股・戯れ言


BBS

ナンギ・バケーション

ロング・バケーション中ですので、毎日本を読んだり、いろんな人たちと話したり、ぼんやりいろいろ考えたり、たくさん眠ったりして過ごしております。

要するにやりたいことを目一杯やってるってことなわけですが。

自分の本当に望むことから逃げているなあ、とも思う。なぜ逃げるのか?
傷つきたくないから。

でも自分は傷ついてでもボロボロになってでも、真実を知りたいのだよな。
ずっとそういう人間だった。そうやって生きてきた。

世の中には、もっと楽な選択や、賢い生き方があるけれど、私は難儀な生き方しかできないのだよ。
難儀な生き方が、間違ってるなんて思わんのだよ。
前の日記にも書いたが、間違ってるかあってるかなんて、結局最後までわからんし。


と、自分の直感で思いながらも、いろいろと迷いつつ日々生きてます。そんなロング・バケーション。
「テンペスト」おもしろいなー。
2008年09月30日(火)

はっぴいエンド

取り急ぎご報告。
あらゆるすべてにケリつけました。


あー。長かった。


何が正解で何が間違いなのかは、きっと、死ぬその瞬間までわからんのだろう。
それならば、それでいいや。まあ、いいよ。もういいや。

これが幸福なのか不幸なのかも、同じくわからん。
でもきっと、自分で決められたのだからはっぴいえんどだ。

というわけでロング・バケーション中。
あー無性にカラオケ行きたいなあ。
2008年09月25日(木)

やめ記

最近のもろもろ

■おわりに向かって、仕事がアホのように忙しいです。
 最後の最後で悔し涙を公衆の面前でビービー流してしまうほど。
 みっともないとかそういうところを超えた。

■全国行脚もおしまい。
 ファイナル出張三連荘は、偶然にも、結構縁のある土地が並びました。
 もう終わったのだけど、これらの話はいずれ書く。書くことができるなら。

■記憶がすぐに飛ぶ。
 酒を飲んで記憶なくす、ではなく、5分前の出来事、昨日の出来事が思い出せない。
 電車に乗ると、どこに切符をしまったのかが思い出せない。
 なんか若年性なんとかな気がしてきた。
 ああ、こうやっていろんなことを忘れていくのか。

■甲子園
 今年はベスト16からの賭けでした。
 全然ダメ。大阪桐蔭なんてカタすぎる。
 あと常葉菊川みたいな継投系の高校はあまり好きではないので。
 宮崎商のピッチャーが大変すばらしかったので、勝ち進んでもらいたかった。
 残念無念。
 あと浦添商と千葉経大の試合は素晴らしかった。浦添商はよかったなー
 優勝してほしかったよ。

■読書だけが楽しみの日々
 甲子園以外だと、今年の夏は仕事してるか本読んでるかしかしてないな。
 くらい。
 呑みも例年に比べると少ないし。
 8月は5回しか呑みに行ってないな(出張中除く)
 (ちなみに参考記録→5月の呑みに行き日数:23日)
 まーとにかく毎晩遅い帰宅だし、腹の立つことややりきれないことが多すぎて駅から家まで、とかチャリンコで帰ってる間、とかついつい缶ビール買って飲み歩く(飲み漕ぎ)と言うみっともないことまでやってしもうた。もう恥も外聞もナシ。

■で、実際に読んだ本
 平野啓一郎は「決壊」読んでからみょーにはまってしまって、「顔のない裸体たち」を立て続けに読んだなあ。「あなたが、いなかった、あなた」を次に読むぞい。
 あと吉田修一。「悪人」読んでおもしろかったので、「さよなら渓谷」を。これは、週刊新潮に連載されてたときにちょいちょい読んでいたのだけれど、まとめて読んだら予想外なことに、心臓と目の奥がカッと熱くなって泣いてしまった。
「私より不幸になりなさいよ!」
 という台詞見たとたんに。
 不幸でいるために一緒に居続ける・・・そういう選択もわかる。わかり過ぎる。

