堀井On-Line



838, アメリカの世界戦略を知らない日本人

2003年07月21日(月)

  ー読書日記ー
「イラク戦」後、時代はこう動く

日高 義樹 (著)
出版社: PHP研究所 ;
(2003/01)

ー感想文ー
 新たなる世界大戦の序幕が切って落とされた。
中東、北朝鮮、中国、そして日本は…。
ブッシュ政権要人の肉声から読み解く驚愕のシナリオをシビアに書いてある本だ。
この本を読んでいると、今の世界の流れの一部が見える錯覚?に陥ってしまう。
日高義樹はNHK記者時代を通じ、アメリカの専門家として有名で、その著書も数多く出版されてる。この本は、イラクへの武力攻撃が懸念される2月始めに出版されたものだが、先日、図書館で借りてきて一気に読んでしまった。
主軸通貨を利用して、ドルと国債を世界にばら撒いて物資を集めてくれば
良いのだから、やはり帝国主義そのものでしかない。
特に日本はいまだに属国から抜け出ることができない。
そして、紙切れー国債を押し付けられている状態だ。
今までは、毒饅頭ー大衆消費社会ーを与えられ、骨抜きをさせられた。
ソ連よりはズットましだっただろうが。

ー印象に残ってところを抜粋してみる
・ヨーロッパは終焉してしまった。
 一見「EUの発足」で力の統合が始まったように見えるが
・中国は恐れるに足りない。いずれ分裂するとみている。
・日本の平和主義は終わった。
 ー日本が核武装をしようがしまいがどうでもよい。
・イラク戦争のアメリカの狙いは中東石油支配。
 ーこれは時間が経てばたつほど露骨に現れてくるだろう。
 
ーさらに詳細に抜粋すると
・9月11日の同時多発テロ以来アメリカは変わった。
「冷戦後の世界で、一番先に変わるのがアメリカであり、他国に先駆けて変化するのがアメリカの特徴である」という。
 自発的に変化することを苦手にしているのが日本であり、憲法改正、有事法制も先送りしながら日米安全保障条約だけを頼りにしている。北朝鮮の脅威が現実のものとなった以上、「アメリカが助けてくれる」ことを期待を込めて信じるだけでは、国として無責任すぎる。
 北朝鮮の拉致事件も、見方を変えれば、宣戦布告なき戦争であり、日本は国民の生命と財産も守れない国ということになる。日本も今までのように安穏としてはおれず、現実的な選択を迫られている。
・第4次世界大戦”に、既に突入した(第3次大戦は米ソの冷戦)。
 それはアメリカなどの民主主義を奉ずる先進諸国とテロリストの国や組織との戦争。
 今までの戦争とは全く異なり、ITや大型輸送機を駆使し、少ない人員で遠隔地まで直接効率的且つ破壊力に富んだ攻撃を可能な戦争になる。
 ーその第一幕が今行われているイラク戦。
・ついで起きるのが2005年頃と考えられる北朝鮮との戦い。
 このとき北朝鮮は日本を人質にとってアメリカと交渉しようとする可能性は大きい。
 ブッシュは“悪”とは決して妥協しようとしないから北朝鮮は日本攻撃に追い込まれる可能性がある。その際、日本が当然アメリカが守ってくれると期待するのは甘い。
・冷戦の終了と共に日本はアメリカにとって重要性を失っている。 
 後は日本の古い金融体制を不良債権整理と共に破産させてのっとることくらいが関心事。
 資金の裏打ちの無い“強いドル”を維持するために日本の円を自由にして
 取り込もうとしている。
・日本は拉致問題について、北朝鮮に特殊工作部隊を送り込んで、工作員を捕虜にしてくるとか、テポドン基地を爆撃するなどの、「自らの主権を自ら戦って守る」姿勢を示さなくてはならない。
 今のままではアメリカのみならず世界から相手にされなくなる。
・ヨーロッパ及びロシアはアメリカが中東の石油を支配することで自分たちの既得権益を失うことから戦争に反対したが、彼らは既に二流国ですら無くなっている。
 そんなヨーロッパに投資する日本は情勢を読めていない。
・第4次大戦の終幕はアメリカ対中国であるが、アメリカは中国の“脅威”について、軍備を始め殆ど歯牙にもかけていない。台湾の処遇をきっかけにして中国を滅ぼすことも考えられる。
 冷戦が終って、やれこれで平和が訪れた、などと考えた国や人はおめでたいにも程がある。
・日本人は国際連合を世界の中立的な裁定機関であると捉えがちですが、アメリカはそれほど神聖なるものとは思っておらず、むしろ国家こそが、最高の意思決定機関だということです。
 従って、国連決議を粛々と遵守しなければならないのでは、と考えるのが日本人、決議なんてこちらからのプロポーザルでどうにでもなる、と思っているのがアメリカということ。
 この度のイラク攻撃に関する一連の動きを見ているとなるほどと頷けます。
 
