堀井On-Line



778, 私が10歳の頃-1956年

2003年05月22日(木)


 長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。
10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の衣料ディスカウントの
店の3階に住んでいたが、この年に駅裏の台町(現在ーとーちゃんラーメン)
に転居していた。
それが転機であった。
あの慌しい店の上の日々が、静かな生活に一変した。

 丁度その頃に、初めて勉強に目覚めた。
ある姉に勉強のコツを教えてもらった。
「一教科でよいから、とにかく良い成績をとってみろ!
そうするとコツが解るし面白みが出てくる」
そうかと思って算数に絞って勉強をしたら、100点近くを取った。
それからコツが解りかけてきた。
とにかく数人のライバルに負けたくないと思って勉強した。

 この頃の虐めは本当に厳しいのは誰も経験があるはずだ。
一番激しいライバル関係が出来上がる時期だ。
また自分の身を守る為にも、誰かをターゲットを探して苛めをする。
このあたりから初めて性格ができるのではないだろうか。
また家庭内ではいろいろな問題を抱えていた。

母親が重度のノイローゼーになっていた。
二人の息子(兄)の不幸の死と、それまでの仕事の疲れの蓄積が原因であった。
あまりの悩みの為、心筋梗塞や多くの病気が一挙に吹き出てしまった。
医者にも見放されそうであった。
何回も死線を彷徨っていた。
その中で姉兄も自分も「自分自身を生きる事」で精一杯の時期だった。
今になって当時を振り返ると、家庭の危機であった。
母はその後3年間の死闘後、一人立ち上がってきた。
身近で見ていても子供なりに、それが分った。
そのあと40年は遊びと趣味をし尽くして亡くなっていった。
死んだ時に解剖をしたところ、心臓の4分の1が壊死していた。
それだけ悩みが深かったことが分る。

商売を続ける事は、すざましいことだ。

・・・・・・・・・・・・・
ーその頃の政治や社会的出来事としては、

日ソ国交回復
参宮線列車転覆の惨事
弥彦神社惨事
砂川基地闘争
メルボルン・オリンピック
ーことば(流行語・話題の発言)は
「一億総白痴化」(大宅壮一)
「愚連隊」 「シンタロー刈り」 「戦中派」
「太陽族」(石原慎太郎の小説「太陽の季節」から)
「抵抗族」(石川達三の小説「四十八歳の抵抗」から)
「デイト」 「ドライ」 「マネー・ビル」
「もはや戦後ではない」(中野好夫)

ーベストセラー
太陽の季節(石原慎太郎)[新潮社] 芥川賞
帝王と墓と民衆
異性ノイローゼ
あなたは煙草がやめられる
夜と霧
モゴール族探検記
大菩薩峠
マナスル登頂記
細胞生活

ー音楽ー
・ラジオ体操の歌[作詞:藤浦洸、作曲:藤山一郎](3月発表)
 ♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 
 健(すこ)やかな胸を この香る風に 開けよ それ 一 二 三
・若いお巡りさん(曽根史郎)(4月発売)
 ♪ もしもし ベンチでささやくお二人さん 早くお帰り夜が更ける 野暮な説教するん
 じゃないが ここらは近頃物騒だ
・東京の人よさようなら(島倉千代子)(5月発売)
・リンゴ村から(三橋美智也)[作詞:矢野亮](5月発売) ♪ おぼえているかい 
 故郷の村を 便りも途絶えて 幾年過ぎた
・ここに幸あり(大津美子)(5月発売)
 ♪ 嵐も吹けば 雨も降る 女の道よ なぜ険し
・愛ちゃんはお嫁に(鈴木三重子)[作詞:原俊雄](5月発売)
 ♪ さようなら さようなら 今日限り 愛ちゃんは太郎の 嫁になる 僕らの心を 
 知りながら でしゃばりお米に 手をひかれ 愛ちゃんは太郎の 嫁になる
・哀愁列車(三橋美智也)
 ♪ 惚(ほ)れて 惚れて 惚れていながら 行(ゆ)くおれに 旅をせかせる ベルの音
・どうせひろった恋だもの(コロンビア・ローズ)(10月発売)
 ♪ やっぱりあんたも おんなじ男 あたしはあたしで 生きてゆく
・ケ・セラ・セラ(ペギー葉山)(11月発売)
・<ヒッチコックの映画「知りすぎていた男」の主題歌。
 
