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堀井On-Line
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2002年02月25日(月)
この頃何を考えていたか、誰でもこの頃は大きなターニングポイントの時期であった。 土がたっぷり付いていた田舎の青年が、それを必死に振り払い 「自分に目覚め始めよう」としていた時期であったようだ。
キリスト教倫理の教授の「将来の自分の設計」というテーマを 休暇に与えられ、(生まれて初めて)真剣に考たレポートを出した。
その内容に対し心の入った文章の返事が書いてあった。 200人の学生に対し、これだけ長い心のこもった返事を書くものかと 感激をした。 それとも「自分の真心に対しての特別の返事」だったのか? 鈴木教授という名前と、 その授業が心のこもった内容であった事を憶えている。
私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容であった。 初めて第三者に自分の心情を真剣に書いた。 いや書かされたのかも知れない。
要旨は「両親の生き方」に対し姉兄はその激しさにしり込みをした。 そして安易な生き方を選んだが(商売人よりサラリーマンに嫁ぐこと を選んだ)しかし自分は両親の生き方を求めていこう。 今になって特に「父の生きかた」に男として魅力を感じるようになった、 等々。
もしかしたら、「兄二人が20歳過ぎて不幸な死に方をしてしまった」 とも書いたかもしれない。
心のこもった返事とは 「その中で、よくぞ父の生き方を肯定をした。 そしてその生きかたを選んだ貴方にたいし心から賛同する。 貴方が自分自身で考え抜いて判断したことが素晴らしい!」 というな内容であった。
この時点で自分の行き方が変わったように思える。 いや決まったように思える。 もともと決まっていたのかもしれないが。
俄然それから目標がハッキリした。 「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!」
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2002年02月24日(日)
人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。 そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。
まずその達人を事例で考えてみる。 一番身近では母がそのプロ?であった。
戦前、戦中、戦後の動乱期に10人の家族が生きていく中で、 父とともに苦労の連続であった。そして長男、次男の連続の 不幸な死で今の重症のノイローゼーになった。 心筋梗塞、死の一歩の手前までいった。 亡くなった時、医師の要望で心臓を解剖したら、心臓の4分の1が壊死していた。
それを乗り越えた後は、それまでのエネルギーを遊びに全て向けていった。 約40年近く遊びきって亡くなった。 日本舞踊、短歌、お花、旅行、茶道、写真。 毎日いそいそと何か遊びを見つけ楽しんでいた。
子供ながらに、そのエネルギーに感心をしていた。 遊びの重要さもそのため学んだ。 重点としてだが父は「働く人」、母は「遊ぶ人」と役割分担がハッキリしていた。 ただ父も仕事の合間に、結構遊びを作っていた。
「遊び」を儒教的影響の為かキリスト教的倫理観の為か、 罪悪と教えられてなかったか。 子供のころ誰もが、毎日目を光らせて遊んでいた。 ただただ無心に遊んでいた。 あの遊びをいつの間にか我々は忘れてしまった。
人間は生きていかなくてはならない。 その為に働かなくてはならない。 競争に打ち勝たなくてはならない。 その為に勉強もしなくてはならない。
しかしそれだけでは、それだけの人生だ。 それがクロなら、その対象の白が必要になる。 どちらが大事かでない、どちらも必要なのである。 それを特に母の生き様から学んだ。
一般的にいうと、遊びの優先順位があまり高くない。 どうしてだろうか、やはり生活をしていかなくてはならないからだ。 そして厄介な不安という心理がある。 その為に、お金をセッセと溜め込まなくてはならない、 「馬鹿な?生き物」である。
遊びとは、「好きな事をして、それを楽しむ事」をいう。 そうすると、仕事も遊びになりうる。 天才はその典型であろう。
あの子供の時の遊びを我々は忘れてしまった。 何でも遊びの対象にした「遊び心」を。 純真の心を失っているからだ。 「純真な遊び心」をいつの間にか忘れてしまった。
「遊んでないで、笑ってないでもっと真面目にやれ!」 と暗示をかけられてないか?
