堀井On-Line



331、自分を愛すること

2002年02月15日(金)

我々は「自分を愛することを罪悪」と知らないうちに,
教え込まれてこなかったか。
人間のいや生物の「遺伝子にはエゴイズムが書きこめれている」という。
まず自分のエゴイズムをハッキリと認めよう。
そしてそのコントロールをすべきだ。

自己への愛が自己陶酔やエゴイズムと混同され、否定されている。
私たちの大部分が、実は愛を経験していなかったのではないか?
経験してきたのは、実は[報酬]であった。

どこかの「チンドンヤ」のように第三者の容認を目指しているのを、
本当の愛といえるだろうか?
第三者の影を探し続けている「子狐」的偽愛・偏愛を愛と勘違いしていた。

まず自分自身を愛し、魂を育てることが「愛」の第一歩である。
その前に人を愛そうとしたり、人に愛されることを求める。
それはオカシイと考えもしない、世界の大部分がそういう人で満ちている。

別にエゴイズムを勧めているのではない。
他人に対する愛の希求を、まず自分に向けよ!である。
自分の魂に慈愛を与えよ!である。
自分のやりたい事を見つけやることが、魂に慈愛を与えることである。

それを第三者に求めることを「愛」と勘違いしている。
真にやりたいことを、第三者に求めていないか?

第三者にそれがある訳が無いことを解ってない。
新約聖書に「汝を愛するように、隣人を愛せ」という最も象徴的な
真理がある。汝を愛せない人間が隣人を愛することができるのだろうか。
聖書もまず隣人を愛せとか、自分への愛を否定はしていない。
宗教的な文章になってきた。

それを知っている人間は他人のそれも解る。
自己欺瞞が世界に満ちている。
解ってない人間が奇麗事を言う。
他人のアラを探す、無能だからそれしかないのだ。
 
こういう一生を「無能松の一生」という。


331,、お見舞いの手紙     − 堀井正子さんへ

2002年02月14日(木)

お見舞い申し上げます。
どう見舞ったらよいか?私の仕方で最善と考えてこの本
(フランクルの<生きる意味について>)を贈ります。
非常に深い内容のある本です。
今度の貴女の病、あなた自身にコペルニクス的大転換
(人生に何を要求するかより、人生そのものが貴方になにを求めるか?)
の問いの大転換のチャンスです。
この本を読んでいるうちに、何かが見えてくるのではないでしょうか。
<過去の総てを肯定し、容認すべし>

父が死を目前にした時「もう一度、同じ人生を・・」と言っていました。
これは非常に深い言葉だったと思います。
それも知識より触発された言葉でなく「苦しみの底より掴んだ言葉」
だからこそ父のこの言葉を素晴らしいと思います。

貴女の場合
「池津屋とともに生き、そしてそこを去り倒産、そして音楽の先生
という人生」はそのまま安穏とした人生より、はるかによかったという見方です。
自分の人生の総てを肯定する見方です。

この数年父の心境が判りかけています。
「社会的自分を一度すてて、真なる自分」を今一度じっくり見つめ直す時期です。
「過去の総てを肯定する視点をもつべし」これは私が言った言葉でなく
フランクルがいっている言葉です。
神が一日だけ、この世の中にある人を呼び戻したそうです。
総てが光輝いて見えたそうです。

娑婆の人間に「何故それが見えないのか?」
「どうでもよいこと、娑婆の表象」に流されているからだと思います。
そのゴミの中で生きているからです。
それを餌の種にしているからです。
  これを機会に真実に生きてください!
                ご自愛のほど!
                    ー魂の言葉ー
                  2000年11月30日
               ー 八郎


330,真実の時

2002年02月13日(水)

真実の時

闘牛に「真実の時」という瞬間がある。
闘牛士が最後の止めを刺す瞬間、牛もそれを悟り最後の力を
振り絞って突進しようとするその「一瞬の間」
ーこれを「真実の時」という。

葬式の火葬場で最後に釜に最愛の人を入れる瞬間もそうだ。
最も親しい人との別れの瞬間もそれだ。何回見ただろうか。
いや両親の経験をしている、叔母も。
昨日もその場面を経験した。

感動の絶頂の時もそうだ。
バンジージャンプの落下している瞬間もそれだ。

純粋に泣いているとき、笑っているとき、怒っているとき、
そして悲しんでいるとき、そして楽しんでいるとき、
感動しているとき、をいう。


329、夢日記ー13  自己喪失感

2002年02月12日(火)


こういう経験ー夢をみたことがありますか?