ースポーツとしてはー
第7回冬季オリンピックコルティナ・ダンペッツォ(イタリア)【1月26日〜2月5日】
トニー・ザイラー(オーストリア)は初のアルペン三冠王に。
【日本】スキー男子回転で、猪谷千春が2位に入り、日本人初の冬季でのメダルを獲得した。

第16回オリンピックメルボルン(オーストラリア)【11月22日〜12月8日】
ストックホルム(スウェーデン)【6月10日〜17日】
<オーストラリアの検疫規制により馬術競技のみ開催>
南半球初のオリンピック開催。
【日本メダル獲得数】金4、銀10、銅5
体操の小野選手が優勝。水泳では17歳の山中選手が400、1500メートルの自由型で
オリンピック記録を大幅に更新して2位に食い込んだ。

ー野球ー
セ・リーグ
[優勝]巨人
パ・リーグ
[優勝]西鉄
第7回日本シリーズ
西鉄 4(●○○○●○)2 巨人
第28回選抜高等学校野球大会
[決勝戦]中京商(愛知) 4−0 岐阜商(岐阜)
第38回全国高等学校野球選手権大会
[決勝戦]平安(京津) 3−2 岐阜商(岐阜)

ー大相撲1ー
1月19日:大相撲、九州場所も本場所とし、1年5場所に。
  大関若ノ花の長男がチャンコ鍋で大やけどし死亡。
初場所
鏡里 喜代治(かがみさと きよじ)[横綱、時津風]14勝1敗(3回目)
春場所
朝汐 太郎(あさしお たろう) [関脇、高 砂]12勝3敗(初)
夏場所
若ノ花 勝治(わかのはな かつじ)[大関、花 籠]12勝3敗(初)
秋場所
鏡里 喜代治(かがみさと きよじ)[横綱、時津風]14勝1敗(4回目)
1956

ー囲碁・将棋ー
囲碁第11期本因坊戦
高川秀格八段 4(○●●○○○)2 島村利博八段
<本因坊五連覇で現役を引退後に名誉本因坊を名乗る権利が与えられた。
なお、この期から四段以下の棋士も参加できるようになった>
呉・高川十番碁(第4局までは1953年)
呉清源九段6(○○○●○●○○●●)4高川秀格八段(互先)
<段位なら先相先の手合だが、本因坊だということで互先の手合になった。
第八局で向先相先に打込んだ>
将棋王将戦
升田幸三 3(○○○)0 大山康晴王将<失冠>


777, 何ともいえない日々が続いている。

2003年05月21日(水)

 中小企業の8割が赤字、一割がボーダーライン、一割が黒字だそうだ。
数年前までどんな時代でも3割は堅実経営で、黒字であると税理事務所の担当がいっていたが、いまやそれが一割だそうだ。
ここで景気がさらにおかしくなってきた。
数人の堅実経営の知人の会社が、ボーダーラインか、赤字に入ってしまった
と聞いている。当方もこの一〜二年で可能性がでてきた。

そのパターンは
「勝ち組で、同業者を食べて生きてきたが、食い尽くしてしまった感じ」
というのが共通点である。
大津波は全てをのみつくしてしまう。といって自分だけは生き延びなくては
ならないのが経営というものだ。
「後は野となれ山となれ」ともいえない。
今年は何とかいけそうだが、来年は全く解らないという人も数人いる。
うまくいっているところは過去に合理化を迫られて、体質が現状にあっているところだ。

 明日はわからないというのが、全ての会社の偽らざる事態だろう。
もし県内にSARSが出たら、全国的に蔓延したら、宿泊業者や流通業や
デズニーランドや飲食店などほとんどが壊滅的状態になる。
第一次世界大戦時に、スペイン風邪で2000~4000万人死んだという。
戦争の為、情報統制をしていた為に社会的な混乱は最小で済んだという。
日本でも26万人死んだというが、SARSがこの状態になる前に防ぐことがで
きるだろうか?

