股・戯れ言


BBS

くるりのことと、ぐるりのこと。

最近はまたまたくるりをよく聴いております。
わしがくるりを一番よく聴いていたのは2000年前後くらいで、
当時はよく新幹線で遠方に通っておったので、
帰りの新幹線でよく「ばらの花」を聴いていた。
その頃はCDウォークマンできいていたよteam rockを。
ああ、時代を感じるなあ〜、CDウォークマンってとこに。

新幹線がゆっくり走り出すペースとばらの花の始まりが
よくマッチしていて、新幹線走り出すたびに涙がつーっと流れ出したもんだ。

それからいろいろあって、敢えて積極的に「ばらの花」を聞こうとしなかった。
(ベスト盤流しっぱなしの時などは別)
なんというか、この曲にずっと対峙できなかった。
いい曲であるし、何度も聴きたくなる曲なのだけど
私はこの曲の持つ背景(ってくるりが提示しているものではなく、自分がこの曲に関連付けている背景ね)を、いらない、と切り捨てたのだ。逃げ出したのだ。
だからこの曲を「いい曲だ!何度でも聴きたい!」という資格などないのだ。
という思いと
また、この曲は、どうしてもあの頃を思い出させるから、
やっぱり素直にいい曲だと言い切れないなー
意識的に聴かないに限るわ。
という思いがありました。

が、時を経て、
先日、友人らとのカラオケで「思い出の歌をうたおうぜい」という感じになって、
わしが選んだのはこの「ばらの花」でした。
なんかすーっと選べた。今までさんざん思っていた躊躇がなくなった。
悪い思い出だろうといい思い出だろうと、印象に残っている曲には変わりないし、
私の思い出がよかろうが悪かろうが、この曲がいい曲であることには変わりない。
そして、私が聴かないでいなくても、この曲はずっとあり続けたのだよなー
消えることなく、残り続けてたのだよなー。。

つうわけで、やっと普通に歌えました。
聴きました。
(カラオケでくるりの曲歌うってのも初めてだったけどな!)

やっぱりいい曲だった。
よく聴いていた当時よりもずっといい曲だと思った。
サビの部分以外がズシンとくる。沁みる。
遠回りしてまた転んでとか、弱虫過ぎて踏み込めないままとか、ああ。
それは私が知らず知らずのうちにやってきたことだった。
新幹線で通っていた頃もそうだったし、普段の生活のときもそうだったし、もっと遠方に通っていた頃も、ずっとずっとそうだった。そして、弱虫過ぎて踏み込めないのは、相手に対してもそうだったし、何よりも自分に対してそうだった。

いろいろな時を経て、ようやく私は自分に踏み込みつつあるのですがね。
周りからは全然わからないかもしれないけれど。
少しずつ。

この曲から離れていた間があったから、私はこの曲を真に理解できたのかな、と思った。



と、くるりの話が長くなりましたが、ほんとに書きたかったのはこっち!
映画「ぐるりのこと。」を見てきました。
http://www.gururinokoto.jp/


子供を失ってしまって、精神のバランスを崩していく翔子(木村多江)と
女好きで頼りないけれど、彼女を思い続け、支え続けるカナオ(リリー・フランキー)という夫妻の1993年から2001年までの軌跡を描いた映画でございます。


たまたま公開日にCMで見かけて、なんとなく「今、私はこれを見なきゃいけない!」という気がしてた映画だった。久々に映画に呼ばれた感じがしてましたよ。

で、見てみた。

苦しくても、つらくても、不安になっても、絶望を感じても。
自分が無力であると感じても。
なんともできないとしても。
どんなことがあっても、逃げないということ。
どんなことがあっても、自分から手を離さないということ。

一緒にいるということは、物理的なことだけじゃないのだな。

途中、翔子が
「ちゃんとしなきゃいけないと思ってたのに、できないの。
 もっとうまくできると思ってたのに、できないの・・・」
「隣にいるのに近くにいる感じが全然しないの
 なんにも言ってくれないから、わからないの」
「なんで私と一緒にいるの・・・」
と、テーブルの脚にしがみつきながら、ものすごい大泣きで、鼻ズビズビで、まさに「泣き崩れる」という言葉どおりに叫ぶシーンがあるのだけど、

あーオデもこんな思いで、こんな風に泣き崩れたことがあったなあ。
人には決して見せられないくらいに、みっともなくなったなあ。

と思って、映画館なのにみっともないくらいに泣いてしもうた。

で、カナオが「いろいろ考えすぎだよ」と言って、

「好きだから一緒にいたい。それでいいんだよ。」
「みんなに嫌われたっていい。好きな人にいっぱい好きになってもらえればいいんだよ」

ということを、翔子の背中をさすりながら言うのだけど
こっちの気持ちも痛いほどにわかって、涙倍増(当社比)。
もうちょっとで声あげて泣くとこだったよ。
映画終わった後、トイレに駆け込んだらマスカラとアイシャドウが全部落ちてた。
ゴスの人みたいな顔になってましたわ。
キュアーのロバート・スミス状態だった。


翔子のようなわたくしですが、カナオのようになりたいなと思いました。


それにしては自分に自信がなさすぎた。
私を離さないで、って人に求めすぎた。
まあ、今はちょっと変わって、
何があっても私は離さないから、逃げないからと思っている。
だからそれだけ自分も相手も自由にしようと決めました。
たとえ周りにみっともない、痛々しい、見てらんない、と思われようと。
周りが私をどう見るかは、どうでもいい。
私が私をどう見るかに比べたら、
ちっとも重要じゃない。
それが、私が相手をどう見るか、に繋がっていくのだから。


そういう境地に至ることが出来たのは、自分に向かって一歩踏み込んだからなのかな。踏み込むことで、受け入れることで、自分の本当の気持ちや、どこに向かいたいのかが、わかってきたからなのかな。
私は、弱虫になるのをやめようと努力中ですよ。
自分を恐れないこと。何があっても、自分から、自分の本当に思う気持ちから逃げないこと。
それを実践していくことで、相手と、相手の本当に思う気持ちを逃げずに受け入れていくことができるのかなと思ってます。(それが自分にとっていいものであっても、悪いものだとしても)
まだまだ道の途中だけどね。


あと余談だけど、リリー・フランキーって全然いいなあと思ったことなかったんだけど、ぐるりのこと。の最初のほうで、全裸で台所で水飲んでるシーンがあって、その後ろ姿にドキッとした。
セックスのあと、裸(むろんフリチン)で台所や洗面所うろつく男の後ろ姿が好きなんだなー、わしは。
2008年07月03日(木)

逃がしてあげたい

ユードントハフトゥウォーリーウォーリー 逃がしてあげたいー


最近カラオケに結構行ってるんだけど、今度行ったときはこの替え歌を歌いたい所存ジョンゾーン。
ユーミンは「リフレインが叫んでる」ばかり歌いすぎた。こないだ年下女子に
「シノさーん、リフレインってどういう意味ですかー?」
と尋ねられたけど、「わからん。なんかがもう一度あるって意味じゃないの?」としか答えられなかったしなー。Reってとこしかわからんかった。
繰り返し文句って意味か。繰り返し文句が止まらないってことだったのか。やるなあユーミン。


