股・戯れ言


BBS

泥酔石垣女子らとかけまして、ヤツザキとときます、そのココロは 後編

だいぶ日記にブランクが空いてしまいました。すんません。
先週から発熱したり親族が病院に運ばれたり仕事でズギャンと重要問題発生したりで、えらいこっちゃなことが続いております。もう熱はないのだが喉が痛くてたまらんのであった。相当きつい菌を保有してるんだな私。
そんな病原菌祭りなのに親族の世話なんかしてはいかんよなー。しかし緊急の事態であったのでまあしょうがない。
それにしても毎年のことだけど、わたくしは年の初めのほうで必ず発熱するなー。
もはやそういう体質としか思えない。
と、書いたところで発熱した記録は2003年の正月に患ったインフルエンザと去年1月の風邪しか思い出せないのだが。あ、2004年初めは鼻から流血しまくったけどあれは発熱とは関係ないか。2005年はものもらいになったけどあれも発熱とは関係ない。(遊びすぎで疲れるとものもらい出やすいんだが)
ちなみに、火曜の夜飲んでいたときからどうにも具合が悪いと思っていたら発熱に至ったわけですが、その火曜の夜にともに飲んでいた方々も皆発熱でダウンしたそうな。おー怖。しかも友人は病院行ったら「インフルエンザ」と診断されたそうで。ひー。
私は過去に3度ほどインフルエンザにかかったことがあるのだが、あのつらさは尋常じゃない。2003年のインフルエンザなんかつらいなんてもんじゃなかったわい。あの時は発病したのが名古屋で、発病してから数日間病院すら行けなかったから本当に死ぬかと思いました。確か帰る時は名古屋なのに雪降っちゃってて、新幹線内で凍えそうになったんだった。というインフルエンザ恐怖をしっかり覚えているので、友人がインフルエンザだということが判明した時はビビりました。私もインフルエンザなのか!?それはいやだ!と。
ま、熱は2日弱で引いたので違ったみたいですが。インフルエンザなんて懲り懲りじゃー。



しかし何故、私が発熱するに至ったのか。
それはおそらく「遊びすぎ」「飲みすぎ」が原因なのだよね。
その原因の一端、というか大部分であろう石垣滞在記・後編。



前回の日記によい店を何個か紹介しましたが、いい店は単独行動の時も見つけておるのですよ。

■月の鳥
滞在時初日、2日目と石垣はとにかく寒かった。17度くらいだったと思う。
そんなわけで襟巻きが欲しいなーと思って歩いていたら、インド、アジア系雑貨を扱っている店がありました。石垣なのにまるで中野や高円寺にありそうな佇まい。石垣はリゾートであるのでオリエンタルなものも観光客目当てに扱っている店が結構あります。しかしこの店は観光客向けにしては高円寺度、というか中央線度が高すぎる。何か違うなーと思って入店し、ストールを買うつもりだったのですがパレオにもなるという布を購入。赤が基調のカラフルな布。私はこういう色柄のものがホント好きなんだよなあ。
店を経営しているみーさん(しまんちゅ)と話していたらやたらと盛り上がったので、石垣滞在中はほぼ毎日通ったなー。
通って店先で長々と話していましたわ。気がついたら2時間近く滞在していた日もあったほど。
みーさんには石垣のいろんな情報を教えていただきました。
石垣のバーは数自体が少ないのだけども、その中でも「島出身の人のやっている店」と「移住してきた人がやっている店」に分かれていて、それらの客層は全然違うらしい。いわゆる棲み分けとか二極化というやつだ。それらがうまいこと融合しあえばもっとおもしろいんだけどねー、とみーさんは言っていたが本当にその通りだと思う。
先行するイメージなんてものがぶっ飛んでしまうほど、いろんなことが合わさってごっちゃになってここが一体どこなのかわからない、いや、そんなことは全然重要じゃない、と思えることが大事なことであり、人を引きつける面白いことなんだと思う。
「月の鳥」は石垣島であるのか中央線沿線であるのかわからない佇まいが本当にいい。観光客だろうと地元民だろうと移住者だろうと関係なく引き寄せる魅力のあるお店でした。って、今書いて気づいたけどどこであるのかは重要ではないけど、誰がやっているかは重要だなあ。みーさんはサバサバしていて魅力的な女性でありましたわ。



■七人本舗
前述の「月の鳥」に遊びに行った時に、偶然、みーさんの同級生の誉さんにお会いしました。
本当に初対面であったのだけど、あれよあれよと話が弾み一気に打ち解けたのであった。その誉さんが働いているのが石垣港ターミナル(最近完成。とてもきれいでだだっ広い)の中にある「七人本舗」。
お土産店なのかと思いきや、お弁当やモカケーキ(ってこれの正式名称は一体なんというのかよくわからんのだが。わからんが、石垣でよく見かけるモカスポンジのケーキ)やお茶やいろいろ売っている個人商店のような店でした。石垣港ターミナルは観光客だけが使うのではなく、石垣からさらに離島に仕事やらなにやらで行く人も使うのでこういう店は大変重宝することだろう。
そこで立ち話をしていた際に、レジの中にいる誉さんの後ろに書いてあった

「泡盛シェイク」

という文字に目を奪われ、大いに興味を持つ。「ほんとに島入ってるシェイクなの?」と聞くと「ほんとですよ〜ほんとだからシェイクなのに泡が立たないんですってば」と返され、興味本位で飲んでみる。
ほんとに泡が立たない。
そしてほんとに島酒の味がする。っても牛乳の甘さ、まろやかさのほうが優位に立つので、飲み終えた後に、あ、口に残ってるて感じる程度だ。誉さん曰く「カルーアミルクみたいなもんです」とのこと。
なんだ全然いけるわーと飲んでいたら、さすが「カルーアみたいなもん」なだけあって体がカッカしてきた。酒として飲めばたいしたことないんだけど、シェイクとして飲むには刺激的であったな。
他では滅多に呑めないシェイクだと思うので、石垣港に寄ったら皆必ず飲むべき!(呑むべき!)

余談であるがここの誉さん、月の鳥で話していた時に私の声を聞いて
「声がいいですね!ゴスペルやってるんですか?」
と言ってました。笑ったわ。
今までカラオケ向きの声という指摘は何度も受けたことあるけど
ゴスペルてのは始めて言われたわ。
(そういや長野で入ったスナックのマスターはゴスペルやってる人だったな。関係ないが)
やってないですよ、と返したら
「それは勿体無い!今から始めましょ!ライブやりましょ!」
と言われました。
ライブやるかどうかはわからないが、始めようかなゴスペル。目指せドリームガールズ。



他にもあったけど、それは次に石垣訪れる時に書くとしよう。

しかしまあ、私は石垣の人と縁があるようで(そもそも私のゴッドシスターであるみやらさんが石垣出身だし)前回の石垣滞在から帰ったその日に相棒さんと出会ったりしたんだったな。あんまり縁ないのかもと思ってたけどそうでもなかった石垣島。今回の滞在もそんな感じで先述のみーさんが
「実は来週、東京に行くのです」
とのことであった。石垣から帰った数日後に再会するチャンスがあるなんて、なんとも不思議だなー。
この不思議な縁をみすみす逃すわけにいかない。
というわけで、石垣から帰った翌週(すなわち先週)、東京でみーさんに再会しました。
こんな再会は前にもあったな。ああ、那覇で出会ったはるみちゃんと二週後に大阪で再会した時か。
「同級生が何人か集まる飲み会においでー」ということだったので、これはおもしろい機会だ、と思いはるみちゃん(奄美出身)、みやらさん(石垣出身)、会社の後輩の女の子(本島出身)も誘って飲み会に行ったのだけど、自分含めて総勢10人の女が集まると言うにぎやかな宴会となった。
私以外全員南方女子。
私以外全員顔が濃いったらありゃしねえ。
全員顔だけでなくキャラも濃いったらありゃしねえ。
そして皆、とにかく声がでかい。とにかく酒飲み。
歌舞伎町で呑んでるのに完全に島呑みであった。ここは一体どこなんだ。
しかししまんちゅ女子はなんで皆ワイン飲みたがりなんだろ。平日のしかも月曜日なのに赤や白のワイン(無論ボトル)がガンガン注文されてた。