「全く無能で白痴の何の取っ掛りのない自分」に呆然としている夢。
夢から覚めても、しばし呆然としている。

自己喪失感というか、虚空の自分を実感した感覚である。
それこそ「自己中心絶対無」でなく、
・自己中心絶対無能、
・自己中心絶対虚空
・自己中心絶対自信喪失

何か聞こえてきそうだ!
「実をいうと、自分はその塊だ!」

あの恐ろしさ!
独り社会から引き離され、虚空をさ迷っている魂。

ある人に話したら「 自己喪失感というやつでないか」といった。
永年連れ添った人を失った人が経験するのが、あの夢の感覚かも。


328,マ〜コ  −堀井正子に捧げる

2002年02月11日(月)

マ〜コとは昨日亡くなった(4人いる姉の一番上の)
姉正子の幼少年期に呼んでいたあだ名である。
彼女の話をしてみよう。

「声楽家になりたかった」が口癖であった。
「家の犠牲になり、それを断念せざるを得なかった」とも。
「中沢桂」と高校の新潟県大会で負けたのが人生の分かれ目であった。

兄がたてつづきに亡くなり家業の為(婿養子の)芳朗さんと結婚。
家族の間に立ち、気苦労をした一生であった。

長岡社会から一歩も出たことがなく、
その卑小性・特異性を全く自覚できないのが特性であった。
「城下町の特性」をそのまま価値観にして生きた。

性格は自己顕示の強い、自分を常に「ヒロインにしたて演じている
可愛い人」でもあった。
常に人に気を使い、その場を常にパフォーマンスで盛り上げる事に、
全神経を使う人であった。
その面で母に似ていた。

「波乱万丈長岡版」の人生を充分に生きた。
独り芝居のパフォーマンスを会話だけでなく、人生で演じきった。

人に好かれ、彼女の居るところは常にオーラが輝いていた。
もって生まれた才能であろう。

後半ー40歳過ぎは事業で失敗。
音楽の先生として200人を越える弟子がいたとか。
好きなことを仕事にできたのが「彼女への神の贈り物」であった。

おそらく彼女のこと、あの世でも歌を歌い周囲を笑わせ、独り芝居を
演じているだろう。
           安らかにお休みください!さようなら。


327,新幹線の乗り越しー4回!

2002年02月10日(日)

通勤22年間に乗り過ごしの経験が4回ある。それぞれに思い出がある。
たて続きに3回乗り過ごした。
いまから10〜15年前で一番酒を飲んでいた時期であった。
初めは湯沢で泊まった。

飲んでいた勢いで、ビジネスホテルの近くのスナックに飲みに出た。
10時半過ぎであった。
大きい猫がいて手を噛まれた!中年のママさんがいた。
湯沢の情緒が漂っていた!

その次は浦佐駅であった。やはり乗り過ごした2人と話し合い
「割りかん」で帰ってきた。
長岡駅と思い歩いていて,何かが違うのでよく駅名を見ると[浦佐]であった。

3回目は本を読んでいて、夢中になりすぎて乗り過ごした。
折り返しの新幹線で帰ってきた。

5年位前の乗り過ごしが面白かった。
ウソみたいな本当の話である。
正月の3日か4日であった。
乗り過ごした私と同年代の人と駅の改札で話し合い、
どこかのホテルのツインを割り勘で泊まることにした。
そして近くのビジネスホテルで、乗り過ごしの事情をいい「値引を交渉!」

「自分には値引きの権限が無い,駄目!」
酔っていて滅茶苦茶!面白くないので、そのまま出て歩いていた。

たまたま向こうから60歳すぎのの人と、40歳後半の男の人が歩いてきた。
事情を話し、「もっと安いホテルが無いか?」と聞いたら、
ちょっと待てと電話をしてくれた。
そして安くしてくれるホテルがあるといいう。

助かったと思い感謝しつつ後をついていくと、
何と初め値段交渉をしたホテルであった。
そしてその若い方がその社長であった。

そして飲みに行こうという。
それならばこちらも乗りかかった船、その連れと付き合うこととなった。
但し値引いた分の金額を出せという。それは当然のこと二人で出した。

その後、湯沢で一番の高級のクラブで2時間、正月という事もあって
大騒ぎ。ー後で知人に話したら、そのスナックを知っていたー

次の日4時間だけ寝て一番の新幹線で帰ってきた。
だんだん恥のさらけ出し?

「気違い水ー酒」を飲んだドラマがいろいろある。


326,イルカのような人

2002年02月09日(土)

イルカはどんな状況でも楽しみを見つけ遊ぶという。
私の身辺にイルカのような人がいる。

「今日如何して一日を楽しむか」それしか頭に無い。
オリンピックといえば、一月前からそれを楽しみに待っている。
始まれば夜半でも寝ずに見る。
ウインブルドンのテニスが始まれば、これも然り。

毎日のTVも当然いくつか楽しみの番組がある。
一日が楽しむ為にフルに使われるのだ。
昼は誰か友達と安くて美味しいランチを探し食べている。

その為か顔までがイルカのようになってしまっている。
笑い顔なのである。
必ず笑いのネタを何処からか見つけてきている。

働くことは大嫌い!
遊びならどんなハードな事でも平気、
仕事は少しやると顔がはれ寝込んでしまう。

2〜3人のグループで常に群れているところが、
更にイルカに似ているところだ。
そういう人は今でいう癒しを周囲に与える。
それが唯一のの社会的貢献だ。

こういう人は西欧系の人では当たり前のタイプかもしれない。
我々の年代の日本ではすくないが、若い人ではいくらでもいるのだろう。

社会学で人間には二タイプに分けられるという。
仕事タイプの人と、遊びタイプの人とに。
難しくいうと「仕事タイプをホモ・ハーベン」、「遊び人タイプを
ホモ・ルーベン」という。


