股・戯れ言


BBS

ジムのカーには乗れそうにないマインド

金曜の午後。
お客さんに対する対応のことや設定について議論を交わしている声がそこかしこから聞こえてきます。みんな真面目だよなぁ。私が考えていることといったら

1.コリン・ファレルはなぜエロいのか
2.コリン・ファレルはデアデビルの時が一番エロいよなぁ
3.コリン・ファレルのデアデビル登場時は濡れたね(抜いたね)
4.明日から旅するとしたら何処に行こうかな
5.生理も終わったことだし自慰解禁だわ
6.でも肝心の性欲が戻ってこない。どうしたことやら。
7.「王道の狗」新刊買わなきゃ

こんな感じなのに、真面目に働いている方々と同じ給料貰って申し訳ないす。ホントはそんなこと全然思ってないす。私は私の仕事をやってるからいいのす。
そして性欲の枯渇もあまり問題にはしておりません。まあ、こんな時もあるだろう、くらいの心持ちで落ち着いております。ホントはよろしくないんだがな、たぶんきっと。まだ早いよなぁ。
なんて書いてたら人が後ろを通過した。見られたような気がしないでもない。
とても訝しげに顔を見られましたから。

昨日は会社の人の送別会だったのだが、帰りが部長と同じという珍しいことが起こる。部長とは滅多に絡まないのである。
で、部長(ヨッパ)に散々指摘されたのだが、「なんでそんなにかばんがデカイ&重そうなんだ」と。
知ったこっちゃありません。しかし、前々から私も「なんでこんなにかばんが重いんだ」というのは自問していたところだ。そこで、私のかばんに入っているものを書き出してみよう。

・財布
・PC(DELL製のめちゃくちゃ重いやつ)
・ケーブル(5本)
・ドライバー(プラス・マイナスあわせて4本ほど)
・ニッパーおよびペンチ
・ラッキング器具の予備
・ビス(20個くらい)
・各種資料
・CDウォークマン(買ったものをその場で聴きたいから)
・CD2枚ほど(今日持ってるのはBROKEN SOCIAL SCENEとビキニキル)
・化粧品
・単三電池4本
・足消臭スプレー
・香水
・各種薬(今は胃薬と鼻炎薬とハイチオールC)
・競馬投票チェックシート(大量)
・本(2冊、ハードカバー)
・JR東日本のチラシ

・・・そりゃ重いわけだ。どこにでもすぐに行けるように揃えてあるんだから。シャンプーリンス、メイク落としなどは会社の机の中に常備してあるしな。ああ、髪留めも入ってた。何がしたいんだ俺は。
で、曲者であり厄介なのがPCではなく本である。
どういうわけか、私はハードカバーの本を買いたがる癖があるようだ。文庫のほうが経済的かつ持ち歩きが便利だというのに。ちなみに会社の机の中にも本が大量に置いてあるのだがこれが見事にハードカバーだらけで邪魔極まりない。
「シンプル」とか「最小化」ができない人間なのだよな。
それはこの日記も然りである。どういうわけか文章が長くなる。短い文章で簡潔にまとめてある日記のほうが読みやすいし理想的なのである。しかし長い・・・病的に長いネ!と言われたことだってあるさ。
ああ、私は大きい/多いものisベストシングだと思ってきたんだなぁ。
自分でもこれはタダゴトではないと思う。この「大きい/多い至上主義」こそ克服するべき問題点なのではないか。
がんばってシンプル目指します。
小学生マインド改めシンプル・マインドを名乗る勢いで。
でもかばんの中身は減らないだろうな。
商売道具ばかりですから。
いや、ホントは斜めがけのバッグとかで出勤したいんだ私は。財布と化粧ポーチと携帯入れたら一杯一杯になっちゃうようなやつ。ああ、でもそしたらCDウォークマン入らねぇか。本も手で持ち歩かなきゃイカンのか。ナプキンだって持ち歩けやしないじゃないか・・・!

シンプルへの道は果てしなく遠い。
あと、コリン・ファレルがエロイのは、過剰な眉毛と過剰なヒゲ感(濃い)ことだと思います。やっぱり私は過剰が好きなのか!過剰溺愛か!



ところで。
神様はいたみたいです。
出張行けそうですわ。ありがたいことに北東北(豪雪!日本海側)ですわ。
少しだけ胃痛が治まった気がする。
2005年02月04日(金)

E2

何回か前の日記に「胃が痛い!罪深い!」と書いてましたが、一時期落ち着いていたのにまたしても胃が痛い。なんなのこれは。
私の自慢は目がいいことと胃がいいことだったんだが、こうなるともうアイデンティティ崩壊である。いや、以前に目が僅かに悪くなったことがあって、「アイデンのほうが崩壊しそうだ!」と騒いだことがあったんだった。
ということはティティのほうも崩壊か。脆いアイデン&ティティであった。合掌。

