股・戯れ言


BBS

6月ダイジェストその1

すっかり月刊な「股・戯れ言」でございます。
このペースはあまりよろしくないなあ。書けることからコツコツと。
つうわけで月報。

6月1日
後輩のうちなー女子とメシを食いに行く。
わが町江東区にある沖縄料理屋へ。「東京来てから沖縄料理食べに行ってもおいしいところがないんですよー」と言っておりましたが、やんばるの人がやってる店だったのでよかったようで。東京にゃ沖縄料理屋がたくさんあるが、地元の出身の人には「こんなの沖縄料理じゃない」というものが多いらしい。
中味汁のそばだのなんだのを頼んで飲んで食って喋って酔い酔い。
になったのはいいんだが、後輩ちゃんが潰れて大変であった。島酒をロックで飲んでたからな〜
千葉まで送って、終電で急いで自宅に戻りましたよ。

6月2日
昼は「風林火山」を見えて内野聖陽にポワーンとする。
ベランダから外見たら、対面のビルでロケやってた。よく見えなかったが背の低い茶髪の男がスーツ着ておった。遠くから「ヤマピー!」という掛け声がかかっていたので、その男が山Pでロケやってるドラマが「プロポーズ大作戦」であることを知る。なんだよープロポーズ大作戦なら長澤まさみが見たかった。
夕方から中野に移動してはるみちゃんと落ち合う。ブロードウェイで探し物をしようとしたが会ってすぐ喫茶店で話し込んだらブロードウェイの店の半分が閉店しておった。
その後ふぁるさんの家にバスで移動し、メシを食いながら皆で歓談。

6月3日
夜映画を見に行こうと思っていたのだが、会社の仲のよい先輩女子から電話がかかってきて「飲もうよー」と誘われたんで昼から外出。昼間から有楽町ガード下。どんな女子飲みだ。相変わらず下品でおもしろい先輩女子であった。この先輩女子がもうひとり先輩女子を呼んでくれて、この人と再会するのはものすごく久々だったのでテンション上がった。日曜の昼から飲むのはおもしろいなー至福。
夜はみやらさん宅へ。まあ生きてくてのは大変だ。そんなような話をした。

6月4日
夜仕事があったんで残業。翌日のイベントの為に働いた。

6月5日
客先打ち合わせから渋谷へ直行。
なぜなら!この日はエンケン還暦記念ライブ@渋谷AXであったから。
当日券で大丈夫かと不安でいたところ、りえ坊から「チケットあるよー」というメールが来た。ありがたやー。案の定当日券は売り切れだったらしい。ついてるな。
渋谷AXは前のほうが指定席で後ろのほうがスタンディングだったため、ワッショイワッショイと盛り上がることはできなかったが、それでも満足でございました。
今まで散々、「エンケンは今、この瞬間に命を燃やしている(のに、自分は燃やしていない)」ということばかりを感じ続けてきたわけですが、この日のライブではそういう「命を燃やす」とか「他には譲れない何かがある」とかいう、情熱の類のものを感じなかった。それよりも、エンケンさんの「想い」「誰かを愛しむ(慈しむ)ということ」が伝わってきた。
エンケンは生きることにも全力疾走だが、誰かを愛することにも全力疾走なんだなー直球なんだなあ。
最新シングルのタイトルが「惚れた!惚れた!」「いつもあなたを想ってる」「君は目をとじて」という具合なんだけど、それが全然恥ずかしく感じられない。堂々としているからだろう。言っておくけど還暦だよ?還暦でこんなに想いの丈を歌えるなんて。誰かを想う気持ちに正直であることってなんて素晴らしいのだろう。自分は果たして正直なのか。不安に苛まれないように何かを我慢したり、知りたくないことから目をそむけたり、自分が傷つくのが怖くて曖昧にしたりしてるんではないか。はっきりと書くことはかっこ悪いことだとか、周りから見たらよく思われないとか、そういうことを気にしすぎているんではないか。
わたしは、文章を書けなくなった理由をたぶん自分で一番よくわかっている。情だのなんだのに駆られてがんじがらめになってしまったら自分が自分じゃなくなると思っているから。自分じゃなくなってしまって、それがダメになってしまった時に何もなくなってしまうのが怖いから。でも自分の中に渦巻くのはそういう感情なんだよな。吐き出したくてたまらないのはこの狂おしい感情なんだよな。吐き出したい。吐き出せない。なんでだ。気持ち悪くなるのが怖いから。失望されるのが怖いから。吐き出した後に引かれるのが怖いから。
そうやって思っている間にも私の体の中の渦はぐるぐるぐるぐるし続けて、大きくなりすぎて苦しい。

あと、細野晴臣、林立夫、鈴木茂、エンケンの4人が出てきてライブやってたけど、あれを見てまた「くそー」「私もこんな風な30年後を思い描きたい!」と思ったのだった。りえ坊が「その嫉妬わかる!」と言ってた。
スナックwell歌夢、私が60になったら同窓会スペシャルやるぞい。


6月6日
昼間は仕事で原宿へ。竹下通りのど真ん中!
クレープもクニちゃんグッズも買わずに仕事終了後、もりしまさんと昼食。
もりしまさんとはしばらく飲んでないなあ。飲みたいなあ。
夜に少しだけぐるぐるを解放してやった。
が、手遅れなのかもしれないなあ、なんてふと思う。
そして余計なことまでしでかして自己嫌悪しながら眠る。

6月7日
仕事。あんまりよく覚えていない。

6月8日
朝、新幹線で名古屋。
そのまま関西本線乗り継いで亀山へ。
お仕事で#の工場に行ってきました。ってわしゃ亀山が液晶テレビで有名だったのを全然知らなかったのだが、ものすごくでかい工場であったよ。まあ実際の仕事はテレビもなんも関係ない仕事だったが。
工場に行く途中で見かけた「伊勢茶イメージキャラクター 茶柱タツ」の看板がなんとも言えずかわゆい。



あと四日市の「こにゅうどうくん」もいいな。


お仕事は問題なく終わったのですが、いきなり集中豪雨に遭う。
バケツをひっくり返したような雨!
あまりの豪雨にタクシーを門の中まで入れてもらおうとしたら守衛さんに「ダメです」と止められる。なんだよケチ!
んなわけで門からタクシー停車場所まで10m傘ナシで走らされて全身ズブ濡れ。運転手も「人に優しくない工場だもんでねー」と言っておったが、ほんとだよ。スーツが濡れてくせーよオイ。
で、道も冠水してて、タクシーも豪快に水しぶきあげて走ったんだが5分ほど走ったら全然雨降ってねえの。#の工場んとこだけ集中豪雨かよ!わしは雨女だったのか!
運転手に「これから駅行ったら一人だけズブ濡れも恥ずかしいだろうから、シマムラ寄ってあげようか」と言われた。それくらい濡れとるよ今も。スーツがベタつくわ。まだ臭いわ。髪も濡れすぎで着衣のまま海か河に入ったかのよう。ああハズカシー。
ズブ濡れのまま電車に乗ったら、これまたズブ濡れの高校生軍団がたくさんのってきて車内はもあーんとした空気が充満していた。いきった工業高校生三人組のひとりが自意識過剰で「電車の中マジくせえ。胃が痛くなる」を連発してた。イタい。
あとボックス席でおじいちゃんおばあちゃんと孫という3人と同席になったのだけど(中日戦見に行く途中だったらしい)、この孫の子が歌ってた曲がやたら印象深い。


一休さんが芋剥いて
二休さんが庭はいて
三休さんが酒のんで
四休さんが酔っ払って
五休さんがごーろごろ
六休さんがロクメガネ
七休さんがなーるほど
八休さんが???(歌詞失念)
九休さんがきゅうり切って
十休さんが重箱かついでえっさっさー


