堀井On-Line



[188] コロー

2001年10月16日(火)


犬ー子供のころのペットは懐かしい。

猫がいて猿がいて、犬のコロがいた。初代コロである。

白と茶と黒の混ざった雑種のムクイヌみたいな犬であった。

一番のおもちゃと同時に友達みたいであった。初めて出会ったころは私の6歳の頃か。

少し頭が悪く、人がいい?ところがあった、当時は放し飼いで、

時たま行方不明になったりした。近くの高砂園というお茶屋の犬がライバルで、

喧嘩ばかりしていた。家族にも従業員にもお客にも、愛されていた。

最後は病気で死んだが、ペットといえば一番印象に残っているのがこのコロである。
次のコロは、長岡駅駅裏に10歳の頃住んでた時、前の家主の飼っていた犬であった。

九州に引っ越した為、そのまま飼っていた。

細い茶色の猟犬のメス犬で、家付きの犬のせいか陰のある犬であった。

猟犬のため鼠をよく獲っていた。この犬はよく子供を産んでいたが、捨てにいった後一晩中

啼いていたのを思い出す。4年後に交通事故で死んだ。

よくしたもので、その直後小さな柴犬が紛れ込んできた。恐らく逃げ出したのだろうが、

愛想ががよくそのまま居つき、10数年後行方不明になった。

学生時代、夏休み等の長期休暇の暇つぶしに、石灯籠に飛び乗る芸当を教え込んだ。

その犬を散歩に連れて行ったら、橋の欄干に自分で飛び乗った。そのまま彼女の芸になった。

結婚後は家内がペットが嫌いで飼ってない。


[187] 強い人

2001年10月15日(月)


私ん周辺に非常に強い人がいる。
何を持って強いのかと難しいことは横において、

そういう人を観察してみると、10歳位までに両親の愛情をたっぷり注がれている。
逆に弱い人はその時期、両親の不和とかで愛情が中途半端な人が多い。

精神の柱が愛情で出来ているのではと思われる。
そういう人は、明るい、暖かい、さっぱりしているが反面,我侭だ。
人生の何かを教えられる。

そこで自身は如何であろうか。
少なくとも10歳までは、多くの人にたっぷりそそがれたことに氣づいた。
両親からはベタベタしたそれでなく、間接的な絹木綿的な感覚の愛情であったようだ。
やはり直接しっかりとじかに愛情を受けた人は違う。

愛情のなかで親の愛情ほど、強いものはない。一番の自我愛だからだろう。
だからその子は我侭になってしまうのだろう。

子供にとって両親の不和ほど不幸の事はない。

子供に対しては絶対愛と夫婦愛の両輪が必要という事か。


[186] 野村と円楽

2001年10月14日(日)


10年前の話になるが、新潟の大蔵ホテルで野村と円楽の講演会があった。

メインが円楽で前座が野村であった。もちろん私も円楽がまず面白そうで、

野村もまあ面白いのではと期待していった。

野村が出てきた、そして黙って会場を見渡し、ニヤッと笑い、

「大部分は女性ですね、私の話なぞ如何でも言いと思っているんしょう。

円楽の刺身のツマぐらいと思ってるのでしょう」実際そうでだったから、

ザワツイテイタ会場はシーンとなってしまった。その瞬間に野村のペースに

聞き手をのせてしまった。

ー要点はー
・自分は投手の練習用のキャチャー「壁」として採用され

・数年後解雇を言い渡された・丁度その時父親が癌になっていた

・直接上司と掛け合い絶対に辞めないと粘りかろうじて首を免れた

・そのぎりぎりのところでどうしたら一流になれるか考えた

・一流の選手は持って生まれた天性ある、努力だけでは埋めがたい差がある

・そこでぎりぎりのところで、どうしたら一流になるための方法を考えたー頭を使ったー

等々、底から這い上がってきただけに、一言一言が経験にうらずいているためか説得力があった。

また彼も浪人の真っ最中の状態で、話に力が入っていた。

今までにー王、広岡、森と講演を聞いたが、野村だけは底から這い上げって来たためか、
ずば抜けた内容があった。

その日の円楽の話も力が入っていたが、所詮噺家の内容はしれたもの、
しらけた会場の空気が漂っていた 。

さすがキャチャー、瞬間その場を雰囲気をとらえ、自分のペースに捉える術。今でもありありと

憶えている。

9人の選手のうち、一人だけ逆方向を見ているのだから。



[184] 基本

2001年10月13日(土)


