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堀井On-Line
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2002年10月28日(月)
人生の体験の中で私が得た最大の教訓がこれだ。 若いときより知っていたらもっと豊かな人生を過ごせたのに と今更思うが。イロイロの挫折の中で自分の能力の限界を思い 知らされていたから、戦略的にしか生きる道はない事は知っていたが、 その要諦が一点集中であった。
人間の能力とレンズは似ている。 太陽から、人間から、歴史から、エネルギーを集め一点に集中する。 その為には自分が虫眼鏡のレンズになる事だ。
レンズは濁っていては駄目だ。 常にきれいな磨かれた状態でなくてはならない。 その意味で「自分が神になる」といってよい。
それと一点に集中すべき対象の選定だ。 これに近い言葉に一点豪華主義がある。 集中していれば自然にこれになってしまう。 私の場合は秘境旅行だ。今はこの随想テーマ日記だ。 それにウオーキングに読書にあと???だ。
一点集中は言葉では簡単に思えるが、実際は大変である。 捨てるべきものをドンドン創らなくてはならないからだ。
そうそう集中できるものではない。
事業では[シングルルームのデスカウント]である。 それも新潟駅前の花園地区。 4棟に分散をしたのが甘さで残っている。 他に学生服やカラオケはエネルギーの分散であった。
百貨店のソゴウのように駅前に超大型店をつくり、 その大きさが限界を超えてしまった失敗の例もある。
ロスだけで済まないのが分散である。 主体のチャンスロスが一番のロスになる。 若い時から自分の無能を自覚していたから、集中しかないのは すんなりと受け入れる事ができた。
一点集中のポイントは、一点に向かいその真正面から 中心点に総てのエネルギーを集中する事である。 自分そのものがその中心点になる事である。 それが正中心一点無である。
いま一つがこれを継続する事でであるが、これは今度書く。
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2002年10月27日(日)
1968年 9月21日 9時起床。11時に図書館に行く。 13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。 そして八王子のセミナーハウスへ。 近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスだ。
思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。 メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。 宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。 それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。 空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。
夜から早速議論をはじめる。 課題は「遊び」だ。 「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」 「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」 私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。 何かポイントが外れているようだった。
終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、 武澤先生がこられる。 その後夜半の12時半に寝る。
・・・・・・・・・・・・・・・・ ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。 背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中 でもあった。歌も二度とこういう時期は来ないというほど名曲が 生まれていた。
その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。 夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋 に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という 禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。
学生時代の十数年間の総括の時期であり、 また新しい世界への旅たちの直前であった。 この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。 いろいろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でもあった。
寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。 そういう意味で大学時代に恵まれていた、当時はその事に気が付いて なかった。寮に、ゼミに、教授に、クラブに、友人に恵まれていた。 赤面する場面は当然カットして写している。
大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論を する事、自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、 戦略的思考をする事など数えればきりがない。 人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。 馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。 ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー
父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、 あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。 友人が吹き付けるようによって来た。 一人になれないのが悩みでもあった。あの孤独の都会生活で 最後には友人が吹き付けるように集まったのは、本当に良い青春 の思い出の財産だ。
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2002年10月26日(土)
1968年 9月18日
8時10分前に起床、すぐに学校に行く。 夏休みあけ後久しぶりだ。 事務管理を聴講後、石川、奥野など5人と池袋の駅近くの 喫茶ウイーンで話をする。 それぞれが自分の道や将来を模索している姿が自分と 重ねって、独自性が逆に見えて面白い。
その後いったん寮に帰る。 6時半に新宿の紀伊国屋で待ち合わせる。 歌舞伎町のB&Bで飲む。 3人で6000円で高いが気分が高揚をして面白い。
その後三浦というスナックに行く。 以前と変わってないが家庭的雰囲気である。 何とかという以前店で顔見知りの女性と踊る。
ここも面白い、3人で3000円であった。 奥野が気分が悪くなり、急遽自分の部屋で3人で泊まることになる。 私は帰省中の佐々木さんの部屋で泊まる。
9月19日
翌日も三人で午後の3時までいろいろの事を話をする。 何か今日も予定どうり卒論が書けない。 頭の中に最近熱中して読んだ、精神論の言葉が駆け巡る。 言っていることと、やっていることと違いが大きすぎる。 ファイトファイト、自分の潜在の力よ!!
