堀井On-Line



579,  ある時間の断片ー11

2002年11月13日(水)

1968年    9月29日ー日曜
8時起床、午前中は部屋と寮の大掃除。
気持ちもすっきりした。
午後は3時間、明日のための準備の読書だ。

そういえば最近寮の他の人との距離が出てきたようだ。
仕方がないのかもしれないが、あまり開放をしていると
自分の世界が保てない。
彼らは彼らの価値観があるのだ。
当然のことだが、20数年お互いに違う道を歩いてきたのだから
仕方がないことだ。
これからもまったく違う道をお互い歩くのだから。

そのことを考えれば今の疑問が少しは晴れるだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・

        1968年  9月30日ー月曜
8時10分前起床、そして学校に出発をする。
武澤ゼミに参加する。
武澤先生に皮肉を言われたー少なくとも私のいい加減さを
指摘されたと感じた −
気持ちだけは積極的になっているが、その実はやっていることは
いい加減だということだ。
ゼミ終了後、図書館で卒論のまとめをする。
気持ちが落ち着かず中途半端であった。

校庭であった奥野と中野と話をする。
試験がその後あった、ここは出ないと思っていたところが出てしまった。
もっと駄目押しをしておけばよかった。70点ぐらいだろう。
兼子と池袋駅まで一緒であった。
バスで帰るがこの風景もあと半年で終わりだ。

帰寮後夕食に行くと、寮の佐藤嬢がいる。
少しの時間だが食事をして話をする。

何か毎日が矛盾だらけだ、今日の先生の皮肉が聞いたのか気持ちの
動揺が残っている。
現在の自分はゼミと卒論に気持ちが集中している。
それと就職のことがーこのまま就職してよいのだろか?
今の寮生とあまりに気持ちが違っている、これも仕方がないか?

夜半の一時に佐藤君のところに行き話をする。
彼とは気が合うが、最近気持ちのずれが出てきた。


578,  読書について

2002年11月12日(火)



以前「本を読むときのポイントは何か?」と不意打ちに聞かれて、
瞬時に出た言葉が「読みたいところを探して読む」であった。
小説や本の構造が大事の場合が多いから、すべての本にはいえないが。

「一冊の本からその真髄を一つを掴め!多くのものを得ようとするな!」
そう割り切ってそのノウハウを身につけた時、本屋や図書館は
知識の宝庫に変わる。立ち読みでも多くの知識を得る事が出来る。

勿論(^^ゞしいー自嘲の話しだが,今まで本を読んで一つでも本当に
モノにしてきただろうかというと疑問だ。
「要するに一番のポイントは、結論は何なんだ?」
「読み終わった後に、この本はこういう事がポイントだった」
とまとめていただろうか?何回も自省してみる必要があるのに。
読書の一番の要諦はこれしかないのに。

多くのものを得ようとして何も得る事ができなかったのでは?
また自分の壁がそれを不可能にしていたのでは?
このことを考えてみても、内部の壁が如何に大きく自分を取り囲んで
いるかが解る。自分でこの随想日記を書き続けて、作家や記者などの
物書きの凄さが解ってきた。

文章の中に込められたエネルギーや魂が感じ取れるようになった。
本屋や図書館はエネルギーのルツボである事も。
そこに行きなれない人が行くと便意をもよおすのは、
人間の脳の中枢を刺激されるからだ。


577, 一人旅

2002年11月11日(月)


20代前半に北海道と九州に二回一人旅をした。
他には勤めていた会社で近くの半島に旅行をした。
紀州半島と能登半島だ。これは一泊二日だったが。

一歩家を出れば、あとは旅行代理店とつくった日程どおり
にこなしていけばよい。結構楽しい旅であった。

写真を多く撮っておけばよかったが、そのアルバムも不明だ。
傷心旅行だったり、学生時代の最後の休みの旅行だった。
一人頭の中でブツブツ独り言を言っていた思い出がある。
それがよいのだろう。

一種のロマンチズムで、有り余るエネルギーの捌け口だった。
ただ記憶が鮮明に残っているのが不思議といえば不思議である。

今考えてみれば、一人で外国に出てみるのもよかったが、
あの当時の社会情勢からも、自分の性格からいっても無理だった??
一人旅は一歩踏み出せば、なかなか味がある。

「深夜特急」という沢木耕太郎のドキュメンタリー風の小説がある。
世界の一人旅を目指している若い人の手引書になっている。
7〜8年前にTVでもドラマ風に仕立てられて数回に渡って
放映された。この出来もなかなかよかった事を憶えている。

といって親しい人との旅行と比較すれば、やはり一人旅より良い。
TPOSによるが。


576, ある時間の断面ー10

2002年11月10日(日)

