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堀井On-Line
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2002年06月25日(火)
昨日、彼の講演があったので聞いてきた。 エジプトなど遺跡が好きであった事と彼の本を読んでいたため、 一言一言が非常に興味をもてた。
講演内容を時系列にそのまま書いてみる
・考古学は人間学である 骨董屋とは違う ・掘ること自体が面白いー好きにやれと好きに掘らせておくと60日経つと 虜になる ・自分だけの史料を見つけることができる ・歴史学は批判学であるー歴史上言い伝えられていることは真っ当な事はない 非難とは違うーそれを検証する事である ・考古学はない史料を探すこと 図書館の片隅の史料を探す事も発掘という ・一回の発掘のクルーはー60日*20人・現地人100〜150人・ 2000万の費用ーが目安 今までない史料探し、それを今までの史料と検証する
生き様ーこれは造語 死に様の対語としての造語
全部の人が死ぬ、「生まれ変わり」というのはギャグである。 エジプト人は生きるにあたっての大事なことを発明していた。 ーいろいろな概念をつくっていた 「あの世は何か」という概念をびしっと明確に決め文字に残していた。
・あの世とはこの世ではないーその前提としてこの世を知っている 死を知るということは前提として生を知っていなくてはならない ・神の住んでいるところ ・西の空に太陽が沈んで、東の空から出てくる向こうをあの世と規定した ・あの世の風景が書いてあるがーこの世と同じ風景でしかない 想像は人間のイメージの範囲しかできないのは当然だ 火星人のイメージは人間と同じ頭があって、直立で・・・
−続くー
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2002年06月24日(月)
昔から自我の強い性格「プライドの高い性格=コンプレックスの強い性格」 でいろいろ行き詰まりなどあった?。 それなりに乗り越えてきたのは、「最後は一人」ということが実感で 解っていることもある。
行き詰まりとかトラブルがあった時の気持ちの処し方で ・一番手っ取りはやいのは、辛らつにその内容を紙に書く。 自分の気持ちも事象を、とことん書き連ねる。 ・それでもどんどん出てくる気持ちの混乱、それをとことん書く。 ・脳内に出てきた言葉を全部、書き出す。 もう出てこなくなるまで書く。 ・その内容を読み返す、そして更に書く。 これを繰り返すと、幾らでも出てくる、それを書き尽くす。 ・それをきっちりまとめて、最後は破って捨てる。 ・そしてその全てを袋に入れて紐で縛りつけ、 心の奥にしまっておくイメージを繰り返す。
その時は残るが、時間が経つと全く内面から消滅する。 「割り切」を合理的にしていることになる。 それを中途半端にすると後に残ってしまう。
あとは時間が全て洗い流してくれる事を信じる。 その時間の見積もりをする、これは一年、三ヶ月と、最近は誤差がない。 一番辛いという、連れ添いの死も三年という。
般若心教を暗記してあるのも良い。 全ては宇宙の出来事の些細な出来事でしかないことが自己確認できる。 般若心教は憶えておいた方がよい、心の保険としても。
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2002年06月23日(日)
・まずは先手必勝、なんでもそうだが − 王手・飛車より、先手が怖い ・相打ちを狙う。 ー但し、相手よりより力を込め、弱点を狙う 自分が傷つくことを恐れて腰が引ける、やるなら相打ち ・逃げ道をつくっておくー 引き際を見つける 相手の逃げ道もつくるー窮鼠猫を噛む ・短期決戦ーこれも鉄則 ・大義をつくっておく ・時には捨て身でも ・長期に喧嘩か短期で戦法を変えるー見際めをする ー長期戦は江戸の敵を長崎で討つ方式 こういう奴の在庫がいっぱいある、男社会は仕方ないが。 その前に殆んど自滅していくが。
喧嘩はしない事だ、但し仕方ない時は全力ですべきだ。
事業は見方を変えれば喧嘩そのものだ。 事業は弱い相手を探して叩けばいいが。
子狐がけっこう喧嘩を売ってくる、 仲間内に自慢か話題つくりか箔付けの為に。 その場合けっこう面白がってやる。 生理的に楽しくかつラインが作れるからだ。
エネルギーのロスだが、長期戦にすぐ切り替える。 長期戦の相手は徹底的に蔑視する,内面から消滅するまで。 おかげで人間関係で悩むことは少ない、割り切れるからだ。
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2002年06月22日(土)
この4~5日前よりの腰痛、山場を越したようだ。 数年に一度のひどい状態であった。 現金なもので酒が入ると痛みが激減、あったたまるためであろう。
今は痛みが一進一退の状態、今朝も少し痛みが残っていた。 一昨日より腰痛バンドを買っていたのを思い出して、つけてみる。 熱を腰の部分に持つ。更に通勤途中で腰痛向きのシップを買って張る。
