股・戯れ言


BBS

【5周年記念】ポワーンチャンピオンカーニバル その1

一日早いのですが、9月30日はわたくしがwebで日記をつけ始めて5年目となる日でございます。
ってもエンピツで書き始めてからはまだ4年弱で、「股・戯れ言」の前身である「続・戯れ言」を大塚日記(懐かしや。ブロガーには馴染みがないことだろう)で書き始めたのが2000年9月30日。大塚日記消滅(ライコスに統合された、もっともライコスも消滅したけど)とともにエンピツに移ったのです。
エンピツが消滅した時にはブログに移るかもしれないが、それはないだろうな。いちいち他のサイトに移るのが面倒くさいから。

で、久々に過去ログを読み返したんだけど、
日記が短くて清清しいね。今の地獄のような長さを考えると。
「長い日記は読むのが面倒くさい」と評判なので、ここらでひとつ、短い日記に戻したい。

というわけで、5周年記念日記はスパッと
「この5年間でポワーンとなった男たち」について簡潔に書いていくシリーズを決行する事にしました。
第一回は「ワイフビーター」でございます。

って、いきなり「ワイフビーター」と言われても誰?そもそもそれは名前?という具合でしょう。
ワイフビーターというのはアメリカ人のプロレスラーです。
最近はめっきり見に行かなくなってしまったが、大学生の頃の私は毎週プロレスを見に行っておりました。
もともとプロレス好きなのであります。
その頃毎週見に行っていたプロレスは、今をときめく総合格闘技系ではなく流血系プロレスで、団体名で言うと大日本プロレスでした。(あ、後半はDDTも毎週見に行ってたっけ)
大日本プロレスと言えば、過激デスマッチがウリの団体。リングの下に五寸釘を敷き詰めたり、ピラニアの入った水槽を敷き詰めたりしたデスマッチがおもしろくてたまらなかった。でも、私が見に行ってた頃はそのようなデスマッチがウリではなく、アメリカからやってきたハードコアプロレス団体「CZW」対大日本プロレスという対抗戦真っ盛りでございました。
このCZWにいた、ヒゲ面で下半身はジーンズ、上半身はいつも裸、背中にガラスが突き刺さってばかりのワイルドガイがワイフビーターなのです。
もう、純粋にかっこいい。
なんつっても登場時は必ず芝刈り機をブンブン言わせてる。振り回している。
蛍光灯でスコーンと殴られては、肌に破片がささったままやいやいやってる。
こんなに流血しているベストジーニストは他にいない。当たり前だが。

裸の男が血を流している姿って、たまらんですね。
この背中の煤け具合!
男の経血は背中から流れるものであって欲しいのよ。

たぶん、普段はものすごく無口な人なんだろう、と匂わせるあたりもいい。
ワイフビーターってのは和訳すると「妻殴り」ですから、ドメスティックバイオレンスをやってる男というのを彷彿とさせますが、実際はどうなんでしょう。
あくまでプロレス的ポーズだとは思うけど。
ま、実際に妻殴りだったら魅力ゼロですけどね。



2001年の12月、横浜アリーナで大日を見た際に、目の前で「CZW日本撤退宣言」が行われてた。深い絶望。「いきなり最終回とは、こういうことを言うのか!」と間違った解釈をしてしまったほど。
それを機に、大日から足が遠ざかっていったのだった。
その後のワイフビーターはどうなったのか知らない。
何年か前に、ふと思い出したように調べてみたら、読み慣れない英語サイトに
引退した旨が書かれていた。
今回もまた「どうしてるかな」と思って調べてみたけれど、引退した、以上の回答はどこにも載っていない。
今頃、アメリカの片田舎のガソリンスタンドとかで働いてそうだな。
もしかしたら刑務所にいるのかもしれない。
実際のところはよくわからない。
ま、ワイフビーターにキャーキャー言ってた私が大学生からエンジニアになっているんだからな。

一体、ワイフビーターのどこにポワーンとなっていたのだろうか。
間違いなく顔でございます。
精悍。体も精悍。マゾっ気ありそうだけど。
CZWは強いし体もデカいが、まるでフリークス?というような様相の方が大目だったもんで。
でもあの顔で、あのヒゲで、あの筋骨隆々ぶりだったら理由とかそういうの以前に本能で「姫ダッコされたい」とか思ってしまうものでしょう。
なんだか普通に20代前半女子が「この人カッコイイ」と思う理由だ。
もう私はそんな歳もそんな女子だった時代も通り過ぎてしまったな。


流血系ベストジーニストが、今もどこかで元気に暮らしていることを心から祈る。
2005年09月29日(木)

なんだったんだ?オギナワ6days FIVE OR SIX

会社で遠方に行った方が「べビースター買ってこようと思ったんだけど買ってこれなくてゴメンネ!」と告げてきたので、はて、その地方にはどんなベビスタがあったっけ?と思い、久々におやつカンパニーのページを開いてみた。
知らないうちに新発売モノが多い!
私が今まで未確認であったベビスタ

飛騨高山ラーメンベビスタ(岐阜限定)
トマトパスタベビスタ(信州限定)
ドデカイ富士宮やきそばベビスタ(静岡限定)
九州のフライドパスタ明太子味(九州限定)

この勢いに乗じて、
稲庭うどんベビスタ
盛岡冷麺ベビスタ
台湾ラーメンベビスタ
なんてのも登場してもいい気がするんだが、まだまだ先の話なのか。
東北地方のベビスタがいつまでも喜多方ラーメンだけというこの状況はどうなの。改善しようよ。
それにしても、なぜ長野でトマトのパスタなのだろう。謎だ。


さて、これでファイナル、沖縄編


5日目
前夜(というか朝5:30)に酔っ払いながらもなんとか家まで送り届けたまきちゃんからの電話で起こされる。
「なんにも覚えてないさーごめーん」
というわけで、前日なぜか最後に彼女のヘルメットを持ち帰った私は(預かっていてくれと渡された、と記憶)それを渡すために昼食をとることにする。
寝起きのパジャマのような格好でフラフラと出歩く。完全に住人化。
これから行くのは沖縄でも屈指のおしゃれな通り、浮島通りだというのに。おしゃれな若者たくさんだというのに。
でもまだ酒が残っていて頭が回らないのだ。廃人。

合流したまきちゃんも酒が残っていたのでフラフラ。
お互い声が低い。テンションも低い。
これは酒飲み女子の翌日の共通点だ。もし会社出勤していれば、間違いなく左手には1.5Lのミネラルウォーターが手放せないことだろう。少なくとも午前中はタバコも吸えまい。

浮島通りは那覇屈指のおしゃれ通りと書いたけれど、コザと同じような30年前で時が止まってしまっている店もまだまだ立ち並んでいて、まるで台湾のよう。アジアのどこかに来てるんだな、という気持ちになれる。
那覇自体が台湾のようでアジアの都市だと言う気持ちにさせられるけれども、国際通りの土産屋の多さにはやはりちょっと辟易してしまうのだ。浮島通りは国際通りにも繋がっているけれど、まるで異空間。
沖縄の空は低いなあ、と思わされることが多いが路地の両側に立ち並ぶビルの合間から見える空は心なしか高く見えた。
雲がすごいスピードで流れていく。高気圧だとか低気圧だとかそういう天気図は、私の頭上すぐそばのところににあるんだと思った。
ということは、やっぱり沖縄の空は低いのか。

まきちゃん行きつけのカフェでランチをつつきつつ談話。
はまぐりとオクラのカレーと茶蕎麦サラダ。
やっぱり二日酔いの翌日は蕎麦がいい。沖縄には蕎麦屋がないからなーそしてついでに寿司屋もないのな。
カレーは酔っ払いにはいかんだろうと思われるが、オクラは二日酔いに効くらしいのでまあ、よい。
まきちゃんは陶芸家であり映像技師なので、映画の話や本の話やいろいろな話ができたのはおもしろかった。同い年だしなー同い年女子と話すのはいとたのし。まあ、どっちも酔っ払いなんだけど。
この時もまきちゃんに疑問として漏らしたのだけれど、
「沖縄で大きい本屋っていうのはどこにあるのでしょう?」
りうぼう(口にするたびにりえ坊を彷彿とさせる)という百貨店の上にあるリブロくらいしかわからなかったのですよ、私は。
答えは「大きい本屋はナッシンッグ」でございました。
どうしても欲しい時はアマゾンで注文するしかないそうだ。
アマゾンは便利だ、万能だ、と思う反面、中をまったく読まないで買うのは当たり外れが多そうだな。
まあ、滞在中はりうぼうの本屋に行ってたんですがね。
しまった、このカフェの名前覚えてねーや。
たぶん「pictures cafe」というところです。ランチのボリュームがすごい、それでいて500円くらいだから更にすごい。
今回は2時間くらい談話してしまったけど、ひとりで来てもよさそう。
http://homepage3.nifty.com/cafemania/05okinawa/oki_pictures.html

しかし、浮島通りのカフェは若者だけでなくおじさんおばさんなんかも普通に使ってるようですな。
そういうごっちゃな感じがこれまたアジアな感じでいい。
東京のカフェだとおしゃれ一直線で虫唾が走ってしょうがねえんだが。


その後まきちゃんと別れて、また那覇散策でもしようかと思ったのだけど
連日の飲み疲れでダウソ。初めて昼寝に沈んだ。
部屋で倉地久美夫やママレードラグ聴いたりしてだらだら。漫画読んでだらだら。
そんなオーラスの日の過ごし方。
風呂に入りたくなったのだけど、その時の宿の風呂は狭かったのでちょいと調べて広い風呂があるところに行くことにする。
ついでだから海も見ておくかーと思って、バスに乗って出かける。
ホントは宜野湾にスーパー銭湯なみの風呂があるというのでそこまで足を運びたかったのだが、値段もちっと高めだし、夕方から宜野湾まで行ったら一体何時に帰ってくることになるんだかわからなくなりそうだったので、浦添というところの山のてっぺんにあるという「厚生年金沖縄うらそえ荘」というところに行くことにした。
なぜここにしたかって?
それは地図を見たら意外に近そうだったから。
ただし地図を見たのは、宿を出る前のみ。その後はいつも通り地図も何も持たずに出かけていったのですが・・・


も の す ご い 急な坂道!


