堀井On-Line



[33] デフレ実感

2001年05月27日(日)


家内が初めてマックの半額のチーズバーガー2個とマックシェ―ク1個を買って300円で

お釣りがきたという。息子とインスタントコーヒーを出し、チーズバーガーを1つとシェ―クを

半分ずつ飲んで信じられない感覚だったという。1人150円でインスタントコーヒーをいれて

170円、デフレを実感したという。

うかつであった。買った事がなかったのだ。

100円ショップ、家具のニトリ、サエゼリア、ユニクロ大きい共通点がある。物価の

グローバル化を戦略的にめざしている。100円ショップの原価は平均28円だそうだ。

300円から3000円のプライスの商品をトレードオフして、中国などの国で10〜35円

で作らせて持ってくればいい。100円ショップは当分は伸びる。2000〜3000円した旅

行用空気枕を100円ショップで買って結構良いのに驚いた。

デフレとこの不況まだまだ入り口だ!デノミのタイミングもそろそろだろう。


[32] 34年ぶりの文章化

2001年05月26日(土)

欧州1周旅行(印象記)欧州1周 ー 1967・07〜
   デンマーク(コペンハーゲン)・スエーデン・イギリス・ドイツ・フランス・スイス・イ   タリア・オーストリア・タイ・・・ 
今より34年前の立大三年ー大学の海外旅行研究会が募集した旅行会が募集した欧州1周旅行に参加した。期間 は30日間ー1967年7月01−30日ー総勢 40名  団長 高木豊 添乗員 玉井 氏であった。 −深井・川崎・酒向・池永・堀井八郎・・
内側(内面。国内)ばかり見てきたそれまでの世界観が一変、地球の広がりを肌で感じた
当時年間20万人しか海外旅行者はなかった。カルチャーショックで、人生観が全く変わってしまった。自分の世界の狭さを知る人生の一大転機でもあった。それまでの総てが粉々になってしまった。人生でこれだけの楽しみも初めてといってよかった。その時の印象に残っている事は、1.まず自分は東洋人ということであった。白人の世界で初めてそのことを自覚をしたのだ。それと露骨な人種差別の視線を。2、欧州の豊かさも想像をはるかに超えていた。3、また文化の深さに驚愕した。毎日毎日見るものふれるものが、全て新鮮で興奮の連続であった。全く事前の知識を入れてなっかったのが逆に良かった。4.若さにありがちなコンプレックスの塊の自分に初めて自信がついたー行動としては初めてといってよい。
A.まず機内ーー飛行機で食べたヒレステーキーこんなにおいしい牛肉は生まれて初めて!
国内では聞いた事のない他の乗客の会話!憧れの日航のスチュウワーデス!
B.デンマークの街並みの清潔かつ美しさ!一人で路面電車に乗ったとき嬉しさと不安!郊外にあったお城からみた緑と空の色!当時日本では殆どなっかったコッテジ風ホテル
C.スウエーデンでみた金髪美人の美しさと着こなし!それが北欧の街並みにぴったり!そこの
バイキングの食事―バイキング方式の食事の存在をそこで初めて知った。
D・ロンドンの王宮そしてビッグベン。イギリスではパブが印象に残っている。軽くスタンドでビールを飲める感じであった。
E.ドイツはミュンヘンのビヤホールの大きく豪華なこと。確か2000人位の客がステージの楽団にあわせてホール全体が一つになり楽しんでいのるのが不思議に思えた。なるほどヒットラーが出るわけだと思った。また古い街並みと古城のよいハイデルブルグそしてライン下りで見た田舎ドイツの何とも言えない深みのある景色。
F.スイスアルプスの登山列車から見る山並み。    
G・オーストリアで飲んだ地酒のワインと生ハムの美味しい味。 
H・パリで見た凱旋門とシャンゼリデ通りそしてルーブル博物館のモナリザの絵とミロのビーナス。そしてヴェルサエル宮殿とその鏡の間。そして庭。
I.ローマの遺跡の数々。コロセウム
闘技場にトレビの泉。284本の円柱が囲む楕円形のサンピエトロ広場と寺院そこで見たピエタの像。地中海のカプリ島。幻想的だったコモ湖。
J.帰りに立ち寄ったタイのバンコク―その何ともいえない素朴な景色。寺院もどこもかしこも仏教の影響の為か純粋な東南アジアの良さがにじみでていた。
この旅行から帰ってきて2〜3ヶ月呆然自失であった。もし神様が人生で1ヵ月時間を戻してくれるとしたら、迷わずこの一ヶ月を選ぶだろう。
ー34年ぶりの文章化である。意外と憶えているものだー


[31] 写真日記コーナー開設!

