堀井On-Line



自宅の玄関に配られていたチラシ

2001年06月03日(日)

自宅の玄関に配られていたチラシに‘貴方に合わせたパソコン指導します’
昨日ホームセンターのムサシの外食部門の‘やき肉の店
赤大門’に行った。‐夕食
大ジョッキーの生ビールとカルビ定食とカルビとロース四品で
2100円であった。
二人だから一人1000円あまり!安いと思った。
長岡の郊外に焼肉の店がここで増えた。日本人は誰かがやると
それに集中してしまう。 焼肉は5〜10年前までは3000円
以上だった。それが合理化により半額ちかくなってきたため、
新しい客層が増えてきた為もある。目安のカルビ680〜780円が
350〜500円に下がってきた。焼肉や同士の闘いは高額の店を
ますます追い詰めていく。‐‐‐写真日記に撮ってあります。



[39] パソコン教室の薦め

2001年06月02日(土)

自宅の玄関に配られていたチラシに‘貴方に合わせたパソコン指導します’
というので取りあえず行ってみた
。話を聞くと今の自分にぴったし、2日続けて行った。
高校で情報系を教えていたが主人の転勤で学校を辞めて長岡に来て、
この春ソフトハウスに勤め6月1日に教室を開いたという。
ちかい、安い、気軽ということもあり長続きしそうだ。
今の自分に合わせて指導してくれるのがいい。
宅建試験のため自宅に居る長男も通う事になった。
本人も‘解りやすくてよい’と気に入ったようだ。
私の目的はこのホームページの改善と、今1つパソコンを使いきれない
部分をカバーしてもらう為だ。
とりあえずパソコンに対するアレルギーがなくなってきている。
かろうじてIT社会にぎりぎり間にあったというのが実感だ!
やはり年配になってきたら教室に通うべきだ!



言葉の トリック

2001年06月01日(金)


宗教家とか占い師そして政治家がつかう言葉のトリックに次のような方法がある。
宜保愛子がこの方法を多用していた。
1.あなたは悩んでいますね。
2.あなたは転換期にありますね。
3.−−−ははしゃいだ後落ち込んでいますね。
4.小さな動物を殺した事がありますね。
5.近くに水がありますね。ーーーー花が近くにありますね。
6.恋愛に悩んでますね。−若い女性に
すべて当てはまるからだ。
これを三十〜四十位使いこなせば占い師か宗教家になれる。
こういう笑い話がある
占い師がある男に子供が2人いますね?と聞くと、
‘いや3人だ’と答えると、
‘そうあなたが思っているだけです!’
女性ならさしずめ‐その逆も言える。−−外に子供がいるという思わせで
そういう意味で自分達は自身の言葉のトリックに身動きできなくなっているのでは。
宜保愛子があるTV番組で。・玄関に花か花の絵がありますね?・右に回ると居間で左が仏間か物置になっていて、居間の左が台所でーーと延々と続く、間違えると首をひねりごまかす。ほぼ
私の自宅と一緒であったのに笑ってしまった。これに私立の探偵かスタッフに外観か玄関を覗き見れば当たって当然。さすがに最近は出なくなった。


[36] 初めてのパソコン教室

2001年05月30日(水)


今日初めてのパソコン教室に来ています。自宅から3分のところで非常に便利です。長岡でその人に合わせた指導を求めている人は 31−2466 長岡コムネットに電話してください。2時間で3500円です。ここの写真ヲ撮って写真日記に入れておきます。


[35] 一人暮らしのあの頃

2001年05月29日(火)


今日は終日長男(堀井大)のアパート探し!
よくあれだけ部屋があるものだとビックリ!
部屋の中にある人生を感じた。
一人部屋にある何ともいえない哀愁を!
私にもあった一人生活の侘しさと緊張感。
いつも鏡を机の上に置き、独り言を言っていた侘しさ。
でも自由のよさ。何かタイムマシーンで三十数年前に戻った感覚であった。


[34] 糸井重里サイトを見て感じた事

2001年05月28日(月)


糸井重里の「ほぼ日刊糸井重里新聞」を二年前にホームペジを開き、

現在1日二十数万のアクセスがあるという。

ちょっとした新聞社なみだ。開いてみたがなるほど面白い!

