堀井On-Line



499,幼稚園の砂場で学んだこと

2002年08月25日(日)

アメリカのベストセラーになった「人生で必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」
は、アメリカの議会で評判になり、全米ブームをおこした。
人間がどう生きるか、本当に知っていなくてならないことを、全部幼稚園で教わった。
人生の知恵は大学院などの最高学府にあるのではなくて、幼稚園の砂場にうまっていた。

それは何か??

・何でもみんなで分け合うこと。
・ずるをしないこと。
・人をぶたないこと。
・使ったものは必ずもとのところに戻す事。
・ちらかしたら自分でかたづける事。
・人のものに手を出さない事。
・誰か傷をつけたら、ごめんなさいと、ということ。
・食事の前には手を洗う事。
・トイレに行ったらちゃんと水を流すこと。
・焼きたてのクッキーとつめたいミルクは体にいい。
・釣り合いの取れた生活をすることー毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、
・歌い、踊り、遊び、そして少し働くこと。毎日昼寝をすること。
・おもてに出るときは車に気をつけ、手をつないで、
 はなればなれにならないようにすること。
・不思議だな、と思う気持ちを大切にすること。
・何よりも大事な意味をもつ言葉『見てごらん」

 人間として知っていなくてはならないことはすべて、
 このなかに何らかの形で触れてある。

このような言葉を、こうもまで「そうだ!」と共感するのか。
そうだ、この基本中の基本を我わらは忘れてしまったからだ。

他人のそれは解る、しかし自分のそれは全く解ってないのが人間。
私の場合は、実家の創業期にあった為、そこの全ての出来事であった。
10歳までに経験が人生を決めてしまうのは確かだ、胎教も含め。?

ただ幼稚園で私等はこんな事を学んだろうか?文章としては受けがいい内容だが、
むしろ日本では小学校の中の団体生活で、学ぶのではなだろうか。
火の出るような10歳から15歳までの虐め。
これは永い人生で、抗体をつくるという意味で必要なことだ。

しかしこの文章は人生後半に、改めて価値観を見直す時、おおきなヒントになる。
特に、自分のそのときの事を思い出して、最後の余白に何を書き足すかの
大本がある! 失ったもの、忘れてしまった事が。


498, ワイルド・ダック

2002年08月24日(土)


先日の随想日記の「熊の追跡」の中の(野がもの話)の詳しい内容を、
インターネットで調べ抜粋したものだ。
あまりにも有名の話ですが、復習も含め参考のために。

野鴨の話

ーあるアメリカの地方新聞に掲載されていた実話です。
 アメリカのとある湖に、季節になると野鴨がやってきて暮らしていました。
その湖には老人が住んでいて、毎日渡り鳥に餌を与えることを日課にしていました。

鳥たちはその老人のおかげで何の苦労もなく餌を口にすることができました。
鳥たちは渡り度なので、その習性で餌を求めて湖から他の湖へ旅立つのが常ですが、
毎日老人が運んでくれる餌に慣れてきた鳥たちは考えたのです。
「なぜ、俺達は苦しくてつらい旅に飛び立たなければいけないのか?」
「この湖にいれば優雅に泳いでいるだけで餌を口に出来るではないか。」
鳥たちは、その年旅立つのをやめその湖に留まることにした。


翌年も、翌年も、老人は毎日餌を運んでくれ平穏なのんびりとした日々が
続きました。
ある年のことです、平和なのんびりとした日々に異変がおきました。
餌を運んでくれるはずの老人の姿が急に見えなくなりました。
その年不幸が起きたのです。

老人はその高齢の為に病の床につきそのまま他界したのです。
不幸は重なるものです、その年は気象に異変が起き高温日が続きました。
湖の周りの氷山は徐々に溶け出し雪崩の気配がしてきました。

動物の本能でその事態を察知した野鴨達は、
湖から逃げ出そうと一斉に羽ばたき出しました。
が、一羽として空に舞い上がった鴨はいませんでした。
鴨たちの持っていた力強くそしてたくましい野生の翼は、
飼いならされ飛ぶことを忘れているうちに、すっかり退化してしまったのです。
 翌朝、雪に埋もれたその湖からは、哀れな必要以上に太った鴨たちの死骸が
いくつもいくつも浮かんでいたそうです。