 ・・・・・・・・・・・・
【目次】
第1章 イラク戦争が世界を変える
第2章 日米安保の時代が終る
第3章 「次はお前の番だ、キム・ジョンイル」
第4章 当分北朝鮮と韓国は合併させない
第5章 中国はブッシュ大統領に脅えている
第6章 中国は怖くない
第7章 ヨーロッパは終焉した
第8章 ブッシュ政権はけた違いに強い
第9章 ドルの立場を守るには日本円が必要だ
第10章 日本の平和主義は敗れた

 [コメント]
 この原稿が書かれたのは昨年12月。
(イラク問題は一進一退だが・・・)。著者は、アメリカ政治に精通している著名なジャーナリストで、アメリカに関する著作は多い(私も何冊か読んでいる)。歯切れの良い文体とちょっと過激な論調は、結構ファンも多いはずだ。
著者の結論は、ブッシュ政権は近日中にイラクと戦争を行い、第四次世界大戦の幕を切って落とし、中東情勢が落ち着けば(アメリカの思惑通りに)、再選に向けて動く。再選後、北朝鮮の金正日体勢を武力をもって崩壊させるといシナリオである。確かに、ブッシュ大統領も、危険分子(危険要因)の排除ためには、先制攻撃も辞さないことを明言している。9月11日の同時多発テロ以来、「アメリカは変わった」ことを認識すべきである


837, 民間校長ー腑におちる教育を!

2003年07月20日(日)

 昨日、何げなくNHK・BS1をまわすと、東京の杉並区和田中学校の
民間から採用された校長を取り上げた番組を放送していた。
広島の民間出の校長が日教租?によって自殺に追い込まれたり、教育委員会の担当も、自殺をしたニュースが生々しいが、その成功例もちゃんとあった。

ー内容を大筋は
・「よのなか科」をつくって一線で働いているゲストを、年間25人のペースで招いて実際の生の教育をしていた。
 産能大学でゲスト・ティーチャーを経験してきただけに、その内容に引きつけられた。
・「ハンバーガー」や「輪ゴム」の具体的な分析から、中学生に世の中の構造を教えていく手法は解りやすく道理に合っている。
 この事例研究から何故数学や国語や社会科が大事かを教えていくのだ。
・ロールプレーイング(役割演技)をさせて、世の中を教える手法が良い。
 生徒にハンバーグ屋の店長の役割をさせてみて、実際の店長にきてもらい対話をさせる。
 少年事件の模擬裁判をそれぞれの役ー裁判長とか検事・弁護士とか被告人ーを経験させて、実際の裁判官を呼んで実態を聞く。
・クローン問題を議論させて、科学者をよんで議論をさせる。
・自転車放置問題を議論させてみる。
・ニューハーフを実際きてもらい話をさせて、ハーフの差異から、社会にある価値観について話し合う。
 