何年か前に仕事で大失敗をしたことがあるのだけど、その時に普段は怒らない先輩から大変な叱咤を受けました。いや、怒鳴られるとか、殴られるとか、髪の毛引きずりまわすとか、そういうことはなかったんだけど、この人にこんなキツイこと言われるなんて!というショックがでかくて、
その後にチョコを差し入れしながら
「すいませんでした。私なんてダメな人間です」
と言ったら、先輩が
「誰でも間違えることあるよ。これから直していけばいいんだよ」
と言ってくれたことに対し、
私はなんてやすやすと生きてるんだ!(チョコで買収しようとしてたし!)
もうこの場にはいられない、生きてることさえ恥ずかしい!とパニックになり、
「明日から会社休みます!」
と言い捨てて走って事務所を飛び出したことがあった。

もう、あんなこと言ってしまって、後には戻れないぞ、どうすんだ俺、どうすんだどうすんだ、とさらにパニックに陥り、でも「うそです。休みません。すいませんでした」といまさら謝ることもできず、そのまま2日仕事を休んだことがあった。
その時に山形まで行って山形の蕎麦屋さんに「上司は部下の失敗をフォローするためにいるんだから、そのままでいいんだ」「自分に厳しくなりすぎるな、なんとかなる!」「これから仕事がんばれ!」といい言葉をもらい、そうか、大丈夫か、と思いながらもやっぱりビクビクしてて、それでも3日後に会社に戻ったら、上司が
「休んでどうだった?落ちこんでるお前に沖縄出張をやろう!」
と話を持ちかけてくれたのだった。
涙が出るほど嬉しかった。
先輩は、その時出張かなんかで不在だったのだけど、
帰ってきたときに「いつもチョコだのなんだのもらってるから」と夕張メロンキャラメルをくれた。
ああ、過去を誰も責めないのか。。
だからこそ私は変わろう、と思った。
このミスは二度としまいと誓った。
(ま、その後もミスをして、上司に助けてもらいましたが)


今思えば、私はこの2日間、逃がしてもらえたのだと思う。
断罪することは簡単。
逃げることも簡単。
そこで見限ることも、上司や先輩なのだからとても簡単なことだろう。
失望もしただろう。したからこそ、叱咤されたのだ。
その時はショックガンガンで、なんでこんなキツイこと言うのー言われて当然だけどという甘えもありました。その甘えが私を逃げさせた。
そんなことは上司も先輩もわかっていたのだ。お見通しだったのだ。
逃げたことにより、戻ってくることを重視していたのだろう。
長い目で物事を見ていたのだ。

私自身も、逃がしてもらえたことで、大事なことに気がつくことができた。
目に見えないことを認識できた。
あの時があったから、私は6年もの長い間、会社にいることが出来た。
今ではこの時のことを笑い話にして笑い飛ばしているくらいだ。
そして、次に進むことができる。はず。

余談ですが、このミスと逃亡期間があったからこそ、私に沖縄出張が舞い込んだのです。私が沖縄に初上陸したきっかけがこれであるのだ。それから3年と3ヶ月。
すべては繋がっているのだよね。たった1人のちっぽけな人生だけど、ちゃんと点が連なっている。線になっている。



世の中にはいいことも沢山あるが、いやなことも沢山ある。
いい人も沢山いるが、いやな人も沢山いる。
人の中にもいいところも沢山あって、いやなところも沢山ある。
もちろん、自分の中にもいいとこもいやなとこも沢山あるわけで。
なんにしても、その割合は50/50だ。
半々。
どっちが多いわけでもなく、どっちが少ないわけでもない。
それが時期によって、日によって、どっちが表に出るのか/どっちに目がつくのかってだけなのだよね。目に見えることだけで物事を判断したり、それで一喜一憂するのはとても浅はかなことだ。
いやなことが表に出ているときは、いいことが裏側に回っているということだからな。
いいことにだけ目を向けて、これがすべてだ!と思えば、必ずいやなことにがっかりさせられるし。
それは物事を半分しか見てなかった自分も悪いんでありまして。

物事には、人には、いい面もいやな面もあるということ。
その2つがあってやっと全体が見えると言うこと。
自分にとっても、いい面といやな面があるということ。
いい面に対する思いだけを表すのではなく、いやな面に対しても自分が感じることを、ちゃんと認めていくことで、より豊かで、成熟した人間になれるのかな、と思いました。


それは自分に対してだけではなく、自分が本当に大事に思っている人間に対しても、なのだよね。


先日、私は友人に大変な叱咤をいたしました。
その人のことが大好きだし、ほんとにウマがあうなーと思ってたし、ダメな奴だけどいい奴なんだよなー。憎めないんだよなー。とずっと思っていました。
その人のダメなところがどんどん全開になり、周りの人間が失望して離れていく姿を見ていて、私もそれはダメだよ、〜したほうがいいよ、などとアドバイスしていたのですが、結局その人は聞き入れることなく、時間だけが無為に流れていきました。
時間が流れていった時、その人から連絡があり、
自分はこんな風になったから何か言葉をかけてくれ
という要望がありました。

私はその要望に応えられなかった。

その人が今たどり着いた場所に対して、怒りがあるわけではない。
非難をするわけでもない。
ただ、その人は、今の自分を肯定してもらいたいだけなんだな、
と気づいてしまって、深い失望感に襲われたのでした。
がっかりしちゃったんだよね。
肯定することは簡単なことだし(それこそ口先だけでいくらでもできる)
ここで肯定してしまってもよかったのだけど、
私は、私の思うことをぶつけてしまいました。
なんで何も考えないのよ、なんで考えなくても平気なんて思うのよ、と。
もうあなたは失ってるのよ。
肯定して欲しいといっても、もう遅いんだよ。
放っておけばなんとかなるなんて嘘。現実に目を向けてくれ。
そんなようなことを言ったと記憶しております。

そのようなことを口にした時の私は、決してその人を傷つけようなんて思っていなかった。
私の思うことを聞いて欲しい、わかって欲しいの一心だった。
この関係がこれで切れるなどとは思わなかった。
きっとどこかでわかってくれる、たとえ今じゃなくても、と信じていた。
それはその人と私が今まで紡いできた関係が、上っ面なものではなかったという自負があったからだと思う。それは私側の甘えなのかもしれないけどれ。

だから、その人にとってさんざん酷いことも言ったけれど
何かあったらまた電話してきてよ
と最後に言った。
他の人から見ると、ヤツザキってほんと人がよすぎるよねーと言われるようなことだ。
自分でも、私は甘いなあ、などと思ったけど、
それはそれで私の本心だから、言ってよかったなと今は思ってます。

それ以来、その人からは連絡がないけれど、
その人が逃げてしまったのもわかっているのだけど、
私は決して否定的な意味で捉えていない。
どこかできっとそのうち話せるようになると思っておる。