そんな盛り上がりが宴会だけで終わるわけがなく、平日月曜日であるのにカラオケへ。
皆、テンション高いのだけど(自分も)、それよりもずっとテンションが高い子がひとりおりまして、いきなりビギン唄ってて踊りまくってて「アンタ酒足りてないよ!もっと飲んで!」と煽られ、キスされまくりました。
あれ?こんな人知ってるなあ私。

他でもない自分でした。
まるで自分を外から見ているかのよう。
ああ、そうか。私が沖縄の人や石垣の人(特に女子)と縁があるのはとても他人とは思えないからなのか。
自分と同じテンション、同じ勢い、同じいい加減具合の人たちと一緒にいるのは楽しいなあ。時間の感覚がなくなるわ。理性とかどうでもよくなるわ。面倒なことがいらないのがいい。一気にストーンと距離がなくなるのがいい。過程とかそういうのって面倒なのだよな私は。そんなわけでこの日は2時過ぎまで楽しくやってしまった。無論タクシー帰宅。



その時はそれでいいが、そういう人たちとずっと一緒と言うわけにはいかないから後で飲みすぎたことを後悔する罠。翌日は酒抜けなくてたまらんかった。そして体調も一気に悪くなって発熱に至る。
そらこんだけ遊んだり飲んだりしたのだから発熱もするわい。
おかげで発熱以降、友人に会ってメシを食っても酒が全然飲めません。ビール一杯頼んでもジョッキの3分の2も減らないし、2時間くらいかけてやっと4分の3飲むくらいの感じだ。ああ、どんどんクリーンな身体になっていくよー。浄化中であるよー。
たぶん、人生で遊ぶ量(酒飲む量)と言うのは一定に決められていていっぱい遊んだらその分遊べなくなるような(酒飲めなくなるような)仕組みがあるのだろう。誰が決めてるかしらないけど。私の場合、3月上旬はえらい遊びようであったからペナルティがついたのかもしれん。「お前、一回休み」という感じか。
早くこの休み終わらないかなー。復活したくてうずうずしてら。(復活してないのに無理しては飲まないぜ)


余談だが、人の人生で一定量決められているものといえば、遊ぶ量(酒飲む量)だけでなくセックスの量も決まっていると思うております。前に京都かどっかのエロ宗教家(60くらいのジジイ)が懺悔と称して女子中学生を犯しまくっていた、というニュースを聞いたとき、
「ああ、このジジイは若い頃全然セックスしなかったのだろうな。年取ってから性欲が爆発したのだろう」
と思ったものだ。
14歳で処女喪失!童貞喪失!その後もやりまくり、なんて人はセックスどうでもいいわーと思う年齢も早い気がするのだが、20代の半ばまでセックス知らないで生きてきました=モテませんでした、なんて人のほうがセックスに貪欲だもんなあ。でもこれは、セックス量一定説というより「セックスに過剰な期待をしてしまった/過剰に劣等感を抱き続けた」人がそれを取り戻すかのようにやりまくっている、という可能性もあるか。どっちなんだろう。どっちでもいいけどさ。
2007年03月20日(火)

生理とかけまして、ヤツザキin石垣とときます、そのココロは 前編

1月にはるみちゃんにタロットで占ってもらったのですが、
その時に出た結果の8割くらいを忘れてました。
覚えていたのは
「多少失うものはあるが、最終的に自分の思い通りになる」
「自分の心に制限をかけているのが現状(1月の時点の)。しかしもう心が決まっているなら突っ走るしかない」
ということのみで、よっしゃ前身するぞ生命力に溢れているぞ俺は!と思うて毎日生活しておりました。
しかしだね。悪い暗示も出ていたのですよ。悪い暗示と言うか「ここに気をつけろ」ということがあったのです。それをすっかり忘れていたのだが、先ほど日記読み返したり某所のメモを読み返して思い出しました。

「もっと人にやさしくならないとダメ。思いやりを持たなければならない」
「アルコールで身を滅ぼす」

その時はガハハハと笑って「ヤツザキは人にやさしくないよねー」「あなたいつもアルコールで失敗してるじゃない」などと言い合っておしまいだったのでした。


それらの警告カードの意味が存分にわかったのが
今回の石垣滞在5日間でありました。


というかまた沖縄!先月行ったばっかだろ!
今年に入ってからマンスリーだよ!
しかも石垣だからね。1月に行った時は「あーいいところだなーしかし那覇から400キロも離れているし滅多には行かないのだろーなー」くらいしか思っていなかったんだけど、まさか2ヵ月後に再上陸することになるとは。人生は何があるかわかりません。わからないけど、こうしたいってことに向かって動けばそのようになるようにできている。というかできる。

石垣では相変わらず毎日酒を呑んでいたのですが(でも今回は海行ったよ!岩場だったけど。みやらさん両親に連れられてだけど)、2日目の夜に酒呑んで荒れました。
ああ、アルコールで身を滅ぼすと言うのはこういうことだったのか。
相棒さんをえらく困らせたようで、お恥ずかしい限りだ。
翌日は久々に自己嫌悪の雨嵐でしたよ。「ああ!一刻も早く島を脱出せねば!もう合わせる顔がないわい!」とテンパり、そもそもこの旅自体が間違っていたのだ、無駄だったのだ、二十代も不毛の時代だ、何もかもが無駄なんだ!(ババ・オライリィ風)という具合に頭を抱えておったのですが、相棒さんがとにかく心が広いお人でそんな私とその日も顔を合わせてくれてよかった。酒も呑んでくれてよかった。相当呆れたようだけどな。
自分の心の狭さを恥じましたよ。
「わしの心は四畳半」なんて開き直っている場合じゃないわ。
見習って心を広くしないといかんなー。優しいヤツザキってのはちと、いやだいぶ気持ち悪いが。
そういや滞在初日から3日目にかけては南の島であるのに雨降って寒い日々だったのだが、4日目と最終日は見事に晴れましたよ。なんか自分の状態と非常にリンクした天気だったな。雨嵐を呼ぶ女か俺。


はてさて、そんな石垣滞在。
前回の石垣滞在時は店などほとんど行かなかったのですが、今回はいい店を何個も知りました。

■cocosone
石垣は小さいバーが殆どないな、というのが前回訪れた時の印象だったのですが、ちゃんとありました。
どこに何があるのかようわからんのでふらふらと歩いていた途中でコクソンのマークが貼り付いている看板を発見。相棒さんとうおーと盛り上がって入った店は「coxsone」ならぬ「cocosone」という店でありました。
壁一面にレコードが貼ってある内装を見てもテンション上がる。
奥の座敷にはレコード箱が何個も置いてあるし。
すげー。
最高すぎるー。
ダブのレコードを何枚かかけてもらったんだけど、ソウル・シンジケートの人がやってるダブのアルバムが素晴らしすぎた。素晴らしすぎたわりに名前失念。あうあうあう。1979年の作品だったことしか覚えてないなー。こんな拙い情報しかないですが誰か教えてください。
http://www.roots-archives.com/artist/358
で調べたんだがわからんかった。

南の島でレゲエと言うとやりたい盛りの若者が沢山いるイメージ(やりたい盛りは何も若者に限った話ではないが)だとか、南の島に憧れた内地人が店始めてみた、というイメージがありますが、この店は落ち着いた雰囲気だしマスターがしまんちゅだしでとてもいい。相棒さんともども絶賛。
初日にも行ったけど最終日にも行った程。ダブだけに限らずいろんなレコードをかけてもらった。
南の島でレコードに囲まれるって本当にいいよ。酒もうまいし。
至福であるなあ。
トイレもいい味出してた。ボットンだけど。夏は怖いけど。
あまりにもいい店なんで、東京におる友達にも紹介したいですよマジで。
皆さん石垣行ったら「cocosone」に行きましょう。騙されたと思って行ってくれ。


