股・戯れ言


BBS

京都外大西のデビッド・シルヴィアン

毎年恒例高校野球の季節がやってまいりました。
まあ、今年も甲子園には行けないのですがね。一体いくつになったら甲子園に行くことができるんだ私は。(すでに高校時代は遠い日々)
連日連夜試合と熱闘甲子園を見て喉を詰まらしたり涙腺を緩めたりしております。
今年もいい試合満載でございますことよ。かけがえのない若さがほとばしる瞬間。自分にはもともとなかっただろうし、あったとしてもこんな夏を送ることはなかっただろうから羨ましいんであろう。
「クサい、むず痒いわ」「安っぽいことに熱くなりやがって」などと批判する奴は勝手にしろ。クソぶっかけるぞ(長州)
わたくしはかなり、直情型人間(主にイヤだという感情が顔や態度や言動に表れがち)なので、なにかとクールとかアウトロー気取っている人間が気に食わないんだよな。本物のアウトローなら構わないのだけど、「おまえ、それ単なる強がりなんじゃねーの?」「てめえの思う『カッコイイ』を実現したいだけなんじゃねえの?追いついてねえけど」という人は見苦しい、のみならずうっとーしーな。
そういう奴に限ってもったいぶりながらも知らぬ間に「ライフスタイル」「ポリシー」「アティチュード」(同じ意味のような気がする)なんかを語り出しちゃうからね。タチが悪い。オンリーワンな私語りですか。くそば(以下自粛)
UNCHIKUやHERIKUTSU並べてせいぜいのたれ死んでください。アルファベットで緩和してみました。
話がそれた。育ちの悪さ露出で申し訳ない。
最近はどうも心がすさんでいてたまりません。やはり人間は体とか頭ん中のもやもやを吐き出さないとダメですよ。私の場合旅方面は絶賛お休み中(8月後半に出張あるけど)なので、あとは「泣き」で発散するしかないのです。
そんなところに高校野球。
そして毎週のお楽しみ、「がんばっていきまっしょい」
この2本柱でおんおん泣いてます。「がんばっていきまっしょい」のほうは文庫本も出たので嬉しい限りだ。ドラマも映画もいいけれど、「がんばっていきまっしょい」は小説が一番いいんだよなー主人公の悦子が何がしたいんだかわからないんだけど、何かをしたくてたまらない/したくないことだけはわかってるけど、したいことはできやしない、という挫折や葛藤を抱えているあたりがいい。サクセスストーリーや元気いっぱい物語なんて心には響かねえや。高校受かってすぐやったことが「漫画を一日中読んだ」というような箇所のリアリティもよい。私もアンドレが死ぬシーンは激泣きですから。
若いうちの挫折・葛藤・振り返ってみるととるにたらない悩み、今になったら笑い話になるような甘酸っぱい感情などが伊予弁(響きがいい)と海、そいからじゃこ天がのったうどんなんかに囲まれていて、本当にいい物語です。
つまり、今、何を考えているのかというと
まあ、賢明な方にはもうおわかりであろうが
「松山に行きたい」
ということである。
結局旅だった。どうしても行きたい松山。じゃこ天食いたい。

松山に並んで今、もっとも行ってみたいのが長崎なのです。
先日、ふぁる姐に連れられて歌舞伎町で飲んだのですが、その際に声が太い私にふぁる姐が「この曲伝授するから、覚えなさい」と渡されたのが内山田洋とクールファイブの「さようならの彼方へ」でした。
愛に 愛に傷ついた二人が同じ場所に住んじゃいけないーって
別れたからって別に異国に旅立つ必要はないと思うんだが。どちらかが外国人なんだろうか。
一晩のうちにふぁる姐Ver.とメンバーズクラブのマスターVer.でこの曲を聴いたので、さっそくクールファイブのベスト盤を買ってみました。
いやあ、いい曲多いなあ!全然知らなかった。
フジロック前でもクールファイブばかり連日リピートで「神戸〜泣いてどうなるのか〜」などと口づさみっぱなし。
なーがーさーきーいーきーてーぇー
あああ、でもここは東京。中の島は遠いよ。
フジロックに行ったときも長崎出身の「松千」という男女デュオのステージを見たのだけどこの女の子ボーカルがパワフルで躍動感と表情に富んでいてよかったのです。佐世保の海を歌った曲がよかった。
高校野球でも清峰高校は瑞々しかった。名電を破るという快挙。
双子の大石ブラザーズはきっと人気が高くなることだろう。
そんな具合に長崎への愛はつのるばかり。
しかし、羽田−長崎間って航空券が日本一高いらしいんだよな。前途多難。

と、思ってたら!
スカイネットアジア航空が就航してら!
パックだとひとり20300円だった。ギャー!行けるぜー!

というわけで、長崎行きを真剣に検討したいと思います。

話は大分戻って甲子園。
今年は先述の清峰だけでなく、国士舘にもツインズがいるのですよ。
その名も「高橋兄弟」
高橋厚史君・智史君という兄弟なのでその括りは間違ってはいないんだが。
熱闘甲子園のディレクターはバブル期に就職した世代とみた。
高橋兄弟のほうは今なにやってるんでしょうか。ちょろっと調べたら室井滋主演の「のど自慢」にチラリと出演しているらしいのだが。
高橋兄弟といえばいいともの「いい男さんいらっしゃい」ですが、これを録画したものはふぁる姐宅にて見せて貰いました。さすが、と思った。
甲子園関連の名前でこれまた思わず注目してしまったのは京都外大西のスーパー一年生投手、
「本田拓人」君ですよ。

若葉学園のデビッド・シルヴィアン!
スケコマシ!
奥義!ちばてつや眼!
池上遼一眼!