今日は7月2日なのですが未だに忘れてないくらい覚えているわけですよ。
この歌は一体なんて曲なんだ!?幼児には有名な曲なんだろうか?四日市地方では定番なのかしら?
気になるなあ。八休さんのところが思い出せないのもなんとも言えん。
誰か知ってる人いましたら教えてください。



ア!月報なので短く書いていこうと思ったら長くなったので次の日記に続く。
2007年07月02日(月)

セックスエリート狂騒曲

わはは。気持ちいいくらい日記書いてないなー。
1ヶ月ぶりですよ。気がつけば6月ですよ。5月はあっという間に過ぎ去ったな、怒涛の一ヶ月であったな、などと思っていたけど、この半年が怒涛の勢いで過ぎていったような気がする。まあそれなりに元気にやっております。5月はwell歌夢関連2つやったしなー。
わたくしの日記はwebの大海でひっそりとやっている個人のくだらねえ日記であるのだが、この一ヶ月休んでいる間にメールがきました。感激した!ありがとうございます。今しばらくはものすごくゆるやかなペースでしか更新できないんだけども、書けるときは書くようにしますわ。


と、いざ書こうにも最近は話題に乏しい日々を送っている有様。ものすごくつまらない日々であるよ。それも日記を書かなかった、否、書けなかった理由でもある。いや、話題が乏しいんではなく、自分の感性が鈍っているんであろう。なんというか、目に留まるもの読んだ物体験した物は今までと変わらないのに言葉が追いつかない。何も感じない。いや、何も感じないわけではないんだが、感じても言葉にするのが面倒くさい/わざわざ言葉にする必要がわからなくなる、というような感じだ。感性が朽ちて始めていました。やばいわな。
言葉にする/文章にするのはあんなに刺激的であったのに、どうしたものか。
なんでくだらないことをくだらなく長々かけなくなってしまったのか。
言うなれば心のインポテンツ。
いや、インポテンツというか感性との間にセックスレスが起こっていたわけです。
ちょっと前にも「文章がかけないと悩んでいた」という日記を書きましたが、あの時はセックスレスではなかったのだろう。「日記書きたい、でもおもしろいのが書けない」と悩んでいたのだから、言ってみれば
「セックスはしたい、がビンビンに勃たない」
という状態だったわけだ。最後まで射精できないかも、中折れするかも、というようなことを思っていたわけだから、勃ってはいたんである。
しかしこの一ヶ月は「あーもうセックスめんどくせー」「いっそこのまましなくてもいいかも」というように「あー日記にわざわざ書くのめんどくせー」「いっそ書かなくてもいいかも」と思っていました。
なんでそういう風に思ったかというと

1.先述の通り代わり映えのしない、大しておもしろいことの起きない日々を送っていたから
2.仕事で疲れていたから
3.どうせ文章にしても自分がたいしておもしろくないから
4.そんな文章読んでも誰も喜ばないから

というような思いがあったから。
書けば書くほど本当にセックスレスのようだ。特に「仕事で疲れていたから」あたりが。私は中年男か。


ほんの2,3日前に加藤鷹の「エリートセックス」という本を読んだ。
カリスマAV男優の鷹さんの本であるから話題はもちろんセックス。どのページを開いても「セックス」「クンニ」「クリトリス」「Gスポット」「イク/イカせる」という言葉が満載でした。私は客先から帰る途中、電車の中でこの本を開いたのだけど両脇に座っていたのが中年サラリーマンであったので内容見られたらどうしよう、とヒヤヒヤしてしまったよ。顔の幅ギリギリしか開けないでコソコソ読んでました。完全なる不審者。だったら電車の中で読まなきゃいいんだが。
書店で購入したとき(幻冬舎新書であるので買うのに抵抗はなかった)、「6000人の女とセックスした男」「潮吹きマジシャン」などの謳い文句で売り出されておったのだが、女をイカせるテクニック指南書という趣は皆無。むしろ加藤鷹のセックス観が書かれておりました。
本書は基本的に男性に向けて書かれているもので、イカせることにこだわるセックスなんてたいしたことない、だとかセックスは「やってやる」ものではない、「やらせてもらう」ものだ、とか俺は上手い/長くて太いと鼻にかけている男なんてダメだ、だとかが書かれている。そしてそれと同じくらい書かれているのが「女性は必ずしもイクことがすべてではない」だとか「バイブが気持ちいい女はそんなにいない」だとか「女性からやりたいと誘うのは難しいことだから、求められたら拒否してはいけない」といったような女性を理解した発言の数々である。
それを読んで、セックスで悩んでいる/悩んだことがある女性が読んだらちょっと泣けてしまったりするんではないか、と思った。
本書に掲載されている下記のくだりに私は思わず体中の力が抜けてしまったよ。なんというか、張り詰めていたものが切れたような感じ。

「男性は視覚的な興奮を感じると、好きでもない初対面の女性であってもセックスが出来てしまう動物、という面がある。
 しかしそれに対して女性は、基本的に1ヶ月にひとつの卵子のために、しっかりといいオスの精子を選択して受け入れなければならない。必然的に、恋愛感情を持つという選択肢の結果として、男とセックスをするという仕組みになっている」

ああ、そうなんだ。そうなんだよ鷹さんよぉ。
女性がセックスをするということ、セックスをさせるということはたとえヤリマンだろうと、仕事だろうと、とてもとても重要なことなのだよ。簡単なことではないんだよ。スポーツだとか、私は割り切ってやってるから、なんていう人もいるけれど、そうではないのだよ。
だからヤリマンと呼ばれる女はやった後に傷ついたりするのさ。ヤリマンじゃなかろうと、そのセックスが無に近いセックス/無かったものにカウントされてしまうと切ない気分になったりするのさ。セックスをしているということが、多くの場合受け入れられているということで安心感になったり、(でも正式な相手ではない場合など)不安要素になったりするのさ。
ああ、こんなに女性を理解しようと努め、理解しつつある今も模索中という彼は素晴らしいなあ。セックスを仕事にしているのだから、セックスが嫌いになることだってあろうに。セックスというものが重いと思うことだってあろうに。女に嫌気をさす、マンコなんか見たくない、って思うこともあろうに。


最近、熟女ビデオを見る機会がありました。熟女が「心がドロドロになるくらいのセックスがしたい」という要望を出し、そんなセックスの様子を演出一切ナシで撮影しているビデオなのだが、この熟女の相手役が加藤鷹でした。
最初はキスシーンから始まったのだが、女性と密着し、片時も距離を置かないキスに女性が早くも涙涙。キスだけで感じてとろけてしまっていたのは視線を一切離さなかったから、なんだろうが、視線どころではなく見ているこっちにも加藤鷹が
「たとえ撮影であっても、彼女とセックスをする間は彼女を真剣に愛している」
からだというのが伝わってきた。
本当に心がドロドロになるようなセックスしてました。
射精した後も彼女に折り重なったまま、キスをするというのが一番グッときた。口に出したにも関わらず、だ。
そんでわしも涙涙。うらやましいと思った。
熟女ビデオはいろいろ感慨深いので書きたいことが沢山あるのだがまたの機会にしておこう。話がそれる。