 等々、シュミレーションやロールプレーイングやケーススタディーを駆使した授業を通して教育をしている。
「ふにおちる授業」が一番大事だということだ。 
 
 自分は熱血でなく、クールであると言い切っていた。
「今の校長は社長ではなく、営業所長代理でしかない」という彼の言葉が鋭い。
社長として任務を遂行するには、コミニケーションをどれだけつくれるかにかかっており、「子供の教育は、大人の姿によってしか変えることができない」という。
今の日本の教育はサラリーマン教育を前提でしかなく、市民教育がゼロ。
シンボルマネジメントー一箇所をよくすることから全体を良くする手法が大事だという。(校庭の緑化運動を推し進めるとか)

 「中学の校長と小学校の校長とどちら大事か」とアナウンサーの問いに、
「中学校の校長!」と言い切っていた。
中学は大人の始まりであり、子供の終わりの時期であり、膿が一番溜まっている時期。
この時期の教育が大事なことは、自分のその時期のことを考えれば納得できる。
今それが急に社会問題になっている。
「静の教育」と「動の教育」を分けて、教え込む時期である。
「縦横の関係だけでなく、斜めの関係を教えるべきだ」という言葉も真をついている。
「世界中の中学生が一番来たい中学校にしたい!」が最後の言葉であった。
日本にも、こういう芽生えも出始めている。

 彼の名前は藤原和博である。


836, 私のクレートジャーニー

2003年07月19日(土)



ー<グレート・ジャーニーとは>
「人類は、400 万年前、東アフリカに誕生し、アジア、極北の地を経て、
ついに 1万年前には、南米大陸最南端のパタゴニアへ到った。
この 5万キロの大遠征をアメリカの考古学者フェイガンは'GREAT JOURNEY '
と呼んでいる。
関野吉晴氏が大遠征の道筋を、自らの脚力を頼りに、逆ルートで踏査をした
旅をTVで、数年間ドキュメントで放送した。

私はツアーだが、今回のアラスカ旅行で(シベリアの地をを除いて)点線で、
グレート・ジャーニーをしたことになる。ー少し強引な理屈付けになるが。

・ケニア・タンザニアから下は南アフリカ、西アフリカからモロッコ、スペイン
を経て西ヨーロッパから北欧、ロシアのルート。

・シルクロードのコースはエジプトからトルコ、イスラエル、ヨルダン、シリア、
レバノンを経て、インド、ネパール、パキスタン、ウイグル地区、桂林、北京を得て
シベリアへ。

・香港より南下するコースはベトナム、タイ、フィリッピンそしてフィジーから
ニュージーランドへ。
ーまだ行ってないが、オーストラリアとイースター島に行けば南米へ行くコース
も完成することになる。

・シベリアからのコースはアラスカ、カナダを通ってアメリカ、メキシコ。
テーブルマウンテンのあるベネゼイラ、そしてインカのペルーへ。
ブラジルのイグアスの滝を見ながら、サンパウロを通って、リオへ。
アルゼンチンのブエノスアイレスを通り、ペルーへ南下をして最南の地
パタゴニアに到着。
一応コースは出来上がることになる。

そうすると、残された地は東欧、カザフ、モンゴル、シベリア、オーストラリア、
イースター島ということになる。
しかし今回のアラスカで一応完成した感がする。


835, 丁度よい

2003年07月18日(金)

 お前はお前で 丁度よい
 顔も 身体も 名前も 姓も   お前にそれは 丁度よい  
 貧も 富みも 親も 子も 息子の嫁も その孫も それは お前に丁度よい  
 幸も 不幸も 喜びも  悲しみさえも 丁度よい  
 歩いたお前の人生は  悪くなければ 良くもない  お前にとって丁度よい  
 地獄へ行こうと  極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい      
 うぬぼれる要(よう)もなく 卑下する要もない 上もなければ 下もない    
 死ぬ月日さえも丁度よい  
 仏さまと二人連れの人生 丁度よくない はずがない    
  南無阿弥陀仏          
                
