堀井On-Line



[172] このテーマ日記について

2001年10月04日(木)


新たに考えた事より、殆どが一度日記帳などに書いた事があるものだ。

それをむしろ再度まとめ直しているといってよい。

具体的文章と抽象的文章とその中間の文章の3つを意識して書いた。

かなり刺激的な文章もある。これも迷ったが思い切って載せた。

ある意味でこの随想日記と事業百訓などの20年の文章は私の潜在意識かもしれない。

潜在意識の顕在化のプロセスを毎日実施していることになる。

自分でもよくテーマが出てくると感心する。一週に一回ぐらいの割りに全く何を書いていいか

解らなくなることがあるが、しかしいつの間にかテーマが出てくる。

もう一つは‘しかかり文章’を先に2〜3作っておく。

そうしておくと気持ちが楽である。

また仕掛かりとしての文章は余裕を持って気楽に書ける。

土日曜日に3〜4つまとめて、仕掛かりの文を書き溜める習慣もポイントのようだ。

なんか今までの宿便を出しているようでもあり、すっきりする。

どろどろした経験でたまった原始言語の概念化か。


[170] 忘れられないお店ー2

2001年10月03日(水)


その店(池津屋)で10年生活した事になる。すざましい日々だっだと思う。

その後長岡駅裏の台町の今の‘父ちゃんラーメン’のところに、

高校を卒業するまでの8年住むことになるが。

衣料のデスカウントハウスのはしりで、全国的にも有名な店であった。

‘1Fが店’‘2Fが荷捌きと倉庫と事務所’‘3Fが住居’‘4Fが直しと女子寮’

になっており、全宇宙が圧縮されているようであった。

ネコのタマとサルのタローと犬のコロが同居していた。そのビルと大手通りが私の遊び場であった。

かなりマセタ餓鬼だったと思うが、誰にもかなり可愛がってもらった。

特に綺麗な女社員が入ってくると、ぴったしくっついていた。

競合店が出来ると子供心に心配で一人偵察に行った。

また毎日の売り上げが気になり、必ずレジを覗いていた。

両親が従業員の評価をしていると聞き耳を立てて聞いていた。

倒産夜逃げはごく当たり前の日常の話題であった。今でも年に2〜3回はその頃の夢をみる。

でもクリスマスといえば皆でツリーを作ったり、正月は家族と従業員全員集まりご馳走を食べたり

して年越しをしていた。        − つづく


[168] 忘れられないあのお店−1

2001年10月02日(火)


このキーワードを聞いただけでも、ある年齢を超えた人なら深い思いに駆られるはずだ。

初めてのデ-トで入った店とか、初めて勤めた時の近くのお店とか。

これをキーワードに過去をさかのぼると、無限に近い記憶が戻ってくるはずだ。

考えていたら予想を超えて、全く違う思いが底より湧き出してきた。

それが意外と?長岡の大手通りの‘生家の池津屋’という店だ。

要するに幼児体験の自身のアイデンデテーに立ち返るということだった。

私の3歳の時に両親が計画、仮店輔のため木造の家を今の厚生会館(前は公会堂)の前に引越した。

下に丸たんぼうを入れて移動したのだ。個人の申請として全国で初めてのビル建設の始まりという。

昭和24〜25年、その時のことをありありと覚えている。

そしてビルの完成、そして引越し、仮ネグラの二階の奥の場所。

今の緊張感の数倍あった、ということは当時の方が圧縮されていたという事か。

あの白壁の匂い!そして三階に引越し。四階に従業員のねぐらと倉庫。

子供ながら色いろあった。それが(トップページの倉蔵の写真)の中にある。

今から考えてみれば異常体験だった。

でも刺激的で悲しくもあり、楽しい毎日であった。

10人の家族と10人以上の従業員の戦場のような毎日!

軽く面白い小説になるような日々であった。

                −つづくー


[167] 読書について

2001年10月01日(月)


読書ー書物はすべての人の学校である、いや大学といっていい。

どこの学校に入ったとしても学べる事はしれている。学校を出てから学び続けるしかない。
本を読み続けるしかない。

大学を出ているかは関係ない、生涯本という大学・専門学校に通い続けなくてはならない。

もちろんセミナーや新聞やTVや、実際の仕事の上で学ぶべることが多い。

しかし読書という分母の上でそれらをやると効率が違う。

初対面の人でも書物の大学にどの程度通い詰めたかどうか直ぐわかる。
私もわかられているだろう。

本は安い500円から2000円であれだけの情報・知識を買えるのだから。

もし高いというなら、古本屋かブックオフで買えばよい。

それでも高いというなら、図書館がある。

主知主義ではないが人間として生まれてきたからには、知る事が最も優先されるべき権利であり

義務でもある。知れば知るほど知らない事が増えてくる。知っただけその周囲の未知の部分が
増えるからだ。


166] 映画

2001年09月30日(日)