って、加藤鷹が素晴らしいって話が書きたかったのではなく、あんなにセックスしていてもセックスにはまだまだわからないことがある、特に、
「セックスに決まりは無い」「その人の生きてきたすべてが出る。それ以上もそれ以下も出ない」と言う鷹さんの姿勢は見習わなければなーと思ったわけです。まあそれが、おこがましいが、私にとっては文章であるということなんだが。文章を書きたいという欲望を面倒くさいなんて思ってはいけないなー。おもしろい文章が書けないのは、自分が文章を書くおもしろみを忘れているからであって、平坦な毎日が悪いわけではない。また、必ずしもおもしろい文章を書かなければいけないなんて、仕事なわけでもないからいいんだよ、と。特にここで書くことは自由でいいじゃないか。誰かに「おもしろくねー」「話題が偏っている」と言われても関係なかろうと。
仕事が忙しいなんてどうってことないことだったんだよなー今までだって忙しくてもフル更新していたりしたのに。
稚拙であろうと、レベル低いわーと自分で思っても、まだ書きたいと思ったりする。その衝動がすべてなんだと思う。世界と空回りしても、何もかもが上手くいかなくても、これから自分はどうなるのかわからなくても。他に命をかける何かが見つかっても、全財産失っても、天災にあっても、自分以上の素晴らしい文章を書く人間に出会っても。
うんこしたりメシ食ったり、バカ笑いしたり、くだらないことで怒ったり、セックスしたりするのと同じくらい文章を書いていこうと思う。



今日の日記はオナニーのようだが、現在の私が一生懸命自分の感性とセックスしたものだ。決してオナニーではないのよ。オチがないので射精してないようにも思うかもしれないが、まあ、射精する/イクだけがセックスではないからな。イカなくても満足するのがセックスってもんの不思議だから。
2007年06月04日(月)

煮え煮え日常戯れ言

頭が煮えているので久々につらつらだらだらヘイヘイマイマイな股・戯れ言をば。
おもしろくもなんともねえぞ。

■GWは前半が労働ばかりで、後半3日間が休みでした。
 大阪でやっている春一番に行く気であったのだが、起きたら12時という体たらくであったのであえなく断念。 以前の私だったら12時に起きようが新幹線に飛び乗っていたのだけど寄る年波には勝てなかった・・・ていうか前日22時まで労働してて行くのは体力的に無理でありましたよ。
 そんなわけで今年は4日がBBQ、5日と6日はインディーズTシャツの祭典「Tシャツラブサミット」に行く。
 BBQは楽しかったしうまかったが疲れた。昼間太陽に当たるってあんまないからなー。
 ラブサミは友人らがいろいろ関わっていて、おもしろかったし皆すげえなあと思ったしいろいろ励みとなった。打ち上げの席にも行ったけどああ、ほんとおもしろい人たちが多いわ。たまらんわ。
 Tシャツを売っているイベントですので、Tシャツ買ったのですが、MANALIBREというブランドのTシャツだけで3枚も買ってしまったよ。それくらいツボなデザインのTシャツ屋であった。DUBのイカすデザインTシャツだらけ。ダブだけでなくJBのTシャツもあった。
 http://www.bombayjuice.com/

 
■買ったといえば大阪に行けなかったので、その代わりに靴を買ってみた。
 靴ってのはブームに波があって、2,3年前にものすごく古着のパンプスを買うという習性があったのだが(イメルダ夫人かよ!とよくつっこまれたなあ)ここ最近はそんなにバカ買いもせずひっそりとやってました。しかし久々にスニーカー買ったよ〜。なぜなら今まで履いてたスニーカーに穴が開いてたプラス臭くなったからだよ〜。新しいスニーカーはコンバースのワンスターですよ。ザッツ定番。そしてごつい。靴のセールやってるとこで買ったにも関わらず高かった。まあしゃあない。
 ついでにそこらへんにちょっと行く時用のカバンを買おうとしたがやめ。
 でも欲しいんだよなーなぜならわたくし、前述のBBQもラブサミ初日もカバンないんで尻ポケットに財布だけ挿して行ったのですよ。帰りはビニール袋提げて帰ってきたのですよ。お粗末。いい年こいてビニール袋がマイバッグって。環境問題にもよくないわい。
 グレゴリーのサッチェルのラバー仕様のものを買おうか迷ったんだが、たぶん無難に吉田カバンあたりを買うことだろう。(わしの荷物は重いので丈夫なカバンじゃないとダメ)


■ニューオーダー解散ってマジか。

■今年もいろんなフェスが開催されますが、ハードコアのフェスなんてものも登場なのか〜

MAGMA/マグマ!!!
世界最強のハードコア・パンク・フェス!!!
5月26日(土)
会場:宜野湾市海浜公園 屋外劇場
(沖縄県宜野湾市真志喜4-2-1)
開場:10:00 AM

6月2日(土)- 横浜開港記念日
会場:横浜文化体育館
(横浜市中区不老町2-7)
開場:9:30 AM


MURPHY'S LAW
BOUNCING SOULS
SICK OF IT ALL(横浜会場のみ)
H2O
HAZEN STREET
MADBALL
HARLEY'S WAR
UNDERDOG
PARKWAY DRIVE(横浜会場のみ)
AGGRESSIVE DOGS
STACKERS
SMASH RAID
ALL FOR MEAL
RED BACTERIA VACUUM(横浜会場のみ)
BACKSLIDE(横浜会場のみ)
地獄車(沖縄会場のみ)
Bleach(沖縄会場のみ)
BIG HAND FAMILY(沖縄会場のみ)
DOING LIFE(横浜会場のみ)



名前だけ聞いてプログレバンドのイベントなのかと思いきやハードコア。
しかも横浜と沖縄というチョイスがイイネ。まあ私もハードコアを熱心に聴いているわけではないですが、シックオブイットオールとマッドボールの名前には心惹かれました。理性とは関係ないところでときめきました。
ま、行かないですけどね。


■今日の事件

><妻殺害>わいせつ画像見られ首絞める…容疑の夫逮捕 東京
>
> 7日午前0時ごろ、川崎市内に住む男性から「友人が妻を殺した」と神奈川県警多摩署交番に
>届け出があった。警視庁町田署員が東京都町田市森野2、健康食品会社員、
>川上仁志容疑者(34)方マンションに駆け付けたところ、
>室内で妻和子さん(28)が倒れていた。
>マンション前にいた川上容疑者が和子さんの首を絞めたことを認めたため、
>殺人未遂容疑で緊急逮捕した。
>同署はその後、和子さんの死亡を確認したため、
>殺人容疑に切り替えて8日送検する。
> 調べでは、川上容疑者は6日午後9〜10時、自宅で和子さんの首を
>両手で絞めて殺害しようとした疑い。
>川上容疑者は、携帯電話に保存していたわいせつ画像を見た和子さんが激高し
>「家族や友人を殺してやる」
>などと言ったことや、これまでも夫婦げんかのたびに和子さんが
>物を投げるなど暴れたため殺害したと動機を話している。
> 川上容疑者は
>「申し訳ないという気持ちはない。人を殺すことは正しいとは思わないが、
>家族や友人に被害がなくてよかった」
>などと供述しているという。川上容疑者と和子さんは2月に婚姻届を出した
>ばかりで、6月には結婚式を挙げる予定だった。



戸梶圭太の小説かと思っちゃったよ。
事実は小説より奇なりだなあ。まさにストレンジャー・ザン・フィクション。
2007年05月07日(月)