ワトソンという燃える目をした青年が、
ある朝、何気なくその新聞記事を目にしました。
青年はその新聞記事を読み終えた後、しばらく感動に震えていたそうです。
そして、「これこそ、人生の哲学だ!!」と叫んだそうです。
その青年が数人の仲間とイナカの片隅で会社を作りました。
その仲間たちは「ワイルド・ダック!!」野鴨を合言葉に「考える前に飛べ」
をスローガンに現状に甘えることなく活動し続けました。
そのワトソンこそが初代のIBMの創始者でした。
そして、その仲間たちが今のIBM帝国を築いたのです。

ーーーーーーーーーーーー
「挑戦、闘い、変化、機会の開発」−4C主義の継続の必要性を
この寓話が言っているのではなかろうか。

「脱皮できない蛇は死ぬ」という諺にも似ている。
脱皮できない人間の成れの果てが「子狐」である。


497, 最近つくづく思うこと

2002年08月23日(金)

ー創業を振り返ってー

自分で事業を立ち上げる事(創業)ができて本当によかった。
それも26~7歳の時からできたことが幸運であった。
やはり両親に恵まれていたからだと、心の底から感謝している。

創業は本当に大変だが、実際のところ面白い。
自分で考えたことが、目の前で実現していくからだ。
それも甘さと厳しさがそのままストレートで帰ってくる。

本気になると、それだけエネルギーが身体と脳から湧き出てくる。
あと決断を一人でしなくてはならない。
結果としてその積み重ねがよかった。
一人で考えていると、事務所の誰もいない部屋で独り言をいっている。

計画も一人こつこつとする場面が多くなる。
あらゆる仮説をたててみる、その練りが多いほど後で後悔する部分が少ない。
今になっても基本は一緒である。
自分で考え、練り、手順を踏むまでは、ただコツコツやるしかない。

自発的に考え、それをやると苦労が苦にならなくなる。
好きなことをしていと、仕事でも遊びと変わらなくなる。
自分の意思で主体的になりざるをえないからだ。
サラリーマンのマイナス点はその機会が少ない事だ。

長期設備投資という事業が結果として非常にプラスになった。
10年〜20年スパンで将来を予測しなくてはならないからだ。
それも自分の全財産を賭けた博打である。
いやでも考えざるを得ない。それでも読みが浅いと後悔する事が多い。

規模は小さいが、ものの見方は広く深い知識と覚悟を要求される。
間違えば、取り返しがつかない。
その点では、政治家や経済評論家のような見識が広く深く要求される。

それこそ大した事がないのに、言う事だけは天下国家のような難しい話を
するのは、それが必要だからだ。どうしてもそれに直接影響される為だ。


495, 熊(現実)からの逃避-2

2002年08月22日(木)


・1はセックスや酒などの遊びに逃げる。
・2は本を読んだり、自分の生き方や理想を再考再確認する。
・3は実家や故郷に帰るー過去に帰る。
・4は闘う
・他には死んだ振りもあるだろう。

 私の場合は木に登るである。
 
「初め家に逃げ帰り、熊が去った後、木に登りくまの行方と様子を見定めた後、
 水遊びをする。そしてある時期がきたら、再びそこを去る。
そこは休む場所であって決して安住する場所ではない、それだけは
 心しておかなくては」というのは如何なものだろうか。

IBMの理念の「鴨のはなしー残り鴨にはなるな!」を暗示してある。
 またそこには子狐が様子を窺っている。

たとえ話はより深く対象を深める。
人生という道には、曲がり角と行き止まりがある。
迷ったら、今まで来た道を一度戻るのが最短の道だ。

人生には、本当にどうにもならない時がある。
良寛がいった「災難にあう時は、あうがよい」
自然法爾ー受け入れて、あとは時間が経つのを待つのがよい。


494,熊(現実)からの逃避ー煮詰まった時 -1

2002年08月21日(水)

 
 古館伊知郎のトークショーでの話しだが、
 周辺のデレクターなど10人に「あなたは煮詰まった時どこに向かいますか」
 と聞いたそうだ。答えが面白い!

