股・戯れ言


BBS

サウナとケータイと誕生日と国境  その2

続きです。一個前の日記から読んでくださいまし。
その1→http://www.enpitu.ne.jp/usr5/bin/day?id=54856&pg=20090627


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歌舞伎町に向かい、とりあえず荷物を置きたいので「WHO」へ。
扉を開けると、シエロのマスターがおった。だいぶ酔っ払っていて、入れ替わりにすぐに帰っていったが。
ちょろっと飲んでからサウナへ向かう。
区役所通りを北上し、「W」に着き、カウンターで「今日、宿泊した時にケータイ忘れたんですけど、忘れ物届いてませんか」と尋ねると、
カウンターの女の子(20代前半韓国人)がちょっとカウンターの奥に引っ込んで白いケータイを持ってきた。
「・・・コレデスカ?」
わしのケータイは青なんで、「違います。青いケータイなんですけど」と言ったら、即効で

「ナイデス」

ピシャッと!
ザ・言い切り!

おいおいおいおい、もうちょっと調べてみろよ〜。
「午後3時半にチェックアウトしたんですよ」とか「3時過ぎの時点まではあったのがわかってるんです」とか「落としたとしたら149番のロッカーの中か9階のロッカーなんですよ」とか「サウナ着袋の中に入ってなかったですか」とか聞いたのだけど

「ナイデス」
「ワカリマセン」
「シラナイデス」

しか返してこね〜〜〜〜〜。
あとで見つかったら連絡します、とかそういうの一切出てこね〜〜〜〜〜。
常日頃、若者(ギャルとか、若い世間知らず男子とか)が「××(たとえば有名な作家とか、有名な歌手とか)って知ってる?」という問いに対して、「あ、知らない」と返すのを耳にすると「知らない、って権力だよなー」(究極の拒絶だよなー)などと感心していたのだけど、まさにこの時、絶対の「知らない」権力を駆使されたわ!と思いました。
日本語がたどたどしい韓国人のおなごが繰り出す「シラナイデス」て強力だよ。
どんなに詰め寄っても埒が空かないから。
のれんに腕押しとはまさにこのこと。

こりゃーダメだ、違う時間帯(確か、チェックアウトした時は日本人従業員だった)にもう一回連絡してみるしかないわ、とぐったりしながら、「・・・また今度来ます」と告げて歌舞伎町を元来た道をとぼとぼ戻る。
てか、サウナになかったら一体どこで落としたというんだよ!
自分の行動を思い返してみるが、サウナ出た後はコンビニ寄った以外に何もない。
そして、コンビニでも道でも、ケータイは一度も取り出してないのだった。
どこにあるんだ、どこに落としたんだ、とぐるぐる考えながらWHOへ。


涼しげな空気が充満するWHOに入り、開口一番「なかったよ」と告げると、常連さん(「先生」と呼ばれているらしい)が「調べ方が足りないんでは」と厳しくおっしゃる。責任者出してもらえばよかったのだ、とは言うがあの韓国ギャルにそんなことまで聞く気力がないよ・・・と思う。
そもそも電話はまだ生きているのだろうか、というわけでカウンターに入ってる友人のケータイからわしのケータイに電話してもらう。
ケータイは生きていた。
しかし!
その日の午後3時、わしはケータイを「サイレントマナーモード」(音もしない、振動もしない設定。単に光るだけ)にしていたから、電話しても気づかれない可能性が非ッ常に高いのであった。
なに余計な設定したんだよ!一日前のわし!

そのサウナに電話して日本語がわかる人と話してみるといいよ、という案が出て電話することにしたがそもそもサウナの名前がうろ覚えという失態!
たしかこの名前ではなかったか、という名前を検索してもらうが、出てこない。
どんなサウナだよ!
しょうがないんで104に電話して「新宿にある『W〜』ていうレディースサウナの番号教えてください」と告げると、ビジネスホテルの電話番号を教えられた。
もしかしたらビジホで届出しているとこなのかもしれん、と教えられた番号にかけて「そちら、レディースサウナですか?」と尋ねたら「違います」と無碍なお返事が。
ええええー!
わしが泊まったレディースサウナは、サウナじゃないのか!?
届出出てないってコト!?それとも幻?

いやいや、そんなことはない!
というわけで、再び友人のケータイを駆使して検索してもらい(ああ、ケータイってこういうこともできるから便利だね)、そのサウナの名前を突き止める。
わしがちょっと勘違いしていただけで、サウナ名は「W」であった。(〜の部分が余計だった)
そこに記載されていた電話番号に電話すると、
出たのはさっきの韓国ギャルだった!
なんだよ!
従業員どんだけいないんだよ!

半ばムダだと思いつつ、先ほどと同じやり取りをする。
対面だろうが、電話だろうが、返ってくる答えは先ほどと変わらずで三種の神器、否、神言「ナイデス」「ワカリマセン」「シラナイデス」だ。
これ聞くだけでも心が折れるわ・・・と思いつつも、常連さんに入れ知恵された通りに、責任者の方はいないんですか、とたずねると「イマセン」で、いつ来るんですか?ときいたところ
「カヨウビのゴゼンチュウデス」
とのこと。
明日じゃないんか!
そんなとこまで悠々待ってらんないわ・・・と萎えながら、自分の名前と連絡先を告げる。「キイトキマス」と言っていたが、期待せずに電話を切る。


もう疲れたよ・・・もういいよ・・・と思っていたが、今度はケータイを悪用されぬように止めなければならん。前に聞いた話では、ドコモに電話すればケータイにロックをかけられる(発信できないようにできる/中身見られないようにする)という話なので、これまた友人に調べてもらう。
すると、
「紛失したら、そのケータイが今どこにあるかGPSで調べられる」
なる機能があるという。
おおお!
時代は進化したな!
GPS機能オンにしてたかどうかわからないけど、藁にもすがる気持ちでドコモに電話する。

「待ち受け画面の上段にGPSマークが出ていれば調べられますよー」といわれて、そういえばなぞのマークがずっと出てたわ、と気づき、GPS機能がオンになっていたことを確認する。
よくやった!わし!
というわけで、スムーズにGPS検索かけてもらう。
待っている間、祈るような気持ちであった。
これで「お客様のケータイは現在、新宿区歌舞伎町1-1(ゴールデン街の住所)にあります」って言われたら笑いものだなーと思いつつ。
あっという間に検索終了。


「お客様のケータイ電話は、現在、新宿区歌舞伎町2-17付近にあります」


ぬおおおおお!
その場に居合わせた人、皆が、唸ってましたわ。
サウナ「W」の住所が2-19(隣の番地)だったから。

やっぱサウナにあるんじゃねーか!

とりあえず一安心だが、あとは再び韓国ギャルと対決するしかないということか・・・これで気が重くなっていたところ、
先生という常連さん(老齢・強く言いそうな人)が
「よし、私が一緒について行って言ってあげるよ!」
と名乗り出た。
強力な助っ人を引き連れて、私は再び区役所通りを北上してサウナ「W」に向かったのだった・・・




再び続く!(長い!)
2009年06月28日(日)

サウナとケータイと誕生日と国境  その1

今から書く日記は連続モノです。
この日記から順番に読んでいってくださいまし。


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土曜日は朝まで営業後、歌舞伎町のいちばんはじっこにあるサウナ「W」へ。
日曜の夜はるっぱさんの生誕祭ライブでありまして。
で、4時に吉祥寺で待ち合わせだったので、こりゃー家帰って寝ておったら起きれんな、というわけでサウナ泊だったのですよ。
というのは前回の日記に書いたとおり。


で、サウナであるのに熟睡し、サウナ出る前に友人とケータイで話しました。
そろそろ出ないと間に合わないなーと外を見ると大雨。
午後3時30分にチェックアウトし、二件横にあるコンビニで傘を買って新宿駅まで急ぐ。