昨日‘千と千しろの神隠し’を見に行ってきた。

何故いい年をしてアニメ映画?
動機は簡単TVで1700万人以上が、この二〜三ヶ月で見たといっていたからである。

なるほど面白い!三条まで行く価値があるかはさておいて、
広い範囲の客層が楽しめる内容であった。

軽くみれば軽くみれるし、深くみれば深くみれる内容であった。スターウオーズは
神話が背後にあるし西部劇もそうだ。

神話は[ある主人公が遠い旅をして、その先で大きい経験をして帰還する]のが骨子だ。
桃太郎、一寸法師もしかり、ギリシャ神話も全てそうだ。

このアニメの大筋はヒロインの少女と両親が道に迷い、魔界に迷い込んでしまう。
そこでいろいろな経験をして、最後に両親を助けだし目出度しのストリー。

ーーーー
ところで話が全く違うが、マイカルに帰りに入ったがみごと倒産直後の店であった。
食品売り場で生鮮売り場が閉鎖されていた。この映画を見て、マイカルを覗き、ジャスコを覗き
帰ってくるには丁度いい。


[165] 創業の思い出-20年になるが

2001年09月29日(土)



ホテルの社長と称する連中が押しかけてきた。

現N・S社長、G.Hの息子?(現社長?)、現D・Hの社長、
w・Hの息子だそうだ。ーどうであれ社長は社長だー名前は!−私もか。

あいた口が閉じなかった。何だコリャ!土人か。アフリカの槍を持った???。
これは成功だ!と心のなかで直感した。それより面白かった。

曰く「値段を垂れ幕に出すとはけしからん!顔をただ見たいから来た、
値段を表示するのは可笑しい」
私曰く「これだけの尊敬すべき先輩がこう言っているなら言うことを聞きましょう。
その皆さんがこうして団体で来るのはどいう訳ですか」

自分たちは疾しい事をしている負い目が、彼らにあった。

おどおどしていた。そこだけはしっかり見ていた。

次の日に垂れ幕を下ろした、そんなことどうしたことはなかった。

一人の強さとはこういうものか、反面闘いのない世界とはこういうものかと。
こんな程度か!地方は面白い!小手先の世界だと。
馬鹿にされたのも、気きずいて?なかったみたいだ。

この連中のビジネスホテル協会とか。価格協定談合組合ということらしい。
いまでも残骸として残っているという。長野はその5年後実質解散したという。

5歳の頃、両親から全く同じ話を聞いていた。あの連中のあの感覚を!

新?ビル管理?の馬鹿専務が、気の遠くなるような漫談を言っていた。

内容は可哀想で言えない。それぞれの視点がある。とりあえず楽だった。
繊維の世界との差がありすぎた。


[164] 目的と手段

2001年09月28日(金)


目的の達成の為の手段’がときとして逆転してしまうから面白い。

‘手段の目的化’に転化してしまう。旅館やホテルの二代目にそういうのが多い。

営業の為のゴルフを始めたのが、いつの間にかゴルフが目的になり、

営業が反対に手段になってしまう。

何処でもある話と同時に,自身にも過去に数え切れないほど経験がある。

手段を楽しむ事は大事な事だ、そうでなくては目的は果たせないといっていい。

といって目的を忘れて手段に没頭してしまうのが、人間の人間たるゆえんである。

以前‘ダンスと歩行’という文章を書いたが(後記)まさしくその喩えがピッタシである。

目的は達成したと同時に次の目的の手段になる。

ドアについたら次の部屋のドアへの出発点になる。

至近の例で旅館の二代目が商工会議所の部会の長に選ばれ、

イベントにウツツをぬかし廃業に追いこまれた例。

どこかの街のことだが、やはり二代目が青年会議所理事長になり‘街の活性化’

とかを政治家やゼネコンに煽てあげられ、真にうけて社長業を放棄・・・・・、

いまや????とか。まあこれだから娑婆は面白い。

目的が何かも解ってないから、手段が出てこないのか。そう考えれば彼にとって

逆転も何もないのか!そのあたりが本当のところか?


ーー他人のことをいえた事か!どこかの馬鹿(私のこと)、

自画自賛のホームページにウツツをぬかし、つまらん事を飽きもせず毎日書いて。

馬鹿の脳内をさらけ出し恥さらして!−カミサンには冷笑され・・・・。ーー

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H0609歩行とダンス

 丸山圭三郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が面白かった。

“ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段である。ダンスはドアに向かわないし

、その行為そのものが目的である。

それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか!?ありうる!”という。

非常に含蓄のある面白い内容である。人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容である。

今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、“よしこの仕事とチーク・ダンスをして、

ドアまでいってやれ”と一人笑った。

大手商社に勤めている友人と酒をのみながら右の話をしたら、本人いわく“私はさしずめ、

ホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間でまわってくる。

それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!”当意即妙であった。

ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンスとしてリズムをとりながら

パターンをマスターし、かつ楽しみまで高めてドアに向かう事となると誰にでもできない。

ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れてしまう。ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言って

