堀井On-Line



[85] NoSubject

2001年07月24日(火)


先日も書いたがフィヨルド見物あとの登山列車のトンネルと
トンネルの合間の空間で列車が停まった。


そこで全列車の乗客がおりて5分間の滝見物という。
100メートルいくと突然空間が開けていた。
そこに大きなショール滝が現れた。

その滝に見とれ写真を撮り乗客の半分近く帰った時、
突然音楽が鳴り出した。ふと滝の中間に赤いものが見えた。

赤いドレスの女が踊っている。写真を撮ろうか、
それとも見ることに集中しようか
迷ったが両方にすることにした。

まさしく水の精が踊っているようであった。一生に残る
感動的場面であった。

明日写真アルバムの載せます


[84] 北欧で感じた事

2001年07月23日(月)


いま欧州各国の首都はインターネット化による合理化と、

EC統一で本社機能がドイツのベルリンに移転。

本社の支店化や支店の撤退が進んでいるという。

その為の合理化と人員削減による不況が進んでいるという。

いずこの国も一緒と感じた。ロシアの国境以外は完全オープンといった

感だ。ただノルウエーだけは北海油田が発見された為、海陸資源が豊富な上に

石油の心配が無くなったためECに参加せず一国強気という。

北欧とロシアは欧州の片田舎とい位置づけられている。

北欧4国の各国の位置付けはスエーデン・デンマーク・ノルウエーの順で

彼らはゲルマン民族で言葉もほぼ一緒。フィンランドだけはハンガリー系のフン属で

彼らは露骨な?差別意識があるようだ。何処も一緒か。常にロシアとドイツなどの

外敵にさらされてきたという。どこも立憲君主の政治体制をとっている。

また社会民主主義が進んでいる。ノルウエーの学校制で考えさせられたのは

小中9年間クラス換えがなく、先生も一緒。一クラス20人のため先生は

80人の生徒を見ることになり、責任を持って生徒を指導できるという。

虐めや差別は少なく、20人は一生の付き合いになる。

競争社会の日本でこれがそのまま良いかどうかわからないが、
ヒントになることは確かだ!


[83] バイキングについて

2001年07月22日(日)


バイキングは今より1200年前突然始まり200年で終わったそうだ。

キリスト教の影響ではないかと言われている。

面白いのは相続は末子相続で、長男次男はある年令に成ると家から
出て行くそうだ。

海は日本の場合お堀の役割だが、夢に向けての希望という。

1000年前のバイキングの船がそのまま発掘されて展示されていた。

一艘40人ぐらいの定員で50艘位で攻めていくそうだ。

アメリカまでも行っていたそうで、コロンブスの発見より5^600年
さかのぼる事になる。

それにしても金髪で背が高く足が長い、それに美男美女である。

料理も上手い!厳しい自然だが資源に恵まれている。


[82] 人生がモチーフの公園

2001年07月21日(土)


なんとその公園のモチーフが人生! どういうわけか急にお腹が痛くなってきた。

広大な公園の中央に建つ塔に、時計の刻印のように12のそれぞれの複数の像。

赤ちゃん、幼児、少年期、青年期、・・老人期そして死と像がその時期を象徴して

表現してある。その中央に死体の山。人生をリアルにそのままずばり表現してある。

周辺にそれぞれの人生の哀歓の像が立ち並ぶ!

何故誰もが考えつかなかったのか、今まで見た公園で一番印象的と言ってよい。

さすが北欧と感心させられた。このような思いもよらない現物に、突然出会うのが

旅行の醍醐味である。



[80] 北欧ロシア旅行記

2001年07月20日(金)


