股・戯れ言


BBS

5月の旅僧団

なんとなくマンヨッパで気分が良いので短く書いてみる。

俺の旅は4月末に仙台へアラバキロックフェスティバルを見に行くことなのですが、5月の旅の目処が立っておりません。

候補地
1.青森(長年憧れ続けた土地!ブルーフォレストシンドローム返上!)
2.福岡

なんですよぉぉぉぉぉぉ!(炎上)←ターザン山本風
ライバル候補地として九州が浮上してきちまいました。
そういえば九州はまともに行ったことねえや、と思ったので。
いまんところ7割の確率で福岡に行きたいとか思ってるんですが、「それ以外にもこの土地いいぞオイ」ってのがあったら教えていただきたいのれす。
ちなみにそれ以外だと行きたいなと思ってるのは山陰地方。王禄を飲みまくりたい。結局飲みなんだ俺は。
金は旅のためならいくらでも出せるんだ。(それ以外は渋るが)
意見とかくださる方はウェル歌夢です。(メールは8thekey@infoseek.jpでございます)

つうわけで鉄割見に行った話も書きたいが、明日以降は沖縄バカンスの話などを。
以上、ヨッパの戯れ言更新でございました。
2005年04月10日(日)

モリゾープレイバック90

モリゾーさんが生まれたのは1914年のこと。

1914年というのは第一次世界大戦が勃発した年らしいが、この頃は第一次なんて頭文字はついていない。その時代の人は第二次世界大戦が起こった時はきっと、「第二次かよ!」と突っ込んだことだろう。知らないけど。
上野では東京大正博覧会なんてものが開かれ、日本初のエスカレーターがお目見え。東京駅も開業し、明治に花咲いた文明開化もたけなわの時代であったことだろう。カチューシャかわいやわかれのつらさ〜、という「復活」の歌がかつて日本で流行ったらしいというのは私も「復活 文庫版」の解説で読んだことはあったが、ちょうどこの年のことであったようだ。
なんて感じの1914年、すなわち大正3年。モリゾーさんは7人兄弟の末っ子として埼玉の奥地に生まれたわけである。
兄弟が7人もいるわけだから、モリゾーさんが生まれた時には大分年上の兄さんや姉さんがいたんだろう。
モリゾーさんが9歳の時、おそらく小学校に通っていたんだろうけども、大きな大きな地震が起こった。東京のほうの山を見ると、山の向こうが真っ赤に燃えていたらしい。モリゾーさんの家は埼玉の奥地だったから火災などの難は逃れたようだ。

その後、小金井に出ていった兄弟を頼って東京に出てきた。昭和の初めのことである。
時代は戦前の日本。軍国主義もたけなわな時だったのだろうが、そんなことよりも東京に出たくてたまらなかった。モダンなものに対する憧れが相当強かったらしい。
兄さんの一人が建築事務所を開いていたようで、そこを手伝いながら夜学で大学に通い、建築をおぼえた。そんな技術の腕を買われたのか、志願したのかはわからないのだが、軍の技師助手として中国へ。
上海や満州を5年ばかり転々とする。
技師だったので徴集されずに済んだという強運の持ち主でもあった。
単に身長が足りなかったのかもしれないが。
終戦前に帰国し、小金井から高円寺に移り住んでいた兄さん達を頼って高円寺に住む。
この時、高円寺の下宿の向かい側の家に住んでいた娘さんと出会って、お見合いをして結婚。
モリゾーさんが30歳の時だった。当時にしては遅い結婚だったかもしれない。

兄さん達の家の近くに土地を買い、建築事務所を開こうかとも思ったが、ほかの兄さんの食料品を買い付ける仕事(ヤミ市とかのために買ってたんだろうか?不明)を手伝うことになってしまい、建築事務所の話はオジャン。
毎日、高円寺からチャリンコで築地まで出かけ(!)食料品を仕入れるのに精を出していた。
この買いだしの間に腰を悪くしたようだ。
モリゾーさんは末っ子だけど、兄さん達思いだったのだな。そして人一倍シャイで口数も多いほうではなかったので、一人だけ大学に行っちゃったことなどで態度をでかくしたりはしなかった。
自分の土地に掘っ立て小屋を立てて食料品屋を営んでいたが、区画整理で区に土地を持ってかれちゃったりする。
そして、やっぱり建築士の免許も持っていたし、それなりに自分の建築したものを残したかったのかもしれない。いや、単に建築費を浮かせるためだったのかもしれない。とにかくそんなわけで新しい家を設計して、見事に建てたのだった。
新しく建てた家で再び店を開く。乾物屋であった。

モリゾーさんは新しいモノ好きだった。
だから、自転車にしてもカメラにしても8mmにしても手に入るようになったらすぐに購入してたしなんだ。
中国滞在中はギターも弾いた。「モダンだなぁ」というのが口癖だった。
機械いじりが好きでギターが好きでカメラが好きで、そのうえ自己主張控えめだったというのは、かなり男子度が高い人だったのだろう。結婚も遅かったし、ヘタすりゃ今で言うD.Tの域だったのかもしれないな。

若いうちに戦争だの外国生活だの食料買いだしだのいろいろ経験したからだろうか、60を過ぎたあたりから乾物屋もいつのまにか駄菓子屋に転身。
そしてモリゾーさんは店先でひなたぼっこを楽しむ身分となった。
店先にはビニ本販売機が置いてあったり、スタンドで普通にエロ本を売るというかなり教育によろしくない駄菓子屋だったが、モリゾーさんはそんなことおかまいなしに毎日、毛糸の帽子をかぶりながらニコニコと店番をやっていたのだった。

駄菓子屋のおじいちゃんになってから、階段から落ちて何度か入院。
リハビリのためになぜかバイオリンを始めた。
「おじいちゃんはもうボケちゃってるから」と言われていたが、話しかければ普通に受け答えをしていた。ぼけちゃっていたのではない。元々口数が少なかったのだ。
もう危ないかも・・・と言われ続けてから10年以上平穏に暮らしていた。
モリゾーさんの人生は前半スパートをかけていたけど、後半はクールダウンだったから長く続いていたのだろう。