なんて言ってる場合ではない。
ホントに人生初の胃痛なのである。前代未聞。空前絶後。一期一会。いや、これからは胃痛を伴う人生になるかもわからんが。今まで友人が「胃が痛いのでご飯食べれないワ」と言っても「あ、そう。じゃあ飲みに行こうぜ」と対応していました。胃が痛いってのがどんなものなのかわからなかったのです。傷口が傷む程度のものにしか思っていなかったのです。
が、今はわかる。その友人にはなんて悪いことをしたのだろう。いまや私の胃もビールは受け付けなくなってしまった。炭酸は相変わらず飲んでいるが、ビールはしんどい。スマトラ沖津波のごとく胃壁を襲っているのである。そんな人口災害をわざわざ自分体内で起こしたくもないんでビールはヤメヤメ。それでも、まあ、ひっそりと日本酒は飲んでいるのだが。(買ってきて勿体無いから)今まで「すべての行動を妨げる痛みは歯痛だけである!キング・オブ・エイク!(生理痛をのぞく)」と信じて疑わなかったのだが、胃痛もそれに匹敵する痛みではあるな。しかも内臓の痛みなので表面的には差支えがない、というのがさらにしんどい。
しかしさすがに2週間以上も胃が痛いと唸っているので、周りもホントに胃が痛いということを信じてくれるようになりました。真実は強し。(今までどんだけ仮病を使ってきたんだ私は)

まあ、胃が痛いというのは悪いことだけでもない。
牛乳/乳製品の類が胃によいというので、一日に何度もその手のものを買いに行くのだが、もちろんただ買いに行くわけではなくコンビニとはまったく逆方向の川べりをフラフラと歩いて一服、というようなことを毎日やっているような気がする。就業時間も呑気なものだ。外は寒いが、胃痛がやわらぐ一瞬でもある。
ああ、私は会社に居たくないんだな。きっとそれがストレスなんだな。どこか遠くに行きたいだけなんだな。このまま作業着羽織ったままでいいからタクシー止めて「羽田空港まで」とか言っちゃって羽田着いたら30分後とかに離陸するような便に乗ってしまいたいんだな。でも運賃は片道15000円以下のところがいいな、あんまり高いとあとで後悔する方がイタイしな。機内ではスープとりんごジュースを飲んで元を取るのだ。
そんで空港に着いたらバスに乗って街を目指そう。空港のうどん屋で腹ごしらえをしてからでもよかろう。あ、でもリムジンバスは高いんだよないやだなぁ・・・などと考えても、結局手元には200円くらいしかないので(コンビニに行く時は余計なものを買わないように500円玉握り締めていくようにしている)とぼとぼと机に戻るしかないのであった。(時には「200円で遠くまで行けるシステムを作るべきだこの国は」などとも考えるが)
まあ、妄想力は高まりますわな。
今朝なんぞ、妄想力高まりすぎて「会社に行かずに仙台に行ってしまう夢」を見てしまう始末。そういえば「会社に行くつもりで外出したが、気がついたら(つうか意図的なんだが)新幹線の改札をくぐっていた」なんて行動も久しくやっていない。ウズウズする。なんでそんなに旅がしたいのかよ。(孫風)自分でもわからない。とりあえず人の思惑とか悪意とか思いやりとかなんか知らないがそういうものをやり過ごすのが面倒でたまらんのだよな。そういうのが胃にハッとしてグっと来てるんではないのか。特に去年の旅ラッシュのことを考えるとなぁ。
アフター・ザ・旅ラッシュ。旅敗れて胃痛あり。そこまで大げさなことではないんだが、どこかに行きたい。どこかに行きたくてたまらない。「遠くへ行きたい」のプロデューサーになりたい。これはちと違うな。
ああ、ほうとう食いに出かけようか。山梨ならば安いしな。それもいいな。悪くないな。胃にもよさそうだしな。
「路上」でも読み返してイメージを固めるとしよう。

話は変わるが、我が家に韓国の方が再びいらっしゃるらしい。
ま、いつも通りターミネーター(妹)の友達なんだが。
以前にも韓国の方が3,4日ほど滞在していたのだが、今度は2人!そんなに長くはいないみたいだがいつの間にうちはホストファミリーになっていたのだろう。んで、うちの井筒監督似の人(父)が「なんでそんなにホイホイ呼ぶんだよ」と怒っていたが(でも井筒監督似はうちのターミネーターに弱いので直接は言わない。ヘタレ)、まあ、2人とも日本から帰ったら兵役(!)に行くらしいんで、別に呼んであげてもいいんじゃないかと思う次第。兵役か〜日本は縁がないからあれだが、台湾だって徴兵制あるんだもんな。ドイツとかもあるんだっけ。いやぁ、日本はつくづく平和だ。
んで、この韓国の方々、もうすでに日本には来てるそうで、私が韓国一いい匂いのするシャンプーがもう一度使いたい、と妹に話したところ、わざわざ買ってきてくれましたよ。ありがたや。我が家は「他の国で使われているシャンプー/リンス使いたがり一家」(海外旅行に行ったらシャンプーとリンスを買ってこなければいけない、コレ立派な義務)なのでホントにホントにありがたい。
というわけで、我が家に来た時はどうふるまってあげようか。せっかく「今年は着物を着るぞ!」と意気込んで、結局着たのが正月一回ポッキリなので着物でも着ようか。帯の結び方もなんとなく覚えたことであるし。
しかし家で着物って、それが自然になるまでは照れくさいもんなんだろーなーうちのターミネーターに「気張りすぎ」とか言われそうだしなー。俺は病的な照れ屋だしなー。ああ。
そもそも、着物de出迎えって、別に「ふるまう」の範疇でもないような気がした。こういう時は料理とかできたら便利だな、とふと思う。
作ってみるのも一興なんだろうか。(兵役前の思い出がマズイ料理になるのも可哀相だなオイ)
2005年02月03日(木)