・「実家に帰る」が7人もいたそうだ。
・二人が「ふてね」をする。
・あと一人は、ニクソンが回顧録の中に書いてあるのを真似ているという。
 部屋で「馬鹿を許す、馬鹿を許す、馬鹿を許す」と大声で唱ているという。
 そのデレクターはトイレでやっていたという。

 まあ面白い話だ。
自分なら、過去どうしていたかというと以前にも書いたことがあるが、
それに関連した本を買い込み徹底的に読む。
そして紙に書く、徹底的に。
大体が一週間でいや実際は2ヶ月で終了する。
いろいろと逞しくなった。
要するに自分の心の捉え方一つなのだ。そこのところをキッチリト整理をして
内面にしまっておかないといつまでも尾をひく。

以前にも何回か書いたが、30年前の何かの本で強烈な喩え話があった。

「熊に追いかけられ、そこには1.池がある。 2、木がある。
 3、家がある。 4、鉈(なた)がある。」4の鉈は自分が今回いれたのだが。
ー貴方ならどうしますか?
 
 この答えをじっくり考えておいてください。
        ー参考のために前文の実家が3の家だ。 ー 続く


493, 女の盛り

2002年08月20日(火)

 
 表面的のことだが
・女性の若いときの盛りは、やはり18歳から21歳。
・次は少し社会に揉まれた30歳あたりだ。

・最後の円熟の年増の最高潮が41歳である。
 これは生命保険の偉いさんから聞いたが、正しくそのとおりである。
 妙齢の年頃という頃だ。
 
・往年の大女優がエッセイで書いていたが、
 45歳を境に坂道を転げ落ちるように、衰えが激しくなる。
 姉や従姉妹など見ていると全くそのとおりになっていった。
 色が全体に黒くなってくる。閉経期と一緒だ。
 
 それに図々しさが加わると小母ちゃんになってしまう。
 その時こそ、本当のお洒落が必要になってくるという。
 それと教養が顔に出てくるから更に怖い。

 去年の同級会に出てびっくりした。
 55歳の同級会であったが、見事おばさん化していた。
 男もそうだが、それでも女性ほどではなかった。
 肉体の衰えが、精神を抑えることができないのだろう。

 そこに残るのは品性だけだ。
 そういう意味で、品性は大事である。
 その時にお洒落の意味が出てくるという。
 如何に老いをプラスに表現できるかである。
 けっして若く見せることでない。

 TVタレントや女優を見ていると、その良し悪しが見えてくる。


492,二人のTAKESHI

2002年08月19日(月)


昨夜の衛星2の「二人のTAKESHI」が面白かった。
合成で「コメデアンのタケシ」と「映画監督の北野武」
が対話ー掛け合い漫才をする構成になっている。

全く画面で合成の不自然さがでてない。
ここまで技術が進んだかと驚いてしまう。
彼自身の内面の会話でもあり、内容は哲学的でもあった。

あ互いを辛らつに批判しながら、お互いの立場をハッキリさせている。
時おり二人の吊人形が出てきて、会話をさせたりドツキアイをさせる。
最後にそれを操っているタケシー武?が出てくる。

その会話の場面に、美輪明宏や実兄のタレントを入れたりして、
3人の座談形式の場面を出したりしている。
新しいバラエテーの形でもある。それも二時間も続いた。
コメデアンのタケシはあくまで虚構の世界。
しかし社会そのものも虚構の世界でしかない。
コメデアンはその事を知っている。

映画監督の北野武のスポンサーはコメデアンのタケシと言っていた。
映画の失敗作ができるとタケシのせいにするとも。
内容は強烈な皮肉で辛辣なのが面白い。

殆んど異世界の彼ら?の世界に引っ張り込まれてしまった。
新しい可能性の世界を垣間見た。
面白い時代になってきた。


491,ー恐ろしい夢−

2002年08月18日(日)


昨夜の夢は怖い夢であった。

自分の車のトランクに子供が勝手に入って死んでいた。
その子は誘拐で警察が探している子であった。
躊躇するうちにどうしようもなく、何処かに隠してしまう。
そのうち、段々と不安と恐怖に襲われれる、警察の影がじわじわ近づいてくる。

大体こんなストーリーであった。
何故こんな夢を見たかというと、翌日の随想日記の下書きが
怖い夢であったからだ。脳は複雑な反面単純なものだ。
    ーーー
A,恐ろしい夢の一つに「歯が抜ける夢」がある。

横光利一の夢という随想にも全く同じことが書いてあった。
ある歯がグラグラしているうちに、抜けるのである。
そして他は大丈夫かと触ると、その歯もグラグラして抜けるのだ。
そのうち殆んどの歯が次々と抜けてしまう。
ハッとしているうちに目がさめるか、次の夢に変わるかである。

そして起きて、これは歯が抜ける正夢の前兆でないかと2^3日歯磨きを丹念にする。
そのうち1週間もしないうちに忘れてしまうが、数ヶ月後に同じ夢をみる。
何人に一人かは同じ夢を見ているのではないだろうか。