といろんなことが頭を駆け巡りましたが、本田恭章似ではなくクリクリ坊主の高校球児でした。
当然だ。
それどころか子連れ狼の大五郎似と言われているらしいし。


BOYは今・・・今は高校球児なんだよな。お耽美は遠くになりけり。
でも「京都外大西のデビッド・シルヴィアン」と呼ばれていて欲しいものである。そんなファンタジーを抱いてもいいじゃないか。
1989年生まれらしいけど。
平成生まれ!・・・

そういえばこないだ表参道のライブハウスの前を通り過ぎたら本田恭章のライブやってたな。うちのイトコ(本田恭章ファンクラブに入っていた)に教えたら喜びそうだ。中川勝彦の娘、しょこたんが人気だったりでいろいろ感慨深いものです。
(今日の日記は甲子園の前に本田拓人を思い出させてくれた由織さんに捧ぐ)
2005年08月11日(木)

この雨にやられて、携帯いかれちまった フジロック



今年もフジロックに行ってきました。
おととし並みの大雨!
その雨にやられて、携帯いかれちまったんだよホント。
帰ってきて即ボダフォンショップに行ったら修理不可能で、新しいものに買い替えとなった。
11000円もしやがったぜ。くっそー。高くつきやがった。
大雨だったのになぜか日焼けしまくりなのですがね。
土方かというほど腕が赤い。ヒリヒリしてら。
それでも楽しかったなあ。今年もフジロックに行けたことに感謝。
スカクバーノやアンプフィドラー、セネガル太鼓軍団など黒いノリで浮かれまくったフジロックだった。1日目見られなくても十分だ。
ギャング・オブ・フォー〜ダイナソーの流れは雨なんてモノともせずに踊った踊った。
Jが神がかりすぎて(特に外見。仙人か)、ルーやマーフにはあまり目がいかなくて申し訳なかった。でもフリークシーンなんか泣けてしまってたまらんかったよ。
ニューオーダー〜プライマルの流れは踊り殺す気か!と思ったくらい踊った踊った。
トルゥーフェイスとかビザールラブトライアングル、テンプテーションは踊りながら歌ったら息切れてたまんなかった。
途中でサンダル脱いで裸足で跳ね回ったぜ。(足の裏石刺さって痛かったが)
プライマルは!アンコールで出てきたJに大興奮。
死んでもイイ!というくらい心持ちでした。
家帰ってきてからニューオーダーばかり聴こうと思ってたけどいざ振り返ってみるとギャング・オブ・フォーが素晴らしかったのでギャング・オブ・フォーばかり聴いてしまいました。
エンターテイメント!はもちろんのこと、ソリッドゴールドも。
ああー思い返すとほんとにすんばらしかった。
ダメージド・グッズの♪アーアーアーアーを合いの手で歌えたのがよかった。
ワイヤーのコリン・ニューマンばりにジョン・キングも跳ねっぱなし。

上の写真は、今年の裏・フジロック大賞(去年の受賞者は無論りえ坊)
オーガニック村(だっけ?)で見つけて買ってしまった
オーガニックコットン人形、その名も
「にぎジィ」
赤ちゃん用の人形らしいのだが、赤ちゃんは愛でるのかコレ。
ヒゲ生えてるぞ。怖がりやしないか。
まあ、私にとっては究極の癒し系ぬいぐるみキター!!!!なんですがね。
値段も1200円がいきなり600円に下がっていたし。
というわけで購入して愛でたわけですよ。
名前は「フッキー」と名づけようとしたら一部から苦情が寄せられたので
「ピーター・フック」
と名づけました。なんてジャストなネーミング!
かわいいなあ、フッキー(愛称)。
本物のフッキーもチャーミングだったけど。
とりあえずフジロックいい男ランキング
1位     フッキー
2位     スカ・クバーノの人
3位     アンディ・ギル
3位(タイ) アンプ・フィドラー
5位     マニ(マンチェスターのほう)

Jやルーはそういう対象には入れられないのですよ、畏れ多すぎて。
ソウライブとか見てたらこのランキングも大幅に変動していたことだろう。
あとファットボーイをちゃんと見られなかったから、ノーマン・クックは除いておいた。ノーマン・クックはいい男だよなー
でも、今年はなんつってもフッキーポワーン。
ライブの最後にシャツを脱いだときなんかドッピュン昇天。腹が出てていい具合だったということよ。思わず「萌えー」と叫んでしまった。去年のようにルー・リードに向かって「やらせろー」とか叫ばなかったけども。
大人になったな、ワシ。
家帰ったら、今日こそリヴェンジとモナコを聴くぞ。といってジ・アザートゥー聴いてしまいそう。ギリアンってなんでいなくなったんだ?


詳しいフジ記録はのちほどちゃんと書くのです。
2005年08月02日(火)

クールビザンチン帝国の罠

毎年7月後半というのは私にとって「お金がどんどん出ていく時期」である。
というのも、フジロックに加えて母の誕生日というものがあるから。普段は親に「ババア」などと呼びかけている私ですが(単に口が悪いのでございますのよ)ちゃんとそういうものは贈っているのです。罪滅ぼしか。
今年も贈り物を購入したら結構な出費であった。
でも世間一般の一般女による「母へのプレゼント」は
「温泉に連れて行く」
などというもんが圧倒的に多いだろうから、そう考えると大したことないんだろうな。私も今年は台湾にでも連れてこうかと言っていたんだけどその計画は頓挫したのでした。
母と二人連れで4,5日間旅先はしんどいしなー。うちは友達親子じゃないし。
いや、誰と行こうが私の場合しんどくなるんだけど。
もっとも一番の理由は「もうちょっと自分であっちゃこっちゃ行きたいから」なんだけど。自己中心派で申し訳ない。誰に謝ってるのかしらんが。

今年の7月後半お金ジャンジャン流出時期はフジロック、ハハ誕だけでなく手痛い出費があったのだった。
それは、「服装文化大革命」すなわち強制的に会社に行く格好を変えなければならんかったのだ。あるバカが破れたジーンズ腰穿きで作業に行ったせいでジーンズ着用禁止となったのは4月のことだったが、それが波紋を呼びついに
・Tシャツ禁止
・必ず襟付きシャツ着用
となったのだ。
Tシャツ禁止はきついな。私の持っている服なんてほぼTシャツだから。
あと私は襟付シャツがどうにも苦手なんである。似合わないこと山の如し。スーツ着用時だっていつもカットソーだ。スーツに襟付シャツだと「就職活動」というイメージが強すぎて着れないのだ。
まあ、実際には庶務の女子などには襟付シャツ強制着用の令は布かれていないので、そんな庶務女子に混じってカットソーやキャミソールを着て難を逃れているのだけども。こういう時だけ女子社員というのは便利だ。
そんなわけでキャミソールや黒パンツ(ジーンズ駄目だから)やパンプスを追加購入したら結構な出費だった。アイタタタ。スーツにも通用するものばかり。もう「かまやつ女」な格好はしないという所信表明でもある。
「かまやつ女」というのは
「昔の中年男性のよな帽子をかぶり、髪形はもっさり、服はルーズフィットでスパッツの上からなぜかスカートを履く女らしさを極端に排除し、自分らしさを追求してはいるが画一的な上昇指向ゼロの原宿や下北にいる娘たち」
のことで、1983年以降生まれの世代のことをさすので、70年代生まれのわたくしなどは端にも棒にも引っかからないはずなんだが私の格好はキューティー、ジッパーの流れを汲んでいるのでかまやつ女8歳馬くらいのところにはいるんではないかと思われる。古馬中の古馬だが。
そういう、「いい年をこいてもかまやつ女気取り」な自分に恐れをなしたのだった。もう着ねぇよ。私が悪かった。
かまやつ女についてはまた違う日に書きますわ。