 中世に黒死病ーペストが流行って欧州の人口の何割かが死んだ時に、
ユダヤ人だけは無事だったとか。
ユダヤ人の陰謀ではないかと疑われたが、彼等は戒律に従い、
手と身体を清潔に保っていたのがペストにならない原因だった。
話が変わるがユダヤ人は子宮ガンにはならないという。
これも清潔に関係しているという。

世界的な不景気とデフレ傾向は当分続きそうだし、北朝鮮問題やテロや
エイズなど暗い問題が多いが、せめて気分は前向きにしておきたいものだ。


776、「ドラッガーとの対話」−読書日記ー2

2003年05月20日(火)

『未来を読みきる力』

 この人の日本における経営者への影響は絶大なものがある。
ドラッガーの経営書と司馬遼太郎の歴史小説と山岡荘八の『徳川家康』は
戦後の経営者のバイブルであった。
若くして学んで、いまや忘れ去ってしまった原理原則が多い。
以下はドラッガーの名言録を書き写した。
なかなか深く耳の痛いところが多い。
企業は常に若く前向きで、改革をしていなくてはならない。
自分の立場を守る為、改革を阻止するヘドロは退場すべきである。
自分では気がつかなくなってしまうのが恐ろしい。
自戒の言葉であると同時に、40歳を越えたすべての企業人に当てはまる事だ。

 大不況の中、どうしても後ろ向き、内向きになってしまいがちだが、
何か励まされる内容である。
私のような対人関係が煩わしい人間は「内向けでお山の大将になってしまいがちだ」
自戒の事としてコピーして手帳に張っておくことにした!
ー『ドラッガー名言録』ー
1、「表の風に吹かれろ!」
2、「自分はここで何が貢献できるかを考えよ」
3、「昨日を捨てよ」
4、「お山の大将根性を捨てよ」
5、「物事は、人が思ったり言ったりすることの二倍かかる」
6、「知識は消え去りやすい」
7、「中小企業が大企業に鵜呑みにされ手消滅するなどというのは
   全くのナンセンスである」
8、「アクション(行動)によるフォローアップ(追査)なきプロジェクト
   (計画)は、パフォーマンス(実績)を生まない」
9、 「問題解決を図るよりも、新しい機会に着目して創造せよ」
10、「企業がより大きくなる必要はないが、不断に、良くならなくては
    ならない」
11、「教師が学習を阻害することがある」
12、「人間は単能マシーンではない」
13、「革新とは、単なる新しい方法ではなく、新しい世界観を意味している」
14、「中小企業の経営者は机に縛り付けられてはいけない」
15、「人間というものは、非常に時間を消費するものであり、そして大部分の
    人間は時間の浪費家である。
16、「知識労働者自身に上下はない」
17、「必要は発明の母ではないが、助産婦である」
18、デシジョン・メイキングにおいて、2+2=4という具合に、
   ドンピシャリの‘正しい答え’が出てくるものはデシジョンとは言わない」
19、「最も重要なことから始よ」
20、「知識は本の中にはない」


775、 「ドラッカーとの対話」ー読書日記 −1

2003年05月19日(月)



著者/訳者名  :小林薫/著
 出版社名     :徳間書店
 発行年月     :2001年05月
 販売価格    : 1,700円 (税抜)
【本の内容】
ピーター・F.ドラッカーとの40年にも及ぶ交流に基づき、
その思想のエッセンスを読みやすい形で凝縮。

【目次】
第1部 ドラッカーの魅力と先見力
第2部 ドラッカーに親しく聴く
第3部 21世紀を見透すドラッカーの眼
第4部 ドラッカーのキーワード20
第5部 ドラッカーの日本を見る眼・世界を見る眼
第6部 ドラッカー式英語の面白さ
第7部 ドラッカーの人間像

−私の感想文ー
ドラッガーといっても、そう難しい難しいことを言っているわけではない。
学生時代にドラッガーの「現代の経営」訳者の野田一男教授の講義を受けて、当時「経営者の条件」「創造する経営者」「断絶の時代」「現代の経営」など数冊、読んだ。
現在も多くの本をドラッガーは書き続けている。
彼の要約書が多くでているので、私なりに纏めたいと思っていたら、
この書にであった。小林薫という名も懐かしい。
この書の印象的なところを書いてみる。

・現在が200~300年に一度の大転換期にあり、100年スパンの
 期間にわたっているという。そして現在はその40~50年目あたりという。
・彼の名言は「強みの上におのれを築け」である。
 これは個人にしても、組織にしても、国としてもそういえる。
 何ごとも強みがあると同時に弱点もあるが、弱点に対しては目をつぶり
 強みを活かすように努めるべきである。
・イノベーションも彼の大きなテーマである。
 変化をチャンスとして捉えて、イノベーションをするのが経営だ。
・彼は常に価値、解りやすさ、性格ー人格、知識、ビジョン、責任、自己管理、社会的責任、自己実現、尊厳を述べている。
・知識こそ最大の経営資源であり、中心的資源であるが、彼の変わらざる主張である。このような急激なIT化による情報化になればなるほど、彼の50年をかけて主張してきたことが現代に受け入れられる。
 話は変わるが、彼の「経営者の条件」がなかなか面白い。
 これは最後にインターネットで調べたー書評と目次ーをコピーしておくが、焦点を成果にあわせよ、自分の時間管理からまず始めよ、貢献について、自己ー自社の強みの発見に努めよ、重要事項から始める癖をつけよ、
と経営者や上に立つもののあり方が書いてある。
 この本かどうかは忘れたが、上司たるものダーテーであってはならない、潔癖であるべしというのが彼の変わらぬ主張である。