■CAFE TANIWHA
本島にいる友達が「石垣行ったら行くといいよー」と教えてくれたカフェ。
カフェというと無駄にふかふかソファー、お高く留まった(主に値段が)飲み物に食べ物、店員との気まずい空気などというイメージがありまして(心狭いなホント)、私にとってはカフェはゆったりできるところではなかったのです。
しかしこの店は違いました。
そもそもカフェはカフェでもそういう今流行りのものではなく、喫茶店のほうだったから。いや、私が足を運んだのが昼だったので喫茶店だったわけだが、夜はバーであり、週末などはライブも行うらしい。要するにそれらすべて。なんでもありな店でした。
「友人に教えてもらってきたんですけど」とマスターに告げると「おお!そうなんだ!」と気さくに話しかけてくださった。とにかくマスターの人柄がイカす。
もともとは東京の人らしいのだが、「あなたが生まれる前から石垣に住んでるんだよ」とのこと。
そのマスターの

「前はよくライブ開催してたけど、最近はあんまりやってないな。
石垣もカフェ沢山できて、そこらへんでライブやるようになったから別にうちはそんなにやる必要ないかなーと思っててさ。今でもライブやるけど、それはやりたいけどやる場所がない、ライブやらせてくださいという人に場を提供しているような感じだよ」

という旨の言葉にズギャンと打たれた。
場を提供する!
それなんだよ、私がやりたいことは!
私がスナックwell歌夢を始めたきっかけは「DJやってみたいけどやる場がない」という人に場を提供したいから、なんだよなー。今はそこから大きく逸れているような感もありますが、基本的には変わっておりません。オファーがあったり他でやる場がある人は、うちでやらないでも平気でしょ。
でも最近そういうことを忘れていた気がする。ハッとさせられました。
マスターとその奥さん(これまたキップのいいイカす方)の話がおもしろくて、興味深くて、3時間以上長居してしまいました。
なんというか、道しるべみたいな店だな。旅とか人生とかそんな感じのものの。
また行きたいなー


長くなったのであとの店紹介は次回日記にて。
もう石垣から帰ってきてるんだけど、とてもそうとは思えない毎日が続いております。
その顛末も次回日記にて。



ところで、well歌夢寿司で素晴らしい寿司握りライブを行ってくれたコアチョコのムネさんから「このブログおもしろいから見て!」と教えていただいたブログがございまして、それがコレ↓


「オアシズ・大久保佳代子の脱・給湯室」
http://blog.livedoor.jp/kayoko_ookubo/



以前、スピリッツ連載中の「ハクバノ王子サマ」は女にとってリアルすぎる、主人公であるタカコサマの葛藤がものすごくよくわかると書いたのだけども
男の友人が
「お前そんなことないだろう。だって、タカコサマは美人じゃん」
ということを言ってました。
悪かったな非美人で。
でもこの指摘は間違ってないと思います。美人か美人じゃないかはとても重要なのだよ。
女は中身、なんて男にとっても女にとってもウソだよなー。
しかし、ハクバノ王子サマもこの大久保さんのブログも本質は同じです。どこらへんが同じかと言うと、いろいろあるが
「女には時間制限がある」
ということに気づいてしまったところか。
私はまだ「今、猛烈に結婚したい」という状態になっていないが、この先何年後かにそういう心の境地に至るのかもしれないと思うと感慨深いな。そもそも結婚する自分というのが今まで想像できなかったし。
ただ、最初のエントリーに書いてある生理の話を読んで、この先生理がしょぼくなっていくと思うと早く子供は産みたいと思います。結婚できなくてもいいから産みたいなあ。大久保さんは子宮を精子君のくるベッドと喩えておりますが、私は子宮は畑だと思うております。畑はちゃんと耕しておかないと種植えても芽が出ないので、ちゃんと耕さねばならんなー。というかちょうどそんなことも考えたんだった石垣で。なぜなら生理がきやがったから。



ちなみにタイトルの解答は

「来なくていい時に来る」

です。
生理と私は来なくていいよ!と言ってる人のところにしか行かないようにできております。しかしホント、来なくていい時になんで来るのかね。ってすべて自分の問題ですが。自分で自分がワカラナイヨ。
でもそれが本能というやつなんだろう。無駄だと思っても必要だったりするんだよなきっと。いや、実際無駄なのかもしらんが。それもよくわからないわ。
2007年03月13日(火)

ヒア・カムズ・自分探しの雨嵐

まー思い返してみれば私もさんざんいろんなところに行ってるわけですが(ただし国内限定)、
「旅行ばかりしていていいですね」
と言われるとカチンとくることがある。
何もカチンとくることはないのだが、こういう際に使われる「旅行」というのは観光旅行のニュアンスを含んでいるので、観光旅行なんかしてねえよ、とつい返したくなってしまうのだ。
私がやってきた旅のほとんどは「出張」であるし、あるいは「誰かに会いに行く」ことなので、観光を目的とした旅を行っているつもりはありません。いや、観光旅行を完全否定しているわけではない。私も大学の時は卒業旅行と称して観光旅行をしたものだ。その頃の私の世界は「地元友人、大学の友達、一部エロ関係の人々、一部プロレス繋がりの人々」程度のものだったので非常に狭かった。狭い世界の中で「卒業旅行行こうぜ」と盛り上がり、実際にそれをしたまでだ。
ちなみに卒業旅行に行った2月中旬、私はまだ大学卒業できるかどうかわからない身分であったなあ。卒業までに取らねばならぬ単位数44単位(1年間で履修できる単位数48)。卒業できるかどうかは3月までわからぬという状況の中で、3年生までに卒業単位を取り終えていた友人3人と一緒に旅行に行くというのは非常にリスキーな行動であった。成田までの特急車内で「こんなに浮かれているけど卒業できなかったらどうしよう」と話していたもんだ。この時からすでに「見る前に跳べ」を実行していたんだなー。実際卒業できて今に至るわけだが。
その卒業旅行の行き先はタイでした。
なぜタイであったのかというと、「アジアンリゾートに憧れがあったから」「東南アジアのエキゾチックな感じが好きだったから」「海岸での野外レイブに行きたかったから」などというものではなく

「映画『卒業旅行』で織田裕二がタイ、というかチトワン国に行っていたから」

というだけのものであった。
私はこの映画が好きなのだ、くだらなすぎて。今でも従姉妹と「卒業旅行は何度見てもいい!孔雀王と同じくらいいい!」と話しているくらいだ。他の人たちにとってはどうなのか知らないが、私にとっては卒業旅行=チトワン=タイなのである。同行した3人の友人たちは別に行き先はどこでもよかったようだが、私が「何が何でもタイじゃなきゃダメだ!」と力説し、実際に旅行代理店行って話をつけてきたので(この頃から思い立ったことも実行していたんだなー)すんなりと応じてくださった。ありがたや。
で、実際に行ったタイ。卒業旅行にしては長い8日間の滞在であったが(卒業できるかどうかわからないくせに)、友人らとの行動は時に楽しくもあり、時にしんどくもあった。時はおりしも旧正月、タイだというのに行くとこと行くところ中国人だらけ/一晩中爆竹の音が鳴り響くという異常な状況、船で1時間くらい離れた島に行ったらその島もほぼ100%中国人というのはおもしろい経験であったよ。中国行ってないのに中国まみれ。あれ?行き先間違えた?て感じだ。
そしてしんどかった、という経験から「私は割り勘というのができない人間なのだ」ということを学んだ。きっちり割るくらいなら大目に出すよスタンスを自覚しました。細かいことに対応できない気質だった。人間が粗くできてるらしい。
何はともあれ、卒業旅行で学んだことは多かった。
その最たるものが

「観光は別におもしろくない」

というのと

「海外は言葉が通じないから得るものが少ない」

ということだった。
現地で知り合いができるなんてことはほとんどないし(あるのかもしれないが)、観光地はツアーの日程に組まれていたから行ったけど、わざわざ行かないでもいいわなーと思ったのですよ。大学の時のバイト先にいた化粧品販売のお姉さんが「学生時代はバックパッカーやってて、現地でいろんな人と知り合った」と言っていたが、それ、ウソだろう、と思ったよ。知り合ったのは現地の人たちではなく同じようにバックパッカーしてた人たちだと思われる。私がタイで話しておもしろかった他人は現地の人でも同じような卒業旅行で来ている人たちでも無論バックパッカーでもなく、「タイ古典舞踊ディナーショーで隣に座っていた農協売春ツアーのおっちゃんたち」だけだったもんなー。テーブルに置いてあったミニバナナを持って「おっちゃんのアレ、これくらいやねん」と言ってきたヒヒ顔のおっさんは今も元気なんだろうか。どうでもいいけど。




