奥田英朗も濡れる港町角 |
今朝は久々に労働のために満員電車に乗ったんです。
で、私がどうして新幹線や地方のローカル線が好きなのかわかってしまった。 わたしは混んでない電車が好きなんだね。 混んでいる電車が嫌いなんだな。新幹線は混んでいるかいないかがあらかじめわかるシステムだから好きなんだな。今まで新幹線は「酒やタバコ、お弁当などが自由だから」好きなのだと思ってたんですが、それじゃ地方ローカル線愛に対しては説明がつかなくて、人知れず悩んでおったのです。 説明はいらなかったのか。人ごみでーきれーなだけだった。 満員電車に乗るのは本当にアホらしい、と再確認する。 「会社勤めなんてすなわち満員電車に乗ることじゃない!何ほざいてんだよ!」 という声がどこからともなく飛んでくるような気もするが、私は電車を使わない通勤を実現しているのでそういう負け惜しみは聞きません。 何が哀しくて、臭いジジイたちの中に混じらなければならんのか。汚い髪を垂れ流した女の背後に立たなければならんのか。(ほんとウゼーよな長い髪の女) 特にじじいは本当に殺意を覚える。 頼むから屁をこくな。括約筋緩ませている場合じゃねえぞ。 電車に乗っていると、ウンコを漏らす人間というのは自分が思っているよりも多いんだなということがわかる。ちょっと電車に乗っただけで公衆便所みたいな臭いが漂ってくるからな。 以前電車通勤していた頃はそこまで過敏にはなっていなかったんだが、今や立派なうんこ臭ハンターだ。私の推測偏見統計によると、30〜40代のサラリーマンにうんこ臭漂わせるのが多い。会社ではちょっとお偉い立場なのかもしれないが、てんでなってねぇよ。そしてあれって、「漏らしている」ではなく「ちびっている」or「ケツをちゃんと拭いていない」なんだよな。 ケツくらい拭け。ケツを拭かない以上おまえらはウンコなんだよ。
と、またもやうんこ理論を展開しても埒があかないのでヤメ。 奥田英朗の新刊「港町食堂」が出ていたので、読みました。 実は奥田英朗の旅エッセイを読むのは初のこと。「泳いで帰れ」や「野球の国」の存在は知っていた。知っていながら手に取る事に長いこと躊躇していた。
紀行文を読むのは好きだ。 しかし、ほとんどの紀行文は「あ、××行ったんだ、あそこはいいとこだよねえ」くらいの気持ちで通りすぎていくのみ。 なぜならば、自分で言わせて貰うが、漁村だの山奥だの田んぼのど真ん中だのに行く旅を繰り返している私はクオリティの高い旅をしておるのだ。 そうは思わない人が多いかもしれないが、確実に「こんな旅は他の人間は滅多にしてねえんだ!ガッハッハ」というメンタリティに支えられている。 だから観光地三昧も癒しの旅も心底どうでもよいのである。そんな旅全然うらやましくないのである。 しかし、ごく一部の紀行文は私を通り過ぎさせてはくれない。 ヤンキー高校に転校してきた生徒のように足止めをされて転ばされる。 「ひゃー!こんなイイ旅しやがって!俺もこんなところにいる場合じゃねえよ!」 と、私の心という心を掻き乱していくのですよ奴らは。 今更言うのもなんなんだが、私は非常に劣等感の強い人間でございまして。 この場合は劣等感という言葉は当てはまらないかもしれんな。要するに 「キー!うらやましー!」 「チクショー!クヤシー!」 「くそー!俺も負けてらんねえ!」 と思ってしまうんだな、その旅およびその紀行文を書いた主に対して。
なぜならば彼らの旅というのは
・何故その目的のためにわざわざそんなところに行くのか?と思わされる動機 ・何故わざわざそんな経路でそこへ向かうのか?という旅路 ・食ってばかり飲んでばかりで健康とかネイチャーとか騒がない ・思いもよらないアクシデントに出会う ・思いもよらない出会いに恵まれる ・恥ずかしい経験が必ず盛り込まれている