大都会性交響楽

昨晩のことだ。
深夜の山手線。月曜の夜だろうと酔っ払いは存在する。
かくいう自分も飲まないつもりが日本酒一杯を胃に流し込んでいた。翌日の仕事のことを考えるとなかなか二杯目に手を出す気になれず、一杯だけで止めておいた自分はとても懸命に思える。酒の継続誘惑を断ち切ることができただけで私は満足なのだ。
少量の酒は体によい、というのは紛れもない事実なのだ。2杯目に至る前の、後頭部がじんわりと痺れだす前の神経が酔いに抗って、やや敏感になるぐらいの感覚がとても好きだ。もっとも、普段飲む時は一杯が二杯、二杯が三杯・・・と言った調子に増え続けていくばかりなのでこの感覚にはなかなかお目にかかれるもんじゃない。そのレアさゆえに好きなのだろう。「(酒を飲んだのに)今、俺は酒に飲まれてないんだぞ!」という優越感。そんな感覚大してレアじゃねえよ、と思われるかもしれないが、酒VS私で0勝∞敗の私にとっては大変に稀な事なのである。
それはともかくとして、今、目の前に酒に飲まれて大敗をしている女がいる。
タイトスカートの張り付いている尻がひどく肉感的だ。実が十二分に詰まっている。しかしタイツが黒(推定160デニール)なのはいただけない。せっかくブーツ履いてるというのに。ひとりでは立つこともできないのであろう、横にいる男が彼女を支えている。支えているというよりは抱きかかえていると言った方がよさそうだ。
深夜の山手線外回りは池袋駅で人間の大群を吐き出す。それに乗じて私も空いた席についた。立っている人はごく僅か。先ほどの酒に飲まれた女性も座りたい素振りを見せた。だが男が離さない。抱きかかえる、という具合がいつの間にか抱きついているように見えてきた。実際、彼は抱きしめていたつもりなのだろう。
騎士きどりなんだろうか。
どんなに飲んだのかは知らない。
しかし、女は酔いに任せて色目を使っているようにはどうしても見えないのだ。
それどころか、半分以上寝ているので足元もおぼつかないのである。座りたいという具合なのである。
それでも男は座らせない。
座らせないどころか、あろうことか耳たぶを甘噛みなんぞをしているのである。
女の顔という顔に接吻を繰り広げているのである。私の位置からはよく見えなかったが肌を弄ったりもしていたことだろう。
まあ、男女の深い関係の川などはとっくに渡り合っている二人であるのはよくわかる。
にしても、片方が泥酔して記憶がほとんどなさそうな状態で(もっとも、彼女はとんでもない酒豪で酔拳のごとく酔ったフリをしているならば別だが)介抱をするならばそういうことはあまりしないべきなんではないか。
この女性、ドアが開くたびに頭がドアの外に垂れていたくらいでしたから。よっぽどの酔いっぷりだろう。
若いサラリーマン(推定・27歳営業マン)である。コムサメンズの紙袋が足元に置いてあるのだからそれなりの身なり(いや、普通にスーツなんだが)でもある。そういう男子が「誰が見ても全身勃起男根状態(先走り汁ダクダク)」であるのを何も公共の場で示すことはねえだろうよ。
若いとは即ち性欲の塊のことである。
そして現代は空前の性解放時代といっても過言ではない。
性欲自己実現が容易に叶う国、それが日本・・・(自己実現の意味がちと違うが)
でも、やっぱダメでしょうよ。酔わせてお触り放題ってそれはとてつもなくスーパーフリーっぽいし、全身勃起男根ということはとてつもなく「安い」よ。あと27、8とかじゃもう若くないから。分別持とうよ。深夜の山手線だったらなんでもやっていいというわけではないから。

これだけちんこまんこを日常会話で連発している私が言うのもなんだが、「秘め事文化」の喪失は団鬼六ばりに嘆かわしいことだと思うのです。(って団鬼六が言うなよとも思うが)まあ、耳甘噛みしてたくらいですからすぐに口も吸ってましたよ。見えないように工夫はしてたみたいですが、あそこでおっ始めてしまってもおかしくないくらいの乱れぶりでした。男が。
あんなヨッパ状態で無理矢理乳だの弄られても、女もどうかと思うだろうよ。無感覚も同然。「痛みを感じる 次に無感覚になる」と謳ったのはJマスシスだったか。
なんか公開レイププレイ(回文ぽい)を見せつけられたようで忍びない。
いや、男には公開プレイである自覚すらないからタチが悪い。それどころか、公開の場で秘め事をやらかしているつもりでいるのだ絶対に。盲目か。「愛するふたりに周りは見えないのだ」ではなく、「僕はちんこなので目がついてません」と宣言しているようだった。
ああ、セックス至上主義ってやりきれないな!
そいから見る側にしてみれば、どうせ見るならば、やっぱり男女の秘め事は、女性が乗り気じゃないと見てておもしろくねえんだよな!こちとらせっかく感覚が研ぎ澄まされてんだ、妄想させてよ2005(シッシー気取り)

で、全身勃起男根君の結末がまたお粗末なものだった。


鶯 谷 下 車


わかり易すぎるよ!
もうちっと捻れよ!
生臭い街選ぶなよ!