                浄土真宗の篤信家ー藤場美津路  
・・・・・・・・・

 ある会社の専務に「ありがとうの言葉」について話していたら、
そういえば、似た言葉で印象的な言葉があるとのこと。
「丁度よい」という言葉だそうだ。
ある会社の応接間に飾ってあった額縁の中の言葉で、
それから彼は何かにつけて「丁度いよい」をつけて自己納得していたとか。
・うちの母ちゃん丁度よい
・今の仕事丁度よい
・今の悩み丁度よい
・今日の夕飯丁度よい
・リストラされて丁度よい?
等々、なるほどと感心をしてしまった。
考えてみたら、その人に神様は丁度よい環境と条件を与えている。
まあ若いうちから、現状肯定ばかりしていたら成長がないが。

 早速、インターネットで検索をしたら、上記の内容が出てきた。
この詩は、はじめ良寛の作と思われていたそうだ。
「丁度よい」と思うことができれば、悲しみや喜びの感情の起伏が
少なくなる。諦観ということだろう。
『ありがとう』にしても、『丁度良い』にしても、
何か納得してしまうのは、年齢のせいだろうか。


834, 沖縄の中学生のリンチ殺人事件

2003年07月17日(木)

 3年前の春の土曜日に、自宅近くの土手を散歩していた時のこと。
川崎小学校裏の土手を歩いていたら、一人の高校生?が相手を殴っているのが見えた。
瞬間に「この馬鹿野郎、、何をやっているんだ!」と走りよっていた。
ところが、その場に踏み込んだ瞬間とんでもない修羅場であった。
グループ同士の喧嘩の場で、2~3人が倒れて気絶している。
15歳位の犬コロのような餓鬼3~4人が逆に粋がって『何だと、やるのか!』と迫ってきた。しまったと思ったが、もう遅い!

 私も学生時代に合気道をやっていた経験がある、しかし実践には全く役に立たない位しっている。こういう時は物を持つのだ。目の前の木を拾い、逆手に持った。その瞬間誰も突っかかってはこれなくなった。
物を持つと相手はそう簡単には殴りかかってこないことは知っていた。
もし来たら、目を狙えばよい。
相手もじりじり迫って来るが、ヤバイ相手位は解ったようだ。
私の「警察沙汰になるぞ、留置所だけで済まないぞよく考えろ!」という言葉に全員がひるんだ。その時、お互いが仲間に携帯電話で連絡をしあっている。何か私の入る世界でない次元の違う世界であった。
「もう殴るのはやめろ!」と言って、その場を離れた。
離れ際に「絞めてしまえ!」という言葉が聞こえてきた。
たまたま先日の沖縄の場合、殺人になってしまっただけでしかない。
いま考えても危ない瞬間であった。

 5月の末に里帰りの千葉の姉と23時過ぎに、長岡駅裏のダイエーの前を
歩いていると、暴走族がオートバイを歩道の真ん中に乗り入れて道を阻んでいた。当然のこと乱闘寸前、姉が間に入って事なきを得た。
警察に電話をしたが、まずフルネームをいえという言葉に、面倒だと途中で切った。
先日、道路に寝ていた若者二人を注意した人が殺される事件がおきた。
深夜はこの道を歩くのは当分やめることにした。

 ところが、昨夜新潟で飲み会があった。
十時近く、そこを通ったら7~8人の警官が例の暴走族二人を取り囲んで言い合っていた。もし警官がいなかったら、私と鉢合わせのところだ。
通り過ぎたが、酔っている勢いで取って返して5月末の顛末を言った。
度々似たようなことがあり、警察に苦情があり取締りをしていたようだった。
5月末を思い起こすと、彼らの溜まり場で一種無法地帯の感じだった。
顔も割れてしまったのだから、これからは大っぴらな溜まり場では無くなってほしいが。「君子危うきに近寄らず」だ。


833, 孤独について −2

2003年07月16日(水)

 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。 
 経営者は孤独でなくてはならないとか、孤独であるという。
特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。
山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。
お互いの距離をおくことである。

ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想
2 独学
3 独行
4 独遊
5 独創
6 独楽

 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。
創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで
嘲笑のなか行動開始、途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。
そしてその起承転結を楽しむ。
しかし実際はつらい孤独業である。つらさと楽しみは裏表であることを知る。
二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。

 孤独に耐えるためには、宗教が必要である。
日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルで見たときとんでもないことだ。
欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。
スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚して
いない為である。
                   ーつづく

  ・・・・・・・・・・・・・・・
 2002年09月01日(日) 506, 孤独について

人間は独りで生まれ、独りで死んでいかなくてはならない。
本質は孤独である。
学生時代、名僧いや怪僧?の新井石龍禅師との問答で、
禅師は、[禅は一言でいうと何ですか?]の私の問いに
「字のとおり単を示すことだー宇宙に自分が独りということに
気づくこと」と答えられた。全くそのとおりである。

若い時に大都会に出る必要性は、
大都会の中で、凍りつくような孤独の経験をしておくことである。
圧縮された大都会の真ん中での孤独な生活である。

じっくりと孤独の厳しさを知ると
・仲間の大切さを知る事ができる、但し真っ当な人だが!
・本を通して数千年前、数百年前の人物と出会うことができる。
・独り遊びの大切さ知るー音楽会や映画に独りで行くとか。
・自分のアイデンテティーが見えてくるー自己の確立。
・孤独の賑やかを知る。

それを若い時にじっくり経験してないと、
「何処かの子狐?」のように中年期・壮年期を迎えたとき、
どのようにしてよいか解らないで、
そのレベルでベタベタ群れるしかないのだ。
それか濡れ落ち葉になるしかない。
失敗の人生である。

地方にはこういう人が大部分だ。
仕方ないことだが?



832,「阿弥陀堂だより」 −映画日記

2003年07月15日(火)

 先週末にDVDレンタルショップで『阿弥陀堂だより』を借りてきて見た。
何げなく借りてきたのだが、何とも味わいのある内容であった。
あとで作家の南木けい士の『自書を語る』をコピーして貼り付けておくが、
日本の味わいとスローなテンポと日本人が忘れていた故郷の世界を、感慨深く表現していた。
主役の夫婦が春に信州の田舎に転居して来て、田舎の四季の美しさを見せながらストーリーを展開していくスローなリズムが良かった。
美智子役の樋口加奈子がいう言葉『悲しくないのに、涙が出てくる』という言葉がこのストーリを全て言いあらわしているように思えた。
また北林谷栄役の、おうめ婆さんが長野の自然の中に溶けこんでいたのも印象的である。
黒澤明の遺稿シナリオを映画化した『雨あがる』で、日本アカデミー賞を受賞した小泉堯史監督の新作であることを、インターネットで調べてしった。
 気楽に話題の名作をDVDレンタルで見ているのが不思議な感覚である。
特にアラスカから帰ってきたばかりだからこそ、日本のアイデンティテーが
印象的だったのだろう。下手な感想文より以下をご覧あれ!

ーあらすじー
 東京に住む夫婦、孝夫と美智子。夫はなかなか日の目を見ない小説家。
妻は大学病院で働く有能な医者だった。ある時、美智子はパニック障害という心の病にかかる。それをきっかけに、二人は、孝夫の故郷、信州に移り住むことを決意する。山里の美しい村に帰った二人は、96歳の老婆おうめを訪ねる。彼女は阿弥陀堂という、村の死者が祭られたお堂に暮らしていた。おうめのところに通ううちに、孝夫は声の出ない少女・小百合に出会う。彼女は村の広報誌に、おうめが日々話したことを書きとめまとめた「阿弥陀堂だより」というコラムを連載していた。美智子はこの村で診療所を開き、おうめや小百合、村の人々の診察を通して、医者としての自信と責任を取り戻してくる。…