話は戻るが会社内服装文化大革命、男性は今年はクールビズもすでにまかり通っているので、スーツにノーネクタイ姿でなんとかなるだろう。
と、思っていたがそうでもないらしい。
「やっぱスーツ着るのいやだからね。窮屈だし」
などと嘯きながら彼らが着るのは・・・
ああ、この名前を書くことすらいやだ・・・
私がほんとにほんとに心から嫌いな


ポ ロ シ ャ ツ


「自分が着るわけじゃないんだからそこまで嫌うことないだろうよ」と突っ込まれそうだが、嫌いなのよ!大嫌いなのよ!
ボタンが嫌いなんじゃなくて、あの「鹿の子地」という布が好きではないのです。
中途半端に前が開いているのもいやだ。シャツくらい下まで全開じゃないと気持ちが悪いんだ。
ポロシャツ着ている人を見てもがっかりするんだよな。なんだろこの嫌悪感は。私の前世はポロやってる貴族に重税をかけられて心中でもした農民だったのかもしれん。
なんて暢気なこと言っている場合ではなく、「スーツはいやだけどカジュアルな格好がしたい!」という人が皆こぞってポロシャツを着ているのだ。
だから社内はポロシャツ者に溢れ返っておるのです。
エンドレスポロシャツ地獄!
ある男性などは「こないだポロシャツ4枚まとめ買いしちゃったよ」と言っていた。そんなにポロシャツ市場(どこにあるのか知りたくも無いが)を潤してどうなるというのだバッキャロー。
Tシャツ禁止にするくらいならポロシャツ禁止にしてくれよー。
でもポロシャツは図々しくも「クールビズ」にも認定されているらしく、社内どころか電車に乗っていてもポロシャツで出勤しているであろう男性をガンガン見かけると言うのが現状だ。
こんなのポロシャツファシズムだよ。死ね!全員死ね!


まあ、ポロシャツ以上に問題なのは「襟付Tシャツ」なのですけどね。
もうこっちに関しては話題にすることすらおこがましいと思っていたのだが、勢いに乗じて糾弾させていただきたい。
襟付Tシャツはポロシャツ以上に中途半端で、絶対的にダサいので着る人間はもう絶滅したものだと思っていたのだが、こんな服装文化大革命ですからやっぱり着用する者が現れた。
バカか。
あらかじめ言っておくが、襟付Tシャツてのは「Tシャツ地のポロシャツ(ボタンが2,3こついてるやつ)」ではない。VネックのTシャツになぜか襟がついているほうな。Tシャツじゃなくてカットソーと言ったほうがいいのかもしれない。あれは本当に見ていてつらい。
「襟が付いていればなんでもいいのか!」と問い質したくなる衝動に駆られる。
でも着ている人からすれば「襟が付いてりゃなんでもいいんだろ、オラ」という反骨精神意思表示なのかもしれない。
そんな反骨精神背負って襟付VネックTシャツ着ているならいいのだが、そうじゃなくて「これは襟が付いているから咎められることもないだろうな」などというぬるま湯な感じで着ているのならダメだ。人としてダメ。

などと大声で言いたいが、わたくしの先輩さんは「Tシャツ禁止令」が出る遥か前から、たまーに着てたんだよな、襟付VネックTシャツ。見るたびに脱力させられてしまうのだけど。せっかく見てくれはよいのに何故着るのだ!バブル時代の名残か?といつも問い質したくなるが、ぐっと我慢をして見過ごす。
個人の趣味で着るということもある、ということはそれでよくわかってはいるのだ。
わかってはいるのだけど・・・今、もっとも必要なのは
「世間にはポロシャツや襟付VネックTシャツを好き好んで着る人もいるのだ」
ということを認める広い心、なんじゃないのか俺。
拒否することよりも受け入れることのほうが遥かに難しい。とほほ。

なんて思い始めたらイカンイカン。
ポロシャツファシズムに洗脳されかけてたわ。
孤独に闘い続けるぞ、私は。
2005年07月28日(木)

結ばれぬ会津なデスティニー 後編

フジロック、気がついたら今週だった。
もっと先な気がしておりました。
予習もせんで内山田洋とクールファイブばかり聴いていたわ。
とりあえず自分タイムテーブルでも組んでおこう。
1日目行けないのが悔しい。

2日目
ジュリエット・ルイス→エディ・リーダー→スカ・クバーノ→
サンボマスター→アンプ・フィドラー→ギャング・オブ・フォー→ダイナソーJr.

あ、ダイナソーの後は見たいもんないや。なんでダイナソーをホワイトのトリにしないのかさっぱりわからん。まあ、そんくらいダイナソーが見たくて見たくてたまらないのだけど、あとはアンプ・フィドラーが楽しみでsu。
サンボマスターは、まあ、「すべての男はサンボマスターを否定できない」というもんらしいので、見ておこう。

3日目
あふりらんぽ→ゴー!チーム→ボノボス→ ソウルフラワーユニオン→
ママレードラグ→ ビーチボーイズ→モビー→ニューオーダー

あふりらんぽは見ないでセネガルのパーカッション軍団見るかも。
ビーチボーイズ→モビーはとりあえず見ておこうかくらいの気持ち。
ほんとはソウライブが見たいんだ!
しかしニューオーダーとかぶるのでぐっと我慢。で、ニューオーダーの後はなんだかんだ言ってもプライマル見てしまうんだろう。ヴァニシングポイントとかエクスターミネーターあたりの曲を沢山やってくんないかな。

で、この日は夜のフッキーDJとこだまダブステーションが!!!
これのために土曜日は早めに寝ておけばいいのか。
相変わらずレッドマーキー見る気ゼロ。いかなるバンドであろうとも。(深夜は除く)


つうわけで会津編後編

作業当日
会津若松は快晴。さわやかな朝だが、前日深夜の餃子のおかげでニンニク臭い。
べこ牛乳を飲みながら電車に乗る。作業場所は会津若松から3駅ほど郡山に戻ったところだった。
作業はきっと2時間で終わることだろう。終わったら喜多方に行こう。
温泉にも入ってやろう。期待で胸が膨らむ。