このことを人に話したときに、人は
「放っておきなさいよ。関わらなければいいじゃない」
と言った。
それが、大人な対応っていうやつなんだそうだ。
「放っておくのがいいのだとわかっている。でも、私は、とても愚かだけど、
 その人のことを憎みきれないんだよ。5%くらい、まだ好きなんだよ」
と私は返した。
 そしたら
「だったらそれでいいじゃない。
 それだけあなたが真剣に友達を思ってるってことだけでいいじゃない」
と言われたのだった。

そうなんだよな。
愚かなことなんかじゃない。


私がその人、いや、私が大事に思っている人に対して抱く気持ちに
愚かなことなどひとつもない。
大好きなのだよ。
自分でもいやになるほど好きであることは辞められないのだよ。
今でも誰かに、私は〜〜のことが大好きなんだ、って言える。


大好きだからこそ、逃がしたのだ。
もっともっと逃げとけ。うんと遠くまで逃げてみてくれ。
逃げて逃げて、いろんなところに行ってみろ。

私は逃げないから。
逃げないために、叱咤したのだから。


だから、心配せずに逃げなさい。どこまでも行きなさい。


逃げるのを辞めた時、一緒に酒でも呑もう。
ガハハと笑って盛り上がろう。
いつか、この時を振り返って笑い飛ばそう。



私はあなたを見限らないよ。



2008年06月20日(金)

大阪べ胃ブルース

もう5月も半ばかー。
だいぶ間があきましたが、お元気でしょうか。
日記をさぼりすぎて、掲示板にイトコからの書き込みをされたりしてますわ。イトコよ、ごめん。やっと書いたぞ。

はてさて、5ヶ月ぶりの日記ですが、また体調悪いどー。
高血圧期は終わったのだけど、今度は
「底抜けに胃が痛い」
でございます。
なんかこう、毎回毎回(ってブランク5ヶ月もあるけど)体のどこが悪いここが悪いってことばかり書いてると不健康自慢の人みたいですが、実際痛いのでこればっかりはしょうがない。
もうホントに痛いんですよ。寝る前になるとキリキリ痛み出してたまらんのですよ。朝起きると胸焼けが激しくて気持ち悪くてたまらんのですよ。んで、もの食べると一時的に楽になるんだけど、ちょっとおなか空くとすぐに激痛が走るのですよ。
あとゲップも止まらないんですよ。
というわけで市販の胃薬飲んで耐えていたのですが、もう耐えられない痛みまで到達したので病院行ってきました。

「あーこれ、胃じゃなくて十二指腸かもしれないですねえ」

と先生に言われました。
じゅうにしちょう!
私の体にもあったのか!

まー人間なんであって当たり前なんだが、病気になって初めて自覚する部位ってありません?私にとっては十二指腸ってまさにそれでした。あるんだろうけど、意識したことがなかった。ないがしろにしておった。
実は胃が痛い!胃が痛い!と感じているのは過去にもあって(この日記参照)、その時も胃のことばかり書いてました。「胃がいい」ということを強みにしていた、とこの時も書いている。その胃がビールを受け付けなくなっただけでものすごく動揺している日記がリンク先のものだ。
でもほんとはそういうことではなかったのかもしれない。胃にばかり気を取られていたが、その頃から調子が悪かったのは十二指腸のほうかもしれない。あんまりないがしろにするもんで十二指腸が反乱を起こしたんだろうか。
十二指腸なんて全然たいしたことないと思ってたんだけどなー。
甘かったなー。
これからは大事にしよう。

と、悠長なことを言っている場合ではなく、しばらくは胃腸炎の薬飲んで様子見をし、それでも痛みが治まらなかったら胃カメラ挿入なのだそうだ。
胃の処女膜喪失の危機!!!
こわいよー。
まあ、いずれは経験しなきゃいけないことなのではあるが。
でもこわいよー。吐き気とかすごそう。涙目になりそう。
↑ここまで嫌がるのは、昔見た映画「病院へ行こう」で大地康雄が胃カメラ挿入した後むせかえって嘔吐してしまうシーンが印象に残っているからなのであった。まーあれは胃カメラ飲む前日に大地康雄が飲み食いしてたからなんだけど。
でも嘔吐恐怖症なんで、吐き気がホント怖いんだよ。今も吐き気に襲われたりするのだけど、
「吐いたらアカン、吐いたらー」
と我慢したりするからなー。吐いたら、切なくなるだけだからなあ。
ホーミタイー内臓ベイブルース俺のこと好きかーあんた聞くけどー
ホーミタイーそんなことさえわからんようになったんかー?
あ、俺ってのは十二指腸ね。十二指腸よ、あんたのことちゃんと好きだぜ。へそ曲げないでくれ。あんたあたしの、たったひとつの十二指腸やった・・・(過去形だけど現在もだ)




と、話がうまいことそれた(強引だが)ところで、ゴールデンウィークに大阪に行ってきた話をば。
初めて「春一番」に行ってきました。
長年の夢がついに叶ったなーという感じだ。
しかし、ゴールデンウィーク初日の新幹線長蛇の列(乗車率200%)というのも初めて経験したけど、たまらんね。私は大阪出身の後輩と大阪に向かったので、退屈しなかったけど、それでも新幹線乗れるまで1時間待ったからなー。後輩君のおかげで座ることもできて満足ではあったけど。朝からビール飲んでテンション上がったなー。
そのテンションのまま服部緑地に向かい、すでに現地で飲んで踊っている方々と合流。またビールをグビグビ。
初めての春一番は、人がやたら多かった。会場(野音みたいな音楽堂)がすべて人で埋め尽くされていたんだけど、7割以上が壮年層であった。こんな光景を見たのは二度目だ。(一度目はハイドパークフェスティバル。壮年層のパラダイスだった)
しかも壮年層、皆、白髪のロン毛、髭、メガネであったからね。ステージ場の出演者も8割方白髪まじりのロン毛、髭、メガネ(かけてない人も多かったが)だった。会場にいる壮年層すべてがフォーク30年選手に見えましたよ。
着いた時にはすでに友部さんもシバも終わっていた。
んがー!
と思ったが、着いてほどなくして始まった石田長生にガツンとやられる。トラキチのよれたおっさんにしか見えなかったが、いい歌歌うんだよなー。荷物が重い〜ってザ・バンドのカバーやってたけど、私も新大阪駅から会場に直行し、コインロッカーに荷物預けられなくて荷物が重かったので、それだけで涙がチョチョチョと出たわ。途中から出てきた有山じゅんじを見ておかもっちゃんや石井さんに「有山じゅんじって(顔が)ヤツザキの好きそうな感じだよねー」といわれたが、じゅんじは微妙に違ったです。なんでだろうな。メガネあんまし好きじゃなからかな。しかし歌は天才!
余談だが、「上田正樹が飛び入りするかもしれんぞー」という噂をきいて心ときめかせましたが、そんなのは全然ありませんでした。でもまあ、上等でしたよ。