坂の町といえば尾道か、長崎か、(行ったことないから違うかもしれないが)神戸か。
いやいや、そんなことはない。沖縄も立派に坂の町ですよ。コザの時も心臓破りの坂を経験したけれど、ここに比べればコザの坂道なんて坂道じゃないかもしれない。沖縄は山つーか丘が多い町なんだな。
これまた歩いている人間などオンリーワンなので、坂道をすいすいと通り過ぎていく車から好奇の視線が。
もう気にしねえやい。日本中どこ行っても車ナシで足で移動すりゃこんな視線を投げかけられてら。
坂道の途中で、ちょうど那覇の町を見下ろすことができるポイントに差し掛かったのだけれど、夕日が落ちていて町が全部オレンジ色だ。オレンジの太陽の手前に島が見える。あれはなんていう島なんだろう。
しばしうっとりするものの、またすぐに吹き出る汗を拭いながら坂道を登っていく。
やがて坂道が平坦になると、今度は右手側にずらりとならぶ墓。
沖縄の墓はやっぱりでかい。不思議とあまりひんやりとした気持ちにはならない。
普通の墓場よりも不気味感が少ないのだよな。民家の隣にいきなり立ってたりするから。
どこに行っても「共存」「ごった煮」「ミクスチャー」の土地、それが沖縄なのだな。懐深すぎ。

やっとの思いで山を登りきって、うらそえ荘に到着する寸前のこと。
児童を沢山乗せたバスが私を追い抜いていった。
なんだか嫌なヨカーン。



嫌な予感は的中。
ロビーには溢れかえる児童たち。皆(女子も半分くらいいる)サッカーか何かをした後のようで汗の臭いがムンムン。
「食事何時からにするねー?」「わー」という声が飛び交う飛び交う。
そんな児童の合間を縫ってロビーにて「お風呂に入りたいんですけど」と告げると
うらそえ荘の人は苦笑しながら
「大丈夫ですけど、お子さんがいっぱいなんで混むと思いますよ〜」と。
芋を洗うような状態になったらいやだな、とも思ったがここまでどんだけ歩いたかを考えたら(約20〜25分弱)引き返すわけにはいかなかった。
400円渡してご入浴。

ここはたぶん、温泉でもなんでもないのだろう。
いや、温泉なのか。実際のところはよくわからない。
大きい風呂に入ることができるだけで十分なのだ。
風呂場には私のほかに2名のみ。沖縄の人たちは風呂にあまり入らないらしいので(自宅ではシャワーばっかだと聞く)、思ったよりも快適。この後押し寄せてくる児童軍団のことを考えるとやや憂鬱だが。
持ってきたのが歯ブラシとカミソリと洗顔料のみなので、備え付けのリンスインシャンプーを使ったが、
私、これで頭臭くなりました。
ラベンダーに香りっていい香りだと思えないという私の嗅覚も問題なんだろうけど。

しかし大抵のことは問題なかった。
広い風呂に浸かると、連日の飲み疲れにやられた体が夢見心地に。
ぽわーん。やっぱり風呂はいいな、旅の終焉には必ず風呂に入るべきだ。
私以外の方々も風呂から上がったので、悠々としていたのだがほどなくして悪魔の騒ぎ声が・・・。
キターーーー!まあ、しょうがないんだけど。

でもこの女の子たち、おそらく小学校5,6年なんだろうけども、皆ちゃんとしてるのね。
ちゃんとしているというか、林間学校の時のように、しおりに「お風呂に入るときのきまり」なるものがあるかのようで、ちゃんと皆体洗ってから風呂に入ってました。
というより、風呂には入らない子のほうが多かった。シャワー文化全盛なのですね。
小学校高学年女子12人くらいに混じっている20代後半女1名は、自分の老体ぶりに驚いてしまいました。
たるんだ腹、くすんだ肌、ムダ毛生えまくり。
時は流れる。年齢は止められない。悲惨。
うあー。退散。


風呂から上がって着替えようとしたら、小学生女子の脱ぎ捨てたパンツが私の籠に入ってました。
・・・。


風呂上りだというのに下山。
モノレールで帰りを待っていたら、左手側に見える首里城がライトアップされていて大層キレイだった。
観光地にわざわざ行くことなかれ!とは言うが、以前夜の東大寺に行ったときもすばらしかった。
ライトアップ文化は断然支持なのです。


で、夜。
本日は前回うりずんで会った三人娘のうち、東京や大阪で頻繁に会うはるみちゃん以外の2人、ちかちゃん、りえちゃんと会う。
若い!
テンション高い!
飲み屋でいきなり頼むのが「牛乳」だからなー。
テンション高いエピソードが次々に繰り出されておもろい。
あまりにテンション高いエピソードなので書きたいのは山々だがここは割愛。
その高いテンションのままファイナル観覧車。
観覧車はギャル2人と会う前にも実は行っていたのだけど、ちょうど模合いが開催されておりました。
そして十五夜の前夜だったので、「沖縄ではお月見の時にこれを食べるさ〜」といただいたのが
ふちゃぎというお餅。
餅に小豆がたくさんくっついているので、さぞ甘いのだろうと思って口にしたらあらビックリ。
全然甘くない。
昔、どこかのファミレスでホットケーキを頼んだ友達が、ホットケーキの上に乗っている大きなバニラアイスを食べたところ
「なんだこれ、全然甘くない!」
と驚いたことを思い出す。それはバニラアイスではなく、大きなバターだったのだ。
このふちゃぎもこんなに小豆がついているのに、ただの餅。むしろ軽食。
小さい子は砂糖をつけて食べたりするんだそうだ。
ふちゃぎの話はともかく、最後の観覧車は女性ばかりでワイワイと盛り上がりました。
閉店間際は皆ぐったりでしたが。

今回も観覧車には大変お世話になりました。
今回滞在時も毎日出席。皆勤賞イエイ。
私が沖縄に行くのは。この「観覧車」に行くためなのですよ。最初に沖縄に来た時「観覧車」に出会えてよかった。
心から感謝。ここで知り合えた方々に感謝。
なんといっても観覧車のママことさちえさんに大感謝なのだ。
あと今回はまきちゃんにも心からありがとうとお伝えしたいのです。毎日飲めてよかった!



そして6日目
11時45分の便で帰らなければならなかったので9時半ぐらいには起きなければいけないのに、前日も4時くらいだったので一抹の不安を感じたが、なんとか9時半頃に起床。
沖縄は快晴。最後まで快晴で本当によかった。
最後に「りうぼう」に寄った。ちょいと時間があったのでモスバーガーでぼーっとしていたら、目の前を知った顔が。

あ!ホストクラブの「ノブナガ」じゃないか!
(沖縄記2日目参照)

しかもお金を持ったお姉さま(おそらくノブナガより年上)を連れているぞ!
まだ10時台だというのに!
やい!お盛んだな!

これは一体「同伴」というのか?「アフター」というのか?
そういう制度の名前をよく知らないので、頭がやや混乱したがとりあえず空港に向かうことに。

タクシーに乗ってほどなくして、携帯を探す。
あれ?持ってたはずなんだが?



















グギャー!
モスに忘れてきたんだ!

俺、モノを忘れすぎ。
そんな「モノを忘れること/なくすことの天才ぶり」はこんなところで発揮せんでもいい。

すぐにタクシーを引き返してもらって走ってモスに入ったらまだ同じ席に置いてありました。
危機一髪。これで忘れて帰ったらどうなってしまったのだろう。
それこそ「ノブナガ」の地名しりとりばりに東京から引き返さなければならなかったかもしれないのだった。
くわばらくわばら。


そして東京戻ってすぐに鉄割見に行ったのでした。
俺、フットワーク軽すぎ。
この持ち前ののフットワークの軽さで、俺はまたまた・・・・
いや、それはお楽しみにとっておくとしよう。


次に訪れる場所で心の(とんちんかんな)ドアを叩くのは誰だろう?