■しかし、なんといっても「決壊」
 「決壊」はそーこーぬーけーに衝撃でしたよ。

 少し前に友人から
 「人間てのは480面体なんだって。そして自分で把握している面は30面くらいだから、自分からは見  えないところがいっぱいあるし、人によって見え方が全然違うものなのだよ。
  だから、ある人間と接していて、いつもと違う、とか、こんな面もあったんだ、とか気づくのは、その人に一歩踏み込んだと言うことなんだよ」
 という話をきいたのだけれど、まさにそういうことの話だった。
 外側が480面だとしたら内側も480面くらいあるんではないのか。
 そういうものであるのだから、何があっても、誰に対しても欺いていないし、自分に対しても欺いてはいないのだろう。すべてを受け入れていくって、そういうことでもあるのだな。
 そのうえで、もっとも「自分にとって」重要な真実に、とにかく誠実に生き続けること。
 が、大事だと思うのだが。

 しかし、ネットは怖いね。
 一面体のみで人を判断するってのが。
 まあ、それはネットに限った話ではないのだ。報道もそうだし。


 まあ、一番感じたことは、わし、こうやって日記書くのやめようかなーと。
 この日記を読んで、自分をいろいろと判断されていることは百も承知なのだけど、
 どこかに、これを一方的に読んで、わしに憎悪感募らせている人がいるのだよなー
 その人の存在は、わしからは見えないのだよなー
 一方的に激しい憎悪を抱かれる状況が、ちょっとしんどいな
 自分の生活や考えていることを垂れ流している自分が悪いのだけど、
 口に出して話せないような事を、こうやって書いている自分にも嫌気がさしたと言うか。
 
 自分は弱い人間なのだと思う。
 すでに、もう、こういう風に考えていることを、口に出して、近しい人に話せていない時点で、人に対して信頼がないのだ。同時に人からの信頼がないのだ。
 匿名のところで、こういうことを書くことで発散されているとこはおかしいよな。
 破綻してるわな。
 ああ、ものすごい孤独感。不安感。絶望感。


■先に進んでいるような気がしてたが、結局、すべては行き止まりなのか。
 歩けども、歩けども。
 前には全然進めない。


■あー。続けるのもしんどいが、やめるのもしんどい。
 


2008年08月28日(木)

風邪よさらば!アリよさらば!

毎日うだるような暑さが続いておりますが、
こんな真夏に風邪を引きました。
夏風邪と言うやつです。
先週の火曜くらいからやけに咳が出るなあ、痰が絡むなあと悠長に思っていたのだけれど、水曜夜から本格的に体がだるくなってきました。
とにかくまー、関節が痛い。喉が痛い。咳が止まらない。痰が切れない。
お昼ごはんを2日連続で残してしまってたので、これはもしや?と思ったら案の定熱が出ておった。
妹に、
「前にいきなり団子食べたいって言ってたから買ってきてもらったんだけど、食べるでしょ?」
と言われて、「すごく食べたいけれど食べられないわ」と答えちゃったくらいだもんな。具合が悪くなきゃ断らないし。
とにかく毎日熱で体がフワフワしてたまらんかったです。
地に脚が着いてない感覚がずっと続くのって苦痛なんだよ。


そんな調子に夏風邪をこじらせていたので、気持ちも弱くなりまくってました。
いや、気力が弱っていたから体調もおかしくなったのかもしれないな。
なんというか、うじうじ蓄積されていた気の弱まりが、一気に体調方面で爆発した、というような感じがします。疲れが出たのだろうね。
水、木、金と会社通いながらうんうん唸ってたけれど、土曜は完璧に1日ダウソしてました。文字通り寝込んだ。
で、熱も下がり、だいぶよくなったけれど現在まで咳と痰は止まらんな。
長引く風邪よのう。誰に会っても「声、ヘンだよ」と指摘されとります。