飛び入りの木村充揮&大西ユカリ(石田長生も飛び入りしてた)は前に行って泣きながら踊ってました。って、これ、よく考えたら平成トリオだよな。有山じゅんじは出てなかったけど、いたようなもんだしな。平成トリオで泣いた泣いたってのは、かつてもあったなー。いつかのフジロックで。
で、なんで泣くのかって、大西ユカリの「ラッキーオールドサン」が最高すぎたから。これは何度聞いても泣く。上のほうからは見えないのかな、私の涙なんて。って一節で必ずうううと泣いてしまう。見えないのかなーおてんとさんからは。
その他、加川良の曲でもクワッと泣いて(曲名わかんないんだけど、女の情念的なのを歌ってた曲が大変すばらしかった)、最後の武蔵野レビュー2での「プカプカ」と「生活の柄」合唱で大団円。
この「生活の柄」合唱のときに、ひとりのおじさんがステージ上でフォークの大御所たちとともに並んでいたのだが、このおじさんが強烈だった。外見はどう見ても日雇い労働者風でまさに「生活の柄」の歌詞から抜け出してきたような感じだったのだが、ものすごく軽快に踊る踊る。ダンサブルであった。なんかもー「春一番」はこのおじさんの祭典だったようにすら思えてくる。

終了後、会場外に出たらこのおじさんがビラを配っていたので貰う。
どうやら詩人の中宮竜善さんだそうで。
石井さんのサイトにリンクが貼ってあったので、そこから経歴を知る。おお!釜ヶ崎の詩人だったのかー!!!釜ヶ崎暴動をきっかけに(!)生活の詩を読むようになったそうだ。
ああ、なんとしても聞いてみたい。
詩は当たり前だが言葉であるので、内から湧いてくるものなのだよな。生活に根ざしている人の言葉が一番鋭く、逞しく、まぶしいのをよく知っているので、余計にそう思うなー。まあ、もっと単純にリアル生活の柄は説得力が違う!と思うんで。



とまあ、低入場料なだけあって、いろんなお客さんがいるのが楽しい。文字通り老若男女入り混じり。そして、それら全部が幸福な顔しているのがまた素晴らしい。途中、外に出て芝生でビール飲みながら横になってたんだけど、それでも音が聞こえてくるしで上等だった。
音楽フェスってこういうものだよなー。
そう、音楽フェスティバルって、「音楽の鳴っている空間」でしかないのだ。みんなが熱狂しなきゃいけないわけでもない。ただそこには、音楽があるだけだ。そして音楽があるだけで、人々が幸福な気持ちを味わえればいいのだ。踊りながら幸福を味わう人や、横になりながら幸福を味わう人が混在できるのが、音楽フェスの幸福なのだと思った。


音楽がなくても生きていける。生物的にはそれも可能だろう。でも、そこに音楽があるだけでこんなにも人間的に豊かになることができる。そういう幸福を、普段からちゃんと意識しているかどうか。言葉をかみしめなくても、適当に使っても生きていける。生物的にも社会的にもそれは可能だ。でも、言葉に乗る感情や深みを噛み締め、自分の心に染み入らせるだけでこんなにも「うた」に救われる。そういうありがたみを、普段からちゃんと感じているかどうか。
音楽やうたは、血であり肉であり、内臓であり骨である。とても大事なものだ。私にとっては、十二指腸と同じくらい大事なものなんだな。
よし、これからは十二指腸も大事にしよう。



まあ、春一番や大阪滞在中に酒飲み過ぎたのがまずかった気もしなくはないんですけどね。
2008年05月13日(火)

高血圧ガール(もう年齢オーバーだが)でC.M.Cアゲインな年末

あけましておめでとうございます。
気がついたら明けてたね!2008ですよ。
前に日記書いたの11月だよ。(毎回こんな始まりばっか)
続けてるんだかやめてんだかわからない「股・戯れ言」ですが、今年ものろのろと続けていきますよ。


で、いきなり昨年の話になるわけだが、11月は悩んで生きてました。
人間誰しも悩みを抱えて生きております。金が欲しい、地位名誉が欲しい、モテたい、あなたが欲しい、あなたが欲しい(高橋真梨子)etc。そんな人間砂漠というか人間交差点のこの世の中で、わたくしの11月の悩みは
「底抜けに高血圧」
であることでした。高血圧だから底抜けという表現はおかしいな。天井知らずに高血圧、てのが正しい表現か。表現はさておき、どれほど高血圧なのかというと上が165もあったンです。
165といってもピンと来ない方が多いと思うのですが、
日本高血圧学会による高血圧の基準を転載

分類    収縮期血圧(mmHg)    拡張期血圧(mmHg)
至適血圧    <120    かつ     <80
正常血圧    <130    かつ     <85
正常高値血圧 130〜139   または     85〜89
軽症高血圧  140〜159   または     90〜99
中等症高血圧 160〜179   または     100〜109
重症高血圧   ≧180    または    ≧110
収縮期高血圧  ≧140    かつ     <90

立派に中等症高血圧でございますのよ。
齢28にして165てのは、もう破格も破格だそうで、計った先生が神妙な面持ちになっておった。ちなみに別の機会で計っても145だの156だのを打ち出しておりました。どの数値でも「ヤバイ」って顔された。そりゃーわしもやばいって顔になりますわ。実際のところは、高血圧っつてもすぐ死ぬわけじゃねえし、まあなんだかんだで大丈夫だろうと思ってたのですがそんなこともないのだった。
何が一番困るかって、「手汗を異常にかく」ことでしたのよ。
もともとわたくしは手が異常に汗ばみやすいのですけども、この時期、PCをさわるとキーボードの下のちょうど手のひらがあたる部分に水滴がよくついているのに気がつきました。
気持ち悪い!
自分の分泌液なのに。
キーボードの下の辺りも手のひらも、どっちも拭いても拭いても収まらない。ヌレヌレ。こんな部分濡れ濡れでもちっともありがたくないわい。恥ずかしさは同等、むしろそれ以上なんだが。
昨年携帯が壊れて、それを機にドコモに乗り換えたのは前に書いたとおりなのだけど、携帯が壊れたのは「中身に水が浸透して基盤が腐ってたから」という理由だったのですが、先輩に「それはオマエの手汗が携帯に浸透したからだろう」と突っ込まれました。あながち間違ってない。それくらいの大量汗なのです。
手汗を異常にかくことと高血圧にはなんの因果もなかろう、と思われますが、もともと冷え性であるのにこの冬はそれが全然感じられなくて快適だなーと思うていたのです。そしたらどうやら高血圧だと冷え性にならないらしい。って前の席の人が言ってました。あながちウソでもなさそう。
まあ、手汗かきまくりの歴史は最近いきなりはじまったことでもないのでいいんだけどさ。今まで散々苦渋を舐めてきたからな。