着いた駅は、まあ、想像はしていたんだが無人駅でありました。
申し訳程度に待合室があるのだが、中は蜘蛛の巣がバンバン張ってある。かろうじて時刻表が貼ってあったので、事前に時間を調べてみると、まあ、これもわかりきったことだが1時間一本程度しか電車は止まらないのだった。喜多方行きに至っては2,3時間に一本だ。行けんのか。一抹の不安がよぎる。でも、作業自体はきっと早く終わるのだ。会津若松まで行ければそっからはバスか何かでも行けるのだろう。そんなことをぼんやり考える。
ぼんやりしているうちに、下っ腹にキリキリとした痛みが発生。
言うまでもなく「朝の牛乳」が原因である。
わかっちゃいるけど、どうしても飲んでしまうのだ。ニンニク臭いのを解消するには「牛乳を飲む」以外方法を知らないんだもの。
待合室の横にトイレがあるので入ろうかと思ったが、いかんせん無人駅。しかもトイレ小屋は待合室よりはるかに古い。中がどんな風になっているかは入らなくてもだいたい想像がついたので、作業場所でトイレを借りることにしよう、とその場は我慢する。
作業場所は、地図を見る限りでは駅のすぐそばなのだが、見渡す限りどこにもない。きっと線路の反対側なのだろう。踏み切りを渡ろうとしたときに摘んだ野草を持って歩いているおばさんがいたので「×××はどこですかね?」とたずねたところ、
「踏み切り渡ってすぐよーすぐわかるから」とのこと。
道は間違っていない。トイレも近い。(ダブルミーニング)
しかし、踏切を渡ったところに問題は待ち構えていたのだった。

道が二手に分かれているではないか

その二つの道の間にあるのは駐車場。作業地に勤める従業員用なんだろうけど、肝心の作業場所はどっちの道を進んだ場所にあるんだろうか。皆目見当がつかない。なぜならば手元にある地図には、だだっ広く敷地がベージュ色に塗りつぶされているだけなのだ。細かい道などは記載されていないのだ。
焦る。
汗が吹き出る。
おなかが下る。
迷っている時間はない。
2台のトラックが進んでいったほうの道に向かって歩いてみる。この道を行けばどうなるものか。そんなことはわからない。迷わず行けよ、行けばわかるさ、だ。
履いてきたパンプスがカツカツ煩い。が、そんなことには構ってられない。歩くしかない。

しばらく進んだところで、この道は間違っているということに気づく。
じいさんばあさんがゲートボールをしているグラウンドに辿り着いてしまったのだった。
なんちゅー間違いだ!・・・
パンプスを引きずりながら元来た道を引き返す。
小牧のときといい、なんで田舎道はこんなに俺を歩かせるのだ!
時間はますます無くなっていく。腹はどんどん下っていく。
おまけに人がさっぱりいないので、道を尋ねることすらできやしない。
ああ、もう、こうなったらゲートボールやってるじいさんばあさんに尋ねようか、でもまたもやゲートボール場に戻ることになる・・・ジジババが知らないという可能性だってある・・・どうすりゃいいんだ!と、途方に暮れていたその時、目の前を犬の散歩中のおばさんが通りかかる。
藁にも縋る気持ちで「×××、どこですか!」と尋ねてみると
「あ、それはあそこです!」と指差されたのは、もう一方の道の果てであった。
選択ミス!
なんでか知らんがものすごい敗北感。
しかし、そんなことに肩を落としている暇は無い。急いで足で向かえ!

なんとか入り口にたどり着いたのは作業開始時間の15分前だった。
間に合った・・・安堵する。そしてトイレに駆け込みたい衝動に駆られる。
しかしそうは問屋が卸さないのだった。
入り口で手続きをしている時になにやら地図を手渡された時点で怪しいとは思っていたのだ。いや、地図の上にだだっ広く広がるベージュ色地帯を見ていた時点から怪しいと思ってたんだった。
その不安は、入り口のおっちゃんの口から音声となって具体化した。


「×××はね、ここ入って15分くらい歩いたとこにあるんでね」

まだ歩くのかよ!
間に合うのかよ!


しかも地図と一緒に「はい、これね」と手渡されたのはヘルメットであった。
・・・・・着用か。
内心うそーんと思ったけれど、そんなことに構っている時間はないので、すぐに頭に乗せて構内を突き進む。
たまにスーツで「キャリアな女っぽいな」と思えても所詮このザマだ。ヘルメットの中が、会津若松の暑さと焦りでムンムン蒸す。
敷地はべらぼうに広かった。歩いても歩いても目の前の光景はオウムの第7サティアンのような建物ばかり。ケミカルな煙がモクモク立ち込めている。
15分かけて歩いていくわけにはいかんのだ。せめて10分で辿り着かねばならんのだ。おなかはどんどん下っていくがそれにすら構ってられない。むしろそのおなかの痛さが機動力になって速く進んでいるような気がする。
これはキン肉マンが屁で空を飛ぶのに匹敵する機動力だな。

冷や汗と脂汗と純粋な暑さによる汗を全身に垂れ流しながら(かろうじてうんこは垂れ流さずに済んでいた)、機器の目の前に到着したのは作業開始の2分前であった。
間に合った。感無量。達成。って仕事はここからスタートなんだが。
達成感がすごすぎて、トイレに行くのをしばらく忘れてしまったほどだ。トイレで本当の開放感に恵まれるのはこれから15分後のこと。

そして、仕事からの開放されるのはそれから5時間以上後のことであった。
なんで今日に限ってこんなに長引くんだよ!