何故このように長々と卒業旅行の話をしてきたのかというと、旅行てのはたいしておもしろいものではない、と思っているからなのですよ。観光だの癒しだの、そういうのが目的だとしたらなおさらだ。言い方を変えると、目的がある旅はおもしろいのである。売春ツアーであっても、それはセックスがしたいという目的があるからおもしろいものだろう。私は残念ながら女であるので売春ツアーを行ったことはないが、自分が男だったらたまらんだろうな。「あと5日寝れば女抱き放題!うはは!」というのを支えに生きたりもするだろうな。
今の私の旅も出張(仕事する)だとか友人に会いに行くだとかだったりするのでちゃんと目的がある。で、目的のある旅ってのはその目的とは離れたところでハプニングがあったりするのがまたいい。私なんかはそっちのほうが目的で旅してるのかもなーと思うときがあるくらいだ。いや、そんなことないけど。
そんな私が一番どうでもいい、そしてうっとーしーと思っているのが

「自分探しの旅」

というやつである。
探すな!
ああ、もうこうやって打っただけでもウゼー。
とにかく目的がないのがつらい。目的=自分を探すことなのかもしれないが、そんなものは探してどうにかなるもんじゃない。どこにも落ちてはいないのだ。
自分探しの旅をしていたり、「自分のやりたいことが見つからない」なんて言ってる人たちは旅に出る前に働いてみてはいかがかと思う。工場や倉庫で流れ作業のバイトでもやったほうが百倍有意義だ。単純作業を繰り返しながら自問自答を繰り返したりいろいろ考えてみなさいよ。あるいは自宅で延々考え続けなさい。っていわゆる引きこもりだが、自分探しの旅やってる奴よりそっちのほうがまだマシだ。ただし自宅でえんえん考え続ける場合はインターネットは見ない事、というのが条件ですが。そんな状況でネット見ると思考が停止して2ちゃん住人にしかならないから(あ、でも2ちゃん住人てのはそれはそれで自分が見つかったてことになるか。しょぼいけど。下の下だけど)
ああ、そうなんだよ、自分探しの旅している人って思考停止の気があるからやなんだよなー。「旅をする」というのは動くことなので、それだけであたかも考えている気にさせられたりもする。考えに準じて行動しているように思える。しかし実際はそんなことはないのである。何かを遂げる目的のために旅をすることはいいことだ。私の持論に「長距離移動は女を強くする」というのもあるくらいですよ。ただしそれは果たすべき目的のための移動(手段)であり、移動自体が目的ではない。
自分探しの旅てのは「自分探し」が目的のはずなのに、それがあまりにも抽象的で曖昧なものであるから「旅」のほうが目的になってしまいがち。いや、実際そうなんだと思う。だからそういう人たちの話は「カンボジアやインドに行ったことがある」以上はない。以上はないのだが、そういう奴らに限って「人間は自然志向で生きるべき」「社会の枠組みが不自由に感じる俺」みたいなことを言い出すのもタチが悪い。だったらそっちに定住せいよ。その覚悟はないからゲストハウス暮らしをしたりするのがまたどうかと思ってしまうのです。



自分探しの旅の行き先人気地区は東南アジアが多いようですが、日本国内のある地域にも多いですね。
って私が現在いる日本の南のほうなんですけど。
私も東京からちょこちょこ足を運んでおりますが、毎回目的がありますし、自分探しの旅の人たちが集うところにはあまり足を踏み入れないなあ。ゲストハウス泊まったことないし。一度だけ荷物を置かせてもらったことはあるが。
自分と同じような境遇、同じような考え、同じようなことで悩んでいる人に出会うと「自分はひとりではない」と思えるし頼もしい気持ちになるのはよくわかる。しかし、「自分探し」で「自分はひとりではない」なんて仲間に出会ってはいかんと思うのですよ。他の誰かと同じ道を歩むのが嫌で「自分探し」してんじゃないのかよ、とツッコミ入れたくなるワイ。私にも「自分が何者なのかわからない」と悩んだ時期はあるし、今だって何者でもないが、私は労働者であり、労働しているからこそこうやって遠出ができるわけだ。いろいろな経験を得ることができるわけだ。自分とはかけ離れたところ(物理的なことだけでなく、立場や年齢や考え方も含む)にいる人間を知ることができるわけだ。そういう中から自分を知るのですよ。そうやって自分にあるものを発見してきた。(発見できたことは先ほど書いた「割り勘が出来ない」とか「時間にルーズ」とか「調子に乗って呑み過ぎると翌日がしんどい」とかばかりだが)

旅ばかりしていることだって本当は誇るべきことではない。腰を落ち着かせることができる場所がないだけだ。ここでやっていこう、と覚悟できる場所がないだけだ。正直な話、私は以前この日記で旅記録を書きとめていたけれど(股旅・戯れ言というブログにまとめておりますが)、今は旅をしても書くのをやめてしまった。どこに行ったかくらいは書くけれど、内容を事細かに書くことはない。というのは、前述の通り、旅をしていることは誇るべきことではないと思ってしまったから。旅を目的にしていた部分を自覚し、それは恥ずべきことなんじゃないのかと思ってしまったから。覚悟できる場所を心の底から欲してしまったから。
折りしもお仕事に纏わる状況が変化することになり、この先出張も減っていく見込みであるので、旅記録を細かく書くことは今後おそらくもうないだろう。

だから、どこかに落ちている(と信じている)自分を探している人たちって薄っぺらいなーと思ってしまいます。それは私の偏見なのかもしれません。中には魅力的な人間もいるのかもしれません。けど、やっぱり自分を探しちゃっている時点で私にとってはどうでもいいな。自分なんてみっともないもんだし、仕事なんてなんでも汚くてしんどくてつらいものばかりだと思うよ。そういう自分と仲良くしたり、うんこみたいな仕事してみても楽しく生きていけるし、うんこみたいな仕事でもいろんな機会に恵まれたりするもんだと思う。その時に重要なのが自分の芯というか、考えなんではないのかと。選択する時の道しるべなんではないかと。



と、説教くさいことを長々と書きましたが、さっき知り合った人(同年代女子)が
「こっちに移り住んでくる何もしないないちゃーが嫌。自分探しだのなんだの言って現実逃避でしょ。こっちの人間は仕事してるっつうの」
という話をしていたので、ちょっと書いてみた。
てめえの現実からは逃避できているかもしれないが、そこは誰かの現実なのだ。
誰かの現実を踏みにじっていると言う自覚はあるか。
踏みにじってでも得たいものがあるという覚悟はあるか。
ないんならやめちまえ。きっとそんな旅たいしたもんじゃない。
(これは自分に向けての言葉でもある)



ああ、もっと違うことを書かなければならんかったのに重くなってしまった!
南の島にいるのになあ。おかしいなあ。毎日寒いからしょうがないのか(毎日気温16,7度くらい)
関係ないがユーリズミックスの「ヒア・カムズ・ザ・レイン」は名曲だなあ。
ここも毎日雨ばっかだよ。
2007年03月07日(水)

女子ペディア 三国志編

「この世には三種類の人間がいる。男子と、女子と、おもしろ女子だ」


というのは私の友人であられるO・Fさん(男子)の名言であります。
おもしろ女子とは一体どんな人間なのかと言うと、「女子と話すのは苦手」「うんこネタ大好き」「喩えはいつでもキン肉マン」などという中学生マインドのまま成長してしまった男子(例:O・Fさんとかうちの同僚など)が「気を使わずに話すことができる女子」のことを指します。
趣味の話を男と渡り合えたり、エロい話を中学生男子レベルで話せたりするとおもしろ女子認定が下される場合が多いですが、もっとも重要なことは