なかなか利くので吃驚する。 今まではホッカイロ一筋であったが、他にもあるのに初めて気づく。 暖めるのがポイントのようだ。 いつも冬場と、この時期の湿気の多いときになる。
腰痛は猿から人間に進化する過程で、 −4つ足から、二足歩行に切り替わったときにー 腰にその過重がきている為に腰痛になるという。 人類の大きい課題だ。
母が腰痛持ちでそれが遺伝したようだ。 今みたいに自宅で座った状態でパソコンを打つのが一番悪い。
これは腰痛を検索したものだ。 http://www.h3.dion.ne.jp/~kumihimo/k/txt/t3-4.htm
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2002年06月21日(金)
http://www.melonpan.net/tatsu/yatta/index.html 「やった。」坂本達著
図書館の海外旅行のコーナーで面白い本を見つけた。 なかなか面白い。 子供服の「ミキハウス」に勤め数年、何処でもある話で自己逃避も含めて 「海外旅行に出たい」という気持ちが出る。辞表を書く段階で社長の耳に入る。
オーナー社長がそれを宣伝材料?とみて、有給休暇を条件に引きとめる。 そして夢のような4年3ヶ月の旅行記。 なかなか面白い内容であったー本もホームページも。
そして社長の思惑どうり?帰国後その体験をホームページに書き込み、 さらに講演を続けている。それなりに面白い内容である。 少なくとも自分でしたいができなかった事だ。
こういう社会もあるということで目を通してもいいのでは? またこういうことがあっても、良いのではと思った。
http://www.nikon.co.jp/main/jpn/society/sakamoto/ http://www.melonpan.net/tatsu/ http://www.melonpan.net/tatsu/report/index.php
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2002年06月20日(木)
ヤクザが1万円札を財布にビッシリ入れ見せびらかす、見せ金である。 中学の同級会で久々に出てきた男がまったく同じ事をしていた。 普段金に困っているから、逆に故郷に帰ってきたときぐらい 金を持っている振りをしたくなるのがミエミエである。 可愛いものだが。
銀座で永くクラブのマネジャーをしていた人の「人の見分け方」の話。 「高価な服装、靴、時計で身を固めている人が一番危ない」ツケはできないという。 外見が金持ちに見える人は、成金とかバブルの成り上がりの人が多い。 実用本位の質素の服装をしている人が一番信用できるという。
何回か会社を潰した人が再び会社を興し、少しうまくいくとベンツに 髭に皮ジャンに高級クラブ、お決まりのコース。 そして数年後夜逃げ、身辺でいくらでもある。
すぐに逆上せ上ってしまう。 結局は事業はそれをしたかったための手段でしかなかったのだ。
それと同じ事が、スナックで見かけるやり手ブスの中年女。 ブランド品を上から下まで飾りつけ、香水の匂いを撒き散らす姿は喜劇。 コンプレックスの裸の王様そのもので、−心理は見せ金と一緒。 それに気がつかないから世の中面白いのだろう。 日本人のブランド好きは上記のやり手ブスの心理そのもの。
それが人間の全ての集約した姿だ、自分の見えない姿でもある。
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2002年06月19日(水)
これほどいいかげんな言葉はない。 世間様の世界の「言葉の流通手段」である。 ある同?会の「子狐とチンドンヤの対話」が常にこれだ。
ある噂を聞きつけると、次にいう言葉[みんなが・・言っている」 子狐どもの自分を子狐たらしめている言葉である。
それを少し問い詰めると、子狐の小騙しがバレル、 その時「誰というわけでないが・・・、とにかく評判が悪いぞ、 皆がそういっている」と逃げる。 自己宣伝屋のチンドンヤと子狐の話を横で聞いていると、 唾を吐きかけたくなる、大の男が馬鹿丸出し!!
特に人生に迷いがでたり、自信をなくしている時「みんなが・・」 といわれると、その内容や意見や噂を鵜呑みにしてしまう。 特にぬれ落ち葉の集まりでは、子狐に掻き回されてしまう。
そのことにより、選択や進むべき方向を間違ってしまう。 後になって考えて「みんな・・・」 は何も実態がなかったことに気づいても遅い。
あちこちの社会を見てくると、それがすぐわかる。 いかに実態のない言葉ということが。 ヘドロ化した、移動性のない社会のへドロ言葉でしかないことを。
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2002年06月18日(火)
「金持ちがあるなら、時間持ちという言葉もあってよい」 というのを本で読んだ事がある。
若いときから時間だけは多くあった。 時間のブルジョアといってよい。現在もそうである。 初めは持て余していたが、今は充分?に有効利用をしている?