あんだけブランド物スタイリッシュ気取りの格好しといて鶯谷はないだろう。渋谷に行けばいいじゃないか。いや、池袋だっていいじゃないか。山手線の向かって左側で済ませばいいじゃないか。すべてをお洒落に揃える時代は90年代までで終わったんだなぁとふと思った。東京タワーも今や不倫の象徴ということなんだろうし。知らないけど。
ま、裸になれればどこだって一緒なのかもしれないが。案外、黒いリーマン靴下は脱がないでおっ始めるタイプとみた。



***********************************(←レディメイドレコード気取り)

岩手酒蔵見学編は写真の編集上、ちと遅くなるのです。
アーチャーズ・オブ・ローフとガイデッド・バイ・ヴォイシズだけをリピートで聴いて生きていきたい。
そんなことが幸せなんではないかとふと思う火曜の午後。
2005年02月01日(火)

夏ッ油ーワイルド通好みロック紀行(前編)

http://news.tbs.co.jp/headline/tbs_headline1120067.html

> 西武グループ、スキー場を原則閉鎖へ
>
>  西武鉄道グループは、経営再建策の一環として、全国で展開している
>スキー場のうち苗場など一部を除いて閉鎖する方針を固めました。
>
>  西武グループは、国30カ所余りのスキー場を展開していますが、
>スキー人口の減少などで今後も収益の改善が見込めないと判断しました。
>  
>  このため、新潟県の苗場や長野県の軽井沢など採算が取れている一部の
>スキー場を除き、原則として閉鎖する方向で地元との調整を進めること
>にしています。
>

「あー鯵ヶ沢行きたいけど、縁ねえんだろーなー」などと呑気なことを言っている場合ではなかったのである。大変だ。
鯵ヶ沢スキー場は、西武グループのスキー場だったのだ。
そして、残念なことに採算が取れていないであろうスキー場でもある。
これはもう、何がどうしても、どうなっても、今シーズン中に鯵ヶ沢に行くしかないのだった。高いとか言ってる場合じゃない。いや、実際にはプランを駆使すれば2泊3日39800円でも行けるようだ。片道5時間くらいかかるけど。あ、飛行機で行けばもうちょっと安くもなるらしい。
「今年中に青森上陸」ああ、叶うよ。叶っちゃうよ。やったよ俺。
しかし3月までに目標が叶ってしまうのなら、その後の9ヶ月はどう生きていけばいいのやら。

というわけで、3月までは思った以上に東北まみれっぽいのです。まあ、すでに1月頭は岩手、1月末(つーか昨日だ)は山形行ってきたんだけど。3月に青森行きを決行するとしたら、2月の間に一回くらいは東北行っておかなきゃな。国分町のおでん屋に行きたい。って俺は「ちょっと飲みに行きたいから東北行ってくる」なんてことができるほど金に余裕があるわけではないんだが。高等遊民気取りかと。がんばって働かなきゃな、仕事だるいけど。
そうだ、3月には名古屋も行かなきゃ。田県神社祭りの季節到来ですよ!

まあ、昨日までの山形旅は「飲みに行きたいから」という動機で行ったようなもんですが。

そんな感じで今回の日記は、1月頭の夏油(ゲトウと読みます)・北上旅のことでございます。
どんだけタイムラグが生じているんだか。

1/3
前日の夜から朝にかけてちょっとした新年呑みがあり、家に戻ったのは午前6時。そのまま超特急でスノボの準備をしていざ出陣。
仙台出身、現在は宮城北部でくすぶっている大学時代の友人マリコ嬢と仙台駅で落ち合い、車で北上を目指す。
マリコ嬢とは大学時代からいろんなところに行った訳だが、タイに行った時は氣志團、宮古だかどっかに行った時はクレイジーケンバンドなど「BGMにはブレイクちょい前のバンドの曲をかける」というのが知らぬ間の決まりごとになっていて、今回のBGMはもちのロンで赤犬でした。東北道を「どきどきすっぽんどきすっぽん」と口づさみながら飛ばす爽快感。気分はうきうきすっぽんうきすぴょーん。高速脇でちんぽろすぴょーんポーズをしたくなるほど(やらないけど)浮かれました。