この20数年春になると、ほぼ毎年のように新入社員の入社前教育をしている。

以前はまる三日、最近はまる一日になった。

真っ白な若い人に教育する楽しみも以前ほど無くなってきた。

結局家庭のやるべき躾や言葉使いを、基本から教え直すことから始めなくてはならない。

本当にどうなっているのかと、開いた口がふさがらない事が多いが、
もうなんとも思わなくなった。

対話形式で基本的な会話・対話の仕方から教えていく!
それはここではどうでもよい話だが、教えるべき要点は

1、本を読むこと
2、日記を書くこと
3、相手の話をきっちり聞き取る事
4、自分の言うべきことを明確にする事
5、メモをとること
6、給料を貰う立場になった事(買い手から売り手の立場の逆転)
7、同質社会ー学校から異質社会に変わった事
8、その会社の制服を着たと同時に、個人はその制服の配役になってしまう事
  等々おしえる。

  しかし一番勉強になるのが、自分自身である。
 毎年春先にこれを真っ白な新卒に教えていると、自分自身にそのまま教える事になるからだ。
 全てが大事な事だ。

読書にしろ日記にしろ今でも続けているのは、これを毎年反駁しているからだ。
本当にこれをきっちりやっている人間の少ない事は、今更言うまでも無い。
それでもこのレベルの文章しかかけないのだから、別に如何という事がないのか。


[181] テロの影響

2001年10月11日(木)


昨日、月刊誌の「現代」と「文芸春秋」を買ってきて、テロの特集を読んだ。

そして今までのの週刊誌と新聞の切り抜きに目を通して、改めて戦慄をおぼえた。

‘日本は恐慌、世界は?必至の状態’は間違いないようだ!

やはり初め直感したとおり、9月11日以前と以後といえる位の段差のある出来事だ。

その重大さが日ごと増していくことを私のみならず感じているはずだ。

成田空港はガラガラ、昨日TVで相撲の元横綱の曙がハワイの観光地の宣伝をしていた。

40パーセントの客が減ったそうだ。実際そんなものですんでないと思われる。

実際古町にしても駅前の飲食店も、20〜30パーセントの売り上げが減るだろう。

そうでもなくても死に掛けているのだから、本当に死活問題であろう。

10日まえに古町にいったとき、ほぼ毎日お茶引き(客が一人も来ないこと)で、

廃業直前とある店のママが言っていた。

当ホテルの第二が飲食客の流れの宿泊が多いが、端的にその減少が見えてきた。

新幹線に警官の姿は年に2〜3日しか見なかったのが、数人車内の中を覗き見ている。

それにしても、あの国会議員の質疑内容のひどい事!日本が6000人殺されても、

黙っていろというのか。国連に提訴して、その判断に従えというのか!アメリカが

その相手を探し出し殺してくれるというのか?

あれが国会で議論されているー実際馬鹿馬鹿しく見てないが見なくとも解る!

国の態をなしてない!どうしてこうなったのだろう?

アメリカの隷属国家に安住しているためだろう。自民党と社会党(社民党)の  

今の姿がそのまま現状を表している。

文芸春秋は内容があった。  現代はひどい。


[179] 創造について-1

2001年10月09日(火)


創造とは‘カタチ’ にすることである。

言葉を‘か’と‘かた’と‘かたち’にわけて考えると

‘カ’ は ー神のカー神示ー 発想ーアイデアーインスピレーションであり

‘カタ’は  −型,形ー  枠組みにする、 システムを作るということになる。
  ( アイデアの実現の計画化ともいえる) 田は字のとうり枠組みであり、
       ‘かとた’をつけて形になる。