そんな具合に2005年。モリゾーさんは90歳になっていた。

日本は懲りもせずにまた戦争に兵を派遣したりしていたので、昔の戦争を知っている人だったら「まだやってんのかよ!」と突っ込んだとこだろう。

今年の冬は寒くて、モリゾーさんはちゃんちゃんこと毛糸の帽子がなかなか手放せなかったけれど、3月も中頃になり、外が陽気になってくると散歩に出かけたりもするようになった。
もう少ししたらもっと外に出ようとも思っていたのだけれど。

ある日の晩ご飯に、マグロのぶつ切りを食べたのだった。
マグロは堅くなかったけれど、90歳のモリゾーさんには堅い食べ物だったらしい。
あっという間に喉に詰まってしまって、コロッと逝ってしまった。
あんまり苦しまないで逝けたようだ。
自分の作った家で天寿を全うできたようだ。


それが私の祖父、モリゾーさんの一生。


私はじいちゃんに何もしてあげられなかったな。ごめんな。
うちのターミネーターこと妹は、じいちゃんの写真好きの血を隔世遺伝で継いだみたいだけど。(って私もいちおう腐れエンジニアなので、技師という点では受け継いだのかもしれないが)
ああ、私はじいちゃんの行った場所に行ってみるとしよう。
その人生を旅してみよう。

と思っていた矢先に、会社から日帰り出張が命じられる。
場所はなんと、じいちゃんの生まれ故郷である埼玉の奥地。ちょうどじいちゃんが逝っちゃってから一週間後のことだった。こういうことってあるんだな。
というわけで作業の合間を縫って、じいちゃんが見た山々などを見てみました。
あっちの山の向こうが真っ赤だったのかもしれんな、などと勝手に想像してみる。
幼い頃のモリゾーさんもおおむらさきを追ったりしたんだろうか。
私は遠出をすると、いつも頭の中に「遠くへ行きたい」を流れさせるのだけれど、この時ばかりは頭の中を「ふるさと」が流れたのであった。

♪ 兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

ああ、この曲が流行ったのもちょうど1914年のことらしい。


それじゃあ次は上海に行くかな、私は。
2005年04月08日(金)

ああ、果てしない仙台追い続け・・・〜ドライビング・ノース出張ツアーズファイナル

和田アキ子の「介護番長」
ちょろっとしか見られなかったんだが、敵役がナンノってどんだけ時代錯誤なんだよ。しかもアパホテルの社長のような帽子かぶってるし。諸星和巳が出ているのもアッコ内予定調和でいやだったな。

そんな話はともかくとして、4月ですから会社内再編成も順調に行われました。
わたくしのグループも微妙にリニューアル。
会社に入ってから3年間、「おまえウンコ食うんだろ」という噂を流されたり
「失敗したら電気あんまかけてやる!でもおまえは電気あんますると悦んでしまいそうだからダメだ!」と言ったり「まんこ」というタイトルのメールを送ってきたりしていた上司が
ついに本当の上司となりました。
今まで本当の上司ではなかったことのほうが不思議だが。

で、グループ変え全体の感想として「チェリーのにおいがプンプンするグループですな!」ということを上司に告げたら膝蹴りが返ってきました。
まあ職場でそんなことを言った私が悪いんだが。
相変わらずわたくしは、「女子幻想を侵害する外敵」と見なされることでしょう。
しかし、まあ、外敵なりに言わせてもらうが、
「私が男子だったら、男のたしなみをもっと覚えようとするけれど」
って思うんだけど。なんか皆さん無菌状態なんだよな。男のたしなみって言葉は妥当じゃないかもしれないが、ギャンブルも一切しないし、酒も全然飲めないし、風俗も完全NO!で「趣味=カラオケ」とか言ってるのを見ると不思議な気持ちになるのです。その人なりのこだわりの趣味(エロスクラップ作成とかでもいいから)があるのならいいのだけれど、そういうところに飛び出すことすら拒否してぬるま湯に浸かっている男子を見ると・・・もったいねーなーホント。
だったらいっそのこと、女子的気質でも獲得しやがれ!と思う。
私は肉体的な男性形質を獲得できなかったが、精神的な男性気質はかなり体得したと自負しております。
そいから生まれ持った女子気質も豊富だと自負していますよ。
中性的なところに落ち着きたいのよ、心底。
女だけ、男だけなんて絶対損してら。もったいねーよ。

つうわけで東北ツアーズ最後の目的地、仙台編

4日目夕方
山形から仙台までは1時間に3本もバスが出ていて、おまけに乗車時間は1時間。
それで750円だ。安い!
つうわけでバスで仙台に移動。山形に山登りにきていたおばちゃんたちが沢山いて、あまりの勢いで整列を無視して入り口に群がるのでモタモタしていたら、その山登りおばちゃんの一人に手を掴まれ、
「あんた、ちゃんと並んでたんだから先に乗りなさい」
とか導かれる。誰が整列を崩しているのか、自覚がないらしい。まあ、優先的に乗せてもらったのでいいけども。

北上→秋田→酒田→山形と巡ってきて、最後に辿り着いた仙台は

クリスタルキングも真っ青の大都会!なのだった。

アーケード街には人がうじゃうじゃいるし、
道はバスが沢山行き交ってるし(福島行き、古川行き、盛岡行き等が多かったが)
ビルが立ち並んでいるし
はてしないなぁ、ホントに。さすが大都会。(何が果てしないんだか)

そんな仙台での目的は大都会なのにスノーボード。
仙台在住の大学時代の盟友マリコ嬢と落ち合って、仙台のはずれの山を目指す。仙台もいろんな町や村を合併した巨大な市なだけあって(仙台市の横がいきなり山形市なくらいだ)、車を走らせていけばすぐに大田んぼ地帯に突入する。
途中視聴率最低ドラマ「天花」の看板などを見かけた。藤澤絵麻、ヘタだったなあ。何よりもヒロインの相手役の男が坊さんって。そりゃ視聴率も悪くなるわけだよ。
うねうねと山を登っていくとあっという間に東北雪景色。小さな山なんだがスリップ事故が多いらしく、ところどころに「泉ヶ岳をなめんなよ」という挑発的な看板がたっていた。なめちゃいないってば。