9月20日 8時10分前に起床、8時15分に学校に行く。 人事管理の授業後、奥野と兼子と食事、その後図書館で 卒論のまとめをする。
15時にゼミに出席、我々の就職先の説明を ゼミの全員に報告する。 ゼミ終了後、武澤先生と4年生全員と話し合う。 内容は夏休みのこととか、各々の性格のことを話し合う。
その後近くで食事後、帰寮後再び食事に出る。 そこで寮の先輩で代議士の秘書をしている永田さんと出会う。 唯我独尊の彼独特の考え方があまりに独善的だ。 自分で自分の枠をはめている。それと原因を常に自分以外に 求めているが疑問だ。
寮に帰ると、新橋シノダ寿司の息子でヨーロッパで親しくなった 深井が遊びにくる。一時間ぐらい話し合って帰っていく。 スカイラインのGTだ。何かツマラナソウナ顔をしていた。 不安でたまらない感じだった。
夜半の一時に寝る。
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2002年10月25日(金)
1968年ー9月15日
朝7時半に起床、食事の後に東京の寮に帰る支度をする。 裏の家で姉の正子さんと、帰省中の3番目の姉の優子さんと、 甥の宗彦ームーチャンと写真を撮る。
12時5分発の第三佐渡に乗る。いやに長く感じられる4時間だった。 青雲寮につく、懐かしいわが部屋だ。 市川さんが飼っているミケに子猫が2匹生まれていた。
苦手だった先輩の河路さん、欧州行きが延びてまだ寮にいるようだ。 夕食後漫然とTVを見て過ごす。 またマンネリとした寮生活が始まるが、もう残された学生時代の時間はない。 最後はちゃんとして卒業しなくては。
・・・・・・・・・・・・・・・・・ ー現在の感想ー 日記を書く習慣を持っていればよかった。 それと写真をもっと多く撮っておけばよかった。
大学を卒業する前年の8月31日から翌年の2月半ばまでに半年間、 気分が高揚としていたのだろう、日記が残っていた。 たまたま6年前に倉庫を整理していたら、その当時の教科書の一番下に 隠すようにあった。
机の引き出しに入れて、読み返している、そして折々に この随想日記に書いている。一種の躁の状態の自分の気持ちが そのまま残っている。懐かしい本当に懐かしい!タイムマシンに 乗って当時に帰ったような感がする。
何も変わっていない自分がそのままいるのが奇妙といえば奇妙だ。 社会に出るにあたり不安と希望に揺れているのが懐かしい。 結局私にとって学生時代が人生の縮図であったようだ。 口泡を飛ばして議論をしていた青い時代があった。
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2002年10月24日(木)
海外の現地の日本人ガイドにはあまりプライバシーを 詳しく聞くなといわれている。 日本で訳ありの経緯できている人が多いという。 イスラエルや南アフリカなど日本人の殆ど行かない所では、 寂しいのだろう、自分で全てを話してくれた。
南アフリカでの話は今でもハッキリと憶えている。 50歳ぐらいの女性であった。 日本の商社に勤めていて、英国人と恋愛結婚して 初めは英国本土に行ったが、平凡な生き方に嫌気をさした旦那の 意向で南アフリカに十数年前にきたという。
ケープタウンに日本人は二十人前後しかいないと言っていた。 日本人同士の付き合いは殆どないとか。 日本人の墓は女性名で一つしかなく、 その墓を見てきたが冷えつく思いだったという。
子供ができた時に子供の名前を日本名にするか、 英国名にするか大モメだったという。 女性の場合、自分が死んだときに生きてきた自分の証明が 残るのは日本名の子供の名前だけになる。 自分という存在が完全消滅してしまうような不安にかられるという。
外人と結婚して外地暮らしは若いうちは良いが、 歳をとった時に辛いと言われているが、自分はそれを知らなかった! と言っていた。聞いていても身に沁みる話であった。 人生いろいろあるものだ。
10年近く前、ニュージーランドに行った時も70歳近い女の老添乗員が 悲鳴をあげていっていた。 「40数年前に豊かさを求めてこの地に来たが、この地より 日本が遙かに豊かになってしまった。大誤算だった!」 現在は日本も事情が変わり、そうでもないだろうが??!
