堀井On-Line



782,ドイツが揺れ始めた

2003年05月26日(月)

 
 昨夜のNHKスペシャル「地球市場・富の攻防(5)・自動車欧州戦線」
フォルクスワーゲンの戦略ーが面白い内容であった。
2年前に北欧に旅行した時、どの国の首都も不況の真っ只中であった。
その国の首都に集中していた企業の本社がドイツのベルリンに、雪崩をうって
移転している為だ。EUが国のあり方を変えている。
昨夜の内容は新たに10カ国増えて、25カ国に拡大する事に決まったEUを
舞台にいま、自動車メーカーが激しいシェア争いを繰る広げている。
その最前線を探る内容であった。

 旧共産圏の人件費の安い国に工場移転が本格的になってきている。
それがドイツの国を根幹を揺るがしているのだ。
現在の日本と中国・アジアの関係に酷似している。
ドイツお前もかというのが感想である。
第二次大戦の成功モデルの日本とドイツが、そのシステムが根こそぎ揺らいでいる。
部品メーカーが価格引下げの要求に、旧共産圏に工場を移転しなくては
成り立たなくなってきているのだ。
そうするとドイツやスペインなどの企業が、今までの労使の協約も根本から
見直さないと、会社そのもの国そのものが存立しなくなってしまうのだ。
グローバル化の典型的な事例である。

 話は変わるが、今度のSARS騒ぎは企業の情報化を更に推し進める事になるだろう。
TV会議システムなどの直接人間同士が接触しなくとも、衛星などを使った
情報交換を最大限駆使したシステムを使い情報交換が可能な状態にするだろう。今回のイラク戦争も殆どが情報戦であった。
これで駆使されたシステムが、一般の企業の端末に入ってくるのは時間の問題である。
ますます競争の激化と、変化が顕著になる。
この情報化社会はグローバル化と激しい競争社会を加速していく。
そして既存の社会・国・企業・家庭・個人のあり方など全てを根本から変えていく。


781, 父が亡くなって30年

2003年05月25日(日)



 父が亡くなってあと数日で、まる三十年が経つ。
去年もこの時期書いたが、供養も含めて更に書く。

私が末っ子ということで、陰に陽に父親には愛情をそそがれた。
子供に対して、非常に愛情の深い人であった。
母の愛情のかけ方があまり巧い人でなかった分を、父がカバーしていた。
反面非常に厳しい人であった。

 年を重ねると供に性格も顔もそっくりになってきている。
毒舌家で、卑しい人間を徹底的に嫌っていた。
非常にシャイな人で他人とは迎合をしない人であった。
反面、非常に寂しがりやのところがあった。
こう書いていると自分の事を書いているようだ。
過去に一番悲しかったことといえば、父が亡くなったことだ。

もの憶えがついた頃から大晦日に、子供全員が金庫の前に座って一人一人がお年玉を
貰うのが恒例であった。
そして数日後、全額を預金させられた。
もっとも預金するかどうかは本人の意思を尊重していた。
 10万近くが高校に入る頃まで溜まっていた。
高校に入ると同時に待っていたのだろう「株を買え!」という、
それも自分で銘柄を選べと。
必死に考えて「科研科学」という会社の株を選んで買った。
結果としては、あまり儲からなかったが、日経新聞の経済情報を毎日見るようになった。
 時間をかけて種銭をつくり、情報を自分で集め、投資をしろということを
教えたかったのだろう。

以前書いた文章をコピーしておく。
・・・・・・・・・・・・・・・

2002/06/01
父・堀井誠作のこと -1

一昨日は父が亡くなってまる29年経つ。
早いといえば早いし、永いといえば永い年月だ。

父の供養も含めて少し父のことを書いてみよう。

・典型的な明治人で長岡商人であった。
・私が父の44歳の時の子供であり、父に間接的だが溺愛されていた。
・数代続いた骨董品屋の2代目で、
 父が跡を継いだ時7万ぐらいの資産があったと母から聞いた。
 当時の長岡では3〜5万が一応資産家の目安だったというから、
 もともと裕福な家だった?私のお祖父さんが貧乏で、お金に苦労した。
 その為必至に資産をつくり上げたようだ。
・父の代で戦前、それをかなりの資産に増やした。
 しかし戦災で大部分失ってしまった。
・戦前は山本五十六とか津上退助とか野本互尊翁等の人に贔屓にされ、
 かなりの骨董品の商売をしていたという。
・戦時中は仏壇で食いつないだという。
・戦後は長岡の大手通の4つかどの土地を手にいれ喫茶店を少しやり、
 古着屋に転業、そして衣料量販店で全国的にも知れるほどだった。
 
