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堀井On-Line
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2002年04月16日(火)
昨日、地元の中堅の食品メーカーが倒産した。 1989年に設備投資、その3年後に70億の売り上げになったが、 現在はその半分の売り上げに激減。 家内が言うに、今の社長は 「10数年前に文芸春秋を辞め,帰って来たと話題になった人」とか。
今の倒産の多くに見られるパターンだ。 先日倒産した新潟市の香月堂もしかりだ。
全国に、このパターンの倒産予備軍で満ちている。 昨日の新聞に載っていた、ある雑誌のアンケートで、 サラリーマンの30パーセントが「自社の倒産の不安」を持っているという。
大丈夫と思っているのは僅か17パーセントとか。 私の感じていた、「3分の一はいつ倒産してもおかしくない会社」 と同じ数字だ。
新潟県はあと一割増か。 自社は一応17パーセントに入ると思うが? 社員はそう思ってないかもしれない。
どうして不安かと思うと、 ・中堅幹部がどんどん辞めていく。 ・給与カット、時間外勤務の削減。 ・売り上げの激減。 ・会社資産の売却。
今のところ当社は一つもないが。 しかしこの経済情勢はただ事でないことは確かである。
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2002年04月15日(月)
「到知」という雑誌に出ていた文章で、今でも強烈に残ってる言葉だ。 誰かに聞かせたい言葉でもある。
ーその人が社命をかけて、ニューヨークにセールスに行った。 ある製品を売り込まなくては、会社が潰れる瀬戸際である。
まともに英語も話せず、どのセールスも上手くいかない。 英会話さえ出来れば何とかなるが、その時間もない。 どうにもならず、公園で途方に暮れ泣き出してしまった。
その姿をみて近くの老人が事情を聞いてくれた。 その人は事情を聞いて「よし解った。明日からここで英語の特訓をしよう。 ただし条件がある、けして知ったかぶりをするな。わからないことは正直にいえ」
それから公園で英会話の特訓が始まった そして数ヶ月もしないうち、英語がだんだん話せるようになった。 そしてセールスを始めると、見る見るうちに上手くいくようになった。 以上である。
この話の中に多くの教訓がある。 ・ぎりぎり追い詰められた状況ーゼロからの出発になった。 ・その老人がかなりのレベルの人であった。 ・本当にそれが必要であった。 ・真剣なぶつかり合いになった。
実際事業の立ち上げは、この状態からの出発といってよい。 赤裸々の対話の積み重ねである。 それもぎりぎりの。
いつでも立上げはそうであった。 みしらずの人を集め、どうなるか判らない事を始めるのだから。 しかし新しい事業を興す時は、そのほうがいい。
真っ白から始められるからだ。 ゼロからの出発は、新しい材料で始めるほうがいい。
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2002年04月14日(日)
新潟の駅前で事業を始めて21年になる。 場所柄、いろいろな商売をみてきた。
本当に商売の難しさを思い知らされる。 意外と潰れてないのが驚きだ。半分は生き残っている。
しかし多くの潰れていく店も多い。 数年たつといつの間にやめている。その共通点は私生活の乱れが多い。 それといつの間に「唯我独尊」になってしまうことだ。 店が悪くなると、すぐ客単価を上げようとする。
お客は「お値打ち」を求めて店に来ているのが解らなくなる。 こと値段に対して厳しい査定をしている事が見えなくなる。 そういう危なくなっている店が、ここにきて多い。
おかしくなる数年前に、何かその種をつくっている。 お客は一度離れたら二度と戻ってこない。
いろいろな事情と思惑で、商売を始めている。 しかし原理原則が商売にきっちりある。 その原則がわかってない人が多い。 大きい本屋を数軒回れば幾らでもあるが、気がつかないのも仕方ないだろう。
特に飲食店がよくない。 原因は ・一人当たりの可処分所得と小遣いが減ったこと。 ・出張と社交費が激減したこと。 ・自宅近くのチェーン店に行くようになった。 ・TV のハードとソフトがここにきて格段によくなった。 その為、家でビールを飲みながら、TV を見ていたほうがずっと価値がある。 ・そして最大の原因は不景気である。
デフレと売り上げが減っている為、客単価を下げる事が出来ない。 商品の質を一ランク上げ、価格を一ランクか二ランク下げなくてはならない。 客が来ないため鮮度と質が落ち、客単価を上げてくれば客は減って当然だ
お客は食べ物には敏感である。 おまけにデフレの為スーパーやファーストフードは合理化を進め、値段を下げてくる。 「誰がそんな不味いものを高い金を出して食べるか!」と黙って行かなくなる。
それでもまだ店を出したがる人がいるのだから。
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2002年04月13日(土)
あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。 旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。
