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堀井On-Line
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2003年04月22日(火)
中学の頃、血液検査でB型といわれて30年経った10数年前に、 自分が実はA型ということが解った。 その時の驚きは天地が引っくり返る位であった。 「自分はB型で、その性格は努力型で、独創型のマイウエータイプ! 部下や友人にはO型が適正、女性はA型が(^_-)-☆−大好き! 男の相性の悪いタイプはAとAB型と信じて生きてきたのに!」 そのA型が自分自身だと!! 「今まで信じてきたことは何じゃい、これは!」が、その時の実感である。
逆に考えてみると、条件を設定をして、その中でパーツをたてれば いろいろな自分を創れるということだ! 暗示をかければ、その通りになってしまう実例でもある。 それにしても、こんなバカみたいな事が実際にあるのだ。 実の親と思っていたが、実は違っていたという感じである。 面白いものでBの対極のA型といわれてみると、自分は本来はA型タイプ に思えてくるから面白く、かつ単純なものである。 それからはA型類型の性格の自己暗示にいつの間にかかかっている?
金沢の会社にいたころ、誰かの手術で緊急に寮生のA型が集められた。 全く自分とは正反対な性格の連中であった。その時やはり血液型は性格 形成の基礎になっているのだと実感したのに、あれは何だったのだ?
人間なんてものは全て言葉による刷り込みを、言葉によって剥がしていく 動物でしかないのだろう。そこに不条理が発生してくるのだ。 イスラム教とキリスト教の対立も、その思い込み?が起因している! 宗教ー経典は刷り込みの典型である。
地方にいれば地方の、都会にいれば都会の思い込みがそれにあたる。 思い込んでるのが愚か者、それを冷笑しているのがバカというのが 何かに書いてあった。
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2003年04月21日(月)
ー雨中の花見 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。 毎年のこの時期の恒例の一人花見である。 もう十年以上続いている。 他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年である。 季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。 今年は例年並であったが、満開時期に雨が続いたという点で外れの年と 言ってよいだろう。
午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨になり、 丁度悠久山の参道に到着したと同時に大雨になってしまった。 いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。 それでも、いろいろな団体がテントの中で「やけ花見?」をしていた。
雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。 それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。 最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。 その時に早朝、悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。 「自分はこの近くに住んでいるが、これだけの桜は初めてだ!」 という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。
ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。 参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。 もう50年も前のことだ。 花見こそ一期一会である。 吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。
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2003年04月20日(日)
数年前の話である。 高校の同級生が、ある会ー精神修養団体の支部ー主催で講演会をやるから、 聴講して欲しいと頼まれた。 たまたまその話し手の手記を読んだ事があったので、二つ返事で参加をした。
300人位の講演会で同級生が開会の挨拶をした。 恥ずかしいそうな顔をしての挨拶が何とも可愛らしい味のある顔であった。 それから数ヶ月後に、同級会で顔を会わせた。 何げなく「お前も、やっと面ができてきたな!」と言うと、 本人がすかさず「どういう面か?」と聞いた。 正直にそのまま「笑われている自分を笑っている面になっていたぞ!」 と言葉がでてきた。 どうしようも隠せない心の顕れが純粋にでた面であった。 それも他人に良かれという仏心のが表れた表情は何とも良いものだ。 本人も何か嬉しそうな顔をしていた。
自分の心の傷を最小にするには、他人に笑われる前に先に自分で笑ってしまう のがコツである。その意味で、この随想日記も赤裸々に心の奥を曝け出して 笑われるのを承知の上で書いているのも「笑われている自分を先に笑っている」 ことにになる。
ところで人間の顔というのも面白いものだ。気持ちや品性がそのまま出てしまう。 酔っ払った時の(^。^)y-.。o○−顔を鏡で見てビックリした事がある。 漫画のアトムで小さく出てくるブタの顔そのものの顔であった。 実際そういう顔をしているのだろう。 そういう顔をして、総てを忘れたい為飲んでいるのだから、それも仕方がないが。
顔はごまかせない。 バカな女が必至で化粧をするのも解る。
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2003年04月19日(土)
「散る桜、残る桜は散る桜」は人間の死を一言でいっている。 他人の死も、すぐに自分の死になる人生の無常を喩えている。 この季節の桜の花を見ていると、ものの哀れをつくづく感じる。 桜は生臭い死の臭いがする。 人生の縮図を桜の花に感じるのは歳のせいか?
