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堀井On-Line
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2002年01月16日(水)
生きてきて、事業を通してつくづく感じる事である。 これは準備の大事さ、計画の大事さをいっている。
ビル計画の場合、出来上がった後「こうしておけばよかった、 ああしておけばよかった」ということが出てきても、その 修正に莫大の費用がかかってしまう。従ってアアでもないコウでもない と仮説を立て、あらゆるケースを考え設計にエネルギーを叩き込む。
これ以上もう考えられないところまで、考え尽くす。 それをどこまでやれたかが、10年〜20年後に結果として出てくる。
宮大工は、自分が死んだ数百年後の修理のことまで十分意識して、 建物を造るという。数百年後の宮大工を意識して仕事をするという。
以前何かに書いたが、成功の言葉は「練り上げ成す」という。 事前の一策を練る事といえる。
一般にみていると、「事前の一策の戦略ミス」を「事後の戦術でカバーしている プロセスを踏んでいる」ケースが多い。本人はその意識もないレベルだが。 他人事でないか?!事前の一策をどう打つか、立てるかがポイントになってくる。
それでは「それを十分に立てることが可能か?」もちろん「可能」である。 十分な情報収集とその分析に、時間とエネルギーをかけることである。
過去の自分の失敗事例と成功事例を振り返ると、ここに行き着く! 準備とは集中の要である。準備とはなんに集中するかを、 とことん突き詰める事だ。
計画中断も一策かもしれない。根本から数回やり直すことも、 必要だったらやるべきだ。やる前ならどうとでも修正できる。
結婚もそれがいえるかもしれない。以前は「足入れ婚」があったという。 数年住んだあとで、籍を入れる、ああそうか今は同棲という形か!
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2002年01月15日(火)
土手で散歩をしている時、ある家の玄関にいるゴールデンリトルバー の一歳ぐらいの犬と目が合った。
思わず右手を上げて「ヨッ!」と挨拶をしたら、 なんとその犬が右前足を挙げて挨拶?をかいしてきたのだ。 「嘘だろう!」というのがその時の気持ちであった。
翌日全く同じ状態で挨拶をしたが挨拶を返さなかった。 そこで考えた、あれは「お手」の感覚で思わず手を出したのではないだろか? 生きていると思わず、いろいろのことを経験する。 でも傑作であった。
中学の時、その当時飼っていた柴犬に悪戯で日本酒に砂糖を入れてなめさした。 はあはあ口で息をはきだし尻尾を振りながら、よろよろと千鳥足で歩き出した。
急に変なことを思い出した。
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2002年01月14日(月)
「合理的とは最小の資源で最大の効果を求めることである。 しかし心構えとして必要なことは、最大の努力で最小の効果である」
若いときに出会った言葉である。そして全てに対してその気持ちの構えで とり組んできたー精神論もいいところだ。これは知る人ぞ知ることである。 意外とこれは落とし穴かもしれない。 それを可能とするのが、本当にそれが好きかという根本で決まってくる。
「好きと嫌いはどれほど違う、命ただやるほど違う」という都都逸があった。 好きなことをしての一生と、そうでない一生では天と地の位の差がある。
私の場合、事業と箱作りービル建設である。したがってこの30年、全く苦労した感はない。周辺に波乱万丈の人生を生きてきたとかいう人がいるが、 それが何なんだとつくづく思う。 好きなことをやってきたという人生こそ大事なことだ、と信じていきてきた。 他人の批評は所詮他人の脳の歪みでしかない。
この前ベトナムに行ったとき、 定年直前のバスのドライバーが二人できていた。 本当に楽しそうに旅行を楽しんでいた!子供のとき自動車に憧れ、 大人になったらドライバーになると決めていた。 本当に夢がかなってよかったとシミジミ言っていた。
決して社会的に高いわけでないが、人生の後半にそれを言えることが最も 大事だと思うようになった。 心とはそういうものだ!