ホームページ作りより、自分自身のインターネットに対する感覚が変わってきている

事がわかる。考えてみたら1度ホームページに載せたら、

そのデータは半永久的に残る。

ホームページは墓場と言っていたが、そのとうりである。

その意味で永久に残るデータベースである。

糸井重里本人が不思議な感覚と言っていたがわかるような気がする。



[33] デフレ実感

2001年05月27日(日)


家内が初めてマックの半額のチーズバーガー2個とマックシェ―ク1個を買って300円で

お釣りがきたという。息子とインスタントコーヒーを出し、チーズバーガーを1つとシェ―クを

半分ずつ飲んで信じられない感覚だったという。1人150円でインスタントコーヒーをいれて

170円、デフレを実感したという。

うかつであった。買った事がなかったのだ。

100円ショップ、家具のニトリ、サエゼリア、ユニクロ大きい共通点がある。物価の

グローバル化を戦略的にめざしている。100円ショップの原価は平均28円だそうだ。

300円から3000円のプライスの商品をトレードオフして、中国などの国で10〜35円

で作らせて持ってくればいい。100円ショップは当分は伸びる。2000〜3000円した旅

行用空気枕を100円ショップで買って結構良いのに驚いた。

デフレとこの不況まだまだ入り口だ!デノミのタイミングもそろそろだろう。


[32] 34年ぶりの文章化

2001年05月26日(土)

欧州1周旅行(印象記)欧州1周 ー 1967・07〜
   デンマーク(コペンハーゲン)・スエーデン・イギリス・ドイツ・フランス・スイス・イ   タリア・オーストリア・タイ・・・ 
今より34年前の立大三年ー大学の海外旅行研究会が募集した旅行会が募集した欧州1周旅行に参加した。期間 は30日間ー1967年7月01−30日ー総勢 40名  団長 高木豊 添乗員 玉井 氏であった。 −深井・川崎・酒向・池永・堀井八郎・・
内側(内面。国内)ばかり見てきたそれまでの世界観が一変、地球の広がりを肌で感じた
当時年間20万人しか海外旅行者はなかった。カルチャーショックで、人生観が全く変わってしまった。自分の世界の狭さを知る人生の一大転機でもあった。それまでの総てが粉々になってしまった。人生でこれだけの楽しみも初めてといってよかった。その時の印象に残っている事は、1.まず自分は東洋人ということであった。白人の世界で初めてそのことを自覚をしたのだ。それと露骨な人種差別の視線を。2、欧州の豊かさも想像をはるかに超えていた。3、また文化の深さに驚愕した。毎日毎日見るものふれるものが、全て新鮮で興奮の連続であった。全く事前の知識を入れてなっかったのが逆に良かった。4.若さにありがちなコンプレックスの塊の自分に初めて自信がついたー行動としては初めてといってよい。
A.まず機内ーー飛行機で食べたヒレステーキーこんなにおいしい牛肉は生まれて初めて!
国内では聞いた事のない他の乗客の会話!憧れの日航のスチュウワーデス!
B.デンマークの街並みの清潔かつ美しさ!一人で路面電車に乗ったとき嬉しさと不安!郊外にあったお城からみた緑と空の色!当時日本では殆どなっかったコッテジ風ホテル
C.スウエーデンでみた金髪美人の美しさと着こなし!それが北欧の街並みにぴったり!そこの
バイキングの食事―バイキング方式の食事の存在をそこで初めて知った。
D・ロンドンの王宮そしてビッグベン。イギリスではパブが印象に残っている。軽くスタンドでビールを飲める感じであった。
E.ドイツはミュンヘンのビヤホールの大きく豪華なこと。確か2000人位の客がステージの楽団にあわせてホール全体が一つになり楽しんでいのるのが不思議に思えた。なるほどヒットラーが出るわけだと思った。また古い街並みと古城のよいハイデルブルグそしてライン下りで見た田舎ドイツの何とも言えない深みのある景色。
F.スイスアルプスの登山列車から見る山並み。    
G・オーストリアで飲んだ地酒のワインと生ハムの美味しい味。 
H・パリで見た凱旋門とシャンゼリデ通りそしてルーブル博物館のモナリザの絵とミロのビーナス。そしてヴェルサエル宮殿とその鏡の間。そして庭。
I.ローマの遺跡の数々。コロセウム
闘技場にトレビの泉。284本の円柱が囲む楕円形のサンピエトロ広場と寺院そこで見たピエタの像。地中海のカプリ島。幻想的だったコモ湖。
J.帰りに立ち寄ったタイのバンコク―その何ともいえない素朴な景色。寺院もどこもかしこも仏教の影響の為か純粋な東南アジアの良さがにじみでていた。
この旅行から帰ってきて2〜3ヶ月呆然自失であった。もし神様が人生で1ヵ月時間を戻してくれるとしたら、迷わずこの一ヶ月を選ぶだろう。
ー34年ぶりの文章化である。意外と憶えているものだー


[31] 写真日記コーナー開設!