北上に到着したところでいったん車を止めてバスに乗り換える。
北上はマリコ嬢(宮城北部在住)曰く「ものすごく栄えている街」でした。
駅前にスーパーだかデパートだかのような巨大なショッピングビルがあるんだが、そこのビルの上の看板がなぜか巨大な「魚民」。こんなにでかい魚民の看板を見たことがないというくらいでかい。イトーヨーカドーのハトのマークの看板(スーパーの上にあるやつ)がそのままの大きさで「魚 民」にすりかえられているような感じなのだ。
北上は魚民の町なのか・・・と感心することしきり。(感心ポイント間違いすぎ)
そんな北上駅前からバスで夏油を目指します。片道50分!
うねうねと細くくねった道を上っていくと、どんどん雪が深くなり、どんどん雪が降ってくる。自然とこれが本州でもっとも雪の積もるスキー場なのか、という実感も湧いてきた。
そう、夏油は本州で、どっちかというと太平洋側なのに4,5mも雪が積もるスキー場なのである。谷川岳とか八甲田山とか行った事ないから「本州でもっとも雪深い」ってのは語弊があるかもだけど。しかも周辺に泊まる所がないので、ほとんど地元民ばかりなのではないか。遠い(駅から)ということがネックでなかなか行くことができなかったのだが、ようやっと辿り着きましたよ。
いやぁ、ここのスキー場はなぜそんなにメジャーではないのかが滑ってみて一発でわかりました。
ほぼすべてのコースが中級者以上向け。そしてコース長すぎ。それに加えて当然のように雪深すぎ&吹雪で常に前が見えない。
ああ、これは通好みスキー場すぎるな。「来れる奴だけ来い!イヤなら出てけよ!」とスキー場がスキーヤー/スノーボーダーに挑戦してきてるんだわ。あまりにもロックな態勢なので通好みロックスキー場と名づけてしまいたい。エンケンのよなスキー場だ。
コースが長いんで、山頂から下まで滑っていくと足が痛いのなんのその。一本滑るたびに軽く疲労。ま、先シーズンは一度も滑りに行かなかったので体がなまっていたというのもあるんだろうが。若いつもりが年を取った(すばらしい日々風)わけだ。

滑り出したのが午後3時くらいだったので、当然のようにナイター突入。
夏油山から見る北上や水沢、一関の夜景が美しい。ほーっと思って見ていたら足が滑ってコントのように転倒し、後頭部を強打。目の前に星が回りました。
にしても、夜になると一気に寒くなるのな。でもそんなことお構いナシに滑る滑る。ビール飲んでるからもう麻痺してら。

バスの時間に合わせて滑り終了後は、のろのろと山を下って藤村さん・ショウさんとご対面。
藤村さんは、大吟醸酒「電氣菩薩」というナイスな酒を作っている北上の酒蔵「喜久盛」の若社長さんなのです。
今を遡ること4年くらい前、W☆ING会場でお会いしたオオツボさんが「岩手から来た友達と見に来ている」といって紹介してくれたのが出会いでございました。
その直後はオオツボさんの掲示板で何度かやりとりしてたのですが、Webの大海に飲まれて流されていくうちに疎遠になっていたのですが、昨年、りえ坊が「犬食いに行こう」と誘ってくれていざ行ってみた場で偶然再会したのでした。(りえ坊は私と藤村さんの面識を知らなかった)
いやぁ、人間の縁って不思議だなぁ。
年末に俺主催の忘年会をやった際も北上から来てくれたので、今度は私が北上に行きたかったのですよ!というわけで藤村さんオススメの「焼肉ヤマト」で会食。冷麺がンマイ。そして北上地ビールも飲んだのだが、北上の地ビールはスカーっとした爽快な味ではないのね。マイルド。喉にしっとりと染み入ります。なんとなく健康にいいような気がします。
ショウさんとは初めてお会いしたのだが、りえ坊のファンだそうでりえ坊の話は何処に行っても場が楽しくなるので素晴らしいなと思いました。
マリコ嬢は普段くすぶっておる方なので、この日の飲みは楽しかったらしくいつもより飲んでました。そして酔っ払ってホテルに帰ってすぐ寝てた。

その焼肉の際に藤村さんが「明日よかったら酒蔵見学しま専科?」と誘ってくれたので、ああ、もうコレは行くしかなかろう!行きますよ!と即刻返答。
しかしこれは、同時に「朝早起きをせねばならぬ」ということでもあった。
できるのか俺。
やるしかねえよ!・・・
と、決意しておきながらマリコ嬢がものすごいイビキをかいて寝ている横で長電話とかしちゃって気がついたら2時。久々に羊とか数えてみたが効果はゼロでした。
とか思っているうちに就寝。


ちなみにこの「焼肉ヤマト」、東北蹂躙ツアー日記山形編(1月11日の日記)で

>かつてうちの会社の先輩が
>「ひとりで出張に行った際に飯を食うところが>なくて、
>ひとりで焼肉屋に入った時のむなしさだけは生涯忘れられないね!」
>と言っていた

に書いていた「ひとりで入った焼肉屋」なのです。ウソじゃなくて。(北上に出張によく来てたそうな)
そんな先輩もケコーンおめでとうございます。結婚式行けなかったけど。
この先輩の結婚祝いに「電氣菩薩」をあげたのでした。こんなとこでも縁は巡るんだな。凄いことだ。ただ、あんまり酒が飲めない人なわけだが。

というわけで酒蔵見学編に続く。
2005年01月27日(木)

ブルーフォレスト・シンドローム

2005になってから残念なことに出張に行ってません。
ああ!心底遠出がしたい!
東京でくすぶってる場合じゃないだろ!
いや、年が明けて早々に岩手とか行ってきたんだけどさ。北上で雪にまみれ、酒を堪能したりしてきたんだけどさ。もうそれから20日も経ってるよ。何処にも行けない絶望感が募ってきましたよさすがに。