私の趣味の一つにウオーキングある。 初めは腰痛対策であった。今は大事な趣味ー遊びになっている。 純真に楽しいーヽ(^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)vのである。
その中に純真な遊び心が躍動を始める。 何々のためにといった場合は、遊びでなくなる。 それを乗り越え、純真な遊び心になった時点で「遊びに昇華」する。
パソコンもそうだ、このホームページもそうだ。 そこまで持ち上げる必要性を人生で学んだ。 「遊びになるまで集中する」という事か。
これから散歩だ!
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2002年02月23日(土)
1968年9月2日 六日町 雲頓庵
朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。 食事の後、「流通革命」を後半100頁を読み終える。 そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。 二浪とか「つらいだろう!」
13時から17時半まで「流通機構の話し」 を読む。中央公論の流通の切り取りも読む。 何か集中が足りない。21時半に禅堂にいって座禅をくむが、 何かごそごそという音がする。
こわごわ見ると猫みたいなのがいる。一瞬凍りつく! よく見ると小さなイタチみたいだ。 皆を呼びにいく。全員でそれを追いかけまわす。 逆に歯をむいてくる。 とりあえず戸締りをして、次の日にする。
ーーーーーーーーーーーーーーーー 1968年9月3日
目が覚めるが時計が止まっていて何時かわからない。 本堂に行くと6時10分、顔をあらっていると、住職が昨日の動物を 退治しようと長い棒を持ってやってくる。
そして気合もろともその動物をたたき殺す!凄い気合だ。 よく見るとイタチでなくモモンガであった。 顔を見ると可愛い顔をしている。少し気の毒に思った。
昼飯後、住職とわれら3人組で裏山に茗荷を取りに行く。 それが結構面白い!かごで3杯とる。午後の勉強は3時になる。 急に将来のことを考えると、不安が押し寄せる。
相変わらず、読書のペースが遅い。
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2002年02月22日(金)
ベトナムに行った時に出会ったバスのドライバーという人。 旅行の最中、ほとんど笑いっぱなしであった。 あるいは人を笑わせていた。
お笑いの芸人も2種類いるという。 普段の生活の中で「全く笑わない人と、笑いっぱなしの人」と。
その人に「如何してそんなにわらえるのか?」聞いた。 「母親が何時も笑っている人で、その影響だ」という。 職業が「観光バスのドライバー」というから、それに磨きがかかったのだろう。
ハワイに初めて行った時のバスのドライバーが「ポパイにそっくりな顔」 をしていた。そして初めから最後まで運転しながら、 ニコニコしながら鼻声で歌っていた。 こんな陽気な笑いは、かって見たことが無かった。 ハワイにピッタリであった。
あそこまでは無理としても、訓練すれば半分は可能な筈だ。 土壌と、また特に母親の影響が大きいのだろう。 子供は何らかの形で両親の分身なのだ。
会社に毎年新人が何名か入ってくる。 研修を終えて恒例の歓迎会が毎年楽しみである。 若い女性が研修から解放され、「純粋な笑いの渦」にその会がなるからだ。
知人の数名もそれを知っていて、招待されるのを待っている。 ちょうどこんな感じである。 ー(^<^)!(^^)!(^'^)(^^♪(~o~)(^・^)(^o^)丿
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2002年02月21日(木)
この本が最近話題になり、インターネットで早速買ってみた。 本屋で立ち読みをしたら、買わなかったと思う。 ほとんどが「TVで放映されている内容」でしかなかった。
昨日、印象に残ったものを「サロンのコーナー」に、 デジタル写真で撮り、貼り付けておいた。 もっと色々な内容があるはずだ、そう思って買った。
すぐ考えたのは、「日本がもし100人の村だったら」が書けるのではないか、 という事であった。日本人は2番煎じはうまいのだが。
ただ「テーマ」がよい!ーいや問いかけといった方がいいか。 今まで難しいと意識しなかった問題が見えてくる。 テーマの決め方で、問題を深く捉えることが可能になる。
「国家予算」も「県の予算」も、「100人の村だったら」 の喩えでもして解説をしてくれたら、一般の人も関心を持つ。
ある人の文章が巧くなった。 何故だろうと考えたら、いつの間にかテーマをつけていた。 テーマは円でいう中心点である、芯ができた為だろう。
テーマ日記を書き続けて、少し自分の頭がよくなったような気がする。 テーマを考えるのと、その内容の構成をするからだ。 また書きながら、違う視点にも気づくからである。
100という数字が分かりやすいのと、村の住民という喩えがよかった。 山下清が何か考える時「兵隊の位でいうと,どのくらい?」 と問いかけるのと似ている。 単純だが一番の中心をつく。
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2002年02月20日(水)
随想日記を書き続けてまず考えたことは、負担にならないで、 如何に自然体で書きつづけるか? そしてそのノウハウは?