以前父のことを書いた文をコピーしておく。


・・・・・・・・・・・・・

2002/06/02
父・堀井誠作のこと−2


・女性の噂の全くない非常に真面目の人であった。
  家庭人としてこれが一番の基本である。
・非常にシャイなところがあった。

・商売では非常に厳しし反面、それを離れるとやさしいところがあった。
 これは自分で心がけているが、営業を狙ってくるタイプはその隙を狙ってくる。
  年内にその整理に入る!!!!ーこれは自分の話しか!

・その時々の時代に合わせて仕事を変えていったのは、最も学ぶ事であった。

・仕事も私生活も、楽しむ事が基本にあった。
 これも両親からの最大の教えである。

・宗教に関しては、ごく普通の仏教徒であった。
 特に法事などの仏事に関しては非常に大事にしていた。
 これを疎かにすると家が傾くと本当に信じているようだった。
 集り坊主の丁度いいお客様であった。
 所詮はレジャーでしかないのにーこれは私の主観。

・お金に関して父なりの金銭哲学があった。
   ー何を奇麗事を言っても、お金に関しては赤裸々な欲がある。
   −あまりに露骨の欲の塊が金、それをちゃんと見据えろ。
   −金は仕事の楽しみのカス、自分でその楽しみを見つけるべし。

・若い時に肋膜炎になり、戦争に行かないですんだ。
 これがコンプレックスと幸運の両方で人生観の背後にあったようだ。

・どちらかというと、母が男のように芯の強いところがあり、
 逆に父はシャイなところがあった。

・母から聞いた話だが、人間的に面白いエピソードがある。
 −戦前に一年に一商売をすると、一年間一家が生活できるだけの
  利益があったという。その商売が成立すると、50銭ー今でいうと5000
  〜10000円の硬貨を耳に挟んで、嬉しそうに一人で夜食事に行ったという。
    −5円なら解るが,50銭というところが自分に似ている。

    いずれにしても自分にとって最大の先生であった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
H0505小説のような本当の話!

 十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。

生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、
お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。

たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に、
正直に事情を話したところ、父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。

それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。

聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかとつくづく考えさせられる
出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、
それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?当時、
丁度今の会社の理念を考えていた矢先、
それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決まった次第です。


780, またおきた「意味ある偶然の一致」

2003年05月24日(土)

  ー40歳の頃−1986年

過去をこうして書いていると、いかにして今の自分になってきた
かの謎解きを一人しているような気分になる。
この頃は第二の増築工事の完成をした年であった。
280室に向けて一番勢いがあった。
またギリギリの判断をして、後は野となれ山となれという気分であった。
時代はバブル直前の何ともいえないエネルギーが溢れていた。
コンピューターを導入した年でもあった。
政治的には、アメリカとプラザ合意をしてバフルに入った直後であった。
気持ちの中ではギリギリの限界であった。

ーこれを書いているときー今、TVから1986年の歌がが流れてきた、それも字幕で
1986年と入っていた。加山雄三の歌がー「北国の〜と歌っている」
また起きた感じだ。
NHKのBS・2で、時間は21時55分。
恐ろしい感じがする。
よくおきるがあまりに露骨だ!
シンクロニシティー「意味ある偶然の一致」だ。
嘘みたいだ!
実際のところ、現におきたのだ。
書いている最中に字幕で1986年と出て、歌まで出るのだから!
あまりにも出来すぎている。
これに合わせて引きつけられるように、このテーマを書いていたということになる。
深い自分のしらない何かがあるのだろう。
これだから面白い!テーマが変わってしまった。