                1968年  9月27日
7時半起床、8時55分に受講するがプリントをもらい損ねる。
受講後、川崎と池永とタッカーホールで話し合う。
石川をチョッと無視をする。たまには薬になるだろう。
図書館で合気道の同期の助川と久々に会う。
昼食を一緒にとり、今後のことを聞く。
彼も大変のようだ。

その後ゼミに出席する。体調が悪いせいか議論では絶不調だ。
石川が今日は絶好調だ。彼に独壇場を許してしまった。
どうしたことか?疲れているようだ。


                9月28日
9時起床、また寝すぎたようだ。10時20分に川崎と待ち合わせの
場所に行く。しかし彼はこない、図書館に直行して、卒論のまとめを
していると、石川がくる。12時頃再び待ち合わせのところに行くが
彼はこない。図書館にいるとやっと川崎がくる。

石川と深井と川崎と松村の家に車で行く。
凄い家だ、山の手の家に入るのは初めてだが凄い。
(いや鳩山御殿に、バックグランドでただ飯を食べにいったか!
ーある会合で、映画でいうその他大勢のエキストラで。)

その後松村の家を出て、石川と深井と3人で「赤と黒」というスナックへ行く。
それぞれの性格について話あう。
23時に帰寮後、服を着たまま寝てしまう。
夜半の2時に隣の部屋に先輩の川路さん、満田さんがきて騒いでいた。
それっきり眠れない。


575, つれづれに学生時代のこと  ー2

2002年11月09日(土)



現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。
その価値観はまるで違う物差しになる。

今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの
午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。

若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを自分の中に
見出していく時期だ。

そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
「コペルニクス的視点の大逆転人生に何を求めるのでなく、
人生が何を求めているかの追求」である。

人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。
午後の人生を余白でなく、新しいページの書き込みの過程として
捉えると解る。

その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。
可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が
必要ということだ。

その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。
両親がそれをしっかりやって死んでいったモデルがある。


574, つれづれに-学生時代のこと

2002年11月08日(金)



学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」という題で
書き写している。
そのときは34年の時空を飛び越えて青春真っ只中の自分に
立ち返っている。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。

変わらない自分と全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。

学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど

結構多くの構成が重なっている。
この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れない
ほどのことがあった。

脱皮脱皮の連続線上にあった。20代30代は誰でもそうだが
私の場合創業を目指していたこともあり、刺激の強い20年間であった。

武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と
結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。

毎日日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう生き方を
しようかという内容と、その批判である。未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。

そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。
如何しようか?という人は多かったが。

自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。
何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった


573, 健康機器

2002年11月07日(木)


以前ある人に「ニギニギ」を紹介されてから、散歩の時は必ず持ち歩き、
握ぎ握ぎをしながら歩いている。肩こりや目などに非常に良い。
数種類を持っていてその時々に使い分けている。
海外旅行の時など飛行機や移動のバスの中では、必ず手で握り締めている。

ボチボチや突起物が付いており、それが手のツボを刺激をする。
足と目と手にツボが集中しており、手が気楽に一番やりやすい。
100円ショップに多くの種類が売っており、7〜8種類を持っている。

2週間ほど前に会社の近くの家電の量販店をブラブラしていると、
磁気付きのニギニギがあったので早速買ってみた。
使ってみるとなかなか良い。

また自宅の近くのダイエーをブラブラしていると、
店頭で磁気付きブレスレッドの定価8千円のものが1千円で売っていた。
迷わず買って腕にした。
その夜何か寝ていても気分がよく良い夢を見た、そして翌夜も。

更に再び同じ家電の売り場に再び行くと、アイマスクの磁気入りの物を
売っていた。
これを早速買って夜付けて寝ると頭がすっきりした。

今度はヨドバシカメラに行くと、頭に掛けるイヤホーンの形の
コメカミに磁気を当てる物があった。
これも良い。付けて本やTVを見ると疲れないのだ。

従ってこの二週間で頭や目や肩が非常に楽になった。
腕にブレスレッド、頭にイヤホーン、手にニギニギ、寝室では
アイマスクをしている。まあ馬鹿みたいだが?!
肩こり、目の疲れに間違いなく良い!!


572, ある時間の断面ー9 

2002年11月06日(水)

    

1968年 9月24日
8時前に市川さんが起こしにくる、そのまま寝てしまう。
9時半に目がさめる。
川崎との待ち合わせに間に合わない。
顔を洗い寮を飛び出る。
タクシーで校庭の通称
4丁目の交差ベンチに行く。
5分の遅れだが、待っていてくれた。
その直前に綾部嬢とバッタリ出くわす。

ヨーロッパに行ってきたという。
「すごく良かった、ITAの主催の旅行で行って良かった」と
言っていた。そういえば私が紹介したんだっけ?
石川のガールフレンドだったが、今は上手くいってないと
彼が言っていた。まだお嬢さんだが気持ちのよい人だ。
吉田嬢にも出会う。アメリカに行ってきたという、去年欧州旅行の
グループの一員だった。