・まず数人の前で話を毎日することを想定した。 ・気取らず、自然体で書く。 ・自分の為に書くー書いていて楽しい文にする。 ・話題の底がつきるまで書く 、 いや尽きた時こそチャンスと考える事にした。 ・毎日15~20人の人に読んでもらえるまで、内容を上げる。
3週間ぐらい前、定点観測の本屋でコピーライターの書いた 「文章上達トレーニング」という本を買った。 「話すように書く」が、自分の方法と同じだったからだ。
・「話し言葉で」下書きするー最も親しい人に話しかけるように書く。 ・そしてそれを文章化する。 ・更に文章らしくなるように手を入れる、 が要旨である。 文章作法の基本は「起承転結」である。 それを「結承転結」ぐらいの感覚で、まずいいたい事をまず明確に書く。 いい文章とは分かりやすい文章だ。けして美文をいわない。
「葉書の書き方」の方法論の本の中に 「まず結論を初めの2〜3行で書き上げてしまえ!」というのがあった。 その後は、流しでよい。それを先に書いてしまえば後は気も楽になるし、 すらすら日常のことが出てくる。 それを実行してから葉書や手紙を気楽に出せるようになった。
随想日記も基本はそれである。 それとなるべく短文にすることだ、ようするにシンプルにする。 短文なら誰でも書ける。それを重ねていけばいい。 読むほうも、読んでいて読みやすい。
気取らず、自身の言葉で書く。 あと書き換えをなるべく多くやる。上達の訓練はそれしかない。 その点でパソコンはいい。いくら書き換えても汚くなることはない。
それと意外なポイントとして、短時間で一気に書き上げることだ。 何事も気合だ。それを何回か添削する。
それと書きだめを幾つか書いておく。 書きだめと思って書くと気楽に書けるからだ。
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2002年02月19日(火)
−1968年8月31日日記帳より
今日雲頓庵(禅寺)に来る。卒論の勉強の為だが、予想どうりのところだ。 早速座禅をくんでみる。足が痛くなり無我の境地にさほど遠い。 しかし現在の自分が求めていたもののヒントを与えてくれそうだ。
ここに慶応大学を卒業して弁護士の試験勉強をしている高橋さんと、 立教女学院の短大生が10人位いる。面白い人ばかりで明日帰ると言う。
帳面を忘れてきた。 これから当初の目標の計画立てだ。
ーーー ー9月1日 朝5時に目が覚める。6時半に起き 早速掃除をする。朝食前に高橋さんと裏山に登ってみる。 たった今鐘の音が聞こえてくる。深夜の鐘もいいものだ。 昼、彼女らが帰る、何か寂しい。 昼飯時にこの寺の後見人という人と話す。 午後は離れの一室で「流通革命」を100ページと「流通機構の話し」 を60ページを繰り返し読む。 勉強の集中力が足りないのがいらだつ。 明日より気を入れなおさなくては。 夜は10時にうとうとしてしまった。 後記ー独りで夜30分禅堂で座禅をくんでみる。 ロマンチックな感がする。誰も見ていないので自分との闘いだ。
ーーーーーーーーーーーーーーー 捜し物をしていたら「日記帳」が紙袋の底より出てきた。 半年分が書いてあった。
過去の自分との対面である。
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2002年02月18日(月)