まあ、コレに関しては、ちょいちょいっと女性ホルモンをいじるヤクをやっていたのが原因で、そのヤクをやめたら自然に血圧が下がっていったのでした。内科の先生に「ホルモンをいじる薬はなるべくやらないほうがいいですよー」と言われたが、まあ、ここでは書かなかったけど婦人病を患ったりしたのでしょうがない。
ちなみにヤクをやめて血圧は安定したが、婦人的苦しみは復活してたまらん。毎日鎮痛剤が手放せない生活であるよ。元旦から毎日投薬の日々であるよ。



そして12月はしばらくぶりに諸国漫遊記やってました。
まず岩手縦断。一関から始まって水沢、盛岡、そして安比で終わる旅だったから縦断といって差し支えなかろう。
出張だったのだけど、出張にかこつけてスノボにも行ってみた。数日前まで高血圧だった人間のやる行動ではないが。12月だというのに猛吹雪のなか滑っていて(しかも2年ぶり)、これはケガなんかしてしまうのではないかと思っていたのですが、実にへっちゃらでした。意外と体は丈夫にできてる。
が、この思い込みはのちに覆されることとなる。


その二週間後、福井にも出張へ。
わたくし、最近「ちりとてちん」にハマっておりますので、このタイミングで福井出張って!わしは運が強い!と喜んでいました。しかも福井には友人もいるので、仕事も底抜けに、いや、そこそこに友人案内で東尋坊まで足を伸ばしてみたのです。
しかも友人の車はベンツ(革シート)。テンションも上がりますわ。
道中「ちりとてちん」話で盛り上がり、ちらっと見えた日本海にうおーっと盛り上がっていざ東尋坊に着いた!すぐそばに「東尋坊岩場まであと30秒」という看板も立ってる!
テンションは底抜けに絶好調!

車を降りてドアを閉めた!
さあ目の前は断崖絶壁の日本海!
友人が車をロックした!

バンッ カチ


あれ?
薬指が車に食われてるぞ?
これ、無理矢理引っ張ったらちぎれちゃうぞ?


目をぱちくりしながら「開けてー!」と断末魔の叫びを上げると
友人が焦ってロックを解除する。
指は!
指は!


爪が真っ二つに割れて血が噴出してるぞー!




楽しい観光のはずが一気に流血惨事。
海岸を目前にして病院行き。
マンガのように指が大きくなってる(ように思える)のを見て意識が朦朧としたのですが、朦朧としながらわしはあることに気づいた。



あれ?わたくし、前にもこんなことになったのを覚えているぞーーー!!!


魅惑のホリデー東尋坊
日の光にゆれる荒波
ゴワゴワした岩に腰掛け 奴らとビールを傾けてると
轟音が鳴り響き 車からロックが落ちてきた
岩場で遊ぶイソガニは 慌てふためいて走り出す

荒波を楽しむ人々は 散り散りに逃げ惑う
薬指は爆発し 哀れみんなは一巻の終わり

突然指は真っ赤っ赤 悲劇と化した東尋坊
観光客の集う岩場の歴史は あっという間に流血劇

C.M.C C.M.C
東尋坊デイ 東尋坊フェス 東尋坊サン
突然指は半もげ 悲劇の東尋坊





こんな替え歌を前にも作ったことがあったぞーーーーーーーーーー!!!


そう、2006年フジロックでの指損傷でした。
↓ここ参照
「C.M.C(ちぎれて、もげて、ちぎれた)突然指が半もげ 悲劇のサマーフェス」
なんで同じ事を繰り返すのか。ワキ毛を剃ろうとしたわけでもないのに。
まあ、実際には同じことではなく、ぐったりとしているわしの周りには濃厚なカニの匂いが漂っていたのですが。(土産屋でカニ食べ放題やってる団体客がいた)
そして実際に慌てふためいていたのはイソガニではなく、友人(流血系プロレス大得意なはずなのに実際の血は苦手)でした。本当にご迷惑をおかけした。
この場を借りて再びありがとうございました。
それにしてもなんでそんなに指運がないのか、わしは。
オオツボさんには「前世で万引きばかりしていたとかあるんじゃないか」と言われました。そいつはスピリチュアルカウンセラーにしかわからねえ事だが。


1年半ぶりに包帯をぐるぐる巻きにされて、その後福井から大阪に移動し、そこから沖縄に行ったのですが、包帯の威力すごいな!皆優しくしてくれた。とくに全日空。CAの方と仲良くなったりできましたよ。皆、全日空を使うといいよ。やさしさでできてるから。

まあ、10時間の移動の末に辿り着いた石垣で相方氏に「なんでケガするんじゃー」とこっぴどく叱られましたが。会社に行った時も同僚や先輩に「なんで同じこと繰り返すんじゃー」言われましたが。
相方氏と先輩が、示し合わせたかのように
「同情を引くためにケガしているとしか思えない」
と言うてました。
同情を引くために爪割らんだろ。わしゃリストカッターか。
いや、フィンガーカッターと言うべきか。
(あと先輩は、「その場でカニの爪つければよかったのに」とも言っていた)



ちなみに、初夢は全然覚えてないんですが、2日の夜に見た夢は鮮明に覚えていて
「包帯をとったら爪が四段重ねで生えていた」
というものでした。ウロコみたいに重なり合ってんの。夢だけどグロかった。
これを初夢と言ってしまうと、なんかグロい年になりそうでやだな。




という感じに、2007年は体を徹底的に壊した年でした。
って上記だけでは決してわからんと思うが。書いてないところでもいろいろあったのよ。
2008年は体壊したりしないようにしよう。ケガしないようにしよう。
と、思ってたら友人の遠藤さんが新年早々車に轢かれてました
健康運つーかケガ運バトンが遠藤さんに渡ったのでしょう。
そんなこんなで今年もよろしくお願いいたします。あと遠藤さんはお大事に。
2008年01月07日(月)

フォーエバーラブにサイレントジェラシー

いや、嫉妬は全然ないんだけど。


今日、仕事で近所のショッピングモールに行ったのですが、
「ヒップホップ歌謡の旗頭・長谷川真吾ショー」
というののポスターを見ました。
ヒップホップ歌謡とはなんぞや?
歌謡曲のレコードスクラッチとか歌謡曲に唐突にラップが挟まったりしてんのか?
音楽ジャンルというのは知らないうちに細分化していくものなのだなあ。
昔、わたくしがもっともロッキンオンを読んでいた頃、いわゆるグランジ系と呼ばれてたバンドの人がよく
「ジャンルなんてメディアが勝手に作るものさ。俺は自分からグランジなんて名乗ったことないぜ」
とインタビューで答えていたけれど、ヒップホップ歌謡というジャンルも勝手に作られたものなんだろうか。
と、思って会社に戻って長谷川真吾のホームページを検索してみたら、どうやらこの長谷川真吾のために作られたジャンルらしい。本人が作ったんだかレコード会社が作ったんだか知らんが。