辿り着いた「泉スプリングバレー」は小さなスキー場なんだが、夜10時まで営業というところだった。仙台だけど十分寒い!仙台だけど十分雪多い!
今シーズン最後のスノボなのでここぞとばかりに滑りまくる。
毎年、ここは雪がそんなに降らないので「つまんねえスキー場」(マリコ嬢談)らしいのだが今年は雪が多いのでおもしろいらしい。確かに、コースこそ少ないが、今年行った夏油、山形蔵王に引けを取らないスキー場であった。
が、いかんせん寒い。
ビールを飲む→大滑走→ビール→滑走ってな具合に寒さを感じないように努力をしたんだが、やっぱり寒くて、酔っ払って、もうどうでもよくなっちゃって退散。

山を降りてから、いったんマリコ嬢の家に戻り、そこから程近い居酒屋へ。
東北最後の夜の飲みであある。
「この居酒屋、ずっと気になってたんだよねー」と言われて案内されたのは、小さな居酒屋だったが酒の種類が豊富!おもに焼酎が豊富であった。ピーマン焼酎だのかぼす焼酎だの見たこともないような種類がどっさり。
でも東北最後だし、今までも散々地酒を飲んできたのだからここでもやっぱり宮城の地酒を飲みました。
店の人とマリコ嬢にすすめられてとりあえずは「澤乃泉 大吟醸」。芳醇でキレがよい。ワインのようだ。地元では大人気みたいだ。高いらしいし。
そいから「乾坤一」「栗駒山」「一の蔵」などをたしなんだが、乾坤一は淡麗で飲みやすいなと思った。最近は芳醇さとかフルーティーさが控えめな、程よく酸味が効いているもののほうが美味しく感じるかもしれん。
そういえば、名古屋の飲み屋で聞いた「これから梅酒ブームがくるんだって」って話をしていたら、ここのお店の人も「梅酒ブーム、もう来てますよ!」と言っておられた。名古屋で聞いた話が仙台で通用するなんて!感動。

不覚にも店の名前を失念してしまったんだが、いい店でありましたよ。
黒松駅の近くなんだけどな。
「OH!バンデス」で取り上げてくれねぇか、ムネさんよ。

その日は焼酎をガブガブ飲んでいたマリコ嬢が酔っ払ってしまい「吐く」と言い出したので慌てて帰宅。
なんとか復活したので同世代女子らしくピロートークなどをしつつ就寝。

5日目
9時半くらいに起きて、前日おみやげで持ってった武蔵の蕎麦を食べる。
大絶賛。よかったー。
その後、ダラダラしてたんだが、午後からマリコ嬢の予定があるというので出かける。しかし、結局コンビニで「Men's egg」を立ち読みしてゲラゲラ笑ってるうちに昼も過ぎてやんの。福岡で地震があったことも知らないという体たらく。
その後仙台に出て、日本一のかりんとうである「岩出山かりんとう」を大量買いし、いつも通り阿部かま路面店で「ひょうたん揚げ」を食し、東北グランドフィナーレは牛タン食らうぞ!と息巻いていたんだが、
仙台ってやっぱり楽天効果でちょっぴり好景気になってんだなー。
牛タンの店、どこに行っても混みまくりなのだった。
以前に連れてってもらった「閣」という牛タン屋ならば穴場かもしれない、と思って足を運んだのだが、残念ながら夜しかやってないらしい。
うーん、どうするか、と悩んだ挙句、結局入ったのはすし屋であった。
秋田、酒田に続いてまた寿司ですよ!
俺ってばホントに贅沢病としか言いようがないわ!

でも、まあ、日本海と太平洋じゃ魚の種類が違うからね!とよくわからん理由をつけて入店。そして昼から「綿屋」の特別純米なんかも飲んでしまう。
これはほとんど純米吟醸なんではないのか。スッキリした味で、魚とよく合うぜなどと思ってたが、脂っこい料理にも合うかもしれませんな。
魚は結局、日本海側と同じく白身魚ばかり食ってたけど(どんだけ白身魚至上主義なのかと)、太刀魚が!もう思い残すことはあるまい。

ちなみにこの寿司食事中にマリコ嬢が大変なことになり、気の大きくなったわたくしは途中から自分の行動力おすそわけ的ないらん説教などをしてしまったのだった。いろいろウジウジした状況になったりしたが、結果的にうまくいったようなのでよかったよかった。
という、報告のメールを受け取った時にはすでに東京行きのはやての中だった。
疲れ果てて眠っているうちに東京着。

まあ、どんなことも猪木の言ったとおり
「迷わず行けよ、行けばわかるさ」
なんだと思った東北出張であった。
いやぁ、東北、いろいろ行ってよかった。
各地で相手をしてくださった方々にはなんと言っていいのやら。本当に本当に大感謝である。いろんな人と交流をすることは本当に楽しいことである。
ますますこの土地が好きになってしまったじゃないか。

というわけで実は4月の終わりも行くのです。
もう、ほとんどビョーキ!とでもなんとでも言ってくらはい。

んで、後日談。
東北から帰った1週間後、会社の別の部署の人に
「こないだの日曜日、仙台にいなかった?」と尋ねられて「へ?」と返す。
「阿部かまでひょうたん揚げ食べてたよね?」
「女の子と2人だったよね?」
・・・なんでそんなに詳しいのよ?と返したら
その人、仙台で私を見かけたらしい。大声でガハハと笑っていて、絶対本人だと思ったらしいが「まさか仙台で見かけるわけがない」と思ったから声をかけなかったんだと。

日本は狭いねホントに。
そして俺はいつでも声が大きいよね。反省。
2005年04月07日(木)

ィヤマガタ、ィヨッパー深夜族〜ドライビング・ノース出張ツアーズその5

気がつけばもう4月。
時の流れは速いな、ホントに時の過ぎ行くままにこの身をまかせてるな。
今年は田縣神社豊年祭も行けなかったし、かなまら祭りも行けなかったので祭り関係はサッパリだったのだけれどその代わりに沖縄でバカンスを満喫してきましたわ。
って、いちおう出張で行ったんだけど。
最近の私の出張は(いや、最近だけじゃないんだが)半分以下仕事、半分以上レジャーだからな。がはは。
なんて呑気に行ってる場合ではない。出張が激減するかもしれないのだから。
いやだなぁ、今と全然違う仕事になったら。
もしなったらならば、ニートにでもなろうかしら。
(ダメだ、ニートになったら旅資金がないじゃないか!)