全ての事は±ゼロである。
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2002年10月23日(水)
知らないうちに人間の考え方は、自分が実際に携わっている 仕事に影響されているのを最近強く感じる。
私のような大商圏を相手にする仕事の場合、どうしても小商圏を 相手に仕事をする人との考え方が正反対になる。 気が合う相手は大商圏の仕事や、大手相手の事業をしている人だ。
小商圏といえば、お互いの目を気にして「世間様」という考え方を 第一にしなくてはならない。 お付き合いとかの人間関係の中から情報やビジネスチャンスを捉える 事が重要となる。
大商圏を相手にしていると、逆にそれが邪魔になることが多い。 近目と遠目のちがいである。遠視になってしまい近くのことが見えなく なる、逆に小商圏は近視的視点になってしまう。
この違いの乖離が最近特に大きくなってきている。 最近それを指摘されるが、といって今更変えようとも思わない、 また指摘する人は小商圏相手の仕事をしている人だ。 もっともそのことすら理解できない人だ。 数年前から間隔をおいているが、そうすると大部分の人になって しまう。最小限の人とのいきちがいは仕方がないと割り切っている。
銀行も政府系や都銀との付き合いに傾く。 人間関係もどうしても地元でない人が多くなる。 地元の人と一切付き合わないで済むから、地元では異様に思われて いるだろう。 大商圏的生き方として当然の事と受け止めている。
特に父親はこの傾向が強かった、モデルがいるから更にそれで良いと 思ってしまう。 気が付いたら一人というと頑固爺の末路だろうが、その辺の変身は早い。
ある中国出身の作家がいっていた。 「地元で商売をするな、因縁がらみで何も見えなくなる。 他所なら全く関係なく、ビジネスとして割り切れるから。」 全くそのとおりである、ブラックジョーク以下の現象がビジネスで 日常になってしまう。
地方の景気が最近悪いのは、これに近い原因である事はいうまでもない。 情報化でグローバルの時代になってきた為だ。 これからの時代ますます大商圏的生き方の流れになる。 手前勝手か??
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2002年10月22日(火)
ある洋服屋だった社長から聞いた話である
ー昔の大金持ちの旦那衆は、目立たない高級呉服を似た柄で何枚も 持っていて毎日着替えていた。 よほどの目が利く人でないと、その違いが判らない。 無頓着にいつも同じ服を着ていると思わせていたという。 チョットした柄の違いのもので、羽織や帯や足袋をかえていた。 そういう粋な着方が本当のお洒落だとかー
基調色を決めておくというのに合い通じる内容だ。
たったこれだけの話の中に多くの教訓が入っている。 シンプル、スタンダード、スペシャリテー、セグメント のチェーン理論のドライ主義が全て入っている。 一番主義と集中主義である。
目立たないーシンプル、スタンダードー似た柄で、 高価なースペシャリテー、何枚もーセグメントである。 何代も続く家柄という長い時間の中で、体得した知恵なのだろう。
日本も洋服を着るようになって、まだ日が浅い。 着こなしでは当然欧米人に比べ落ちるのは仕方がない。 しかし和服ではチャンと着合わせが出来ていた。
色というと7色が基本となる。 どうしても私などは単色と思いがちだ。 しかし赤一つとっても数千種類もあるという。 理屈からいえば無限のはずだが。 江戸時代はその色の違いを楽しんでいた。 そして自分の好きな赤を決めていたという。
本当にイロイロあるものだ。
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2002年10月21日(月)
[時は金なり]というが、人生という意味でわかり易く考えてみよう。 一秒一円で一生を80年とすると何と25億円になる。 時給1000円のアルバイトとすると、一生で換算すると7億円だ。
