ガマン知る |
大変お恥ずかしい話なのだけど、先日、K察から電話がかかってきて 「近親者が酔っ払って頭打って道で倒れてたんで、引き取りにきてもらえませんか?」 と言われました。
もー。何やってんだか・・・
幼少の頃から、この近親者の泥酔っぷり、泥酔して人に絡む嫌さをさんざん目の当たりにしてきて、酔っ払う男はダメだ、最低だ、と思っておりました。 誰も信じないかもしれないが、その頃は、わしは酒は飲まねえぜ!とも思ってました。
が、気がつけば自分も酒飲んで荒れる側であるし、 付き合う男も酒飲みばっかだった。 で、酒に飲まれて日々暮らしているうちに なんかそういうことを忘れていたけれど、 ちょっとそういう初心を思い出しましたよ。
いや、前と違って「最低だ」までは思わないけれど。
最低ではないけれど、 酒は飲んでもかまわないけれど、 おもしろかったらだいたいオッケーだけど、 酒飲んで人に不快な思いさせたり迷惑かけるのは、やっぱダメだよなー。
まあ、その泥酔ソソウ遺伝子がわしの体内にもしっかり刻まれているのですがね。 嘆かわしい事実だなー。 できることならばその遺伝子を特殊組み換えして消し去ってしまいたい。 泥酔ソソウの数々の過去も、ぜーんぶ消し去ってしまいたい。
・・・などと言っておりますが、遺伝子組み換えも過去抹消もできるわけではないので、 それはそれで受け入れていく所存。ジョン・ゾーン。 受け入れた上で、そういうことを今後しないようにします。 ちなみに、近親者も迎えに行ってきましたよ。 引取り人とこにサインもしてきました。
まあ、それから数日が経ったので、いろいろと考えたのだけど、 この時に、近親者が警官に 「俺はいつも我慢してるんだよ!我慢してるんだっツーの」 と絡んでいたのがとても印象に残っている。 彼は普段は大変無口なのである。 無口だからなのか知らないけれど、酒飲んだときだけ饒舌となり、必要以上に人を責める。とことん責める。 わしが幼少の頃から今に至るまでいやだったのは、「泥酔」ではなく「酒を体内に入れないと自分のいいたいことを言えない→酒が入っているからこそ、必要以上にモノを言う」状態なのだと思った。
普段言いたいことを言わない/思ったことを口にしないということは、確かにストレスがたまる状態なのだろう。わしも言いたいこと言えない状態は、とても不快だ。イライラもする。 けど、その不快を発散するスイッチが酒というのは、ちょっと違うと思うのだよね。 酒飲んだだけでは、ストレスは解消されないわけで。 酒飲んだ状態で、人に言いたいことを言うことで発散しているのだと思う。 言いたいことをすべて言った側はスカッとするのかもしれないけれど、言われた側はつらいものです。 いや、ほんとは、言いたいこと言った側もつらいのだよね。 翌日、酒が抜けた時に、まずいこと言ってしまった、って自分を責めて、相手からは責められたくないから、自分で殻作って、相手を避けて・・・という悪循環。 ちなみに近親者も迎えに行った日の翌日からずっと気まずい感じにしております。 というか、わし、避けられておりますよナウ。
別にそのことを責めないのにな。
責めたところで関係は何も変わりはしないし。
わしには、他者から見て、人を徹底的に嫌う印象がある。 先日、別の泥酔者がわしに「そういうところが腹立つんだよ」と言ってきた。 たしかに徹底的に嫌う側面を表に出しすぎていただろう。嫌いという感情のパワーが際立ちすぎて、よそから見ると見てられないレベルだったかもしれない。 それは、私が他人に対して「嫌われる」ということに恐怖を抱きすぎていたのだと、 最近は思っています。だから嫌われる前に嫌うということをずっとやってきた。 なにより自分で自分をずっと嫌っていたから。
でも、ここ数ヶ月、いろいろな出来事があって、 その中で、さる方から、 「君は、自分を思いやることを全然してないよ。自分で自分を愛してあげなきゃ」 という言葉をかけてもらう機会があった。
その時に、なんというか、全身の力が抜けてしまうくらいの衝撃を受けたのだよね。
そうだ、自分がずっと嫌いなんだ。 自分に自信がないから、今あるものを必死で掴んでいようとする。
自分に嫌われている自分が、ずっとずっと寂しい思いをしてたんだなあ。。。
そこから、少しずつだけど、自分を受け入れていこうとやってきた。 まだまだ時間は経っていないし、よそから見たら今までと変化はないかもしれない。 自分のいいところも、ダメなところも、すべて受け入れていくことで、少しずつ広い心を持てつつあったのだが、 「結局オマエなんも変わってねえんだよ。人に対して嫌な心しか持てねえんだよ」 と言われた時は、大変に哀しい気持ちになったなあ。 そう言った人が、ずっとそういう風に思っていて、でも言えなくて、いろいろガマンしていただろうということもわかる。それだけ私の書いていたものが、人に不快を与えるようなものだったことも、反省せねばならぬことだろう。(って、文章で書いてしまうとすごくうすっぺらに見えてしまうな。哀しいことに) では、なぜ哀しい気持ちになったのかというと、酒を飲んだ状態でそれを言ってしまったこと。客観的に見ると、どうしても酔っ払った勢いで絡まれたことになってしまうから。 その人がガマンしていたことは、酒飲んだだけで取っ払われることなんだろうか? それは本人にとって、そうであるということだけだ。 そのガマンを、理解はしよう。 理解はするけれど、私は自分には取り入れないことにしたのだ。
自分の中の、思いは、他者に取り入れてもらうことができない。 他者は、自分の思いを、なんともしてくれない。
取り入れることがイコール好きではない。 取り入れられないことがイコール嫌われたでもない。
誰かを傷つけようなんて思っていない。 そのぶん、自分ももう傷つけないのだよ。 傷つけないために、書いた。 それは、自分を傷つけないため。いや、違うな。 傷ついた自分を認めるためだ。 「平気平気」なんて言って平気じゃない自分も受け入れていくためだ。 その自分を、自分で立ち直らせるためだ。
もし、自分が不快な思いにさせられているとか、 誰かに傷つけられているとか、 ガマンを強いられていると感じるならば、 それを誰かにぶつけるな。 酒の力なんか借りてぶつけるな。
自分を救えるのは自分しかいない。 不快な思いをするのも、傷つくのも、全部自分。 ガマンしているのも自分。 それを理解したうえで、覚悟の上で、誰かにぶつけるのならば、いいのだけどね。(もちろん酒抜きで)
って、なんでこんなこと書いているのかというと 今、自分が、とあることに対して我慢がきかない状態になりつつあるから。 って、我慢を誰かに強いられたわけではないし、 じっとしているという選択を選んだのは自分なので、 何に対しても当り散らすことはできない。 できないから、こうやって日記に書いているのですよ。
書いてみてよかったわー 選択したのは自分だ。 苦しさもつらさも自分で全部背負っていける。 もうちょっとがんばってみよう。
そういえば今日って那覇の日ですね。 久々に那覇に行きたいな〜夏真っ盛りなんだろうなー
おめでとうございます。
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2008年07月08日(火)
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