中央線はなぜか遅延していた。おいふざけんなよテメーと悪態ついてたら電車が着たので飛び乗り、吉祥寺を目指す。電車の中では本をずっと読んでいた。
そろそろ吉祥寺に着くなあ、というところで、友人に連絡しようとしたら・・・


ない!
ケータイが!
(倒置法)


・・・と、慌てましたが、実はそんなに慌てていなかった。
なぜならば、サウナで直前まで遠藤さんと電話したのを覚えていたから。
あーサウナに忘れてきたんだなー、と軽く考え、あとで取りに行けばいいや、と思っておりました。
それよりも、友人とどうやって落ち合おう、ということを考える。
とりあえず、スターパインズカフェに行けばるっぱちゃんがいるので、そこで電話借りればいいか、と思い、スターパインズへ。

絶賛リハ中で気が立っていたるっぱさんに若干ウザがられながら、ケータイを借りて電話する。
出ない。
何やってんだよ!出ろよ!
と、お門違いのイライラを抱き、留守電に「交番の前で待ってます」と吹き込む。
そんでケータイを返して再び吉祥寺駅へ。
るっぱちゃんのケータイの待ち受け画面はファン太郎の等身大たて看板だった。

雨の中駅に戻ったはいいが、交番の前は待ち合わせ場所には不向き(広場になってない/バスを待つ人の長蛇の列)であった。
そして友人は未だ現れない。
もしかして留守電聞いてないのかも、と不安になり、公衆電話へ走る。
公衆電話から電話をかけるも再び出ない。
10円玉3枚しか入れてなかったから、早口で「交番の前っつうかベッカーズの前で待ってます」と吹き込む。吹き込んだ後に、交番とベッカーズて意外と離れてるじゃねーか!何やってんだわし!と激しく後悔する。
が、吹き込んでしまったのだからしょうがない。1分ごとに交番前とベッカーズ前を行き来。どんなパトロールだよ。

が、そんな行き来をしていても友人は現れないのであった!
わしも時間にルーズで、友人も時間にルーズ(待ち合わせをしたら大概、お互い30分〜1時間遅れてくる)であるので長年の付き合いが可能だったわけだけど、その相互ルーズっぷりを保っていたのはケータイの存在だったのか!
失くしてわかるありがたみ。
やっぱりオイラ、一人じゃだめなんだ。ケータイー、返ってきてよー。
(自分がとりに戻れば返ってくるんだけど)

再び公衆電話に走り、電話をするとやっと電話に出る。
それでなんとか落ち合う。時間にして16時25分くらい。
ああ、ケータイあったらこんな遅れくらいなんてことないのに!


まあ、ひとまず安心てことでそのあとビール飲みに行って、ほかの友人とも無事合流し、スターパインズに戻ってライブ開始。
わしらもDJやってきました。
合間つなぐだけだからそんなに持ってかなくていいだろーと思っていたら、意外とかけるとこが多かった&友人がどんなんかけるか全然わかってなかった(びっくりするくらいファンク&ディスコしか持って来てなかった)ので、もっとCD持って行けばよかったなー、と思った。
吉田美奈子とどんととじゃがたらに頼りっぱなしだったわ。
友人らもマイケルやJB、岡村ちゃんに頼りっぱなしだったなあ。

るっぱさんのライブは4バンド(コラコラ、カゲロウ、ゼン・ラー・アーケストラ、ヤパニ!)ともよかったです。
あらためて誕生日おめでとう!
プレゼントを見事に買い忘れて(ケータイ騒動で)すんません。
とても三十路男子に見えない装いでしたが。それはいつもか。

会場に置いてあった「るっぱマンガコーナー」(るっぱさんが好きなマンガが置いてあるだけのコーナー)の7割くらいがお耽美系だったのが笑った。実際は違うのかもしれないが、ボーイズラブ系同人誌のインパクトが強すぎた。
テキーラ飲みまくってめちゃくちゃテンション高くなっていたるっぱさんが、友人を担いでいたのにはびっくりしたわい。


終わったら23時を回っていたので吉祥寺を退散。
電車の中で黒すぎる黒人(エーコンレベル)を見て、ありゃすごいわーという話ととかウミウシはドラクエでしか見たことないとかを話しつつ、新宿で下車してサウナにケータイ取りに行かなきゃなーめんどくせーなー(自分が悪いんだけど)と思い、のろのろと歌舞伎町へ向かったのであった。



続く!
2009年06月27日(土)

天のめぐり合わせと自分個人の思い別れ

またしばらく日記を放置しておりました。あい、すいません。
ちゃんと生きています。

4月半ばに沖縄行って、その沖縄旅の話を日記に書こうとしていたのですが、帰ってきてからドトウの展開でした。
詳しくは書けないけれど、とりあえず。私が働いておったゴールデン街の店が閉店いたしました。
ザ・無職!
・・・ではございません。
いろいろあって、天のめぐり合わせか神のめぐり合わせか、同じくゴールデン街にある沖縄居酒屋というか、沖縄バーというか、な、「赤花」というお店に移籍いたしましたよ。

移籍したというか、閉店した店舗に「赤花」が引っ越してきたのです。
「赤花」ママさん(那覇出身)には前からお世話になっていた縁もあって、私はそのまま引っ越してきた「赤花」で働くということになったのでした。まあ、辞めるという選択肢もあったのだけど、働きたかったしね。ママさんも快く受け入れてくれたのでした。
いや、しかし、わしの人生にはこういうラッキーが多々あるなあ。
前の会社んときも「歩いていける場所にある会社で働きたいなー」などと言ってたら、入社4年後に会社が徒歩15分のところに引っ越してきたし。今回の赤花移籍も、そんなようなラッキーが働いている気がする。
いつだったか、青森行ってみたいわーなどと言ってたら青森出張行けたり、鹿児島行ってみたいわーなどと言ってたら鹿児島出張行けたりしてた頃、「口にすることはすべて叶うようにできているのか」とか書いた記憶があるのだけど、そんな感じでしょうか。まあ、明確に「私はこうしたい」と言っているからな。何も言わないくせに事柄が近づいてきているわけではないか。


先日来たお客さんカップルの女性のほうが、「私は××さん(一緒にいた彼氏)好きなんですけど、結婚するとかは考えてないんですよ」と言っておりました。でも、初めてお会いした私にすら彼女が彼のことが好きで好きでたまらないのは伝わってくるし、「一緒のお墓に入りたいとは思ってるんですけどね」と言っておったので、
「重いと思われようがなんだろうが、自分がしたいことは言ったほうがいいですよ。後悔しないように」
と思わず言ってしまいました。
大きなお世話か。
実際にどうなるかはわからんけど。だめになるかもしれなくても。言わないでダメになるよりは、言ってダメになるほうがずっとマシだよ、と思いまして。言わないでダメになったら、「言っておけばよかった」って思ってしまうからね。

私もここ数年を振り返り、思うことは、「重いとかウザイと思われようが、自分の気持ちをいつでも、全力で伝えておけばよかった」というものですよ。離れていても平気、ほかの友達と遊ぶから大丈夫、むしろほかの友達との時間が大事なんだよ、なんて言ったりそぶりを見せ続けなければよかった。重く思われたり、うっとうしいと思われたくないがゆえに「私にはほかのものもあるから大丈夫」なんて言わないほうがいいぜ。
大事な人を失ってどうなった?
ほかのもの、ほかの人だけで満たされたか?答えはNOだ。
一緒にいたければ「一緒にいたい」と言ったほうがいい。言っていいんですよ。


まあ、あの時こうすればよかった、なんていまさら言ってもどうしようもないんでね。
もし、今、何かに迷うことがあるなら自分の気持ちに正直に。何がしたいかを明確に。
意地とかかっこ悪いとかそんなんは、二の次だ。


