逃がしてあげたい |
ユードントハフトゥウォーリーウォーリー 逃がしてあげたいー
最近カラオケに結構行ってるんだけど、今度行ったときはこの替え歌を歌いたい所存ジョンゾーン。 ユーミンは「リフレインが叫んでる」ばかり歌いすぎた。こないだ年下女子に 「シノさーん、リフレインってどういう意味ですかー?」 と尋ねられたけど、「わからん。なんかがもう一度あるって意味じゃないの?」としか答えられなかったしなー。Reってとこしかわからんかった。 繰り返し文句って意味か。繰り返し文句が止まらないってことだったのか。やるなあユーミン。
何年か前に仕事で大失敗をしたことがあるのだけど、その時に普段は怒らない先輩から大変な叱咤を受けました。いや、怒鳴られるとか、殴られるとか、髪の毛引きずりまわすとか、そういうことはなかったんだけど、この人にこんなキツイこと言われるなんて!というショックがでかくて、 その後にチョコを差し入れしながら 「すいませんでした。私なんてダメな人間です」 と言ったら、先輩が 「誰でも間違えることあるよ。これから直していけばいいんだよ」 と言ってくれたことに対し、 私はなんてやすやすと生きてるんだ!(チョコで買収しようとしてたし!) もうこの場にはいられない、生きてることさえ恥ずかしい!とパニックになり、 「明日から会社休みます!」 と言い捨てて走って事務所を飛び出したことがあった。
もう、あんなこと言ってしまって、後には戻れないぞ、どうすんだ俺、どうすんだどうすんだ、とさらにパニックに陥り、でも「うそです。休みません。すいませんでした」といまさら謝ることもできず、そのまま2日仕事を休んだことがあった。 その時に山形まで行って山形の蕎麦屋さんに「上司は部下の失敗をフォローするためにいるんだから、そのままでいいんだ」「自分に厳しくなりすぎるな、なんとかなる!」「これから仕事がんばれ!」といい言葉をもらい、そうか、大丈夫か、と思いながらもやっぱりビクビクしてて、それでも3日後に会社に戻ったら、上司が 「休んでどうだった?落ちこんでるお前に沖縄出張をやろう!」 と話を持ちかけてくれたのだった。 涙が出るほど嬉しかった。 先輩は、その時出張かなんかで不在だったのだけど、 帰ってきたときに「いつもチョコだのなんだのもらってるから」と夕張メロンキャラメルをくれた。 ああ、過去を誰も責めないのか。。 だからこそ私は変わろう、と思った。 このミスは二度としまいと誓った。 (ま、その後もミスをして、上司に助けてもらいましたが)
今思えば、私はこの2日間、逃がしてもらえたのだと思う。 断罪することは簡単。 逃げることも簡単。 そこで見限ることも、上司や先輩なのだからとても簡単なことだろう。 失望もしただろう。したからこそ、叱咤されたのだ。 その時はショックガンガンで、なんでこんなキツイこと言うのー言われて当然だけどという甘えもありました。その甘えが私を逃げさせた。 そんなことは上司も先輩もわかっていたのだ。お見通しだったのだ。 逃げたことにより、戻ってくることを重視していたのだろう。 長い目で物事を見ていたのだ。
私自身も、逃がしてもらえたことで、大事なことに気がつくことができた。 目に見えないことを認識できた。 あの時があったから、私は6年もの長い間、会社にいることが出来た。 今ではこの時のことを笑い話にして笑い飛ばしているくらいだ。 そして、次に進むことができる。はず。
余談ですが、このミスと逃亡期間があったからこそ、私に沖縄出張が舞い込んだのです。私が沖縄に初上陸したきっかけがこれであるのだ。それから3年と3ヶ月。 すべては繋がっているのだよね。たった1人のちっぽけな人生だけど、ちゃんと点が連なっている。線になっている。
世の中にはいいことも沢山あるが、いやなことも沢山ある。 いい人も沢山いるが、いやな人も沢山いる。 人の中にもいいところも沢山あって、いやなところも沢山ある。 もちろん、自分の中にもいいとこもいやなとこも沢山あるわけで。 なんにしても、その割合は50/50だ。 半々。 どっちが多いわけでもなく、どっちが少ないわけでもない。 それが時期によって、日によって、どっちが表に出るのか/どっちに目がつくのかってだけなのだよね。目に見えることだけで物事を判断したり、それで一喜一憂するのはとても浅はかなことだ。 いやなことが表に出ているときは、いいことが裏側に回っているということだからな。 いいことにだけ目を向けて、これがすべてだ!と思えば、必ずいやなことにがっかりさせられるし。 それは物事を半分しか見てなかった自分も悪いんでありまして。