次の喜多方行きが来たら乗るーのー、などと苦痛の待機時間中は考えていたのだ。
が、終わりを待っているうちに喜多方行きの電車は行ってしまった、はずだ。
腕時計を見ながら、作業前に見た時刻表を思い浮かべたのだった。
もっとも郡山発喜多方直通の電車は一日に二便くらいしかないわけだが。
喜多方行きの夢、潰える。
潰えたのに、夕暮れの中郡山行きの電車を1時間待たねばならないなんて!
夕暮れの駅ホームはこれまた当然のことながら人っこひとりいなかったので、線路の上を歩いてみたり線路脇のドブに物凄く俊敏なザリガニが何匹もいたのでそれを追ってみたりしていたら、パンプスのかかとがいよいよ駄目になってきたので裸足になってしもうた。ドブには入らなかったけど。
そんな感じに油断をしていたら、予想外なことに駅に人が現れたのでびびった。
渡辺美里の♪線路沿い真夏の日差し浴びてーひまわりが風に揺れている〜ってやつを大声で歌っていなくてよかった。(真夏の無人駅つーとこの曲が頭に浮かぶんだな。ザ・刷り込み)

ようやく電車がやってきたのでそれに乗って郡山へ。
車窓から見える光景は、
田んぼ、田んぼ、田んぼ。ひたすら田んぼ。
あと山、山、山。
そいから猪苗代湖。
「磐越西線ってトンネルの多い線なんだなー」と思い込んでいた、そのトンネルの正体はこれらの田園地帯であった。すなわち「電灯がひとつもたっていない」ということだ。そりゃ正真正銘の暗闇だわ。
郡山に近づいていくうちに、自分が無賃乗車していることに気づいた。私の乗った駅には駅員も切符売り場もなかったからな。ちゃんと切符買いましたが。

結局喜多方ラーメンを食うことも温泉に入ることも叶わなかった。
私の願いは結ばれない会津のデスティニー。
郡山駅で途中下車してラーメンを食ったけど、なんの穴埋めにもならず。
さらにラーメン食ってたらガンガン電話がかかってきて会社に戻らなきゃいけないという罠。
むなしいのー。
重ねて願いは結ばれぬ悲しいデスティニーやのー。(薬痴寺先輩風嘆き)

2005年07月27日(水)

結ばれぬ会津なデスティニー 前編

次の誕生日を迎えるまでにしておきたいことのひとつに
「JR東日本の株主になる」
というものがある。
すぐに叶うな。株券買えばいいだけの話だし。
わたくしは一応、経済学部卒なんだけど株の仕組みをさっぱりわかっていないという、マルクスにもケインズにも往復ビンタされそうな不届き者ですけどね。もっとも、マルクス経済は学んだことすらないけど。
そんな株の仕組みすらも知らない上に、会社の持ち株会にすら参加していない人間がなんでJR東日本の株主になりたいのかってえと単にJR東日本が好きだから、に尽きる。
JR東海でもJR西日本でもないの。東日本なの。
カードだってVIEWカードさ!東海道新幹線も好きだけど、東北新幹線のほうがサービスがよい(グリーン車限定)のだからしょうがない。
そんな愛してやまないJR東日本の、今夏キャンペーンは
「あいづデスティーネーションキャンペーン」
なのです。
去年までは北東北激押しだったのに今年の東京駅は会津のポスターばかりだ。あんだけ会津ポスターを見ていたら「そのうち行きたいな」という気持ちにもなるものです。JR東日本には洗脳されやすいのだ。好きだから。むしろ盲目。

実は会津若松周辺には昔、家族や親戚と行ったことがありました。
その時のホームビデオが未だに我が家に残っておるのですが、極端にビデオに映ることを嫌う父(井筒監督似)ばかりが嫌がらせのように映っていて、なにがなんだかさっぱりわからない代物だ。
五色沼回ろうが井筒監督にばかりカメラが向き、それを嫌がって逃げ惑う井筒監督。
武家屋敷に行こうが井筒監督と手を繋ぐ妹(ニートだが我が家流に言うとターミネーター)の後姿ばかり。
いったい誰がビデオを回してたんだ。間違いなく母(「岡八郎に似てる」とか知らない人に言われてた)なんだが。
あと覚えているのは、喜多方に行ったときにどこのラーメン屋に行けばいいのかわからなくて1時間以上迷いに迷って「まこと食堂」というラーメン屋に行ったことくらいか。さんざんあっちゃこっちゃ迷わされて歩かされて親戚一同がうちの井筒監督にイライラさせられたもんだ。でも、行き当たりばったりに入った「まこと食堂」の喜多方ラーメンは絶品だったな。生涯忘れられないラーメンだ。

と、そんな矢先にまた出張話が決まりました。
その出張先が、まさに会津地方だったのです。タイミングイイネ!(イーネッ!)
そして、5月初め以来の東北でもあるのです。
ここんとこ沖縄だの大阪だの岡山だの南や西にばかり行っていたからな。帰ってきたぜぇ(鈴木みのる風)、東北。
さらに言うと、これで福島県は「(会社入社してから)浜通り、中通り、会津地方全部制覇」でもある。(浜通り、中通り、会津地方ってのは福島県の天気予報区分な。実際は他にもあるのかもだけど)

しかし会津といっても「会津若松駅」ではなく、郡山から各駅停車で60分くらいのところ。郡山前泊で行くならば朝9時の電車を乗り逃すとアウトだという。
なぜなら必殺!「2時間に一本時刻表」だから。
そんな感じもザ・東北だな。
もとから郡山泊などはするつもりがなかったので、迷わず会津若松のホテルを予約。会津出身のえじゅるさんに「会津若松の飯のおいしいところはどこ?」とリサーチする。仕事だけど楽しみでしょうがなかったのである。だって旬の土地ですもの。

普通の業務時間後に出発。
久しぶりの東北新幹線・・・ではない。実は6月終わりに宇都宮に行っているのです。でも東北新幹線は大宮から北への飛ばしっぷりが何度乗ってもたまらないのでいいのだ。
寝ているうちに郡山着。乗り継ぎ時間が短かったのですぐに磐越西線へ。
時間帯が時間帯だったので高校生が多かった。会津の女子高生の間では黒のニーソックスが流行ってるようでした。夏なのに暑かろう。
電車の中でパン食ったりしてる姿を見ると部活の帰りに高校近くの公園でパン食って先生に見つかって怒られたのを思い出すな。私はギャルでもなんでもなかったのでこういう高校生の姿のほうが高校生のあるべき姿だと思ってしまうな。なんでかしらんが腹が減ってしょうがなく、無意味に太っている時期、それが高校時代。今でも間食ばかりしてるけども。
心情的には高校生の頃とあまり変わっていないのだが、いつの間にかスーツを着て全国を回るようなサラリーマンになっていた。
いろんなことはいつの間にか変わっていくんだな。
向かいの席に座ったサラリーマンらしき男性が必死で資料や小冊子を読んでいたのだけど、どの資料にも「精神科医学会」とか「精神医学なんちゃら」とか書いてあった。会津で開業してるんだろうか。どうでもいいことだけど。
磐越西線といえばSLが走ることで有名な線なので、せっかくだからSLに乗りたかったな。無論赤茶のコートと茶色の帽子をかぶって、だ。伊達に「星野鉄郎似」やってるわけじゃない。
けども。今日に限って私はスーツなのだ。そしてSLは土日でないと走らないのだ。
車窓の風景は行けども行けども黒の画用紙が窓に貼り付けられているかのようで、磐越西線という線はトンネルが多いんだなと思う。
夜汽車だったらどんなにいいだろう。エンケンの「夜汽車のブルース」ぴったりになるじゃないか。この暗闇の向こう側に、なんかおもしろいことあるかとぼんやり考える。
この暗闇の向こう側には会津若松がある。