あ、話が脱線した。
脱線したのかどうかわからんが、とりあえず職に関しては恵まれて生きておりますが、恋愛的なことは何も変わらず何も起こらず生きているな。まー、恋愛的な事柄に関しては、「いい出会いが欲しい」「まだ見ぬ誰かと恋に落ちたい」と願っていないからなー。ま、私が恋愛において願うことはただひとつで、それはもう一生叶わないのかもしれないけれど、それでもいいって自分で思ってしまったからな。それが後悔しない、自分の選択だし。
自分の気持ちに正直に生きていますよ。無理もしていないしな。その思いを捨てるほうがよっぽど無理することになるからな〜。



あと、話は変わるが、ここ最近「ヤツザキ=フリーメイソン説」みたいなのがあるみたいな話が聞こえてきたのですが(ものすごくどうでもいい範囲で)、フリーメイソンでもユダヤの陰謀でも北朝鮮でもなんでもいいよ。関係ないから。

こないだ友人が
「人はちんこと一緒で、刺激したりいじったりするとどんどん大きくなっていくから、大きくしないためには放っておくのが一番だ」
という名言を教えてくれまして、ヒザを打つ思いだったのだけど、
黙っているということは、時として、「無言の肯定」につながらるのだよなー、と痛感するよなことがあったもんで。
ナンシー関もかつて、
「三流タレントの存在を否定せずに無視する(そいつがテレビに出てくるとチャンネルを変える、など)ということをしていても、それは相手には『自分の存在は肯定されている』という風に解釈されてしまうのだ。だからそんな三流タレントが深夜番組などで半生を語り始めたら、それは我々何も言わなかった人間の責任である」
と書いておりましたが、そうなんだよ。ホントそうなんだよ。

というわけで、逆効果なのかもしれんし、まあ、ここに書いてもどうしようもないことかもしれんが、
先述のように自分の意思を明確にしておこう。
私の意思としましては、
私は関わらんし、忘れ去ってるので、
早く私のことも忘れ去ってほしい。
ということですわ。
早くどうでもいい人間になりたいよ。私は小物でクズで取るに足らない人間だからさ。
謙遜とかじゃなくて。あなたがたにとってホントそうだからさ。


と、一部のヤツザキ=フリーメイソン説支持者たち向けメッセージ。
何がなんだかさっぱりわからんって?わからんでいいですよ。
わかったところでどうでもいいことですから。

2009年06月22日(月)

日記在庫整理 その5(これで完結)

これで本当におわり。
エンピツ日記って原稿用紙20枚分以上は載せられなかったのか。
知らなかった税。


■灰野敬二早川義夫ライブ  2009年04月13日16:12

に行ってきた。
新宿JAM満員!早川さんのライブて、満員のイメージが全然ないんでちょいびっくりしたよ。いや、一番驚いてたのは早川さんだったようで、MCで「こんなに人がいるライブはないです」と言ってた。


で、灰野さんのライブを初めて見たんだけど、熱いなああ!ノイズだなんだと聞いてたけど、ものすうごくロックだった。スピーカーの真ん前におったので轟音大音量を全身で浴び、耳をつんざかれたのだけど、すべての音が肉体なんか軽く通り抜けて、心や魂に突き刺さったわー。鳥肌立ったわー。
灰野さんがノイズの合間に叫ぶ「本当のことが知りたいなら、自分を変えてゆけ!」「魂を晒せ!」なんていう言葉にもぞくぞくさせられたわい。

ロックに限らず、音楽てのは体の内側の衝動というか、言葉なんかじゃあ表現しきれないものを近似値で表現するもの(音楽ですらすべてを表現しきれないけどね!)なんだよなー、と改めて思う。
とにかく灰野さんの発する音楽に、酔いしれた。熱気を感じたわけですわ。また見たいわ!


そして、早川さんのライブ。こっちは灰野さんとは逆で言葉を聞かせるのだけど(早川義夫は歌手ではなく詩人だからな)、しょっぱなの「パパ」からボロ泣きでした。仕方ないさー、好きーだものー。
「この世で一番キレイなもの」を聴いてわんわん泣いてましたが、最後の「いつか」に一番泣いた。
「いつか」は初めて聴いた時からグサグサやられたが、今聴くとさらに骨身に染みるな。
弱い心が痛みを感じるし、弱いからこそ優しくなれるんだ、とか、
もっと叫べ、もっと突き詰めろ、もっと捨てていけ、まだ終わっちゃいない、という言葉は、あまりにも真っすぐだ。いや、早川さんの歌って全部、真っすぐなんだよね。わいせつな歌も含めて。
全部真っすぐだからこそ、てめえは真っすぐか、と突き付けられる。早川さんが問うのではなく、自問ですが。


まあ、灰野さんも早川さんも、「自分」に関する虚実というものを暴いていく、てのがテーマな人たちなのかな、と思いました。
自分なんていびつで構わない、形にあてはまらなくてかまわない、弱くてもかまわない、どうしようもなくてかまわない、
そのままの自分でやっていけ、ありのままの自分肯定してから進んでけ、ていうね。


半年前に早川さんのライブを那覇で見て、それから今に至るまでいろんな出会いと別れがありましたが、それでよかったのだ。
自分が出会った人てのは、自分の指針がぶれなかったからこそ出会えたのだし、
自分が捨てたり去ってった奴はそれでいい。
そんなことをしみじみ思う。
その後友人が「このタイミングで沖縄行くのはよかったんだよ」と言ってくれましたが、ほんとにその通りだ。
沖縄まであと3日!
その前にもう一個ライブ予定が。これも自分を確かめに行くライブであろうなあ。


■アーシューラー  2009年04月14日18:23

阿修羅展に間に合った!
今日を逃したら八部衆・十大弟子全体見られんかったのでよかったよ。


わしはとこてん(日出処の天子)や天上の虹が大好きなんで、法隆寺や奈良の東大寺やら興福寺やらに前に足を運んだりしてましたが、その時は漫画ありきであった。
が、個人的にいろんなことがあり、苦しんだりボロボロになったりした末、でもそれはそれでしょうがないのだ、自分に関するあらゆることを、すべて受け入れればいいんだよ、と思うようになった時、
それまで全然縁がなかった仏というものが近しい存在に思えるようになりまして。

で、それから仏像というもんが神々しく見えるようになりました。
理屈じゃないんだよなー。
癒されるんじゃないのだ。
ただただその姿に圧倒される。憧憬を抱く。あんな境地に自分もいつか辿り着けるんだろか、と思う。


で、目玉である阿修羅にも魅了されましたが、正直、阿修羅像は闘志を秘めすぎてて、今の自分にはあんまりぐっと来なかったな。
いや、素晴らしいんですよ。眉間の皺や噛み締めた唇、ちと涙たたえてるような目に、絶対に屈しない自分の意志というものを感じて。
私もちょっと前までなら、こんな阿修羅の強い意志というもんを必要としてましたが。
もう自分で葛藤して確立させちゃったからな。まだ心もとないが。
またそのうち、この像を必要とする時が来るだろうから、その時また見たい。


それよりも!薬王菩薩という像を見た瞬間に涙がボロボロ出て、たまらんかった。
ものすごくでかい菩薩さまなんだけどさ、私が今求めているのはこういう優しさや、心の広さなのですよ。
心の穏やかな、大きな女性になりたいと、願っているのだね。
しかし最近、涙腺がばかになってるなー。


■エンケンライブとスリープトラッカープロ  2009年04月16日03:41

↑なんというカタカナづくしっぷり!
そしてこの日記長いよ。

今、テレビショッピング見てたら「スリープトラッカープロ」という商品が紹介されてて、最初はなんも思わなかったのだけど、ズバリ寝坊が治る!というのを聞いて俄然欲しくなりました。