物事には、人には、いい面もいやな面もあるということ。 その2つがあってやっと全体が見えると言うこと。 自分にとっても、いい面といやな面があるということ。 いい面に対する思いだけを表すのではなく、いやな面に対しても自分が感じることを、ちゃんと認めていくことで、より豊かで、成熟した人間になれるのかな、と思いました。
それは自分に対してだけではなく、自分が本当に大事に思っている人間に対しても、なのだよね。
先日、私は友人に大変な叱咤をいたしました。 その人のことが大好きだし、ほんとにウマがあうなーと思ってたし、ダメな奴だけどいい奴なんだよなー。憎めないんだよなー。とずっと思っていました。 その人のダメなところがどんどん全開になり、周りの人間が失望して離れていく姿を見ていて、私もそれはダメだよ、〜したほうがいいよ、などとアドバイスしていたのですが、結局その人は聞き入れることなく、時間だけが無為に流れていきました。 時間が流れていった時、その人から連絡があり、 自分はこんな風になったから何か言葉をかけてくれ という要望がありました。
私はその要望に応えられなかった。
その人が今たどり着いた場所に対して、怒りがあるわけではない。 非難をするわけでもない。 ただ、その人は、今の自分を肯定してもらいたいだけなんだな、 と気づいてしまって、深い失望感に襲われたのでした。 がっかりしちゃったんだよね。 肯定することは簡単なことだし(それこそ口先だけでいくらでもできる) ここで肯定してしまってもよかったのだけど、 私は、私の思うことをぶつけてしまいました。 なんで何も考えないのよ、なんで考えなくても平気なんて思うのよ、と。 もうあなたは失ってるのよ。 肯定して欲しいといっても、もう遅いんだよ。 放っておけばなんとかなるなんて嘘。現実に目を向けてくれ。 そんなようなことを言ったと記憶しております。
そのようなことを口にした時の私は、決してその人を傷つけようなんて思っていなかった。 私の思うことを聞いて欲しい、わかって欲しいの一心だった。 この関係がこれで切れるなどとは思わなかった。 きっとどこかでわかってくれる、たとえ今じゃなくても、と信じていた。 それはその人と私が今まで紡いできた関係が、上っ面なものではなかったという自負があったからだと思う。それは私側の甘えなのかもしれないけどれ。
だから、その人にとってさんざん酷いことも言ったけれど 何かあったらまた電話してきてよ と最後に言った。 他の人から見ると、ヤツザキってほんと人がよすぎるよねーと言われるようなことだ。 自分でも、私は甘いなあ、などと思ったけど、 それはそれで私の本心だから、言ってよかったなと今は思ってます。
それ以来、その人からは連絡がないけれど、 その人が逃げてしまったのもわかっているのだけど、 私は決して否定的な意味で捉えていない。 どこかできっとそのうち話せるようになると思っておる。
このことを人に話したときに、人は 「放っておきなさいよ。関わらなければいいじゃない」 と言った。 それが、大人な対応っていうやつなんだそうだ。 「放っておくのがいいのだとわかっている。でも、私は、とても愚かだけど、 その人のことを憎みきれないんだよ。5%くらい、まだ好きなんだよ」 と私は返した。 そしたら 「だったらそれでいいじゃない。 それだけあなたが真剣に友達を思ってるってことだけでいいじゃない」 と言われたのだった。
そうなんだよな。 愚かなことなんかじゃない。
私がその人、いや、私が大事に思っている人に対して抱く気持ちに 愚かなことなどひとつもない。 大好きなのだよ。 自分でもいやになるほど好きであることは辞められないのだよ。 今でも誰かに、私は〜〜のことが大好きなんだ、って言える。
大好きだからこそ、逃がしたのだ。 もっともっと逃げとけ。うんと遠くまで逃げてみてくれ。 逃げて逃げて、いろんなところに行ってみろ。
私は逃げないから。 逃げないために、叱咤したのだから。
だから、心配せずに逃げなさい。どこまでも行きなさい。
逃げるのを辞めた時、一緒に酒でも呑もう。 ガハハと笑って盛り上がろう。 いつか、この時を振り返って笑い飛ばそう。
私はあなたを見限らないよ。
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2008年06月20日(金)
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