「オンナオンナしたことを表に出さない」

でしょう。自分にウットリしているような女はどんなにおもしろくてもおもしろ女子には認定されないし、サバサバしていてもやたらと「私もてるの」だとかをアピールする女もおもしろ女子ではないみたいだ。こうやって書くのもバカらしいくらい、「おもしろ女子か否か」は肌感覚だ。直感だ。中学生マインドの男子が気取ったり背伸びしたり身構えたりちんこを硬くさせたりせずに自然に喋れるか喋れないかだ。
私もこのおもしろ女子論を知ってから、私が仲が良くなる/心を許すのはおもしろ女子ばかりだなーと気づきました。ていうのは私自身が中学生マインド男子認定のおもしろ女子だからなんだけど。いや、女ですからおもしろ女子認定が癪に障るときもありますが。(しかしおもしろ女子認定されてから自分の女な部分を出しづらくなったという弊害もある。おもしろ女子もいろいろ大変だ)
勿論普通の女子とも話すし、普通の女子は親近感を抱くことも多々ある。しかし、この三種類の人間説、いや、二種類の女子説にはどうも違和感のある部分があった。というのは、私は普通の女子を嫌うことはある場合を除いてほとんどないのだが、おもしろ女子と呼ばれるカテゴリーの中にいる一部が猛烈に嫌いだから。その一部というのは普通の女子の中にもいて、それらはおもしろ女子とも普通女子とも違う分類なんではないか、違う人種なんではないかと常々思っていたのです。
そんな矢先に友達(おもしろ女子)と長時間みっちり話したのですが、以下の様な結論が出ました。


「この世には三種類の女子がいる。女子と、おもしろ女子と、危険女子だ」


これだ!これだったのだ!
これが導き出されたとたんに胸のつっかえが取れました。今まで出会ったあいつやあいつやあいつやあいつの正体がすべてわかったぜ!という感じだ。
とひとりで盛り上がってもしょうがないので、これら三種類の女子の説明をいたしましょう。

■女子
・気立てのいい子が多い。
・当たり障りのない子も多い。
・貞操観念や経済観念がしっかりしている
・男性経験数は多くないが、長年付き合っている彼氏がいたりで、男関係で不自由とは思わない。
・初めて付き合った人と結婚などもよくある
・小奇麗、清潔感がある。落ち着いた服装。
・でも女であることで持ち上げてもらわないとゴキゲン斜めとなる(姫様願望)
・「〜の彼女」「〜の奥さん」という続柄が好き
・男の傍らで笑っている、というシチュエーションが多い
・嫌われるという発想は基本的にない
・「私はみんなに祝福されたいの!」(by柳沢きみお「妻をめとらば」)志向

■おもしろ女子
・男と対等にエロ話や趣味話を渡り合う。
・負けず嫌い。せっかち
・でも自分のことに関しては適当。というか大味。
・とくにお金と時間に関して大味。だらしないくらい。
・貞操観念以前に男のセックスの対象に思われることが殆どない。
・男性経験数は多くなく、男関係で不自由(=モテない)と思っている。
・しかし酒呑んで皆で騒いだり趣味に没頭したりして忘れる。
・「こんな自分はダメだ!」などということで悩んだり葛藤することが多い。
・しかし酒呑んで皆で騒いだり趣味に没頭したりして忘れる。
・比較的派手な色の服が好き
・男女問わず嫌いな奴には嫌われても上等。


■危険女子
・「私、男の友達が多くて」とよく口にするし、実際にそうだが肉体関係率が高い
・外見に自信があり、「私は普通の女と違う」と思っている。
・外見に自信はあるが内面に自信はない。
・他人の立場、あるいは男を取りたがる。
・自分から波乱やトラブルを巻き起こすのに事なかれ主義
・お金は出してもらうもの。ただし、男が金がない場合はいくらでも出す
・男性経験数は極端に多いかほぼゼロのどちらか。どちらにせよ男関係で不自由しない。モテる。
・女アピール、セクシーアピールが多い(露出の多い服装、自分から胸の話題など)
・男>>>>>女友達である
・いったんやっちゃうと地獄女となる。しがみつく。
・服装は無地、無難な色なことが多い。
・男都合のために女の友達をむげにするのは得意だが、嫌われることを恐れる。
・自己認識がことごとく間違っている



他にもいろいろ基準はあると思うのですが、今思いついたのはこんなところか。
まあ広い世の中、必ずしも女子がこの3つに分類されるわけではなく、「普通女子と危険女子のハーフ」「おもしろ女子系普通女子」「普通女子、あるいはおもしろ女子を自称しているが中身は危険女子」なんてのもいるわけです。これらの分類どれにも当てはまらないのもいるが、それはおそらく女子ではないのだろう。初潮さんがきている人すべてが女子と言うわけではないからね。
ちなみに、この三女子を三国志に喩えると「危険女子」は魏、「おもしろ女子」は蜀、「普通女子」は呉だと思います。おもしろ女子が一番少数で勢力弱いからな。そして危険女子が一番攻撃的でえぐいことやるし。


で、私などはこの三種類を公平に見ることができません。
とにもかくにも「危険女子」が嫌いでたまらないからです。
今までもこの手の女にはさんざん困らされてきたわー。嫌な思いもさせられてきた。しかもひとりやふたりじゃなくて、何人もおりましたとも。ああ、あいつらまだどっかで生きてんだろうな。知らないし知りたくもないけど。とにかくこういう女には交友関係を乱されたし、こういう女のせいで切れてしまった縁も数多くあったわけだが、ま、それはその程度の縁だったのだろうと思っております。危険女子と手が切れたのだからそんなものはくれてやらあ、と思っておりますよ。
私が危険女子との闘いを終結させたのがもう3,4年くらい前の話で、それからはバリキチの危険女子に鼻が利くようになって危険を察知したら即効逃げたり寄せ付けなかったりしてきたのです。私のテリトリーには危険女子はいれねえぞ、と。あたいのシマでそんな野暮な真似はさせねえ、と。

しかし、危険女子って、バリキチレベルじゃなくてもいるんだよなー
普通女子あるいはおもしろ女子だと思っていた人が実は危険女子だったとわかった時の落胆といったら、もう言葉では言い表すことができません。
なんというか、がっかりしてしまうのだよ。
そのがっかりは、以前「兄ちゃん先輩が風俗行ってた」と知った時に感じた「兄の部屋でエロ本見つけちゃった」的がっかりではない。
もっとダイレクトに、
「あーそうなんだ。だったらここでお別れですね。いい人だと思ってましたけどしょうがないですね」
的なものだ。××××だと判明した時みたいな感じですね。(好きな言葉を当てはめてみよう)
私はとにかく、まんこを使って人間関係で優位に立とうとする女が嫌いなのだ。
もう憎んでいるといってもいい。
それは私が「おもしろ女子」で「もてない」からではない。
私が「私だけがチヤホヤされたいからー」などと願っているわけではない。(昔バリキチ危険女子が「ヤツザキは自分がチヤホヤされたいがゆえに男の友達を紹介しない」とホザいたらしい。聴いた途端に苦笑ですよ。おめーが片っ端から食っちまうからだろうよ)
そういう女がひとりいるだけで、そこの人間関係って腐ってしまうのよ。
まさに「腐ったミカンの方程式」なんですよ。
周りは迷惑を被るわけですよ。

だからどんなにかわいくて、どんなに頭がよくて、どんなに賢くて、どんなに気が利いて、どんなにおもしろかろうが、(逆で、どんなに頭が悪くてだらしなくてダメでたまらなかろうが)私のテリトリー内でまんこを使ってしまった女は、残念ですけど私とは縁がなかったのですね、というかまんこ使って面倒なこと起こした時点で私は縁をもちたくないんで、と手を切っていきたいと思ってます。いや、昔に比べてトゲトゲしてないのでそんなに簡単に手を切ったりはしないし、私はずるい人間ですから本人には「気にしてないよ」とか言いますが、一度そういうことやった人なんだ、てのはちゃんと覚えておりますから。それは取り消せないのだよ。
簡単にまんこを使うということは、そういうことなのだよ。
あなたを信頼していない人もいるのだよ。
皆優しくて残酷だから、それを正面から注意しないだけなのだよ。



って別に誰かに向かってのメッセージでもないし、気にしないでいただきたい。(いや、まんこ使ってもいい場合もあるのだよ当たり前だけど。そうじゃなくて、惨めで安っぽく、明らかに人間関係を壊すようなところで使う場合がいやなのだ)
というか、危険女子は自己認識が違うのだった。
気にしないもなにも、気づかないか。
そもそも女の忠告には耳を持たないのだったわ。「でも」で始まる言い訳を何度も連発して。あーうぜー。




さて、おもしろ女子は明日からまた旅に出てきます。
きわめて普通の女子的な旅なのですが、旅内容(どこに行くのかなど)はおもしろ女子のキャラにかけて黙っておこう。
書くと「凹むわー」「きもい」「ヤツザキにそういうことは求めてない」など苦情を寄せる中学生マインド男子の人たちがいるからなー。
2007年03月05日(月)

あるばーとマイラー

久々に着物を買ってしまった!