わしの寝坊っぷりは病的だからな!
クリスマスは2年連続、巨大目覚まし時計もらったしな!
それを使っていながらも起きられないのはなんでなのか。だらしないからか。睡眠障害か。
ま、実は、最近はアラ不思議なことに目覚まし使ってないんだけどね。
それ、昼夜逆転してるからじゃねーの、というツッコミ必至ですが、
そんなことはないのですよ。
夜仕事じゃない時は意外と朝8時に起きてるのですよ。
て、「つばさ」が見たいからなんだけど。
ちりとてちん以来のヒットだわ。

でもこのスリープストラッカープロは心地よく起きられる目覚ましらしいので、欲しいなあ・・・19800円か・・・


話が前後しましたが、本日は大坪夫妻のお誘いでエンケンのライブに行ってきました。
思えば6年前、2003年フジロック。
そこでエンケンのライブ見て、もうとにかく衝撃を受けたのだった。なんつうか、神を見た!という感じだった。昔の日記読み返したら実際、すごい感激ぶりが記されていたよ。
で、「不滅の男」の歌詞みたいにこれから生きていこう、などと記していた。
そうだよ、私はエンケンを初めて見た時、全身全霊で自分に対して打ち込んでいる姿、というか、自分の軸がブレていないエンケンの姿勢に激しく憧れたのだったよ。
それから6年。そういう風に生きてこれたかしら。少しは近づいたと自負しているけどね。


ライブが始まる10分くらい前に友人からとあるメールを受信する。
私が昔縁があった方についての内容だった。
もうすべてのわだかまりを解消してもいい、赦そう、と思える内容だった。
赦すといってももう一度会うわけではない。たぶん、会うことはないだろう。なんというか、自分の中で成仏させようという感じだ。

その縁がついえたのは2003年の6月で、その後にごたごたがあったのは確か7月の半ばだった。エンケンのライブを目撃したのは、まさにそんな出来事の後のことだった。
というわけで、エンケンの歌を聴きながら6年間のあらゆる出来事を思い出す。
こういうことって、不思議だね。出来事というものは偶然じゃないんだな。6年間というひとつのタームが終わったのだな。その幕開けはエンケンであり、閉めもエンケンだったのだなあ。
ほんと、不思議なことだ。
そういえば、6年前、フジロックで一緒に見たのもオオツボさんだったなあ。こういうのって、本当に巡ってくるのだなあ。


こないだの早川さんライブではボロ泣きだったが、エンケンライブはMCで笑わせて貰ったり(鈴木茂のことも話していた)、気持ちよくさせてもらったが、最後の「夢よ叫べ」ではほろほろと泣いてしまったのでした。泣きすぎだろ。
でも、なんというか、「これでよかったんだ」と再確認できたのですよ。そのまま行けばいいんだよな。
さらに、エンケンに「負けるなよ、自分に負けるなよ」と励まされた気がした。
本当に、エンケンありがとよ!
こんな素晴らしいライブに誘ってくれた大坪夫妻、ありがとうございましたわ。


で、明日から私は新ターム開始ということで、やっと!沖縄でございます。
よく考えたら私が沖縄によく通うようになったきっかけは、「電氣菩薩」とエンケンなんだよね。電氣菩薩置いてたバーに、エンケンのポスターが貼ってあって、「私もエンケン好きですよ」という会話をしたのが、沖縄の人たちと仲良くなったきっかけだったのだよなあ。
エンケンならぬ縁ケンであるよ。ホント神ですよ。




やっと在庫整理終了〜〜〜。
つうわけで、この後から新タームだった沖縄旅のことを書きたいと思います。ちゃんと書きますよ!2ヶ月放置とかしないよ!よろしく。
2009年04月24日(金)

日記在庫整理 その4

いちおうここで在庫整理打ち止め!


■少しまじめに非婚同盟(長文)  2009年03月17日14:52

昼ドラ「非婚同盟」を見ておるのですが、最初はおもしろかったけど
最近は見ていてイライラしっぱなしでございます。

見てない方に説明すると、
嫁と愛人がいる男(どっちにも子供がいる)が両方の家族を同じ家に住まわして、本人は自由気ままに暮らしておったのだが、その娘たち(嫁の娘と愛人の娘、そしてそれらの友達の娘)は
それぞれ苦しむ母親を見て
「女は結婚すると不幸になるのだわ!結婚しちゃダメなのね!
 よし!私たちは結婚しないことにしましょ!」
と非婚の誓いを立てて、大人になる。
で、毎日「非婚の五箇条」とかいうのを唱えて男性に媚びない、自立した女性を目指すのだけど、
そこからの主人公(佐藤仁美)にイライラしてしょうがないのです。

「結婚しなくても、セックスはしていいのよ」とか言ってセックスしまくり、セックスした男に結婚しようと言われると「私は自立した女性なのよ!解ってない男ね!」とはねつけたりしていたのだけど、
ある時、セックスした男の子供を身ごもる。
男は結婚しようというが、私は非婚の女なの!とここでも突っぱねて
その男がまあいいよ、事実婚でいこう、と納得してくれるのだけど、
その男は偶然、交通事故にあって他界(笑)、
子供だけを授かり、さらに、その男がやってた画廊の社長を引き継ぐことにもなる。
どんだけラッキーなのかと。どんだけご都合主義なのかと。

で、主人公は「非婚を貫いていれば、こんな風に自立した女性になれる」と、自分のラッキーを都合良く解釈したエッセイ本を出版し、それを読んだ女性達が主人公の元に集まってくる。(だいたい男を敵視した女達)
主人公はその女性達を「非婚の女の館BAR 黄色い薔薇」という店でホステスとして働かせる。本人は経営者の位置に納まる。

さらに、幼少期からの親友(父の愛人の娘)の恋人が画家の卵で、その画家を自らの画廊で育てることになるんだけど、その画家は主人公に惚れてしまって、主人公も画家を好きになってしまう。
だけど、画廊のオーナー(死んだ男の親)の手前と、親友の手前、そして「私は非婚の女なのよ!」という主張の手前、関係は結ばない。
が、このへんのやり方が汚いというか、見ていていやな気分になる感じなのですよ。


主人公を取り巻く人間達が、皆、キチガイじみていて、そっちが過激に描かれるので、主人公はいたってまともに見えるようになっているのだけど、この主人公のズルさがどうにもこうにも気になって仕方がない。
ずるさというか、口では正しいこと言ってるけど全然違うじゃねえか!男に媚びまくってるじゃねえか!ってとこかな。

そして、非婚!非婚!唱えているのが、ドラマの中では最新の考え方になっているけど、ものすごーく古い考え方に見える。
「処女を守る」ってのと同義にすら思えるんだよな。
ま、このドラマの設定が1980年代後半であり、また、このドラマのプロデューサーは「真珠夫人」と同じ人であるから、その見方は間違っていないのだろうけど。

まあ、私がイライラするのは、この主人公の「何をやっても、私は正当なの」と主張する態度なんだろうな。
男に媚びていることや、ラッキーに助けられていることをちゃんと自覚していて、謙虚な姿勢であるのなら、こんなにイライラすることもない。
尊大なのだよね。周りに助けられているのに。
周りに沢山負担かけているのに、「私は正当だからいいの」みたいな態度とか。
自分のことしか考えてないんだよな。
そして、その自分の正当性をことあるごとに唱えすぎていて、うるさいんだよ。

結婚だって、相手のことが好きならすりゃいーじゃねーか、と思った。
裏を返すと、結婚することで他者に対して責任を負うことから逃れているだけだろ、と思う。

なんつうか、何か敵を作っていくことで自分を正当化するという人間が、私は大嫌いなわけです。それは、私自身もそうであったのだけど、
私はそれを克服しようとしているところだから。
この主人公の場合、「結婚」というものを絶対敵と見なすことで、自分を持ちこたえさせているあたりが、イヤなんだな。
自分が弱いが故に、相手に飲み込まれるのが怖いだけなんだろ、それをなんで直視しようとしなんだよ、と思ってしまう。

