二案、三案、常にもつべし
54 三倍の法則は生きていた =赤穂浪士は3人1組のグループで1人の敵に集中攻撃
55 もうける前に損失を回避すべし
56 第一次産品をさけるべし
57 事業の基本は占有率にあり
58 他人の利益を図らずして、自己の利益はありえない
59 “まず出ずるを制して、入るを図る”べし! 今や“入るをはかって出ずるを制する”時代は終わった
60 売上げ(小売業)の50%の不動産資産を持つべし
61 男子正社員一人あたり五千万円の資産も一つの目安
62 小売業は“空間的架け橋業”である
63 とにかく“変化し続ける事”が基本
64 未来投資の金額はその二乗に比例する
65 在庫高と純利益は反比例する
66 “運”とは“勘”であり“勘”とは“決断力の連続線”を言う
67 知恵とは広さ(知識)と深さ(思考力)と強さ(決断力)等を総合化した多面体である。
68 庭石は深く埋めよ!
(石というものは、土の中に入っている量が多いほど、どっしり見える )
69 商売をした時には絶対金を貯めては駄目。そうすると元手以上の事はできなくなる
70 すぐれたリーダーは後ろを決してふり返らず

ーS5803事業百訓
71 今までの労働の中心はOA、FAに大部分がとって変わり、
 “イマジネーション”“クリエーテブ”が中心となる。
72 ボロ会社は「内部管理」に焦点をあわせ、優秀会社は「経済的成果」に焦点をあわせる。
73 市場の地位こそ企業存続の基本条件である。
74 “運”とは動きなり。事にあたれば動きが出る。
  “十”にすれば運がよし、“一”にすれば運わるし(勘=判断力)
75 業界の組合せの時代(単一業界にすむ危険をしれ)
76 情報化社会の“能力”の最大基準はその人脈のネットワークの数で判断できる。
77 いい会社とか悪い会社はない。あるのは“いい社長”と“悪い社長”である。
78 仕入でもうけで販売で損をしろ!
79 商売とは“Show 売なり”
80 小説を気楽に書こう!
81 力(チカラ)は知空(チカラ)・血空(チカラ)なり。
82 労働の九割はOA・FAにおきかえ可能
83 本屋の一時間は読書の一日にまさる。

ーS5805事業百訓
84 ホテル事業の本質は“日貸アパート”と考えると、+αのサービス面がみえてくる。
85 ホテルは“償却産業”なり
86 ホテル経営者の部屋の位置はその経営的素材に正比例する
87 具体的問題は抽象化して、(抽象的問題は具体化して)考えるべし
88 “ビジネスホテル”という単語ほど顧客無視の表現はない
89 “求めよさらば与えられん”与えよさらば得られん”“ギブ アンド ギブ”の方向へ
90 人をもちいる時は鞍馬天狗より丹下左膳がよい!
91 競争こそ最高の師!
92 “望む事と決意することに加えて献身すること、つまり自分をささげること”が、成功への早道だ!
93 手を広げるな!一つのものを徹して一番に仕立てあげろ(一番店的発想をつきぬけオンリーワンまで到達せよ)
94 五年後のビジョンに関係あることのみやるべし
95 大多数の消費者に気にいることのみやるべし。 少数客は悪魔のさそい
96 考える能力とは (1)数字で勘をみがく事  (2)論理の組立(くみくずし)を簡単にする能力
97 人間の“不足”と“不在”は別
98 人事管理の急所…使うと思うな! 育てる、勉強させると考えるべし、すべてが変わる!

ーS5807事業百訓ー
99 Keep it Simple,Stupid!
 (単純簡素にしろ!このバカ)
100 氷河時代の認識!
  基本姿勢=利益の極限化、資産の再活用・極限活用、
       卓越性、洗練された

−おわりに−
この数年間、セミナー・実務書等で私の勘にピンときたメモを
手帳より抜粋し、時系列にランダムに書いてみた。
その中には2割は自分の実体験より生まれた戦術・戦略も書き加えた。
27相手の心臓を鋭いナイフで下よりつきあげる、それも全身(捨身)で。
50創業は発狂(に似たり)なり。
45ホテルの方向は、高級(高性能)小型自動車に類推して考えていくと
“答”がある等々である。
“おわり”を書くにあたって、百訓の中より7項目を選び、特に再確認と選んでみた。
しかしその時点ごとに“金言”と信じたものばかりで、それは不可能であった。
視野の狭さを公表する様ではばかるが、“私の趣味とは何か”と一度考えた事がある。
そしてそれは歴史上の“人物”あるいは、現在一線に立って活躍している
実務家の行蔵より“宝”をいただく事であった。
世の中は広く、深い“蔵”を持ち、信じがたい“宝”を持っている人物の何と多い事かと。
この年令でやっとわかりかけてきた。
“棒ほど願えば針ほどかなう”ということわざのように、
彼等より少しでも“宝”をいただき、小さなみすぼらしい“蔵”の内容を
少しでもみたす様今後ともメモにはげむつもりです。

ーS5809見聞皆師 
  “面接について”
過去の面接の経験で、そしてその判断に対する誤差等々で、一つ基準ができてしまった。

(1)まず真面目である事
(2)その環境の変化節目をみる
(3)面接時の“必死さ”は絶対信用しない事
(4)両親に注目特に職業
(5)“ルーズ”と“甘え”と“言い訳”を身につけているか(この部分は非常にむずかしい)
(6)夢をきく
(7)後姿のあかるい人
(8)学生時代に一つの事を貫いたかどうか
(9)受験の動機
(10)中学・高校中位以上の成績である事
(11)対話の中で話に一貫性があるかどうか等である。