ー重大ニュースー
・三原山大噴火
11月15日、伊豆大島の三原山が209年ぶりに噴火。21日、全島民に避難命令。約1万人が1ヵ月にわたって島外避難したほか、農・海産物などに大被害をもたらした。その後の調査で、三原山が7.7m高くなったことがわかった。
・撚糸工連事件
日本撚糸工業組合連合会側から200万円を受け取ったとされる横手文雄代議士が受託収賄罪で、500万円を受け取ったとされる自民党の稲村佐近四郎代議士が収賄罪で起訴された
・社会党に初の女性委員長
・イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が来日
5月8日、イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が日本政府の招待で来日した。ダイアナ妃ブームに。京都見物を終えてから東京入り。歓迎式典や青山通りパレード、宮中晩餐などの超過密スケジュールをこなして、13日羽田空港から帰国。
・現金輸送車の3億3000万円強奪
11月25日朝、東京千代田区有楽町、三菱銀行有楽町支店前で現金3億3000万円入りのトランクを積んだ輸送車が停車、運転手と警乗員がドアをあけたところ、後方からきた車から2人の男が飛び出し、モデルガンで運転手を殴りスプレー式の目つぶしを吹き付け、ひるんだすきにトランクを奪い車で逃走した。車の中にも1人おり犯人は3人組だった。87年10月フランス人の犯行と判明。現金輸送の強奪事件では1968年の3億円事件を上回る・史上最高被害事件。
衆参同時選挙で自民党が空前の勝利 。


779, 茨城 のり子の詩

2003年05月23日(金)



  何げなく読んだ茨城のり子の 詩がよい。
    魂の響きがそのまま直に伝わってくる。
    インターネットで調べてコピーした
    私の解説など入らない!

       
       
        落ちこぼれ
                      茨城 のり子

落ちこぼれ
  和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
  いまは自嘲や出来そこないの謂(いい)
落ちこぼれないための
  ばかばかしくも切ない修業
落ちこぼれこそ
  魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
  いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
  はい 女としてはとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げになって
  むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
  結果ではなく
落ちこぼれ
  華々しい意志であれ
           
               
               
               
               花ゲリラ
                        茨城 のり子

あの時 あなたは こうおっしゃった
なつかしく友人の昔の言葉を取り出してみる
私を調整してくれた大切な一言でした
そんなこと言ったかしら ひゃ 忘れた

あなたが 或る日或る時 そう言ったの
知人の一人が好きな指輪でも摘みあげるように
ひらり取り出すが 今度はこちらが覚えていない
そんな気障(きざ)なこと言ったかしら

それぞれが捉えた餌を枝にひっかけ
ポカンと忘れた百舌(もず)である
思うに 言葉の保管所は
お互いがお互いに他人のこころのなか

だからこそ
生きられる
千年前の恋唄も 七百年前の物語も
遠い国の 遠い日の 罪人の呟きさえも

どこかに花ゲリラでもいるのか
ポケットに種(たね)しのばせて何食わぬ顔
あちらでパラリ こちらでリラパー
へんなところに異種の花 咲かせる
  

........................

自分の感受性くらい


ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを近親のせいにはするな
何もかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを暮らしのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ馬鹿ものよ


        ・・・・・・・・・・・

        根府川の海

        根府川
       東海道の小駅
       赤いカンナの咲いている駅

       たつぷり栄養のある
       大きな花の向うに
       いつもまつさおな海がひろがつていた

       中尉との恋の話をきかされながら
       友と二人こゝを通ったことがあつた

       あふれるような青春を
       リュックにつめこみ
       動員令をポケツトにゆられていつたこともある

       燃えさかる東京をあとに
       ネーブルの花の白かつたふるさとへ
       たどりつくときも
       あなたは在つた

       丈高いカンナの花よ
       おだやかな相模の海よ

       沖に光る波のひとひら
       あゝそんなかゞやきに似た十代の歳月
       風船のように消えた
       無知で純粋で徒労だつた歳月
       うしなわれたたつた一つの海賊箱

       ほつそりと
       蒼く
       国をだきしめて
       眉をあげていた
       菜ツパ服時代の小さいあたしを
       根府川の海よ
       忘れはしないだろう?

       女の年輪をましながら
       ふたゝび私は通過する
       あれから八年
       ひたすらに不敵なこゝろを育て

       海よ

       あなたのように
       あらぬ方を眺めながら……
             

      ・・・・・・・・・・・・

      わたしが一番きれいだったとき

      わたしが一番きれいだったとき
      街々はがらがら崩れていって
      とんでもないところから
      青空なんかが見えたりした

      わたしが一番きれいだったとき
      まわりの人達が沢山死んだ
      工場で 海で 名もない島で
      わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった 

      わたしが一番きれいだったとき
      だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
      男たちは挙手の礼しか知らなくて
      きれいな眼差だけを残し皆発っていった

      わたしが一番きれいだったとき
      わたしの頭はからっぽで
      わたしの心はかたくなで
      手足ばかりが栗色に光った

      わたしが一番きれいだったとき
      わたしの国は戦争で負けた
      そんな馬鹿なことってあるものか
      ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