私が着物を着るのはスナックwell歌夢の時ぐらいなもんだというのに、何故買ってしまったのか。それは、来週の日曜にゴールデン街のほうでスナックwell歌夢の女将として店を手伝わせていただくから、なのであった。
一介の作業員風情が着物でゴールデン街お手伝いですよ。
すでに持ってるものでも構わなかったんだが、春だし、着物古着でとてもいい色および柄があったからついつい購入。これがまた安いんだ。ああホント、古着愛してる(和服洋服問わず)。
well歌夢以外の時もたまに着るのですが、「着物で従姉妹らとゲーセン」「着物で従姉妹の子供と走り回る、飛び回る」「着物で麻雀」とかしかやってねえ。ひどい。



昨日、後輩君(チャイニーズ)が中国より戻ってきました。
旧正月のために帰省していたのでした。二週間近く毎日朝から晩まで「寝ている時間以外すべて」酒を飲んでいたそうで、100キロ超えて帰ってきた。「フトッチャイマシタ!」と陽気に言っておったよ。見ればわかるっての。土産は見事にブタグッズばかりであった。というのは中国では今年はぶた年なんだと。日本ではいのししだけど中国ではぶた。「俺、ぶた年生まれッス!」てのを聞いたときは自分の体型を揶揄してるのかと思った。
また騒々しい日々であるよ。
中国と言えば、本日、沖縄で知り合った友人が中国に行くのだそうで。
その友人とはなんともまあ不思議な縁があるなーと思った人なんで、中国でもおもしろい縁拾ってきていただきたい。私が願わずともきっと拾ってくるんだろう。そういう人だから。
てかわしも中国行きたいわ。寝ている時間以外すべて酒を飲んでいる生活したいわ。(今日中国に発った友人はそういう生活をしに行ったのではなく仕事しに行ったのだけどね)


そういえば、飛行機マイル。気がついたら20000マイル貯まってました。
国内線で飛び回っているだけでこんなにマイルが貯まるのか!ちなみにANAクレジットで買ってないで、だ。ANAクレジット使ってたら今頃2万どころじゃないと思われる。そこは勿体無いと思うんだが。去年の10月に15000マイル溜まったのでここぞとばかりに沖縄までマイル使って行ってきたのだけど、それから5ヶ月で20000マイル達成て。早!「乗った回数だけマイルプレゼントキャンペーン」や「国内線ダブルマイルプレゼントキャンペーン」のおかげだ。というか12月だけで三往復も金沢に仕事で行ったおかげだ。
ああ、「マイルを貯めたいから海外行きてぇ。いっちょメキシコでも行ってくるか」と口にして、「そりゃ本末転倒だろ!」と突っ込まれていた頃が懐かしい。
15000マイルだと国内線どこでも(といっておきながら離島などを除く)往復タダですが、20000マイルのありがたみとはどういうことなのか。

日本から北アジア(中国、台湾)、あるいはグアムまで往復タダ

キター!
中国までタダー!
台湾と香港までもタダー!
これを知って一気にテンション上がりました。
ちなみに10月で15000マイルを使わないでいたら、南アジア(シンガポール、タイ、ベトナム)までタダだったそうです。そこまで考えてなかったわい。計画的に利用すればよかった。まあ使っちゃったものはしょうがない。でもおいしいなあ。中国行っちゃおうかな。


実はわたくし、昔、JALユーザーでした。「JALのフライトはなんか怖い」という理由でANAに変えたのです。それからANAひとすじ。浮気もせずにせっせとANAマイルを貯め続けておりました。ANAが就航していない路線は「だからといってJALに魂を売るつもりはない!」と拒否し、1時間半で到着するところを新幹線+特急+ローカル線使って半日以上かけて行ったりしたもんだ。アホと言われようがしょうがない。まあここだけの話、一面真っ白の世界/行けども行けども氷点下の世界を見てちょっと後悔したけど。
ANAで不自由することはほとんどない!と思っておりましたが、いくつか不自由することが実はあります。

・バースデー割引がない
・九州行きの便が少ない
・北海道各地への直行便がない
・離島への直行便がない

これは由々しき問題だと思うております。
九州と北海道はJAS天国であったから、統合されたJALのほうに多いのだよ。最近になってようやくエアドゥが北海道各地に飛んでくれるようになって北海道方面の問題は解消されたが、九州は相変わらず少ないなー少ないうえに九州ってスカイネットやスカイマークがバンバン飛んでるのでANAには大変不利な状況であるよ。って別にANAの回し者じゃないけど。
というかこの際、北海道も九州もどうでもいい。少ないけど飛んでるし。
問題は!
離島への直行便がないことですよ!
毎年みやらさんが帰省する際に「一緒に行かない?」と誘われていたわけですが、
「私、JALじゃないんで」
という理由で行けないでいたのだった。
みやらさんの帰省、すなわち「JALでバースデーで帰省」というわけだが、「ということはJAL(正確に言うとJTA)に乗らねばならぬ」というのに引っかかっていたのだった。たいした問題ではないんだが、東京石垣間が1000マイル以上というのを考えると「2000マイル以上も貯まるのにそれが自分のマイルに加算されないなんて!」てのが問題だったわけだ。スケールの小さい女。
というわけで先日、ようやくANA使って石垣まで行ったけど、マイル貯まるなー金もかかるけど。
せめてバースデーさえあってくれたら!
どうにかならんのかANAさんよ。
あと、はるみちゃんにも「奄美帰るとき一緒に行こうよー」と誘っていただいてるが、東京奄美間もJALしか就航していない罠。こっちもJALというかJTAだが。
ホントどうにかしてよANA。JTA買収してよ。


なんて思っていた昨日、たまたま駅にJAL発着便時刻表が置いてあったので暇つぶしに手にしたのだが
J A L や っ す い な
たまげた。「ANA命!」というのが安いプライドだなーと思えてしまうほど安い。
あやうく「ああ、JAL使ってみるのもいいかもなー」と思いかけた。
でもよく見たらマイル換算率もなにも変わらんな。直行便があるからといって「離島も15000マイルでタダ」ってことでもないらしい。そこんとこは20000マイルらしい。あーよかった。バースデーだけは惜しいけど。
というわけでこれからもANAです。おらぁANAと心中するよ。魂は売らないさ。一生連れ添うさ。
ANAだと中国に強いしなーキャンペーンばんばん打ってるし。
でもきっと20000マイルは中国には使わずに離島にあてがうことでしょう。だって香港まで片道1200マイル以上貯まって往復5万以下行けるんだもの。マイル貯めやすいったらありゃしない。


ってやっぱり私は「マイルを貯める為に海外に行き」たい女だった。
本末転倒した魂も売れないで残りっぱなしらしい。
2007年03月02日(金)

身体と漫画と覚悟が足りないだけの関係

3月だー!
1月だろうが2月だろうが3月だろうが大して変わらないんですが、仕事の予定がコロコロ変わってたまりません。もともと不規則であるけども、もっと見通し立ててくれっての。