今年の桜は[あたり年ではなかった?]が、例年並だった。 2~3日前が近所の桜の福島江の桜が満開だった。 「悠久山の桜」は今日あたりが満開だろう。 悠久山の桜も絶品だ! 5〜6年に一回はあたり年になるが、雪などの季節の要素が微妙に 関係してくる。 桜は毎年思うことだが、自分の生死を考えさせられる。 以前、桜の精の女に迷って死んでいく侍の映画をみた事を思い出した。 ゾクッとする日本的エロチックの内容であった。
また7~8年前に近くの従兄が桜とともに自殺をした。 多くの写真を撮り残して。 新潟は桜とともに春が来るという感覚である。
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2003年04月18日(金)
これを実行して10日が経つ。 三日坊主と思っていたが、今もしっかりと続いている。 始めたら面白いのだ。 一番面倒で避けたい思考が面白いのだから、大変な習慣であり収穫である。 この歳で色いろのことが解り始めている、この鈍さも実感する。
ポイントは ・初めに漫画を中央に小さく書き込み、 ・それに、漫画の「声の噴出し」を書いてしまう。 ・そして漫画の上にテーマを書きこむ。 ・「噴出し」に思いついたことを気楽に書き込んでいく。
漫画の人形を書いたケースの場合、自分の分身と思ってしまう為か、 頭の中から色いろなことが浮かび上がってくる。 「半分遊び気分で問題の追及」を、結果としてしてしまう。 「左手を上に挙げ、右手を腰に当てている小さな人間の絵を中央に描いて、 左右に三づつ声の噴出しを書き込む」と、どういう訳か難しい問題でも、 気楽に考えられるのだ。
読書法で10〜100倍の速度が可能という本が多く出版されている。 私の場合、その方法を身につけて10倍以上の読書力になった。 それもこの1^2年である。 しかし、「一日一図」を始めてわずか10日で、10倍の思考力が増えた? ようだ。 その程度の頭脳でしかないのが、事実だ。 以前から天才のノート法とかいう本を読んで、色いろ工夫していたが 「毎日一図の習慣と、漫画を中心に描いてから、埋める方法」がよい。
随想日記を書き始めて、文章力と文章量はそれまでの十倍に増えた。 そうすると、「読書力と文章力と思考力」がこの数年で10倍になったことに なるが、集中力がそれだけ増えた事は間違いない。 これらの方法は過去からいくらでも在ったのだから、今になってやっと気づいた に過ぎない。 この随想日記を続けてきたことが、こういうノウハウを身につかせている いるのだろう!
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2003年04月17日(木)
読書日記 抜粋ー6
父は話をつづけた。 「天才とは、自分の中にいるランプの精を見つた人のことだ。 ちょうど『千夜一夜物語』のアラジンが、ランプの中に押し込められた 精霊を見つけたように、私たちもみんな自分の中にランプの精を見つける ことが出来る。天才とは自分の内側にランプの精を見つけた人、 与えられた才能を見つけた出した人のことなんだ」 「ランプの精が見つかると、精がおまえらにこう聞く。 『一つ目の願いは自分の才能を自分に与えること、 二つ目は自分の才能を愛するものや親しい者たちだけに与えること、 三つ目は自分の才能をみんなに与えることー さあどれを選ぶ?』 「この世界に天才はあふれるほどいる。私たちはみな天才さ。 問題は、たいていの人がその才能をランプの中に閉じ込めたままに していることだ。才能を自分のためだけや愛する人だけに使おうとする 人が多すぎる。ランプの精は三つ目の願いを選んだ時だけランプの中 から出てくる。 つまりランプの精の魔力は、自分の才能をみんなに与えようとした時にだけ 効果を発揮するんだ」
以下はホームページからのコピーである。 ・・・・・ 金持ち父さんの子供はみんな天才 著 者:ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター(著)、白根美保子(訳) 単行本:345 p サイズ: 210 x 148 出版社: 筑摩書房 ISBN: 4480863427 発行日:2002/11/05