私の知人にも絶対敵をこさえることで自分を正当化させている人がおりますが、その人はもう周りの人間とかを超えて、法律や社会が敵だと言ってました。それ聞いて私は呆れてしまったけど。そんなおっきい、目に見えないものまで敵にしないとダメなのかよ、と。
突き詰めれば、すべての敵は己の中にしかないのだよ。
そして、自分の中の敵を見ないふりしたり、自分の中の敵と戦ったところで、しょうがないのだよ。
だってそれも自分自身なんだもの。そういう自分も認めてあげないと。弱い自分もずっと一緒についてくるんだよ。生まれた時からずっと一緒なんだから。


まー、最近の「非婚同盟」では周りの親友達が主人公に「自分自身にウソをつくのやめたら」と指摘したり、今日などは「結局、あなたは、あなたの父親(嫁と愛人の家族を一緒に住まわせて、「両家族の融合は人類の調和だ!」とキレイ事唱えておきながらやってることは2人の女に負担をかけているだけだった)と同じなのよ!」と指摘したりしていて、
少しだけ私も落ち着きましたが。
でも主人公はそういう言葉に耳を塞いでいるので、全然変わっていないけど。それどころか自分を悲劇のヒロイン的な方向に持ってこうとしているので、はいはい、一生やってろクソ女、と思わされたけど。


あと、佐藤仁美が酒焼け声でキレイ事を述べるのが癇に障る。
説得力ないっつうの。



■ロックンロール以外は全部嘘!  2009年03月23日03:02

19歳の女の子に連れられて渋谷屋根裏にブルボンズのワンマンを見に行ってきました。
ここ数年、自発的に見に行くライブはたいてい50代〜60代の人がやってるライブであった(フジロックを除く。いや、フジロックもそんなんばっか見てるから一緒か。ちなみに寂聴ライブ含む)ので、
同世代の人がやってるライブを見るのはものすごーく久々でした。
ブルボンズは何年か前にたまたま試聴して「この轟音疾走感イイネ!」と気に入っており、店でも流していたのだけど、ライブを見るのは初めて。

生で見たブルボンズは私が気に入っていた2ndアルバムのよな轟音疾走ギターロックだけのバンドではなく、意外とブルーハーツのような面や曲もあるバンドでした。そういや連れてってくれた女の子もブルーハーツのファンだったわ。なるほどなー。

というわけで、10代で聴いてたら痺れるよな〜というような歌詞が多かったのだけど(実際客も10代〜20代前半中心)、
「絶望は、希望なんかよりずっと強くて、いつでもどこにでも、すぐそばに迫ってきているんだよ。それでも、ほんの少ししかないとしても、希望は絶対捨てちゃいけねえんだ」
とボーカルの人が言ってました。
今年三十路のわたくしにも、31歳になったばかりのボーカルの人の言いたいことがよくわかる。
ものすごく鮮明にわかる。
嘘や言いがかり、裏切り。そして妥協や敗北を感じること。10代の時に感じていたような孤独感、無力感が、年取ればなんとかなるだろうと思っていたけど、なんとかなるどころかさらに深まったりするということ。世の中にはいやなことだらけだし、自分もまた、狡猾でいやなものになってたりするということ。
そういうようなことを「しょうがない」と受け入れていかなきゃなんねえんだよ。すべてが自分の思い通りになんかならねえんだよ。
だけど。それでも。
諦めねえんだよ。
それでも、何かするんだよ。関わっていくんだよ。
なんにもならないって、わかっていても動き続けるし、叫び続けるんだよ。

そういう、「一見ムダな動き」「もっと賢い、傷つかないやり方あるのに」てのに抗い続けることが、手に取るようにわかる。
抗い続けるって不適切ですね。わかっていても、やってしまうんだよ。
で、それを若い人たちに伝えたい気持ちもよくわかる。

「嘘ばっか」「クサイ」「所詮キレイごと言ってるだけじゃねえか」という批判もこのバンドにはあるらしい。
年を取った私は、そういう批判をしてしまう人の気持ちもわかるし、批判されようがクサかろうが、叫ぶことをやめない彼らの気持ちもわかるんだよなー。いや、彼らの真っ当な、直球過ぎるところにたどり着いた(おそらく、紆余曲折があってそうなったのだと思う)気持ちのほうがわかるわ。

昔、「ロックとはクソッタレと叫びながら抱きしめること」という文章をどっかで読んだが、客に向かって「今、抱いている孤独は、年取ったらなんとかなるものじゃないし、俺には君たちの孤独はなんともできない」と言い切って、「豚豚豚豚野郎〜」って轟音疾走ハードコアな曲を2回アンコールで2回とも繰り返してた彼らにロックを感じましたよ。

「ロックするということは、二の足を踏まずに自分の信じる道を進むこと」
と言ったのはスリーターキニーのコリン女史だが、どんな批判があろうとも、どんなにロックやってても実際はなんにもならねえってことがわかっていたとしても、どんなに自分が世の中にまみれて狡猾な生き方を実際にはしていたりしても、「ロックンロール以外は全部嘘!」と叫ぶ彼らは、まさにその言葉通りのことやってると思います。
ロックンロールすらも嘘だとわかっていても、そう言いたいんだよ。
信じているんだよな。
で、信じているんだから、それでいいのだよね。


■大人になってからのほうが学ぶこと多いよなー  2009年04月08日08:34

ゴールデン街に来るおじさんたちは、だいたい酔っ払いなんだけど、ふとした時にすごくハッとすること言うね。
今日もおっさん、超能力あるんか!というような話が目の前で行われてた。
ほほえましい光景でした。いや、ホントはニヤニヤしてたんだけど。

電車乗ったら、セーラー服がまだ似合わない女の子がいて、あー、まだ中学生なりたてかあ、そうか入学の季節かあ、と気付く。
季節感のない生活してるんで、こういうの見ないとわからんのよね。
ぶかぶかのセーラー服にも、朝の電車にも、おそらく親に決められた私立中学進学にも、居心地悪そうにしてるその子を見て、いまは居心地悪いかもしれんが、いつかそういうの全部どうでもよくなっちゃうんだぜ!
おとなになったら学歴てあんま意味なくなっちゃうんだぜ!
いつかきっと、全部受け入れられるよー、なるようにしかならんからなー、
おとなになったらゴールデン街来ていろんなこと学んだり学ばなかったりしろよー
と、勝手に心の中でエールを送る。余計なお世話か。

で、家着いたらちょうど小学生が集団登校してた。
黄色い帽子の一年生が多かったので、母親たちが付き添ってたのだけど、その母親たちが私と同い年か年下のようでした。
まあ、そういう歳だわな。子供いてもおかしくねえわな。
そんな私は、家に入ったら母親に
「もう30なのになんて格好してんのー」
と呆れられましたが。
いいじゃねえかミニスカ。嘘。明け方は寒かったわー。そして内股を虫に食われてた。一体どこで!?


