堀井On-Line



432, スイス旅行

2002年06月09日(日)

スイス旅行日程ー  7月3日(水)〜12日(金)   新日本トラベル

           
http://www2.plala.or.jp/dontak/Swiss-AlCont.htm
http://www2.plala.or.jp/dontak/map01.html

1日目、 日本航空でチューリッヒへ。          
 −チューリッヒ泊

2日目、 リヒテンシュタインの首都ファドーツ散策と
「アルプスの少女ハイジ」の舞台マイエンフェルトで
ミニハイキングを楽しんだ後、サンモリッツへ。
   夕食は郷土料理ビュントナー・ゲルステンズッペ。−サンモリッツ泊
http://www2.plala.or.jp/dontak/heidi-01.htm
3日目、 神秘的な白い湖を眺める”もうひとつの氷河特急”ベルニナ特急
とディアボレッツァ登頂観光の旅。夕食はマス料理。
   http://www2.plala.or.jp/dontak/glacier1.html −サンモリッツ泊
4日目、スイスの観光列車の中でも最も人気のある氷河特急で
ツェルマットへ。夕食はチーズ料理ラクレット。            −ツェルマット泊
http://www2.plala.or.jp/dontak/mthr01.htm
5日目、登山電車でゴルナグラードへ登り”
ピラミッド”の愛称をもつマッターホルン(希望者は高原ハイキ
ング)。下山後モンブラン山麓のシャモニーへ。
   http://www2.plala.or.jp/dontak/dan04.htm    −シャモニー泊

6日目、 ロープウェーでエギーユ・デュ・ミディへ上がりモンブラン観光。
   昼食はサヴォア料理。
午後、美しいシヨン城を観光しながらモントルーへ。
   夕食はレマン湖産の魚料理とヴォー州産ワイン。  −モントルー泊

7日目、 風景の美しさで有名なパノラマ特急と”山峡の宝石”
   と謳われるエッシネン湖観光を満喫後グリンデルワルドへ。
   夕食はミートフォンデュ。         −グリンデルワルド泊

8日目、 登山電車で名峰ユウグフランヨッホ登頂観光
(希望者はアルプス高原ハイキング)。
   下山後、中世都市ルッツェルン小観光。
  夕食はゲシュネッツェルテス。         ールッツェルン泊
http://www2.plala.or.jp/dontak/Jungfr01.htm

9日目、チューリッヒへ。
   チューリッヒ発日本航空で帰国の途へ。  −機内泊

10日目 成田到着

      


431,モテル男

2002年06月08日(土)

世の中に、自称持てる男が多くいる。
そういう男をからかうのが好きだ。
「貴方持てるでしょう!」大体がこれに引っかかる。
そしてレクチャーが始まる。

・まずは[貴方は持てないでしょう。
 けちで努力もしなくては持てるわけがない。]
     (−−)心の言葉
(ほってけ!馬鹿!うっせいこの女貧乏!勝手にそう思っているだけだろう。
 ー貴方が持てたいと思っている相手など傍にいるだけで反吐が?)

・「自分等中年はそうでもないのに脂ぎっている、
 それを如何に隠すかが勝負!」(それは当たっている)
・「とりあえず自分から絶対に積極的にいってはならない」
(ふんふん・・・・)
・「服装と言葉には十分気を配る」
(へーそうか、苦労してるんだ)

日夜それだけを考え努力しているという事だ。
ちやほやされている状態が趣味という事。(負け惜しみ)

逆に持てないという事は、そういう努力もしないで、
表面だけを見て持てたいと思っているということか。
ギラギラした欲をそのまま出してしまう男??