‘カタチ’ −カタに血(エネルギー)をいれ、カタチにする。

創造について、システム工学の城功氏の本に書いてあった内容であった。

なるほどと唸ったものである。

これはアイデアが出た後、これを実現化していく内容を簡便に分解したもので、
非常にわかりやすい内容であった。

カレーライスを例に取ると、急にカレーが食べたくなったとする。

これがカである。冷蔵庫の材料を頭に浮かべ、スーパーにいって足りない食材を買い、

仕込む、これが形作りである。そして煮込むこれが血である。

これが国作りでも、会社でも、ビルでもみな一緒である。

かー>かたー>かたちー>これを知らないうちに何らかの形でしている。

もちろんこの文章も、そうである。まずはテーマ次に枠組みを考え、時間をかけて修正、

そして一挙に書き上げである。


[178] 忘れられない店ー4(金沢)

2001年10月08日(月)


ー平家ー鉄板焼き

金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。

4〜5年前に行った時まだっその店があったが、しかし個性的な親父は死んでしまっていた。

その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。

落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。

今でもちょっとないかわった店だ。食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りでツマミにでる。

大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。その為店が油でギトギトで真っ黒で、
またそれがいい。

親父が遊び人風の個性の塊のような親父で、その話を聞いているだけでよかった。

当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、必ず大喧嘩を

するのが名物で、皆それが始まるのを待っている節があった。

「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人まで出る始末。そしてすざましい喧嘩である。

たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。

何回も家に電話しているのだ。たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で大あてをして

連れていってもらったのだが、「お前の人生は今日で終わりだ、大穴を当てた味を知ってしまった
のだからだ!」と先輩に説教が始まった。それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。

ーーーーーーーーーーーーー
NEC本社ビル屋上の生映像が見れるサイト。
http://livecast01.ias.biglobe.ne.jp/nec-sea/ibs.htm


[177] 世間様ー2

2001年10月07日(日)


あまりに程度の低い言葉なので書きたくないが、最も実感している言葉として、

その言葉を多用している‘痴呆症(病)の無恥蒙昧’(自身も含め)に捧げるためにかく。

しかしこの言葉の被害者になったり、加害者になったりしているからことは重大だ!

それこそ「みな皆いっている」

これが‘世間というやつ’の正体の、いや現象の表皮の世界の(俗に言う世間の)

テクニックとして通用しているからことは重大だ。

ある話を聞いてこれは面白い!利用してやろうという時、

「皆言っている!」と知的レベル低い人間を探していう。

あるいは相手を混乱させる目的に言う。

それでは「皆言っている」にどのようなが含まれているか?

1、誰も言わなくとも自分の主張強調するために使う。

2、一人に聞いたとき、誰かに話を強調するために使う。

3、噂の場合につかう。

4、聞くほうは実際どうか解らないが、それをまた人に使うに都合よい。

5、相手を実際やりこめる場合の言葉のテクニックとして有効。
  (俗物の塊のような男に何回もいはれた)
6、皆ーとは何?程度の低い底レベルの戯言そのもの。そのレベルの人種の呼び名。

くだらないことを書いているが、でもこういう世界が世間という事か?

[180] 創造ー2 (心観学術態)
会社を作るときまずは1、理念、そして2、何をやるか3、何をモデルとするか

4、どうしてそのモデルをカタチ化していくか、の手順を踏む。

別の例をとれば医者の例がある。

医者に子供の頃助けてもらって、自分も医者になりたいと誓いを立てるーこれが心、

そしてその為に良い進学校に入らなくてはと考えるーこれが視点・観点である。
そして勉強をするーこれが学である。

そのうち成績もトップクラスのノウハウを身につけ、そして医者の卵インターになり、
学び続け医者の技術を身につけるーこれがーこれが術である。

そして医者になるこれが態である。

心ー目的、中心点、目指すところ。
(芯・真・親・信・神・心・新・信・深・針・深

観ー観点、視点
  (感・観・勘・感・歓・完・歓・幹・肝・幹・

学ーその視点から学ぶ
  (楽・学・愕

術ー学んだ結果身につく、熟練する
  (術

態ーそれがカタチとしてみえている
  (態・体・諦
  −−−
心観学術態は、カタチ作りのシステムそのものといってよい。

  心ー会社の理念、個人の信念、国の国是−ー芯というところか!