ー南木けい士の『自書を語る』ー
 阿弥陀堂は生まれ育った群馬県吾妻郡嬬恋村大字三原の下屋組と称される十軒あまりの集落の裏山にある。そのすぐ下の墓地には私が三歳のときに死んだ母や、以後十三歳の春までこの集落で私を育ててくれた祖母の墓がある。弱りきった精神は退行を好む。あのころの私は底上げなしの、あるがままの存在を許されたふるさとの自然や人のなかに還りたかった。
しかし、実際に還ったところで懐かしい人たちはみな死者であり、ともにながめる人を亡くした風景は色あせて見えるだけだろう。ならば言葉でふるさとを創り出すしかない。そんな想いで『阿弥陀堂だより』を書き始めた。

  祖母は村の広報誌のことを「村だより」と呼んでいた。「阿弥陀堂」と「村だより」、小説の題名はこの二つをくっつけたのだ。祖母たち老人が先祖供養の念仏をもうしながら
数珠を回していた阿弥陀堂。その小さな庭からは向かいの崖と谷底の川と狭い集落が見渡せた。それが幼い私にとっての世界の景色のすべてだった。
もし生きのびられるのなら、もう一度この世界から歩き出したかった。
切実に、誠実にその世界を創りあげたかった。

うつ病による罪業妄想と言ってしまえばそれまでだが、末期の癌患者さんたちを看取ることの多い生活をしてきた私は夜ごとに 亡くなった人たちの顔を思い出し、彼、彼女たちの訴えの十分の一も理解できていなかったことを悔い、ひたすら詫びた。
悪夢で深夜に目覚めるたびに「天罰」という言葉が天井から降ってきた。
書くことで供養ができるなら……そんな想いを先祖の霊を守る老婆に託た。
記憶に刻まれた人や風景を寄せ集め、仮想の村、集落を創り、それらを忠実に描写していったら一つのおとぎ話ができあがった。
この物語を誰よりも読みたかったのは私自身なのだった。完成したとき、
これが小説たりえているのかどうか判断できなかったからとにかく編集者に送り、大丈夫ですよ、の回答をもらって安堵のため息を何度もついた。
 
 しかし、ある新聞に載った文芸時評では、その内容の甘さをこっぴどく批判された。そんなにひどいことを書くならなんでこれほど大きく時評に取り上げるんだよ、と涙ぐみつつ送られてきた新聞を庭の隅の焼却炉で燃やした。ものを書くことを仕事にしてから、他者が私の作品について評した文章を燃やすのは初めてだったが、いかにも後味の悪い体験だった。
 
 都会の病院勤務で心を病んだ女医が小説家である夫のふるさとの村で癒されてゆく。たしかに安易と言われればそれまでのプロットだが、そのころの私には企んだ小説を書ける余力がなかった。細部をていねいに書き込むことしかできなかった。
『阿弥陀堂だより』には私の存在の世話をしてくれた人たち、底上げされた
私のいたらなさを口に出して責めぬまま静かに逝った人たち、そして、ただの存在にもどった私の目に映った自然の生なましさなどが詰め込まれている。甘く書くしかなかった酷薄な事実が隠されている。
書きあげ、本になった時点でこれらのものはすべて本のなかに大事に封印した。 表紙の阿弥陀堂の戸はしっかり閉じている。そうすることでなんとか今日まで生きてこられた。
少なくともいまのところこの封印を解くつもりはない。
他者の解釈を観たり聞いたりする勇気もない。
 
 いつか、どこかの映画館の片隅で『阿弥陀堂だより』を観る機会があったら、私はこの懐かしいタイトルを観ただけで泣き出してしまうかもしれない。そんなことを書きながら、流れに乗れば気軽に観終えてしまうのも私の根性なしのところで、実はもうそういうつっぱりはどうでもよくなっている。それにしても、試写会に行かない原作者なんて他にも誰かいたのだろうか、と気にしてしまう小心さだけはいかんともしがたい。


831, アラスカ旅行記ー6

2003年07月14日(月)