というわけで長谷川真吾ホームページを見たところ、プロフィール欄に書いてあった

尊敬する歌手:小林旭
好きなアーティスト:EXILE

のエグザイルのところくらいしかヒップホップな箇所がわかりませんでした。
そもそもエグザイルってヒップホップなのか知らんが。
あと「アルバイト歴:回転寿司店員(鳥取2年、静岡1年半)」と書いてあったけどこれもヒップホップアピールなんでしょうか。ゲットーのマザファカ野郎の好物はくるくる廻る寿司だぜYO!MEN!と言いたいんだろうか。

まあ、私もさして興味があるわけではないので、そこまで追うこたぁないんだが、youtubeで長谷川真吾のライブ映像(場所は代々木公園/NHKホールとか渋谷AXの程近く)を見つけたので見てみましたよ。
ジャニーズみたいな踊りした後に「星のフラメンコ」歌ってるだけでした。
歌謡ではあったけどヒップホップではなかったです。
http://www.youtube.com/watch?v=1_-lM0csTXM





って、ヒップホップ歌謡の話が長くなりましたが、昨日は友人の結婚パーティーでした。
おめでとうございます。
このカップルは、成り立ちからほぼ知っているので、遂に遂に!という感じでした。
こんなにお似合い、というかワン&オンリーな組み合わせはないんじゃないかと思いますわ。私は新郎の方と7年の付き合いがあるので、本人でもないのに勝手に言ってしまうけど「世界中で一番お似合な人ととめぐり合えた」んだと思いますわ。それは新郎だけでなく、新婦にも言えることだと思います。本人でもないのに勝手に言うけど。
私のような本人ではない人間に「世界中で一番お似合いな人たちがめぐり合ったカップル」と言わせてしまうということは、本当に素晴らしいことだと思う。周りからお似合いだ、いいカップルだと言われることは大事だよなー。大体ダメになるカップルって周りから見て不安定に見えたりするものだから。これはマズイだろう、ということは本人達よりも周りのほうが敏感だからな。
周りから辞めた方がいい、別れたほうがいいよと言われるのは全然やっかみなんかじゃなくて、大抵の場合正しいことなんだと思います。それも親ではなく親しい友人や身近に居る人からのアドバイスであったら、もうそれは絶対だな。親しい友人や身近な人が居ない人はしょうがないけど。

わしも28となり、周りがどんどん結婚していく年頃となりましたが、果たしてできるんかなー。28にもなったら結婚も視野に入れた付き合いを選択しなければならないのだが、選択とか考えてなかったのはまずかったんだろうなあと思います。私の場合は私の抱える心の欠陥というか、業というか、そういうのの存在が大きすぎて、夢から目が覚めたときにバカが見る〜となるのがうっすらわかっているんだよなあ。これはうまくいかねえんだろうなー、とわかってるんだよなあ。そういうのは全然わからなくていいのに。神様はわしに余計な超能力を与えてくれたぜい。テレポート能力とかくれ。
結婚はうらやましいなあ。いいなあ。
昔は全然思わなかったのに(結婚は失敗するもの、という刷り込みがあった)、今は失敗するとしても結婚はいいものだなあ、と思える。失敗してもいいから結婚してみたいなあ、と心から思える。失敗しようがしまいが、結婚した時の気持ちって、結婚した人にしかわからないからなーその時の気持ちを私は知りたいんです。
いやーなんでこんなに心境が変化したんでしょうかね。年齢かね。そう思う人に出会ったのかね。気のせいかもしれんけど。
でも結婚の神様(いるのか知らないが)はしたいと思う者のところには訪れないものだからな。ううむ。

まあ、結婚だけが人生じゃないという考え方もあるんだけどさ。
でもやっぱ幸せな結婚に遭遇すると結婚したいなあと思いますよ。それが自然でしょ。
あと、というかこれがもっとも大きいのだけど、子供を産みたいなあ。この気持ちは日々強くなっていくばかりであるよ。5ヶ月くらい日記書いてない間に女性生命の危機に瀕したのだけど、それもあって子供は産むと決めましたわ。できちゃった婚上等!この歳でできちゃった婚でも誰も怒らないし。もうババア手前だからむしろ歓迎。(主に周りが)



結婚といえば、6月末に出席した石垣島での友人の結婚式はすごかった。
前々から「沖縄の結婚式はすげえぞ」と聞いていたけれど、ほんとにすごかった。出席者300人。テーブル(10人がけくらい)が30個以上入るような大広間での開催。披露宴だけで4時間弱。次々に催されるプログラム。その殆どが踊りと歌だったし。もちろん最後はモーヤー。いやあ、一大エンターテイメントだった。楽しかった!
まあ、何が一番たまげたかって、スペシャルゲストとして元XジャパンのTOSHI(あごオバケ)が出たことですけどね。「フォーエバーラブ」(小泉純一郎の顔が浮かんできてしまうな、このタイトル聞くと。国家的刷り込み)とか歌うのかと思ったら全然歌わねえでやんの。誰も知らない、トシのソロ曲歌ってた。そして結婚式とは殆ど関係ないコメントばかりしてた。
あ、そういやあの時「今年、Xジャパンは再結成しますんで」って言ってたな。隣に座ってた子が「再結成なんか知るか!」と怒ってたけど、ほんとに再結成しましたね。ウソついたわけではなかった。


Xジャパンといえば、こないだ友人がタロットで占いをするという占いの会がカラオケボックス内で開催されたのですが(カラオケボックスは他所からの邪魔の入らないいい場所なのです)、結構シリアスな結果を解説されている時に、隣の部屋でXの「紅」を歌っている集団がいて、即席ヨシキが何人も出現していたようで、テーブルや床や壁をドタドタ叩く音がこっちにまで響いてきて迷惑でした。ドラム叩くほうの真似じゃなくてピアノ弾くヨシキ真似しとけっての。
2007年11月12日(月)

イーZZZZ...ライダー呪い続行中

お久しぶりです。お久しぶりすぎます。

約5ヶ月ぶりに書くな〜
股・戯れ言。6月のダイジェストっていつの話だよ!
もう11月だ。
わたくしは2000年くらいからかれこれ7年以上も日記を書いてきたのに、5ヶ月書かなくても平気な人間になっていたんだなー。(まあ、正確には他所でちらほら書いていたわけだけど。)
なんかここまで書かなくても平気になったってのに対して、「ただの女に成り下がった」「ヤツザキではなくなった」などということを言う人も一部おられますが、私としては魔法が解けたかのように感じておるのです、実は。魔法というか呪いか。
どんな呪いがかけられていたのかは自分でもよくわからないんだけど、呪いがかかってた頃の姿は過去の日記を読むとよくわかる罠。エゲツないことばかり書いてるなー、とか驚くほど心が狭いなー、とかな。今でも心は狭いですけどね。気持ち悪い男には人権ないと信じておりますから。
せっかく呪いが解けたのに、呪われてた頃のほうがヨカッタんではないかと言われると、自分でもそんな気がしてくるから恐ろしい。