後から知った事実
浦添に「太古海中温泉 浦添の湯」なるものがあったんだそうです。
山を登らないような位置に。
モノレールから徒歩5分弱のところに。
うあああ!
俺が行った「うらそえ荘」と同じ沢岻というところにあるのに!まさに天と地の差!


しかし「浦添の湯」は9月20日オープンだった。
わたくしはどこまでついていないんでしょうか。
2005年09月27日(火)

なんだったんだ?オギナワ6days ファンタスティック4日目

コミック雑誌「IKKI」の今発売している号



土田世紀はやはり絵がうますぎる。なんだかにくいくらいだ。
そしてお恥ずかしながら「夜回り先生」は未読つーか存在自体よく知らなかったのです。勝手に金八先生や「ヤンキー母校に帰る」的なものだと思っておりましたが。しかし読んでみて涙ダーダー。
ドラマ化もされてたのか、しかも寺尾聰!
ひゃー、なんで見逃してんだろ。「刑事部屋」の鵜飼刑事かっこよすぎてよく見ていたのに!
9月30日(もうすぐだ)に土田世紀の「夜回り先生」が発売になるらしいので、これは買わなければ。

あと土田世紀関連だと映画「同じ月を見ている」が11月19日に公開されるそうですの。
窪塚洋介主演がどーこーというより、私がここ最近ずっと気になっていた黒木メイサ嬢が出演ということに驚いた。
黒木メイサ、気になってたんだよなー。コーセーのファンデCMに唐突に出演してて、ずっと誰なんだろうと思ってました。
コーセーはVISEEに安良城紅を起用したけど、安良城紅はごく短期間で激太りを遂げそうなのであまり好きではないんだよな。
アメリカ人のケツだけ異常にでかいオバサンとかになりやすそうだ、根拠はないけど。VISEEにも黒木メイサ嬢を起用すればいいのにー。惜しい。





というわけでとっとと沖縄旅行記

4日目
ちなみに前夜、コザから帰って行った店は仙台の沖縄風バー「ForestCountry」で教えてもらった「びいどろ」という店でした。
私はてっきり仙台のマスターがうちなーんちゅと知り合いなんだなと思っていたのだけれど、実は店の女主人である若生さんは仙台の方でした。そういうつながりだったのか!
というわけで「ForestCountry」では仙台なのに泡盛にゴーヤ炒飯という状態だったんだけど
この「びいどろ」では沖縄なのに日本酒!サンマ!ひとめぼれ!という東北っぷり。
なんだかホッとするなーいいなーこの店。
まさか沖縄で東北っぽいものが食べられるとは思わなかった。そして日本酒も綿屋に伯楽星という仙台地酒。
いい店だなぁ。今度またゆっくり来るとしよう。
日本酒だけでなく泡盛もあるんで沖縄にいながら仙台も楽しめるおトクぶり。一粒で二度おいしい店。
旬菜Bar びいどろ
http://okinawa.e-machi.ne.jp/104007/

で、その後はうりずんで出会ったギャルとタマシイさんの店に行ったりなんだかんだでまた4時くらいまで。
もうこのあたりから飲み疲れが始まっていた。


ちなみに4時に帰って酔っ払って寝てしまおうが、沖縄での朝は必ず10時前に迎えておりました。
家でも他地方でも10時半以降じゃないと体が動かねぇ!という私にしてはコレは珍しい。なんなのですかね、やはり泡盛大目に呑んでると二日酔いしないってことなのか。もっとも、沖縄ではちょこちょこウコンを呑んだりしていたんで、それも二日酔いしないで済んだ要因だと思うのだけど。
ああ、そういえば「琉球 酒豪伝説」というウコン薬というかなんというかなものを買ってこようと思ってたけどすっかり忘れてきた。ネーミングがすごいよなー「琉球酒豪伝説」て。

そんなわけで後半戦。

昼にまず訪れたのは、前回沖縄訪問時に「観覧車」でお会いした(今回もお会いした)いけさんがやっている
「イスキアのおむすび ぬえみち」というおむすび屋へ。
この日も天気がよかったので牧志から歩いて泊まで。天気がよすぎて陽射しMAX。
焼ける。煤ける。日焼け止め全部流れ落ちる。
「ぬえみち」は泊小学校の向かいにあって、わんこが店先で走り回っている一見民家のようなところ。
頭にてぬぐいを巻いたいけさんがお出迎えをしてくれます。
そこでいろんな話をしながらおむすびをいただいたのですが、このおむすびが玄米ごはん(沖縄では白米ではなく豆の入った玄米ごはんか赤飯を見かけることが多い)でンマイ。
具も「セロリの佃煮」や「とろろ昆布」、そして「津軽直送ブンゴ梅」という、あんまり沖縄っぽくないものが多い。
ああ、私の「行ってみたいけど決して行けない土地」青森にはこんなにうまい梅干があったのか!ということをこれまた青森から遠く離れた土地で知る。ブンゴ梅というのは梅干に赤しそが巻いてあるものなんだけど。
ちなみにあんずに赤しそを巻いた「あんず梅」というものもあるそうで、この日もそれを一個いただいたのだけど甘酸っぱくておいしかった。青森!またまた行きたい気持ちが募るじゃないか!果たして今年中に行けるのか!?
その場でいけさんが一個一個握ってくれる様子を見るのも楽しい。
私が訪れた時は他のお客さんも来たのですが、その時、話題になったのが
「もあい」
のことでした。
いや、その時だけでなく、私の今回の沖縄旅の中で一番知ってビックリだったのがこの「もあい」なのです。
そもそも「もあい」というのは一体どういう字を書くのかも不明だし(当然、音で入ってくる限りでは「モアイ」と変換されがち)皆普通に「今週末はもあいさー」と言い合っているし、「シーノー(沖縄での私の呼ばれ方)ももあいやればいいさー」と言われるしでちんぷんかんぷん。
複数の人に何度も説明してもらってやっと理解できたのだけど

・もあいは「模合い」と書く
・毎月1回決まった時に集まる
・集まった全員が毎月決まった額を出し合う
・額は3000円とか5000円とか1万円とかさまざま。おじいおばあだと5万、10万というもあいもある。
・それで集まった金額(5人で5000円模合いならば25000円)をその月に一番お金に困っている人がもらっていく
・5人で模合いをやったならば、5ヶ月続く(必ず全員が25000円もらえるように)

うーん、内地では絶対にお目にかからないなー。
まさに「ゆいまーる」の土地ならではの習慣だ

・模合い開催の時は(それがどんなに身近な友人間の模合いであろうと)「今日は模合いがあるので」と言って仕事を抜けることができる。
・まあ、お金を出すのが目的ではなく単なる飲み会
・しかし「模合い詐欺」というのも存在する(金持ち逃げなど)

という感じなんだそうだ。
とにかく模合いというのは信頼の証なんで、簡単に参加してはなるまい。
誘っていただけたのはありがたいが、内地も内地、2000マイル離れた東京に住むわたくしは滅多に参加できないからなぁ。もうちょっと沖縄に慣れたら、というか定期的に沖縄に行くことができるようになったら参加もしてみたいものだけど。
まあ、「独りで生きていく」とか「誰にも頼りません」とか言ってる奴には無理なんだろうな、沖縄は。

まだまだ沖縄はわからないことだらけだなー。

おむすびどころか昼定食のようなものをいただきながら色んな話をしたのだけど、いけさんは私の住んでいる東東京らへんに詳しかった。そういえば、沖縄で知り合う人は「東東京の錦糸町らへんに住んでおります」というと大体通用する。私の住んでいるところは正確には錦糸町ではなく、なぜ錦糸町を名乗っているのかと言うと「深川らへんでは通用しないから」というのが主な理由。
しかし深川といっても通用するのです、沖縄。
なぜならば「かつて東京に住んでいたから」という人が意外に多いから。
沖縄に帰ってきた人が多いのかー。そうなのか。
なんだかこういう「帰ってくる場所」という感覚がとてもうらやましい。
私の故郷はまぎれもなく東京も東京、東東京で、もう、私はここを「帰ってくる場所」にしてしまいたいんだよな。
どこから、なのかはまだ決めてないけれど。いや、どこからだっていいんだ。日本全国どこからでも。

すっかり長居をしてしまったのでここらでおいとま。
「ぬえみち」は営業時間が11:30から14:00までなので、時間外に行かないようお気をつけて。
沖縄にいると米を食べる機会も少ないんで、是非是非。
イスキアのおむすび ぬえみち
http://cafe-yuruyuru.seesaa.net/article/6844631.html