もともと、「なぜ私は遠出が好きなのか」ということを考えると、
「田舎がなかった」ということに起因しているような気がする。いとこもばあちゃんも近くに住んでいたし、遠くても高円寺という具合。まあ、親戚一同は新京成線沿いに集団移住したけれど、それも遠いとは言えまい。
田舎がある人が真剣にうらやましかった。帰省ラッシュってなに?ホワッツ?マイケル!と思ってたもんな長いこと。
しかし、年に一度、親戚らと旅行をするのが長いこと習慣になっていたんだが、あの経験が「遠出ってスバラシイ!」に繋がったのだと思う。まあ、首都圏を中心に温泉に行ったり城見たりひたすら歩かされたりしたくらいなもんなんだが。
その時に一番遠くに行ったのが北は青森(っても十和田湖/奥入瀬だけど)、南は京都なのだった。
その後、修学旅行で九州初上陸するなどして、旅の幅は広がったもののそれでもまだまだ物足りない。いつだって頭の中には
「知らない まちを 歩いてみたい 
 どこか 遠くへ 行きたい」
が鳴り響いておるのです。(うちのターミネーターが「怖くて聴けない」曲)
そんなわけで今の仕事は本当にありがたい。出張させてくれるという一点のみだけの評価ですが。(出張先での仕事内容はともかくとして)

その出張先は日本全国津々浦々と言いつつも、東北が多いわけです。去年だけでどんだけ東北新幹線乗ったかわかんねえよ。そして自然に東北愛が募っていくのだった。
が、どういうわけか、東北は6県あるのに、青森にだけは縁がありません。
何度も日記でも漏らしておりますが、
私は 青森に 行きたい のれす
と、意味もなく一行書きにして気持ちを吐露してみました。発音的にはいっこく堂の声が遅れて出る芸みたいな感じにお願いします。
幼少の頃に行った記憶しかないんですよ。遠い親戚の家に行って、そのついでに行ったくらいですから、もう行ったにカウントするのも忍ばれるほどだ。しかもその時の一番の思い出といえば、「怪談・耳なし芳一」を見てたらエロシーンが満載だった、ということくらいなんだよ。別に青森の思い出じゃねえし。それ見たの秋田だし。
しかし、わたくしの髪を切ってくれて早8年の美容師さんも青森出身で、いかに青森がよいのかをプロレス話やマイケル・シェンカー話(とても美容院で話す話ではない)の合間に説いてくださるのです。会社同期の男子が、会社を辞めて青森に帰ったときも心底羨ましかった。そしてナンシー関も青森だ。
溢れるブルーフォレスト愛。
普通、各県のアンテナショップというのは銀座や新橋、新宿などにあるのに、青森は新富町にあるというとんちんかんさもいとおしくて堪らない要因です。
http://www.aomori-shop.com/tokyo-mise.html

↑「いわて銀河プラザ」とか「北海道どさんこショップ」を見習おうという気ゼロ。売り上げがちょっぴり心配だ。

そんなわけで今年の目標は「青森上陸」なんかすぐにでも叶いそうな目標つーか夢だな。実は水曜日より山形蔵王に行く(出張でもなんでもなくただの遊び)のですが、思った以上に高いのね山形蔵王って。さすがスキー場の老舗。
で、ふと思いついたんだが、「同じ金額を投資して青森に行くことも可能なんではないのか」・・・シュミレーションしてみるだけの価値はありそうだ。私は、地図と時刻表と経路と金額を見ただけで旅した気持ちにもなれるので(その代わりホントに旅したくなるという効果もアリ)、さっそく考えてみることにした。
目指すは弘前半島鯵ヶ沢。津軽富士と日本海に挟まれて滑ってみてぇんだ。
「俺節」のアシカだって鯵ヶ沢出身なんだ。



航空券代だけで往復45000円でした。
無理でした。
その先を調べる気にもなりませんでした。
だったら北海道行くわ(←簡単に捨て去る青森愛)


まあ、こんなように「縁がありそうで、まったくないモノ(人、街でも可)」のことはブルーフォレストシンドロームと名づけたいと思います。コンジロームじゃないよ。「名前も知ってるし、会っていてもおかしくないのに、不思議なことにさっぱり縁がない」という人は誰にでもいるはずです。私にとってそれは某AV監督だったのですが、なんでかしらんがこないだ対面してしまいました。ちくしょう。もっと記録を延ばすべきだったわ。会わないままのほうが面白かったわ。
そうなのです、ブルーフォレストシンドロームの肝はその「不思議なくらい縁がない」ところなのです。処女も童貞も、中途半端に24とか25とかで喪失するより、一生守り通したほうが麗しいからな。現実を凌駕する妄想が生まれるからな。
青森もこのまま縁がないほうが美しいままなんだろうか。「青森の男子は皆、早弾きメタルが大好き!」という説は守られるのだろうか。(前述の元会社同期男子もメタル好きだった)
でもきっとあっさり出張が決まってあっさり行くことになるんだろうな。
青森幻想が覚めやらぬ事を祈るばかりである。エミネムみたいなバッドボーイばかりだったら萎えるな。現実は妄想を打ち砕きやすいからなー。
でもホントにすごいんだぜ、青森。とくに鯵ヶ沢。
こんなニュースがあるくらいですから。

>■死体身元判明(鰺ヶ沢署)
> 平成16年12月26日午前9時30分ころ深浦町大字追良瀬の海岸線で発見された
>遺体は、捜査の結果、ロシア国籍の男性(47歳)であることが判明した。