ところでゴッド姉ちゃんが4人もいた立場で育った環境。
いっぱい教訓をいただいている。今度書いてみる。

もてる人(但しここでいうのは自称の人)
は職場とか家庭環境に女性が少ない人か、母親とか女姉妹がいない環境の人。
心の奥に常に女性に対する渇望があるからだろう。
こういう人は奥さんが離婚か自殺など早死にしている人が多い。

クリントンあたりなら、少しは羨ましいが??
くだらない話、しかし人間の一番の本質の話か。

女性もそうだが、そういう人は
こまめに、常に積極的、気配りを欠かさない。
   −どれもないなー??!
関係ないことだがー
昔から,好きなタイプの女性には共通点があった
・身長が162cm当たり
・血液A型
・長女
・お嬢様タイプ
・美人−清そ
・知的
学生時代よりそうだった、自分が好きのせいもあるが。
56歳の男の書く内容でないが。


430,自分の居場所

2002年06月07日(金)



誰もが自分の居場所を持っている。
逆に居場所がすくないということは、非常に厳しい状態の時である。

自宅の自分の場所、会社の自分の場所、通勤の自分の場所、
日祭日の自分の居場所、すべて時間と同時に変わっていく。

20代のある時、ある姉にいわれた。
「あなたはすぐ自分の居場所を作り始める。
まず部屋の中に本と椅子と机に本棚に手帳を配置する。
そうすると、そこにあなたの居場所ができあがる。
座ると何気なく自分の物を机の上などに配置する。
いつの間にあなたの場所ができている。」


その時代だけでなく何時もそうだった。
私だけでなく人間すべてがその筈だ。

居場所とは、
・自分が一人でいても寂しくないところ
・何かをしていて、自分が生き生きしてるところ
・すわり心地の良いところ
 
 そうすると趣味など、そういえるかもしれない。
 それをしている時、それが心の居場所だ。
 毎朝あげるお経もそうかもしれない。


引っ越したら、別に住まいだけでなく、まずは居酒屋,
そして昼飯を食べる店と自分の座る席。

猫でもそれを本能的にあるはずだ、テリトリーとして。


429,両親の死

2002年06月06日(木)



両親が亡くなった時、一緒に住んでいた。
そしてその死に様から「生きるとはどういうことか」を学んだ。
死ぬとは如何に大変な事を知った。
今ひとつ、死の視点から生を見るということを。

世間とか、娑婆の事を徹底的に割り切って見れるのも、
両親の死から、それがいかに幻想である事を学んだからだ。

結局,残るのは「子供と愛情」だけ。
それと‘生きてきた事’ー乗り越えてきた「行蔵」それだけだ。
意味とは最後の自己慰めかー心の印ということか?

死を自覚した瞬間の人間の「生に対する渇望」のすざましさに、
側にいて身震いした。
その瞬間−死を覚悟した瞬間‘砂漠の真ん中に立たされる残酷さ’を直感した。

‘心’は「主体」と「イメージ」で成立している。
心を失っている状態は、「主体をなくして何も考えられない状態」
と考えれば逆に解かる?

何で‘心’が両親の死の話しから出てくるかと言うと、
両親が死と直面した時に、「主体」と「イメージ」が
湧き出てくる事実を見たからだ。
それは死の恐怖感からくるものである?

特に「主体」が凄い。
人生の全てのことは自分の戯曲でしかない。
それに満足できるか、できないかだ。
死ぬ事はそう簡単のことではない。

昨日の朝、隣の主人が亡くなられた。
今夜通夜、明日葬式に出る予定!


428, おしっこをしながら、水を飲む

2002年06月05日(水)



「おしっこをしながら、水を飲むとそのまま飲んだ水が
垂直に排出された感じになる。宇宙が身体に流れ込む感じ」
という本を読んで、昨日3回も実行してみた。

・まず感じたことは、「こんなことを実際やってみる人は,
 この本を読んだごく僅かな単細胞の人だろうな〜」という気持ち。
・世界広しといえども、こんな経験をした人は殆どいない事を
 してみた自分の可笑しさ。
・現実にはそうでないが、飲んだ水がじかにそのまま排出されるという
 実感が愉快であった。そこには胃も腸もないそのまま出て行く実感である。

ところでそれがどうしたの?と聞かれても答えようがないが、
新鮮な気分と、誰もやったことない体験をしてみた!
という可笑しさで,気分が一新しただけでも価値があった。
  
    何事も経験です!!!!!!!!!!!
  貴方も経験してみたら??!