もうマン擦りはかかない

すっかりというかうっかりというか、日記を書かないうちに4月も終わりにさしかかっておりました。
この10数日の間何をやっていたかといえば、なんてことはない普通の生活をしてました。
普通に仕事して飲みに行って、4日間ばかり石垣にも行っておったけど。
石垣行きってのももはやマンスリーであるので普通の生活パターンになってきた。
一ヶ月に一回は南に向かう生活は、当初考えていたよりも困難なことではないなあ。岩井志麻子がベトナムの男にハマっていた頃、月一でホーチミンに通っていたと聞いてやるなあシマコ、現役だなあ(キンキンの不倫発覚時にうつみ宮土里が「あんた、現役だね」というコメントをしていたというのが私の最近の言い回しブーム)、と知り合いでもないのに勝手に思っていたわけだが、いまややるなあヤツザキ、とも思わない。あ、一ヶ月一回って普通ね、というか自分はもっと行けるが諸事情や周りの事情やお財布事情によって「一ヶ月に一回で勘弁したるわ」って感じだなあ。私が金持ちで仕事も自由自在にできる職業であったら週一がいいくらいですもの。(そういや岩井志麻子は最近ベトナム男話を書かなくなったが、もう終わったんだろうか。「どスケベ三都物語」毎月欠かさず読んでるのだが)
あと南に向かう生活が困難じゃない、と思えるのは3年くらい全国あっちゃこっちゃ行っていたからであろう。片道2時間半(那覇まで)プラス1時間(那覇石垣間)すなわちトータル3時間半なんて「近いなあ」と思える範囲ですよ。なんつってもわたくしは熊本まで片道20時間かけて行った女ですから。あん時は「(夜行列車で行ったことについて)何故わざわざそんな難儀な行き方を選ぶのだ」とさんざん言われたが、それは「石垣に行くのが大して遠く感じなくなるようになる為」だったんだろう。ザッツポジティブ後付け。
関係ないですが、先日、
「ベトナムでラテン系男と恋に落ちてペッティング直前までいったが飛行機の時間が迫ってきたので、逢引の約束して別れたら飛行機に乗り遅れた」
という壮大な昼ドラのような夢を見ました。私の見る夢はいつでもドラマのように壮大なのだけど、絶対に夢の中では性行為は始まらないんだよなー。やってる夢見て夢精とか全然ねえ。(そもそも夢精する体の仕組みを有していないが)
そういう夢を見るとモンモンとするってもんですよ!エロい夢、そうエロい夢が見たいオレです。


って、エロい夢を見たところで、目覚めて即自慰行為直行ってことはないんだけどさ。
そもそもわたくしは目が覚めるのがいつも時間いっぱい、ギリギリですからな。飛び起きて即効トイレ顔歯洗い服着て家飛び出す(それでも遅刻)ってのばっかだからな。
自慰行為といえば。
先日、プロレスとゲームとジャンプ(80年代の)あたりをこよなく愛する男性の皆さんと飲んだのですが
「俺はね、『オナニーしてます!』って自分から言う女はどうかと思う」
と言うておりました。最近は飲みの席なんかで「あたし、オナニーしてますよー」とカジュアルにぶっちゃける女性が多いのはよくない!夢をなくす!というような話で、
「女がマンコに指を入れたら『ゴミが入っちゃったから取り除いてるんです!』って言ってほしい」
という発言も飛び出して爆笑してしまった。笑ったわ。そんなに頻繁にゴミ入らねえだろ。
まあこの一連の話は女性差別!なんて騒ぐ人が聞いたらじゃあ男はどうなんだ等とギャーギャーうるさいんだろうけどな。
私はフェミニストでも男根主義者でもないし、私も自慰行為したぜってたまに書くが(こないだも某所でローター酷使しすぎて壊れたと書いたが)、女がオナニーしてますってのを自己主張するのはどうかと思う、という気持ちはわかる。
しかし自慰のことを書くときは抵抗があるのだ。抵抗の証として「オナニーした」とは書かないし。書けないのである。それは恥ずかしいという感情があるからではない。隠したい、というわけでもない。(そもそも隠したかったら自慰行為という言葉すら使わないわな)
しいて言うならば「わざわざそんなこと言う必要はないだろう」という気持ちが私にオナニーした、という言葉を使わせないようにしているような気がする。だったら自慰行為したってのも書くべきではないのだが。
それは置いておくとして、「わざわざ言う必要ない」と思う気持ちには「誰だってやってることだから/特別なことではないから」という前提がある。実際にはやってない人もいるのかもしれないけど、そんな人でも一度くらい試したことはあるだろう。試した上で「全然よくなかったわ」「男にしてもらうほうがいい」「自分でやるなんて罪悪感」などがあってやらなくなった人も多いだろうし。
まあその上でオナニーなんてのはメシ食って風呂入ってうんこしての延長だと思うんですよ。だからいちいち自己申告する必要はないかと。いちいち「うんこした」「メシ食った」なんて自己申告する奴はいなかろう。まあ、私は職場で「あーおしっこしてぇー」「うんこ出そう」といちいち言うので同僚の方たちに「言わなくていいから」と言われてますが。周りがそうなだめるくらい言わなくていいことだと思う、オナニーも。
そうそう、「オナニーした」とか「オナニーしてます」って自己申告する人は男女問わず
「毎日食っているメシをブログで自己申告している」
的なウザさも感じる。
特別なものを食べたときに画像を上げたりするのはいいんだけど、たまに毎日何を食べたかを上げている人っていますよね。自分に向けての備忘録なのかもしれないが、何もそんなことまで取り上げなくても・・・と思ってしまうな。そしてそういう日記の食事って「わーおいしそー」「食べたーい」には向かわないのだよね。「もういいよ」と思うことしきり。文字通り食傷気味となるわけだ。
「オナニーしてます」「オナニーしました」もこれと同じく聞くと食傷気味になる。言わなくていいよ、もうおなかいっぱいだよ、と思うわけだ。食欲と性欲って同じ位置づけなんだなー人間にとっては。今改めて実感しましたよ。


と、聞いている人間がいくら思っても自己申告する人って止まらないんだよな。食事報告にせよオナ報告にせよ。
私が思うに、オナニー自己申告ってのは「一人でも平気」という主張の一部である気がする。いや、他にもいろいろあるんだろうけど、そういう主張も含まれていると思う。一人の余暇であっても自分で出来るんです的な意味合い。「趣味がゲームで休日になるとひとりでずっとゲームやっちゃうんです」とか「趣味が競馬でひとりでも競馬場行っちゃうんです」と同じ意味合いで「私オナニーしますよー」という言葉は発されているのだと思うのですよ。ってこれは男にはあてはまらんけどさ。
ひとりでも平気、ひとりでも大丈夫。ひとりの時間も楽しめます。そう申告する女のほうが実はひとりで平気ではないしは大丈夫でもない。ひとりの時間にズンと沈んだりする。
ってわしがそうなんですけどね。一人で家にいたりするとどうしても人とガハハと話したくなって電話してしまうし飲みに行ってしまうしな。
ひとりでも平気と私オナニーしますよ、は申告してるんだからこれ以上ツッコんでくれるな、という警告でもある。本当はつっこまれたくとも(おお、期せずしてダブルミーニングだ)諸事情で自分からはどうしようもできない人の張る予防線だ。
まあ、オナニー自己申告とセックスしてます申告って元をたどれば一緒なんだけどな。「セフレはいる」という申告や「昨日セックスしてきた」なんて話は「だから私はさみしくない」って部分もあるからな。
あと余談だが、オナニーしてますという発言をする女はエロに対して普通の女性より進んでると思っているのもいてあれも鬱陶しい。別にステージとかないから。言ったところでスウェーデン女性レベルとかないから。


話がややそれた。しかも重い方向に。
オナニーは生理現象ですからすることは全然悪いことではないし、「オナニーしてます」という発言が重宝される場(テレクラとかライブチャットとか)もあると思うのでいいと思うんだけど、場と空気を読んで自己申告するべきですなー。男のオナニーは笑い話に落ちることが多いが、女のオナニーはまだまだ笑えない場合が多いですから。特に男性と話す場合。エロ話して笑いにもってくってのは自分だけでなく相手のスキルもないと難しいことだからなー。スキルというか馴れ合い具合というか。そういうのを見誤って「とりあえず場を和ませるために」とか「自虐ギャグ取ろう」という一心でエロ話およびオナニー申告などをすると元も子もなくなることがあるから。いろんなものを取り逃がしたりするから。取り逃がす以前に可能性すら自分で握りつぶすことになるから。
気をつけましょう。他でもない自分に向かっての忠告。
わしも自慰行為という言葉を使っているのだから問題なかろうなどと思っていたが、ダメですね。先述の飲みの時もアターっと思ったし、そういうこと言わないべきというクレームもあったしな。
言葉を変えればいいんではないかという発想も浮かんだが(マン擦り→マンスリーとか)結局一緒だよなあ。言わなきゃいいだけのことなんだよな。というわけでもうこのような場で自慰行為しましたという話はしないようにします。これからもやるんだけどね。←書かないでいい
2007年04月30日(月)

ブログをヤリすぎると女はどーなるのか?