この日は那覇市内をぶらぶら。
時間があれば島なんかも行きたかったけどなー朝起きられなかったからなー。
泊港のむこうに広がる海の彼方に入道雲がもくもく。海も空も果てしなく広い。
いけさんに「こんなに晴れてるのに日傘持ってないなんてだめよー」と言われたけど、ほんとに日傘持っていないといかんね。頭がパーになる。道行くうちなー女性は皆日傘差していた。

夜は観覧車のさちえさんに誘われて食堂JULYというところへ。
島らっきょのてんぷらとか空芯菜とかレバーとかンマイ。ほとんど沖縄料理を食べてないなーいちおうてびち汁とか沖縄そばは食べてるんだけど。
そこで店の人や常連さんとも盛り上がる。
その後、常連さんのたーかさんに「JULYのバーもあるさね」と連れて行ってもらった。
これがまた雰囲気がいいんだ。
そこで一杯呑んで、他のお客さんが回していた「久茂地小学校廃校をやめさせよう署名」に協力したり。
那覇も少子化が進んでいるのかねぇ。前回来た時は「沖縄、子供多し!」と思わされっぱなしだった気がするんだが。
るっぱさんなんか「子供が全員沖縄アクターズスクールの子に見える」と言っていたけれど。

そしてまたまた観覧車行って呑んで呑んで、その後観覧車の常連さんらとJULYに戻ってきた。
一晩で二度も!どんなんだよ!
しかも夜が更けるにつれて人が多くなってくるというザッツ・沖縄な夜。
そういえばこの日は金曜日で(すっかり曜日感覚がなくなっていた)、翌日の土曜日からは三連休だったのでした。
どうりで「明日から石垣島さー」と大ヨッパな人がいたわけだ。間に合ったのか?
そして呑んでどんどん壊れていく人を見て
「うわー私も内地じゃ破壊王、飲み会デストロイと呼ばれた女、これは壊れないとイカン」
と変な焦りを感じたけれど悲しいかな、壊れることが出来ない!
ぱっぱらぱーにはなっていくんだけど平常心止まず!
なんだか悔しい!
バーボンソーダ何杯か煽ったが全然ダメだー、と思っていた矢先にまきちゃん(私が沖縄に来て以来毎日一緒に飲んでた)が壊れて再起不能となったのでまきちゃんを連れて帰りました。道とか全然わかってないんだけど。
道が全然わかってないのに説明しようとする俺にタクシーの運転手が「ないちゃーの方、うるさいね!」と怒っていた。それでも構わずやんやん言っていた私は相当酔っ払っていたんだろう。最後まで平常心がなくならなかったことのほうが不思議。
まきちゃんは家に帰る最後の瞬間まで陽気で楽しかった。

ヨッパに寛大な土地はいいス。


JULYイイ店。
たぶんこの日は朝6時過ぎまで開いていたはず(普段は3時までだそうで)
ショットバー JULY
http://www.u-r-u-m-a.co.jp/02play/night/bar/july/01.html
食堂はこのバーの裏側なのです。
↑このHPのゴーさんの写真が若くてビックラ。(今でもハンサムガイでしたが)




いよいよ大詰め、次回に続く


ちなみに沖縄シリーズのタイトルに入ってる「オギナワ」ってのも土田世紀ですな。蛇足でした。
2005年09月26日(月)

なんだったんだ?オギナワ6days コザディニスタ!

俺の日記に時系列はない!
というわけで現在は9月25日で、ここ最近展開している沖縄記録は9月13〜18日のものなのだけれど、今から書くのは9月23日のことです。ややこしい。
その9月23日に前回の日記にも書いた倉地久美夫さんのライブを見たのです。いやーなんたるナイスタイミング。
倉地氏は福岡県在住なので滅多に東京ではライブをやらんのです。
前回の日記を書いた際に久々に倉地氏のHPを覗いたら9月23日に秋葉原でライブって書いてあるんだものな。これはいかねばならん。つうわけでローカル列車やSLを乗り継いで(お彼岸だったので墓参りに行っていた)ライブに行きましたよ。

結論から言うと、この倉地氏ライブ、今年見たライブの中で2位ですよ。
1位はやはり細野さんなのだけど、細野さんがライブやらなかったら1位だったな。それくらいズギャンと衝撃なライブでした。

前回見たのは2年前で、その時は「三上寛が劇画ならば倉地久美夫はエンピツ画のような細さだ。すごく繊細な絵を書く感じ。」と思ったのだけど、今回見てみると、実はいろんな色を駆使しているかのようにカラフルでトリッキーで幻想的、そして声はよく通る。色鉛筆というよりクレヨンのようだ。声色を使い分けたり、へたくそギターを人力サンプリングのように弾いたり。でもそれらすべては言葉のための演出なのが、彼が詩人たるゆえんなんだろう。
最後の「スーパーちとせ」という曲なんか、名前だけ聞くと北海道あたりの特急っぽいが「僕は福岡の田舎に住んでおりまして、近所のスーパーマーケットの名前なんです」と言っていた。スーパーマーケットの曲なのに心の奥がじんじんした。スーパーマーケットの曲をすんなりと受け入れさせたのは、クラッシュと倉地氏だけだ。(クラッシュは別にスーパーじゃなくてもかまわなかったんだろうが)
こんな人他にはいない。100年後に大評価されたりすんのかな。



そしてまたもや沖縄滞在記。
これを早く書かないと次の日記を書くことができないのです。

3日目
今回の長丁場滞在は、気ままなぶらり旅つーかぶらり日常生活をしに行ったようなもんなのです。
だから特に予定は決めず。黙ってりゃずっと那覇にいたかもしれません。それでも十分楽しい。
しかし、私も沖縄訪問は3回目。初回時に薦められながらも、「イラクから帰還した米兵が多いんでひとりで行くのはキケン!」という情報を聞きつけて行くのを断念せざるをえなかったコザに足を伸ばしてみました。
今回唯一の観光かもしれんな。
ちなみに私のコザに関して持っていた前情報は「日本じゃない、って感じ」という一点のみ。具体的にどこにあるのかも、コザが一体どういう字を書くかも不明。地図もなんも持たずに出かけると言う無謀ぶり。毎度の事ながら「なんとかなるだろう」という腹づもりでした。毎回なんとかなっていないことなどすっかり忘れていた。

とりあえず旭橋のバスターミナルに行ってどのバスに乗ればいいかと物色していたら、知らないおじさんに「あんた、どこ行くね?」と呼び止められる。(なんかこういう呼びとめ多いな、沖縄)
「コザに行こうかと思ってて」と告げると
「コザなんて今はなんにもないさー。若い人は皆北谷のアメリカンヴイレッジよ。」と言われる。
実はコザと北谷がどのような位置関係にあるのかもわかってなかったのだけど、確か北谷もアメリカっぽいとこだというのは覚えていたので勝手にコザと北谷は隣町なんだと判断し「ああ、別に北谷でもかまわないんですよ」と答えた。
そしたら「あんたー、ボーイフレンドいないの?北谷はボーイフレンドを作りに行くところさー」
なんだそりゃ。北谷ってナンパスポットなのか?さっぱりわからねぇ。
「いやーそういうのはどうでもいいンすわ」とあしらったら「今日は天気がいいさねー、海キレイさー。タマグスクに海覗きに行くといいさーおじさんが連れて行くさー」とわけのわからないことを言い出したんで丁重にお断りをする。
海はどうでもいいのだ。じいさんと一緒に行動するつもりはない。
そもそも今にも降り出してきそうなグズついた天気だっつうの。あほか。
つうわけで気を取り直してコザを目指すことに。初心貫徹。
そういえば沖縄で初めてバスに乗るのだった。沖縄は鉄道がないから(ゆいレールは鉄道とは言いがたい)、バスが鉄道のようなもの。車窓を見ることができると思うとワクワクする。

大渋滞の那覇を抜けると、左手側の車窓はすべて基地。
米軍基地ってこんなにデカかったのか。知らなかった。よく聞く話だけど、ほんとに片側全部外国なんだな。しかも大きさがアメリカンサイズ。肥満の国。肉食エリア。以前、仕事で横須賀に立ち寄った時、USネイビー基地が我が物顔でドーンと構えていたのを見て「こえー!」「おっかねー!」(主に角刈り外人に対して)と萎縮したもんだが、沖縄は横須賀どころじゃない。横須賀の100倍くらい「こえー!」「おっかねー!」だ。
こんな肉食文化と泡盛のんだくれ文化が違和感なく同居しているのだから沖縄は寛容な土地だなとも感心するけれど、でもやっぱり基地はないほうがいいよ。おっかないから。バスの上空も軍用機がバサバサ飛んでいた。他の土地じゃあまり見られない光景だ。それも結構低空飛行なのがやっぱりおっかないです。