まあ呪いが解けた!とか書いてても相変わらず「大きい機械を運ぶレディー(略してOL)」やってるんですけどね。相変わらず巨大機械がワサワサ入っている室温18度の部屋に閉じ込められる呪いとか、24時間耐久仕事的な呪いとか、そういうのには相変わらずかかってるんですけどね。
解けた呪いは他に何があったっけ。
呪いが解けたわーてのと関連するのかようわからんのですが、携帯を長年縛られていたソフトバンクから脱会しました。
契約していたのは自分であるし、呪いでもなんでもないわけだけど、「2年間契約が基本で更新月以外で解約すると金かかる」と散々聞いていたのでなかなか解約できんなーと思うてたんですが、いざ解約する時は「金かかってもいいからソフトバンク辞めたい」と思ってました。で、実際金払ってまでして辞めたというわけです。
辞める時は「携帯本体代の支払いは今後も続きますが、それでもいいんですか?」などとも言われたが、それを払ってまでも辞めたかった。この旨を友人に告げたところ
「なんか慰謝料払ってでもいいから、どうしても男と別れたい!という心境と一緒だよね」
と言われました。イヤー、まったくその通り。
ちなみに会社の同僚もちょっと前にソフトバンクから脱会してましたが、脱会の際に
「電波が悪いという理由ですが、これからソフトバンクの電波状況はどんどんよくなりますよ!アンテナ差し上げますから考え直してください!」
と引き止められたらしい。
なんかこれも「俺、悪いとこあったら直すから!だから見捨てないでくれ!」とすがる往生際の悪い男みたいだなーと思った。

というわけでわたくしは現在ドコモになったのですけども、携帯の画面の下のほうに一行ニュースが流れるようになりました。
新幹線の前のほうに流れる電光掲示板みたいなニュースな。まあ基本的にはどうでもいいニュースばかり流れるのだけど、
「黒川智花、マッサージはプロレス技みたい」
というニュースの需要は一体どこにあるのか。黒川智花ってそもそも誰だかわからんし。
何年か前の岡山出張時に空港バスの中の一行ニュースで
「ニッキ、『70歳になっても少年隊』と宣言」
というものを見て、この情報を欲しているのは一体誰なんだ!?と思ったもんだが、その時と同じ気持ちになったなあ。

そんな誰に向けて発信してるんだかわからないニュースの中で、昨日、
「日本人の睡眠時間、20年間で最短に」
というものをたまたま見た。
私なんぞは歳を取るごとに睡眠時間がグングン長くなっていて、「6時間しか眠れない」とわかるとそれだけで恐怖を感じてしまうタチなんだが、他の方々は寝なくても平気になってるのか。知らなかった。
ちなみにわたくしの「よい睡眠時間」は9時間ということが最近判明しました。
8時間は寝ないといかんのだ。体が機能しないのだ。

睡眠時間チャート

4時間以下:飛び起きる目覚め。最近は「家族の顔をつついたら顔が崩壊してギャーって泣く」という夢を見た。

5時間:必死な目覚め。「起きる時間は決まっていたのに何故昨晩桃鉄をやってしまったのか」と自分を責める。

6時間:この世のすべてを恨む目覚め。「会社死ね!」「学校死ね!(もう通ってないけど)」と社会に対して怒る。

7時間:まどろみの目覚め。必殺「あと5分」が一番出やすい。で、出てしまって7時間半睡眠となる。

8時間:まあまあな目覚め。起きてすぐ今日着る服のコーディネートが考えられる。

9時間:サワヤカな目覚め。朝からカツ丼も食える。

10時間:ちょっと食べ過ぎちゃったような目覚め。酒飲みすぎた次の日など。

11時間:意地になって寝ている時の目覚め。暑かろうが寒かろうがガマンして寝ていたので起きるタイミング失う。

12時間以上:大河ドラマのような夢を見ていたときの「次回に続く」のような目覚め。この場合も、続きがどうしても見たくて
寝ているので意地になってるときとほぼ変わらない。ちなみに最近見た大河ドラマのような夢は「自分がオカマだったことが判明する」というものでした。女だと思って生きてたらオカマだったのかー!しかもメジャーリーグにスカウトされて、でもオカマだし自分・・・という壮大なものでした。


書いてみて気づいたけど「よい睡眠時間」は9時間ですが、「程よい睡眠時間」は8時間なんだなあ。
そんな本日の睡眠時間は5時間でした。昨日仕事で帰宅が1時近く、そして本日は9時に客先行かねばならなかったからな。
桃鉄はやってなかったんですが、最近「桃鉄TOHOKU」を始めてから「奥の細道」に詳しくならねばならん、と気づき、東北の地図をずっと見ていたのがいかんかった。尿前(地名です)の位置なんか調べなければよかったのに・・・わしの人生において1ミリも重要でないことのために睡眠時間を削ってしまって自己嫌悪。
まあ、客先には間に合ったので問題なかったんですがね。

しかし、客先仕事終了後、大江戸線に乗って5駅ほど寝ようと思ったら(5駅目が乗換駅だった)
・・・16駅目で目が覚めました。
時間にして30分。30分よう寝たわい。
慌てて降りて、11駅ほど引き返しましたわ。その間20分も寝ておった。
つまり今日は5時間50分寝たということです。
50分も取り返してるよーしかもこれでもまだ足りないとか思うている自分がいるよー。


なんでわしの体はこんなに睡眠を欲するのか!
それこそ眠りの呪いをかけられてるんじゃないか!


そんな呪いが解けたんだか解けてないんだかわからない感じで「股・戯れ言」はちょいちょい復活していこうと思います。
これからもよろしくお願いいたします。



ちなみに日本人の睡眠時間の平均は一番短い45〜49歳で7時間5分だそうです。
全然短くないなと思った。

2007年11月05日(月)

6月ダイジェストその1

すっかり月刊な「股・戯れ言」でございます。
このペースはあまりよろしくないなあ。書けることからコツコツと。
つうわけで月報。

6月1日
後輩のうちなー女子とメシを食いに行く。
わが町江東区にある沖縄料理屋へ。「東京来てから沖縄料理食べに行ってもおいしいところがないんですよー」と言っておりましたが、やんばるの人がやってる店だったのでよかったようで。東京にゃ沖縄料理屋がたくさんあるが、地元の出身の人には「こんなの沖縄料理じゃない」というものが多いらしい。
中味汁のそばだのなんだのを頼んで飲んで食って喋って酔い酔い。
になったのはいいんだが、後輩ちゃんが潰れて大変であった。島酒をロックで飲んでたからな〜
千葉まで送って、終電で急いで自宅に戻りましたよ。

6月2日
昼は「風林火山」を見えて内野聖陽にポワーンとする。
ベランダから外見たら、対面のビルでロケやってた。よく見えなかったが背の低い茶髪の男がスーツ着ておった。遠くから「ヤマピー!」という掛け声がかかっていたので、その男が山Pでロケやってるドラマが「プロポーズ大作戦」であることを知る。なんだよープロポーズ大作戦なら長澤まさみが見たかった。
夕方から中野に移動してはるみちゃんと落ち合う。ブロードウェイで探し物をしようとしたが会ってすぐ喫茶店で話し込んだらブロードウェイの店の半分が閉店しておった。
その後ふぁるさんの家にバスで移動し、メシを食いながら皆で歓談。