累計100万部を突破したベストセラー『金持ち父さん貧乏父さん』シリーズの第5弾です。 著者ロバート・キヨサキ氏が、子どもの人生を豊かにするための教育方法を指南した 1冊です。 この本は、世界が変わったことに気付き「今の教育システムは子供のニーズを満たして いない」と疑問を持つ親や、子供の教育の責任を学校でなく、自ら果たしたいと思う親の ために書かれています。
また著者が「金持ち父さん」から学んだファイナンシャル・リテラシーも紹介 されています。金銭的に豊かになるためには、どんな考え方をし、どう伝えれば よいのかが丁寧に書かれています。 具体的には大きく分けて次の3つの内容が書かれています。
「学習のための勝利の方程式」 「仕事のための勝利の方程式」 「お金のための勝利の方程式」
子どもだけでなく現役のビジネスパーソンにも参考になります。 また、本書ではこれまで散々だった「貧乏父さん」もかっこよく描かれます。 呼び名も「貧乏父さん」でなく「賢い父さん」になりました。
読むと彼が実のお父さんからも多くを学んでいたことが分かります。 特に学校の勉強で悩んでいた著者に「おまえは頭がいい」と励まし続け、 生涯学び続けることの重要性を説いたのがお父さんだったそうです。
本書を読むまで、彼の著書に共感を持ちながらも、違和感や嫌悪感を持った方も いたのではないでしょうか?いくら何でも実の父を「ダメおやじ」とは何事か! と思いました。 実は著者は「金持ち父さん貧乏父さん」を世に出すまで、お父さんに敬意を払い、 没後5年の歳月を待ったそうです。そしてお父さんが自分の体験が人の役に立つことを 喜んでくれる、と確信したから世に出したんだそうです。 なんとなくほっとするエピソードです。
【1】
今日ほど教育が必要な時代はない。時代は産業時代から情報時代へ移り変わり、 それに伴い教育の重要性は増し続けている。 では学校教育は、この新しい世界で役に立つのだろうか。 産業時代には、学校に通い卒業すれば職業人としてスタートでき、それ以上の教育は不要 だった。なぜなら物事の変化が遅く、学校は人生に必要なことをすべて教えることが できたからだ。
だが今や情報時代だ。残念ながら情報時代を生き抜くための教育を受けている人は少ない。 結果、教育水準が高いとされる人が、低い人たちと全く同じ経済的問題を抱えている。 これからは高学歴の人も、今の仕事が求める要件を満たすために、 継続的に教育を受け直し続けていく必要がある。
【2】
ある統計によると65歳のアメリカ人100人のうち金持ち1人、快適な暮らしを送る人4人、 まだ働く人は5人しか居ない。あとの56人は政府か家族の援助を必要とし、残りの人は 亡くなったそうだ。
よく「引退すれば、生活費が減る。だからお金はそんなに必要ない」という人がいるが、 それは間違いだ。なぜなら生活費は下がるが、医療費は大幅に上がるからだ。 多くの保険機関は高齢者を制度から締め出そうとしている。これから高齢者はお金を 持っていれば生きられるのに、お金がないために死ぬということも起きる。
人生の終わりに何かに頼らねば生きて行けない人間を生み出し続ける現在の教育は、 もはや時代遅れだ。子供が未来に必要なお金を得る技術を身に付けるかどうかは あなた次第だ。
【3】
子供はみな生まれつき賢く金持ちだ。教育とはこうした才能を引き出すことだ。 ところが子供は教育の過程で、貧乏になることや他の子供ほど賢くないと信じることを “学んで”しまう。
人間には、言語、数学、空間、身体、対人など30以上の才能があるのに、 現在の教育システムは、そのうちのたった一つの才能しか認めない。 だから自分の才能が教育システムで認められない子供は、「自分は馬鹿だ」と感じるよう になる。その間、本当の才能のほうは無視され、やがてだめになってしまう。
こうして多くの子供が「自分は頭がよくない」と思いながら卒業する。 こうした認識を持つことは、その子供にとって計り知れない大きなハンデを負わせる。 親はこうした子供の才能を見つけ、その才能がダメになることから、子供を守り、 学習意欲を保ち続けるようにすることが大切だ。
【4】
これは子供がお金もちになるためにも必要だ。 多くの人が「お金を儲けるためにはお金が必要だ」 と思っている。だがお金を儲けるのはお金ではない。お金に対する考え方だ。 人は皆、自分が望むだけのお金を手に入れる力を持っている。 お金に対する正しい考え方さえ持てれば、お金に支配されず、お金を支配する力を 得ることができる。