・・・・・・・・・・・・・
 
ー「経営者の条件」の書評ー
「エグゼクティブ」とは、何も経営幹部だけのことではない。
ドラッカーは本書のなかで、
「今日の組織では、自らの知識あるいは地位のゆえに、組織の活動や業績に対し、実質的な貢献を行うべき知識労働者は、すべてエグゼクティブである」と述べている。
したがって本書で述べられる内容は、おそらくほとんどの知識労働者に当てはまるものと推測される。
本書の主題は、どうすれば成果を上げられるのか、という1点に尽きる。
ドラッカーは、この成果をあげるためにエグゼクティブがなすべきことを、時間の管理、貢献へのコミットメント、人間関係、自分や部下の強みを生かす方法、仕事の優先順位、意思決定などの視点から解説している。
GMのトップだったアルフレッド・P・スローンや、鉄鋼王カーネギー、南北戦争でリンカーンを苦しめたリー将軍らが、いかにして成果をあげたのか、興味深い分析がなされている。事例が古いのは仕方がないが、その洞察には目を見張るものがある。
目次

第1章 成果をあげる能力は修得できる
第2章 汝の時間を知れ
第3章 どのような貢献ができるか
第4章 強みを生かせ
第5章 最も重要なことから始めよ
第6章 意思決定とは何か
第7章 成果をあげる意思決定とは
終章 成果をあげることを修得せよ

もしこの本を読んでない経営者がいたら、すぐ読むことを勧める。
目から鱗のはずだ。


774, 30歳の頃(1976年)

2003年05月18日(日)


 この年は本当に大変な年であった。
その半年前に、新潟県長岡市駅前通りの繁華街の四角で衣料量販店をしている
実家の店に戻っていていた。
本店は当時6億の売り上げを上げていた。
家族内のトラブルで急遽、千葉の千城台で貸しビル経営と(養老乃滝+焼きたてのパン屋)
を経営委託にして、帰ってきたところであった。

 仕入れに、販売に、新人の教育にと、いま考えてもよくやったと思う。
体が浮いているようでもあった。
新卒を13名入れ、その戦力化に必死であった。
衣料品は博打的要素が多い。季節要因により、在庫の調整をしたり、
流行の筋を早く見つけ一瞬で売り抜けなくてはならない。
岐阜・大阪・広島・岡山の産地を情報を頼りに現金を持って走り抜ける。
それも全く経験のない自分が、買い付けるのだ。
よくやったと思う。必死とは不可能を可能にする。
目を吊り上げ、無我夢中で必死に仕事をしていた。
 
 何ごともコツというものがある。
 それは必死さの中から初めて掴む事ができる。
ワンシーズンー3ヶ月導入・最盛・売り切りと一ヶ月単位で博打をしていく。
それが面白い!当たればの話だが。
そのシーズンが当たると後の2シーズンがその勢いで上手くいく。
外れると、回復に2シーズンかかる。
従って間違えても外せないのが面白い!

 五年近く従事したが、当時の自分の頭を自分で撫ぜてやりたい気がする。
反面いろいろの経験ができた。
安いビジネスホテルをさがして、規定のホテル代の差額と出張旅費で
居酒屋とか、地元の料理屋に行くのが楽しみであった。
仕入れに、販売にゲームをしている感覚であった。
今のホテルも、その経験から顧客の立場で考え抜く事ができた。