3〜4時間の試験と、一時間位の面接では、その人間の歩いてきた時間の経験よりの質の判断は非常に難しい。
消極的な表現かもしれないが、こういう人物がほしいというより、
こういう人物は絶対入れないという事の方が重要のようです。

ーS5811見聞皆師 <その2> ー
 「“場所”は建物や商品といった“モノ”で決まるものでなく、そこにどんな“オモヒ”をこめたいか、
お客様にどのような“行動”をとらせたいか、とらせ得るかで決まる。
そこが“位置”ではなく、“場所”であると考えたとたん、その場所を生かす要素は“モノ”及び
“お客様の行動”であることは確かである」 −(ナンダ「何んだ」物語―城功著より)

 この文章より考えてみると
事業とは(商業)そこをいかに位置(立地)より“場所”に変えていくか。
顧客ニーズに適応した場所づくり(ストーリーづくり)に設備投資をすること、と考えられる。

新潟駅新幹線改札口に“忠犬タマ”、長岡駅の“良寛”の像も、
その“オモヒ”づくり“場所づくり”という面を充分に考えたものといえよう。
この観点より考えてみると“お店”とは、“オモヒ”をいかに顧客に提供するかである。
従って“お店”とは「お魅せ」であり、
         「お味せ」であり、
         「お身せ」であり、
         「お見せ」である。
そのオモヒ=コンセプトは概念のそれであったら、
その中身(魅、味、身、見)何も出てこない。
それはそこでハタラク(他楽)人間の血(霊、道)の中より生じてくる。

ーーーーーーーー
事業百訓ー1984年 
 S5901新年にあたり
(字数の関係でカット08年8月19日)

ーS5905事業百訓ー
101 創造とは準備なり!
102 責任とはおこる前に負うもの
103 一人のうしろに二百人!
104 教育→“教”→ロジック(スジ)“育”→体験 (教えてやらせてみる!やらせて、おしえる!)
105 知識→その応用(知識→一のものは一 応用→一のものを百にする。)
106 振込資本金の2年に1度、50〜100%増加主義が理想
107 名前をおぼえよ!中味までわかるようになる。
108 儲けるよりは損をするな!
109 “零”は何もない事だが、その零により数は無限に増えていく。
110 事前の一策は事後の百策にまさる。


ーS5907事業百訓 ー
111 販売とは奪いあいである。
112 販売とは釣師の心!
113 “商品は売れなくてあたりまえ”が商売(販売)の原点、
  そこから販売の工夫が生まれる。
114 勝利とは勝とうという努力のつみ重ね…
115 勝たなければ勝ち方はわからない→勝ち続ける事により勝ち方を覚える。
116 戦略の要請は集中!(集中=|楼莉乎罩⊂ι淵▲ぅ謄爐僚乎罩B仂蘗顧客の集中げ礎佑僚乎罅
117 分断と集中の差(。横阿裡仮茵瓧苅娃亜↓■韻裡仮茵棕隠垢裡仮茵瓧械僑押
     5の2乗+15の2乗=250、ぃ隠阿裡仮茵棕隠阿裡仮茵瓧横娃亜
118 分断せよ。そして弱い方へ集中攻撃せよ!
119 攻撃相手と競争相手をわける事
120 経営チェックのポイント→ミクロでチェック、マクロで対策をたてる。
121 事の軽重、大小の判断に留意し、仕事は部下にまかせなさい。
  部下には役割を申しつけ処理させ、結果をよく聞きなさい。

ーS5909事業百訓 ー
122 遠くおもんばかる時は近きに憂なし
123 足らぬものは余り、余るものは足りぬ。
124 という字は買い字に十一を加ふるなり、十分一の利を得れば満足せよ。
   小利は大利のもと(小利は勝利につながる)
125 利は元にあり、利は売りにあり
126 元手をいかにふやすかが商売の原点
127 もうからないのは(うまくいかないのは)やり方がまずいからだ!!
128 頭と尻尾はくれてやれ!!
129 自分の勢が七〜八分と覚った時はそこでやめておくべし
130 鈍力(どんとう)骨をきる。
   自分の能力を自覚して、努力すれば鋭い刀で満足している人間をこえる。
131 ボロをまとった情報にこそ価値がある。
132 商売は人べんである。
133 睡眠は情報を整理する
134 資金回転の速さが経営の原点
135 何がうりものか明確にすること
136 初歩的なことが繁盛のコツである
137 生まれつきで能力は育っていくものではない。
  みんな自分が自分を育てるのだ。お前の左手は右手におとっている。
  遊ばせておいたからだ。同じお前の左右の手でさえ、ふだんから訓練しているほうと、
  しなかったほうとはこうも違う。お前自身も、その右手のように毎日訓練すれば、
  力が生まれ感覚がそだち能力が育ってくる   ……(ある音楽家の手記)

ーS5912事業百訓ー
138 戦略とは占拠率そのもの
139 マーケッティングでは60%が戦略の領域、40%が戦術の領域。
140 戦略として敵を軽視し、戦術として敵をおそれよ!
141 王手、小手より先手がこわい。
142 戦闘の要訣は先制と集中と機動力。
143 計画の為についやされた時間がもっとも生産的である。
144 ビジョンとは夢でもよい。今とは全く違うものであるべし。
145 準備は集中の要。
146 六十年代は“本気”が“やめる”か二つに一つ。

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