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2002年01月13日(日)
以前テレビの動物番組で目を疑うことがあった。 ハイエナに襲われた小鹿を、カバがそのハイエナを 追い払い、その後小鹿に大丈夫かと思いやっている内容であった。 異種の動物の子供をかばうということが、現実にあった。 その子鹿はすでに死んでいたが、鼻先で起こそうとしていた。 もちろん同種であれば当然かばうだろうが、本能的にそれをしたのだろう。
先日も野生の雌ライオンが、鹿の子を育てているのがニュースに出ていた。 その後水飲み場で、雄ライオンに食べられてしまったといっていた。
以前、温帯魚を飼っていたとき、同種であるが一匹の魚が他の魚を執拗に 攻撃していた。見ていると他の魚が必ずその間に割って入っていた。 「嘘だろう」と見ていたが、何回もそのパターンが続いていた。
長岡の鯛の専門店でのこと、水槽の中を2〜3十匹の鯛の群れが一方の方向に回遊 していた。その時一匹の鯛と目が合ってしまった。その後2時間近く、回ってくる度に 見詰め合っていた。その後スナックにいったが、その話でモチッキリになって、 その鯛を食べに行こうとなりその店に電話をした。 すでに閉店していたが、もちろん実際は行く気はなかった。
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2002年01月12日(土)
私の一番のマイナスの特性は酒乱のケがあることだ。 勤めてそれも本格的になったのが、金沢時代からだ。
酔わなくてはやってられない、いや酒に逃げていたのかもしれない。 といってそれで人生を狂わせたというまででもない・・・?
酒の失敗がない人生を考えてみると、10倍位の人間関係が 広く深くなっていたと思う。 反面、人間関係でABC 分析のBCの人間の排除に一番いいのも確かだった。 そう思い込んでいるのかもしれない、これは負け惜しみか。 「人間はおおよそ失敗するのは、女か酒か賭け事の何れかだ。 もっと詰めれば女か酒かだ」とあるゼネコンのベテランの営業の人がいった。
「貴方は酒の失敗系の人だ、女はない。10年も付き合って一度も、 飲んでいてその場面に近いことがない、必ず尻尾が出るものだ」と。 酒の失敗がなければ、そちらに何かあったと思う。
その意味でぎりぎりセーフというところか。よく警察沙汰によくならなかった ものだ、当たり前のことだが。
酒の中で一番危ないのが日本酒である。 これで何回失敗してことか!
気違い水とはよく言ったものである。 最大の敵を自分の脳の中に入れることと同じことだ。 酒を入れるとその人間性があらわになる。 卑しい奴は卑しく、凶暴のな奴は凶暴に、暗い奴は暗く、 スケベの奴は助平になる。
「酒も飲まず、タバコも吸わず百まで生きた馬鹿がいる」というが、 それも事実である。
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2002年01月11日(金)
・何といっても不景気だ、気分的に沈みがちの中飲んでいても旨くない。 誘いも少なくなる。 ・新潟駅と長岡駅に鮮魚店や料理屋の販売店などのテナントが出来た。 通勤の途中に両方がある。これが一杯飲み屋よりもずっと美味しい。 地元の一流の料理屋が出店で割烹料理を売っている。 子供の時の正月料理とほぼ同じ味である。これを帰りの時間(PM6:00) の値引きセールになる。家で食べる方が美味しいという逆転現象がおきる。 ・歳をとってきたー以前ほど赤ちょうちんの雰囲気に親しみを感じなくなった。 ・TVのパフォーマンスの方が楽しい。 以上が理由に上げられる。 サラリーマンのスーパーでの買い物が増えているのと、自分の姿が二重写しになる。 週に二回はどちらかの駅の売店で肴のツマミを買う。 家内も外で飲んで帰ってくるより、健全?で美味しいから文句をいわない。
彼ら店主は、この時代の変化が全く解ってない!これは他人事でない。 何処も全く同じ味の商品!こちらは毎日が少なくとも生活では変化の連続だ。 また変化し続けてる店しか行かなくなった、それが当たり前である。
スーパーの食品も冷凍・冷蔵技術や器の高度化や低コスト化で日日向上している。 闘いの相手がどんどん変化している。家でデジタルTV をつけ、パソコンをいじり 買ってきた肴をつまみ、酒を飲んでいたほうがずっとよくなってきた。 年齢もあろうが。
デフレとライフスタイルが変わってしまったことに気ずいてない。 店主よりこちらが舌が肥えてしまったという逆転にも。 毎日が激変である。
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2002年01月10日(木)
5〜6年前か、息子の大学入試の作文の課題が「仏教について」であった。 そこで自分ではどう書くか考えてみた。 チャンスがあったらに書いてみようと思うが。