とくダネのオープニング曲はジェネシスに変わったのか。
コステロ→スタカン→プリテンダーズの時は「次はXTCかも?」などと期待してたけど、ジェファーソンスターシップでジェネシスじゃ、もう期待できんな。つまんねえなあ。ポリスは今後きそうだけど。


■そんなに新宿が好きかと  2009年04月10日00:51

今週は東新宿での仕事で幕開けしたけど、今日も東新宿でした。ライブがな。
ソルバルウズとキノコホテルとスランキーサイドを見てきました。

ケイゴさんはバンドのほうがいいね!格段にいい!USインディーバンド臭プンプンの曲がよかったわー。顔がにやけました。
キノコホテルは、ベースの女の子が可愛すぎ!あとギターの子のギタープレイがかっこよすぎ!そして全員のナポレオン風服ミニスカワンピース姿がいいわー。
で、スランキーサイドは爆音っぷりに痺れたわ。かっこよかったぜ!ベース音がぶっといバンドはとにかく好きだ。大好きだ。

てなわけで気分よく、その後ゴールデン街。あ、この流れも月曜と一緒だ。
クナブラでおもろく呑んで、帰ろうかなと思ったとこで赤花のママさんに会ったので、ソーキそばをいただく。
ママさんが、
「那覇と新宿って似てるんだよねえ、どこでも歩いていけるとことか」
と言ってて、ああ、まさにその通りだなあ!と思った。

てなわけで、那覇帰りにはじらんばやのちきあぎを赤花に買っていかんと!忘れそうなんでメモ。
今日はいろんな意味で沖縄で新宿な日であったよ。あ、ケイゴさんもうちなーんちゅだしな。うまくオチがついた。


まあ、そんな調子だった最後に友人から「おい!カジヒデキが強盗に襲われて一時意識不明らしいぞ!」というメールもらったのが、今日のホントのオチなんだがね。
それはどうでもよすぎるので、いいわ。





長くなりすぎたので次に続く。次でホントおしまいだ!
2009年04月23日(木)

日記在庫整理 その3

まだまだ先が長いなあ!でも、やるんだよ。
日記在庫整理その3。


■新宿!?遠くねー?   2008年12月21日17:50

そういや金曜日、のんだくれておった午前3時に知らない番号から電話がかかってきました。

「携帯拾ったんスけどー。この番号登録されてたんで電話してみたんすけどー」
というつっけんどんな男からの電話で、でもこの番号わしの携帯には登録されてない。
どこで拾ったんすか?ときくと
「ドンキの横」
と単語で答えが返ってきた。どこのドンキ?と尋ねると
「千葉。東千葉」
とまた単語で返答。
千葉でドンキて、ヤンキーか。

と思ってたら
つーかどこにいるんすか、と逆に尋ねられ、新宿と答えたら
「新宿!?遠くねー?」
言われたわい。そら遠いわな!こっちが千葉と聞いた時に言いたかったわい。

まあどうしようもないんで交番に届けといてください、と言ったら
「つーか俺ら、未成年なんスけど」
と逆切れされた。
知るかよ!
でもオラオラ系というか輩なんだろーなーと思った。彼らはきっとガルフィーを着ているに違いない。


そこで電話が切れたけど、
あれはホントに携帯拾ったんだろか。新手のいたずら電話なんではないか。
その後は呑んで笑って歌いすぎて忘れてたが。
携帯って怖いね。いろんな意味で。


■「ありふれた奇跡」から目が離せぬ(地味だけど) 2009年01月30日01:36

毎日ついつい見てしまうのは「非婚同盟」ですが、
毎週木曜日は「ありふれた奇跡」を欠かさず見ております。
これ、地味なのだけどおもしろいよ!


まあ、山田太一ドラマですので、
家族があって、その家族のそれぞれに秘密があって、という具合(岸辺のアルバムイズム)なのですが、
それが徐々に明かされていくので目が離せん。
主人公(仲間由紀恵と加瀬亮)の父親たち(岸部一徳と風間守夫)にも秘密の接点があった!というところで今週は終わったのだけど、
予告を見る感じだと、その秘密ってのがどうやら

「女装」

らしい。(まだはっきりとはわからないが)
今、流行してるの?女装って。
なんかわしは毎週女装の話を聞いているような気がしますが。


と、サスペンスではないのに謎解き感覚があるのもいいところなんだけど、
主人公2人の距離感が絶妙で、それがおもしろいんだよなー。
とくに加瀬亮が巧い。
「さみしい。自分のことを解って欲しい」
「が、あんまり踏み込まないで欲しい」
という女性に惚れてて、その相反する気持ちに翻弄されてる演技がいいお。
自信なさげな見た目もいいですね。
見た目だけだと倉本聰のドラマに出てきそうな感じだよなー。
でもあえて山田太一。
会社クビになったので、実家の左官業やってるという設定も山田太一的THE・挫折って感じでよいです。


仲間由紀恵も上記のような態度とったり、「恋愛関係はイヤなの」「男女の関係になるのはこわいの」と言っているわりには、
メール来ないと自分から送ったり、自分が酔いたいときに加瀬亮誘ったりしていて、
人との距離感の取り方がわからない!ということにまつわるどうしようもなさ(出過ぎたマネすると嫌われる!という恐怖や、逆に向こうが出過ぎちゃうと自分が引いちゃう、というところなど)が反映されているドラマだと思います。
早く来週になんねーかなー!続きが気になるわー


■映画感想文  2009年02月09日20:58

日曜。
前日「悲夢」が見れなかったのがなんとなく悔しかったので
見に行ってきた。
http://www.hi-mu.jp/

ストーリーは↑のサイトを見てもらいたいのだけど、
別れた女のことを愛しすぎている男と
別れた男のことを憎んでいる女が
同じ夢(別れた恋人と会う夢)を共有しておって、
男のほうは夢の中で愛している女に会えるからいいけど、
女のほうは男の夢通りに憎んでいる男に会ってしまうのがつらい/苦しい、ってなわけで、
私はこんな思いしたくないから寝ないで!と詰め寄ったりするような具合。で、男は俺は彼女に会えるから嬉しいけど・・・と思うが、
(ちなみに彼/彼女の別れた恋人たち同士が今、現実に付き合っているという・・・文章で書くとわかりづらいが。主人公男女の元カノ、元カレ同士が付き合っているっつうことです。偶然スワッピングということです)

あ、これ以上は書かないでおこう。


まえにもどっかで書いた気がするが、
ものすごく好き!という気持ちと顔も見たくないほど嫌い!という気持ちは、実は同じ感情、同じ熱量なわけで(対極にあるのは「どうでもいい」「なんとも思わない」)、
その表裏一体ぶりを再確認する話でございました。
映画の中では「黒白同色」という言葉を使ってましたが。


途中、葦が生えている湿地帯みたいなところで、
夢と現実がクロスオーバーして、
元カノ元カレカップルが車ん中で大胆愛の交わりをしているところを
主人公の男女たちが目撃してしまうというシーンがあるのですが、
そこで交わっている彼らが
「愛してる、最高だ!」などと愛の言葉を叫んでいるうちに
感情が高まって、その愛の言葉が
「このクソ女、殺してやりたいほど愛してる!」
というような罵倒表現に変わっていくのだけど、
そーこーが!
ものすごくグッときました。
わしゃ、こんな愛しか知らない気がする。


愛や恋は、全力で生きるものであると同時に
全力で死に向かおうとするものだと思っていたのだけど
(死って言い方よくないね。全力で生命を燃やし、燃え尽きることを望むもの、かな)
それは「渇愛」なんでしょうね。
渇愛の究極の果ては、自分ないし相手の肉体の「死」だけど、
愛や恋の「死」ではないというか。
むしろ愛や恋の「生」のために、おのれらの肉体を「死」という形をもって捧げるのかと。

でも人間、自分の肉体や人生を投げ出せるほどの「愛」には出会えなかったり、愛や恋はいずれ燃え尽きて終わるものだとわかっていたりするから、おのれの生命投げ出すほどの価値はないと思ったり、
もっと素晴らしい愛や恋に出会えるかもしれない、と思ったりして、
死なない人のほうが多いわけだけど。
まあ、どっちが幸せかなんかわからんよ。
その人が思うことが実現できたなら、それでいいのだろう。