からなのです。 で、比重として大きいのは「普通じゃ考えられない経路で旅する」と「思いもよらないアクシデント/出会いに恵まれる」だな。 そういう旅をしている人の文章はとても生き生きしていて、なんというか、旅先から帰ってきたその足で新宿だとか有楽町だとかの飲み屋に入って生々しくいろんな話を聞かされているような気分になる。ようするに鮮度がいいのだ。ぴちぴち。癒しの旅やヤラセ満載日曜日の昼下がり芸能人接待旅は永遠に辿り着かない境地であるね。 お土産にキーホルダーだとかかわいい小物入れなんかを渡されるんではなく、絶対日持ちしない特大大福や生魚をどーんと渡されるような気分。それって人によって違う気分でたいていの人は「貰っても困る」なんだろうが、私は「うわー!やられた!」と思ってしまうのである。
で、奥田英朗の旅エッセイは確実に、そういう「ギガウラヤマシス」心を直撃する部類のものであることがあらかじめわかっていたのです。 「野球の国」なんての紹介文なんかこうだからな
>大薮賞作家・奥田英朗が、文化としての野球をキャンプ地から地方遠征を通して描く。 >映画、マッサージ、うどん…。必要な「何か」を求め放浪の旅に出た悩める小説家の行く末は?
もう、闘う前から完敗。うらやましすぎるんだよおおおおおおおお。 嫉妬させんなよおおおおおおお。 しかしわしも紀貫之になりたひ、とのたまう旅人。(うわ、椎名りん子”みたいな仮名遣いしてしまって自己嫌悪) 闘わないで回避ばかりしていてはいかん。やっとのことで手に取って読みました。
言うまでもないことでしょうが、感想
「うわー!やられた!」 「キー!うらやましー!」 「チクショー!クヤシー!」 「くそー!俺も負けてらんねえ!」 「ひゃー!こんなイイ旅しやがって!俺もこんなところにいる場合じゃねえよ!」
(すべて×275ずつ)
だってさあ、旅の条件が 「船旅」 なんだよ。 ひゃー!うーみー!私がもっともしたことのない船旅かよ! 最近地図を見ていてもフェリー航路ばかり目で追っていたから余計に悔しい。 作業員は休みが長く取れねえからな。くーそー。 私の今までの数少ない船旅は佐渡島に渡った時だけですから。ま、この本の中でも佐渡島渡ってらしたが。 大シケにあったり船が欠航したり、たらい船に乗らされたり地元のスナックで知らない人と知り合ってわいわいとしたり・・・なんてネタに恵まれているんだ! なんて印象に残る旅をできているんだ!
あ、ここまで書いてふと思ったけど、彼の旅で私はクヤシー!ウラヤマシー!と感じることよりも 「おおお、それ、絶対楽しいんだよなあ」とか 「うひゃー!それはしんどそう!まだ経験したことねーや」とか 「遅刻寸前てのは俺もやったなー」とか 共感していることのほうが多かった。 事実、この本に収録されている牡鹿半島の旅はこないだ行ってきたばかりだしな。おしか食堂に奥田英朗も行ったのか!などと興奮したり。 そうか、私はこういう紀行文を読むと小説よりもはるかに感情移入してしまうのだ。むしろ実体験のようにすら思えてくる。 そらそうだ、俺も旅人だからな。 小説家だって工事屋だって変わりやしねえ。旅ってのはそういうもんだから。
でもやっぱり羨ましくてたまらないのです。 わしもこうしちゃおられん。早く旅に出なければな。 直木賞作家なのに二等船室扱いという扱いはいいよなあ。 羨ましいのは旅なのかネタなのか、いやたぶんきっと両方。
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2005年11月24日(木)
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