いるかのような人は「遊びタイプ」の典型である。
これで一生終えるだろう。
母親がこれに劣らず、一生を楽しんでいる。
家系からきているから間違いない。

人生とは、こういう人には幾らでも楽しみを与える。
反対の人には、いくらでも苦しみを与える。
何か法則があるのだろう。

この視点でみると私はシャチというところか?


325、いまによくなるさ!必ず!

2002年02月08日(金)

こういう時代だから、この言葉が大事だ!
といって、これは手を打っての話だ。
「最善をつくして天命を待て」の時の言葉だ!

考えてみたら、心の奥で何時もこう呟いていた。
歌に「明日がある、明日がある、明日があるさ・・・」
とかいう歌があった。「明日がある」も似た言葉だ。

「何とかなるさ」も同じ意味か。
今更、一休和尚の話しをしても仕方がないが敢えてする。
「死んだ後どうにもならなくなったら開けよと、一通の封筒を
残して死んだ。そしてどうにもならない時に開けたら(どうにかなるさ!)
と書いてあった」

実際今まで生きてきて何とかなってきた。そして良くなってきた。
実際起こりうることより、それに対する不安の方が10倍は大きい事は、
誰も経験済みである。海外旅行ほどその段差を実感する。

今の悪い状態に対して悲観するのでなくて、よくなる方策を考え抜き
実行すればーーーー「今によくなるさ!」

「今の日本はそれをやっているのだろうか?」


324,中村天風

2002年02月07日(木)


この人の本を読んで人生観が変わった。
基本は人生は「積極一貫」である。
言葉を大切にしろ、何気なく使ってる「言葉の力」に気づかずにいる。

「言葉のコントロール」をすべし。「プラスの言葉、積極的言葉」を使うべし。
 ‘何か元気の出る本がないか’とい聞かれたら迷わず天風を薦める。

・「積極一貫」がその中心
・「誠心誠意」がその背後にあり、「良心」が発生源である。
・なにげなく話す言葉は、どうしても「マイナスの言葉」になってしまう。
 常に注意を払い,充分に気をつけていなくてはならない。
・天風が瞑想の果てにつかんだものは「人間は受信体だ!」ということだ。
 その為に、「独りだけの時間」をもち、「心を澄み渡る」ようにしておくべし。
 そうすると「感受性」が高まる。

ー最近また天風の本を一日一回目を通している。
 理由は簡単である、トイレに置いた。
 一週間置いたが、コウカテキメンで毎日が気分がいい。
 単純なものだが、何か力が底から湧いてくる。
 言葉にどうしてもマイナスが出るが、それを一日一回でも窘めてくれる。

「人生の花園に常によき花を咲かし、よりよき実りをつくらなくちゃ。
 それが自分の義務だもん。」            -天風

 天風の言葉を書いた手帳があるが、来年はそれを使う!


323,ある時間の断片-1

2002年02月06日(水)

モロッコのマラケシュで、夜半ホテルより馬車に乗り中心街の「ジャマ・エル・フナ広場」に行った時のことの話。
4人のりの馬車のったのが、同じグループの母娘と一緒であった。
母親は少し初老性のボケ?が入っていたか、もしくは「お姫様出身」
ではという感があった?一人興奮していたのか話しっぱなしであった。

その話しが面白い!といって今回の観光のピーク。
その街の景色が素晴らしい。
どっちに気持ちを集中していいのか迷ってしまった。
世界的に知られている「マラケシュの街並み」も素晴らしいが、
その人の話しも面白い!
私はマラケシュの街並みの方をとる。それは座る場所で決まるのだ。
家内はその話の聞き役をとった。
その為か街並みは殆ど見れなかったという。

その内容とは
ー自分の亭主は日航の機長であった。
以前羽田で精神症で大事故をおこした・?機長と同期。
実を言うと自分の亭主が高所恐怖症。
誰も知らない秘密を私だけがしっていた。
「屋根の修理で震えていた」のを見てしまった。
本人に聞いたら「実をいうとそうだ!」と答えた。
こういう話がそのベストタイムに続くのだ、よりにもよってその時間に!
そのTPOSで聞くから、その話が更に面白いのだ!家内は笑いっぱなし!
それに劣らず、その夜景が素晴らしいのだ。
まさしく小説の世界、いや映画の世界といってよい。

同行の娘が傍でハラハラしているのが、手に取るようにわかる。
母の世話に全神経を帰国するまで使っていた。

ネタはツキマセン!このての話しなら!

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