堀井On-Line



288、捨てる技術

2002年01月02日(水)


捨てる技術という本が数年前、ベストセラーになった。
それに対し、立花隆が全く正反対の立場であった。

その本を読み数年前、思い切って本を八割かた捨ててしまった。
そして後で後悔した、といってさっぱりしたことも事実だ。
矛盾が残った。

先日図書館で野口悠紀雄の「超」整理法3を借りてきて読み、感じるところがあった。
パソコンの「ゴミ箱」の考え方である。−とりあえず捨てるのである。
後で拾いなおすことができる。

「バッファー」という概念である。ショックを吸収するための緩衝器である。
「廃棄バッファー」が重要だという。

ベストセラーの「捨てる技術」と立花隆の反論の中間の?方法である。
具体てきにいうと「多分必要でない書類を」収容する封筒をまず作ること、
次にそれを収容する箱を作ることである。要するに「保存ごみ」である。
保存することによって捨てることができる。

捨ててしまった中に宝があったのに?といつも疑念が残っている。
分ければ、資源になるのに?とかも。

「到知」という雑誌を捨てようかどうかかどうか迷っていたが、そうだ自宅の
倉庫に整理しておいて置けばいい!とか、新しい考えが出てきた。

新聞の切り抜きもしかり、「随想日記の保存分類ごとに封筒を作り」
放り込んでおけばいい。

ホームページを立ち上げ、運営してきづいたことは、
ホームページの本質は、ストックでなくフローであるということだ。
それがそのままストックになっていく楽しみだ。
捨てる技術がそのままシステムでできることだ。


287、リセットの年

2002年01月01日(火)

今年のキーワードは「リセット」と,年末に挨拶に行った銀行支店長が言っていた。実際のところそのとうりである。

21世紀的なものへの、変わるべきところへのリセットである。
自分自身に対しても同じことが言える。世界、日本にとって政治経済で
白紙からの出発の年といっていいだろう。その背後は
情報革命の本格的影響が本流になってきたためだ。

何を変え、何を更に充実すべきかよーく見きわめなくてはならない。
ここで一歩間違うと、とんでもない事態に陥ってしまう瀬戸際の年である。

まず変わらなくてならないのは、自分の脳からであろう。
どう変わらなければならないか、新年じっくり考えてみる。
やはり個人はホームページの充実、会社も社内ネット化とホームページの充実である。

あとは今の事業の棚卸である。


286、良質の人材とは-

2001年12月31日(月)

「ビージョナル・カンパニー」という本を知人に紹介され、
その後その人と酒を飲んだ。ある目的のために人材を集めるのでなく、
まずよい人材を集め、それから何をやるか決める、という逆の見方である。
考えてみればその方が正論である。

ある人材が何人か出会い、さて何をやるかを考えそれをやり遂げていく。
その上で明確な目標をきめていく方が筋が通っている。

酒を飲みながら、それではよい人材とはどういう才能をいうのだろうか?
という話の内容になった。酔っ払いが話しているのだから、
いい加減の内容であったが、それでも結構真実をついていた。

「自分で問題を見つけ、それを解決する手順を考え、
着実に実行やり遂げる能力である。」それがその時の結論であった。

そう考えると、私も悪い人材ではないと少し安心した。
そういう目で周辺を見渡すと、なるほどと思う。両親、兄、姉、義兄も元上司、友人を見渡せた。
大学時代のあの男、高校のあの男、なるほどと思った。

その視点で見たとき、よい人材といえる人はごく僅かである。
その点で誰もが安心してよいのではないか。

その時、その知人が言うに、「ビジョンとは、夜旅をしている人が星を目安にして、自分の位置を確認する。その人の一つの星がビジョンでないか。
それを時々確認しながら一山二山乗り越えていくことではないか」
なるほどといやに合点した。

日本的に言えば「志を持つ」ということか。
来年は自分の若いときの志はなんであったかを、早々考え直してみよう。


285、フィジィ‐について

2001年12月30日(日)

地理的にみるとオーストラリアとハワイの中間点、
日本より飛行機で7^8時間位か。もう9年なる。

この世のパラダイスという言葉が似合う小国である。
ハワイの観光化する以前の、何ともいえないのどかさを残している国である。

人がいい!、フィジアンといって無垢な温かい素朴な人なつこい国民性。
世界にまだこのような世界が存在していたとは!
NHKでも‘フィジーの特集’をしていた。

一度行けばその魅力にとりつかれるはずである。
今でも映画館が男女別席である。小さい島国なのにまたその周辺に、
多くのミニの島よりなりったている。
島そのものがホテルになっているところもある。

