堀井On-Line



[51] 無駄な事なし

2001年06月13日(水)


無駄な事なし
人生ふりかえってみて感じる事は無駄な事は全くないという事である。
もっともある程度燃焼してきたから、言えるのかもしれないが!
それも全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、一番重要なポイント
だったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。ポイントはぼろを羽織ってくるのだろう。
老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖「自分の人生これでよかったのだろうか?」
という問いかけだそうだ。ある本に自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」
という言葉を残していたと、姉より死後聞いてが立ち上がれないほど
ショックを受けたという内容が書いてあったが。
無駄な事だらけという人生もあるのかもしれない。
人生にやはり意味を求めていないと
、失敗だった?という気持ちになってしまうのだろう。


[50] 日本のプロ野球がつまらない!

2001年06月12日(火)


どうして?もちろん理由は解っている。

野球もいっきょにグローバルになってしまった為だ。

イチロウ効果だ!

いい意味で野球馬鹿の長島監督、もちろん監督としての裸の王様を、

彼も含め皆で遊んでいた!でもそれが自分の姿をと解って
いながら!

アメリカの隷属国家の日本の微笑ましさ!

アメリカは多民族社会の実力社会。野球に関してとくに土壌が違う!

ここまで日本のプロ野球を駄目にした読売新聞の痴呆老人の渡辺某!
老醜の判断ミス!

正しく認可民放の象徴たる日本テレビの壊滅の姿が、
あのミスターのジャイアントである。

スター気取りの巨人選手がグローバルで見た時、

もう言葉でいわないほうがいい

‘巨人大鵬卵焼き’の自分がここまで変わるとは。


[49] 一期は夢 ただ狂え

2001年06月11日(月)

世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や
    夢幻や南無三宝
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ
                閑吟抄

470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男
が古今集をまねてつくった歌の一つ。
‘人生など一瞬でしかない。なら狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’
と言う内容である。今年の年賀状にこの一節を載せたほど、感じろところがあった
内容だ。500年前この無名の男の人生‐過去に何があったのだろうか?
今500年の時空を越えて、激しく共感するのはなぜか!


[48] 同じ人生を

2001年06月10日(日)


全く同じ人生を生きたい!
私の常識的判断では、90%以上の人は‘とんでもない!’と即座に思うと考えられる。
しかし生きていく上で、全く同じ人生を生きたい!と思う事、思える人生を生きることこそ
必要な事であると、難しい人生論の本に書いてあった。そういえば父がガンで死を悟ったとき、母に何回も同じ事を言っていたと死後母から聞いた。その時はやはりとんでもない!と自問自答したことを憶えている。最近そうおもえるようになってきた。


[47] シンクロ二シテ-

2001年06月09日(土)


これは普通では考えられない、遇然の一致を言う。
‐意味ある遇然の一致と心理学で言う‐特にユングが深く研究ー

私の場合非常に多い。人間個人を考えれば、今生きている事こそ
奇跡‐遇然の一致の積み重ねである。

・ある自死をした元の部下の所に行ったとき起きた、不思議な遇然の一致の
   重なり

・柏崎の義父の葬式の帰り、そち峠で7回の‘虹の下’を通りすぎた考えられない出来事!

・従兄弟が自死をした時の納棺のおり、突風が吹き桜吹雪が舞い散った光景!

・大学を卒業して1年ぶりに池袋の本屋に行ったとき、たまたま学生時代の親友だった
  男が目の前を歩いていた。

・家内の実家で展示会があり、いっしゅのお祭りで地元の道具やが出店を出していた。 
 そこの象 牙の仏像が気になり、帰ってから電話でそれを買いもとめた。
 4〜5日経ってから送られてきて、底をみたら
 家内と同じ銘で恵子と彫ってあったこと。‐その時全身鳥肌が立った!
 等々書けばきりがない。
  
 遠藤周作などは、イギリスにある作家に興味があり、その地を訪ねた折ホテルの
  エレベーターでぶつかった相手がその作家だったと言う。

葬式とか、自分が行きずっまってヒステリック状態の時とか、気持ちが異常に近いときに考えてみるとおき易い。


[46] ユニクロのホームページ

2001年06月08日(金)


ユニクロのホームページがいい。

そこで何点か商品を買ってみた。またパンフレットも取り寄せてみた。

ズボンの裾上げもサイズをうちこむと直され送ってくる。

一度注文するとメールで週末その日の特売情報を知らせてくる。

衣料の小売りで私の知っている限り、ネット販売で

これほど買いやすいサイトはない。

サイズ、色、形、管理が大変だと思うが、

そこがコンピューター管理の得意なところ!200メートル先に店があるが、

どーも中年で行くのがおっくうな気分の時に注文する。

こういう部分を一つとってみても、ユニクロのシステムの凄さを感じる。

けっこうネット販売売れているのでは。


http://www.uniqlo.com


[45] 創業の話

2001年06月07日(木)