そんな基地づくしな光景ばかりを見ていると眠くなってしまうのだけれど、停留所の地名がやはり聞き慣れないので耳を奪われっぱなし。片側基地地獄を通り越すと、バスは坂道をぐんぐん登っていく。今度は民家が多くなってくる。
長年強風や豪雨と戦い続けたためなんだろうか、沖縄の民家って武骨だなと思う。むき出しのコンクリート3階建て、というのをよく見かけるけど一体何年前に建てられたのか皆目不明。一目で「あ、ものすごい老朽化」とわかる。まるでアジアのどこかに来たようだ、と思わされるのもこの建物たちのおかげではあるんだが、もうちょっとなんとかせねばなるまい。地震があったら一発で倒れそうだ。
現実は美ら島じゃないところも多い。
で、これまたうとうとしていたら(2時間バス乗りっぱなしじゃ仕方がない)バスの外は激しい雨。
スコールだ。外を歩くのしんどそうだなーと憂鬱な気持ちで空を見上げると、遠くのほうは晴れていた。ああ、これがカタブイってやつなのか。改めて南国に来てるんだと実感する。


とここで気づいたのだけど、コザってどこで降りればいいんだろう。


バスの前面にどこを経由してどこに辿り着くかは書いてあるのだけど、実際にコザという停留所はあるんだろうか?コザの中心街はどこなんだろうか?そもそもコザってのは町なのか?市ではないよな確か。コザ独立国という言葉を聞いた事があったが、コザって通称のような気もするしなぁ・・・などと思いを巡らしているうちに、ちょっと繁華している地域を通り過ぎる。
もしやここがコザだったんではないのか。
一抹の不安。
でも「次はコザ」というアナウンスも流れてこないしなぁ、あ、でもほとんどの人がこのあたりで乗降車してるではないか。不安募る募る。しかし自分を信じることが大事。動揺するな、俺。コザはきっとこの先にあるのだから!
「間違ってるかも」という不安で何度も途中下車をしようとしたが、じっと耐えているうちにやっと運転席横の電光掲示板に
「次はコ   ザ」の文字が!
コザキターーーーーー (゜∀゜)ーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!
満を持して降りるのです。



「立ち並ぶアメリカンな店の数々」
「行き交う外国人の多さに、まるでアメリカに来たかのような気分になれる」
という、日本にいながらアメリカの大学!ばりの評判ばかりを耳にしていたのに
目の前に広がるのは

・いかにもニッポンな靴屋
・店の正面に立たない限り見分けがつかない、「やぎ汁」と書かれた食堂
・「今、店主は留守にしております」と書かれた紙の貼ってあるリサイクルショップ
・部活帰りの高校生

ザッツ日本!全然アメリカンじゃねー!

いや、表通りにいるからこんな日本な光景しか目に付かないのだ、と必死に思って路地裏に入るとどの店も閉まっているわ坂道キツいわおじいやおばあしか見かけないわという体たらく。私が向かっている場所が間違ってるんだ!と必死に思って歩けば歩くほどコザ停留所は遠ざかり、店すらもなくなってきた。
「自分を信じてはいけない」
今までだって何度もこんな間違いしてきたじゃないか。なぜ学習しない?自問。もちろん答えは明確すぎるんだが。
これはもう引き返すしかないんではないのか、と途方に暮れかけていたところ前方にパトカーを発見。
そのパトカーのぴったり後に止まっているのは、「ミニタリーポリス」と書かれた車だった。
おお、MPだ!
やっぱりコザはアメリカ!
心の中では手を叩くが、実際にはガイル少佐のようなMPが怖いのでそ知らぬふりをして通りかかってみる。
黒人米兵2人と沖縄のおじさんおばさん二人が沖縄県警とMPの取調べを受けていた。床屋の前だったのだけど、米兵がなんかやったっぽかった。やっぱりこえーよ。そりゃひとりで来てはいけない土地だよ。
もし4月1日にコザに独りで来ていて、こんなMPとか呼ばれるような事態になっていたら・・・いや、MP呼ぶ以前にアイ・センド・S・O・S・トゥ・ワールドって送っても届かないのかもしれないし。
頭の中でポリスを歌いながら通り過ぎる。怖いとかいいながら暢気なもんだ。
途中からクラッシュの「ポリスとコソ泥」に切り替えていた。黒人米兵がコソ泥だったとは到底思えないが。

引き続き中心街求めて引き返すわけなんだが、十字路に差し掛かったのでこれはこの道を曲がればいいんではないのかと適当に歩き出してまた失敗。
コザからどんどん遠ざかっていくばかり。
もう、歩き回っている時からわかっていたのだ。バスで通り過ぎた、あのちょっと繁華しているところがコザの中心街だったんだと。
しかしそこすらどうやって戻るのか不明。もしこの時、「どうやってきたのか、忘れられるかな」と細野さんが問いかければ私は自信200%で答えられた、「はい、忘れてしまいました」と。
いや、忘れている場合ではない。なんとか那覇行きのバスの出ているバス停まで戻るしかない!
というわけで「おそらくこっちのほう」にあるんだろうと路地裏に入り込み、「おそらくあっちのほう」に行けば辿り着けるんだろうとくねくねと突き進む。アバウト無間地獄。いつだってそんな感じで乗り切れてこれた、今日だってきっと乗り切れるだろう。やっぱり私の座右の銘は「私は今まで何度も失敗してきた。これからも繰り返していくんだろう」(byルー・バーロウ)なのだ。
そんな風にくねくね進んでいくと、ドアを開けっ放しにした民家の前を通りかかる機会も少なくなかったんだが、皆決まって不思議そうに見てくる。ここいらの人ではないからな。
そしてそんな民家とともに並んでいるのはほぼ廃屋と化しているコンクリート剥き出しのビル。バスから見たモノが身近に感じられるのは不思議な光景だ。沖縄であっても、街中であっても過疎化は深刻だ。現実は全然美しいものじゃない。荒んでいたり、朽ち果てていたりもする。でもここは、そんな具合も含めて、まるで30年くらい前で時が止まっているようなのだ。
実はこの日は、ほんの少しだけ那覇の新都心にも行ってみたのだけど、つまらないのなんのその。本当の沖縄はきっとこういうところに行かなければわかるまい。ありきたり過ぎて、通り過ぎてしまいそうなところ。でもなくなってしまうとなんだか切なくなるようなところ。私はそういうところがいとおしくてたまらない。
沖縄だけじゃなくて、日本のどこに行ったって田んぼの真ん中をぐずぐず歩いたり、山間の、民家と民家の間にある細い坂道を下ったり、シャッター閉まりっぱなしの商店街を通り抜けたりしないとおもしろくないと思うのです。
すなわち「どこに行っても歩きっぱなし」ということなんだけど。
永遠の「踏み出せば、その一足が道となり、 その一足が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ」気質。

ほとんどの店が開いていない商店街を抜けると、バスが通っていた大通りに戻ることが出来たのでその道を歩いて戻っていく。
こいつがしんどかった。ものすごい坂道なんです。まさに心臓破りの坂!
しかも未だカタブイ中。雨ザーザー。
そして当方はゴム草履なのであった。劣悪環境。
当然ながら他に歩いている人はいないので渋滞した車道から投げかけられる視線がやや痛い。「なぜこんな雨の中を・・・?」と思われてたんだろう。私だって知らないさ!
しかしこれまた道脇の建物や看板なんかを眺めながら歩いていたのでなんとか乗り切る。
極真カラテはどこに行っても見る看板だなー。
なかでも一番興味を惹かれたのが、一見ただの老朽化したビルだと思っていたのが映画館だったこと。
外から見たところ、単館系映画のポスターが貼ってあったのでへーこんなところにも単館系映画館があるんだなと思っていたんだけど、あとから知ったが実はその映画館「コザ琉映」は歴史ある成人映画上映館だった。成人映画って感じはみじんも感じられなかったぞ。これはおもしろいのでもう一度コザを訪れることがあるなら立ち寄ってみたい。

そんな感じに歩いて歩いて上って上って、やっとのことで
ちょっと繁華しているところキターーーーーー (゜∀゜)ーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!
コザではなくゴヤというところであった。
・・・。そりゃーわからんよ。
確かに外人率は高い。が、基本的には先ほど歩いたあたりとなんら違いはない。
きっとこのあたりの裏道に入れば、「日本にいながらアメリカにいるような気分」に浸ることが出来たんだと思う。


もう十分歩いた。
これ以上は必要ないかな、と思った。


すぐ後に来た那覇行きのバスに乗って戻った。
宜野湾に沈む夕日が真っ赤で、その時ようやく時間の感覚を思い出したような気がする。
国道58号線はやっぱり渋滞していた。




そしてまだまだ沖縄編続く


余談
後日、テレビを見ていて「あーコザ独立国ってことはてるりん館があったのか」ということを思い出す。
リサーチ不足。行けばよかった。
まあ、そのへんは次回のお楽しみにとっておこう。成人映画館も潜入したいしな!
あと北谷とコザは全然隣町じゃありませんでした。知らなかった。今日は九州・沖縄地図でも買って帰ろうかな。
2005年09月25日(日)

なんだったんだ?オギナワ6days 2日目

ヘッドマスター・リチュアル症候群!
ヘッドマスター・リチュアル症候群!
ヘッドマスター・リチュアル症候群!