あ、思っていることぜんぜん書けてねえな。
混乱しまくり。
もうちっと整理して書き直すとしよう。
というか、ほかにやることあるんだからそっちやろう。


■曲がり角の彼女て  2009年02月16日17:24

「最近、テレビの話題書きすぎ」と指摘されることが多いですが、またテレビ、しかも再放送ドラマのことです。

再放送「曲がり角の彼女」を結構な頻度で見ていたんだが、これってまるっきり「29歳のクリスマス」なんだなー。
相手の男が金持ちで、親に反対されて主人公は新しい職場を選ぶ(自分の可能性を試すために)、というのも一緒。
それを、29歳のクリスマスでは主人公(山口智子)にいやがらせしていた若い女の子役であった稲森いずみが、今度は主人公になってるというのが感慨深いドラマでございましたよ。

新芥川賞の書評で、「20代後半〜30代女性が、仕事か恋/結婚かを選ぶ時代は終わった」と書いてあったが、
別に終わりはないんじゃねえの。ただ単に、それどころじゃない、という人がちょっと増えてきたってだけで、それくらいの年齢になれば結婚したほうがいいんでないか、とか、この仕事をいつまで自分は続けられるだろうか、とか、なんだかんだでやっぱり恋で最良の幸福を得たい、とか考えるもんなー。
普遍的なことだよなー。

まあ、29歳のクリスマスにせよ、曲がり角の彼女にせよ、おんなは、自分の思う通りの選択をしていいのだよ!というドラマだったと思います。
失敗してもいいから、自分の納得いく選択をせえよ、と。どうせ我々おんなは欲張りな生き物なんだからさ、と。
その代わり、選んだ以上はそれで突っ走れよー、と。


途中で誰かが言ってた
「結婚してても、してなくても、つらい時はつらいし、さみしい時はさみしいのよ」
て台詞が印象に残っておるなあ。


それにしても稲森いずみは大好きなんだが、要潤はアゴが尖りすぎててやっぱいけ好かない顔だったよ。
あれもイケメンなのか…


■ナイト苦しいジング(やや長文)  2009年02月22日20:26

自分が苦しんだりつらかったり、いやな思いしたりするのと同じくらい、他人もそういう気持ちになったりするもんですが、
それを頭や常識ではわかっていても、自分が楽しかったり、気分よかったりすると、
そういうことに無頓着になってしまうものだ。


無頓着であることが必ずしも悪いとは思わんがね。
誰かのいやな気分のうえに成り立つ「自分の気持ちよさ」てのについて、今朝から今までちと考えておりました。いや、途中8時間くらい寝てたけど。


まあ、以前にとある出来事があって、私が勝手に「この人は私より人生経験も豊富だし、大人の礼儀作法も心得ているだろうから、きっと寛容だろう」と思っていた人から、
あの時自分は大変にいやな思いをしていた、でもそれぞれ事情があるだろうからしょうがないと思って忘れようとしたけど、しばらくいやな気分で過ごしていた、
という告白を受けたのですわ。
ほんとにごく些細なことだったので、え!そんなことを?とも思ったが、話をきいてとても筋が通っているし、その人には怒る権利があるわけで、
謝ったわけですが、
(筋が通ってなくとも、いやな思いをさせたという事実が重要だし、謝るのもわしの立場上当たり前なんだが)
考えさせられたなー。
その人の人柄に勝手に期待して、勝手に甘えていたなー、と。


期待する、というと実際の見返り(物質や行動、あるいは刺激とか安心も含めた保証とか)を得ることなような感じだけど、
この人は寛容だから許してくれてるだろうとか、
何も言わない(言えない)だろうとか、
そういう類の期待な。
甘えていた、という言い方したけど、軽んじていたという言い方でもいいかもしれぬ。
(ちなみに最初から私が私がの人が、同じようなこと言ってきても、こういう期待や甘えはその人に抱いてないから、また違うが)


まあ、その人が告白してくれたことによって、自分の気付いていない非にも気付いたし、
遺恨ものこさずに済んだわけだけど、
知らないままにそのまま生きるてのも可能だわな。
でも知らないまま生きてくと、自分のつらい苦しいにどんどん貪欲になって、そればっかり大声で主張する人間になる。
「私は自分のことしか考えない、人から疎まれて当然の人間じゃ!文句あっか!」
と、そっちに胸張っているなら、それはそれで見上げたものだし、しょうがねーなーリスペクトするわい、となるけどさ。でも一線引くけど。

でも人間は誰にでもよく思われたいし、何より自分で自分をマイナスに捉えたくないものだからな。
自分を正当化したいと思うわけで。


なんか長くなったが、自分はいっぱい傷ついたり苦しんだりする生き物であると同時に、他人をいっぱい苦しめたり傷つけたりする生き物である、と。
そこんとこの自覚はつねに腹に携えておこうと思ったわけです。


わしは他人にそういうことを指摘する筋合いもないし、自分のそういう部分認めるので手一杯だが、
そこに自覚がない人が多過ぎるので、
自分にたいする戒め含めて長々と書いてみた。


他人がなんと言おうが関係ない、という信念がある人は何また理屈っぽいこと書いてんだ、と嘲笑っていただきたい。
が、信念もなくやってきてる人には笑われたくない話であるよ。まあ、笑ってもいいけど。きもい、と遠ざけてくれても結構。一生、自分が被害者ヅラでやってろ、とわしがひそかに思うだけだから。




もうひといきで終わりじゃー次に続く
2009年04月22日(水)

日記在庫整理 その2

日記在庫整理つづき

■「ひゃくはち」not 恋  2008年09月02日23:26

9月に入って時間がぽちぽち取れるようになったんで、やっと映画「ひゃくはち」を見てきました。


わしは甲子園だと公立校に勝ちあがって欲しいので、私立の強豪校は好きではないのですよ。横浜とか横浜とか横浜とかな。
部員100名以上のとこや、野球留学生ばっかのとこなんて強くて当然だから、応援せんでもいいだろう、と思ってしまうのです。
でも熱闘甲子園で好きなエピソードはたいてい「ベンチにすら入れないキャプテン」や「伝令係の子が9回ウラ2アウトん時に泣きながら叫ぶシーン」や「マネージャーの夏」系なんですけど。
矛盾してますな。


で、この映画はまさにそういう補欠の映画なんだが(しかもモデルとしているのはわしが嫌いな横浜高校)、ものすごくおもしろかった!試合シーンがほぼなくて、練習してるかタバコ吸ってるか合コンしてるかふざけあってるか、ばかりなのがイイ。
練習シーンは映画「キャプテン」以上にあったわい。
こういう映画にありがちな恋モヤモヤが全然なかったのも爽快であった。恋ではなくもっとダイレクトに性欲!だったから。そこがホントによかった。


と、書いてますがもちろんわしは号泣しましたよ。
途中からが目が離せない展開で、胸が詰まりました。
高校ん時、一番仲良かった友達と、廊下で怒鳴りあいのケンカしたこととか思い出したわい。で知らぬ間に元戻ったりなどを。


ちなみに主題歌が湘南乃風で、湘南乃風かー、つらいなーと思ってたのだけど、いやー湘南乃風乗り越えてよかったわー。いい映画を見た。
熱闘甲子園の「負けた高校の生徒たちがホテルでの食事でふざけまくってる場面」が好きな人は必見。


■頭の中の血ゴム  2008年09月08日13:15

わしの父が泥酔して路上で頭打ってK察に保護されて、それを引き取りに行ったという話を7月頭くらいにここにも書きましたが、
なんかいまさら症状が出ましたよ。

二、三日、釣り旅行行ってきて帰ってきたらなんだかヨイヨイになってて、すべての行動がやたらのろいなあと思ってたら、
硬膜下血腫だって。
緊急手術して入院だそうで、まーびっくらこきました。

なんとか膜下と聞いて、ものすごく大変なことになるんでは?と思ったのだけど、局部麻酔での手術だし、手術終わってすぐなのに意識あって話せてるし、自分の体よりも「植木に水やってくれ」とか「金魚の水変えてくれ」とか心配してるし。(彼の生き甲斐は酒と魚と植木とプラモデル)
あとタヒチに行く旅行はキャンセルしないと言い張ってました。しろよ。