      わたしが一番きれいだったとき
      ラジオからはジャズが溢れた
      禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
      わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

      わたしが一番きれいだったとき
      わたしはとてもふしあわせ
      わたしはとてもとんちんかん
      わたしはめっぽうさびしかった

      だから決めた できれば長生きすることに
      年取ってから凄く美しい絵を描いた
      フランスのルオー爺さんのように
              ね


778, 私が10歳の頃-1956年

2003年05月22日(木)


 長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。
10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の衣料ディスカウントの
店の3階に住んでいたが、この年に駅裏の台町(現在ーとーちゃんラーメン)
に転居していた。
それが転機であった。
あの慌しい店の上の日々が、静かな生活に一変した。

 丁度その頃に、初めて勉強に目覚めた。
ある姉に勉強のコツを教えてもらった。
「一教科でよいから、とにかく良い成績をとってみろ!
そうするとコツが解るし面白みが出てくる」
そうかと思って算数に絞って勉強をしたら、100点近くを取った。
それからコツが解りかけてきた。
とにかく数人のライバルに負けたくないと思って勉強した。

 この頃の虐めは本当に厳しいのは誰も経験があるはずだ。
一番激しいライバル関係が出来上がる時期だ。
また自分の身を守る為にも、誰かをターゲットを探して苛めをする。
このあたりから初めて性格ができるのではないだろうか。
また家庭内ではいろいろな問題を抱えていた。

母親が重度のノイローゼーになっていた。
二人の息子(兄)の不幸の死と、それまでの仕事の疲れの蓄積が原因であった。
あまりの悩みの為、心筋梗塞や多くの病気が一挙に吹き出てしまった。
医者にも見放されそうであった。
何回も死線を彷徨っていた。
その中で姉兄も自分も「自分自身を生きる事」で精一杯の時期だった。
今になって当時を振り返ると、家庭の危機であった。
母はその後3年間の死闘後、一人立ち上がってきた。
身近で見ていても子供なりに、それが分った。
そのあと40年は遊びと趣味をし尽くして亡くなっていった。
死んだ時に解剖をしたところ、心臓の4分の1が壊死していた。
それだけ悩みが深かったことが分る。

商売を続ける事は、すざましいことだ。

・・・・・・・・・・・・・
ーその頃の政治や社会的出来事としては、

日ソ国交回復
参宮線列車転覆の惨事
弥彦神社惨事
砂川基地闘争
メルボルン・オリンピック
ーことば(流行語・話題の発言)は
「一億総白痴化」(大宅壮一)
「愚連隊」 「シンタロー刈り」 「戦中派」
「太陽族」(石原慎太郎の小説「太陽の季節」から)
「抵抗族」(石川達三の小説「四十八歳の抵抗」から)
「デイト」 「ドライ」 「マネー・ビル」
「もはや戦後ではない」(中野好夫)

ーベストセラー
太陽の季節(石原慎太郎)[新潮社] 芥川賞
帝王と墓と民衆
異性ノイローゼ
あなたは煙草がやめられる
夜と霧
モゴール族探検記
大菩薩峠
マナスル登頂記
細胞生活

ー音楽ー
・ラジオ体操の歌[作詞:藤浦洸、作曲:藤山一郎](3月発表)
 ♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 
 健(すこ)やかな胸を この香る風に 開けよ それ 一 二 三
・若いお巡りさん(曽根史郎)(4月発売)
 ♪ もしもし ベンチでささやくお二人さん 早くお帰り夜が更ける 野暮な説教するん
 じゃないが ここらは近頃物騒だ
・東京の人よさようなら(島倉千代子)(5月発売)
・リンゴ村から(三橋美智也)[作詞:矢野亮](5月発売) ♪ おぼえているかい 
 故郷の村を 便りも途絶えて 幾年過ぎた
・ここに幸あり(大津美子)(5月発売)
 ♪ 嵐も吹けば 雨も降る 女の道よ なぜ険し
・愛ちゃんはお嫁に(鈴木三重子)[作詞:原俊雄](5月発売)
 ♪ さようなら さようなら 今日限り 愛ちゃんは太郎の 嫁になる 僕らの心を 
 知りながら でしゃばりお米に 手をひかれ 愛ちゃんは太郎の 嫁になる
・哀愁列車(三橋美智也)
 ♪ 惚(ほ)れて 惚れて 惚れていながら 行(ゆ)くおれに 旅をせかせる ベルの音
・どうせひろった恋だもの(コロンビア・ローズ)(10月発売)
 ♪ やっぱりあんたも おんなじ男 あたしはあたしで 生きてゆく
・ケ・セラ・セラ(ペギー葉山)(11月発売)
・<ヒッチコックの映画「知りすぎていた男」の主題歌。
 