ところでスピリッツで連載されていた「fine.」というマンガの最終巻が出ていたので購入いたしましたよ。
このマンガは痛い。重い。すえた臭いがする。
http://www.h5.dion.ne.jp/~snngw/
http://www.amazon.co.jp/Fine-1-%E4%BF%A1%E6%BF%83%E5%B7%9D-%E6%97%A5%E5%87%BA%E9%9B%84/dp/4091804098

美大卒の自称アーティスト、上杉(27歳)は夢を追いながらも現実は貧乏で、仕事もなく、ネットラジオでDJをやることだけが楽しみで、そして同じ美大出身の中途半端仲間であるサイトウ(女、27歳)とセックスするだけの関係をだらだら続けている。
その上杉が、大学の同窓会で昔付き合っていた女(会社経営)と再会し、「まだ絵描いてたんだ」と言われてバカにされた、見下されたと絶望するが、なぜかその女が「同居しよう」と言い出して、一緒に住むことになるのだが・・・というのが簡単なあらすじ。


私も27歳です。
美大卒ではないが、大学入って「やりたいことって何か」とずっと考えていて、いちおうあったが「でもその前に社会人をやったほうがいい」とアドバイスを受けて就職活動をし、今の会社に入社したのだった。それが5年前のこと。大学の時は自分がサラリーマンになる姿が全然想像できねーと思っていたし、「俺は就職しないぜ!」という人が羨ましいなあ、私には何もないな、と劣等感に駆られていた時期もあった。
しかし。
今は全然そんな風に思いません。
就職して本当によかったと思っております。工業高校のような会社に入れて本当によかった。
これが普通の会社で机にひたすら向かう仕事で周りの人もつまらなかったらこんな風には言えないのだろうけど。いや、それでもそれなりに楽しくあっぱっぱーにやってたような気もするな。私は「毎日がつまらない」と言う人は自分でおもしろくする努力をしてないのだろう、と思っている。本当につまらなくて最低で息が詰まるような職場もあるのかもしれないけどさ。

そもそも、ハタチやそこらで「やりたいこと」なんか見つかるわけないのですよ。
それは個人差があって、ハタチ前に見つける人もいれば30や40になってから見つける人だっていると思うのだ。さらにいえば、ハタチで「やりたいこと」が27になっても「やりたいこと」であるかなんて保証はない。日々生活環境は変化するし、それに伴って心も変化するもんだ。たとえば私は、以前にも書いたが「文章を書きたい」と願っていたが、今はそれとは違うことをやってみたいと思っている。それは決して「妥協」ではない。諦めたわけでもない。スナックwell歌夢やら何やらをやっているうちに私がやりたいことが別方面に向いただけのことだ。私は私の周りにいるおもしろい人々を巻き込む何かをしたい。そして私にはそれができるな、と実感したわけですよ。だけどこの先、やりたいことはまた変わっていくかもしれない。あるいはやりたいことなんかなくなってしまうかもしれない。先のことはわからない。

話がやや逸れたが、「夢を追う」なんて書けばかっこいいし、おいそれと出来る事ではないから羨望の眼差しを向けられることもあるかもしれないが、その名目を掲げただけで満足しちゃってその他のことをすべて曖昧にしている人間を見ると私は反吐が出る。「夢を追っている」自分に陶酔して、周り見えてないのってどうよ。単にその掲げた看板を下ろすに下ろせなくなってムキになっていると思ってしまうのだ。そんなちんけなプライドに囚われて、見えるもんも見えなくなっている奴なんて私には必要ない。
ああ、そんな奴に劣等感抱いていた自分さえバカらしい!
ま、ハタチやそこらだったからしょうがねえか。
こういう夢追いの人は私のような人間を「社会の歯車」「現実と妥協したつまらん人間」というのだろうけど、バーカ、おまえよりずっと世界を知っているし、おまえよかずっとおもしろい生活送っているっての。ひとりでリュックしょってバックパッカーやってる奴よりずっとおもしろい旅してるわ。おまえらが行きがちな東南アジアの安宿街より田舎の工場のほうがずっとおもしれえぜ。ずっと「生」の臭いがするっての。(すべての工場労働者は凛々しくて偉大だと思う)

27歳と言う年齢は、確かに分岐点であると思う。
私もここ1,2年は大いに悩んだ。このままでいいんだろうかと頭を抱えておったし、 今のままじゃダメだという焦燥感に駆られっぱなしだった。周りの人に「ヤツザキ焦りすぎ」「なんでそんなに危機感持ってるのかわかんね」と散々言われた。ずっと前から年長の友人らに「27になると転機が訪れるよ」と言われていて、25,26の時はそれが私には来ないのではないかと焦っていたわけだ。
、実際に27になる頃には頭で焦っても何も始まらないんだなーと悟りました。動くしかないなーと。動いていけば自然と道は定まっていくなーと。
で、実際そうした結果いろんなことが動き出したし、いろんな人に出会えたし、ああ、私がやるべきことはこういうことだったんだなというのもわかってきた。まだ完全に定まったわけじゃないけど。それでももう腹は決まっている。
私の場合とは正反対で、「夢を追う」なんてのを掲げていた人にとってはその転機と言うのは現実との妥協なのかもしれないけど。他人のことは知らん。知らないが、「腹を決める」「覚悟する」ってのは共通してるんじゃなかろうか。どんなことになるにせよ。



と、このマンガの主人公に対して散々批判めいたことを書いたのになぜこのマンガを「痛い」と感じるのか。
それは、主人公とセックスの関係だけをダラダラ続けるサイトウさんに対して感じるのです。
サイトウさん、痛いよ。本当に痛い。
最初は「部屋が片付けられない女」だとか「やられるためだけに会いに行く都合のいい女」だとか主人公にずさんに扱われても無理しちゃうところだとか、ああ、メンヘルだなあと思っていたのだけど、そうじゃないんだよな。彼女は、美大時代に陶芸ですさまじく奇抜な作品を作っていたんだけど基礎的なことが一切できないという女性。格好も「キューティー」や「ジッパー」系の奇抜ファッションで耳にピアス沢山つけていて、メガネっ子で前髪揃っててという具合。
まあ、「個性派」という格好ですな。ラフォーレ原宿好きの。
しかしこの子はとにかく自分に自信がないのですよ。ないから、主人公が「好き」よりも「嫌われたくない」が先に立つ。それゆえに都合のいい女なのだ。受け身の姿勢でおるのだ。(でも受け身だけじゃどうしようもないので主人公の周りをうろつく。それが相手にはストーカーのよに見える)

あーなんかこういう女の子沢山見てきたなー。

というか、自分にもそういうとこがあったような気がする。

自分が受け身で「嫌われたくない」を先にたたせていた頃のことを思い出すと、とにかくまあ惨めだったという感情しかない。受け身だったり待っているだけの女なんてみっともないと思った。だから私はそれをやめた。受け身や待っているだけの女になるくらいなら恋愛なんかしなくていいと思った。「私には価値があるから!」とお高くとまっているわけではない。この程度の男にそこまでやる必要はないと思ったからだ。相手にとっての「性欲」を勝手に恋愛だと思い込むのは間違ってるし、ちっとも楽しかねえやと思ったから。
女はそれを恋愛だと思い込もうとするけど、そんなのは絶対に無理が生じるわけですよ。
女にとっては性欲は恋愛に変化しやすい。でも男にとってはそうではない。そうではないことをちょっと知っちゃったりしていると余計につらい。しかもみうらじゅんが書いてたけど、「男は性欲でも、恋愛のドキドキが感じられるようなそれを好むからタチが悪い」んだよな。