他の南国はハワイとニュージーランドしか行ってないので、
他と比べる事はできないが、華やかな観光がない分、
海と空の素晴らしさを満喫できたのかもしれない。

そこで行ったカーマ島がよかった。小さな島で一周一時間ぐらい、1人で
海岸を一周してきた。おとぎの国に迷い込んだようであった。

たまたまその日が日曜日。住民はホテルの従業員とその家族が、
小さな教会でお祈りをしていたのが印象的であった。

会社の社員旅行で行ったが、そのうちの1人が新婚旅行で行ったと聞いた。
そしてあらためてその素晴らしさを知ったと風のたよりで聞いた。
南洋の楽園とはよく言ったものである。

もし海の綺麗な、静かな天国のような島に行ってみたいなら
フィジーがいい。


284、[大倒産時代]

2001年12月29日(土)

大倒産時代
今年四月に出版された、帝国バンクの情報部長の「大倒産」
を図書館から借りてきて読んでみて、その深刻さに改めて驚いた。

そのサブ表題が、今年から来年にかけて、過去最大の倒産ラッシュに
襲われるという。今年はこの表題ほどでなかった?から来年がそのしわ寄せ
が大きくなるのではと不安になってきた。100万社の倒産予備軍控えているという。

今年2万社が倒産しているが、その予備軍の二割から三割が、
この数年で倒産するとしたら、一年で5万社あたりになる。
考えただけで背筋が寒くなる。

データーから読むとそう考えざるを得ないという。まずは来年4月のペイオフの第一弾、そしてその翌年四月の第二段と控えている。

今もそれに近いが、倒産が日常茶飯事になりつつある。
身近にマイカルが、新潟鉄工が、新潟中央銀行が倒産したが、それが日常になり驚かない時代に入ってきた。

それが飛び火して身近の火事にならないという保障がない時代である。
誰もが未体験ゾーンに入ってしまった感が出てきた。
とくに今まで溜まっていた膿が来年一挙に出ようとしている。

この本によると、「放漫経営による倒産」は死語に成ってしまったという。
「不況倒産」がほとんどという。この波は新構造不況業種を洗い、名門・
老舗企業を飲みこんでいく。発火点は地方都市より始まり、大都会へと荒れ狂うという。

その典型が長岡市であり、新潟市に思えて仕方がない。
公共工事が多く占めている新潟県は直撃そのものである。

その中で経営者はケチ、ガンコ、ムクチが必要要素とか。
それにしてもそこまできたか!というのが実感である。


283、創業の頃ー2

2001年12月28日(金)

中途採用は‘男で、一ヶ所でオぺレーションを4〜5年以上やってきた
キャリア’以外は入れない。
間違えて入れたらトンデモナイ苦労を背負い込むからだ。

ある日のこと,ライバルになる会社の事務の責任者と名乗る女性から電話が入った。

「会いたいといい、どうしても面接をしてくれ」という。
かなり強引の電話内容であった、そうして会った。
「取引先から貴方の事を聞いた、ほれ込んだぜひ自分を使ってほしい」
とのこと。

私もドライだが、こういう小説みたいな内容はまずい位は解かっている。
それより立ち上げの時は、なるべく汚れてない(癖のついてない)
人間を集めないと、空中分解をする可能性を孕む。
当たり前のことだが、人間は過去の経験に縛られて一歩もそれから出れない
性をもつ、更にそれに対し無自覚だ。

その意味で立ち上げ(創業)の一番の要素になる。
もちろんその話は成立しなかった。
次はマネージャーである。初めは潰れたばかりの建築メーカの元課長。
癖がついていてマネジャーに不適任。すぐ話し合い解消、次の人選。

時計やの2代目!これも一週間でヤメ。そうだリクルートしかないと、
東京まで中途採用の関連会社に出向いて、広告と面接!そして応募してきた今の支配人と出会う。


282、同姓同名

2001年12月27日(木)

東京でも、地方でもいつも同姓同名を電話帳で探していた。
必ずいるはずだと。山田太郎とか、小林恵子とか言う名前の人は
何回もそのことに慣れていたと思うが、一回もあったことがないのも気になる。

そしてインターネットの検索で見つけた。岐阜の駅周辺の呉服屋の主人だった。ー商工会議所の名簿に出ていた。
それを知った時妙な気分であった。周辺にいたらあまりいい気分でないだろう。

初めて見つけたことと、同姓という因縁である。手紙でも書こうと思ったが、
それはおかしいと思い止めた。

その話をある知人に話したら、それでは「自分の名をインターネットの検索に入れてくれ」
とのこと。それではと入れてみた。なんとその5年前の新潟で行われた、
マラソンのシニア部門の記録の名簿が出てきた。本人もびっくりしていた。

堀井は遡ると平家の武将で、源平の合戦で負けた落ち武者だそうだ。
その為か、富山や新潟の上越市周辺にその姓が非常に多い。
第二新館の鉄骨工事が富山の業者であった。その社長の名が堀井だった。
鉄骨検査でその工場に行ったとき、私の想像どうりヒタイの広い自分にそっくりな男だった。


281、夢日記ー12

2001年12月26日(水)