そんなわけで東北出張シリーズ 鶴岡→山形編
もう少しで終わるからしばしのご辛抱を

3日目
まにさん・さだえさん夫妻のおうちへ。
酒田は海の近くだし、3月も半ばを過ぎているため雪はもう降らないだろうと思っていた。しかし、ものすごい勢いで降ってきたのは雹!というか霰!
バコバコバコバコという、地面の打ちつけられる音が外で響いたのでこの平和な町にも事故が?などと思ったんだが。
それにしても当たると痛そう。氷だからな。
この日もまにさんの「ディスクユニオン酒田店」なCD棚を見せてもらい、オリジナルラブやコーデュロイが並んでるあたりは「さすが渋谷系出身!」と思う。
その後、夫婦のご厚意に甘えて、酒田から鶴岡まで送ってもらうことに。
車中の音楽はコーデュロイでございました。CD棚見せてもらってた時に指摘したかららしい。
鶴岡まで行く間にこのあたりで一番でかいジャスコというものを見たのだが、そのジャスコの横にこれまた広大な工事中の土地が。なんでも日本最大級の面積のアウトレットモールだか専門店街だかを作るらしい。
なぜ日本最大を酒田に?
と思ったが、土地がたくさんあるからNO問題なんだろう。
そして鶴岡のまにさんおすすめのそば屋へ。名前失念。
しかし蕎麦味噌がうーまーいー。昼からビールを飲んで蕎麦を堪能。蕎麦アイスや蕎麦あんみつが気になったがおなかイッパイだったのでやめておく。
外は相変わらず天気が悪く、ずっと雨が土砂降りであった。
鶴岡のおみやげセンターにバスが止まるというので、そこまで送ってもらったのだが雨の止む気配もない。そして荷物が盛りだくさんなのでここでお土産を買う余裕もなかった。まあ、もう一泊山形に泊まるのだからいいんだけど。
ここで買ったずんだジェラートは甘くなくておいしかったです。ズームイン朝で紹介されたらしいんだが。
まにさんとさだえさんと回し食いをして軽くDAISUKI気分。
そこで鶴岡を後にして山形に向かう。
まにさん、さだえさんありがとうございました!また酒田行くぜ!

というわけで山形。
鶴岡→酒田間は大変な大雪であった。これがホントに3月後半なんだろうか。
あまりの雪いっぱいの姿に思わず「おしん」を思い出した。
って、おしんが奉公に行くのが酒田の加賀屋だったか。カヨ様んとこだったか。ああ、泉ピン子が川に入って流産してたのが寒河江だったな、確か。
こんなことならば銀山温泉にも足を伸ばして(しかし、泉ピン子が枕芸者やってたという設定はいまだにいただけないな)おけばよかった。
そんなことを考えつつ寝ているうちに山形着。
旅も3日目後半となれば当然疲れが溜まってくる頃合である。
いったんホテルにチェックインした後、古レコードや古着を買いに行くぞと意気込んで外出したはいいが、山形も雨ザーザー。すぐ帰ってくるからいーやと傘を持たずに出たのだけれど、古レコードを売ってる店は閉店だったりして四苦八苦。
路地裏にあった古着屋でスカートを買う。
小さいけれどいい品揃えの店であった。ここも名前失念。
以前山形行ったとき入った「North」という古着屋も品揃えが大変よかったです。赤いパンプスなどを買ってしまったんだった。今回もまた靴を買ってイメルダ夫人気取りになるところだったが、すんでのところで思いとどまる。もうこれ以上荷物を増やすことはできないからな!

雨に濡れたのもあってか、具合が悪くなりしばらくホテルでダウンしてたんだが、夜は山形に来たらここに行くしかない!というわけで蕎麦屋「酒豪 武蔵」へ。
蕎麦屋なのに「酒豪」を名乗っているあたりが出会うべくして出会った店である。私と武蔵の出会いはこの日記参照
実は、3月だけで山形に来たのは2回目なのだった。
3月初めにもここに飲みに来ていたんだった私は。どんだけ通ってるのかと。東京山形間って何百キロあんのかよ。
その時はしょーもない、くっだらない悩みで凹んでいて、武蔵さんにウジウジグタグタ話を付き合ってもらい、具合悪くなるまで飲んだんだった。
今考えれば本当にどうしようもない話だったが、それに付き合ってくれたうえに「秋田行ったら帰りに寄ってけ」と言ってくれた武蔵さんは本当にありがたいお人である。
いつもいろいろな酒を出してくれるのだが、今回は山形の蔵である六歌仙の限定・蔵の隠し酒を出してもらう。純米吟醸。800本ばかりの限定らしいが、これがまろやかでマッタリでポワーンとした気分にさせられるお酒でしたよ。やや辛口だがいくらでも飲める。マイルド。あ、まろやかと同じ意味か。かといって口の中にべとついた感じが残るわけでもない万能な酒である。
県内限定でしかも売り切れ必須な酒らしいので、ここぞとばかりにたくさん飲み、いつも通り武蔵さんを前に管を巻くのであった。
で、案の定ヨッパ。

4日目
飲みすぎはよくない!と思うのはいつだって朝である。
しかしこの日の午前中はヨッパで倒れている場合ではなかった。電話でいろいろとやり取りする仕事があったのである。しかもそれが変に梃子摺ってグタグタ。
めんどくせーなー。でも、こんだけ遊んでるのだからちょっとばかり仕事をするのは当たり前である。
とりあえずその仕事を終わらせ、きもちわりぃと思いながら再び「武蔵」に行って前日食えなかった蕎麦を食う。いちおう蕎麦屋だからね。そしてなんで食えなかったのかって、マンヨッパでとても食える余裕がなかったから。
前日に酔っ払って「仙台の友達のところに蕎麦をお土産で持っていきたいんで打ってくれー」と頼んだらしく(あんまり覚えてなかった)、それを覚えていてくれて打ってくれた武蔵さんには大感謝だ。

蕎麦のおかげでなんとか持ち直したので、その調子のいいまま仙台に向かう。
だって仙台では・・・

以下、ようやくファイナルの仙台編に続く


余談だが、東北巡礼から帰った翌日に武蔵さんから六歌仙・蔵の隠し酒が送られてきました。キャー!まったく予想していなかったので大驚き。
県内限定だから東京では飲めないと断念していたんだが、ああ、なんともありがたいなぁ。
山形に行ったら「酒豪 武蔵」に行ってみるといいよ!