いる人が何と多い事か。そしてその反対に逆の人も。


[163] ] チンドンヤー 2

2001年09月27日(木)

チンドンヤのことは以前にも書いたが、再び書いてみる。

チンドンヤの意味はその辺の英雄である。

鞍馬天狗や月光仮面である。それにはまず弱者が必要となる。

そして悪役が必要になる。そして本人-主役のチンドンが始まる。

自作自演の阿波踊りだ。本人はその主人公。

何回悪役にはまってしまったか。次に観客も必要になり観客作りをやる。

それを自身の利害をかけてやるか、にゃンにゃン(恋愛ごっこ)でやる。

私はすぐ気ずくが本人は大真面目!全てベッドインの小道具だ!そして破局!
この前もそうあったっけ、またその前も、その前も・・・。

特に狡すからい女は上手い!当て馬と本命を数名つくりその糸の手繰りをやる。

以前身近にほぼ詐欺に近い借金を重ねていた人がいた。

その手口をみていると、自分でまずストーリーを書く。

そして忠実にその主人公を演じるのだ。事実がばれないと踏んでやる、

しかし何度も重ねればその筋書きは見えてくる。ヤクザ用語で「絵図を書く」

と言うらしい。ストーリをつくって素人に因縁をつけ、ゆすり取る。

以前は1〜2年に一度はこの手口で宿泊をして、ゆすりとろうと因縁をつけてきた。

迷わず警察へ連絡。ホテルは警察の派出所みたいところが解らないようだ。

彼らのワンパターンの手口は「外部から電話を入れさせ、手違いで切れたことにする。

そして数百万の商談がこれでパーになった」と言ってくる。

もう少しまっとうな絵図でも書けとも言えず、警察に電話をかけるのが手順。

実際相手にしている担当は何回あっても命が縮むという。

請け判ー(保証人の)を狙ったかなり陰湿の例もあった。

こうなると執念に近いが。

これをまっとうな知恵使えば!といいたくなる。


[162] 手順

2001年09月26日(水)




人生を生きてきてつくづく思うことは,どう学びどうそれを

実現してきたかというとである。大学を出たとか高校を出たとかは二の次、

しかしそこで何を学びなにを得たかがポイントのように感じる。

私の場合、浪人が一番勉強になった。そこで得たものは、

そこにたつと「ぎりぎりの線に立つと」知恵が出てくるということだ。

そこで手順を身につけたことだ。

人生の若い時にこれを身につけないと、人生の後半に問題にあたったとき

その解決に苦労する。

ぎりぎりの崖っぷちにたってはじめて、手順は身につくのではなかろうか。

それも前向きである必要がある。

チャレンジの中で自分を追い詰めて(その中で自己をぎりぎりのところに立たせる中で)、

知恵が出てくるプロセスを手順というのではないか。

30数年いろいろな仕事を手がけてきた。

仕事は違えど同じことがある、それがプロセスである。

どこの世界にいっても馬鹿な二代目がいる、そしてプロセスをみて笑う。

プロセスとは傍目でみてミットモナイ姿でもあるからだ。

プロセスは直線的にいかない。それが傍目からでは解らないからであろう。

「目的と手段」の手段に似ているが手順はその両方を含む。

「空即是色」のところもある。空にしてそこから手順を踏むからだ。


[161] 自然体(自然態)

2001年09月25日(火)


2001/09/25 07:01 NoName


あまり気張らず、心配せず、そのまま、自然のまま、なるがまま、

生きていく生き方。目の前の出来事に気を取られず、その背後の流れに従う行き方。

「自然体の経営そして生き方が大切」

15年前かパレスホテルの経営セミナーに出ていたとき、

その時の時勢の勢いにのっていたある経営者がいった言葉である。

丁度必死に仕事をしていた時の不自然の自分にピッタシの言葉であった。

浪人を何回か経験していて少なからず身につけていが、

しかしかなり印象深い言葉であった。

丁度ホテルという長期物件を手がけて、

その意味‐長期の装置産業の難しさにきずき始めた為もあった。

その後この言葉に生き方がかなり影響された。

目の前の困難に対してあまりジタバタしないで済んだのも、この言葉のおかげであった。

7〜8年前南アフリカを旅行した時、あまり添乗の経験少ない中年の女性の添乗員が、

出発前に成田で言った言葉が印象的であった。

「この旅行全てのトラブルが起こるはずです!起きた時に一つずつ解決していきましょう。

自然体しかありません。無理せずそのままでいきましょう」

「なるほどいいことを言うな、でも素人だな!」とそう思った、

そしてそのとうりになった。その言葉が最期まで利いていた。

トラブルも旅行の一部、慌てずそれをうけとめ、そしてそれを楽しむこと。

自然体そのものであった。たしか法華経に自然法爾(じねんほうじ)という

言葉があった。イスラムの「すべてアラーの神の思し召し」もこれに似ている

ところが面白い。

もうひとつ似たのに、名人の域に達した落語家もこれに近い。

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