27歳、千葉の千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。

準備1年4カ月かかった。その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。

今も忘れられない1973年5月30日であった。

11月07日、店の立上げとビルの完成でパニックの頂点をむかえた。地獄!・・・・・

その頃写真を撮っているいる余裕などない、

写真日記のそれは千城台を引き揚げたあと、懐かしく行った時に撮った写真である。

全く知らない千葉で我ながらよくやったと思う。

この地獄の中で創業のノウハウしっかり身につけることができたと思う。

自らを空にして、おきて来た問題を一つずつ解決していくしかない。

その時本能的に相手に両手で拝んでいた。どういうわけか拝まれると

人間引き受けてくれるものだと、その時感じた事を憶えている。

軽い気持ちで拝むポーズを時々みると,張りたおしたくなるのそのせいだ。

当時のことを記した文章があるのでコピーをしておく。また写真も写真日記に

コピーしておく。


H0907 養老の瀧1122号店、店長の日々

 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりであったが、
いざ自分がその立場に立って、その認識の甘さをつくづく思い知らされた。
千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”と“養老の瀧オ−プン”と
“結婚”という、人生の初体験を同時に始めた。
丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、
ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、最悪の出発となってしまたった。
そしてオ−プン...!完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列!
しかし、こちらは全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、
地獄のような日になってしまった。辛くて、恐ろしくて、一日一日が精一杯、
今考えても、よく持ちこたえたと思う。当初の、2〜3ヶ月は朝8時より
夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの3人の激しい日々であった。
“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。
それまでは8時間プラス2〜3時間、という立場が、“24時間(休んでいても仕事のう
ちという)仕事”という立場になった。
サラリ−マンが事業をおこして大部分失敗するのは前者より脱皮できない為である。
大手ス−パ−の創業期に入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが...。
その厳しさが全く違うのだ。はじめの数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという
位、厳しいものであった。
あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!という
前提があった為乗り越えられたと思うが。
でも不思議なもので、真っ正面より立ち向かっていると、
いつの間にか辛さが辛さでなくなってくる、適応能力が自然についてくるのだ。
ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”を飲ませているのだ。
それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。
そこで自分1人で店を衛らなくてはならない。
酒を飲んだ人間の本当の恐ろしさをそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、
命が幾つあっても足らない位の事件が月に一度はおきた。
恐怖の中で1人トイレの中で(他の人にはわからないように)震えた事があった。
そこで、大きく唸った。そしてお客に対処したところ腹が据わったのだろう、
お客が逆に竦んでしまった。“これだ!”と直感した。
また店の従業員に前もって、うちあわせをしておき、
お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、
土壇場に立つと知恵がついてくる。
ただフランチャイズのシステムは今でも素晴らしいものであったと思う。
標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。
創業時の勉強という点で、このシステムは自らに非常に有効に働いたと
振り返って思えるようになった。
                 創業は辛い! 1973.11.07〜


[44] 何の為のホームページ

2001年06月06日(水)


何でわざわざ個人のホームページを立ち上げ、公開するのか?
   まずはこの疑問
1・わざわざ写真を撮って入れたり、
2.貧しい内面の公開をしたり
3.せっかくとった最重要情報?の公開をわざわざしたり
4.とにかくエネルギーを使わなくてはならない

でもそんなこと、この巨大情報空間から見ればどうでもよい事。
むしろさらす事により、リンクの可能性が大きくなる。

インターネットとは考えてみてば、ホームページ間のネットである。
基本はホームページである。その拠点を個人や会社で持つことは、
情報空間に自分の基地を持つ事になる。
この時代あたりまえと言えばあたりまえである。

ウエブ上に拠点を持つことにより、他のホームページと相互関係になる。
その事をホームページ持ったことで実感できた。

もしホームページを持つまでもないと考えるなら、‘お気に入り’の集積と
その分類を自分のパソコンにきっちりしておくべきだ。
そうした場合どうしても自分拠点を持ちたくなる。
それは自分のパソコン内でいいのだが。
公開してもかまわない場合ホームページがよい。

巨大情報空間にさ迷い出た
子羊というところか。


[43] オークションサイトについて

2001年06月05日(火)


今日インテリア山下の社長が来られて、

‘下取りのダンツーの絨毯を1円でネットオークションに出してみた’

と言われたので早速オークションに1000円で入札をしてみた。

またネット上の新しい世界を垣間見た思いだ
(e−ビジネスの新しい可能性の一部を)。

これこそ新しい社会の1つの可能性を現している。

ホームページにしろインターネットで毎日が新しい発見の連続である。

確かにネットバブルの部分があることは否定できないが、といって

ネット社会の方向は事実である。是非このサイト見てみる事を薦めます。

前の頑張ってます!はパソコン教室の練習です。記念の為残してきます。

http://auction.excite.co.jp/


[41] 20年の通勤

2001年06月04日(月)


新潟と長岡を20年通勤している。
1年に250日*20年=5000
5000*2800円平均=1400万円になる。
マンションの一つも買える。
2つの地方都市の30分の新幹線の通勤も悪くない。 
仕事と私生活をきっちり分ける事が、より可能になるからだ。
長岡と新潟の気質がまるで違う事も見えてくる。
あくまで対比の話だが、新潟は鷹揚だ。そして明るい。かつクールだ。
反面こと商売という意味の仕事は甘い。反面長岡はマクロという意味で
仕事がいいかげんだ。
人間関係‐付き合いとかなにかで誤魔化してしまう。
長岡で住んで仕事をしていると、
陸の孤島の住人の感覚となってしまって当然だ。
特に中年から老年に至ったとき毒(ストレスのヘドロ化)が
とっぷりたまらないかと?
それなりに知恵で解毒しているはずだが。
5〜6年前までに4回新幹線を乗り過ごした。3回湯沢で泊まった。
それぞれにミニドラマがあった。飲んだ勢いで湯沢でも飲むからだ。

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