ところが学校はお金について教えない。だからたいていの人は、それを親から学ぶ。 こうしてお金に関する考え方は何世代にもわたり親から子へと伝えられていく。
お金持ちの親は、お金持ちの考え方を子供に教える。だからその子もお金持ちになる。 もしあなたが子供にお金の面で有利なスタートを切らせたいなら、 お金に関する考え方に大きな注意を払うべきだ。
【5】
お金の問題は、いずれもほんのわずかな認識によって生み出される。 だから親は、お金に関する子供の認識によい影響を与えるべきだ。 お金の奴隷になるのでなく「自分はお金をコントロールする力を持っている」 という認識を子供に持たせることが肝心だ。 そして子供が本当に効果のある勝利の方程式を作り出すことを助けるべきだ。 もし子供が「何か買いたいからお金をくれ」と言ってきたら「私には買えない」 と絶対に言ってはならない。 こう言うと自分は貧乏だという認識をさらに強化してしまう。
代わりに「私からお金をもらわずに欲しいものを買うにはどうしたらいいか、 合法的で道徳的にも問題のない方法を10通り考えて紙に書いて見せてくれ」 と言ってみたらいい。こうすれば子供は考える。 頭を柔軟にし、富を蓄積する可能性を探そうとするはずだ。
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ー感想ー子供の時から「お金の知識」を認識させ、実際にコントロールさせて おかないと、大人になってからの即席の知識ではすでに遅いということだ。
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2003年04月16日(水)
読書日記
『金持ち父さん』シリーズの三冊目『親だからできるお金の教育 ー金持ち父さんの子供はみんな天才』を買って読んだ。 この本のシリーズの本は、どの本もそれぞれが理にあっている。
何回も読んで金銭感覚を磨かなくては、この時代には挫折をしてしまう! 何割かは実行してきたことだが、しかしあいまいな部分が多い。 この激動の時代だ、一つ間違えると致命傷になってしまう。 お金は、ある意味で生きていく交通手形である。 お金に対する考え方は人生観の大きい基礎といってよい。 ーまずは印象に残っているところを抜粋してみる。
抜粋ー1 昔、先生からこんな話しを聞いたことがある。 「神様は私たちに右の足と左の足を与えてくださった。 正しい足と間違った足を与えてくださったのではない。 人間はまず右に向かい間違いを犯し、次に左に向かって間違いを犯すことで 進歩をする。いつも正しくあらねばならないと思っている人は、 右足だけで歩こうとしているようなものだ。 そういう人は、自分では前に歩いていると思っているが、たいていは 一ところを回っているだけだ」
抜粋ー2 人生における選択肢について、お金持ち父さんはよくこんなことを 話してくれた。 「飛行機のファーストクラスもエコノミークラスも、目的地につく時間 に変わりのないことは私も知っている。問題はそういうことではない。 問題は、ファーストクラスかエコノミークラスの選択肢を持っているか どうかだ。エコノミークラスに乗っている人の大部分は、一つしか 選択肢を持ってない」「お金は力だ。なぜなら、より多くのお金を 持っていれば、それだけ多くの選択肢を与えられるからだ」 ファイナル・インテリジェンスがお金持ち父さんに買ってくれたものは 何か、私に言わせればそれは『自由」であった。
抜粋ー3 「金持ちと中流以下の人のちがいは、余った時間に何をするかにある」 「たいていの人は、お金を稼いだあとそれをどうするかについて、 貧乏になるプラン、やり方しか持ってない。金持ちは余った金でゲームを やるんだよ」
抜粋ー4 「つまり、人間が時代遅れになるんじゃない。でも、考え方が時代遅れに なることはある・・」「その人の勝利の方程式が時代遅れになるんだ。 ・・・古い考えにこりかたまった老人だ。まだほんの50歳だというのに。 問題は、10年前、既に歳をとりすぎて時代遅れになっていたのに、 それに気がつかなかったことだ。」
抜粋ー5 本書の目的は、次のようなことを言わないように、親たちに警告を 与えることである。 「借金を返しなさい」 「預金をしなさい」 「請求書の払いをきちっとしなさい」 「クレジットカードを切って捨てなさい」 「お金は借りてはいけません」 ・貧乏人は銀行を悪者と考え、避ける。 ・中流の人は銀行はいいサービスと悪いサービスがあると考える。 ・金持ち父さんは、全てに関していい点と悪い点を見分けるように教えて くれた。そして、お金に関しての殆どのいい点と悪い点の両方を 見つけるよう促すことで、より細かく区別する力を伸ばしてくれた。 つまりファイナンシャル・インテリジェンスを高めてくれたのだ。 −続くー