ースポーツとしてはー
第7回冬季オリンピックコルティナ・ダンペッツォ(イタリア)【1月26日〜2月5日】
トニー・ザイラー(オーストリア)は初のアルペン三冠王に。
【日本】スキー男子回転で、猪谷千春が2位に入り、日本人初の冬季でのメダルを獲得した。

第16回オリンピックメルボルン(オーストラリア)【11月22日〜12月8日】
ストックホルム(スウェーデン)【6月10日〜17日】
<オーストラリアの検疫規制により馬術競技のみ開催>
南半球初のオリンピック開催。
【日本メダル獲得数】金4、銀10、銅5
体操の小野選手が優勝。水泳では17歳の山中選手が400、1500メートルの自由型で
オリンピック記録を大幅に更新して2位に食い込んだ。

ー野球ー
セ・リーグ
[優勝]巨人
パ・リーグ
[優勝]西鉄
第7回日本シリーズ
西鉄 4(●○○○●○)2 巨人
第28回選抜高等学校野球大会
[決勝戦]中京商(愛知) 4−0 岐阜商(岐阜)
第38回全国高等学校野球選手権大会
[決勝戦]平安(京津) 3−2 岐阜商(岐阜)

ー大相撲1ー
1月19日:大相撲、九州場所も本場所とし、1年5場所に。
  大関若ノ花の長男がチャンコ鍋で大やけどし死亡。
初場所
鏡里 喜代治(かがみさと きよじ)[横綱、時津風]14勝1敗(3回目)
春場所
朝汐 太郎(あさしお たろう) [関脇、高 砂]12勝3敗(初)
夏場所
若ノ花 勝治(わかのはな かつじ)[大関、花 籠]12勝3敗(初)
秋場所
鏡里 喜代治(かがみさと きよじ)[横綱、時津風]14勝1敗(4回目)
1956

ー囲碁・将棋ー
囲碁第11期本因坊戦
高川秀格八段 4(○●●○○○)2 島村利博八段
<本因坊五連覇で現役を引退後に名誉本因坊を名乗る権利が与えられた。
なお、この期から四段以下の棋士も参加できるようになった>
呉・高川十番碁(第4局までは1953年)
呉清源九段6(○○○●○●○○●●)4高川秀格八段(互先)
<段位なら先相先の手合だが、本因坊だということで互先の手合になった。
第八局で向先相先に打込んだ>
将棋王将戦
升田幸三 3(○○○)0 大山康晴王将<失冠>


777, 何ともいえない日々が続いている。

2003年05月21日(水)

 中小企業の8割が赤字、一割がボーダーライン、一割が黒字だそうだ。
数年前までどんな時代でも3割は堅実経営で、黒字であると税理事務所の担当がいっていたが、いまやそれが一割だそうだ。
ここで景気がさらにおかしくなってきた。
数人の堅実経営の知人の会社が、ボーダーラインか、赤字に入ってしまった
と聞いている。当方もこの一〜二年で可能性がでてきた。

そのパターンは
「勝ち組で、同業者を食べて生きてきたが、食い尽くしてしまった感じ」
というのが共通点である。
大津波は全てをのみつくしてしまう。といって自分だけは生き延びなくては
ならないのが経営というものだ。
「後は野となれ山となれ」ともいえない。
今年は何とかいけそうだが、来年は全く解らないという人も数人いる。
うまくいっているところは過去に合理化を迫られて、体質が現状にあっているところだ。

 明日はわからないというのが、全ての会社の偽らざる事態だろう。
もし県内にSARSが出たら、全国的に蔓延したら、宿泊業者や流通業や
デズニーランドや飲食店などほとんどが壊滅的状態になる。
第一次世界大戦時に、スペイン風邪で2000~4000万人死んだという。
戦争の為、情報統制をしていた為に社会的な混乱は最小で済んだという。
日本でも26万人死んだというが、SARSがこの状態になる前に防ぐことがで
きるだろうか?