こないだ用事があって渋谷に行ったのですが、
「ブログ始めようよ!毎日の生活が変わるよ!」
という趣旨の広告を何度か見かけました。
別に渋谷でなくても見かける広告なんだが、ブログを始めるということはイコール毎日の生活が変わるということなんだろうか。私なんぞはブログ以下の日記サイトに日記を書いているわけだが、この際ブログをやっている人とさせてもらう。
私は7年こうやってブログ(まあ日記だが)やってるけど、「毎日の生活が変わってます!」なんて実感ないけどな。むしろブログ(日記だけど)辞めたら毎日の生活が変わるのかもしれない。前回のブログ(日記なんだが)に書いたような「文章が書けない!」なんてことも考えないで済むようになるのだろうし、「会社の人とかに見られたらまずいよなー」なんて心配もしなくなるんだろうし、「こういうこと書くと『ヤツザキきもい』って言う奴がいるんだよな」「こういうこと書くと『アナタへんなこと書きすぎ』って注意されるんだろうな」なんて思わないでも済むのだろうし。
逆に言えば、今までブログやってなかった人がブログを始めたらそういう心配をするようになるから、確かに生活は変わったりするのかもしれない。けど、変わったとしてもたかがその程度だ。職が変わるわけでもない。交友関係が変わるわけでもない。毎日の生活が劇的に変化するなんてことはないのである。


しかし冒頭の「ブログ始めようよ!毎日の生活が変わるよ!」の広告が提示する「毎日の生活の変化」というのは私が言うような余計な心配をするようになる程度の変化を示しているわけではないのである。むしろ、劇的な変化のほうを示唆しているのだろう。
簡単に言えば
「ブログを書くことによってあなたも人気作家になれるかも!?」
的なことだ。
ブログを書く→読んでくれる人(読者、ファン)ができる→人気サイトとなる→書籍化→ドラマ化、ということがあるかもよ?ということな。だから、みんな!(誰だ)ブログ始めようよ!と呼びかけてるんだろう。
ねえよ。そんなの。
一般人のブログなんてそんなに皆読まないだろ。いきなり知らない人が読んで「おお!なんて面白いブログなんだ!ファンになりましたよ!面白いから皆さんに宣伝しますね!」なんて言ってくれる事はそうそうない。それはネット上の話だけでなく普段の生活でも同じことだろう。いきなり知らない人が話しかけてくるなんてことあるか?「ネットだから実現可能!」なんてことはないのです。当たり前だが。
夢開けるような言葉で煽るだけ煽ってボンボンと開設されたブログを読んでみると、「ブログ開設したことで毎日の生活に変化が訪れているんだなあこの人は」と思えるブログは9割方ない。たいていはその日の生活の記録だ。あんまり変化しない生活の。それはこの日記とて同じことであるが。


とは言ったものの、ブログ=日記を書くとなかなか面白いこともある。
日々の記録をつけるという習慣がつくから。そして、記録は記録として残るから、「2年前の自分が何をしていたのか」「4年前の自分は何を考えていたのか」「5年前の自分がいかにバカであったか」を読み返すことができるのだ。しかもそれは公衆の面前に晒されている記録なのである。隠すことも逃げることもできやしない。
私などは日記を始めて7年、web上に残っているものは2001年からであるから6年間の記録がある。
というわけで「×年前の4月11日(あるいは近い日にち)、自分は何をしていたのか/何を考えていたのか」振り返ってみるとしよう。ふりかえっての解説、および反省つき。

2006年4月11日
「音楽す気まんまん」

2007年4月上旬、ちょうど年に一度のスタカン期が来てましたよ。一年周期であったのか。
まあもう終わったけど。
ちなみにこの素敵な御仁というのは隣の部の偉い人なんですが、CD借りたまんま返してないのがまだあったわい。早く返さねば。ちなみにAORのレコード/CDは未だに買ったことありません。
あとこの頃は「キタコレ!戯れ言」の更新がんばってたなー(遠い目)

2005年4月8日
「モリゾープレイバック90」

私の祖父が亡くなったのが2年前の3月終わり。4月に入ってから日記に記しておいたのだった。
しかし物語調に書くということがいかに不得意であるかを日記書いたときも思ったし、読み返しても思うな。
これこそ「2年前の自分がいかにバカであったか」を知る日記だなあ。はずかしー。
こんな文章ではじいさんも浮かばれないわい。

2004年4月8日
「ピクチャーズ・オブ・イイ♂」

この日記で一番たくさん載せている画像といえばクリス・コーネル。
どんだけ好きなのだ。どんだけ萌えさせるんだ。もう15年くらいトリコであるよ。
そういえば最近画像載せてなかったな。

あれ?歳取ったなぁ・・・まあもう43歳であるしな。でもカコイイ。ぽわーん
そして大井競馬の話が載ってますね。久々にトゥインクル行きたい。

2003年4月11日
「おまっとさんでした!」

なぜ「おまっとさんでした!」という愛川欣也的タイトルなのかというと、この日より前の一週間、HPを閉鎖していたからなのです。なぜ閉鎖していたのかは忘れたが、いろいろあってwebってめんどくせーなと思ったからだった記憶がある。
名古屋ダイヤモンドホールにて初めて赤犬を見た時の話が書いてありますな。なつかしや。
この日記を読むと2003年ってほんとに昔だなあと思う限りだ。

2002年4月16日
「世界がもしもジョージ秋山の村だったら」

この日記を読んで一番気づいてほしいことは
「日記が短い」
ことですね。この頃はこれくらいの長さだったんだよなすべて。
タイトルと内容にあまり関連性も持たせてなかった。なつかしの時代であるよ。
あれ?なんで今、こんなに日記長く書くようになっちゃったんだろう?