2001年05月25日(金)


ウイークリーマンションの司の社長の写真日記
ーこれはノートにその日あった人のインスタント写真を張りつけていく 
ものだが、ーいつか実行したいと思っていた。
そしてホームページで 是非実現してやろうと思いつき今日開設した。
ソフトが不備で思いどうりにならず、苦戦していたが何とか間に合った。
しかし途中挫折しなければよいが?
慣れてくれば、習慣化してしまえばしめたものだが。
どういう展開なるか自分でも解らない。
小さな世界がますます露呈されていくが、しかたあるまい。
だんだんホームページに関わる時間を短縮していかなけれと思っているが、
今はとりあえず時間だけはいれなくては!
今日も午前中南雲氏とこのコーナーの準備。ビルつくりに似て慣れてくると
面白い部分が見えてくる。


ホームページを開いて3週の実感

2001年05月24日(木)

ホームページを開いて3週の実感
今週末に‘写真日記のコーナー’ができると一応ホームページの骨格が完成だ。
パソコンを何のため使っているのかな?使い切っているのかな?と疑問を持っていた矢先
ホームページの開設を思い立ち、そのプロセスの中で他のホームページの構造とユニット
をつかむ事が出来た。
  自分のデータベース造り、及びその蓄積になっていくと同時にそれがそのまま外界にリンクしていくサテライトスタジオ機能を持つことと言える。グローバルに対する自己の開放である。ホームページはその表紙を語源とする。ということは大項目のデザインということになる。この数ヶ月かなり追加と変更が予測できる。
  今年の新年の誓いはパソコンとインターネットとホームページをものにする事であった。
特にホームページは思ったより収穫になりそうだ。
 開設の5月2日以前と以後と言うくらいのそこに大きい段差を感じる。

人生のコツ
末っ子は虐めと言う意味できついが,
反面学ぶ事が多い。
冷静に一人一人を観察しているのだ。
そうしなければすぐ虐めがくるからだ。鷲頭設計ー社長の話で
彼も大人数の末っ子だそうだが、
社長職にその立場は丁度当てはまるそうだ。
それぞれの環境立場がその人の個性をつくる。
秘境の旅行は色々な個性的な人と出会う機会がふえる。
人生の達人である。
初めは旅行に付き物と割り切ってみていたが、
とんでもない‘人生のコツの宝のやま’である。
プラス・マイナス両面である。
ネパール行ったときのある67歳の人の話で、
「身内の殆どが40代で死ぬ家系と言う。
自分も覚悟をしてそれを前提にして、その年まで総てやりたい事の
すべてをやり尽くす生き方をしてきた。ところが今もこうして生きている。
それまで(40歳)に国内を総て旅行して回った。
その後世界を殆ど回ったがまだ死なない。
それより学んだことは、何事も前回しやってしまう、
そして時間を切ること」だそうだ。
もう1つのコツは、朝食にキャベツを半分微塵切りにして
シソドッレシングをかけて食べる事だそうだ。
夕食も老人食の宅配食を食べてるという。
一期一会、徹して配慮をして生きることと言う事か。

青雲寮(わが青春)
私が学生時代過ごした寮ー青雲寮のことを書いてみよう 。
場所は飯田橋から都電で新宿への中間 、新宿の牛込柳町にあり
早稲田南町のバス停にも近い住宅地であった。
早稲田大学の理事の自宅の庭にあり牛小屋のような造りで、
古くきたないL字型の24〜5室の寮であった。
早稲田の学生が3分の1,あとは各大学の在学生で占められていた。
そこからは代議士(渡部恒三)や県会議員が数人ずつ出ており、
汚い棲家でもけっこう皆プライドはもっていた。
全国からの出身者のため個性的な人間の集まりであった。
今でも年数回、そこに今でも住んでいる夢を見る。
月に数回は10人位集まり酒を買ってきて飲んでいた。
誰か必ず部屋に遊びに来ている状態で、あまり勉強に良い環境とは言えないが
人間勉強という意味で非常に良かった。
自民党の総裁の鳩山一郎系のいきがかかっていた。
思いもよらない先輩がいて、よく赤坂とかあの頃の学生では行けない所に
飲みにつれてもらったりした。音羽の鳩山御殿も数回行った憶えがある。
その関係で軽井沢の友愛山荘に長期の休みにアルバイトに行ったりしていた。
そこで学生時代の大きい財産になった欧州旅行のきっかけもできた。
その寮は一緒に生活をしている事もあってか、とにかく癖が強い人間が多かった。
私生活がお互い丸見え、どうしてもアラが見えてしまう、と同時にサル山と同じ
勢力争いがあって結構それが面白かった。
ホモあり、女狂い有り、哲学専攻でいつも一人ニヤニヤぶつぶつ言っている先輩あり。
クソ真面目のいやみな先輩あり、学生運動の闘士有り、今考えてみてもかなり
おもしろい寮であった。
学生時代はこの寮と武澤ゼミと欧州旅行とクラブを除いては考えられないが、
いい経験をした寮であった。私の大学の友人の間でも、この寮の存在―
特に汚い馬小屋風の寮で珍しがられていた。  
父がこの寮に卒業の八ヵ月前にきて、翌月から仕送りを二倍に上げてくれた事で、 
いかに凄いか想像出来るのでは。           (昭和40〜44年)


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