印象順に書いてみよ  
1・  レニングラードが良かった。
  ・特にやはりエルミタージュがよい。冬の宮殿と言われる建築物が予想以上だ。
   300万点もあると言う美術品がよい。
  ・ エルミタージュの小劇場でみたバレーが今回の旅行の
   ハイライトの一つだっだ。 
  ・ 川からみたレニングラードの街並みの光景が  
   今まで見た街の美しさでナンバーワンといってよい。街そのものが芸術と言える。
  ・夏の宮殿と呼ばれるカタリ‐ナ宮殿もすばらしい内容であった。
2・次はフィヨルド
   2時間の川下りふうな船よりの景色がすばらしい!
   最も長いそれは200キロ、深いところは1000メートルもあると言う。
3・登山列車からの景色もいい。最も印象的なのはトンネルの合間の空間に列車を止め、
  下車して見た見た滝がすばらしい。突如‘ジョニ‐は戦場に行った’に似た音楽が
  鳴り響き、滝の途中に突き出た岩の上に赤いドレスを着た女性が踊りだした。
  ‘水の精の踊り’をモチーフにしたのだろうが、幻想的で感動的であった。
4・ノルウエーのベルゲンの世界遺産のブリッゲン地区の街並みと魚仲買人の家も
  当時の生活が垣間見えた。
  北欧の国民性として家の部屋の中を飾り揃えて、お互い見せ合うのが楽しみだそうだ。
  家具が何処を見てもセンスがいい。バイキングは末っ子相続の変わった風習の国だ。
  海は日本は堀で外敵より守るものだが、バイキングは夢の実現のの所だそうだ。

5・ノルウエーのオスロのフログネル公園が印象的であった。
  モチーフが人生! 
  赤ちゃんから成人〜老人そして死が像で立ち並ぶ公園である。
  なにかヒンヤリした、しかし超越した視点が空間に漂っていた。
 
今回の旅行は5ヶ国をまわるダイジェスト的な内容であった。
飛行機、遊覧船、登山列車、高速列車、一泊の豪華船、バスと毎日が移動の旅行であった。
何でもあり、変化の激しいしかも楽しい旅行であった。


[81] 無事に帰ってきてよかったせすね。


[79] NoSubject

2001年07月19日(木)

先ほど無事帰る。変化の激しい旅行だったが、
満足の行く旅行であった。新潟の会社へ直接よる。
修理に出したパソコンを自宅に持ち帰るためだ。
あまり国内は変わったことはないようだ。
おりおり旅行内容な書いていくつもりだ。


[76] 行ってきます!

2001年07月08日(日)


まずコペンハーゲンへ
今日8時57分長岡発 15時成田発ロンドン経由
2日目はベルゲン
3日目はバルダンゲル・フィヨルド
4日目はグッドバンゲン。フロム。オスロ。
5日目はストックホルムへ
6日目はストックホルムから船旅〜1泊
7日目はヘルシンキ
8日目はレニングラード
9日目もレニングラード
10日目モスクワ
11日目帰路
12日目早朝成田。

――――――20日まで休みます


[75] 夢について−5

2001年07月07日(土)


男の大部分の人は女性を強姦をした夢をみるそうだ。

おそらく原始時代の記憶が遺伝子に記憶されている為だろう。

そんな難しい話でなくとも、力で征服したい身近な事だからだろう。

その知識を得る前の15年まえにこんな夢を見た。

女性を強姦し山に埋めた夢だ。そして警察にそれが暴かれないかと不安でたまらない。

最終的にはどうなったか憶えてないが、半年ににわたる7^8回にわたる

連続ドラマの夢であった。なにか過去のやましい気持ちの集大成がこの夢を作ったのか、

とんでもない夢をみてしまった罪悪感が、無意識下で連続ドラマになったのだろう。

それにしてもあの時のどんよりした気分、犯罪者の霊が乗り移ったのかと真面目に

考えてしまった。


[74] 死について

2001年07月05日(木)


誰もが直面するまで見て見ぬふりをする、一番厄介な避けてとうれない一大問題である。
40歳過ぎれば何時直面してもおかしくない問題である。

子供の頃から両親に‘死の不安’の話を聞いていた為、死にたいして
耳年増になってしまった。

そして親戚が多かったせいか、死を身近に見てきた。
そして坊さんの死の話も聞いた。その中で一番印象に残っているのが
「人(他人)は先、我は後!」である。自分が生きてる限り全くそのとうりである。

たしかギリシャの哲人の言葉に「自分にとって死は存在しない、なぜなら死んだ瞬間
自身無になるのだから、死は残された者たちの自身の言葉でしかない。」という言葉
をその坊さんは噛み砕いたのだろう。




H0503“死”について

・ 自宅の両隣の御主人や息子さんも含めて近所で、このところ五軒も葬式があった 。
 六年程前に“いとこ”がやはり四人、たて続きに亡くなった。
 私の年令の風景の一つなのか?

・ 人間の死亡率は百%!

・ 人間の恐ろしいのは、“死”より“死に際”じゃないか?