お知らせ

「股・戯れ言」から旅日記だけを抜き出してみました。

股旅・戯れ言
http://mykit.jp/pc/maaa55/

まだ編集中ですが、11月のいわき漁村参りとか、10月のらむさんのコメダに行った話などもこちらに書いてあります。読んでやってくださいまし。

ちなみにもう一度貼りますが、旅先写メール日記は

ネタ・戯れ言
http://blog01.yapeus.com/users/maaa55/

こっちでございます。
これにはもうすでに沖縄出張の話も沢山載せているのでどうぞ。

HPもようやく重い腰を上げてリニューアルすることにしましたのでしばしのお待ちを。

2005年04月06日(水)

酒田24アワーパーティーピープル〜ドライビング・ノース出張ツアーズその4

> イアン・ブラウンのステージにローゼズのメンバーが(BARKS)
>
> イアン・ブラウンのステージに、ストーン・ローゼズの元バンドメイトで
>現在プライマル・スクリームのベーシストとして活躍するマニが参加し、
>2人でローゼズの曲をパフォーマンスした。これは3月24日(木)に
>行なわれたブラウンの<King Monkey's>UKツアー、ブラックプール公演で
>の出来事。つかの間のローゼズ再結成に観客は大喜びした。
>
> NME.comによると、ブラウンは90分のソロ・パフォーマンスの最後に
>「拍手でマニを迎えよう。みんな、マニだ」と叫び、彼を紹介。その後、
>2人はローゼズのヒット曲「I Wanna Be Adored」をパフォーマンスしショウを締めくくったという。
>ブラウンはこの夜、ソロ・パフォーマンスの際にもローゼズの曲を披露して
>いるが、ローゼズのバンドメイトとのパフォーマンスに観客の熱狂振りはひ
>としおだったようだ。
>


アイワナビーアドーゥーオーォーをやったのかよ!
見たかった!
むしろサマソニ、イアンとマニが一緒に出るなら行くってば!(まだどうしてもサマソニには素直に行く気になれない)
ちなみに、こんなニュースも。

> ザ・ハッピー・マンデーズ、イースター公演に続いて夏フェスに出演が決定!(NME/VIBE)
>
> ザ・ハッピー・マンデーズおよびザ・ファームが、3月27日の早朝に2夜にわたって開催されたスペシャル・イースター公演を終了した。
>ロンドンのブリクストン・アカデミーで行なわれたこのライヴ・イベント
>「48 Hour Party People」を大成功のうちに終えた彼らだが、
>続いてこの夏開催されるフェスティバル「Get Loaded In The Park」にも
>出演が決定したという。
>

ハピマンもこの勢いに乗じて日本のフェスに来てくれー
たーのーむー
サマソニでいいから!(ああ、今年のサマソニはUK色だ、ホントに)
ついでにインスパが物凄く見たい今日この頃。さすがにインスパは無理か。
てか今なにやってんだろう。


というわけで、再び東北出張シリーズ。酒田編でございます。


2日目夜

酒田でまにさんと一年半ぶりに再会。
おお、今日の枕話がローゼスのマニの話だったことと見事に符合したな。
まにさんは私の人生で出会った人の中でも指折りのリアル版レコスケで、指折りのマンヨッパニストな方だ。
私もイアンばりに「拍手でまにを迎えよう。みんな、まにだ」と紹介したいくらいのナイスガイです。
まにさんといえば大瀧詠一やスタカンやパブロック、そいからアシッドジャズ(!)というイメージだったんだが、久々に会ったまにさんが
「今、一番聴きまくっているのはサンボマスター」
と言った時は度肝を抜かれました。NRBQとサンボマスターしかほとんど聴いていないという具合。
サンボマスターはホントに世の男性の心を鷲掴みなんだなぁ。いや、男性って言い方は適切じゃない。言い直そう。
サンボマスターは世の男子心を鷲掴みなんだなぁ。
乙女心の正反対の言葉が思い浮かばないので男子心と言っておく。もっと正確な言葉は「童貞心」だろうけども。(ああ、処女っておとめとも言うからそっちのほうがドンピシャだなホント)
まにさん曰く「もうね、声がバービーボーイズなのよ!」とのこと。そう言われるとコンタの声に聞こえなくもない。あと「〜ですか皆さん!」という語りがたまらんらしい。

そして夕食は「だるま寿司」というすし屋へ。
「酒田はなんといっても魚だからね!」というわけで、次々におすすめを出してもらったんだが

ほんとに美味い!