「家に帰りたい、こんなところにいたくはない」
と継続的に思ってしまう病気のことです。勝手に名づけたんだけど。スミス聴きすぎで。
まさに、ここ最近の、会社に来てから帰るまでの私でございます。
今もそのフレーズに囚われっぱなしだ。単にフジロックとか東北出張から帰ってきた後の無気力感がずっと続いているだけ、沖縄から戻ったら治るんだろうと思っていたのですが、そうでもないようです。


隣のジジィが心底ウゼェわ。


私は潔癖症ではないけれど、最低限の清潔基準はなんとかしていただきたい。とりあえずズボンに両手を入れてその手で受話器や人のボールペン触るのやめれ。
汚ぇよ。

気を取り直して沖縄記。
そんなじじいを見ながらこれ書いてると、衝動的に会社辞めたくなるな。



2日目
晴れ渡る空、澄み切った空、一点の曇りもない空、などなどの表現が過不足無しに当てはまるほどの快晴。
これは日焼けやばいだろ、と思うとついつい日焼け止めを塗りすぎて顔が真っ白になる。
南国でこの顔の白さはないんではないのか、これじゃ病人だ、と苦笑いでホテルを後にしたのだが、心配は無用であった。
ちょっと歩くだけで汗が吹き出て、その汗で日焼け止めが流されてた。9月中旬とはいえまだまだ真夏なんだな。

午前中は海を見て、町を歩いて、路地裏に腰掛けていろんなことを考えていた気がする。よく覚えていない。覚えていないくらいがちょうどいい。

だが午後になるとさすがに暑くてたまらんので翌日から最終日まで泊まる宿に移動。場所がいまいちわからなくてうろうろとこれまた歩き回る。歩き回るのはいいのだけれど、いかんせん荷物が重いのでだんだんしんどくなるのだ。持ち手のところがどんどん肩に食い込んでくる。
重い。暑い。もう限界。
と思ってる矢先に滞在先発見。荷物から解放されると、横になったりごろごろしたりしていたんだがいっちょ映画でも見に行くかーと重い腰を上げて出発。

暑さの中足を引きずりながら桜坂に向かって歩いていたら、うちなーの青年がモゾモゾしながら「あ、あの、ちょっといいですか?」と声をかけてきた。いつもならそのまま通り過ぎるところだが、沖縄に来て気がでかくなっているのでその場でだらだらと話をすることに。うちなーんちゅじゃなかったら話してなかったであろう。うちなーんちゅはオドオドしているのがおもしろい(みやらさん曰く「気が小さいから」)。
話しているうちに「僕・・・バイクなんで首里城に・・・でも行きま・・・せんっか?」とこれまたオドオドと言われた。なぜずっとオドオドなのに声かけたりしてんだ、すげーな。私だったら自信なかったら声かけたりとかできんけどな!
「何言ってンだバカ」と蹴散らすのもアリだったのだけど、そういや私って首里城行ったことないんだよなーと思い、しかももうこれ以上歩くのもしんどかったので、これは渡りに舟。連れてってもらいました。
が、ここで問題。

俺、バイクに乗ったことがないのだよ。

バイクとは無縁の人生を送ってきたもので。
バイクの後ろの席なんてハナっから問題外。
「特攻の拓」は好きだったんだけどなー紡木たくみたいな少女漫画的恋愛したことないしなー

そんなわけで「バイクの後ってどうやって乗るの?」などというとんちんかんな質問をして、普通にまたがればいいとのことなんでよっこいせと乗ったとこで出発。
乗った瞬間から風が一気に吹いてきて気持ちいい。
バイクって案外いいものなのですね。知らなかった。
特に渋滞に次ぐ渋滞の那覇市内はバイクがぴったりだ。坂道も多いからな。
そりゃチャリンコの人を見かけない土地なわけだよ。
すっかり「ひゃー」だの「おおー」だの感嘆してしまった。バイクイイ!俺も乗りたい!(すぐ感化される)
バイクで坂道を登っていくと自然に眼下に那覇の町が広がっていく。こいつは気分がいいな。沖縄って高低差が大きいのだね。

感心をしているうちに首里城到着。
しかし、バイクは首里城前では止まらず、スルーしていきやがった。
なんだそりゃ。
「横にもっと見晴らしいいとこあるさ」というわけで小高い丘のようなところをわっせわっせと登ったら
なんという絶景!
高い建物がないから空が大きくて素晴らしい。大きな空の下に町が密集してて、その向こう側に海が広がっていると言う、島ならではの光景がそこにはあったのだった。
町を見下ろしていて気づいたけれど、沖縄の墓は大きいよなー人が住んでいるところのすぐそばになんのためらいもなくあるよなー。あまりにも堂々とした佇まいなので内地で見る墓地のようなうすら寂しい、というか肝が冷える場所と言う感じが全然しない。
ふわーっと見ていた後は談話をしていたのだけど、
「ナンパってどれくらいの成功率なのか?」
「ナンパのコツってどんなもんなのか?」
「なんでわざわざ地元から2,30分もかけて那覇まで来てナンパをしに行くのか?」
などの質問を繰り返し(オドオドしてるのでどんなもんなのか余計知りたくなる)、
挙句の果てにはフェチ話に発展し
「私が今まで聞いた中で一番理解しがたかったフェチ箇所は『鼻の穴』」
と言ったら完全にひいちゃってました。
すまなかったな。まあ、私はおもしろかったからいーや。

すぐ近くに瑞泉酒造があったので見学をしたかったが、うちなー青年は酒がまったく呑めないというので行かず。なんだよー。てか、うちなーんちゅは皆酒豪なんだと思っておりました。そうでもないのか。


その後那覇市街に戻って、当初の予定通り映画を見に行こうと思ったんだがちょうどどの映画も見られない時間になっていた。
しかし落胆することなかれ。
映画館の上にレコ屋ハケーン。タワレコしか行った事なかったからこいつはありがたかった!さっそく入って物色。アナログがいっぱいあるのだけれど、アナログはなー持って帰ることが出来ないからなー。
どうしようか・・・と悩んでいた時に、ふと見ると倉地久美夫の「うわさのバッファロー」を発見。おーこれこれ。一気にアナログ買わなくていーやという気持ちになったのでレジに持っていったら、店長さんが「あれ?こんなのあったの?」と呟きながら棚に戻っていく。
何がなんだかわからぬまま店長の帰りを待つと、
「これ、最近リマスター盤が出たんですよ。旧盤もウチに置いてあったんだ、知らなかった」
といってリマスターされたほうの「うわさのバッファロー」を持ってきてくださった。へええ、リマスターされてたのか、知らなんだ。
再発盤は2500円で、旧盤のほうは2800円。「こっちのほうが300円くらい安いですけど」と再発盤をすすめてもらったが、選んだのは旧盤のほうでした。
だってそれは廃盤になってしまうのだからな。
「倉地久美夫、いいですよねぇ」「私ライブ見たことがあるんですよ」なんて会話を交わすことができるのも、こういうレコ屋の特典だなあ。
スタンプカードを作っていただいた。また来よう。


そんなこんなのうちに時はだらだらと過ぎ去り、気がつけば夜。
夜になれば飲みに行くのはこの町の暗黙の了解か。というわけで本日も飲みに出かけて、またもや前回飲んだ方々に再会できて光栄でございました。
しかし水曜なのに観覧車は満席ときたよ。すばらしいね。県警の人が横で飲んでたので補導歴アリなわたくしはヒヤヒヤしましたよ。おもしろかったけど。
そいで久々に那覇の酒屋の社長さんにも会ったのでまたもやおもしろい店に連れて行ってもらった。
今回一番ビックリだったのは、社長さんに「男だけじゃ入れないという店があって、気になってたんだけど入れなかった。ので、行こう」と言われて連れられて行ったところが

ホストクラブ

でした。
沖縄にもホストクラブがあったのかよ!
私も社長さんもポカーン。何がなんだかようわからん。
まず、沖縄なのにスタッフが全員関西人。ここは一体どこなんだ。ミナミか?キタか?
わずかに一名、顔を見れば一発でわかるうちなー男子がいたけれど。
そして関西人な彼らの源氏名がこれまた「信長」や「秀吉」ばかりときた。
ノブナガにヒデヨシって、なんだか名古屋の放送局みたいな源氏名だなあオイとその場に居た誰にも理解不能なツッコミを思わずしてしまった。
しかも信長って人は「僕、信長のモノマネできるんです」と言って、誰も見たことのない想像上の信長のモノマネをしていた。
よく覚えてないが「わしゃー天下の信長よ、ホッホッホ」みたいな感じ。
・・・・・
ああ、こういうのがホストクラブ芸なのか。
間髪入れずに「まあ、誰も実際の織田信長に会った事ないから似てるかわからないね!」
とあしらってしまった。ホストクラブの常連であれば「似てる〜っ!じゃあドンペリ入れちゃう〜っ!そのかわり同伴!同伴!」というノリのよさを発揮するんだろうけど。