いやー読み返すとほんとにお恥ずかしい。
なんでこんなものが残っているのだ!と思うことしきり。まあこれからも残っていくのだけども。
ブログを始めるとはこういうことですよ!皆さん。
しかも私の場合、最近、相棒氏がわたくしの過去ログを読んでは「こんなことが書いてあったよ」「これはなんだったワケ?」と言ってくるわけです。自分でも忘れていたことだらけで、なんという羞恥プレイかと赤面するばかりだ。
相棒氏だけでなく、わたくしの15年来の親友である姫御にも最近この日記の存在がバレてしまい、
「仕事中に股・戯れ言読んでるんだけど」
というメールが急にきて慌てたもんだ。
姫御の場合、なんでこの日記の存在を知ったのかというと
「彼氏が姫御の本名を検索したらこの日記がヒットしたから」
らしい。どんなばれ方かと。その彼氏が「ヤツザキさん(仮名)、最近大変みたいだよ」と教えてくれたそうで。「あんたの近況は股・戯れ言で知ってるわ」と姫御に告げられました。
そして極めつけはうちのイトコ(28歳170センチ、一児の母)。
うちのイトコもネットデビューをして「ブログを始めたい」というので参考までに、とこの日記の存在を教えたわけであるが、こないだ泊まりに行った時私が寝ようとしているすぐそばで

日記の音読

をされました。
「やめてよ!声に出して読まないでよ!」と何度懇願したことか。
それでも声に出して読むことをやめないうちのイトコ。「酒飲まないと性欲が高まってしょうがない」なんて音読された日にゃ。羞恥プレイどころじゃないわい。赤面じゃ済まされないわい。ハダカ写真流出ばりの危機。
ブログを始めるとはこういうですよ!皆さん!(二度目)




追記
そんなイトコがブログを始めたのですが
「巨体女のちょっぴりついてない日常。」という説明文がついてて笑った。
私のこともM子という表記で出てくるのだが、なんかM字開脚の子みたいだ。
許可がおりたらこちらにリンク貼ることにしよう。
無許可で貼るにはぶっちゃけすぎているので・・・(身内だから及び腰)
2007年04月12日(木)

重度(ソウ)ロウ

職業が作家でも文章を書く仕事でもないくせして、ここ数日
「文章が書けない」
ことで人知れず悩んでおりました。
IT土方であるのだから文章など書けなくてもいいのである。それなのに何か書きたいんだけどいざ書こうとすると何も思い浮かばない、という具合。私の得意分野である「日処出の天子」についてなら何か書けるんではないか、と書こうとしたがこれもまた書けない。いつもであれば厩戸に感情移入していくらでも書けるんだが・・・ちなみにひさびさに読んでみたらあんなにださくてみっともないと思っていた刀自古のことを批判する気持ちが減っていました。不思議だ。このことについて書きたいなと思ったもののやはり書けない。
これまた私の得意分野である「旅」「鉄道」に関してならば書けるんではないか、と思い書いてみたらこれがまたつまらない。自分でつまんねーなと思ってしまったらおしまいだ。そもそも毎回同じようなネタについて書くこと自体がダメだしな。
ついには仕事で長文のメールを打つのも厭わしいという事態に。IT土方でもそういう風に文章を作る機会があるのだ。しかし、ビジネス文書なのに文がぐちゃぐちゃ。うまい言い回しがわからない。よくわからないところに「お願いいたします」を挟んだりするからますますまずい。何が言いたいのかさっぱりわからんビジネス文書なんかいらんだろ。
私は7年も日記でしこしこ書いてきたのに、一体これはなんだったのか。
正解は「公開自慰」だけど。(自問自答)
なんかもう日記書くのもやめたほうがいいんではないか、とまで思いましたよ。書いたとしても自分でまず「つまんねー」と思ってしまうし。文章が書けない、おもしろいものが書けない、てのはもう人としてダメなんではないか。鼻くそほじったり同僚友人とバカ話をしながらそんなことを思って生活してました、ここ一週間くらい。まあ誰もなんとも思わない悩みだよなー私もわざわざ人に相談することでもないなと思ったし。自意識過剰もいいとこだ。冒頭にも書いたけど、IT土方なんだから文章なんか書けなくてもいいんだし(仕事上では問題だが)。「若ハゲで悩んでる」「明日までに借金返さないとヤバイ」「局部が臭い」「隣の席の人がワキガ」なんて悩みに比べればほんとにほんとに大したことないし。むしろそれらより恥ずかしい悩みだよ。(主に自意識過剰すぎて)


そうはいいながらも自分にとってはワキガ級の悩みであったので、恥を忍んで相棒さんに悩みを打ち明けたところ、「赤瀬川原平を読むといいよ」といわれました。
名前は聞いたことあったが読んだことないな。ウィキペディアなどで読むと70年代〜80年代に人気を博した人らしいのでどうなんだろうと思いつつ、近所の本屋で「老人力」を購入。読んでみた。
相棒さんは「(赤瀬川原平読むと)アイデアとか目の付け所とか書くことの楽しみを思い出すかも」ということですすめてくれたのですが、純粋に
「私はすでに老人力が高いな」
ということに気づいた。
この本は結構売れたらしいので(知らなかったが)、ご存知の方も多いんだろうけど「老人力」というのはいわゆる「ボケ」「もうろく」の新解釈のことである。「最近物忘れが激しい」なんてのを「最近老人力がついてきた」と置き換えて老いることをポジティブに考えましょう、という提案である。物忘れ以外にも「やたらため息をつく」「やたら眠る」なども老人力なんだそうだ。
で、私が老人力高いわー俺、と思ったのは物忘れが激しい、ではなくて「やたらモノを忘れる」から。先日も出社して昼休み、弁当を買いに行こうとしたところ財布がない、ということがあった。
「財布がぁー!財布がぁぁぁー!!!」
と大騒ぎをし、どこで落としたのだ?どっかに落として盗まれたのか?などとパニック状態。
しかも同僚さんが「俺、シノの財布朝見たよ」などと言うものだから「会社で落としたのか?そんなバカな!」とさらにパニック状態に陥ったのだった。私の財布は皮の札入れなのだが、とにかくでかい。いつもはチェーンをつけて尻ポケットに入れているので落としたとしてもすぐ気づく仕組みになっている。携帯電話を首から提げているようなもんだ。
しかし。ここ最近打ち合わせなどが多いので

・尻ポケットに入れているのはみっともない(不良に思われる)
・チェーンをつけているのはみっともない(不良に思われる)
・スーツの時など、いくらスカートにヒールのOL然とした格好でもチェーンの巻きついた財布をカバンから取り出すと客/同行の人が引く(不良に思われる)

という理由でチェーンを取り外していたのですよ。
まあ20代も終点間近、しかも社会人で不良もへったくれもないのだがそれでも「チェーンはあれか、いざという時に拳に巻きつけて攻撃する為か」などと言われるもので。アジャコングでもあるまいしそんなことしねえよ。確かに打ち合わせにチェーンじゃらじゃらつけた女がきたら感じ悪いわな、と思ったからとったまでだ。

しかしこの時は「なんでチェーン外したんだ!」と自分を責めた。
外していなければ財布がなくなることはなかったのに!
まあついてなかったものはしょうがない。それでは一体どこで落としたのだ、という話だ。
昼休みまでの行動をさかのぼる。

11:45       財布がないと気づく
11:45〜11:10   同僚とアホ話
11:10〜10:05   打ち合わせ
10:00       出社。「おせえよ!」と突っ込まれる。
9:45       家を出る。
9:15       同僚から「今日10時から打ち合わせじゃね?」と電話がかかってきて起きる
8:00       一旦起きて「もう5分寝よう」と二度寝
4:00くらい    排卵痛で目が覚めて鎮痛剤服用
0:00くらい    いつの間にか寝る
23:00くらい    メールしたり電話したりマニュキア塗ったり
22:00くらい    風呂入ったり
21:00くらい    電話したり本読んだり
〜20:00くらい   排卵痛きつくて退社。金を下ろす。近所のスーパーで買い物、帰宅、メシ食ったり

まあこのタイムチャートを見て一番気づいて欲しいのは
「平日なのに睡眠時間9時間超」
ということです。どんだけ寝ているのだ。これも「とにかく眠れる=老人力」の為せる技か。
あと4時より前の「〜くらい」というのは正確な時間を知らないからたぶんこれくらいだった、という曖昧ぶり。見てお分かりになると思うが酒呑んでないのに時間がわからない。これもまた老人力。
タイムチャートをさかのぼってみて気づいたが、財布をさわった記憶は前日の20時くらいまでなのである。13時間くらい財布の存在に気づいてないわけだ。どんなんだそれ。「朝タバコ買ったんじゃないのか?」「朝お茶買ったんじゃないのか?」と思われるかもしれないが、買っていない。
私は事件当日、そもそも財布を触っていないのである。
要するに同僚の「朝、シノの財布見たよ」というのも「適当な記憶力=老人力」なんである。
おそろしや、集団老人力!