 中世に黒死病ーペストが流行って欧州の人口の何割かが死んだ時に、
ユダヤ人だけは無事だったとか。
ユダヤ人の陰謀ではないかと疑われたが、彼等は戒律に従い、
手と身体を清潔に保っていたのがペストにならない原因だった。
話が変わるがユダヤ人は子宮ガンにはならないという。
これも清潔に関係しているという。

世界的な不景気とデフレ傾向は当分続きそうだし、北朝鮮問題やテロや
エイズなど暗い問題が多いが、せめて気分は前向きにしておきたいものだ。


776、「ドラッガーとの対話」−読書日記ー2

2003年05月20日(火)

『未来を読みきる力』

 この人の日本における経営者への影響は絶大なものがある。
ドラッガーの経営書と司馬遼太郎の歴史小説と山岡荘八の『徳川家康』は
戦後の経営者のバイブルであった。
若くして学んで、いまや忘れ去ってしまった原理原則が多い。
以下はドラッガーの名言録を書き写した。
なかなか深く耳の痛いところが多い。
企業は常に若く前向きで、改革をしていなくてはならない。
自分の立場を守る為、改革を阻止するヘドロは退場すべきである。
自分では気がつかなくなってしまうのが恐ろしい。
自戒の言葉であると同時に、40歳を越えたすべての企業人に当てはまる事だ。

 大不況の中、どうしても後ろ向き、内向きになってしまいがちだが、
何か励まされる内容である。
私のような対人関係が煩わしい人間は「内向けでお山の大将になってしまいがちだ」
自戒の事としてコピーして手帳に張っておくことにした!
ー『ドラッガー名言録』ー
1、「表の風に吹かれろ!」
2、「自分はここで何が貢献できるかを考えよ」
3、「昨日を捨てよ」
4、「お山の大将根性を捨てよ」
5、「物事は、人が思ったり言ったりすることの二倍かかる」
6、「知識は消え去りやすい」
7、「中小企業が大企業に鵜呑みにされ手消滅するなどというのは
   全くのナンセンスである」
8、「アクション(行動)によるフォローアップ(追査)なきプロジェクト
   (計画)は、パフォーマンス(実績)を生まない」
9、 「問題解決を図るよりも、新しい機会に着目して創造せよ」
10、「企業がより大きくなる必要はないが、不断に、良くならなくては
    ならない」
11、「教師が学習を阻害することがある」
12、「人間は単能マシーンではない」
13、「革新とは、単なる新しい方法ではなく、新しい世界観を意味している」
14、「中小企業の経営者は机に縛り付けられてはいけない」
15、「人間というものは、非常に時間を消費するものであり、そして大部分の
    人間は時間の浪費家である。
16、「知識労働者自身に上下はない」
17、「必要は発明の母ではないが、助産婦である」
18、デシジョン・メイキングにおいて、2+2=4という具合に、
   ドンピシャリの‘正しい答え’が出てくるものはデシジョンとは言わない」
19、「最も重要なことから始よ」
20、「知識は本の中にはない」


775、 「ドラッカーとの対話」ー読書日記 −1

2003年05月19日(月)



著者/訳者名  :小林薫/著
 出版社名     :徳間書店
 発行年月     :2001年05月
 販売価格    : 1,700円 (税抜)
【本の内容】
ピーター・F.ドラッカーとの40年にも及ぶ交流に基づき、
その思想のエッセンスを読みやすい形で凝縮。

【目次】
第1部 ドラッカーの魅力と先見力
第2部 ドラッカーに親しく聴く
第3部 21世紀を見透すドラッカーの眼
第4部 ドラッカーのキーワード20
第5部 ドラッカーの日本を見る眼・世界を見る眼
第6部 ドラッカー式英語の面白さ
第7部 ドラッカーの人間像

−私の感想文ー
ドラッガーといっても、そう難しい難しいことを言っているわけではない。
学生時代にドラッガーの「現代の経営」訳者の野田一男教授の講義を受けて、当時「経営者の条件」「創造する経営者」「断絶の時代」「現代の経営」など数冊、読んだ。
現在も多くの本をドラッガーは書き続けている。
彼の要約書が多くでているので、私なりに纏めたいと思っていたら、
この書にであった。小林薫という名も懐かしい。
この書の印象的なところを書いてみる。