 その頃の社会的背景を書いてみる。
ー社会現象ではー
・ロッキード事件で田中角栄前首相逮捕
 大型ジェット旅客機の売り込みを図るロッキード社から5億円の賄賂を受け取ったとして、
 東京地検、田中角栄前首相が受託収賄罪で7月27日を逮捕。計16人が起訴された。
・ミグ25亡命事件
 9月6日、ソ連の最新鋭戦闘機ミグ25に乗ってペレンコ中尉、アメリカに亡命のため
 北海道・函館空港に強行着陸した。中尉は希望通りアメリカへ亡命。
 機体は自衛隊百里基地で分解、検査された。
・総選挙敗北で三木退陣、福田内閣が誕生
・酒田大火発生
 10月29日、山形県酒田市も繁華街で大火が発生、1059棟が全焼。消失面積史上4番目。
・東京地裁判事補の鬼頭史郎の「ニセ電話事件」が発覚。検事総長の名で三木首相に対して
 「ロッキード事件に指揮権を発動してはどうか」と促した。10月23日、最高裁が事情聴取。
・五つ子誕生
 1月、鹿児島市立病院で5つ子が誕生。父親はNHK政治部の三木首相番記者。
 5月12日、父親の勤務先である東京に引っ越し。

ー歌ではー
昔の名前で出ています(小林旭)
春一番(キャンディーズ)
ビューティフル・サンデー(田中星児)[作詞:田中星児]
ああ宮城県(吉川団十郎)[作詞・作曲:吉川団十郎]
わかんねえだろうナ(松鶴家千とせ)
おゆき(内藤国雄)
東京砂漠(内山田洋とクール・ファイブ)
♪ 空が泣いてる すすけ汚されて
北酒場(五木ひろし)
横須賀ストーリー(山口百恵)[作詞:阿木燿子]
嫁にこないか(新沼謙治)[作詞:阿久悠]
山口さんちのツトム君(川橋哲史)[作詞・作曲:みなみらんぼう]
<NHK「みんなの歌」で放映されヒットした>
東村山音頭(平田満)
四季の歌(芹洋子)
青春時代(森田公一とトップギャラン)[作詞:阿久悠、作曲:森田公一]
ペッパー警部(ピンクレディー)[作詞:阿久悠]
あばよ(研ナオコ)[作詞・作曲:中島みゆき]
S・O・S(ピンクレディー)[作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一]
失恋レストラン(清水健太郎)(11月発売)
ースポーツではー
・[ボクシング]具志堅用高、ジュニア・フライ級世界選手権を獲得。
・植村直己が北極圏1万2千キロメートル、単独犬ぞり旅行に成功。

・・・・・・・・
このように時代背景をみながら当時を振り返ると、当時の記憶が生々しく
浮かんでくる。


773, 日本が真に独立をするためには

2003年05月17日(土)



月刊誌の「文芸春秋」の6月号の特集の『日本の不安』のなかで、
評論家の福田和也氏が寄稿しているテーマ「日本は『核武装』しかないのか」
が、なかなか説得力があった。
ー要旨はー
アメリカの核の傘は幻でしかない。
盗人猛々しい北朝鮮の核の脅しの一番のターゲットになっている状態の
日本にとって、核武装も視野に入れなくてはならない時期ではないか。
他にもロシア、中国など核に囲まれ、アメリカの核の傘でいいように隷属
国家扱いされている現状を考えると、核武装が今の日本の独立国家としての
第一歩である。
日本への他国の核攻撃に対して、アメリカそのものが核攻撃の危険に晒された時に
はたして核攻撃をするだろうか?
それはファンタジーでしかない。
核所有国に囲まれたわが国が、最も核攻撃を受ける可能性の強い国だと
いう事実を直視して、どうすれば核攻撃を受けないで済むかを徹底的に
議論すべき時にきている。
想起すべきは、第二次世界大戦を終わって55年間、
大国間で平和が保たれたこと、その平和を日本はじめとする西側諸国が
享受できたのも、麗しい平和のお祈りのせいではない。
核の均衡の上である事実を直視しなければならない。
日本も自力でその力のバランスとしての核を持つべきだ。

ーー以上が大筋である。
今の日本が真に独立するためには原爆保持が第一歩である主張に説得力がある。
現実にスターリン型の国家が近くにある事実を受け入れざるを得ない。


772, 家電の買い方

2003年05月16日(金)



 私の値がさの家電やビデオなどを買う時の方法論を書く。
見る人が見たら何を今更のことでしかない。
しかし衣料量販店のバイヤーや、大きい買い物ではホテルビルの発注の経験を
してきたので、買い方は他の人よりは知っている?
 