何処までやれるか自身との闘いで始めた。 あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。
気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。 よく書いたものだが、内容はこんなもの。
あと1〜2年つづけたら殆ど内面を、いや底を尽くのではないか。 その後で底から真水が出てくるのではないか。 今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。
テーマの種が尽き始めた事は事実だ。 大した事を考えてない自分が顕わになった。 本気になって第三者を意識して書き出して、プロの文筆家の能力に 今更驚かされる。それで食べているのだから当然といえば当然だが。
書くということと、内面で考える事とあまり違いはない。 内面を赤裸々に顕してしまう。 毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。
しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ−(;一_一)(+_+)(-_-;) ー恥ずかしいことはない。 後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。 人生の7割生きたのだから仕方ない。 自分史そのものだ。 自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。
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2002年04月12日(金)
以前も書いた事があるが? 「滑って転んだとする、その人は骨を折ったか、悲しいぐらいのいたみである。 たまたま横にいた人にそれが非常に可笑しく見えた。 前者にとって悲劇、後者は喜劇である。」
後者は同じ出来事を傍観している。他人事として見ている、これが喜劇。 前者はその滑った本人の目で書いている、これが悲劇だ。 後者は客観で、前者は主観である。
あれだけ苦しんだ事も、あとで笑い飛ばした時に気持ちが癒される。 何事も笑い飛ばしてみれば、どうっとことはない。 「早く忘れたい嫌な事は、笑い飛ばしてしまえ!」 というのが肯ける。
「喜劇と悲劇は紙一重」とは、視点を主観から客観に少し変えてしまう事だ。 「人を笑う前に自分を笑え」ともいえる。 特に日本人は「恥じの文化」ともいわれるように、他人に笑われる事を嫌う。 それだけ自立していないのと、多神教のせいもある。
逆に他人を笑っている自分は何だろう? 自嘲か軽蔑か、それとも同化か? あまり他人を笑わないほうがいい!その他人に対する同化になってる状態だ。
考えてみたら、この二律背反だからこそ生きられるのだろう。
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2002年04月11日(木)
ーこれは面白い問いかけだ。 経験を積むにしたがい、必ず失敗の経験を重ねていく。 そしてその失敗の経験が、マイナス思考を生み出す。 あれも駄目、これも駄目、全て駄目、一番悪いのはそういっている俺!
ある???会に行くと、マイナス思考の愛好会そのもの! どうしたらあのような考え方が出来るかと不思議なくらいだ。 現実に溺れて(下と横だけを見て)???
子狐がいるせいもあるが。 この子狐不景気になってきたら急に元気になった。 周りが自分並に見えてきたためか。 ーマイナスに対するマイナスは拙いか?
いま一つがマスコミの毎日流される、事件の報道である。 事件はほとんどがマイナスの出来事である。 犬が人を噛んでも事件にならないが、人が犬を噛むと事件になる。 それは別にマイナスの事でないが、幸福な家庭からは事件は起きない。 それはニュースにならない。
めったに起きないマイナスを報道するのがニュースである。 それをまともに脳に流し込んでいるから、 いつの間にか頭はマイナスに侵されてしまう。 それに気づかないから、どんどんマイナス思考に落ちてしまう。
「あまり人を恨むな、恨んでいると知らないうちに主語が消えてしまう。 主語が消えた後、他の人達に主語が転化してしまう。」 という話を聞いた事がある。 「あまり恵まれてない状態の人や人生の人に近づくな!」というが、 この年になると実感する。
といってマイナス思考も必要である。 ただ冷静に見据えておかなくてはならない。
人は他人の不幸をどういうわけか好むという。 江戸時代の盲人が、それを看破していた。 目が見えない分だけ、人の気持ちが良くわかるという。 不幸の話をしている人の声が弾んであるという。 幸福の人の話をしている時は沈んでいるという。 他人の不幸を悲しみ、幸福を喜ぶことは意識して訓練しなくては出来ない。
いやその前に自分が幸せと芯から思えなくてはならない。 まずは考え考え考え抜いて、自分が幸せと気づかなくては。 それがプラス思考の第一歩。
以前にも書いたが、家内が「自分の友達の大部分が自分不幸と思っている。」 と驚いていた。「どうみても幸せの筈なのに、どうして?」 これなど、典型的なマスコミとか、周囲のマイナス思考に対する浄化装置を 身に付けてない典型の例だ。