あまりの美味さにビックリした!
私は断然白身魚好きなんだけど、どの白身魚も美味しくて美味しくてしょーがない。海の幸マンセー。海老を炭火焼で丸ごと食べたのがたまらんかった。
そして筍や豚の角煮も出るという素晴らしいすし屋でした。
角煮がまたやわらか。
あ、もちろん飲みましたよ。
ここで飲んだ地酒は「杉勇」という銘柄のものでした。昼間に立ち寄った遊佐のお酒だそうだ。
杉勇という字面から超辛口の男の酒!東北男児の生き様!みたいなものを想像していたのだが(ラベルの字なんか髭文字だったし)、これが意外にも濃厚でも淡麗でもなく飲みやすい。スマートな印象すら受ける。やや辛口ですが。
熱燗にすると東北男児ぶりを発揮したりするのかもしれん。熱燗だと私の想像通りの胸毛(繰り返すがラベルの髭文字からの連想)な酒になったりして。こんだけ飲みやすいとそうでもないかもしれんが。
まあ、飲んだり食ったりもさることながら、まにさん・サダエさんとの会話も楽しかったです。ほんっと久々だっただけに!
お土産として、北上で買った藤村さんのところの「タクシードライバー」を渡したら「ああ!気になってたんだよね!」と喜んでもらう。さすがはまにさん、映画秘宝読者だわ。
そのタクシードライバーをそのままだるま寿司で冷やしてもらう。なんて粋なすし屋なのだろう。主人のアツシさんはプロレスの話にも精通していて、プロレス話もひとしきりした。アツシさんはノア好きだというから全日系であったが、まにさんは新日系なので微妙に違っていたが。それでもW★INGの話とかを結構したような記憶が。
そして味わったタクシードライバーは・・・これこそ濃厚でマッチョな純日本酒でしたよ。こちらのほうが東北男児という具合。熱燗にしたら香りがとてもよいらしい。
だるま寿司の自家製日本酒もいただきました。寿司だけでなく日本酒も旨いなんて、ほんと日本海一男前なすし屋ですよだるま寿司は。
酒田に行ったら是非是非。


すし屋を出た後はトゥモローというショットバーへ。
私は酒飲みではありますが、「おとなのお酒の飲み方」はできないのでショットバーに行くこと自体珍しい。そしてカクテルを飲むなんて機会もほとんどなかったので何を頼んでよいのかオロオロ。
まにさん(すでにヨッパ)が「オリジナルカクテルを作ってもらえばいいんだよ」と言うので、作っていただきました。
水色というか青のカクテル。
ああ、私は青っつうか紺ばかり身に着けているだけあって、青というイメージで作ってもらえたんだなー。ありがたや。そしてシャリシャリしてうまい。
まにさんはすし屋の後半から絶好調だったが、ここにきてさらに盛り上がって声がでかくなっていた。私も声がでかいが、勝てねえ。ヨッパとは声がでかくなることなのかもしれん。周りは迷惑かもしれないが。
カクテルを2杯ほど飲んだところで、なんだか疲れてしまったのでこの夜は終了。
なかなか渋い店だったので長居したかったんだが。今度酒田行った時はもっとこの店で飲みたいなー。

なんにせよまにさんは酒田ではホントに顔が広いなと思った。
ゆるぎなきローカルネットワーク。毎日飲んでるようだったが、すばらしいよ、いやまったく。
まにさんこそ24時間パーティ(=飲み)ピープル!おマンチェ!酒田のベズ!(背の高さとか)

そろそろ生理痛がしんどくなってきたので続きの鶴岡編はまた明日。
2005年03月30日(水)

ユーズ・遊佐・イリュージョン〜ドライビング・ノース出張ツアーズその3

昨日、足をくじいたのですが、家に帰ってよくみたらくるぶしがボッコリ腫れていたのだった。
やっべーなー、左足首は昔骨折したことがあって、次に折ってたら「ボルトを入れる」と言われたんだよなー20年くらい前の話だけど。
しかも20年前に骨折したのは、たんに角を曲がっただけなのになぜか複雑骨折をしたのだった。いまだに「なぜ、角を曲がっただけで・・・!?」と思う。
その後、中学生の時に
「電源コードに足を引っかけて、こける時になぜかとっさに右手の親指で全身を支えようとして骨折」
という骨折を経験したんだった。超人のつもりだったのかと。
ああ骨折。でも小学校高学年〜高校生の時の憧れは「骨折で入院すること」だったんだけどな。今はダメだ、骨折してる場合じゃない。
なぜならば・・・

その前に東北出張・遊佐編

2日目昼

秋田から新潟行きの特急「いなほ」に乗る。
日本海沿いの線路を走る列車に感動。12月のいわき→水沢移動時には太平洋沿いを走ったので両沿岸を制したことに軽く満足感を覚える。
覚えている内に知らぬ間に寝る。午前中の作業で疲れたらしい。
パッと目が覚めたら目的地の駅だった。上着もろくに着ないまま慌てて降りる。荷物も袋3つなので大変だ。

降りた駅は「遊佐」という駅でございました。
AVサイト「エヴィサン」の管理人兼ニート・遠藤遊佐嬢と同名の駅でございます。酒田に行くにはちょっと時間が余ってるし、どうしようかなと思いながら路線図を見たらこの「遊佐」という名前が目について、どうしても降りざるをえませんでした。
ネタのためだけですよ、ここで降りたのは。
って、まあ、ネタのためだけってわけでもなく、温泉があるらしく、こんだけ東北を回るのであれば温泉にも入りたかったと思っていたわけです。
しかも遊佐には「あぽん西浜」という町営温泉があって、これまた遠藤さんゆかりの2ちゃんねる用語「あぼーん」を彷彿とさせるのでちょうどよかったのでした。

遊佐駅からタクシーに乗ってあぽん西浜へ。
平日の午後だったからだろうか、老人がとてつもなく多い。雨が降っていたんだが、内風呂にあまりに老人が溢れかえっていたので露天風呂に入る。
当然濡れる。半端なく濡れる。
まあ、あとで頭洗えばいいや、と思ってたらおばあさんがあたまにビニール袋を巻いたまま露天風呂に入ってきたのでびっくりした。顔の部分だけちゃんとビニールから出るように工夫してあンの。やるなぁ。
内風呂に移って風呂に浸かってたんだが、やっぱり老人がいっぱい入ってきたので退散。
あれなんだろうか、福祉の一環で老人は温泉タダとかそういうのがあるんだろうか。
お湯は茶色だけど透明でよかったです。作業で腰を痛めていたのでよかった。
しかし湯上がりにサロンパス(秋田で購入)を貼ったらじんじん痺れた。
そして臭い。サロンパス臭い。
まあ脱衣所全体が湿布の匂いでイッパイでしたが。

温泉を出てさあ酒田に行くか、と決める。
行きは遊佐からタクシーで来たが、帰りは徒歩で吹浦という駅に出られるらしい。これは歩いていくしかないだろう。
しかし外はあいにくの雨。
しかもタクシーで来たので傘を持っていないという有様。
受付の人に忘れ物の傘を譲って貰う。心底ありがたい。
そんな感じで温泉を後にしたのだが、徒歩とはいえども徒歩15分である。遠い。荷物は重い。雨は降っている。まさに悪条件である。
教えられたとおりに道をすすんでいくと日本海が見えてきた。
ああ!日本海!
11月にいわき作業に行った際は太平洋を見てぼんやりした。寝図美よこれが太平洋だと思ったりした。というわけでこれは是非とも日本海も制したい。そして2つの海を制したってだけで軽く満足感を覚えたい!なんの自慢にもならんけど!