というわけで、風邪でよわよわなので、ゆるーい日記をば。


月曜は渋谷くんだりまで出かけてきました。
「うちわの骨」を探しに。
今、一番はまっていることが「うちわを作ること」なのです。PCのペイントでせこせこ絵を描いて、色つけて印刷して、それをきれいに切り取って骨に貼るという具合。そんな単純作業が楽しくてしょうがない20代終盤の夏でございます。
うちわの骨は探し回らなくても、東急ハンズであっさりと購入できた。
でも体力もままならぬので喫茶店で一息ついていたところ、
なぜかテーブルの上に蟻がおりました。
土も水も太陽もないところに、何故、アリ?
と思ったのだけど、なんとなく殺すのも忍びないなと思いまして、
腕にのっけて(わしは虫に比較的強い。ゴキブリはつのだじろうの「恐怖新聞」読んで以来ダメになったけど)店の外に連れ出し、道路の植え込みのところに逃がしてやりました。
べつに「蜘蛛の糸」のようなことを期待したわけでもないのですが。


で、火曜日。
風邪を一気に終わらせたい!と思い、薬膳料理屋に行ってきた。
http://homepage3.nifty.com/didean/index.html

↑のHPを見るとなにやらこじゃれダイニングのようにも見えますが。
薬膳料理屋ですから、へんな酒もちらほら置いてあって
同行の後輩女子ちゃんがなぜか
「蟻の酒」
なるものを頼んだのでした。
WH〜Yなぜに〜?なぜ蟻酒を頼むのか〜?

と疑問に思っていたら、蟻酒のビンが運ばれてきて、
瓶いっぱいのウォッカに大量の蟻がぎっしり詰っておった。
蟻の頭や腹や足がプカプカ浮いてた。
けっこうグロい。
虫が大丈夫なわしでさえ、ちょっとたじろいでしまったよ。

が、「体にいいんだよ!薬膳なんだもの!」と無理やり自分に言い聞かせ、飲んでみた。
「体にいいんだよ!ウォッカ漬けなんだもの!」と言い聞かせ、つまんで食べてみた。
意外と普通。
蟻酒は紹興酒のようだし、
蟻はプチプチするけど別に味しなかったしで、
まあ、思ったよりびびらずに済んだ。


けども、家帰るまでの間にもーのーすーごーく腹くだしましたわ。
そーこーぬーけーに腹ピーピー。


月曜にアリ助けときながら、火曜に食べたバチが当たったのか!?
そんなにすぐに罰って当たるもんなのかよ。
7年殺しみたいにあとから何かあると思ってたんだけどなー、そういうのって。
(実のところは、わしは紹興酒NGなので、それが原因で腹下したのかもしれないけどな)



ちなみにアリ酒の効用は
「強壮・リウマチ・肝炎」
だそうです。
風邪や咳とはいっさい関係なかった。
飲んだ意味なし酒。アリなのに。
2008年07月23日(水)

わかってもらえんかもしれないけどさ

i-phoneがいろいろと騒がれておりますが(珍しく時事ネタ)、私もこないだ携帯電話の便利さを改めて思い知る機会がございました。

「やしきたかじんの曲を携帯にダウンロード」

いやー時代は便利になったなー
わざわざCD買うまでもないアーティストの曲を250円程度で購入できるなんて。とか言ってますが、3,4曲ダウンロードしちゃったけど。
もし、今、携帯電話落としたら、
「あんた」
「やっぱ好きやねん」
「なめとんか」
「ICHIZU」
という曲リストがばれるけど。拾った人のほうが動揺してしまうことだろう。
しかし「あんた」はいい曲だ。とくに二番が泣ける。「女でよかった」のくだりな。


と、たかじん漬けになっていたので、こないだ久しぶりにレコード屋に行く機会があったのだけど、最近の曲はサッパリわからん状態でございました。
ダブのよい(ジャケットが)オムニバス盤があったのだけど、買わないでおいた。まーたかじんばかり聞いているのもなんなんで、マーク・スチュワートやグランドマスターフラッシュを復習しておったのですよ。
そんな中で、キヨシローもよく聴いておりました。
「ぼくはぼくの為に」をふと、昨日の晩、寝る前に聴いてしまった。


「バイバイ 君といたってしょうがない」


私は私の為に、いま、ずっとあがいたり、苦しんだり、もがいたり、臆病になったり、震えたり、泣いたり、グズグズしたり、モヤモヤしたりしていたのだけど、
それって本当に私のためなのかな。
私は、勘違いにまたがって、そういうことしてるだけなのかな。