B、恐ろしい夢で鮮明に残っているのが、絞首刑になる夢である。

イメージとして中近東の兵隊のようで茶色の単色の世界であった。
自分が敵に絞首刑を執行される夢である。
本能的にそれを避けようとしたのか、その瞬間違う場面になって
その違う自分も絞首刑になる夢であった。
その前に訓練か何かで、建物をよじ登っている前段があった。

C,あとは、アメリカ?の牛の屠殺場で牛になっている自分が、
アメリカの若い男に殺される夢である。

その場所がいやに殺伐としているのが印象的であった。

夢には自分自身によって演じられたドラマでもある。
ドラマと同じように構成をもっているー
1、場面ー2、発展ー3、クライマックスー4、結末
1,2で終わる場合もあり。1,2,3で終わる場合もある。

それなりに無意識が途中で色々な演出をするのが面白い。


490, 随想テーマ日記の効用

2002年08月17日(土)

毎日一テーマで、その日思いついたことを書き続けて一年数ヶ月が過ぎた。
何か毎日が、そのために追い立てられている感がする。
多くのエネルギーが、その為に取られていることは事実だ。

しかし、エネルギー対効果比率から考えても充分その価値がある。
「何のために毎日こうも書き続けているのか?」という疑問があると思う。

・それは簡単だ、自分の為に書いている。
・公開することで、あらゆる人に見られていることを意識、
 その為に客観化が必要になるからだ。

・毎日、その都度思いついたことを書き続けることにより、
 過去に考えたことを、一づつ引っ張り出し、外部化をしていく作業が
 記憶と行蔵の整理になる。
・またその時その時の自分の気持ちや心境のメルクマール化が可能になる。

・その時点のホットな情報の中期記憶化・デジタル化をしていることにな  る。
 デジタル化をする事で、あとで組換えの時大テーマの要素の構成部分の
 パーツとしてつかえる。

・書きつづけることで、外部の情報に対する感覚が鋭くなってきている。
・心や内面の公開が、結果的に自分を積極的に主張出来る。

・これをチップに記憶させておけば、数十年先数百年先に見てもらえる。
 結局は波動の蓄積という事かもしれないが、死んだあとも残る。
 
 とりあえず3年1000のユニットを書き続けることが目標だ。
 実際、世界が毎日激変?している。内部の入れ替えがおきていることだ。


489,送り火ー母への追悼文

2002年08月16日(金)

今日はお盆の送り火ーご先祖様があの世に帰っていく日だ。
6年前に亡くなった母の通夜の挨拶の下書き文を書いてみた。
もうあと一ヶ月で7回忌だ。
   机の中から偶然出てきた文を書いておく。

  −通夜挨拶ー         平成8年9月25日20時

本日は母の通夜にお忙しい中,遠方よりご列席いただき
有難うございました。母も心より喜んでいると思います。

この7月半ばまで浮腫で入院していましたが、昨日の9月24日の
12時51分に帰らぬ人となりました。

当初は三週間の入院予定で順調に回復しているように見えましたが、
まさかこれだけ早く亡くなろうとは・・・。
88歳6ヶ月の命でした。

母は生前、今夜飾られている写真を自分で用意して‘私の葬儀に
必ず飾るように!’との遺言でした。本人が一番気に入っていた写真です。
また通夜は明るく華やかに!とのことでした。

私自身29歳の時から21年間、母と同居、
母に手を取られて今日まできたというのが実感でした。
自分でいうのは何ですが、本当に偉大な母でした。
母の死で自分も初めて一人立ちができそうです。

七年前に脳梗塞がでて以来、大木がゆっくり倒れていくように・・・。
そして今日に至りました。その中で一人の人間の「生老病死」
のすざましさを身近で見せてもらいました。
私も死ぬ時は母のように死にたいと思います。

母とは二年前より、早朝長岡ニュータウンの広場までドライブに行き、
誰もいない散歩コースを20~30分、車椅子で一周するのが日課となっていました。
そして途中のベンチで一本の缶ジュースを半分ずつ飲むのが・・・。
正に霊界を二人で宙遊しているようでした。
そして一回ごとに、これが最後かと、これが至福の時かと実感していました。

今夜は通夜参列いただきありがとうございました。
明るい話をするつもりが涙が出てしまいました。

重ねて、参列有難うございました。

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