で、結局どうなったのかというと
「近所のスーパーで落としたのかもしれない!」
と思ったのだが、「とりあえず家に帰ってみたらどうか」との提案があったため、家に帰ってみたらなんてことなく家に置いてあったのだった。財布ないない騒いで「カードとめなよ!」などと忠告してくれた人もいたが、とめなくてよかった。どんだけ人騒がせなのだ。罪滅ぼしにお菓子買って同僚らに振舞いました。

赤瀬川原平は
「最近は暴力事件などの低年齢化がささやかれているが、老人力の低年齢化ということもあるらしい。若くして老人力がついていることは『早老』である。この語感はちょっとまずいか」
と書いていたが、私などは超早老ってことだな。
みこすり半。1分持たないわい。


まあ、私が超早老であるとしたら
常日頃から「あれ、なんだったっけ?」「あれよ、あれ、こうやってこうするやつ(と身振り手振り。でも全然何を表したいのかわからない)」などを連発し、
「ヤツザキ、リモコン忘れてるわよ」
と言いながら私に腕時計を渡してきたり
「あの俳優かっこいいわ〜なんだったっけ、名前?ラクラクフォン?」
とチャンドンゴンの名前を間違えたりするふぁる姐さんはカリスマ早老であるなあ。
カリスマ早老というか、早老界の長老というか。
早老長老。ああなんか「次長課長」のようだ。漫談始めるべき。



あれ?文章を書けなかった理由がわかったのでそれ書こうと思ったのに全然違うところに着地してら。
まあそれに関しては次回にて。
2007年04月09日(月)

ティーネイジちょい過ぎファンクラブ

前回の日記に「甲子園賭け、そろそろ本腰入れてやらねば」と書いておりましたが10日間忙しくやってる間にすでに甲子園賭けの決着つきました。日記書かないと途中経過がわからんね。
結果から言いますと、いつものローカル賭けも今回新たにやった賭けも両方勝ったよ!
縁起のいい春であるなあ。
賭けは毎日の生活を潤わせますね。
ちなみに次回のローカル賭けのお題は「都知事選」なのだそうです。
もはや「賭けの対象はなんでもいいのか」というレベルである。しかしこら難しいわ。
わたくしのおうちは「ほかの選挙は一切行かなくてもいいから都知事選だけは行ってくれ」という方針の家なのですよ。というわけで都知事選だけは必ず行かされる訳だが必ずミッションとして「現知事以外に投票しろ」というのが課されるのであった。我が家の一部からね。私は東京に執着も愛もねえんでどうでもいいのであるが。(甲子園賭けは帝京のおかげで勝てたけどさ)

という具合であるのに、実はわたくし、今回の都知事選の候補者を一切知らないんだよなー
不勉強で申し訳ない。不勉強なのもなんなのでココで調べてみたよ
http://blog.livedoor.jp/samuzorahadaka/
いろんな人がいるのだな。
しかしほとんどが犯罪者写真にしか見えない罠。

あと東京都の選挙ホームページに載っているイメージキャラクター「権さん」と「リッキー」が意外にかわいいです。権さんは「年齢:不詳ですが、おそらく、40歳〜50歳」の江戸っ子でリッキーは本名「りえこさん、エリさん...色々な説がありますが、不明です!」というゆるキャラ。全然かわいくないんだが、「意外にかわいい」と思ってしまうんだよなー。何故だ。



話はだいぶ変わりますが、ここ最近21、2歳ぐらいの女の子と話す機会が増えております。
男も後輩君など23くらいの子と交流する機会が多いな。
今まで「ヤツザキはここいらで最年少」「妹分」「弟分」などと言われておったのですが(弟は間違っていると思いますが)、まあ私も今年で28ですからね。年取ったわい。
そして年下の子たちと話すのは楽しいなあ。
「ヤツザキさーん、聞いてくださいよ〜」とたわいもない話されたり相談事されたりするともう全力で抱きしめてあげたくなるね。取るに足らない悩みなら笑い飛ばしてやるし、そうでないものであれば何とかしてあげたいと思ってしまう。間違っていることは間違っていると告げるし、こうしたほうがいいんじゃない?とアドバイスしてあげたくなる。
それくらいの年齢の子達がかわいいのですよ。
私のようなダメな大人を慕ってくれるとは!感謝ですわ。
そもそも、私は「自分は高校の時から変わってないのではないか」「大人になりきれてないのではないか」と疑問を抱いていたわけだが、若い子らにいろいろ話をしてもらうことによって「ああ、私はとっくに大人なんだなー」と自覚できたのであった。既に十分歳を取ってるよなーそら。
なんでそこがスムーズに自覚できたのかというと、まあ今に至るまでの間にわたくしも年上の方々と交流してきたからなのだけど、年上の方々には二通りいましたな。

1.年上として、人生の先輩として接してくれた人
2.同い年の感覚として接してた人

最初はどっちも私から見れば「年上」にしか見えないのだけど、だんだんとこういうのってわかってくるのだよね。そして私が今、年下の子らがかわいいなあと思えるのは前者の人たちのおかげであることがようわかる。
もちろん同い年っぽい感覚も大事だと思うのだ。年齢関係ない感じで接してもらえることもありがたいことだと思うのだ。
しかし、

「同い年の感覚=年下側の歳に照準を合わしている=自分はまだまだ若いと思っている」

人はなー。
ぶっちゃけ厄介だったなー。
私は年上の方々が同い年感覚で接してくれている場合、「年上側の年齢のほうの扱いをしてくれているのがありがたい」と思っていたが、皆がそうではなかったんだよな。たとえば私が24の時、「ああ24の扱いしてくれないのが心地よい」と思っていたのだけど相手側は「むしろ私は24と話が渡り合える。まだまだ若い」などと思っていたフシがあったと気づいてしまったよ。(それは当時は気づかないが自分が年を取って気づいた)
自分で「私は若い」と思うこと自体は一向に構わないことだと思うし、周りから「若く見える」と言われる事もいいことだと思う。若いという自意識と周りの「この人は若い」という認識がイコールあるいは自意識<周りの認識くらいだとちょうどいいのだけど、
自分のことまだまだ若いと思っている人はあからさまに
自意識>>>>>>>>>>>>>>>周りの認識
なんだよね。
そう思っている人は必要以上に実年齢をアピールしたがるがそれはある種のカモフラージュでしかない。というか「自分で申告しているのだから周りは言ってくれるな」というサインだな。
あと自分を若い!まだまだイケル!と思っている人って疲れるんだよなー。図々しいなこの人、と思うことが多いであるよ。それを笑い話の感覚で「アンタ図々しいよ!」と指摘できる間柄ならいいのだが。指摘したらした途端に「若造の癖に生意気な!」というような年上オーラ出したりする人のほうが圧倒的に多いから厄介だ。
うちのおばはん(本当に血が繋がってる人)が言ってたけど

「女は、20から25までの間に女性ホルモンが沢山分泌されて女らしくなるのよ。
 25が頂点なの。肉体の女性化に伴って頭の中も25で女ざかりになるのよ。
 だけどね、25を過ぎたら下り坂。女性ホルモンはどんどんショボくなって
 女としての機能もどんどん失われていくんだけど、
 厄介なことに頭の中だけは25のままで止まっちゃうのよね〜
 でもちゃんと25を過ぎたら女下り坂ということを理解しておけばいいんだけど
 理解できないとか理解を拒否する女はね、
 30になっても『アタシまだまだイケル。まだ平気』って思って
 35過ぎた時に衰えを実感するのよ。で、時間がないって焦りだすの。
 そしてもっとも哀れなことは
 そういう女って永遠に頭の中が25だから衰えを認めないのよね〜みっともないのよね〜