そんなことを考えるうちに会津若松着。
えじゅるさんに「蒸し暑いよ」といわれていた通り、暑い。蒸し暑い。
よく見ると小さなボストンバッグを持ったおばさんが沢山降りている。皆東山温泉にでも行くのだろう。あいづキャンペーン効果は絶大だ。
駅を出るとドムドムバーガーがあった。岡山空港といい会津若松駅といい、私にドムドムバーガー食えといいたいのか。もう閉まってたけど。
ホテルは駅の直ぐ目の前だったのでとりあえずチェックイン。どこらへんに飲み屋があるのかさっぱりチェックができなかったが、コンビニも飲み屋もあまりなさそうだ。まあ、いい。チェックインしてだらだらしていたら「チャングムの誓い」再放送がやっていたので見てしまう。
ようやく飲みに出たのは11時近く。このあたりの店はもう終わってしまうんではないのか。ホテル内のレストランも9時半ラストオーダーだったし。
そんな不安を感じながら街に出てみると、案の定飲み屋は少ない。
駅から伸びる道を進んでいくが「定休日」「本日終了」などの看板が。あーあ。開いている店があったが、他にも店はあるんじゃないかと期待して駅から遠ざかっていったが他には何もなさそうだったので引き返して開いている焼き鳥屋へ。

カウンターにおばちゃんが座っていたので隣に座ってみると、このおばちゃんがよく喋る喋る。生まれも育ちも会津の人だそうで「会津の日本酒はベタベタしてておいしくないよ」としきりに言うのだった。えらく謙遜する店の人だな(カウンター内にいるのは極端に無口なおじさん)と思う。
それでもせっかく東北に戻ってきたのだから、というわけで「末廣」という日本酒の純米辛口。辛口だからか、ベタベタした感じはしなかった。切れ味もなかなかよい。「ベタベタしてないですねー」と言ったら「そりゃ、お燗にしてないからよ」とのこと。こんな蒸し暑い夏の会津若松で、わざわざお燗にしてベタベタした日本酒を味わうつもりはない。
途中で「わたし、店員じゃないのよ、お客さんよ」と言われる。
そんなお客のおばちゃんオンステージな話を聞きながら、会津中将・純米酒。
これは濃厚だなあ!ラベルの自己主張っぷりも骨太なんだけど。冷酒だったので蒸し暑い夜にはもってこいだ。ついつい短時間で2、3杯飲んでしまう。
私の中では福島の人というのはシャイで無口(まあ、東北全体がそんな感じだが)というイメージだったのだけど、おばちゃんは世話好きでよく喋る。かといってベタベタした感じでもなく、飄々としている。そういえばえじゅるさんも飄々としてる印象。珍しいな。土地として天然記念物なとこだな、会津。そりゃJR東日本も「まだあったんです、極上の日本が」と銘打つわけだ。

おばちゃんが「そろそろポルシェのオープンカーで帰るね!ごゆっくり!」といってチャリンコで帰っていった後は、店の主人は極端に喋らないので非常に気まずい感じ。会津名物という「いかにんじん」(スルメイカとにんじんの漬物。酒のつまみにちょうどいいけど、安直なネーミングだな)も食い終わったので、店を出ることにした。酔った頭には、あの空気はきつい。

しかし当然のことながら飲み足りないので、部屋で飲み直してもよかったのだがいかんせんコンビニがない。やっている店もいよいよなくなってきた。
さて、どうするか。
と思ったら中華料理屋がかろうじて開いていたので入店。
普段は中華料理屋で飲むなんてしないんだけど、他にはないのだからしょうがない。
中華屋でひとりで飲むって、同世代女子にもあまりいないだろう。思えば遠くにきたもんだ。
ここの店の主人はさっきとは反対によく喋る喋る。ビールを飲んでしゃべくって餃子つついているうちに
「さっきまでどこで飲んでたの?」
と尋ねられたので「焼き鳥屋ですわ」と告げたところ
「あそこの主人ね、うつ病だから」
と返される。
道理で喋らないわけだ。


どうしてなんだろうなあ。今日に限ってややハズレ気味の店しか入れなかった。
それが会津デスティニーなんだろうか。




続く
2005年07月22日(金)

わくわく擬似親子旅行in岡山

旅から帰ってきた翌日というのは、この世の何よりもしんどいものである。
前日までの楽しいひとときの余韻が、たかだか一晩眠っただけで覚めるものではない。なぜならば大いに遊んで大いに疲れているから。翌日はぐてーっと眠って過ごしていたい。だらだらしたい。
そうは願ってもこれは絶対に叶うことはない。
なぜならば私は「休みがあればその休みの極限まで遊びたい」人間であるから。
どの出張だってどの旅行だって「翌日はゆっくりしたいから早めに切り上げよう」なんつって休みの終わる2日前に帰ってくるなんてぇ野暮ったいこった。フジロックから帰ってきたら翌日は朝まで深夜作業こなしたし台湾から帰ってきたら翌日は朝から作業、熊本から帰ってこようがその足で客先に向かうのだ。そうやって生きてきました。翌日はダラダラ仕事しがちだけど。

今回の大阪からの帰宅後も例に漏れず翌日は出社で、ダラダラ仕事になりがちなパターンではあったのだがこの日はやらなけりゃイカンことが多かったのでダラダラしている暇などなかったのだった。
そんな夕方に急に上司から呼び出される。


「おまえ、今週岡山行ける?」
ああ、出張って全然考えもしないときにやってくるんだな。

しかも今回は「俺も一緒だから」とのこと。
わたくし、「現地合流・現地解散」の出張ならば2人以上でしたことあるけれども行きも帰りも同行というのは初めてなのだった。
それも上司!まんことかうんことか言う人!
わー。(擬似)親子旅行だなー