で、その後に「わかってもらえるさ」聴いて、
何も間違ってない、もうすぐさーなどと気を取り直して寝たのだけど
今朝、新聞でキヨシローのがん転移の記事を読んでいろいろと愕然としました。


詳しくは書かないが、私もとある病気を患ったときに、その病気ですよーと宣告されただけで目の前が真っ暗になったことがあった。
冷静に考えればたいしたことじゃないんだけど、なんでこういうことって、突然起こるのかな。私はなんか悪いことをしたのか?何が間違っていたのか?どんなバチがあたったんだ?などと思って、普段は普通に生活してても、家に帰ったとたんに玄関で泣き崩れたりしておった。
どんなに悲観的になっても、もう患ってしまったもんはしょうがないということで、その後ちょいちょい病院通ったり、処置をしたりして、まーなんとか普通に暮らしている。
ああ、気がつけばもう1年経ったのか。
治ったわけではない。
恐怖もなくなったわけではない。
ないけれど、なんとか前向きに生活しておるところです。


清志郎さんも同じように前向きに生活していたことだろう。
してたところで、再発してしまって、ショックも大きかったことだろう。
けれど、自分のために、自分がより長く歌っていくために、今はライブをすべてキャンセルして治療するのだろうな。
自分は自分だけの為に。
自分を乗り越える為に。


果たして私は、私だけの為に、いままでがんばってきたのかな。
そうではなかった気がする。
私は、誰かの為に自分を矯正しようと、がんばっていたんじゃないのか。
こんなことを書いてしまうと、ここ数回書いた日記がぜーんぶ嘘っぱちに見えてしまうけれど。


でも、それも含めて、私は、やっぱり私の為にがんばってきたのだ。
今も、私の為に、がんばっているのだ。
そこは自信持って言える。
どうにもならないことにぶつかっていますが。
私は、私の為に、これを乗り越えようと思う。
病気も、生活も、感情もぜーんぶ乗り越えますよ。
自分自身も乗り越えるよ。


そういうのが、いつかわかってもらえるさ。
いつかそんな日になる。
僕ら(恐れ多くもキヨシローと俺)、何も間違っていない。
もうすぐなんだ。きっと。




2008年07月15日(火)

ヤツザキ・ヴァニシング・ポイント

以前に会社のリレー自己紹介というやつ(リレー形式というかいいとも形式というか、とにかく社内報に載る自己紹介バトン)が回ってきたとき、
「ああ!わしの特技ってなんだっけ!?」
と特技の欄にたいそう苦しめられたことがありました。
そろばんができるわけでもない、ベロでさくらんぼの紐を結ぶこともできない、
かといって剣玉ができるわけでもない。いわゆる特技を全然マスターしないまま長年生きてきたことをだいぶ後悔しましたが、
・電話で男によく間違えられる
・目がいい
・声がでかい
などということを思いついて、とりあえず「電話で男に間違えられやすい」というのを特技の欄に書いたのだった。
でもこれって、よく考えたら「特技」ではなく「特徴」だった。
わしの特技は!
似顔絵を描くことと包装でしたよ。
あと雑誌などの写真を上手い具合にハサミで切り抜くのも得意。
・・・あ、要するに工作が特技だったのか。
しまったなー。そう書けばよかったなー。


と、いろいろ書きましたが、私のもうひとつの特技?特徴?に
「直感的にモノを決める」
「わけわからんほどのフットワークの軽さ」
というものがありました。
私は迷うけれど、一度腹を決めたらあまり迷わない人間なのだった。それはわけのわからない行動力に溢れていたからだ。もう、これだ!と思ったらそれに向かって一直線となり、形振りかまわず突っ走っていくというのが私であった。
前に日記にも書いたことあったな。
ここだ→「ヤツザキVSマサコ」