2001年05月25日(金)


ウイークリーマンションの司の社長の写真日記
ーこれはノートにその日あった人のインスタント写真を張りつけていく 
ものだが、ーいつか実行したいと思っていた。
そしてホームページで 是非実現してやろうと思いつき今日開設した。
ソフトが不備で思いどうりにならず、苦戦していたが何とか間に合った。
しかし途中挫折しなければよいが?
慣れてくれば、習慣化してしまえばしめたものだが。
どういう展開なるか自分でも解らない。
小さな世界がますます露呈されていくが、しかたあるまい。
だんだんホームページに関わる時間を短縮していかなけれと思っているが、
今はとりあえず時間だけはいれなくては!
今日も午前中南雲氏とこのコーナーの準備。ビルつくりに似て慣れてくると
面白い部分が見えてくる。


ホームページを開いて3週の実感

2001年05月24日(木)

ホームページを開いて3週の実感
今週末に‘写真日記のコーナー’ができると一応ホームページの骨格が完成だ。
パソコンを何のため使っているのかな?使い切っているのかな?と疑問を持っていた矢先
ホームページの開設を思い立ち、そのプロセスの中で他のホームページの構造とユニット
をつかむ事が出来た。
  自分のデータベース造り、及びその蓄積になっていくと同時にそれがそのまま外界にリンクしていくサテライトスタジオ機能を持つことと言える。グローバルに対する自己の開放である。ホームページはその表紙を語源とする。ということは大項目のデザインということになる。この数ヶ月かなり追加と変更が予測できる。
  今年の新年の誓いはパソコンとインターネットとホームページをものにする事であった。
特にホームページは思ったより収穫になりそうだ。
 開設の5月2日以前と以後と言うくらいのそこに大きい段差を感じる。

人生のコツ
末っ子は虐めと言う意味できついが,
反面学ぶ事が多い。
冷静に一人一人を観察しているのだ。
そうしなければすぐ虐めがくるからだ。鷲頭設計ー社長の話で
彼も大人数の末っ子だそうだが、
社長職にその立場は丁度当てはまるそうだ。
それぞれの環境立場がその人の個性をつくる。
秘境の旅行は色々な個性的な人と出会う機会がふえる。
人生の達人である。
初めは旅行に付き物と割り切ってみていたが、
とんでもない‘人生のコツの宝のやま’である。
プラス・マイナス両面である。
ネパール行ったときのある67歳の人の話で、
「身内の殆どが40代で死ぬ家系と言う。
自分も覚悟をしてそれを前提にして、その年まで総てやりたい事の
すべてをやり尽くす生き方をしてきた。ところが今もこうして生きている。
それまで(40歳)に国内を総て旅行して回った。
その後世界を殆ど回ったがまだ死なない。
それより学んだことは、何事も前回しやってしまう、
そして時間を切ること」だそうだ。
もう1つのコツは、朝食にキャベツを半分微塵切りにして
シソドッレシングをかけて食べる事だそうだ。
夕食も老人食の宅配食を食べてるという。
一期一会、徹して配慮をして生きることと言う事か。

青雲寮(わが青春)
私が学生時代過ごした寮ー青雲寮のことを書いてみよう 。
場所は飯田橋から都電で新宿への中間 、新宿の牛込柳町にあり
早稲田南町のバス停にも近い住宅地であった。
早稲田大学の理事の自宅の庭にあり牛小屋のような造りで、
古くきたないL字型の24〜5室の寮であった。
早稲田の学生が3分の1,あとは各大学の在学生で占められていた。
そこからは代議士(渡部恒三)や県会議員が数人ずつ出ており、
汚い棲家でもけっこう皆プライドはもっていた。
全国からの出身者のため個性的な人間の集まりであった。
今でも年数回、そこに今でも住んでいる夢を見る。
月に数回は10人位集まり酒を買ってきて飲んでいた。
誰か必ず部屋に遊びに来ている状態で、あまり勉強に良い環境とは言えないが
人間勉強という意味で非常に良かった。
自民党の総裁の鳩山一郎系のいきがかかっていた。
思いもよらない先輩がいて、よく赤坂とかあの頃の学生では行けない所に
飲みにつれてもらったりした。音羽の鳩山御殿も数回行った憶えがある。
その関係で軽井沢の友愛山荘に長期の休みにアルバイトに行ったりしていた。
そこで学生時代の大きい財産になった欧州旅行のきっかけもできた。
その寮は一緒に生活をしている事もあってか、とにかく癖が強い人間が多かった。
私生活がお互い丸見え、どうしてもアラが見えてしまう、と同時にサル山と同じ
勢力争いがあって結構それが面白かった。
ホモあり、女狂い有り、哲学専攻でいつも一人ニヤニヤぶつぶつ言っている先輩あり。
クソ真面目のいやみな先輩あり、学生運動の闘士有り、今考えてみてもかなり
おもしろい寮であった。
学生時代はこの寮と武澤ゼミと欧州旅行とクラブを除いては考えられないが、
いい経験をした寮であった。私の大学の友人の間でも、この寮の存在―
特に汚い馬小屋風の寮で珍しがられていた。  
父がこの寮に卒業の八ヵ月前にきて、翌月から仕送りを二倍に上げてくれた事で、 
いかに凄いか想像出来るのでは。           (昭和40〜44年)