ロシア人が打ち上げられる砂浜・・・
やっぱりなまはげは、酔っ払った白人のことだったんではないかと思う次第です。
もうNAMAHAGE2005とか言いたくなるよ。NAMAHAGEリターンズ(「キッズ・リターン」ではなく、「あぶない刑事リターンズ」を意識。ちなみに俺はあぶ刑事リターンズを劇場まで見に行った)でもいいけども。
2005年01月23日(日)

くちびるは内臓扱いネットワーク

まずは昨日の日記の股・言い訳。
もうこの日記書いて載せてしまった時点で「ああ、私は『女性的役割分担思考』の男女を敵に回したな」と思っておりました。だいぶ多いぞこういう男女は。とりわけモテ部分からは降りたも同然だ。
しかし、それも人生。と、思い、尼寺行きまで覚悟していたのだった。たかが料理だけれどやっぱり社会的絶対正義だからな、それくらい大げさに考えたりもしましたin山手線。すぐに考えるのはやめて小説読んでたけれど。(それにしてもケッチャムはなんて面白いんだ!ビバ!)
そんなわけで早々と帰宅して胃の痛さにかまけて寝ていたんだが、某所でみやらさんが私の昨日の日記に対するアンサーというか感想というか思うところを書いてくださったのだった。
寝起きにそれを読んで、泣いてしまいました。
同情して欲しくて書いたわけではないし、みやらさんも決して同情は書いてはいないのだが、なんというか、「他人には理解されないだろう」という捨て鉢な気持ちだったので、それに応えてもらえたという事実に感無量でござんした。
ああ、稚拙な言葉しか浮かばなくて申し訳ない。みやらさん、愛してるワ。

というわけで、70000ヒットも超えましたので2日連続更新。
エンピツに移ってきて3年弱。やっとの思いで7万ですよ。大手サイトとは違ってうちはネットの隅っこで細々運営ですから、それでも7万を超えたというのは本当にありがたいことです。こんな読みづらくて俺の体重のように重い日記を読んでくれてありがとうございます。これからもどうぞよろしく。
70000ヒット節目で今までと変わったことといえば、特にはないんだが、私の会社の仲良し女子がこれを読み始めたということくらいでしょうか。
しかし、ネットとは関係ないところで仲良くしている人に
「実は、ネット上ではヤツザキと呼ばれておるのですよ」
というのを告白するのはなぜこんなにも恥ずかしいのだろう。罪悪感を感じるのだろう。もう6年もこんなことをやっているし、「ヤツザキ」として知り合った人間のほうが多いし恩恵を預かっているのに。そして本名の私とヤツザキには隔たりがまったくないっつうのに。普段の俺もヤツザキも等しく酔っ払うとタチが悪いぜ。等しく鉄郎似だぜ。
名前なんていうのはただの表示なだけであって、たとえば親が「篠崎ヤツザキ」などという名前を名づけていたらこのような「ヤツザキが恥ずかしい」という考えは浮かんでこなかったんだと思う。まあ、そんな名前つけられたら普通に恥ずかしい名前だなと思うけど。いじめられること必至。
ということは、私が恥ずかしいと思うのは名前ではないんである。
こんなに恩恵を受けているのに、今更言うのも申し訳ないんだけれど、「ネットをやっている」ことが恥ずかしいのだろう。
と、書いたそばからネットに対して謝りたくなる気持ちでイッパイだ。ほんとにごめん。ネットは俺の人生にいろいろな刺激をもたらしてくれた恩人だよ。だけど、だからこそあえて言わせてくれ。ネットよ、しばらく黙って俺の話を聞け。
たとえばネットとは関係ない友人と、ネットで知り合った友人と、私が会うとする。そういう時に、ネットとは関係ない友人が「ふたりはどうやって知り合ったの?」と尋ねてきたりするわけだが、その際に使われる
「ネッ友」
という言葉が私の拒否反応を引き起こすのである。確かに事実だ。ネットを通じて知り合ってるんだから。でもきっかけはそれかもしれないが、ネットとは関係なく仲良くやってるんだからそういう言葉は介在しなくてもいいように思えるのである。中学や高校、大学の時、あるいは会社の友達を「中友」とか「高友」とか「会友」と言わないのになぜネット友達だけは「ネッ友」という言葉で後々までも説明しなければならないんだろう。
そしてその「ネッ友」の響きが漂わせるマイナスイメージ。こいつだ。
こいつが、物凄く最先端でイカすイメージを漂わしてくれればこんなこと考えないで済むのに。
先日、会社の女性の方々と昼を食べにいったんだが、
「××さんってーチャットで知り合った人と結婚したんだってー。そういう出会いもアリなんだよねぇー」
という話題になった。彼女は決してネットを介した出会いに否定的になっているわけではない。むしろ肯定的な意味合いでこのような会話が交わされた。しかし、こういう会話にビミョウな「ネットマイナス感」は含まれているように思われる。
チャットで知り合ってなかったとして、たとえば職場とか、友人の紹介とかには「そういうのもアリ」という言葉は出てこないだろう。
つまり、ネットというのは彼女の思考の中では「なかなか思いつかないもの」なのだと思われる。非日常のツール。
ああ、もう、こんなにネット文化大爆発の時代なのに、ネットのことを非日常と言い切ってしまうのは歯がゆいよ。申し訳ないよ。
でも、やっぱりネットは世間一般的には「非日常」なのである。飯食ってうんこしてテレビ見て電話かけて、と同じラインに「ネットを見る」というのは並列する存在なのにな。メールだってこんなに世間に馴染んでいるのに。
と、ここまで書いてハタと気づいたんだが、ネットは「非日常」であって、「情報受信」のツール、というところで認識が止まっている人が多いのかもしれない。
送受信のツールにまで至っていたいのかもしれない。だから、「ネットでニュース見た」などはごく日常に行われていても、「ネットで人と知り合った」というところは思考外になるんではないのか。よくわかんないけど。
あと、ベタすぎて書きたくなかったんだけど「ネットで何かを書く」というのは非常に匿名性の高い行為なので犯罪方面のイヤーなイメージが多いしな。犯罪まではいかなくとも2ちゃんとか、ああいう匿名後ろめたさ系のものが。