なぜ、「だった」「であった」と過去形になっているのかというと。

ここ最近のわしは、決めた後もぐずぐず迷ってしまっているのだよ。

この答えは間違ってるのかもしれない、やっぱりダメなのかもしれない、とかぐ
ずぐずしっぱなしなんですよ。


ここ2ヶ月くらいの間、いろいろなことがあって、
でも普通に生活もできているし、むしろ自分改革!革命!チェンジザワールド(自分内)!と頑張ってきたのだけれど、
わしは知らないうちにわけのわからない行動力を失ってしまっていた。
弱虫になるのをやめようとがんばってましたが、前よりも弱虫になっている。ような気がする。
いや、自分に向かっては一歩踏み込んだのだけど、外に向かっての一歩が、もう全然踏み出せなくなってしまった。
前に書いた日記風にいえば、私は「ヤツザキさん」(=わけのわからない行動力に溢れている方の私)を失いつつあるのだった。

まあ、決定的に自信がないほうの人=マサコさんを大事にすると決めたから、それはしょうがないのかもしれないけどね。
いやー、しょうがないじゃないや。
どうして両立できないのかねえ。自分を二股してあげたいのだけど。


と、自分に疑問形で投げかけてみましたが、よく考えればわかることで、
要するに「わけのわからない行動力」が打ち砕かれる出来事があったからなのだよな。
前の日記に

>わけのわからない行動力が溢れてくる時は、自分でもよくわからないのだが、
>頭でうじゃうじゃ考え過ぎる時、な気がする。今までそうだったから。
>で、このわけのわからない行動力というのが自分でも計り知れない。
>わけのわからない行動力が発動すると、たいていのことは実行されるし、
>たいていのことはなるようになる。たいていのことは思いもよらぬ着地点に向かう。
>不思議なことにそれは絶対に後悔するようなことにはならないし、
>最初に想定していた着地点よりもはるかにおもしろいところに辿り着いたりする。

と書いたのだけれど、今回のうじゃうじゃに対しては、
わけのわからない行動力ではどうにもならなかった。
なるようにもならなかったし、
思いもよらぬ着地点にも向かわなかった。
なによりも、「絶対後悔するようなことにならない」というのが
まったくダメだった。後悔、後悔、また後悔の雨嵐だ。毎日土砂降りだ。

それで、行動力を発揮することにずーっと臆病になってしまったのだよな。

世の中には自分の力ではどうにもならないことがある。
というのを身をもって知ってしまったというか。


というわけで、行動力を発揮したい、でも発揮したところでどうにもならない、ということで毎日グズグズしてました。腐ってました。
友人にそのあたりの話をしたら
「発揮すればいいじゃん。今までそうしてたんだし。さらっとやれよ!」
と言われました。
言われたけれど、
「でも、発揮してみて、何もなかった時に自分がものすごく落ちるのが怖いのだよ。ダメージ受けて立ち直れなくなるのが怖い」
と返しましたところ、

「うわ!やっさんの口からそんな言葉聞きたくなかったわー」

と言われて、あああ、そうだ。
ホントその通りだなーと思った。
ヤツザキさんはどこに行ったのだろう。
わしは、自信のない自分も大事にしてあげなきゃいけないんだけど、同じくらい行動力に溢れている自分も大事にしなきゃ。いや、大事にしたいのだよ。

その後、別の友人に同じ話をしましたら、
「自分で自分のやり方を思い出せるようになるまで、私はアドバイスはしないよ」
とのことでした。
この友人は(前述の友人もだが)、行動力に溢れているほうの私を、ちゃんと覚えててくれたのだな。
私だけが、それを忘れていた。ほんとは大事にしたいのに。
ああ、本当に自分を救えるのは自分しかいないんだな。


そして土曜日。偶然、遠方からやってきた友人がたと会いまして、いろいろと歓談したのですが、その時もいろいろ話しながら「自分の殻を破ることが出来るのは自分だけなんだな」と思った。
怖いけど。
前回の日記にも書いたが、自分で決めてやることならば、怖さも自分で背負える。
覚悟ってこういうことなのね。