・現在が200~300年に一度の大転換期にあり、100年スパンの
 期間にわたっているという。そして現在はその40~50年目あたりという。
・彼の名言は「強みの上におのれを築け」である。
 これは個人にしても、組織にしても、国としてもそういえる。
 何ごとも強みがあると同時に弱点もあるが、弱点に対しては目をつぶり
 強みを活かすように努めるべきである。
・イノベーションも彼の大きなテーマである。
 変化をチャンスとして捉えて、イノベーションをするのが経営だ。
・彼は常に価値、解りやすさ、性格ー人格、知識、ビジョン、責任、自己管理、社会的責任、自己実現、尊厳を述べている。
・知識こそ最大の経営資源であり、中心的資源であるが、彼の変わらざる主張である。このような急激なIT化による情報化になればなるほど、彼の50年をかけて主張してきたことが現代に受け入れられる。
 話は変わるが、彼の「経営者の条件」がなかなか面白い。
 これは最後にインターネットで調べたー書評と目次ーをコピーしておくが、焦点を成果にあわせよ、自分の時間管理からまず始めよ、貢献について、自己ー自社の強みの発見に努めよ、重要事項から始める癖をつけよ、
と経営者や上に立つもののあり方が書いてある。
 この本かどうかは忘れたが、上司たるものダーテーであってはならない、潔癖であるべしというのが彼の変わらぬ主張である。

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ー「経営者の条件」の書評ー
「エグゼクティブ」とは、何も経営幹部だけのことではない。
ドラッカーは本書のなかで、
「今日の組織では、自らの知識あるいは地位のゆえに、組織の活動や業績に対し、実質的な貢献を行うべき知識労働者は、すべてエグゼクティブである」と述べている。
したがって本書で述べられる内容は、おそらくほとんどの知識労働者に当てはまるものと推測される。
本書の主題は、どうすれば成果を上げられるのか、という1点に尽きる。
ドラッカーは、この成果をあげるためにエグゼクティブがなすべきことを、時間の管理、貢献へのコミットメント、人間関係、自分や部下の強みを生かす方法、仕事の優先順位、意思決定などの視点から解説している。
GMのトップだったアルフレッド・P・スローンや、鉄鋼王カーネギー、南北戦争でリンカーンを苦しめたリー将軍らが、いかにして成果をあげたのか、興味深い分析がなされている。事例が古いのは仕方がないが、その洞察には目を見張るものがある。
目次

第1章 成果をあげる能力は修得できる
第2章 汝の時間を知れ
第3章 どのような貢献ができるか
第4章 強みを生かせ
第5章 最も重要なことから始めよ
第6章 意思決定とは何か
第7章 成果をあげる意思決定とは
終章 成果をあげることを修得せよ

もしこの本を読んでない経営者がいたら、すぐ読むことを勧める。
目から鱗のはずだ。


774, 30歳の頃(1976年)

2003年05月18日(日)


 この年は本当に大変な年であった。
その半年前に、新潟県長岡市駅前通りの繁華街の四角で衣料量販店をしている
実家の店に戻っていていた。
本店は当時6億の売り上げを上げていた。
家族内のトラブルで急遽、千葉の千城台で貸しビル経営と(養老乃滝+焼きたてのパン屋)
を経営委託にして、帰ってきたところであった。

 仕入れに、販売に、新人の教育にと、いま考えてもよくやったと思う。
体が浮いているようでもあった。
新卒を13名入れ、その戦力化に必死であった。
衣料品は博打的要素が多い。季節要因により、在庫の調整をしたり、
流行の筋を早く見つけ一瞬で売り抜けなくてはならない。
岐阜・大阪・広島・岡山の産地を情報を頼りに現金を持って走り抜ける。
それも全く経験のない自分が、買い付けるのだ。
よくやったと思う。必死とは不可能を可能にする。
目を吊り上げ、無我夢中で必死に仕事をしていた。
 
 何ごともコツというものがある。
 それは必死さの中から初めて掴む事ができる。
ワンシーズンー3ヶ月導入・最盛・売り切りと一ヶ月単位で博打をしていく。
それが面白い!当たればの話だが。
そのシーズンが当たると後の2シーズンがその勢いで上手くいく。
外れると、回復に2シーズンかかる。
従って間違えても外せないのが面白い!