まあ命に別状はないようだし、すぐに復活するみたいなんでいいのだけれど、酒癖の悪さはホントによくないなあとまた思いました。


■オトコの隠れ家は必要なものなのか  2008年09月11日11:42

父が倒れて入院しておるので、
「高円寺の家の植木にも水をやってほしい」
と言うてました。
そんなに植木が大事か。

つうわけで高円寺の家(現在、ばあちゃんはホームに入ってるので実質上空き家。
父が週二回行ってた)に行ったのですが、
久々に中入ってたまげたよ。
完全に隠れ家。
高円寺の家は駄菓子屋やってたのだけど、
店スペースのところに鉢と園芸肥料と用土がモリモリ。
ここで鉢に土を盛り込んでいたらしい。
そして二階にはプラモデル専用部屋が!
塗料揃えっぷりがハンパない。プラモデルやりやすいように椅子や机がカスタマイズされとるし。
戦闘機の数が異常に増えとるし。
こっそりと最新型コンポまで買ってるし、知らんがCDの数もものすごいことになってた。
(全部50年代くらいのやつばっか)
で、こっちにも金魚がいて、自動エサやり機までつけてやんの。
エサの量が「最少」にセットされていたのはセコいと思ったが。

なんか高円寺の家の話をすると(空き家だから使ってもいいかと)、
異常にその話を避けたがる/諦めさせたがるなあと思っていたのだけど、
こういうことだったのか。
自分の自由空間を侵されるのを恐れていたのね・・・
いろんなことを納得いたしました。


しかし、人を愛せない/モノ(趣味)しか愛せない人てのは
こういうスペース(なんびとにも触れさせたくない領域)がないと
生きてけないものなんでしょうか。
こういうところに逃げ込むことでバランスを取るのだろうけど。
いや、ちょっと違うか。
逃げる場所がある、ってことでバランスを取っているんだろう。
って、そもそも
ものすごく酒飲みに行ってるし(路上で転倒して頭打つほど)
釣り旅行なんてのもしょっちゅう行ってるし(入院する前日も行ってた)
十分家にいる時間短いと思うのだけれど、
さらに趣味部屋に週二回行ってるって
どんだけ家が嫌いなのかと。
人と一緒に生きていくのがしんどいのだろうなー。
生きづらいのだろうなー。

なんにせよ、こんだけ趣味に生きていて
よく人の親になれたよなー。
と、思った。
まるで他人事のように。
わしの親なんだけどさ。


あ、そういえばわしも飲みに行きすぎだし出張だの旅行だので家空けてばかりいたのだった。
家が嫌いなのは遺伝なんかなー。


■ラスイチ  2008年09月18日18:40

明日で会社卒業ですよー

いやあ、ここ数カ月はあっという間でした。もう一日しかないのだよなー。6年半の在籍があと一日で終わりかー。いろいろ感慨深い。
んで、今日はそのなかでも一番関わったお客さんに挨拶回りでさいたま新都心→新宿ツアー。久々パンプス履いたので足がいてえ。

お客さんに辞めたあとどーすんですか、と聞かれましたが、旅に出ますよーと応えた。
あーこれからは長い旅だよなー。どこに行くかはその時次第ですわ。


■グランドフィナーレ  2008年09月20日06:05

つうわけで本日、最終出社→送別会でございました。
退職ってやること多いナー。あちこち駆け回っておったり、身辺整理ギリギリまでかかったり。まだメールも出しきれてないしなー。

それでもせっかく開いてもらった送別会。一次会、二次会と続けて大勢の人々が集まってくださって、大阪異動した後輩や辞めた人々も駆け付けてくださって、ありがたかったですよ!
わしは普段幹事をやる側なんで、自分が主賓てのに慣れてなくてソワソワしっぱなしでした。
いやー。しかし朝5時まで15人くらい残って、阿鼻叫喚カラオケはおもろかったなー。普段残らないメンツも結構いて、最高でした。

なんつうか、退職というよりは卒業だと思ってましたが、これは自立なんだな、と思った。
頂いた色紙にも「お姉ちゃん」「アニキ」と書いてあったり、先輩に「妹」「弟」と言われ、元上司には「娘を嫁に出す気分だー」と言われたり。元社長も来てくれて、「成長を最後まで見届けたかったのだよ」と嬉しいお言葉。
あーあらためて、この会社の人々は家族なんだなーと実感しましたよ。
だからこそ寂しくないのだよな。いや、ちょっと寂しいけど。でも、ずっと繋がっていけるのをわかっているからなー。大丈夫なんだよなー。


というわけで素敵な花束やプレゼント(ガルシアマルケス2つも!)をいただいて、色紙もでかいのもらって、ホントにありがとうございました。
いやーわしゃ果報者であるよ。いい人たちに恵まれてよかったよかった。


■リセットしたら繰り返した 2008年09月25日15:48

いろいろとカタがつきましたので、那覇に来ております。
あ、ちょっと違うな。正解な言い方すると、那覇に来ていろんなことがリセットされました。
つーわけで、昨日は久しぶりな方々に会って愉しく話して飲酒。なんつうか、すがすがしい一日であったよ。

というわけで、今日はこまごまとしたことをやってたら、この暑い那覇であるのに、どうしてもニット帽が欲しくなって炎天下の那覇をうろうろ。何個かニット帽あったけど、イマイチ欲しい形・色がなくて新都心たどり着いたとこで出会ったニット帽が!
これは!
わしが2007年1月にまさしく同じ場所で買ったニット帽と同じ形!同じ紫色!

前に買ったニット帽は、買ったその日、栄町で泥酔して忘れてってしまって、そのまま石垣行って、那覇戻ってきて再び取り戻したのだった。このニット帽忘れなかったら、出会ってなかった人たちもいるくらい、思い出の品なのでした。
それから1年以上愛用してたのだけど、今年3月くらいに上のポンポンが取れてしまって、役目を終えたのだよね。
時期的にももうニット帽いらん季節になってたので、まーしゃあないと思って捨てたのだけど。

それがまた売ってるとは!

いや、ホントは黒いニット帽があったら買おうと思ってたんだが、あいにく黒は置いてないという。なんか、たかだか帽子なんだけど、また巡り逢えた!というかんじだ。
正直、今の今までこのニット帽のこと忘れてたけどね。いやー不思議なことがあるもんだ。
人生て同じ場面が繰り返すことがあるのねー。
今度はポンポン取れないように大事にかぶろう。


しかし那覇暑すぎる!
軽く熱射病気味。頭いてえ。これはキケンなんでおとなしく横になっとこう。ニット帽被ってる場合じゃない。
明日は海行ってくるどー!


■八つ墓海  2008年09月26日19:55

昨日は4時まで呑んで、今日は朝9時から海へGO!
2時間以上走ってたどり着いた古宇利島で、アホみたいにはしゃいでおりました。
八つ墓村の練習したり。
岩にへばりついて、流されてきた死体やったり。
マドンナのチェリッシュ風ポーズ研究したり。

当方、あと一週間弱で29ですけどね。

(注:この日記で言ってる八つ墓村てのは犬神家の一族のことでした)


■フー!  2008年11月19日21:45

いやあ、12000円高いとかなんとか言ってたけど、行ってヨカタわー。
思うところあって、不覚にも号泣したし。ババオライリィで。
12000円払ったのに、泣き崩れてたもんで立ち上がったのはアンコールらへんだけだったけど。
いやあ、甘ちょろいノスタルジーに浸らせない曲順つか曲構成にも感銘を受けました。
こまかい感想はまたあとで。
ロジャー・ダルトリーが、老いてるのに妙に若々しくて、なんか生々しいなあ、エロいなあ、と思った。ちびマッチョだからだよねきっと。



長くなった。また続く

2009年04月21日(火)

字読みづらい!けどメッセージフォームです


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