427,世間とはー3

2002年06月04日(火)



世間に住む人々を喩え話で挙げてみると面白い!
娑婆の集約の姿であろう。

・まずは私の大好きな???! −子狐 そうあの子狐!!
 ーどぶに浮くボウフラ!!

・そしてチンドンヤー自己宣伝に全て注ぎ込んでいる倒産寸前の!!!
 ーとくに地方は−痴呆になってしまうのだろう!!
 小さい世間の中で如何によい地位をつくるかという幻想に血眼ー痴呆症か。

・太鼓もちー芸者と組み合わせ!!!
 -夫婦で、低脳の痴呆名士に対して夫婦漫才をして売り込む!!
 あの角栄の組織を乗っ取った竹ちゃんも!!
  ただただ太鼓もちの世間士???

・鳶ー不動屋やマイナス情報を探し回るあの男。

・ガマカエルー王様カエル  ノータリンクラブとかに入って偉くなったつもりの人
・宅上犬ー??

世間という心の壁は、自分と他者の問題になってくる。
あいまいな甘えの世界ともいえる。
自分を持ち得ない群集の世界ともいえる。
特に島国のような固定化社会では、その甘さがお互いのクッションの働きになる。
必要悪だからさらに性質が?!。

若い母親のまず社会の第一歩、そう公園の砂場デビュウー。
音羽で幼児殺人があったが、インタビューされた若い同じ立場の母親が
「動機がいたいほど解る」と何人も言っていた。
あれが世間という世界、日本的カースト制度の差別の世界。
あれも範疇だろう。
細かくランク付けされた立場の小さい視点!

しかし情報化社会において、その根本が崩壊してきている。
この情報化が根底から社会を変えようとしている。
日本的世間(社会)主義の崩壊である。
しかし新しいネット世間ができている、空間を越えて。

この位の割り切った眼で見てないと、世間様のゆで蛙になってしまう。


426,富豪の館

2002年06月03日(月)


昨日ラーメン屋で見た週刊誌に、マリナーズのイチローの新しい屋敷が
載っていた。2億5千万にしてはプールはなかったが、豪華な建物だった。
南ベトナムに行った時、サイゴンの元南ベトナム大統領府が公開されていた。
やはり広大で豪華なものだった。

その時の説明で、豪邸の条件の話しが面白かった。
1、映画館を備えている事ーいつでも見たい映画をすぐ見れる状態
2、プールがあること
3、バーがある事ーホームパーテーが開ける事

さらにヘリコプターの離発着の機能がついていれば、さらによしという。
大統領府にその条件が揃っていた。

ホームバーと映画館は一般の家庭に形を変えて入りこみつつある。
TVのホームシアターでいつでも見たい映画を取り込める時代の到来だ。
プールだけは無理のようだ。

以前の日本では、大きい庭と池と茶室、それに法事や正月に
親戚が集まった大きい部屋だ。

こんなものより自由に世界を飛び廻っているほうが好きというのも、
「物より事の時代」のせいか!


425,父・堀井誠作のこと−2

2002年06月02日(日)


・女性の噂の全くない非常に真面目の人であった。
  家庭人としてこれが一番の基本である。
・非常にシャイなところがあった。

・商売では非常に厳しし反面、それを離れるとやさしいところがあった。
 これは自分で心がけているが、営業を狙ってくるタイプはその隙を狙ってくる。
  年内にその整理に入る!!!!ーこれは自分の話しか!