 何事もまずは情報である。
昨秋に50インチのPDPTVを買った時には事前に量販店の売り場に30~40回は通った。
職場の近くに石丸電気とヨドバシがあるからだ。
また休日にはコジマ電気、ジョーシン、ヤマダ電機など5~6軒を数回ずつ回った。
それを楽しむのだ。まあ買い付けがすきなのだろう。
何といっても決めては、インターネットの価格・comで値段と情報を仕入れる。
商品ごとのチャットの記録が残っている。
かなり詳細の実際買った人の会話が載っている。

 以前のTVを買った量販店に行き,正直に価格・comで調べた値段をいう。
もちろん他の家電の見積もり値段も言う。
それは会員証の記録で解るから、本気で対応してくれる。
全く同じ型番でも、数ヶ月で新機能が加えられる。
メーカーはそれまでの在庫を量販店に破格の値段で流すのだ。
といってPDPTVはホット商品である。
そういう情報はチャットに載っている。
ジョーシンで、チェーン店内の在庫でそれを捜してくれた。

 買うと決めたら、その時点からゲームにしてしまうのだ。
一番スタンダードの方法は、ヤマダ電機とコジマ電気に見積もりを取ることだ。
さらにジョウシンにいってその下にならないかと聞く。
値がさのものなら、ギリギリ下げてくれるはずである。
それなりのエネルギーを使ったぶんだけ安くなるの間違いはない。
その為には執念とプロセスを楽しむ事だ。何ごとも同じである。

 そういえば週刊誌で、記者が上記と同じ買い方をして記事にしていた。
あまりの値下げに驚いた内容であった。
この程度の事は誰もやっているか!


771、ゆっくり急げ!

2003年05月15日(木)


 この相反する言葉をひとつにしているのが面白い。
方向を間違わないで一歩ずつ確実に歩めという意味である。
童話の「亀とウサギのかけっこ競争」や「急ぐ文はユックリ書け」
に似ている。
私の性格が気短で、せっかちで解っていても急いでしまう。
人生の達人といわれる人にゆっくり急いでいるタイプが多い。
何にもしていないようでいて、ポイントを外さない人だ。
モノゴトのABC分析がキッチリできているのだろう。

 早速インターネットで「ゆっくり急げ」と検索してみた。
上記の私の半端な解釈より、ずっと深い内容であった。

ーその結果はー
・ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの言葉として知られている。
「完璧な将軍にとって、軽挙妄動や猪突猛進ほど不似合いなものはないと
 考えていた。そこで常日頃から好んで次のような文句を口にしていた。
『ゆっくりと急げ』
『大胆な将軍より慎重な将軍の方がましだ』
『なんでも申し分なく立派にやりとげたら、申し分なく早くしたことになるのだ』」

・ローマ時代の銀貨に錨(いかり)にイルカが巻きついた図柄の銀貨がある。
 錨はゆっくりを、イルカは速さを表している。
「ゆっくり急げ」を描いた銀貨だ。
『急ぐべき時には急げ、ゆっくりすべき時にはゆっくりしろ』
と言うことだそうで、要は判断とバランスの問題だと言う。

・何をすべきかを考えることが大切
《急ぎは浪費のもと》「急いては事を仕損ずる」
「短気は損気」
《急ぐと自分の踵・つまずく》
ー以上であるが、じっくり考える事と判断と、それを踏まえて
 の行動の早さが大事だということだ。
 目的と手段・戦略と戦術を冷静に見据えた果敢な行動の必要性をいっている。


770、 私が二十歳の頃-時代背景

2003年05月14日(水)


20歳の頃の話は、半年前に「学生時代のこと」のテーマで書いた。
今回は、その時代背景はどんなであったかを書いてみる。
・二十歳の前年の1965年、米軍がベトナムの爆撃を開始、ベトナム戦争が二年目であった。ベトナム戦争反対運動と学生運動がピークに向かっていた。
 また中国で文化大革命運動が始まっていた。
 高度成長の始まりもあり、騒然とした雰囲気であった。
・アメリカ大統領がジョンソンで、日本は佐藤栄作が首相二年目に入っていた。
・ビートルズが来日。
・尺貫法が廃止される。
・TV では『おはなはん』が放映、『笑点』がこの年に開始された。
 他には『サンダーバード』『ウルトラマン』『銭形平次』があった。
・漫画では『巨人の星』『意地悪ばあさん』があった。
・流行歌では、「星影のワルツ」「君といつまでも」「夢は夜ひらく」
 「霧氷」「バラが咲いた」「こまっちゃうな」「思い出のワルツ」
 などポップスの全盛期であった。
 翌年は「ブルーシャドー」「小指の思い出」相良直美の「世界は二人のために」
「夜霧よ今夜もありがとう」「女の波止場」など、名曲がつづいた。
・スポーツでは巨人は堀内恒夫が入団で、44イニング無失点の記録をつくった。
 君原がボストンマラソンで優勝した。
 社会人ラグビーでは、八幡製鉄が4連覇を果たした。
・新宿に西口ができた。西口の浄水場の近くをバイトで何回か通ったことが
 懐かしい。
 こう書いていると次々と当時の記憶が蘇ってくる。