  観ー心からの視点、見方といってよい(ある商社の部長が部下の女社員に手をだして
    妊娠させてしまった。帰りのの電車から、20数件の産婦人科のネオンが見えたという)
    たとえが悪いが、解りやすい!
  学ー観からの情報収集とか、経験から学ぶ。

  術ー学からくる、体質化、業態化、熟練化

 逆もある。業態−現象から学・観・心を観ていく




[176] [自己能力の限界の設定]

2001年10月06日(土)


この言葉は30年前になるが金沢にいた会社の浅野という人事部長の言葉だった。

何か強烈なインパクトのある言葉だった。

‘自己能力の限界点’から自分の足すべき能力をプラスしていく事と解釈した。

10数年前の講演会でヤクルトの野村監督が(彼の浪人時代)全く同じことを言っていた。

「自分は三流選手、一流になるために何をプラスすべきかを、
ぎりぎりのところで考え実行してた」

要するに三流をわきまえたため、戦略戦術をたてることが出来た。

それゆえに一流の成績を残す事ができた。

戦術戦略を立てるときに、自己把握なしにたてることは自殺行為でかつ空論でしかない。

自己能力の棚卸という事だろう。

自己能力の限界の設定は逆の面でも言える。勝手にマイナスに設定して、

それを理由に何もしないで留まってしまう事だ。



[175] 忘れられない店ー3

2001年10月05日(金)



2001/10/05 11:25 NoName


衣料のデスカウント店で、産地直結の仕入れで大量仕入れ大量販売のはしりで、
全国的に有名な店であった。
大阪、岐阜、岡山、広島の産地に直接仕入れをしていた。
また大手商社からも直接仕入れをしていた。

全国的に超繁盛店で有名にもなっていた。
20年間位は店にはお客が殺到していた。

大家族のため両親からの干渉は一切なく、放任そのものであった。
各自が自分ひとり生きていくのが精一杯の状態であ。
−当時は商売をしているところは、大方そうでなかったかと思われる。

そのプロセスで大光無尽の駒形重吉とかいう男の‘金貸し’の勃興とか、
三条の香具師か露天商の渡辺とかいう人の興こした‘丸大’とか、
十日町の衣料品店の市村とか言う人の興した‘イチムラ’とか、
‘内山商店’とか、大手通りを見ているだけで激しい流れがあった。

私の実家は(特に父は)戦前、津上製作所の津上退助とか、互尊翁といわれた野本某とか、
山本五十六とかに可愛がられ、茶人としてもかなりのレベルの人であったようだ。

怪しげな金貸しの駒形某など馬鹿にしきっていた。反面羨ましそうの面もあったが。
そういえばこの本家すじの山形の元家老の事業家が、私のところに来たことがあった。

10歳までの10年間は遠い彼方の異次元の世界に思える。

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今回旅行はベトナム
  (11月8日〜14日ー7日間)に決定!
                ー近畿ツーリストー16.8万ー

ガラパゴスかマダガスカル島かベトナムか迷っていた次回旅行が
ベトナムに決定。このニューヨークのテロで本命のマダガスカルが成立せず、
ガラパゴスもどうも出発も怪しげで、今回は自粛も含めてベトナムに決定した。
旅行仲間からベトナムのよさは聞いていて、この2〜3年先の計画に入れていた。

あまり今回のテロの影響の少ないベトナムが手ごろと判断した。
行くなら今のうちがベトナムの合言葉になっていた。

あと10年も経てば今のタイや中国みたいに、西洋社会に染められるからである。

今年はメキシコとロシヤ・北欧と今回のべとなむと刺激の少ないところだった。

来年は西アフリカ、ガラパゴス、スイスアルプスの予定だ、いければの話だが。
何があっても行くのが趣味の世界だ。

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