お笑いコーナーの開設

2001年05月23日(水)


スナックジョーカー
去年シルクロードを旅行した時、同行者がかなり知的レベルの高い人達であった。旅行中非常に厳しい環境の中で、いつも軽いジョークを飛ばしていた。それがいやみも無く気持ちを和らげてくれた。その経験から軽いジョークは厳しい人生で軽い安定剤になるものだと、つくずく考えさせられた。そのとき日本に帰ったら必ずそのセンスをつけてやろう心に決めた。そして数ヶ月間ジョークと駄洒落の本10冊以上を買い求めた。初心者のジョーク収集家になってしまった。一人手帳に書いて楽しんでいたが、公開も面白いとこのコーナーを開設することにした。笑いはその人により
千差万別経験により違う。可笑しかったら笑ってください。  いつものとうり以前書いた文章をコピーしておきます。
    −H1209"笑い"について ー
 笑いというと人生におけるアクセサリーのように考えられるが、実際は人間として生きるうえで、もっと根本的な問題を含んでいる。苦悩は人間の本質的一大問題である。仏様は、それを"四苦八苦"に分解してみせ、その根本的解決策を八正道とした。しかし人間はそのずっと以前に"笑い"を発見していた。そして苦悩をやわらげていた。人生は本来、思い通りにいかない、馬鹿げている、いやな事が多い。本来あるべき姿との闘争といってよい。これが苦悩となって負担となる!そこでユーモア・ジョークを創りあげ、笑いで中和していた。苦悩より生ずる精神のこわばり、このこわばりにおかしさが出てくる。これをスピーディーに指摘する。人間はスピーディーに不一致を指摘されると、おかしく笑い出す。笑いは笑う側から言えば優越感、笑われる側からいえば、その価値の下落、及至無化と関係している。われわれは優者に同一化する事により敗者を笑う。これが皮肉、悪口による嘲笑でもある。しかしこれは品性の最も低レベルの露出になる。皮肉は孤高な笑いでもある。皮肉屋は自らを高くして、自らを神の立場にして、愚者を笑う。反対にこの人間の弱さ愚かさに直面しても、これを憎まず受け入れる態度をユーモアという。笑われる対照が実はわれわれ自身でもある。ユーモアが与える心あたたまる連帯性の源は、この共犯性にある。すべって、ころんで怪我をして泣いているのが悲劇であり、その姿を第三者が可笑しくみえ、笑ってしまうのが喜劇である。同じ局面でもその立場で全く違ってくる。しかし喜劇的側面は少なくとも客観的であり、ロングショットの視点である。悲劇的視点はその苦しみしか見えなくなっている。という事は苦悩を逆に自ら笑ってしまう事のほうがプラスになる。"いつか笑える日がくるさ"とつぶやく事を忘れないなら、その日は駆け足でやってくる。笑うから楽しいのである。泣くから悲しいのである。笑いは自ら創りあげるものである。この三ヶ月間でジョークを一〇〇、駄洒落を二〇〇、頭の中にセットした。しかし、これで相手を笑わせるとなると話が違ってくる。難しいのである。当然の事ながら一つの話でも一人の人にとって可笑しいが、もう一人には全く馬鹿げている事が多い。その為にはTPOSでネタを変えなくてはならないし、それと失敗した時のフォローも考えておかなくてはならない。一つのジョークでも一つの"生き物"として自らの中で手入れをしておかなければ相手は笑ってはくれない。ユーモアは笑いを目的とせず、雰囲気を良くする事を目指し、ジョークは最後の一ひねりに、吹き出し笑いを目指す。駄洒落は聞き手に優越感の笑い(話し手を少し馬鹿にさせる)を目指すという。この違いだけでもわかっていると笑いに対する知識が全く違ってくるはずだ。