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2003年04月15日(火)
ー 前にもこのテーマで書いたが、今一度書く。
今の日本はデフレである。 しかしそれでもアメリカの物価より物価は実感として、2倍3倍高い。 それが修正過程に入っているだけである。 戦後の実質社会主義制度による統制物価が、その崩壊とグローバル化で 世界的な物価への平準化プロセスに入っているだけである。
家具のニトリにしても、イタ飯屋のサエゼリアやマクドナルド、100円 ショップが好調なのは、グローバルな物価の追求を実践をしているためだ。
世界的な物価に下がるまでデフレは続くのが当然である! それで恐慌になっても仕方がないことだ。 ジタバタバタしないで、このデフレの中で自分を変えるしかない。 政治頼みや批判をしても、仕方がないのは自明の事。 やるべき事をキッチリやってそれで駄目なら退場するしかない。 やるべき事もしないで仲間内で愚痴をいいあってもどうにもならない。
先日の日経流通新聞に、箱根の湯本の二番目に古い、370年の歴史を持つ 温泉旅館の『一の湯』が一面トップ記事で出ていた。 半値から三分一のプライスー一泊二食つきで6800円をうちだして、 低価格旅館グループを拡大しているという内容であった。 親父が高級旅館をつくってしまったが高プライスの為に不振になった。 座して死を待つよりよいだろうと、25000円から9800円に期間限定で、 この値段に下げたら、お客が殺到した。 それで延長延長で、この値段を固定にしたとか。 その代わり徹底した合理化を図ったという。 最近は一泊4500円の旅館も始めたとか。 潰れた旅館を買い取れば、これも可能になるだろう。 こういうのを「高級を高度に切り替える」という。 銀座のクラブも三分の一以下で、商品価値を落とさない店 が好調だと先日このコナーでかいた。 昨日いって来た京都は深夜にバスに乗って、宿泊なしで翌日の深夜に帰ってくるパックさえ出来てきている。
これで京都に一万円でいってこれるのだから、価値がある。 凄い時代である。
http://www.ichinoyu.co.jp/ 以前書いたのをコピーしておきます。 ・・・・・・・・・ デフレと対策 ー1 2002年10月01日
現在上手くいっている店を見ていると、やはりデスカウントの 業態の店である。 それも思い切って、20年前か25年前のプライスを打ち出しながら、 現在の嗜好を取り入れた店や会社だ。
衣料品は20年前の半値以下の商品が多くなってきた。 自転車も、半値か四分の一だ。電気商品もしかりだ。
落ちないのが公共料金だけである。ホテルの値段もその様相になった。 ラーメンの値段も落ちてない。過去の三次産業の異端は価格破壊である。 そうすると落ちてないのが狙い目である。
先日TVで180円のラーメンチェーンを紹介していた。 マクドナルドのように、徹底した機械化を厨房で図っていた。 吉野家や松屋の牛丼も400円を280円に下げた。 そうすると他の甘いラーメン屋とか何でもや食堂のお客が流れてくる。
先日に法事で帰ってきた姉が、面白い温泉旅館にいってきたと教えてくれた。 関東圏の温泉旅館で、4名以上で一泊二食で4500円という。 予約をすると東京周辺のJR駅の近くの三箇所の指定した場所に,マイクロバスで 迎えにきてくれるという。更に食事のときは従業員が即興の演劇をしてくれたり、 とにかく飽きさせないようにしてあるとか。 社長はつなぎを着て陣頭指揮にあたっているという。 先ずは安く、そして価値があればお客は殺到する。 「もうそういう時代だよ!」とつくづく言っていた。
何かどこかで聞いたことがある話だと思ったら、 そうアメリカの航空業界の異端児で大不況の中、飛躍的に伸ばしている サウスウエスト航空を温泉旅館版に換えただけの話である。 斜陽産業の温泉旅館が良くぞ考えたものと驚いてしまった!! (こういうのをベスト・プラクテスという)