てなわけで岡山に行きました。
西日本はしばらく行く機会ないだろうなと踏んでいたのに。

岡山までは飛行機でひとっ飛び。
空港に早めに着いたので時間潰そうということで飛行機を見に行く。(メシは
山でうまいもん食いましょうということになっていたのでその場では食わず)
「子どもを連れてくるとしょうどいいなー」という上司の横で
年甲斐もなく写メール撮りまくる俺。
まあ、擬似親子旅行ですから。
飛行機で行くと我々の職業は必ず荷物検査で引っかかるので面倒くさいんだが
(あやしい工具持ち歩きだから。そしてもちろん引っかかった)飛行機は乗るのも楽しいのでいいのです。
飛行機内で泡盛を買うという暴挙にはさすがの上司も苦笑だったけど。
ANA機内限定の泡盛「御酒」は皆買うべき。勿体なくていまだに飲むことができずにいるのだが)

岡山空港に着いて、外に出ようとするとまず目に入るのが「ドムドムバーガー」というのは笑った。
なんだこの京成電鉄沿線のようなユルさは。
岡山空港から岡山駅まではリムジンバスなのだけど、このバスの一番前に流れる電光掲示板一行ニュースもすべて芸能ニュース。しかもニュースの質がおそろしくゆるい。
「ニッキ、『70歳になっても少年隊』と宣言」
というニュースの需要がどこらへんにあるのか私にはさっぱりわからない。このニュースが流れるように何度も現れるのを見るたびに途方に暮れる。


岡山駅は上司曰く「大宮駅みたい」なところでした。
私は「郡山駅みたい」と思った。とにかくまあ、駅がバカでかい感じだ。
深夜作業だったのでメシ食って仮眠とって、という流れなのだがいざ岡山駅に着いてみてふと気づく。
「岡山って何がおいしいんだっけ?」
いや、岡山のおいしい食べ物は知ってるんだ。
それは大手饅頭
私認定「あんこ物日本代表」にも入るほどの(たいしたことなさげに聞こえるな)絶品饅頭なのだ。けど、あくまでもまんじゅうですから夕食向きではない。
さてどうするか・・・どうせ深夜作業なので酒も飲めやしない。適当に入っ
てまえ!と思って入ったのは
「関西風お好み焼きの店」
であった。
岡山って関西か?
私の意識の中では、岡山は山陽地方なのですなわち中国地方で、だからお好み焼きも広島風になるのかと思ったのだが、ほかにも「関西風お好み焼きの店」を見かけたので関西という意識が強いのだろう。
そういえば、先日一緒に作業をした方が「関西の出身なんです、なんちゃって関西みたいなもんなんですけど」と言うのでてっきり三重出身なのかと思っていたら岡山出身だった。
そうか、岡山は関西という意識が強いのだな、地元民は。なんだか「いわきは東北じゃなくて北関東だから」という意識と似ている。
そんな関西風お好み焼き(でもメニューには広島風お好み焼きてのもあった)をつついていたらどうしても酒が一杯だけ飲みたくなったので上司に断って一杯だけ飲ませてもらった。どんな部下だよ。
その後仮眠をするつもりが、豪華マッサージチェアー付きのレディースルーム
(そういえば百太郎って人はどこに行ったのだろう)だったので凝りをほぐしたり、エロビデオ(なぜかタダ放送)を見たりダラダラしているうちにもう時間になってしまった。いざ作業へ。

深夜作業にも関わらずかわいらしいお姉さんが立会いをしてくれてああありがたや。上司は機械の電源を間違って落としちゃったりしたが、私はこの作業燃えました。高速で作業行う燃えっぷり。
だって
「3時くらいまでに終わらせて飲みに行く」
という目標があったから。
せっかく飛行機で600マイル(推定、正確な距離知らないが)くらいを飛び越えて来たのだから、岡山ナイトを楽しまない手はない!しかもwith上司なのだからキャバクラに行かない手はない!
というわけで燃えて燃えて2時間かかる作業を40分で終わらせる優秀ぶり。「ひかり」から「のぞみ」に変わって東京名古屋間が30分短縮!を凌ぐ脅威の時間短縮ぶり。やればできる子なんだよ。
上司も「おお」と驚いていた。父さん、(酒のために)いい加減な作業は行いませんでした。

しかし結局待機にさせられた。
それでも「3時半に終われば1時間半は飲める」「4時に終われば1時間は飲める」と思い続けたのだった。
ネバーギブアップ。上司と立会いの営業さんは寝てたが。
私は新聞社のケーブルテレビ勝手に見ながらがんばってたのだよ!このとき見ていた番組が「フェリシティの青春」という海外ドラマでなかなかおもしろかった。(それまでは「ノブナガ」を見て頑張った)

が、そんな期待も空しく、作業完全終了は4時半過ぎ。
私も知らぬ間に眠りに落ちていて全員お客様に起こされる始末。だみだ。
岡山酒ナイトは夢のまた夢。
岡山、午前5時、夜明け前。コンビニで食料と酒買って終 了
コンビニのくせにキャスターマイルドが品切れだったことに腹を立てる。即ふて寝。



翌日(って寝たのも起きたのも同じ日なんだが)
私は1時まで岡山で待機となったのでそのまま残留。上司は先に帰っていった。
やっと親子旅行も終了。
思う存分羽根を伸ばしてやろうと目論むも、岡山の中心街はミニ型オーパしかなかったのでダメだった。まあ、どの都市に行ってもあるように、岡山にもヴィレバンがあったので立ち寄ったくらいか。

13時も過ぎたのでぼちぼちと岡山発。もちろん片手には大手饅頭。
すっかり恒例となったローカル線乗車を果たす。けど山陽本線は一番前でも窓がないのでなんも見えやしない。がっかり。
だったら赤穂線というのに乗ればよかったよ。瀬戸内海を優雅に臨みたかった。

で、大阪下車して用事を済ましてまたキューズに行ってしまった。
店員のみなさんのぽかーんという顔が忘れられません。
そらそうだ。東京在住で梅田に週3日来店て。
そして岡山のウサを晴らすかのように飲酒。最終新幹線でなんとか帰ったけど。


翌日東京にて上司に

「おまえ、あのホテル、エロビデオタダで見放題だったの知ってた?俺見ちゃったよ」

と言われる。
もちろん知っていたが、「いやー知りませんでしたねー」と言っておいたのは「親の前でタバコ吸うのは気が引けるな」という類の親孝行みたいなもんだ、たぶん。
2005年07月19日(火)