旅行のもう一つの楽しみは、全国レベルで変わった人との接点である。

・まずは、60代後半の女性。
 6年間、毎月旅行に出て62回目の参加という。
 6年前に旦那と大喧嘩が勃発して、いまや修復不可能。
 別れるより良いと、毎月出ているという。
 もう疲れたが、後は野となれ山になれと出続けているという。
 旅先で部屋に戻っても、旦那のことを思い出して腹を立てているとか。
 聞いていても悲しくなる。
 「ありがとう」を毎日千回、いや一万回言え!といいたくなった。
 夫婦しかわからない何かがあったのだろう。
 先日も身辺の60過ぎの知人が離婚したと先日聞いた。
 旦那に若い女ができたのが原因だという。
 また学生時代の同級の女性が離婚をして、新たに結婚をしたという。
 これで3回目の結婚である。人生の深遠さを思い知らされる。
 
 ・若い女性が二人参加をしていた。
 自意識過剰の若い女性が、終始大きな声でアラスカの地で自らの恋愛話をしていた。黙っていろともいえず、場違いの二人に他の全員が辟易!もっとアラスカの地をじっくり堪能すべき!と思うのも年齢と経験の違いのためか。
 その世界しかないのだから仕方がないが、「無知ということは罪」と思い知らされた。その聞き役の方の女性が面白いことを話してくれた。
 「自分は蚊に刺されない。一年に一度位刺されることがあるが、朝起きると腕の上で死んでいる」という。
 「血液型によってそういうことがあると聞いたことがあるが、血液型は何型?」と、グループの一人がを聞くと、「両親がAとO型。自分自身は一回も調べたことがないので解らない」という。いろいろな体質の人がいるものだ。
 
 ・ホテルのロビーで同じチャーター機のグループの人達がいた。
 その一人が新潟県の燕の人であった。
 家内工場をやっており、この1~2年で両親がたて続きで亡くなったとか。
 2年前に初めての海外旅行でアラスカに来てキングサーモンのオプションに参加。今度は4日間車を借りて、独り釣り三昧をしてきたという。
 魚は釣った後で逃がすとか、また2年後に来たいといっていた。
 これも巧いツアーの利用の仕方と感心をした。


830, アラスカ旅行記ー5

2003年07月13日(日)


ーアラスカつれづれに

アラスカで感じたのは、豊かさである。ーそして、その対比としての日本の
豊かさの底の浅さだ。

・高校の前を通ったら、大きな駐車場があった。
 16歳で免許が取れるという。多くの高校生が車で通学をしていると
いう。
 16歳以下でも親と一緒であれば運転できる免許もあるという。
・また地域性もあるが、50人に一人当たり割合で飛行機を持っていると
いう。
 飛行機の車輪部分を季節ごとに変えることができるという。
 冬はスキーを履き、夏は車輪、湖や河では浮き輪を付け替えるという。
 安いので500〜600万で買えるという。
 夏は釣りや泳ぎに、冬はスキーとかに、色いろの場所に下りて
遊ぶという。
 それでも、夏の期間が短く、秋はほとんどなく冬が長いために、
鬱病になってしまう人が多いとか。
・アンカレッジの街を歩いていても、豊かさが直に伝わってくる。
 ワンフロアーの大きい住宅、そしてこじんまりとした芝生と花のある庭。
・しかし乞食があちこちで見ることができた。
 アルコールでやられるらしく、彼等を収容するシェルターがあるという。
 特に地元インディアンに、生活に適応できない人が多いとか。