時間をお金に置き換えるのはおかしいが、わかり易く考えるに 丁度よい。 高利貸しや銀行はその事を一番知っており、借りる方はその事を一番 解ってない。 海外旅行は大体の目安が一日3〜4万、実質滞在日が4〜5万円 である。
一年を一秒に圧縮すると、一年前が3153万年前になる。 数年前に恐竜がいたことになる。150年前が地球誕生、 400年前がビッグバンになる。
人生を考える時に一日に圧縮して考える事がある。 昼の12時ですでに40歳で、60歳で夕刻の6時である。 そうすると私は17時半あたりになる。このテーマとは関係ない事だ。
製品もグラムあたりで値段を読む事がある。 鉄が安い象徴で、パソコンの半導体が高単価である。
人生で感動の場面は金かプラチナの価値、平凡な日々を 銅か鉛と例えると、可能な限りそういう場面を求めていった方が よい事になる。
芸術や大自然に可能な限り触れ感動のシャワーを浴びる事だ。
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2002年10月20日(日)
先日、25年来の知人と酒を飲んだ。 大手の支店長をしていたが、請われて奥さんの実家の 専務に3年前に納まった。地元の中堅の会社である。
義弟が社長で大変だろというと、糸と針の喩えで 自分が糸に割り切ってしまえば問題がないといっていた。
面白く、ずばり本質をついた喩えにいやに納得をした。 社長業を針というのも上手い喩えだ。 時代に対して一点集中で鋭く縫いこむのが社長業だ。 何か耳が痛いが、もっと痛い人が今は多いだろう。
この針と糸の喩えを社長専務の関係だけでなくいくらでも云える。 このテーマ随想日記もそうだ。 テーマが針、それに対しての随想記が糸である。 なかなか良い針が見つからない。 糸なら経験がたっぷりあるから?いくらでも材料はある。
戦略と戦術の関係もそうだし、頭脳と心の関係も、 夫婦の関係もいえるだろう。 夫婦では最近はどっちが針か糸かハッキリしないが。
それを使い分けるのはあくまで主体の自己ある。 最近は布ー服の流行が激しく変わっていくので大変だ。 デザインの選定と工賃も厳しくなっているし、本当!!
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2002年10月19日(土)
ある雑誌に、たまたま数日前に書いた「人生の目的」について 書いてあった。まさに偶然の一致であった。 京セラの会長の稲盛和夫氏の「何のために生きるか」 の一文である。 ーー人生の目的とは、心を高めることです。心を純化する。 心を浄化する。人間性を高める。人格を高める。 これが人生の目的です。 波乱万丈の現象に遭遇しながら、その現象に対処しながら、 自分の魂を磨いていくこと。それが人生の目的です。 これを具体的に言い換えると、世のため人のため尽くすことです。 世のため人のため尽くすことが人生の目的と考えてきたが、 心を高めることが、人生の目的であった。
そのために仏教の六波羅蜜の修行をしなくてはならない。 一生懸命に働くことが、利他の心を持つことが、 そのまま人生の目的になるーー
仏教的な人生の目的というところか。 果たしてそうだろうか?奇麗事でしか思えないが。 別に心など磨かなくても、知らずに磨かれているいるものだ。
心の純化などいうことは、汚れているから言いたくなるのではないか。 汚れのない若い乙女に人生の目的など必要ないことになる。 もっとも磨かなければ汚れた小母ちゃんになってしまうか。
今日死ぬ明日死ぬのギリギリの人がこれを読んだら、 そうだそうだといわない筈だ。 戦争で逃げ回っている人もそうだ。 「なにを甘ったるい事を言っていやがる」と思うであろう。
苦しい時に心の修行と思えるのは素晴らしいが。 けっして心の純化だけが目的でないはずだ。
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