・大学にいってよかったのは、 「都会の人は本を読んでいる」ことを知ったことだ。 ー読 書の必要性を学生生活を通して実感 ・特に基礎教養としての読書の必要性, しかしノウハウ書の重要性も馬鹿にできない ・知識・情報を得る手段として、人間と本そしてラジオ・TV 、 今はパソコンのインターネットである。 その価格や内容からみて、まだまだ書物を超えるものは無い。 「おおよそ500円から5000円」の間でこれだけの情報が 詰まっていて、手軽にあつかえるのは今のところ他に無い。 ・時空を超えていろいろな人と邂逅できる。 頭の中のバーチャルの世界の触発をしてくれる。 ・よい本は自身の中の悪い情報を、どんどん弾き出す働きを持つ。 ・特に学校を出てからの読書が大事である。 ・学歴でなく、学力が最も重要である。 その力を効率良くつけるのが読書だ。 他人の話を聞けない人の特性が「読書の重要性」のわからない人だ。 ・一般に言う「井戸端会議のおばちゃん」は、本を読まない人の別称 と言える。いや蔑称か。 ・卒業をしてから大体平均2〜3時間は読んできて、この程度の学力だ。 ‘子狐’の中に「もしかして全く読んでない自分の姿」をみた時、 背筋の寒さを覚えた。
世間には凄い人が多い、それも過去の人の中に無限に存在している。
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2002年02月17日(日)
やはり速読法が中心だ。 それも「要点集中主義」だ。 その典型が図書館で可能な限り(10冊)借りてきて、居間の「私の居場所」 の横に積んでおく。食事やパソコンをイジッテッル合間にチョイ読みをする。 通勤で行き帰り読む。
そして返す時間が詰まってくる、もちろん週10冊は読めない。 そうすると要点を見ざるを得ない状態になる。 本はその状態でないと、読まないことが多い。 返す期間が決められていると、要点をみざるを得ない。
これは買うに値すると判断するとすぐ「ネット」で注文をする。 買った本は、すぐ折込に入る。 本の端を重要な箇所を折り込んでしまう。 目次、各章、終わりに、図と絵、太字のページを折りこむ。 そうすると、その時点で自分だけの本になってしまう
そして身近においておく。 読んでいて、いやパラパラと開いていて、ここは重要と思うと左下を折り込む。 折込にも情報を入れる。左上は図示と絵。
急ぐ時は、終わりより逆にめくっていく。 そうすると、どういう訳かポイントが良くわかるのだ。 それでも時間が無い時は、この本から一つだけ情報を取るという視点で 集中する。 一つはあるものだ、特に「目次」か「終わりに」でそれを探す。
いま一つ実行していることは、本屋に週2回は寄る。 通勤途中の二軒のどちらか一軒だ。 本屋も毎日のように、売れているコナーの本を入れ替えている。 定点観測である。 立ち読みで要点読みが結構できる。
都会ー東京の羨ましいのは神田も含め大書店が多いことだ。 情報格差の一番象徴的なところだ。
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2002年02月16日(土)
立花隆の「二十歳のころ」が面白そうなので ネットで買い寄せた。
本屋で立ち読みをしていたが、実際に買い読み始めるとこれが面白い! 立花隆と東大の立花ゼミ生が「各界著名人や無名の人の20歳のころの事」 をまとめたものである。
一番の人生の不定形の可能性の塊のころである, と同時に一番不安定のころでもある。
そして一番その後の「人生の基盤」を作っている時期でもある。 私の周辺の人を見ていると「大学時代何をしていたか」 で人生が決まってしまったように思える。
その頃遊びほうけていたり、ただ漫然と大学生活を過ごしてきた人は、 今もその延長にいる。人生の要所であることに若さゆえ気づかない。
さすが立花隆と思うのは、これを「ホームページ上でサイバー大学という形」 で進めていったことである。ゼミの連中は同じ年代の一番大事な時期に、 各界のこれをやらなくては絶対会えない人から、色々な啓示を受けたことだ。 それもホームページ作りを通して。羨ましい限りである。
人生のOFF−J−T,いやOFF−L(LIFE)−Tになる。
私の二十歳頃を近くに書いてみよう。 それより学生時代の頃になるか。
屋上から「通行人の自分」を眺めているみたいで面白い。
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