川崎と喫茶店に行く。かなり溜まっていた話を一人話していた。
松村に腹を立てていた。
彼の言い分はよく解るが、そう言っていたら人とは付き合えない。
川崎もこの一年で成長したようだが、人間に影がなく好きだ。
帰寮後TVを見て、風呂に行く。さて洗濯だ。


                  9月25日ー水曜日

また寝過ごしだ。全く何たることだ。流されているのだ。
小学生や中学生以下でないか。自分の中の力があるはずなのに
何故流される。この時期一瞬でも大事なはずなのに。

大学の図書館で3時間卒論の本をまとめをする。
その後、小作と石川とウエストサイドで話す。
帰寮後、3時間卒論のまとめをして、就寝。


                 9月26日

朝9時に学校に向け出発。
産関論を30分受講、食事の後掲示板を見るためにタッカーホールに
行くと、ゼミの武澤先生に会う。
「学館の問題」でタッカーホールで説明会があるから是非聞くよう
言われた。偶然深井と会ったので、ホールに聞きに行く。
途中で出て、図書館で卒論のまとめ、その後深井と早稲田の本屋へ行く。
彼の求めていた本がなく、途中で分かれて寮に帰ってくる。
深井もここで変わってきた。

卒業間じかのせいか友人が皆練れて男臭くなってきたようだ。
19時頃に大妻女子大の人が尾形君のところに来るが、
いないので私の部屋で一時間位待つ。
結構面白い子だが、その後市川さんと食事に行く。
一時間本を読んで夜半の一時に寝る。


571,ひしょひしょ話

2002年11月05日(火)

-組織づくりのポイントー
会社を始めるにしても、組織を創るとき一番大事なのは
まず秘書を採用すべき事だ。次に経理そしてその次に
オペレーションー運営責任者のマネジャーになる。

これは逆に考えてしまいがちだが、冷静に考えれば当たり前の事だ。
これが意外と盲点である。これを読んでハッとする人が多いはずだ。
最近は日本もスカウトなどで会社を移動する場合、
秘書を連れて行くケースが多くなった。
それだけ秘書の役割は大きい。

秘書は大学教授の助手の役割と同じである。
的確に指示を出す手助けとー雑務の代行だ。
アメリカの映画を見ていると、会社の大小に関係なく
会社といえば先ず秘書が出てくることを考えれば解ることだ。

その次に大事なのが経理課長だ。
ラインのマネジャーは最も大事だが、まず充実すべきは秘書の
機能である。一人の部下を持つ場合まず秘書としての訓練をして
その機能を入れることだ。次にお金の管理ー経理課長を訓練をする。
運営は最後だ、運営はまずトップの自分がしなくてはならない。


家業で奥さんと一緒に仕事をする場合は、
自分がトップと運営責任者のマネジャーを兼ねるケースが多い。
最近はこの逆のケースの場合も多いが。

出来たら奥さんと仕事をしない方が良い。
一番大事な秘書機能が逆にはたらく?!
更にトップの舵取りを奥さんが口出しをする。
それだけでなく変化を嫌う。女の社長が少ないのはこの為だ。
この見極めがお互いしっかり分けてないと大きい失敗に繋がる。

家業でも職能を明確にしておかなければならない。
もう遅いか??!!


570, 仕事と性格形成−2

2002年11月04日(月)


以前習っていたパソコンの先生が直前まで教員をしていた。
結婚で辞めた後に「人に無性に何か教えたくて仕方なかった」
と言っていた。

警察官は私生活の中でも常に犯罪を探してしまうという。
「できたら子供は警察官とは結婚させるな!」
と父が口癖で言っていた。私生活でも常にあら捜しをしている為、
家庭が暗くなるという。
料理屋も絶対に嫁にはやるなとも言っていた、これはいわずもがだが。
ーこれは今回の内容と違う。

私の親戚に元大蔵省の査察をしていた人がいる。
仕事が面白くて仕方がなかったという。
仲間内で飲むと功績の内容の自慢と脱税の手口の情報交換という。
実直の塊のような人である。

小説家は全てが小説のねたにするのが商売だ。
その為に恋愛もし、乞食もする露出狂とも云える。

私など飲食店にしても、スーパーや専門店に入ると、店員の動きや
レジや店の規模や客層を常に見てしまう。それと順調かどうかをも。
そしていつの間にその聞き取りをしてしまう。
前は近くで開店ををすると、一番客になるのが習性だった。

面白いのは母は常に話の内容を1・5倍にして話していたが、
衣料量販をしていた時に、仕入れの1・5倍の値付けの癖が話しの
内容に出たものだ。最近になってそれに気が付いた。

本人が本来もっている要素とそれがあいまって性格形成になる。
人間は生物の持っている環境の支配を抜ける事が出来ない猿だ。
言葉をもってしまった狂った猿!

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