もうずいぶん飲んでいたし話し疲れたし時間も4時を回っていたしという具合だったのでそろそろ店を出ようかと思ったところ、そんな時間なのにホステスらしき女性が入店してきたのにはたまげた。すぐにソファーで女性を囲むようにヒデヨシやノブナガが座っていたけれど。三英傑を従えるホステスの夜はこれからなんだろう。たぶんすぐに日が昇るけど。

店を出て社長に「私、そういやホストクラブ初めてきたよ」と告げたら
「僕もさー。ホストクラブだとは思わなかった」
と言っていた。
お互いぐったりしてた。真っ白な灰のように燃え尽きていた。
ホストクラブは疲れる。あれに癒されるって、相当タフな女性でない限りムリだろう。
と、なると沖縄の女性はタフだから、もしかしたらホストクラブは需要があるのかもしれない。
後日みやらさんに話したら「いいとこに目をつけた商売だ!沖縄の女性はホストクラブ必要!気が小さい沖縄男より関西の男のほうがいいだろうしね!」と言っていた。

関西商人は目の付け所が鋭いんだなと思った。



全然観光は皆無なまま沖縄滞在記はつづく
2005年09月21日(水)

なんだったんだ?オギナワ6days 1日目

先日、ハイドパークフェスティバルで細野さんを拝みました。っていうのは先日書いた通りなわけなのです。

その日は運悪く、大雨どころではなくて、集中豪雨。シャワーなのかと思いましたよ。。バッドドリームシャワー。カッパを上下かぶってひたすら耐える。耐える。耐える。靴なんか履いてたらすぐに靴下までぐじゃぐじゃになって、これは靴を履いている意味なんて皆無だな!
なんなら脱いでしまえばいい。裸足で水溜りや濁流になってる排水溝に流れる雨水の中に入っていった。水溜りはちょっとした池と化しており、リュックや敷布などの荷物がプカプカ浮いている。
岸辺のアルバムのようだ。
が、そんなのを救出する余裕などない。雨に打たれながらじっと座るのみ。ああ、遠くでムーンライダースやってるなぁ・・・雨の音でなんも聞こえないけど。鈴木慶一の白髪頭が見えるだけだけど。
このままだと滝に打たれた修行僧のようだよ、悟りを開いてしまうよ。
細野さんどころじゃないよ。
にしても寒い・・・


と言う具合だったのですが、細野さんのライブ時には雨がやんだのでした。
細野マジック!オーケストラ!


「ろっか・ばい・まい・べいびぃ」は朦朧とした中、ゆったりと始まったのでなんだか夢の中で聴いているような心地だった。ここはいつなのか、何処なのか。さっきまで雨が降っていたのは現実なのか。いや、雨が上がったというのが妄想なのか。目の前にいるのは本物なのか。聴いてる私が偽者なのか。
そういう境界線が全部ぼんやりするようなよくわからない感覚。
二曲目の「僕はちょっと」もそんな感覚のまま耳にじんわりと入ってきた。
ひなたぼっこでもしていきませんか、という語りかけに体が痺れて
散歩がてらにあるきませんか、という語りかけに脳が痺れて
ここらへんに住みつきませんか、という語りかけの時には目頭が痺れて
涙が出てた。
雨はもう止んでるんだった。すべて現実なんだ。
なんかもう、いてもたってもいられない気持ちに駆られる。じっと立ってるのすらもどかしい。でも歌を聴きたくて聴きたくて、この場から動けそうにもない。
それは多分、30年前の細野さんがうらやましくてしょうがなかったからだ。
「夏なんです」「恋は桃色」に詰まった30年前の日々。
30年前の細野さんはあんまり私と年が変わらなかったはずのにな、なんなんだ私の何もしていないぶりは。
ここがどこだかどうでもいいことさ、と思える場所すらないじゃないか。
ああ、悔しい。心底悔しい。
そして小坂忠を呼んで「ありがとう」を歌う今の細野さんもうらやましくて、素敵で、ちくしょーめ、くやしいなーと思わされた。
なんかしなくっちゃ。こうしてる場合じゃないな。
帰り道、「ああ、こんなところにいる場合じゃない!」というのを何度繰り返したことか。同行した友人が手を余してた。
再び大雨に見舞われて電車止まってその場に居ざるをえなかったが。



というわけで
9月13日の午後8時、近所で開催のイアン・マッケイLIVEを見に行かずにANA便最終で沖縄に行きました。



前日に準備をしておけばよかったのだが、前日は接待(苦痛以外の何物でもない)だったので何も出来ず。定時で退社して走って家に帰り、一気に準備して家を飛び出す。
沖縄行きの最終便は、サラリーマンで埋め尽くされていた。隣の席のサラリーマンのイビキが煩くて頭をガーンっと殴ってやりたい衝動に何度も駆られる。ヘッドホンをすることで事なきを得たが、一難さってまた一難。

このオッサン・・・
足臭いよ!
死ぬほど臭いよ!

以前、ブリトニー・スピアーズが足が臭くて飛行機内で嫌がられたというニュースがあったけども(ここ参照→http://abcdane.net/blog/archives/200412/brit_kusafeet.html)
私も訴えたらスチュワーデスがどうにかしてくれたんでしょうか。それくらい臭かった。有毒だった。
気分転換に読もうと思った本が、本来読むはずだった本じゃなかった(慌てて荷物を詰めたので、本カバーの下まで確認しなかった)ことだけでもがっかりだったのに!くそ。しょうがないのでふて寝。



寝ている間に飛行機は那覇についていた。着陸寸前に気がついたので、夜の空港のキレイさだけは堪能できたのだった。
まっすぐな道に等間隔で光るライト。ライトの間に浮き上がった道に飛行機がズサーっと降りていく。
2000マイル飛び越えてまたまた来てしまいました。

南国の空気がもあーんと・・・なんて浸っている時間はなく、駆け足で空港の外まで出てすぐタクシー乗り場へ。
なぜならば!9月13日火曜日は!
ここ2ヶ月の私の支えであり、最後まで「夏休みは沖縄行くか、それとも・・・」
と私を迷わせた愛媛県は松山が舞台のドラマ「がんばっていきまっしょい」の最終回放映日だったのである。
がんばっていきまっしょいは夜10時から放送。
私が那覇空港に到着したのは夜10時40分。
こーれーはイカン。一刻を争う状況ではないか。荷物をほぼ担いだ状態で駆け込んだ近距離タクシー乗り場は・・・
行列ができてやがる!
サラリーマンども、どきやがれい!
と蹴散らしたくてたまらなかったが、トイレをガマンしている人のようにそわそわしながら待つ。いらいら。せっかちですから。
が、思ったより待たずに乗車。一路ホテルに向かいます。
鍵がなかなか開けられなくて、髪の毛をむしりたくなるほどイライラしたが、なんとか入室できたのでこれまた駆け込み、荷物も置かずにテレビをつける。
しかし、ここに大きなワナが潜んでいるとは、思いも寄らなかった。



しまったー!
沖縄のテレビチャンネルがどうなってんのかわかってねー!



前回、前々回の沖縄滞在時はほぼテレビを見ていなかったのだった。
しかもホテルのカウンターでもらえるはずのテレビ欄一覧表も貰ってこなかったし。とりあえずガチャガチャとチャンネルを変え続ける。けど6チャンネルがアーミー向けチャンネル(全部英語)であること以外全然把握できねー!
ガチャガチャ変えている間に3つくらいの局が民放であることはわかってきたのだけれど、一体どれがフジテレビ系なのかわかんねー!

ここでふと気づいたのだけど、
地方局が東京と同じ時間帯に放映するとは限らないわけで、実際にどんなにチャンネルを変えてもボートを漕いでいる少女たちの姿は映っていない。
あ、これは、別の日に放映なのだな、と思ったら一気に気楽となる。
さっきまでの焦りっぷりから一転、風呂入って汗流して(無駄に動き回ったので汗だくだった)、余裕しゃくしゃくな感じで「観覧車」に行きました。


今回は「沖縄行くよ」と告げずに訪ねたので、それはもう驚かれたなんてもんじゃない。そらそうだ。ふらっと来るような距離ではないからな。
それでもママさんだけではなく前回も飲んだ女の子、まきちゃんがいたりするからこの店はいい。逆を言うといつ行っても見知った顔があるからふらっと来ることができるのだった。
ああ、沖縄なのにゴールデン街あたりっぽい気軽さ。
所要時間3時間弱の行きつけの店。
で、今回は滞在が長いもんで、こりゃーボトルを入れるしかないと早速ボトル入れました。
瑞泉のイエロー。こんなの出てたんだ知らないうちに。
なんだかラベルがおしゃれだなあと思って飲んでみたら、普通の瑞泉を遥かに凌ぐまろやかぶり。これは女性受けよさそう。カクテル飲むより数千倍いいよ。
なぜならおしゃれだから。
「おしゃれな島酒」
って書くと、矛盾を含んだ言葉のようですが。

そんなおしゃれな島酒を飲み始めると、前回来たのが6月で今回は9月だから、3ヶ月のブランクがあるのだけれど、なんだか時間は関係なかったかのように普通にさらさらりと話が進んでいく。今回初めてお会いする人も交えてぽんぽんと話が弾んでいく。
こういうのがいいんだよね。だから来てしまうんだよね。
その初めてお会いした人が強烈なキャラクターで、なぜか周恩来は神!という話を繰り広げていた。正直、周恩来のことはよくわかってなかったのだけど彼の周恩来に対する敬意だけは、伝わったような、伝わらなかったような。まあ、酔っ払ってましたから。

その日は2時くらいまで飲んだんだったか、そこでお開き。
帰り際に流れていたバービーボーイズがやたら印象的。
ホテルに帰ってもうこのまま寝てしまおうと思ってテレビをつけたら、





「みんな〜!がんばってーいきまーっしょいー」と叫ぶエツ姉、いや、鈴木杏が!