チャレンジ100

2001年05月22日(火)


60歳までに50回 外側―異境秘境をメインに旅行の目標を数年前にたてた。
ねん3回ずつ最終年4回で達成だ。今まで34回面白かったし、エネルギーも
つかった。この分だけ人生に上乗せという感だ。年三回というと家内の分も含め
ると2百万余かかる。ゴルフはやらず、居酒屋スナックは4000円以下、
もちろん国内旅行は一切行かず、更に日本に居たとしての生活代がかからない事
を考えると、それだけでプラマイゼロである。数年前かいた履歴を一昨日書き加え
た。好きでない人間には金まで払って何をやってんだと思うだろう。 
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ           ・06
「34」メキシコ                    2001.01
「33]モッロコ                     2000.11 
「32」パキスタン・中国                 2000・06     
「31」シリア・ヨルダン・レバノン                ・04  
「30」ノルウエー                   1999・12 
「29」ケニア                          ・08   
「28」イスラエル                        ・04     
「27」ネパール                          ・02
「26」北インド                     1998・10   
「25」 北スペイン                        ・07  
「24」タンザニア・ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原) 1997・12   
「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地)                ・08
「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)        1996・06    
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)     ・02   
「20]南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)1995・10   
「19」ニュージイランド(クウーンズタウン・ バンジー
             ジャンップ・ミルフォードサウン)     05    
「18」ブラジル(リオのカーニバル・イグアスの滝)・
「17」ケニヤ(ナクル湖・       )        1994・06 
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  1993・12 
「15」フィジー(コマ島・ )              1992・11
「14」スペイン1周の旅(アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛)
                           1991・08  
「13」カナダ・ロッキーの旅                  ・05
「12」香港クルージング                1990・07 
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)       ・04     
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅 1989・12   
「9」 中国(北京・けいりん・上海)  1988.09    
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス      ・06
「7」カナダ・ナイアガラの旅     1987・08    
「6」香港の旅            1986・10          
「5」ハワイの旅           1983・08
「4」ハワイの旅           1980・08 
「3」ハワイの旅           1978・08  
「2」アメリカ・商業界        1976・07
「1」欧州30日一周          1967・07


つれずれに

2001年05月21日(月)


今日3時半に目が覚める。4時半に散歩にでる。この時間でもけっこう歩いている人がいる。
土手を朝日をうけて歩くとこの上なく気分がよい。このところ5時間も寝ると目が覚める。
爆睡しているせいか、寝不足に感じない。最近CS−TVの癒し系の番組268チャネルを申し込んで音楽を聞いているが映像もいい。何回も書いているが、このソニーのBSハイビジョンTVはいい。映像つきラジオ番組472チャネル―マザーアースもいい。


随想日記―テーマ日記

2001年05月20日(日)


8年前より随想日記―テーマ日記に切り換えた。其のためこのような風変わりな
日記となっている。毎日よくネタがあると思うが何年かんの訓練と、パソコンの中の材料
を使っているにすぎない。6年まえの文章をコピーしてみる。日記お宅になってしまいそうだ。                                    
テーマ日記 H0701
二年前より日記を“テーマ日記”方式に切り換えた。なれるまでは大変だったが今ではけっこう面白い。この文も去年の一月七日の“テーマ日記”が下敷きになっている。思いつくまま“テーマ”書き、それをもとに内容を書く。前日みた“TVドラマ”がテーマであったり。前夜みた“夢”の内容であったり、“父の思い出”“年記”(年末に日記風に一年をまとめた内容)、“読書感”であったり。あとでふり返って読んでも面白い。いかに普段あまり深く考えてない事と、その時点の自分の興味の変化がわかる。“日記”より雑記に近いが…。(随想、随筆の難しさがよくわかる。)


どうも不調

2001年05月19日(土)


昨日1日このがサイトがひらけなかった。きのう23時に帰ってきて、文章を書いたが記載出来なかった。これから散歩に行く。


バーチャルで日銀ツアー

2001年05月18日(金)


産経新聞でこの記事をみて早速覗いてみた。やはり少しかたいが日銀内部はこんなものかという意味では面白い。日銀のホームページ内の新コーナーだがお堅い日銀にしては上出来か。
http://www.boj.or.jp/

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