夢で景色のあまりの美しさに、よーく見ようとした瞬間消えてしまう。
誰も経験があると思う。

変わった夢にこんな夢がある。夢の中で瞑想をしていると、
自分の体がスーと浮き、部屋の天井の近くに漂っている。
さらに庭の辺りまで浮いている。
そして下をみて凄い経験をしている自分が信じられない!
浮遊しながらこういう自分が不思議と思っている夢である。

昨夜の夢は、かなり危ない夢であった。「酔って留置場に一晩泊まってきた」
と家内に起こされ説教されている夢であった。
夢の中だが誰かと飲んで後の記憶は全くないのだ。もちろん留置場など
泊まったことがないが、朝起きて記憶のないとき、そういわれてもしかたがない。
前日「男はつらいよ」のなかでそれに近い場面があったのが、
自分の酔っ払いの失敗と重なって夢になったと思うが。

夢は一日100分見るという。そうすると、一年で一ヶ月ちかく夢の世界にいるという。
一生で五年間以上夢を見ていることになる。そうするとそれを如何考えるかは重要だ。

それを記録して自分の潜在意識を覗き込むと、明せき夢(はっきり覚えている夢)
を見る頻度が多くなる。夢は自分の潜在意識の入り口でもある。

夢日記でよく覚えているのは、その直前に非日常の激しい経験をしたあとの
リアクションである。そう考えると他愛のないものとも思う。むしろ忘れてしまって
いる内容こそ深い自分の意識ではないか。

潜在意識下の戯曲化が夢であろう。

夢日記を書くこと、そしてそれを読み返すことは自分と潜在意識との対話になる。難しく
いえば顕在意識と潜在意識の対話といってよい。


280、喩え話

2001年12月25日(火)

かなりキワドイ難しい内容だ。これほど危ない内容はテーマに出来ない。
何で?あまりに本質的な内容になるからだ。それは能力の限界の
表現になる。浅い知識の底を見せてしまうからである。
といって、今更という気持ちで書いてみよう。

キリストも仏陀も喩え話の名人だったという。

難しい話も喩え話で一瞬に理解でき、かつ理解させる事が可能になる。
本質を心象風景で、いや心象画でー心的視覚化する事だ。

喩えー易しく噛み砕き、かつ事例に置き換えることか。
喩えのほうが本質より,より中心をついている場合が多いのは何故か?

イソップ話の内容はあまり知らないが、「かなり深い喩え話が含まれている」のではないかと想像できる。神話もその国の潜在意識という。

おとぎ話も昔話もそうだという。ジョークもユーモアも、
庶民の笑いに転化した喩え話が多い。

「暗い子狐」など、自身の心象風景そのものだ。ハワイなどでは出てこない
喩え話である。雪国の特化された生き物だからだ。

喩えはその本質の中心をつかまえてないと、転化できない。
逆にそれさえしっかり把握していれば、可能である。自分の心象風景に
置き換える作業である。そして心象風景の中から、その中心をより
把握させる置き換え作業である。

いずれにしても、自分の理解のためにも喩えを使うことも大事である。
鯰とかーとらえどころのないやつ。ムジナー??とか、動物に喩えるのも面白い。
キリストの「右頬を殴られたら、左頬を出せ」など、キリスト教の教えを
喩えで一言で表現している。


279、飲み助考ー隙間風

2001年12月24日(月)

男の楽しみの一つに「ちょっと一杯」がある。

酒を飲みながら‘隙間風’という歌を聴いていて、 
「飲み助の気持ちの本質は隙間風、だから飲みに行くのだ」と感じた。
それだけでないが。
こういう時代だからこそ、この隙間客という言葉がでてきたと思う。

隙間ーこれはどういうことか?ハンドルの遊びか?竹の節か?
「漠然とした心に満たされない何か」というところか。
それを埋めについつい行ってしまう。
特に単身赴任の中年にさしかかった人は、それがないとやっていけないだろ。

学生時代に金がないので寮で月に一回ぐらい、皆で酒を買ってきて飲むのが楽しみでだった。
サッポロジャイアンツやトリスの大瓶、それにスルメ。
酒の美味さを知った最初といっていい。何ともいえない楽しみであった。
知恵で深夜から飲むのだ。そのほうが酔えるからだ。夏4時ぐらいに陽が昇ってくる
くるあたりは陶酔の絶頂になる。若いから出来たのだろう。

人は酒を飲んで大笑いしている時が、一番の幸福の状態だという。
それに知的会話があると、非常にお互いプラスになる。他人の悪口になると、
暗い狐になってしまう。サラリーマン同士のそれは仕方ないか?組織内の軋轢
は厳しいからだ。

私の金沢時代(25-6才)ある意味で一番つらい時期であったが、
片町や武蔵ヶ辻の一杯飲み屋の酒は最高であった。反比例するのだろう。
数百年の歴史のある街、一杯飲み屋にも何ともいえない深みがあった。

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