これ、私の作り話じゃないから。
わたくしの叔母の発言ですから。
これは「あなたももう27だから、下り坂なのよ!全然若くない!まだまだ大丈夫、とか、いつかそのうち、はないから!」という私に対するハッパかけの発言だったのですが(十戒ばりに)、聞いてて膝打ったわ。やわな生き方を変えられない限り限界なんだわ嬢ちゃん、イライラするわーというメッセージでしたよ。私も25で頭止まってたらいかんなーと思った次第。時間は無限にあるわけではない。


まあそんな人たちとの交流の経験よりも、人生の先輩としていろいろ相談に乗ってくれたりアドバイスしてくれたり話聞いてくれたりした人たちがいてくれて私は本当によかったですよ。昨日もわたくしのゴッドねえちゃんが「ヤツザキはかかえてやる」と電話で酔っ払いながら言ってましたが。
つまるところ、私はそうやって助けられたり支えられたり導いてもらったりしてここまでこれたので、年下の人たちには同じようにしたいのだよなー。私のようになることは決しておすすめできないが、私がしてもらってきたことはおすすめしたい。そうやって年上の人たちと交流していくべきですよ。そのうち自分にとって有益な人や無益な人、害悪のある人などが自然にわかるようになるし。今21,2の子がいつか私と同じくらいの年になって「あーヤツザキの言ってたことたいしたことなかったなー」と思ってもいい。それでも交流していくことは大事なことだ。会話することは大事なことだ。若いうちにたいした交流や会話をしなかった人は、自分だけのわけわからない考え方に辿り着いていることが多いからな。そういうのは相手にしなくてよろし。そしてそういう風にはなっちゃいけない。



最近話す21,2歳の子は何人かおりますが、彼女らが共通して言うのは
「私、人見知りで(知り合いが増えない)」
ということでありますね。
ヤツザキさんは人見知りしないですよね、知り合い多いですよね、という前提で言われるわけですが、かといって私が人見知りでなかったわけではない。最初から知り合いが多いわけでもない。まあ、実際今は人見知りしなくなったわけだが昔はそうでもなかった。
私は元・人見知りなのですよ。
私の場合は近親者に幼少時から
「あんたは人見知りで引っ込み思案。友達がいない」
と言われ続けてきたのでこれは克服せにゃいかんものだなと思ったわけです。昔炭酸が飲めなかったのを「炭酸飲めないなんてダッセエ」とバカにされていたので克服したのと同じ理論ですな。
克服したとは書いたけど、とりわけ「人をみかけたら話しかける」「人に出会ったらあだ名をつける」「いきなりタメ口で話すようにする」などという努力はしたことなかったなー。んなこと努力することではないけれど。小学校低学年くらいまでは人と話すのが苦手であった。前も書いた気がするが小学校低学年までは「なんで友達と遊びに行かないんだ!」「なんで家にいるんだ!」とよく怒られたものです。今考えると怒りの方向性がよくわかりませんが。(あと家に友達呼びなさいってのもなかったなーそういや。家にいたり家に日人呼ぶのを怒られるてどんなんだ)
あとすごく覚えているのが、小学校低学年時に近親者と歩いていたらクラスの男子たちの遊び現場に遭遇したのだけど、当時は男子と
「男子便所/女子便所に閉じ込める合戦」
をしていたので敵対の意味で素知らぬふりで通り過ぎたら
近親者に
「そうやって人見知りして!キーッ!何照れてんの!恥ずかしい!」
と道端で大声で言われたことがあったなー。
私はほかの女子の持ち物を奪還する為に男子便所に閉じ込められた屈辱があったので(女子便所と繋がっている物置から脱出した記憶がある)話さないのは精一杯のプライドであったのに、頭の固い大人はそういうことが理解できない。まあ子供は何も考えてないって思いたかったんだろうけどさ。いろいろ考えてましたよ。今と同じレベルのことを考えることもあったさ。(ということは今の自分がまだ幼いのか?ようわからん)


しかし中学年以降は自然に人見知りでなくなった。何がきっかけだったかは思い出せないのだが。むしろ遊びに行き過ぎて怒られてたわ。チャリンコで錦糸町行き過ぎて怒られてたわ。
もともと人見知り気質ではなかったのだろう。「あんたは人見知り」と言われ続けて自分でそう思い込んでいただけなのかもしれない。呪いは信じた人にかかってしまうからね。
人にかけられる呪いも厄介だが、自分で自分に呪いをかけてしまうのはもっと厄介なことだ。
「私は人見知りなんで」
というのはまさに自分で自分に呪いをかけている状態だと思うのですよ。
そもそも誰でも知らない人に話しかけたり、知らない人と打ち解けるのは怖いもんですから。相手は自分じゃないのだから。そら勇気がいることですよ。
世界を広げたい、知り合いを増やしたいと思っているのに「人見知りなんで」なんて呪いで諦めてしまうのはもったいないなと思うのです。待っているだけの状態のところにやってくる知り合いや世界はロクなのがないからな。キャッチとかダメ恋愛とかそんなんばっかだ。
ほんの少しでもいいから勇気を持つつもりがあるのなら、自分の呪いを解きたいという気持ちがあるのなら私はいくらでも世界を広げるきっかけを与えますよ。私はたいしたことないが、私の周りにいる素晴らしい縁を紹介しますよ。ただ、私に出来ることはそれだけだけど。道を進んでいくのは自分自身ですから。


私もハタチやそこらの頃は知り合い少なかったなー。
何をやりたいのかはっきりすらしなかった。自分に何ができるのかもわからんかった。のわりにはプライドだけいっちょまえでタチが悪かったな。そういう頃に知り合ったのが今でもお世話になっているライターさんであったわけだが、それがきっかけでいろんな繋がりができましたよ。更に会社入ったりいろんなとこ出かけたりで広がったし。すべてがその方のおかげで広がった縁ではないが、あの時きっかけがあったからこそ今の人間関係が築けたと思っております。
20代も後半になって思うことだが、ハタチや21なんて十代とさして変わらないのですよ。年が一個二個増えただけで不毛の時代であることには変わりない。でも十代と違うのは「このままではいけないな」「これからどうなるんだろう」と思えるようになることだと思う。思うだけでなんにもやらなかったり、思ってはいるが何していいかわからなかったり、思いすぎて間違った方向に突っ走っちゃったり。
いろいろあるが、そのくらいの年齢で「まだそんなことで悩んでるのが恥ずかしい。もう20代なのに」と思っている子が私は大変いとおしい。飲みに連れてってあげたくなる。そして奢ってやりたくなる。(自分があまり金持ってないときは多少出してもらって申し訳ないなと思ったりする)とにかくあがいたりしている子を応援したくなるのだよ。


きっと、今まで私に「それくらいの年齢の時はそうやって悩むもんだよ」「もっといろんな人に出会ったほうがいい」「ヤツザキはこういうことに向いていると思う」と飲みの場でアドバイスしてくれた方々は同じような気持ちだったのだろう。そっちの心境がわかるようになれてよかった。頭ん中25で止まってないのも実感できてよかったよかった。
ま、もう20代も後半なのに悩みはいっぱいですけどね。お恥ずかしながら。
目下の悩みは「部屋の片づけが進まない」ことですかね。これ悩みじゃなくて自分の努力不足だけどな。
部屋が片付かないと「はいからさんが通る」の続きが読めない罠。青江冬星カッコヨス!
2007年04月02日(月)

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