なんで夜中にドラマの最終回を流すのよ!沖縄テレビ






一気に酔いがさめた。
うなだれて、ああ、違うとこ飲み直しに行ってしまおうかという自暴自棄な考えも頭を掠めたが、うなだれているうちに就寝。
これが夢だったらよいのに。バッドドリーム。


それでも沖縄滞在は続く。


追記
沖縄テレビはフジテレビ系のチャンネルなのに日本テレビの番組とかも流してるんだな。知らなかったス。
2005年09月20日(火)

夏の北国行きで・・・ ワンモアタイム

↑この「ワンモアタイム」は山崎まさよし(なで肩)ではなく、マシュー・スイート風でお願いします。100%ファン。

すっかり仙台→一ノ関→水沢の旅は終わったかのような記述をしておりますが、
実はまだひっそり続いておりました。
というか今も東北にいるんだぜ。










嘘です。東京におります。
それはともかくとして、日曜日

寝たのが午前5時過ぎだから起きたのは昼前でした。
そのまま帰ってもいーやとも思ったけれど、北上まで出て電車運行情報を見ていたらふたつの選択肢が。

1.花巻から釜石へのローカル線旅
2.北上から横手へのローカル線旅

私は新幹線ハイテンションの女(月に一度は新幹線に乗らないと、月経並みにホルモンバランスがおかしくなる/もっとも、2ヶ月3ヶ月平気で生理がこなくなる生理不順だけどな、ガハハ)なのですが、ローカル線も愛してやみません。
むしろローカル線に乗ったほうがテンションが上がるかもしれん。
峠を越える時に鳴り響く汽笛の音に奇声上げたりしたくなる。実際上げたらとんだ迷惑ですが。トンネルという暗闇を抜けて眩しい光が視界いっぱいになる時の解放感に心ときめく。ローカル線が俺のフロア、朝まで踊っていたいぜ、てな具合だ。(ってそれじゃ夜行列車だけど)
釜石線つーと、小学校の時に歌わされた「ぴかぴかぴかぴか田んぼの雪が光ってくる〜」という「岩手軽便鉄道の一月」を思い出すのです。その岩手軽便鉄道てのが釜石線の前身だそうで。イーハトーブ。私は宮沢賢治の熱心な読者ではないので、それくらいしか覚えていないのだけど。あと宮沢賢治関連で知ってることっていったら
「花巻が産んだ二大有名人は宮沢賢治とオレ」
という伊藤政則の発言くらいか。
「世界の三大偉人〜ガンジー、キング牧師、池○○作」並みに恐れ多くもな発言だ。
釜石行って漁港を見るも一興と思ったのだが、かつて盛岡から宮古に山田線で行った事が頭を掠める。岩手って広いんだよな。海はせめてあと一泊ないとキツイわと思って断念。
つうわけで北上線に乗ることにしました。時間がちょうどよかったから。
あと行ってみたかったんだ「ほっとゆだ」。東北一週間の〆はやっぱり温泉でなくては。


北上線は二両編成の非電化鉄道。非電化路線だから無論ディーゼルカーなんですが、ディーゼルカー乗るのは初めてかも。って山田線もディーゼルカーだったわ。舌の根も乾かぬうちに。
町は田園地帯に、田園地帯は山々に、というように緩やかに変わっていく車窓の光景。もう木々は緑から赤、黄色、茶色へと変色しだしている。すっかり秋だなあ。
などと優美に風景鑑賞などは実はしていなくて、これまた一番前に座ることが出来たので、前から車窓を眺めていた。そしたら女子高生が途中で乗ってきて一番前に立ってガリガリ君を食べてくっちゃべっていた。日曜の午後なのに制服でご苦労さんです、と告げたいところだが頼むからもうちょっと私の視界を広げておくれ。女子高生のフレームの中の線路をぽけーっと眺めることになってしまうではないか。
実際そんな感じでしばらく電車に揺られる。ものすごい鷲っ鼻の人がいたよ。あんな立派な鷲鼻見たことがない。すげえ。森の住人かと思った。

山や谷を越えてぐんぐん越えて、北上線のメインポイント・錦秋湖へ。
風景あまり見ていなかったといったが、それでも素晴らしい眺めの箇所がひとつだけあるのです。それが錦秋湖だ。
なんで湖の上を渡る列車っていいのかね。浜名湖しかり。



まあ、電車の外から見たほうが絶景なんだろうけども、車窓から見てもなかなかよいのです。そしてSLだと更に素晴らしかろう。デコイチ乗りたいなー
磐越西線や北上線乗る機会があるのに、なんでSLの日にはぶつからないんだろうか。俺なんかリアル星野鉄郎なのに。

錦秋湖を越えて、ほっとゆだに辿り着いたので下車。
なんだかんだで前日の酒にやられているので、駅前でぽけーっとする。
ぽけーっとしているうちに本来の目的を忘れて、駅直結の温泉に入る。
風呂の上に鉄道信号機があるのな!
あとどれくらいで列車がきますよーという目安らしい。もっとも、2時間に一本なので次に来る列車の時間はちゃんと覚えているのだけれど。
満足満足。
いや、本当は満足じゃねーな。
本当は砂風呂に入りたかったんだった。それを思い出したのは休憩所で横になっている時だった。だめじゃん。
風呂ハシゴしようかと思ったが、すぐに睡魔が襲ってきたので寝る。

そして元来た道を戻って北上着。
新幹線への乗り継ぎ時間が10分弱だったので、走ってホームに辿り着いたのだけどはやての通過待ちをしていたので焦ることはなかったらしい。なんだよー
まあ、走って乗り換えているわりには途中弁当買ってるのですけどね。
ロマン銀河鉄道SL弁当という駅弁。SL乗れなかったのだから、まあ、これでガマン。いくらやあわびやしいたけやほたてが無造作に散りばめられていて、どこが銀河鉄道なのかサッパリわからない。むしろ見た目悪。銀河の混沌を表現したかったのだったらあいすいませんだけど。


奥羽山脈一帯にかかる夕日が真っ赤で、それがまた北上駅からよく見えて、ああ、これから東京戻るんだなーと思うとやりきれない気持ち。
といっておきながら駅弁食べたら次に気がついたのは上野だったのだけど。
ワープしているような気分に駆られるね、毎度の事ながら。
仙台も岩手も最高だ!
みんな、最高だ!
と、駒大苫小牧林キャプテンのように叫んでしまいたい。
とくに岩手は、ホントにサブカルに強い土地だなあ!と思った次第。
私の知ってる岩手出身の人が皆サブカル寄りなだけかもしれませんが。


翌日はもぬけの殻でした。
浦島太郎みたいな気持ちになるのな、毎度のことだけど。
アイ・ドント・ライク・東京マンデイ




話はだいぶ変わるのです。
私が、ここ数年真剣に探していた増井修の行方が判明いたしました。
http://blog.goo.ne.jp/osamunext
ググったらすぐ出てくるんじゃン!なんでググらなかったんだ!
本屋に立ち読みしにいったけど、見つかりませんでした。
もう言うことはない。

あと大瀧詠一対談キター!
http://www.jasrac.or.jp/sakka/index.html


「今後の活動は−特にありませんね(笑)」
「だから、私はもう既にいないものと思っていただきたい」





まあ、もう働く必要ないんだろうな。


そしてJマスシス、ソロアルバムがイギリス盤で10月3日発売てのは嬉しい限り。
つーか公式サイトではもう買えるのか。チェック怠ってた。
チェック怠っていた、といえば
イアン・マッケイ!
なんで今日(9/13)にこんなとこでライブするんだよ!

9/13 (火) 東京:東墨田八広ハウス
◎ 開場 18:00 / 開演 19:00 / 前売:\1,000
共演:Z / ※要メール予約(grok21@hotmail.com)

しかも1000円て!
もっと早く教えてくれたまえ!キミィ!
今日は行けないんだよ・・・orz
2005年09月12日(月)

字読みづらい!けどメッセージフォームです


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