 五年近く従事したが、当時の自分の頭を自分で撫ぜてやりたい気がする。
反面いろいろの経験ができた。
安いビジネスホテルをさがして、規定のホテル代の差額と出張旅費で
居酒屋とか、地元の料理屋に行くのが楽しみであった。
仕入れに、販売にゲームをしている感覚であった。
今のホテルも、その経験から顧客の立場で考え抜く事ができた。

 その頃の社会的背景を書いてみる。
ー社会現象ではー
・ロッキード事件で田中角栄前首相逮捕
 大型ジェット旅客機の売り込みを図るロッキード社から5億円の賄賂を受け取ったとして、
 東京地検、田中角栄前首相が受託収賄罪で7月27日を逮捕。計16人が起訴された。
・ミグ25亡命事件
 9月6日、ソ連の最新鋭戦闘機ミグ25に乗ってペレンコ中尉、アメリカに亡命のため
 北海道・函館空港に強行着陸した。中尉は希望通りアメリカへ亡命。
 機体は自衛隊百里基地で分解、検査された。
・総選挙敗北で三木退陣、福田内閣が誕生
・酒田大火発生
 10月29日、山形県酒田市も繁華街で大火が発生、1059棟が全焼。消失面積史上4番目。
・東京地裁判事補の鬼頭史郎の「ニセ電話事件」が発覚。検事総長の名で三木首相に対して
 「ロッキード事件に指揮権を発動してはどうか」と促した。10月23日、最高裁が事情聴取。
・五つ子誕生
 1月、鹿児島市立病院で5つ子が誕生。父親はNHK政治部の三木首相番記者。
 5月12日、父親の勤務先である東京に引っ越し。

ー歌ではー
昔の名前で出ています(小林旭)
春一番(キャンディーズ)
ビューティフル・サンデー(田中星児)[作詞:田中星児]
ああ宮城県(吉川団十郎)[作詞・作曲:吉川団十郎]
わかんねえだろうナ(松鶴家千とせ)
おゆき(内藤国雄)
東京砂漠(内山田洋とクール・ファイブ)
♪ 空が泣いてる すすけ汚されて
北酒場(五木ひろし)
横須賀ストーリー(山口百恵)[作詞:阿木燿子]
嫁にこないか(新沼謙治)[作詞:阿久悠]
山口さんちのツトム君(川橋哲史)[作詞・作曲:みなみらんぼう]
<NHK「みんなの歌」で放映されヒットした>
東村山音頭(平田満)
四季の歌(芹洋子)
青春時代(森田公一とトップギャラン)[作詞:阿久悠、作曲:森田公一]
ペッパー警部(ピンクレディー)[作詞:阿久悠]
あばよ(研ナオコ)[作詞・作曲:中島みゆき]
S・O・S(ピンクレディー)[作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一]
失恋レストラン(清水健太郎)(11月発売)
ースポーツではー
・[ボクシング]具志堅用高、ジュニア・フライ級世界選手権を獲得。
・植村直己が北極圏1万2千キロメートル、単独犬ぞり旅行に成功。

・・・・・・・・
このように時代背景をみながら当時を振り返ると、当時の記憶が生々しく
浮かんでくる。


773, 日本が真に独立をするためには

2003年05月17日(土)



月刊誌の「文芸春秋」の6月号の特集の『日本の不安』のなかで、
評論家の福田和也氏が寄稿しているテーマ「日本は『核武装』しかないのか」
が、なかなか説得力があった。
ー要旨はー
アメリカの核の傘は幻でしかない。
盗人猛々しい北朝鮮の核の脅しの一番のターゲットになっている状態の
日本にとって、核武装も視野に入れなくてはならない時期ではないか。
他にもロシア、中国など核に囲まれ、アメリカの核の傘でいいように隷属
国家扱いされている現状を考えると、核武装が今の日本の独立国家としての
第一歩である。
日本への他国の核攻撃に対して、アメリカそのものが核攻撃の危険に晒された時に
はたして核攻撃をするだろうか?
それはファンタジーでしかない。
核所有国に囲まれたわが国が、最も核攻撃を受ける可能性の強い国だと
いう事実を直視して、どうすれば核攻撃を受けないで済むかを徹底的に
議論すべき時にきている。
想起すべきは、第二次世界大戦を終わって55年間、
大国間で平和が保たれたこと、その平和を日本はじめとする西側諸国が
享受できたのも、麗しい平和のお祈りのせいではない。
核の均衡の上である事実を直視しなければならない。
日本も自力でその力のバランスとしての核を持つべきだ。

ーー以上が大筋である。
今の日本が真に独立するためには原爆保持が第一歩である主張に説得力がある。
現実にスターリン型の国家が近くにある事実を受け入れざるを得ない。

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