というわけで、今までグズグズしていた件について、日曜日に実行してみたのですが(実行する前に手が震えた。私はそんなに恐れていたのか)、
なんてことなくあっさり失敗に終わりました。
あんなにさんざん恐れていたことだったのに、
あまりにもアッサリ失敗だったので、落ちもしないし、ダメージも受けなかった。
なんだ、こんな簡単なことだったのか、と思った。
すべてのことは簡単だな。
難しいと思っているのは自分だけ。
簡単だけど、永遠に難しいまんまなんだなー。


ヤツザキさん=わけわからん行動力すら、全然取り戻せなかったな。。


なんかもー、このまま「ヤツザキ」は消失してしまいそーだ。


でも後悔はしてないだけ、いいのかもしれん。
ちょっとだけでも、そうやって前向きに考えていくしかないなー。
やっぱり、すべてのことは簡単で難しい。
わしはいつになったら完全な自分になれるんだろう。
自分で自分を工作していくしかないのだなー今あるパーツで。
いろんなやり方駆使して。

2008年07月14日(月)

ガマン知る

大変お恥ずかしい話なのだけど、先日、K察から電話がかかってきて
「近親者が酔っ払って頭打って道で倒れてたんで、引き取りにきてもらえませんか?」
と言われました。

もー。何やってんだか・・・

幼少の頃から、この近親者の泥酔っぷり、泥酔して人に絡む嫌さをさんざん目の当たりにしてきて、酔っ払う男はダメだ、最低だ、と思っておりました。
誰も信じないかもしれないが、その頃は、わしは酒は飲まねえぜ!とも思ってました。

が、気がつけば自分も酒飲んで荒れる側であるし、
付き合う男も酒飲みばっかだった。
で、酒に飲まれて日々暮らしているうちに
なんかそういうことを忘れていたけれど、
ちょっとそういう初心を思い出しましたよ。

いや、前と違って「最低だ」までは思わないけれど。

最低ではないけれど、
酒は飲んでもかまわないけれど、
おもしろかったらだいたいオッケーだけど、
酒飲んで人に不快な思いさせたり迷惑かけるのは、やっぱダメだよなー。


まあ、その泥酔ソソウ遺伝子がわしの体内にもしっかり刻まれているのですがね。
嘆かわしい事実だなー。
できることならばその遺伝子を特殊組み換えして消し去ってしまいたい。
泥酔ソソウの数々の過去も、ぜーんぶ消し去ってしまいたい。

・・・などと言っておりますが、遺伝子組み換えも過去抹消もできるわけではないので、
それはそれで受け入れていく所存。ジョン・ゾーン。
受け入れた上で、そういうことを今後しないようにします。
ちなみに、近親者も迎えに行ってきましたよ。
引取り人とこにサインもしてきました。


まあ、それから数日が経ったので、いろいろと考えたのだけど、
この時に、近親者が警官に
「俺はいつも我慢してるんだよ!我慢してるんだっツーの」
と絡んでいたのがとても印象に残っている。
彼は普段は大変無口なのである。
無口だからなのか知らないけれど、酒飲んだときだけ饒舌となり、必要以上に人を責める。とことん責める。
わしが幼少の頃から今に至るまでいやだったのは、「泥酔」ではなく「酒を体内に入れないと自分のいいたいことを言えない→酒が入っているからこそ、必要以上にモノを言う」状態なのだと思った。

普段言いたいことを言わない/思ったことを口にしないということは、確かにストレスがたまる状態なのだろう。わしも言いたいこと言えない状態は、とても不快だ。イライラもする。
けど、その不快を発散するスイッチが酒というのは、ちょっと違うと思うのだよね。
酒飲んだだけでは、ストレスは解消されないわけで。
酒飲んだ状態で、人に言いたいことを言うことで発散しているのだと思う。
言いたいことをすべて言った側はスカッとするのかもしれないけれど、言われた側はつらいものです。
いや、ほんとは、言いたいこと言った側もつらいのだよね。
翌日、酒が抜けた時に、まずいこと言ってしまった、って自分を責めて、相手からは責められたくないから、自分で殻作って、相手を避けて・・・という悪循環。
ちなみに近親者も迎えに行った日の翌日からずっと気まずい感じにしております。
というか、わし、避けられておりますよナウ。

