ひとりでも生きられることなんか、わかってらあ! |
こないだ古本屋でなんとなく買った瀬戸内晴美先生の「ひとりでも生きられる」という本が!ものすごーく心打たれました。 もう、しょっぱなから涙ダーダー。
「私は少なくともこれまでの生涯、自分の情熱だけはいつわらず正直に生きてきたといえる」
うわああああ! わしの中で断固として消えようとしないものも、これなのだよな。 情熱に突き動かされてバカが見るーとか、わざわざそんなことをしなくても、とかばかりが多いわけだが、もうイタイ女になりたくない、傷つきたくない、などと思っていても情熱を消すことが出来ない。というか、全然消えてくれない。最近のわしはその情熱の存在を、もう見て見ぬふりしたほうがいいんだろうな、などと思っておりました。 でも見ないふり出来ないんだよ。 見ないふりしようとすればするほど、それがくっきり見えてくるという始末。 自分の心の思うことがわかってしまうという体たらく。
しかし!しかーし! 自分の情熱に正直になろうとも、 どうしようもないことが世の中には存在するのだ。
情熱みたいなのがなかったら、ものすごく楽になるのだろうけど、 (なぜならば相手を求めないで済むから) 果たして、その状態にはよろこびやかなしみは存在するのかな。 わしは、傷ついてでも、苦しんででも、悲しみに明け暮れてでも、 相手を求めて、ほんの僅かでも悦びを得たいんではないのか。 そういう風に、相手と関わりたかったんではないのか。
でも所詮、そう思っているのは自分だけなのよね。 ひとりよがりというやつですな。 自分はそう思ってても、相手はそんな波瀾万丈を必ずしも望んでいるわけではない。てか、むしろ嫌だろ。平穏が一瞬くらいしかないなんて。 相手に膨大な不安や苦しみを与えられるくらいなら、 ひとりの平穏がいいのだろう。 わしはそれくらい相手を傷つけ、苦しめてきたのだ。そういうことだ。
結局、わたしはひとり。 でもそれはしゃあない。ひとりで生きていくしかない。 それは全然不幸な事じゃない。 情熱を自分で消さなきゃいけなかったことに比べたら、ずっとマシだぜ。
|
2008年10月26日(日)
|
|