別れなければ、ナニワで会えなかったじゃないか 後編

もう7月も後半突入であるが大阪日記続編

土曜日(続き)
はるみちゃんとなんば〜梅田をぐるぐる歩き回った後に、BONちゃんが知り合いと飲んでいるというので合流。
「カラカラ」という店にいるよ、というのでもしやと思ったらやっぱり沖縄料理の店だった。ああ、ホントに沖縄ナイトの再現だな。
テレビで「ちゅらさん」を見ていたときは「ちゅらさんに出てくる人たちは何かと別の土地(東京)で全員大集合だな」と思っていたが、まさにそんな感じの大阪ナイトだ。
BONちゃんは大阪ベンチャー企業の社長さんと癒し系お姉さんと一緒に飲んでいたので、その席に合流という形になったのだが、これまた刺激的な話がいっぱい。いろいろな人と知り合うのは本当におもしろいな。
ほどなくしてはるみちゃんが舞鶴に帰ってしまった。軍はキビシイヨ。
もうちょっと早く起きることができたならなーもっと遊べたのになー
自分の寝坊ぶりを責める。
まあ、近々また会える予定なのでヨシとしよう。
大阪駅まで見送りに行った後、「カラカラ」に戻るとBONちゃんたちがストリップに行くというのでついて行く。
人生初のストリップ体験だ。

天満まで歩いていって「東洋ショー劇場」
商店街の中にいきなりストリップ小屋があるたぁすげえ。一見銭湯かと思った。
けどストリップって結構イイ値段すんのな。外タレの来日コンサート見に行くくらいの値段だ。
今日の踊り子さんの中に「灘ジュン」の名前が。おお、私でも知っている名前だ。
劇場の中に入るとちょうど「おさわりゲリラタイム」という時間で半裸のお嬢さん方がウロウロ。おっさんたちの上に乗って、まるで公開おっぱいパブ。
私は風俗の中で一番エロいなと思うのが実はおっパブなのですよ。なんでか知らないけど。だからおお、エロの現場だ、とひそかに驚いていたのだった。まだストリップ始まってないってのに。

しかし結果的に「ストリップ初体験のなかで一番エロかったのはおさわりゲリラタイム」だけであった。
肝心のストリップは・・・・エロ度ゼロ。むしろマイナス。
皆かわいいし胸の形も色もキレイだし(少なくとも私が見た中には土方乳はいなかった)素晴らしいのですよ。
でもとにかく踊りがアクロバットのようで、エロではなく「うわ!そんなに身体がやらかいのか!」「なんという柔軟性!」と思わされること山の如し。
エロでもなくかわいいでもなくキレイでもなく、私が率直に抱いた感想は「かっこいい」なのだった。だって、あれはもう体操選手ですよ。コマネチですよ。
いやー素晴らしい。BONちゃんの横で「スゲー!」「カコイイ!」を連発。
2人見たところで中座。灘ジュン見たかったんだが。
そのまま梅田に戻る。

三つ目の再会は、私の学生時代の友人である天サイコ、じゃなかった、天才子なのだった。(なんか私の学生時代の友人は姫御だの天才子だのふざけた名前が多いなー)
天才子さんは大学院までは関東だったのだが、現在はおクスリの研究のために大阪在住(って書くとあやしいクスリのようだが真っ当なクスリです)。学生時代はそれこそ姫御と天才子と3人で仲良くやってました。
とりわけ天才子とは「エロイカより愛をこめて」と「特攻の拓」フリークとして結束が強かったのだった。あと電車好きという共通点も。
天才子との再会は2年ぶりくらいか。そのまま昨晩も行った「Cue's」へ。
この日のキューズはビール100円祭りだったので大盛況。店員も皆酔っ払いでほぼ祭り。祭り状態は楽しいなあ。そんな中で積もる話で盛り上がる。
マンヨッパの店員さんたちが「BONちゃんを呼んでくれい」というので電話で呼んでこれまた大盛り上がり。
ラム原酒のライム齧り飲みはこの日も美味であった。2杯くらい飲んだんだっけか。
そのまま前日と同じく朝4時まで飲んで、天才子宅に泊る。BONちゃんも。

日曜日
私はだるだるだったが天才子もBONちゃんも起きるの早いな。
昼は大阪らしくお好み焼き。ねぎ焼きウマイ。
BONちゃんと別れて天才子と京都へ。
余談だが、梅田に出るために初めて阪神電車に乗ったけど、車内の広告がすべてタイガースものだった。「ああ、私は大阪観光しているんだ」という気分になること請け合い。引退後のオマリーの顔があんなに拝めるのは阪神車内だけだろう。
手っ取り早く大阪気分を味わいたいのならば、道頓堀に行くか阪神電車に乗るかがいいんだろうなと思った。
京都に行くためには阪急に乗らなければならないのだけど、阪急ではまたもや最前車両の最前列に座って電車でGO!気分を味わう。ってこれはa仙山線乗ったときにテンション上がった手口ですが、今回もテンション上がりました。天才子も喜んでいた。「これからはいつも最前列に乗ろう」とまで口走っていたし。

京都には手ぬぐいを買いにきたのだけど、それはすぐに済んでしまったのでさあどうするかということで、私と天才子の同級生の姫御(現在大学4年生、先日大学のトイレにうんこを詰まらせて便器から水を溢れ出させた)が

ジャンプの漫画が大好き→るろうに剣心が好き→家で竹刀振り回して弟と「飛天御剣流」の練習(当時高校2年)→るろうにの斉藤一を好きになる→新撰組を好きになる→ひとりで京都旅行→斉藤一ストラップを購入

したという「壬生寺」をひやかしに行くことにする。
といっても京都は大雨。雨の中何しに行くんだ私たちは。
大雨の中向かった壬生寺はただの寺でした。
ただの寺といっても、奥にはまるで東南アジアの寺なのか?というような巨大な仏塔が建っていたけど。
でも寺の手前の茶屋みたいなところは開いていたので入ってみようかと思ったら拝観料1000円も取られるというのでやめておく。
後で姫御に「1000円払うのバカらしかったから入らなかったよ」と告げたら
「1000円払ったらおっちゃんの話とお菓子がついてきたのに」
と残念がられた。
別に残念がらなくてよい。

という感じに「ただ単に雨に濡れに行った」壬生寺鑑賞はすぐに終了し、京都駅に着いたらもうすぐにでもリムジンバスに乗らなきゃいけない時間となってしまったので天才子と慌しくお別れ。
まあ、こっちも近々会える予定なのでヨシとしよう。


日本のどこに行ってもいろんな人に会えるのは楽しいな。
それよりも前回大阪出張時は「大阪は生々しい街だわ」とビビっていたのだけど今回の大阪旅行は楽しかった!
西日本また行きたいな、今まであまり縁がなかったが。
でも暫く行く機会はないかもなぁ・・・



(ビミョウに次回の日記に続く)
2005年07月18日(月)

字読みづらい!けどメッセージフォームです


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