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2002年04月10日(水)
不安解消法
学生時代読んだ本だが、 カーネギーの「道は開ける」に書いてあった方法である。 記憶なので何処まで内容が正確か定かでないが書いてみる。
ある不安があったとすると、 1、まずその不安な気持ちの対象を書き出す。 2、その不安のさらなる最悪の出来事を想定して書いてみる。 3、その解決方法を幾つか書き出してみる。 4、それが本当に起きるだろうかと、今一度自問してみる。 5、そのプロセスで不安感は消滅してしまう。
という内容だったように記憶している。 これを実行していく中で、不安症の性格がかなり修正された。
「まあその時はその時さ!」「何とかなるさ」 「考えても仕方ない事は、考えても仕方ないさ」が口癖になった。 不安を感じた時、それを直視すればそれは不安でなくなる。 それに対する方策を考えれば、それが不安そのものを解消する。 不安そのものが、手順を考えるプラス要素に逆転する。
実際にケニヤにはじめて行った時の不安は、想像以上であった。 添乗経験10年の女添乗員と家内がヒソヒソと不安そうに ロンドンへの機内で話していた。 「ロンドンで降りようか」と。
実際タンザ二アやインドに行った時も「不安というプレッシャー」 が襲ってきたが、実際はその数百分の一でしかなかった。
その時時に、その不安を具体的に考え、その対処を具体的に考えていくしかない。 事業も然りであった。具体的に具体的に考えるしかない。 そして具体的に一つずつ解決していくしかない。
「それで済むような生易しい問題は、本当の不安でない」 という言葉が聞こえそうだが。
「直視できない問題だから大変なんだ、不安なんだ」 それももっともだが。
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2002年04月09日(火)
いつもこの時期、福島江と悠久山の花見に行く。 といって朝の散歩で行くのだが。 今年の桜は当たり年のようだ。
「散る桜、残る桜も散る桜」 毎年このことをおもいしらされる。 人間の人生の短さに例えて言っているのだ。 所詮自分の死もいずれ近くやってくる事を言っている。
京都の桜も素晴らしい。 それぞれの地区で素晴らしい桜の名所がある。 この時期の名物の一つである。
7年前私の従兄弟が桜の散際に自死をした。 桜が好きで毎年写真を撮っていたという。
なくなった後で、その時の写真を見せてもらった。 なくなった通夜の納棺の時、突風が吹いた。 納棺の桜吹雪である。背筋がこうりつく思いであった。 こういう事が実際あるのだ。 桜は人間の人生を見せてくれる。 その年も桜の当たり年だった。
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2002年04月08日(月)
散歩のときはウオーカーに、旅行の時はツーリストに、 会社に行けば会社の立場に、家に帰れば父親になりきる。 そしてなりきった立場で色々な自分を見てみる。
散歩の時、会社のことを考えたりして景色が見えなかったりする。 海外旅行でのケース。 今まで会社の役員をしていた人が、その役員の状態で来ていた。 奥さんがその人を、社会へのリハビリでこの旅行にきたといっていた。 かたっぱなしに同行者を皮肉っていた。 上から見下ろしている視線を引きずってきていたのである。
考えてみたら、なりきってない方が多いのではないだろか。 学生時代に学生になりきっていなかった自分。 必至で働いていたあの時期、その時はなりきっていた。 実際なりきれないで、失敗を重ねていくのが人生かもしれない。
同級会などで久々に会うと、時間を超え昔の自分にいつの間になっている。 花が「今花やってんねん」と主張していると、考え見ている自分。 その時は見ている人になりきっている?いやなりきってないか? 名優は端役をやっても光ると云うが、名優の名優たる所以はなりきることだ。
ところで自分は今、書き手になりきっているだろうか?
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2002年04月07日(日)
植民地経営
西アフリカに行った時聞いた話しである。 方法として次の3つである。
1、直接統治 2、間接統治でそこの王族と手を組み統治 3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治
大体がこの3つである。 まずはフレンドリーに入って行き、徐々に統治していく。
その前にキリスト教の宣教者を派遣して、内側から攻めていくのが常套手段だ。 秀吉がそれに気づき、キリスト教禁止令を出したのは賢明だった。
戦後の日本も戦犯の天皇や官僚をそのまま温存させたのも、 王族の間接統治を狙った為だ。 今の日本は王族を飾り物に、戦後から続く官僚の支配がそのまま続いている。 そして悲しい事に、間接統治をされていることに全員満足している。
この不況は「1986年のアメリカのバブル押し付け政策」の結果である。 そして、直接支配に今露骨に入ってきたのは周知の事実だ。
今回の9・11テロは、 この間接支配の露骨のアメリカ世界戦略に対するテロである。
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