・ 親の死は、子供に対する最大のプレゼント

・ “我々が生きている間は死はこない。死が来た時にはわれわれはもはや生きていない”
   (エビクロス)

・ 死んでしまえば塵である。(伊藤栄樹)

・ 死んで三日もたてば三百年前に死んだと同じ事。

・ “苦”は生きているうち。それが死への苦しみであっても!

・ “いろいろ、あったが死んでしまえば何ってこたあない!
      はじめから無かったと同じじゃないか!皆の衆”(山田風太郎)

・ “ああ、自分が消滅した後、空も地上も全く同じとは何たる怪事!

・ 死とは人生における最後の挑戦である。(ハイデッカー)

・ 死はお浄土への単身赴任である……極楽世界があるかないかではないのです。
     あるべきなのです。いや、あらねばならないのです。(さち・ひろや)

・ 死も人生というドラマの一部分、それも最後の仕上げという。

・ 死に直面した時“さようなら、たださようなら、さようなら!”
                これこそ、死の苦しみにとらわれない妙薬。

・ 人間は死ぬ事を、ひそかに望んだので戦争をしたのだ。
   自己保存の要求はきわめて強いかもしれないが“死”への欲情はさらに深い。

・ “死の準備”は大別して“自分の心の覚悟”と“自分の愛する者達への配慮”に
   わけられる。死は根本的には“無”である。
   “無”にはいかなる準備のしようがない。“無”になる事に覚悟せよと言ったって、
   いかなる覚悟も“無”であり、“無”になる。死はどうであれ
    “無の世界”=“無”も自覚も存在のない世界へ運び去るのだ。

・ “父母によばれてこの世に遊びに来て、用が済んだら、はいさようなら”(一休和尚)

・ “自分の死”に対して、どれ位時間をかけたか?やっぱりかかった時間と比例します。
   だから死について考え続けるより他にありません。自分の心を明確にする事。
   それをやっていると毎日が濃縮されて、いつ死んでもいいと思う程、
   充実してきます!(曽野綾子)

・   死は暗闇ではなく光明と考えられるかどうか、もどって来た人はいないのだから。

・   他人(ひと)は先、我は後!

・ 生前、死後には無限の暗黒のひろがり…その暗黒は球状をなしているように幻想され、
  私の死後ばかりか、わたしの生前もぐるっと取りかこんでいるごとくだ。
丁度、地球儀の或る視点だけが明るくかがやいていて、
  あとはすべて球形の闇だという格好である。向こう側(彼岸・無)よりみれば
  針の尖でついたような、しかしながら、たしかにここに光っているわたしの生、
  それ故にわたしはこの世に有る限り一日一日を大切に遺憾なく生き抜かなくては…
                         (吉野秀雄−やわらかな心)


[73] 夢についてー4

2001年07月04日(水)

海外旅行の帰りの機内でみた夢も恐ろしい極限であった。

飛行機に乗っているせいか、自分の体が空に浮いていく。

もうじき下に降りるだろうと思うが、どんどん浮いていき電信柱を超えていく。

ああもうこれ以上いくと危ないと思った瞬間目が覚めた。そしてほっとして

「自分は地上にいる」と思った瞬間、空中に飛んでいる自分に気づく。

自分が空中を1000キロで飛んでいるのが解るのだ。その恐しさは言葉で表現できない

恐ろしさであった。バンジージャンプ落下している感覚であった。


そういえば6〜7年前の恐ろしい夢が書いてあるのでまたコピーしておく。

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H0905魂が万代橋の上を彷った話

 第2新館の役所の検査の直前の話である。担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔を
して言うには、“今回の検査はパスしない!...”

一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、地獄の底へつきおとされた思いであった。
“それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、そして私は?、会社は?...
”パニック状態である。それも夕方の飲み会の直前である。
まあ明日の話として、頭も冷やすという事も含めて、そして焼け酒という事で
浴びるほど飲んだ。

その夜は満室という事で事務所の長椅子に仮眠した。
恐らくそこが不安定という事と、頭がパニック状態という事と酔いを含めて
妙な夢になってしまった。

魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋まで目線が5m位の高さで
プカプカ浮遊しているのである。“ああ自分は浮いている。
それも魂が”という感覚であった。

そして目が覚めて!魂が浮いていたのはたしか夢か!でもあの話は本当である!
それも夢であってほしい!と念じた事を今でもはっきり覚えている。

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