その前年が「壁」であったと聞いて、すぐ自分のそれを考えた。 それを思い出して書いてみる。 「壁というと、まず考えられるのが仕切りの壁で、区分の役割である。 そして心の壁である。それも自分の思考習慣の壁である。
仕切りの壁も人工のものと、自然の壁がある。 人工のものとして一番大きいものとして万里の長城がある。 日本だったら海というところか。
これは外国から国を守る為のものだ。 屋敷の壁、これは家屋敷を外から遮断するものである。 部屋の壁はそれぞれの機能の区分である。
こんな内容であった。何故はっきり憶えているかというと、 日記に書いていた為である。
これに対し、今新たな考えを加えると「言葉の壁」と「習慣の壁」である。 言葉の壁の「取りあえず」「でも」「まいっか」・・・・ そして外国語の壁がある。 習慣の壁、そうそう行動の壁、感情の壁、いくらでも出てくる。
言葉の壁を次回書ててみよう。
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2002年01月09日(水)
この正月、TVに出てきた創業社長の言葉である。 「時間を切ってない仕事は仕事でない」のは、言うまでもないが、 夢に時間を入れるとは、その段階から計画に移行したことになる。
夢ー>希望ー>目標ー>計画ー>手順と具体的行為に思考ダウンしていくものだ。 時間を入れるということは具体的目標、計画化に入ることになる。
夢とは長期的な漠然としたものである、時間を入れることにより、短期レベルに、 具体的レベルに引っ張り込むことが可能となる。
人生にビッグな設計図を描いておくことは当然のことだが、時間(日付)のところが 意外と曖昧になってしまう。私が自分の葬式の写真からの視点を、忘れないようにしている のも、人生の終わりー最後日を意識しているからだ。 言葉の遊びか本心か、「2020、0202、0202」」 2020年2月2日ー午前2時2分。 この辺りを目安に、生きてみよう!今年死ぬかもしれなが、後は神の思し召しのままに!
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2002年01月08日(火)
今の日本は6掛け規模に収縮になるべき立場にある。 何をもって6掛けかはただ勘であるが、間違いはない。 今の生活を維持をしようとして、それを嫌がりどんどん銀行から金を借り、 雪達磨式に借金が年収の10倍以上に増えていった家庭の状態と仮定できる。
今もその範疇より一歩も出れない状態にある。 「こうすれば、よくなるという」視点より脱却しなくてはならない時期に来ている。 やはりクラッシュに向かって正面突破しかない。 もっとも自然にそうなっていく。しかし今の評論家のほとんどが、 この視点から一歩も出ていない状況である。
ソ連の崩壊までの前提と、それ以降の前提が全く変わってしまった。 アメリカの優待の立場が消滅してしまった、その事実が解ってない。 解っていてもどうにもならないのだ。 この10年ああすれば、こうすればと小出しにいろいろやってきて気づきはじめた。一度清算しなくては、これを小泉首相が建前で言った。 しかし見ていると、まだ腰が引けている。
恐らくクラッシュがおきるだろう、いやおき始めたと言ってよい。 仕方がない、いや長期的にみたらよいことだ。大津波がきている、 しかし全ての知恵を使って各自が自助努力するしかない。 恐ろしいことだが!近じか地元の大手の建?業が倒産するとの噂も入ってきた。
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2002年01月07日(月)
この映画はほとんど見ている。なぜ見るか?やはり「家庭の温かさ故郷の 暖かさ」を求めていた為だ。半分は映画館、他はTV である。
長岡に帰ってくるまで、どこにいても故郷代わりになってくれていた。 山田洋次監督のテーマは、仏教の仏の暖かさを、寅さんの中に 表現しているように思える。団子やの一家もしかりである。
「旅」と「帰る家」がテーマだ。頭の軽いフーテンが仏性である。 赤裸々の人間の中に崇高な仏性を表現している。
風のようにフラリと旅に出て、フラリと帰ってくる。 そして行く先々でまた帰ってきて事件を起こす。
何か自分の姿をみているようだ。可笑し(*^_^*) さの中に悲しさ、 そして悲しさの中に可笑しさが含まれているのがいい。
その作ごとに出来不出来の波がある。映画を見終わった後味がいい。 TVで何回も見ても飽きないのは、やはり好きの為だろう。
曽野綾子が「こんなひどい映画はない」と書いていた、キリスト教文化の 視点ではそうかもしれない。隠れテーマが解らないだろう。
年末年始にこの番組が集中的に放映されるが、一杯飲みながら、大口を 空けて笑っている自分が可笑しい。正月にぴったしの番組だ。もっとも それ狙いに作ってあるのだから。
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