6月3日
夜映画を見に行こうと思っていたのだが、会社の仲のよい先輩女子から電話がかかってきて「飲もうよー」と誘われたんで昼から外出。昼間から有楽町ガード下。どんな女子飲みだ。相変わらず下品でおもしろい先輩女子であった。この先輩女子がもうひとり先輩女子を呼んでくれて、この人と再会するのはものすごく久々だったのでテンション上がった。日曜の昼から飲むのはおもしろいなー至福。
夜はみやらさん宅へ。まあ生きてくてのは大変だ。そんなような話をした。

6月4日
夜仕事があったんで残業。翌日のイベントの為に働いた。

6月5日
客先打ち合わせから渋谷へ直行。
なぜなら!この日はエンケン還暦記念ライブ@渋谷AXであったから。
当日券で大丈夫かと不安でいたところ、りえ坊から「チケットあるよー」というメールが来た。ありがたやー。案の定当日券は売り切れだったらしい。ついてるな。
渋谷AXは前のほうが指定席で後ろのほうがスタンディングだったため、ワッショイワッショイと盛り上がることはできなかったが、それでも満足でございました。
今まで散々、「エンケンは今、この瞬間に命を燃やしている(のに、自分は燃やしていない)」ということばかりを感じ続けてきたわけですが、この日のライブではそういう「命を燃やす」とか「他には譲れない何かがある」とかいう、情熱の類のものを感じなかった。それよりも、エンケンさんの「想い」「誰かを愛しむ(慈しむ)ということ」が伝わってきた。
エンケンは生きることにも全力疾走だが、誰かを愛することにも全力疾走なんだなー直球なんだなあ。
最新シングルのタイトルが「惚れた!惚れた!」「いつもあなたを想ってる」「君は目をとじて」という具合なんだけど、それが全然恥ずかしく感じられない。堂々としているからだろう。言っておくけど還暦だよ?還暦でこんなに想いの丈を歌えるなんて。誰かを想う気持ちに正直であることってなんて素晴らしいのだろう。自分は果たして正直なのか。不安に苛まれないように何かを我慢したり、知りたくないことから目をそむけたり、自分が傷つくのが怖くて曖昧にしたりしてるんではないか。はっきりと書くことはかっこ悪いことだとか、周りから見たらよく思われないとか、そういうことを気にしすぎているんではないか。
わたしは、文章を書けなくなった理由をたぶん自分で一番よくわかっている。情だのなんだのに駆られてがんじがらめになってしまったら自分が自分じゃなくなると思っているから。自分じゃなくなってしまって、それがダメになってしまった時に何もなくなってしまうのが怖いから。でも自分の中に渦巻くのはそういう感情なんだよな。吐き出したくてたまらないのはこの狂おしい感情なんだよな。吐き出したい。吐き出せない。なんでだ。気持ち悪くなるのが怖いから。失望されるのが怖いから。吐き出した後に引かれるのが怖いから。
そうやって思っている間にも私の体の中の渦はぐるぐるぐるぐるし続けて、大きくなりすぎて苦しい。

あと、細野晴臣、林立夫、鈴木茂、エンケンの4人が出てきてライブやってたけど、あれを見てまた「くそー」「私もこんな風な30年後を思い描きたい!」と思ったのだった。りえ坊が「その嫉妬わかる!」と言ってた。
スナックwell歌夢、私が60になったら同窓会スペシャルやるぞい。


6月6日
昼間は仕事で原宿へ。竹下通りのど真ん中!
クレープもクニちゃんグッズも買わずに仕事終了後、もりしまさんと昼食。
もりしまさんとはしばらく飲んでないなあ。飲みたいなあ。
夜に少しだけぐるぐるを解放してやった。
が、手遅れなのかもしれないなあ、なんてふと思う。
そして余計なことまでしでかして自己嫌悪しながら眠る。

6月7日
仕事。あんまりよく覚えていない。

6月8日
朝、新幹線で名古屋。
そのまま関西本線乗り継いで亀山へ。
お仕事で#の工場に行ってきました。ってわしゃ亀山が液晶テレビで有名だったのを全然知らなかったのだが、ものすごくでかい工場であったよ。まあ実際の仕事はテレビもなんも関係ない仕事だったが。
工場に行く途中で見かけた「伊勢茶イメージキャラクター 茶柱タツ」の看板がなんとも言えずかわゆい。



あと四日市の「こにゅうどうくん」もいいな。


お仕事は問題なく終わったのですが、いきなり集中豪雨に遭う。
バケツをひっくり返したような雨!
あまりの豪雨にタクシーを門の中まで入れてもらおうとしたら守衛さんに「ダメです」と止められる。なんだよケチ!
んなわけで門からタクシー停車場所まで10m傘ナシで走らされて全身ズブ濡れ。運転手も「人に優しくない工場だもんでねー」と言っておったが、ほんとだよ。スーツが濡れてくせーよオイ。
で、道も冠水してて、タクシーも豪快に水しぶきあげて走ったんだが5分ほど走ったら全然雨降ってねえの。#の工場んとこだけ集中豪雨かよ!わしは雨女だったのか!
運転手に「これから駅行ったら一人だけズブ濡れも恥ずかしいだろうから、シマムラ寄ってあげようか」と言われた。それくらい濡れとるよ今も。スーツがベタつくわ。まだ臭いわ。髪も濡れすぎで着衣のまま海か河に入ったかのよう。ああハズカシー。
ズブ濡れのまま電車に乗ったら、これまたズブ濡れの高校生軍団がたくさんのってきて車内はもあーんとした空気が充満していた。いきった工業高校生三人組のひとりが自意識過剰で「電車の中マジくせえ。胃が痛くなる」を連発してた。イタい。
あとボックス席でおじいちゃんおばあちゃんと孫という3人と同席になったのだけど(中日戦見に行く途中だったらしい)、この孫の子が歌ってた曲がやたら印象深い。


一休さんが芋剥いて
二休さんが庭はいて
三休さんが酒のんで
四休さんが酔っ払って
五休さんがごーろごろ
六休さんがロクメガネ
七休さんがなーるほど
八休さんが???(歌詞失念)
九休さんがきゅうり切って
十休さんが重箱かついでえっさっさー


今日は7月2日なのですが未だに忘れてないくらい覚えているわけですよ。
この歌は一体なんて曲なんだ!?幼児には有名な曲なんだろうか?四日市地方では定番なのかしら?
気になるなあ。八休さんのところが思い出せないのもなんとも言えん。
誰か知ってる人いましたら教えてください。



ア!月報なので短く書いていこうと思ったら長くなったので次の日記に続く。
2007年07月02日(月)

字読みづらい!けどメッセージフォームです


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