客の立場にたてば,全く違った設定ができるのである。 淘汰されている所は、ただ不況と仲間内で傷を舐めあっているだけだ。 発狂してベスト・プラクテスをするか、廃業するかどちらかだ。 今更発狂はできないか??!! (発狂とは、出来ない人の目から見たベスト・プラクテスのプロセスを 踏んでる姿)
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2003年04月14日(月)
沢木幸太郎の「深夜特急」という小説がある。 彼が若い時にロンドンへ貧乏旅行をしたときの深夜に移動する乗り継ぎ バスからとった小説の題名である。 TVドラマにもなった。
昨夜の十時半に京都の桜見に出かけた。 一万円パック・バスツアーで、翌日の21時半に帰ってくるのもであった。 天気が良かったが、先週に桜のピークは過ぎていた。 しかし、この桜の時期のパックのシステムが良い。
・朝6時に、京都の清水寺の開門に合わせて到着するコースが組んであっ た。 ・その後7時に嵐山に行って、あとは解散してそれぞれが嵐山・嵯峨野 めぐりをして11時に集合して、オプションの食事 ・その後、一般公開の最終日の京都御所をみて14時半に帰ってくる内容で あった。
ハイライトは自転車を借りて周った、嵐山周辺のお寺周りであった。 印象順に書いてみると ・愛宕念仏寺の羅漢仏の群れがよい。 写真では何回もみたが、実際にみたのは始めてであった。 人間臭い像が多くあちこちに郡をなして並んでいた。 ・壇林寺の多くの仏像と仏画が印象的であった。 ・祗王寺の小宇宙を思わせる庭とその中の家もすばらしい。
最近は殆ど国内旅行はしなくなったが、こういうパックシステムに 参加して、効率的に行ってくるのもよいことが解った。 こういうシステムに参加して嵐山だけに絞って周り最終地で待ち合わせて 帰りのバスに乗るいう方法もある。 43人の参加で添乗員がついていた。 新発田、新潟、三条、長岡と参加者を拾っていくのも効率的である。
深夜特急?が意外と疲れないのを知ったのも収穫であった。
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2003年04月13日(日)
一度だけだが、寝ていて息苦しいので目が覚めてた時に, 息するのを忘れていたことに気がついた。 「エッ!」というのが、その時の印象だった。 「なんで呼吸を忘れるんだ?」という疑問であった。 「こういうことが実際にあるんだ!」と思った記憶がある。 5〜6年前の事だった。
ところが最近になって無呼吸症候群が問題になって、初めてなるほどと感じた。 それで死んでしまう事ってあるのだろうか? そういえば新幹線の停車ミスの運転手も無呼吸症候群だった! そこでインターネットで、「睡眠時無呼吸症候群」を調べた。 その結果、私のその経験と違う?ので安心をした。 ー睡眠時無呼吸症候群の定義 一晩(7時間)の睡眠中に10秒以上の無呼吸が30回以上おこる。 または、睡眠1時間あたりの無呼吸数や低呼吸数が5回以上おこる。 実際に止めてみると辛いことがわかります。 睡眠時無呼吸症候群(SAS:Sleep Apnea Syndrome)は、睡眠中に呼吸が止まった状態 (無呼吸)が断続的に繰り返される病気です。 その結果十分に睡眠がとれず、日中の眠気、集中力、活力に欠ける、居眠りがちになる、 居眠り運転で事故や重大事故などを起こしやすくなります。 治療をせずに放置しておくと生命に危険が及ぶ場合もあります。 よって適正な症状分析と診断、治療、予防などの対策が必要になります。
眠っている間に呼吸が数十回、ときには数百回と止まるようであれば、体内の酸素不足が 深刻になってくるでしょう。酸素不足がおこれば「寝苦しい」「息苦しい」 などの症状が現れ、睡眠不足がおこります。 また酸素不足は循環機能に負担をかけ、不整脈、高血圧、心不全、糖尿病が現れ生存率が 低くなるなど無呼吸症候群には様々な問題がでてきます。 いびきのあとに呼吸が止まるようなときには無呼吸症を疑い、 早めの治療が必要です。
ーーー もしこういう症状であったら本当につらいだろう! 睡眠はある意味で、天国の世界である。 それが楽々眠れないとしたら、これほどの不幸はない。 信じられない病気が多い。 病気になった当人しか、その苦しみは解らないものである!
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