・・・と思ったが、日本海側に歩いていくことはやめた。
なんつっても雨強すぎ。海に流れ込んでいる川の水面も大荒れなのだから、海の荒れ方はハンパないことだろう。そもそも川だって柵がいい加減な感じでしか建っていないのだから、海は本当にキケンである。
雨が強いのだから当然人影もない。
ぶっちゃけ、私は海が怖いのである。
海って何がいるかわからないのでこわくね?って誰に対する問いかけかは知らないが。ほんとに何が沈んでいるのかわからないのが怖くてしょうがない。
いわきの漁港に行った時も海こえーと思ったが人影があったのまだ耐えられただけだ。人がいなかったら行ってないわ。
そもそもいわきの漁港は「海で遭難した人のための記念碑」が建っていて、もう、それを見ただけで足がすくんだほどである。そして近くの海水浴場は何年か前に閉鎖されていた。閉鎖されていたのを知らなくて釣りの人にまじってそこに行ったけど、閉鎖の看板を見ていたら行っていなかったことだろう。
そんなわけで日本海もこわかったー。
川の防波堤から日本海を臨むと、岩に鳥居のようなものが建っているのが見える。もうそれだけでダメ。こわいよーホントこわいよー。人が一緒なら平気だが、さすがにひとりでは無理だ。
しかもその岩のあたりに何があるのかをうっすら知っていたのでさらに足が進むわけがなかった。







これを薄暗い雨の中ひとりで見に行く勇気はないのです。
海難事故で亡くなった漁師の霊を鎮めるために明治元年に作られた貴重なものではあるらしいが・・・神様、ゆるしてくれ。大目に見てくれ。
「十六羅漢」という言葉だけ聞いて、とっさにパタリロ西遊記を思い出し、盤古羅漢(バンコラン)とか飛雄糸(ヒューイット)とかがいるんだわ!と当初は喜んでいたんだが。ヘタレだったわ俺。度胸試しとかできなかったわ。
そそくさと逃げるように駅へ。

その後順調に酒田へ。
余談だが遊佐の駅も吹浦の駅も駅員が女性でした。そして羽越本線の車掌さんも若い女性だった。
俺もJR東日本で働きたいと思うことしきり。

なんだかんだで酒田着。
ほどなくしてまにさんが迎えにきてくださった。
まにさんと会うのはこの酒田訪問以来だなぁ。ざっと一年半ぶりか。
会って早々、あまりの荷物の多さに「家出?」ときかれる。
まあ、そんなもんだ。


眠くなったので酒田編は次回に。(ひっぱるなぁ、酒田)



ちなみになんで骨折している場合じゃないのかというと、の続きは

「今週末、沖縄出張だから」

なのです。
初の沖縄上陸ですよ!今までさんざん東北ばかり行ってたのに今度は沖縄!しかも南国!でもどこに行って良いのかサッパリわからん、という具合。
今のところ沖縄での楽しみは「デューティーフリーでの化粧品購入」くらいしか浮かばないんだけど、どこに行けばいいのでしょうか。
沖縄でオススメの場所なんかがありましたら是非ご一報を。
メールは8thekey@infoseek.jpでござんます。
2005年03月29日(火)

タイム・秋田ータイム〜ドライビング・ノース出張ツアーズその2


わたくしの永遠の想い人であるクリス・コーネル様。
そのコーネル様のオーディオスレイブがニューアルバムと共に世界ツアーを行うそうだ。

>北米ツアーの後、バンドはヨーロッパに飛んで、
>5月下旬〜7月初旬にかけて、スペイン、ドイツ、イングランド、
>スウェーデン、オランダで、フェスティバルに出演したり、
>アリーナ公演を行ったりする。

フェスティバル回るのか!
だったら是非とも、是非とも日本にきていただきたいのです。
公式サイトにも飛んでみたが7月終わりまではツアー日程書いてなかったけども、数日後には更新されていることを望んでおりますとも、フジロック参戦が。