『地球の歩き方』に面白そうな日本料理店があったので行ってみた。
「やまや」という店で正しく国内の居酒屋そのもの。
 小さなカウンターが5~6席に、テーブルが16席。
 50歳位のマスターと20歳位の男のアルバイトが二人で働いていた。
 「何が美味しいか?」と聞いたら、「ユーコン川で獲れたキングサーン の刺身がお勧め」、とのことで注文したが、もちろん絶品。
 鰊の塩焼きと子持ち昆布もなかなかであった。
 少しほろ酔いの頃、40歳ぐらいの白人が一人入ってきた。
 マスターが「よー!食い逃げのジョー」と日本語で声をかけると、
 赤い顔をして「食い逃げのジョーじゃなくて、朝逃げにジョーだよ」と
 嬉しそうに答えていた。常連らしいので話しかけると、何と今回の現地日本人ガイドの上司。
 三重県の津に2年いたこともあるとかで、飛行機の整備士からガイドに
 トラバーユしたといっていた。その時60歳がらみの人品のよい日本人が入ってきた。
 そして我々の間に座った。知り合いらしく急にジョンは大人しくなった。
 そして英語で二人話し始めた。
 後で家内がいうには今回のジャンボの機長ではないかという観測。
 私もその時に一瞬そう思ったが、商社関係者ということもありうると
 それ以上考えなかった。でもTPOSから考えても、ジョンの態度からみて
 機長の可能性が強い?
 一度店を出たがジョンの写真記念をと、とって返して思わず「ただ乗りのジョン、写真を一枚撮らせて下さい」といった。
 本人曰く「ただ乗りのジョンでなく、朝逃げのジョンです!」


829,アラスカ旅行記ー4

2003年07月12日(土)

ー26氷河クルーズ

アンカレッジからバスで一時間半のところにある港街ウィッティシア。
ここよりクルーズ船に乗り、プリンス・ウイリアム湾に流れ込む大小26もの氷河が密集するフィヨルドを巡るクルーズがよかった。

 氷河といえば昨年の12月にいったパタゴニアのモレノ氷河などと比べたくなる。この対比でアラスカ氷河をみると、この26氷河に限っていうと、
・一つ一つをとってみれば、氷河そのものはモレノ氷河の方が奇麗で大い。 また流氷の大きさや数、氷柱が倒れる迫力などもモレノ氷河の方が
 格段良かった。
・モレノ氷河は氷河自らの水で湖をつくっている。
 その為、湖には冷たすぎるためか生物は一切いない。
 これに対し26氷河は直接海に氷河が流れ出ている。
 温度も海水と調和をして、多くの海の生物が棲息している。
・空と海を背景とした氷河の美しさがアラスカにはあった。
 それと5時間のクルーズの間、どこかしこに愛らしいラッコが海に
浮いていた。またアザラシや鯨やオウムに似た鳥のパラフィンも見る
ことができた。

 アラスカ・クルーズは、地中海クルーズやカリブ海クルーズと並ぶ
世界三大クルーズの一つ。特にカナダのバンクーバーからのクルーズは
有名だ。丁度我々の目の前をその大きな客船が横切っていった。
客船サービスで、氷を引き上げてお客に配っていたが、さっそく
ウイスキーのオンザロックで飲んでみたが、何ともいえない数億年の味がしたようだった。
当たり前のことだが、アラスカにはアラスカの氷河があり、パタゴニアには
パタゴニアの氷河がある。
対比するのはよいが、どちらが良いとはいえない。

 旅行をしているうちに、いつの間にか世界各地で多くの氷河を見ることができた。スイス、パキスタン、ニュージーランド、パタゴニア、そしてアラスカなどなどだ。
氷河だけ追いかけても、その自然の美しさと壮大な営みの一部を見ることができる。氷壁が崩れ、数億年の旅を終える姿を目の当たりみると、人間の小ささを改めて思い知る。

 ホテルから港まで往復3時間、車の運転をしてくれた佐久間さんという人の話もなかなか面白い。20年前サラリーマンが嫌になりアメリカ本土に渡り各地を転々、その後ハワイに3年いて、2年前にアラスカに流れてきたという。50歳ぐらいだが、なかなか話の内容が深く面白い。
そのままサラリーマンの一生も人生、自由気ままな生き方もまた人生である。但し人生の真髄をどちらが深く考えているかというと前者であろう?!

アラスカの広大な自然の中で、いろいろ考えさせられる事が多かった。

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