振り返ってみると、高度成長期の真っ只中で日本が未来に向かって
光り輝いていたようだ。音楽も漫画も夢のあるものが多い。

半年前にこの頃の事を書いたものをコピーしておきます。
・・・・・・・・・・
2002年11月08日(金) 574, つれづれに-学生時代のこと

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」という題で書き写している。
そのときは34年の時空を飛び越えて青春真っ只中の自分に立ち返っているようだ。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。
現在と変わらない自分と、全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。

学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど

結構多くの構成が重なっている。
この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れないほどの
ことがあった。脱皮脱皮の連続線上にいたようだ。
20代30代は誰でもそうだが、私の場合創業を目指していたこともあり、
刺激の強い20年間であった。

武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と
結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。

当時の日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう生き方を
しようかという内容と、その批判である。
未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。

そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。
如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。
何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった
・・・・・・・・・・・

2002年11月09日(土) 575, つれづれに学生時代のこと ー2

現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあるように思える。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。
その価値観はまるで違う物差しになる。
今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの
午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。

若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを自分の中に
見出していく時期だ。
そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
「コペルニクス的視点の大逆転人生に何を求めるのでなく、
人生が何を求めているかの追求」である。

人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。
午後の人生を余白でなく、新しいページの書き込みの過程として
捉えると解る。
その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。
可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が
必要ということだ。

その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。
両親がそれをしっかりやって死んでいった。


769,「私が20歳の頃」ー読書日記

2003年05月13日(火)


 
 自分の二十歳の頃は何をして、何を考えていたのかなあ?と本屋で思わず
手にとってしまった。
立花隆と東大生のゼミが、いろいろな年代の人たちにインタビューを試みた本だ。二十歳というと、人生の節目である。
その為この本に登場してくる人たちの話が自分との比較になってしまう。
どんな人たちも二十歳のころに思い悩み、試行錯誤しながら生きていた。
このころといえば人生の前途に対して大きな不安と希望が混在していた時期だった。
個人個人のそれぞれの人生があるのがよく理解できる。
それとそれぞれのバックグランドとしての時代背景があることが。
その時代背景が、その人の人生を大きく左右していることも読み取れる。
こんど「私が20歳の頃」を、このコーナーで書いてみようと思う。

以下はインターネットで調べたものです。
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi/hatachi/
ーーーーーーーー
ーまえがきと目次と書評ー
                新潮文庫ー781円

「私は何のために生まれて来たんだろう」「あの人の運命を決めた出来事とは?」
――二十歳のころの生き方が、その後の人生を決める。
立花ゼミ生が熱い思いで突撃取材! 安保闘争、バブル崩壊、オウム真理教事件、NY同時多発テロ
……世界が再び混迷の時代に突入する1960〜2001年に「二十歳のころ」
を迎えた多士済々39の足跡。
二十歳のころのインタビュー集

目次
 赤川次郎/秋山仁/安部美知子/石弘之/板倉聖宣/糸井重里/伊藤影明/
 茨木のり子/エリック・ハイドシェック/大江健三郎/大杉正明/小川国夫/
 小川三夫/
 鬼沢修二/加藤恭子/加藤登紀子/加藤尚武/神谷郁代/萱野茂/川上哲治/
 黒柳徹子/小松正規/阪口浩一/坂本龍一/崎田昭夫/佐々木力/佐藤学/
 下平作江/ジョージ川口/妹尾河童/曽野綾子/滝本太郎/立花隆/
 タン・スリ・H・M・カティブ/筑紫哲也/恒成正敏/鶴見俊輔/永沢光雄/
 中松義郎/成瀬豊/二木てるみ/西和彦/野田秀樹/萩尾望都/橋爪大三郎/
 バーテンダー/樋口可南子/日比野克彦/福島瑞穂/古川昭夫/
 ヘンリク・グルデモ/牧野信雄/真智・F・デイルワース/松本零士/水木しげる/
 水島涼子/元オウム真理教信者/森毅/山崎章郎/山田太一/山藤章二/
 横尾忠則/吉川弘之/吉田勝二/吉永吉正/米長邦雄/和田耕一/輪波孝禧 
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ー例えば、山藤章二
今の知恵で二十歳に戻れば、効率のいい生き方をすると思うけど、
そんな効率のいい生き方が幸せとは僕は思わない。徒労と無駄の連続だったけど、それが筋肉とか能力、精神的な力を鍛えてくれたと思うね。 (P596)過去というものが肯定的に捉えられるのは、今が充実しているからなのだろう。終わってしまったことを変えることは出来ないが、終わってしまったことをどう捉えるかはこれから変えてゆくことができる。過去そのものは時間の中に閉じ込められているが、過去の持つ意味は常に未来に開かれている。