あと、髭属性のわたくしとしましては、こちらの方のライブに行くつもりでおりますとも。
うわーいい男だなー

俺は絶対!ヒゲ好きニシャンだと改めて思った。


そんなわけで東北出張、第二の都市秋田編

1日目夜

夕方に秋田着。
一度目の秋田は「情緒が欲しいから」とかいう理由で小さな街角旅館に泊まったのだけれど、二度目の今回はかなり町中に宿泊。
なぜかというと、今回の出張は実は単独行動ではなくうちの会社の営業が来てたから。ついでにいうとお客さんも来てたから。
今まで、ほとんどの出張を単独でやってきた私にとっては、他の人間と一緒に行動しなければならないのはかなりの苦痛であった。いや、お客さんは東京で何度も顔を合わせている人だからいいのだ。
問題はうちの営業である。
こいつが、うちの会社のほかの人誰にきいてもすこぶる評判が悪い奴なのだ。
かくいう私も、年末のいわき→水沢→山形出張時にこいつに迷惑をかけられた経験があった。(ここ参照
見た目はちいせえオッサンなんだが、なんというか話し方がやたらハキハキしていていちいち癇に障る。余計なことしか言わないし、とっさの判断が間違いすぎだし、最終的にどうにかなったものをさも自分の手柄のように話すのだ。
要するに出しゃばりなのである。出しゃばりでバカ。あーなんでこいつ秋田まできてんだよ、こなくていいよっていったのに。
といっても来てしまったのでしょうがない。
しかし、ホテルのロビー(幸いにも別のホテルであった)にまで迎えに来たり、あらかじめ「いろいろ調べておきましたから」とお客さんに付け焼き刃の知識をひけらかしたりする姿には心底いらついた。
何かにつけて「インターネットで調べたんですよ」を連発するあたりなんか、一時期の橋田壽賀子かと思った。のちに酔いが回ってきて自分から言っていたが、「インターネットでですね、2ちゃんねるのまちBBSを隈無く見るんですよぉ」だってよ。俺、そんなん利用したことねえよ!
また、同席したお客さんがかなりの酒好きで、ワインが趣味らしくワインの話をいろいろ聞いていたら、「是非ともそのワインの話をインターネットで流すべきですよぉ」なんてアドバイスしてやんの。
うるせえよホント。お客さんも苦笑ですよ。
もうすでにやってるかもしれねえだろうがよ。
そんで、私にも
「出張をそんなにしてるんだったら、インターネットで公表すべきですよ」
とか言ってきやがった。
ホントにうるせえ。
もうすでにやってるんだってばよ。
しかもそんだけベラベラ話していろいろ頼むくせにほとんどメシも食わないわ酒も飲まないわで(遠慮しているのではなく単に弱いだけ)、私とお客さんはどんだけきりたんぽ鍋を食べさせられたことか。うまかったけど。
しかしこいつの異常なほどいい格好しぃなところを利用して、
刈穂大吟醸
新政純米酒
飛良泉純米酒
高清水本醸造原酒
などを次々に飲むことが出来た。
それだけは感謝しておこう、タダだったし。刈穂の大吟醸は大変淡麗でさっぱりしていて美味でした。

で、店を出たところで営業はヘロヘロだったんだが、お客さん(ホントに酒好き)が「まだ早いからもう一軒行きましょう」と言ったので行く。
さすがに二軒目に関してはリサーチしていなかったらしく、バカ営業は「この店どうですか?」とチェーン店のようなところを言ってきた時はビックリした。「いや、カウンターの店とか行きましょうよ」と言って、ちょっと古い飲み屋へ。
おばちゃんがひとりでやってる店で、変わった日本酒お願いします、と頼んだところ、由利正宗の古酒と縄文能代を出してもらう。
由利正宗の古酒は、ほんとに変わったコク。口に含むと濃厚なんだが、飲み口はむしろ淡麗。口当たりで好き嫌いが分かれるような気もするが。そして縄文能代!これは前に本で読んだことがあって、香りもいいし軽いしいわゆるワインのような日本酒かと。秋田で飲んだ日本酒の中ではこれが一番気に入りました。

そんな感じにハタハタの薫製や比内鶏食べたりして終了。
しかしお客さんはホテルに戻った後も飲みに行ってしまったらしい。

2日目
朝から作業。
お客さんは具合悪そうだった。当然か。
私はあそこで止めておいてよかったと心から思う。作業の方は、一部トラブルがありながらもなんとか終了。
バカ営業がさっさと帰るというので心から感謝する。
といっても私も12時49分の新潟行き特急いなほに乗らないと酒田には行けないので、自由になる時間は1時間弱。お客さんもまた、飛行機の時間のために秋田で自由になる時間は2,30分であった。
というわけで前日、おばちゃんの店で教えてもらった秋田地酒が買える店に行って地酒購入。お客さんも私も選んだのは飛良泉の新酒であった。今思えば縄文能代買えばよかった気もするんだが、新酒のほうが「現地でしか買えない感」がある気がしたので。
そこでお客さんとはお別れ。特急まではあと50分。さあ、どうするか・・・
迷うことなく駅前の市場へ。
ここの「市場いちばん寿司」という回転寿司が忘れられなかったのです。
前回の秋田出張時にタクシーの運転手、市場の魚屋の人に「絶対うまいから」と強力推薦されて訪れていたんだが、ほんっっとに安くてうまいのです。
とくに牡蠣の軍艦巻が!
ああ、ほんとに絶品。鮮度もバツグン。
それが二貫で230円ですから。
しかし時間が殆どなかったので牡蠣やすじこやヒラメなどをぱっぱと食ってすぐに退散。ああ、時間がなかったのが本当にくやしい。
しかも時間がないうえに、会社の子に「きりたんぽを買ってきてくれ」と言われたことを思い出す。
電車が出るまでほとんど時間がないのに急いでクール宅急便のきりたんぽを注文して郵送。そして駅のコインロッカーに預けていた荷物を取る。
ギャー!鍵どこに入れたかわかんねー!
あわてふためくうちに発車の時間が迫る。
ほんとに乗り逃しはできないのだ。なぜならばこれに乗り遅れたら次に出るのは14時50分くらいだから!
出ーーーたーーー!(浅草キッド調)
必殺!2時間に1本の田舎電車!
しかも各駅!
何時間かかるんだよ!そんなわけには行くまい。

というわけで大荷物を持ちながらホームまで駆け下りて、バタバタ走ってなんとか乗車。
発車の1分前であった。
向こうのホームからは青森行きの特急が発車していた。
ああ、秋田からは青森も行けたんだなぁ。「青森に縁がねぇぜ!行こうと思っても行けやしない」とか思ってたが、東京→秋田→青森→北上→仙台というルートもアリだったんだな。
まあ、この後は酒田に行くんだが。
今度の秋田出張時は青森に行くことにしよう。

ちなみにこの秋田滞在中泊まっていたホテルの地下がライブハウスでございました。泊まった当日はニコチンのライブがあったらしい。どうりでその日、7SECONDSのTシャツを着ていた俺はジロジロ見られたわけだ。
ホテルのロビーにミチロウが表紙のチラシが置いてあったりして、変わったホテルだなとばかり思っておりました。でも惑星やPE'Z、ゴーイングアンダーグラウンド、銀杏BOYSなんかも来てるとこらしい。
興味があるアーティストがぶつかってたら見に行ってたんだがな。バカ営業と飲みに行くよりはるかにいいでしょうそのほうが。


そんなわけで、次の滞在先、酒田編に続く。

いや、酒田に行く前に寄り道をした「遊佐」編に続く。
2005年03月24日(木)

字読みづらい!けどメッセージフォームです


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