・その時々の時代に合わせて仕事を変えていったのは、最も学ぶ事であった。

・仕事も私生活も、楽しむ事が基本にあった。
 これも両親からの最大の教えである。

・宗教に関しては、ごく普通の仏教徒であった。
 特に法事などの仏事に関しては非常に大事にしていた。
 これを疎かにすると家が傾くと本当に信じているようだった。
 集り坊主の丁度いいお客様であった。
 所詮はレジャーでしかないのにーこれは私の主観。

・お金に関して父なりの金銭哲学があった。
   ー何を奇麗事を言っても、お金に関しては赤裸々な欲がある。
   −あまりに露骨の欲の塊が金、それをちゃんと見据えろ。
   −金は仕事の楽しみのカス、自分でその楽しみを見つけるべし。

・若い時に肋膜炎になり、戦争に行かないですんだ。
 これがコンプレックスと幸運の両方で人生観の背後にあったようだ。

・どちらかというと、母が男のように芯の強いところがあり、
 逆に父はシャイなところがあった。

・母から聞いた話だが、人間的に面白いエピソードがある。
 −戦前に一年に一商売をすると、一年間一家が生活できるだけの
  利益があったという。その商売が成立すると、50銭ー今でいうと5000
  〜10000円の硬貨を耳に挟んで、嬉しそうに一人で夜食事に行ったという。
    −5円なら解るが,50銭というところが自分に似ている。

    いずれにしても自分にとって最大の先生であった。


424, 父・堀井誠作のこと -1

2002年06月01日(土)


一昨日は父が亡くなってまる29年経つ。
早いといえば早いし、永いといえば永い年月だ。

父の供養も含めて少し父のことを書いてみよう。

・典型的な明治人で長岡商人であった。
・私が父の44歳の時の子供であり、父に間接的だが溺愛されていた。
・数代続いた骨董品屋の2代目で、
 父が跡を継いだ時7万ぐらいの資産があったと母から聞いた。
 当時の長岡では3〜5万が一応資産家の目安だったというから、
 もともと裕福な家だった?私のお祖父さんが貧乏で、お金に苦労した。
 その為必至に資産をつくり上げたようだ。
・父の代で戦前、それをかなりの資産に増やした。
 しかし戦災で大部分失ってしまった。
・戦前は山本五十六とか津上退助とか野本互尊翁等の人に贔屓にされ、
 かなりの骨董品の商売をしていたという。
・戦時中は仏壇で食いつないだという。
・戦後は長岡の大手通の4つかどの土地を手にいれ喫茶店を少しやり、
 古着屋に転業、そして衣料量販店で全国的にも知れるほどだった。

以前父のことを書いた文をコピーしておく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
H0505小説のような本当の話!

 十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。

生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、
お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。

たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に、
正直に事情を話したところ、父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。

それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。

聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかとつくづく考えさせられる
出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、
それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?当時、
丁度今の会社の理念を考えていた矢先、
それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決まった次第です。


423, 酒の話−1

2002年05月31日(金)

学生時代も、勤めていた時代も、
どこに行ってもすぐ見つけるのが、飲み友達と、いきつけの飲み屋である。

地元で今も数人いるが、そのうち特に飲んだ二人は、
亡くなったり転勤で居なくなった。
転勤の一人は新潟に出張にくる度、今でも年3回は飲んでいる。

特に勤めてからの、いろいろな地方での酒が忘れられない。
やはり金沢の酒が忘れられない。
なんともいえない、味がそれぞれの店にあった。
歴史の深みであろうか。

転勤商売も苦しいだけ、そういう楽しみもある。
苦しい時期ほど、そういう居酒屋の酒がうまっかった。

新潟では20年前から5年位前までの酒が、特に美味しい思い出が多くある。
大学時代の友人が、丁度その時新潟に転勤で赴任してきており飲み歩いた。

それと数年前に亡くなったが、「新潟駅前の花園の町内会長をしていた
不動産やの社長」と古町を飲み歩いたことだ。
有名な老舗の小料理屋や料亭を芸者をあげたりして飲んだ。
数十回も。
自分では間違ってもできない昔流の粋な遊びを教えてもらった。

亡くなってからは、当然のこと料亭などは全く行ってない。
丁度「海外旅行と遊びの入れ替え」の部分があったが。
飲むほうも、その時期時期に一応一とおりのことを経験した。

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