現在も装置産業を選んでしまった為、時間だけはたっぷりある。 初めの数年は本当のところ、どうしてよいか戸惑った。 小人閑居して不善をなす」というところもあった、今もか。
経営セミナーに出るか本を読むか??しかなかった。
お金と同じである。 人がお金を持て余さないのは、お金を自分のために使おうとしている為である。 「主体的」に使えるから、お金は幾らあっても持て余さない。 お金は自由の塊そのもの。
時間があるということは、自分で使える自由があるということだ。 時間を持て余すことは、その自由を使いこなせない事。
もう十数年も前の事になるが、ある長岡の不動産屋の社長が 毎日が日曜日のくらい暇な日程の私の姿を見ていて笑っていた。
3月のある日、年度替りで不動産屋が一番忙しい時だった。 奥さんと二人パニックに近い状態に。
その後二人で喫茶店に行った。 本人自慢げに「イヤー忙しいくってね〜」 私「その仕事何パーセント、500円のパートのできる仕事?」 不動「99パーセント」 私「ふーん、あんたの時給はいくら?」 不動「一万円あたりかな!」 私「時給一万が、500円(当時)の仕事をして喜んでいるんだ」 その後、本人はすぐ一切の雑務をしなくなった。
話しは外れたが、 時間もち(金持ち)とは、主体を持って使いこなしているかどうかだ。
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2002年06月17日(月)
誰でも持っている要素である。 組織も対象の人とも合わない、突き詰めてみると自分と合わない人だ。
自分の事といってよい。 ・今所属している組織か職業と自己一致しているかである。 ・夫婦間の問題 ・両親の仲が良かったか
中学時の問題児は両親の不一致である場合が多い。 不幸にしているのは本人にその意識がないことだ。 あと舅・姑の関係も絡んでくる。 家庭内が安定しているかどうかであるし、やはり家系も関係している。
夫婦間を見ていると、いろいろな問題がある。 それがそのまま子供に反映してくる。 あるいは自分に反映してくる。
その蓄積が自己不一致を深めていく。 そしてそれが対象に不満という形で向けられる、実際は自分の問題なのに。 誰もが多かれ少なかれ抱えている問題である。
大手会社が両親が離婚をしている人を入れたがらないのは、 多くの人の中で経験的にそれを知っているからである。 何事も例外はあるだろうが。
言葉を持ってしまった人間が無限の欲を持ってしまった。 アダムとイブが蛇に勧められて食べてしまったりんごである。 しかしそれは有限である。そこに不平が出てくる。 仏様はその欲の対処の仕方を教えた、それが仏教である。
ただ自己不一致も捉え方によっては必要なことがある。 理想主義による不一致、それを埋めるための視点であるからである。 あるいは経営にとって、計画の不一致のフィードバックとして必要な事だ。 前向きな建設的な自己不一致ならむしろエネルギーにもなる。 コンプレックスもそうなのかもしれない。
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2002年06月16日(日)
毎日書いていて不思議な気がする事がある。 気の置けない友人か家内に話す内容を、そのまま正直に書いている。 それが何か非常に気持ちが安定するのだ。
心の中の自分との対話を常に書き込んでいるのである。 悪趣味?といえば、そうかも知れないが、 見られていることを意識して書いている事で一応修正はしてある。 書いた翌日一番で書き直すことは度々だ。
書き続けていて不思議な感覚がどんどん深くなる。 色々の人の日記を見ていても、やはり「ソフィーの世界」 のような不思議な感覚を受ける事がある。 ある意味で開き直っている自分とコントロールしている自分がいる。
もっと面白いのは、過去の自分の文章である。 読み返した時に、空の上から自分を見ている自分の視点が何とも不思議である。 書き続けている事で、その日その時間の心のメルクマールになる。
過去に日記を書いておけばよかった。 反面忘れる事も大事である、書かなかった良さもある。 学生時代の卒業間じか半年分は書いたのがあるが、その時の心情が赤裸々に書いてある。 書くという事は排泄と感じることもあるし、昇華ということもある? メルクマールでもあるし、呼吸でもあるし、発散でもある。
一度書けばコピーをして、その書き足しもできる。 思考の再深耕が容易になる。 ビルの上からの視線でその方向も見えてくる。
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