別にそのことを責めないのにな。

責めたところで関係は何も変わりはしないし。


わしには、他者から見て、人を徹底的に嫌う印象がある。
先日、別の泥酔者がわしに「そういうところが腹立つんだよ」と言ってきた。
たしかに徹底的に嫌う側面を表に出しすぎていただろう。嫌いという感情のパワーが際立ちすぎて、よそから見ると見てられないレベルだったかもしれない。
それは、私が他人に対して「嫌われる」ということに恐怖を抱きすぎていたのだと、
最近は思っています。だから嫌われる前に嫌うということをずっとやってきた。
なにより自分で自分をずっと嫌っていたから。

でも、ここ数ヶ月、いろいろな出来事があって、
その中で、さる方から、
「君は、自分を思いやることを全然してないよ。自分で自分を愛してあげなきゃ」
という言葉をかけてもらう機会があった。

その時に、なんというか、全身の力が抜けてしまうくらいの衝撃を受けたのだよね。

そうだ、自分がずっと嫌いなんだ。
自分に自信がないから、今あるものを必死で掴んでいようとする。

自分に嫌われている自分が、ずっとずっと寂しい思いをしてたんだなあ。。。


そこから、少しずつだけど、自分を受け入れていこうとやってきた。
まだまだ時間は経っていないし、よそから見たら今までと変化はないかもしれない。
自分のいいところも、ダメなところも、すべて受け入れていくことで、少しずつ広い心を持てつつあったのだが、
「結局オマエなんも変わってねえんだよ。人に対して嫌な心しか持てねえんだよ」
と言われた時は、大変に哀しい気持ちになったなあ。
そう言った人が、ずっとそういう風に思っていて、でも言えなくて、いろいろガマンしていただろうということもわかる。それだけ私の書いていたものが、人に不快を与えるようなものだったことも、反省せねばならぬことだろう。(って、文章で書いてしまうとすごくうすっぺらに見えてしまうな。哀しいことに)
では、なぜ哀しい気持ちになったのかというと、酒を飲んだ状態でそれを言ってしまったこと。客観的に見ると、どうしても酔っ払った勢いで絡まれたことになってしまうから。
その人がガマンしていたことは、酒飲んだだけで取っ払われることなんだろうか?
それは本人にとって、そうであるということだけだ。
そのガマンを、理解はしよう。
理解はするけれど、私は自分には取り入れないことにしたのだ。

自分の中の、思いは、他者に取り入れてもらうことができない。
他者は、自分の思いを、なんともしてくれない。

取り入れることがイコール好きではない。
取り入れられないことがイコール嫌われたでもない。



誰かを傷つけようなんて思っていない。
そのぶん、自分ももう傷つけないのだよ。
傷つけないために、書いた。
それは、自分を傷つけないため。いや、違うな。
傷ついた自分を認めるためだ。
「平気平気」なんて言って平気じゃない自分も受け入れていくためだ。
その自分を、自分で立ち直らせるためだ。


もし、自分が不快な思いにさせられているとか、
誰かに傷つけられているとか、
ガマンを強いられていると感じるならば、
それを誰かにぶつけるな。
酒の力なんか借りてぶつけるな。

自分を救えるのは自分しかいない。
不快な思いをするのも、傷つくのも、全部自分。
ガマンしているのも自分。
それを理解したうえで、覚悟の上で、誰かにぶつけるのならば、いいのだけどね。(もちろん酒抜きで)


って、なんでこんなこと書いているのかというと
今、自分が、とあることに対して我慢がきかない状態になりつつあるから。
って、我慢を誰かに強いられたわけではないし、
じっとしているという選択を選んだのは自分なので、
何に対しても当り散らすことはできない。
できないから、こうやって日記に書いているのですよ。


書いてみてよかったわー
選択したのは自分だ。
苦しさもつらさも自分で全部背負っていける。
もうちょっとがんばってみよう。


そういえば今日って那覇の日ですね。
久々に那覇に行きたいな〜夏真っ盛りなんだろうなー

おめでとうございます。

2008年07月08日(火)

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