・・・・・・・
生きる力を与えてくれた本, 2002/03/13
レビュアー: 銀杏並木 (プロフィールを見る)   京都府 Japan
30歳を目前にしてこの本を手に取った。年齢なんて関係ない、と思いたい一方で、人生にはタイミングや限りがある、という感も否めなくなってくる年頃。「二十歳」に戻ることはできなくても、何かヒントが欲しい。−−−読後の印象は「この人のここが」ではなかった。登場する人々ひとりひとりが私に見えない生きる力を与えてくれた。
前向きに生きること、努力することの素晴らしさを教えてくれた。とても感謝している。ただ、立花隆もことわっていることだが、有名無名、老若男女、といいながらも、人選に偏りがある感も否めない。『東大生の興味』と『それに快く応える取材対象』があってはじめて成立するインタビューなのだから、これは当然のことであり仕方のないことかも知れない。また有名人に関し!!てはある程度読み手と書き手に共通の認識があるのだから相互理解がしやすい。有名人の存在そのものが媒体になっている、という感覚を初めて覚えた。新聞雑誌にさりげなく載っているインタビュー記事が
(良い悪い、真偽のほどは別として)いかに洗練されているか、
しかしステレオタイプになりがちなものかいうことも改めて実感した。
本をつくるということ、伝えるということについて考えるうえでも興味深い本だと思う。
この本では人物が生年月日順に並んでいる。順を追って読んでいくと、
時代背景もだんだん移り変わっていっておもしろかった。
50音順に並んでいなくて本当によかった。
・・・・・・・・・・・・

すごくためになる!, 2002/03/03
レビュアー: 果歩 (プロフィールを見る)   兵庫県篠山市
今、まさに二十歳前後の人にぜひ読んでほしい一冊。

二十歳前後というのはどの人にとっても人生で一番大切な時期。
それは自分を発見する時期であり、自分の生き方を発見する時期である。
それ故にこそ、一番悩みの多い時期でもある。誤りを犯しやすかったり、
自分を過大評価または過小評価しがちな時期でもある。人生の選択をせまられながら選択できない時期でもある。
「二十歳」という、その人の人生が不定形の塊からある形をなしていく過程での最もクリティカルな時期を上手く通過していくためにも、この本を読んでいろんな人の二十歳前後を知って欲しい。
・・・・・・・・・・・・・

この課題への入り口は、耳をすますというところにあるように思われる。
花隆とそのゼミナールの学生たちによる力作『二十歳のころ』もまた、大学の教育実践において、耳をすます技法−人の話を聞き、それを自分の身体のなかで自らの体験と共振させ、編集するプロセス−に取り組んだ結果の果実である。
 本書では、68人の「有名無名」の人々の20歳前後の経験がインタビューによって引き出されている、いわばライフヒストリーのアンソロジーである。
 立花隆の威光がバックにあるとはいえ、対象となった人々は、
大江健三郎、川上哲治、黒柳徹子、筑紫哲也、鶴見俊輔、樋口可南子氏などそうそうたる
メンバーである。それぞれの20歳前後の経験が多種多様で読み物としても面白い。
 輝ける秀才だった科学史家の佐々木力氏のような人生もあれば、
東京都の教育委員に委嘱された将棋の米長邦雄氏が20歳のころ「悲願千人斬り」といって千人の女性と寝る目標に向かって邁進していたことを知ることもできる。
インタビュアーによってどのような語りが引き出されるかが決まる。
ライフヒストリーでは、ある人の業績そのものではなく、業績を生み出した
深い背景がさまざまな切り口で立ち現れてくる。
この企画では、20歳前後の学生がインタビュアーであるということが、
対象者が胸襟を開いて語ってくれるというプラスの面に働いたようである。
それにしても、人の人生は面白い、そしてまた人生が物語られるプロセスは、私たちを惹きつけてやまない魅力をもっている。

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