恋愛なんかもうしたくない。もう人を好きになったりしたくない。
私はここ2年くらいずっとそう思ってた。何度かこの日記にも書いたけど。
それは恋愛と言うものが「自分がみじめな思いをするもの」だと思ったから。受け身にさせられるものだと思ったから。正直に言いますと、男の性欲が怖いとも思った。男の性欲に期待してしまう自分にがっかりもした。あれに打ちのめされたりするのはたまらんな、もう二度とごめんだ、と思った。男の友達とバカ話で勃起だのこのちんぽなめーだのなんだのいって笑い飛ばすのは一向に構わなかったんだけど、昔の男に今付き合ってる奴いるのか的なことを聞かれた時は吐き気を催したほどだ。げろげろげろ。
まあ、そんなことはどうでもいい話だし、殆ど忘れ去ったことなのでいいのだけど、今はレイジ・アゲインスト・恋愛などとは思っていない。性欲があるのもしゃあない。そしてその性欲によって惨めな思いにさせられることもない。その頃は、自分に自信がなかったから、そいつにしがみついていたから惨めとか感じていたんだよなー。「嫌われたくない」が一番先にたっていたから、何かがあると「嫌われた!どうしよう」って慌てていたのだった。嫌われないようになんとかせねば、と躍起になっていたのだった。
しかし振り返ってみると、好かれたから嫌われないように保っていただけだった。
自分から選んだり、好きになっていたらそうは思わない。

今後、もし、
「性欲なくなったから、はい、サヨウナラ!」
と言われてもあんまり惨めな思いしないだろーなー。実際はどうなるかわかんないけどそんな気がする。そうだよなーあなたにとってこれは恋愛じゃなくて性欲だったんだもんなー、と思っちゃう気がする。
きっと泣くとは思うけど。みっともないくらいに泣くと思うけど。
いくら自信をつけても、自分で選んだ男だろうと、自分にとっては恋愛だろうと、それが相手にとって性欲なのか恋愛なのかよくわからないことで、私は自分がどうしようもなく女であることを実感する。




ってfine.の話だったな。
あやうく話を切らせてしまうとこだった。
こんなことを散々書いても主人公・上杉みたいな男になびいてしまう女は多いんだよなー

・自称アーティスト
・夢がある
・貧乏
・伸ばし放題の髪(ちょんまげのように結っている)
・無精ヒゲ
・メガネ

こういう男好きで尽くしたり貢いでしまう女、何人か知ってますよ。
上記のような男が好きな女は今すぐ読んだ方がいいよ「fine.」。あと同僚の男らや元同期の男もこのマンガ好きな人多いので、男も読んでみてはいかがか。ただし、同僚らと私の読み方は全然違うけどね。私は上杉の自意識過剰ぶりや自己嫌悪しているようでへんにポジティブなところに腹が立ってしょうがなかったけど、彼らにはそれが好印象だったみたいだ。最後は「ウゼー」と言ってたが。
2007年03月01日(木)

アイム・ノット・ダウン(オレオレ主義に対して)

わたくし、図々しくも人の夢に出現したらしいですよ。
しかも20歳のギャルの夢にだ。
わざわざメールで「昨日の夢にヤツザキさんが出てきたんですよ」と教えてくれたのだった。ありがたし。
で、肝心の夢の内容はどんなものだったのかというと(以下転載)

>どっかの呑み屋。
>みんなでヤツザキさんお薦めのイカを食べるの。
>あたしは西村と恋愛話をして
>ぼーずくんがみんなの茶碗にイカをよそう係。
>ヤツザキさん「ななこチャンも食べて食べて〜おいしいから!
>しかもコレ保険きくんだよ〜!」
>
>イカに保険きくことにビックリして飛び起きて爆笑。

爆笑はさておき、保険きくってのを実際に口にはしないと思うのだけど、なんか夢っぽくない話だな。
これに準ずる無責任発言はするし。
て、私、イカのお薦めは知らないのだけど。イカ好きではあるけれど。
この夢の話を聞いたら無性にイカ墨汁が食いたくなりました。
食いてー!



はてさて、話は変わりますが、人間関係というものは大変難しいなあと思う今日この頃。
私は属性で語りたがる人が苦手だ。
って書くとわかりづらいが、要するに帰属をすべてだと思っている人な。その中には肩書きで生きている人も入る。私は肩書きがないのでそれで大変苦労したり、帰属をなんとかして手に入れなければ!と奮闘したことがあったがそれは大変バカらしいことだということに気づいてしまったので今は比較的平穏だ。私はしがないサラリーマンですよ。それでいいよ。どんなにあがいてもそれ以外の何者でもないしな。
社会的帰属はこの際どうでもいいし、「〜の友達」「〜の恋人」「〜の夫(あるいは妻)」的な帰属もまあいいとする。実際にはどこに帰属していようが個人は個人であるので、帰属があろうがなかろうが関係ないことだと思っています。
ただ、私が厄介だなあ、とか、面倒くさいなあ、と思うのは

「帰属に則って関係を築こうとする人々」

である。社会的帰属に則って関係性を持とうとしてくるのはまあしょうがないだろう。
しかし、個人と個人の関係ってゼロから始まるはずなのに、帰属に則って、というか乗っかって関係を築こうとする人はいきなり図々しいところから始まったりする。話がわかりづらいが、要するに
「〜の友達だから失礼な態度をとっても平気」
みたいなやつのことですよ。
おまえの友達とは随分前から仲良いけど、おまえとはついこないだ知り合ったばっかだろう、なのになんでそんな図々しいんだよ、みたいなのはつらいなあ。私も会っていきなり打ち解けるなんてのはよくあるし、打ち解けたらいきなり図々しく話す時もあるけれどさ。でもそういうのってフィーリングとか、雰囲気とか、ウマがあうなどがあってこそ成立するものだと思うのですよ。
ウマも合ってない状態なのに
「私、〜の恋人ですから、〜と同じように接してもいいわよね?」
「俺、〜の恋人だから〜と同じ言い方しても文句ないだろ」
みたいなことを強要してくる人は本当につらい。いや、本人たちからすれば決して強要ではないのかもしれないけど。単に接する自分のほうが違和感を感じて、勝手に気を使って勝手につらいと感じているだけなのかもしれないけど。
百歩譲って勝手に心を狭めているのは接するほうの自分だとする。
そうだとしても、「狭められている」という事実に対して気を使わないんだろうか。私は「あ、気使われてる」なんて気づいちゃったらその場に居づらくてしょうがないけどなあ。
それはまあ、先日友人に指摘されたけど、私が「変なところで自意識過剰」だから感じることなのかもしれないけど。

そうだとしても、私は「人に気を使わせる」人間にはなりたくないんだよなー。
自然に、皆平等にわいわいとしたいのだよ。そういう雰囲気を自然に作ることができる人間になりたい。
よく話の中心になりたがる人がいるけれど、話も中心なんてなくて構わないと思うております。気持ち悪い平等主義(世界で一つだけの花のような)ではなく、本当に心から「俺が」「俺が」「私が」「私が」の人間が嫌いなんだよ。オレオレワールドの人間には屈しないと心に決めておりますので。あんな奴らのいいように世界を回すつもりはこれっぽっちもない。

先日もローカルな呑みの場でオレオレな女子が「さあみんなで私の話をきいて!」とばかりにオレ節を披露しておりましたが、私は彼女のことは嫌いではないけれど、こういうところは認めちゃいけないと思った。違うと思うことには屈しません。気を使えることが大人なのかもしれないけど、間違っているものは間違っていると思う。そして受け入れられないことだってあるのだ。だから私はその話をほとんど流し続けていたわけだけど、それはそれでしょうがないと思って欲しい。
全ての話、すべての感情が万人に通用するわけではないですから。それはこの日記とて同じことだが。



なんかまあ、いろいろと目まぐるしく変化する日々が続いておりますが
変化ってのは外から来るもんなんだなーということを強く実感した一日でした。
その変化は取り様によってよかったりもするし、悪かったりもする。人によって交通事故だったり、道でお金拾っただったりもする。私にとって今日の話は笑っちゃうくらいにラッキーな話だったな。もう、おもしろい方向に話が転がってるなあ、と。人生はネタだ。
って、周りはそうでもない人多いからあんまりラッキーとは騒げないが。
しかし先輩(この日記に出てきた兄ちゃん先輩)には
「アンタ、喜びすぎ」
「テンション上がりすぎ」
と怒られましたよ。そんなにテンション上げてないはずなんだがなー
しかし喜びというものは滲み出るものだからしょうがないのかもしれん。
2007年02月28日(水)

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