と、ネット検証はともかくとして。
それでも私はネットで知り合った出会いにはいろいろと感謝していますよ。
ネットがなかったら私なんぞはいつまでたってもモラトリアムで出口がなくて毎日ベッドから起き上がるたびに憂鬱な気分になってるような(って書いて思ったけどベッドから起き上がるたびに憂鬱なのは今もだ)「おもしろいことなんてなんにもない毎日を過ごす」OLをやってることだろう。
ネットは日常なんだよ俺にとっては。日常過ぎて在るのが当たり前だし、些細な仕事だが私の生業もネットワークなわけだし。
ネット上にも出会いはたくさんあるが、ネットワークのお仕事のおかげで地方に飛んでいろんな出会いにありつけたりもしているのだ。そして当然ながらネットとは関係ない出会いもある。それらはすべて等しく私に還元されているわけだ。
だからわざわざ「ネットだから」とか言いたくないな、私は。
じゃあ「ヤツザキ」ってのも恥じるなよ、と逆にネットにこづかれそうだが。


あーなんか久々に2日連続日記を書くのは楽しいな!
勢いに乗じてもう一丁(高田総統)書いちゃおうかしら。仕事しろ俺。
つか、本日は赤坂のOLたちと飲みなのです。行っていいのか俺が。
「今年はもう、日本酒しか飲まん!」と宣言したのに、きっと日本酒はないところなんだぞ。大丈夫なのか。
2005年01月20日(木)

料理地獄ジャスティース(いましろたかし調で)

うちの会社の裏は、潮風の吹きすさぶ運河というかほとんど海なのですが、その運河を見るともなしに外でタバコを吸っていると、「こんなとこに何故そんな大きいのがいるんだ」と思うような魚がバシャンバシャンと跳ねたりします。
まあ、大体の場合、バシャンという音を耳にして、「ああ、今魚が跳ねたんだ」と気づくのです。水面にゆらゆらと広がっていく弧を見て、「なんだよ、目の前で跳ねてくれよこの野郎」などと思うのです。
今日はそのような機会が2度ありまして、いつもは気にも留めないのですがどうしても魚の跳ねる現場を目撃したいという欲望に駆られ、しばらく水面を眺めておったのです。
しかし、なぜか知らないが「このへんで跳ねるだろう」と張っていた視野の中ではどうしても跳ねてくれないんだな、魚は。必ず視野とは別のところで跳ねやがり、視覚よりも先に聴覚で跳ねたことを認識するばかり。
もう、そうなると、「魚VS俺」の始まりなわけで、延々と「ここで跳ねろ!」という競馬のような予想をやってしまいました。無論ひとりで。
待つこと10分弱。レースで言えば5R目くらいで、ようやく俺の目の前で跳ねた魚は小さいもので、跳躍力(っていうのか?)もあまりないのだった。
満足できるはずがありません。
万馬券ならぬ、万魚券が出るまで待つよ、俺は。
さらに5分弱。6Rに相当するあたりで、今度は目の前で2匹連続で跳ねたのだった。大きさはたいしたことなかったが、とりあえず満足をしたので魚VS俺終了。

そんな具合にさぼってました。うんこ、否、運河ドラマ。海を見ていた午前。むしろマリン・ガールズと呼んでくれ。(トレイシー・ソーン気取り)ヤツザキでございます。

さて。私は病的な負けず嫌い(劣等感が人の5倍くらいある)なので、バカにされたり罵倒されたことは次々に克服してきました。まあ、バカにするのも罵倒するのも主にうちの親なんだが。
まず「炭酸が飲めない」飲めませんでした。喉がシュワシュワする感覚がどうにもダメで。それなのに親戚が集えば必ずこの話題がえんえん続く。あからさまに他の従姉妹とは別にバヤリーズを用意される屈辱感。炭酸を間違えて飲んだ時に「ぐえ」となったのを腹を抱えて笑う大人たち。ぜってー見返してやる、と心に決め、今じゃ一番好きな飲み物はメロンソーダですよ。しかし、こないだの正月にジンジャーエール飲んでたらおばさんが「炭酸飲めなかったのにねぇ」と未だに言ってきたのだから根が深い問題だ。何年前の話だよバカ野郎。
そして「外に遊びに行かない/人見知り」幼少のみぎわはまったく外に行かない子供でした。母親に「なんで遊びに行かないんだ」と叫ばれながら殴られたこともあるくらいだ。で、小学校高学年くらいから家にいると怒られると思い、努力して外に行くようになり、今のよな「むしろ家嫌い」の遊び人が形成される。人見知りというのは未だにあるのだが、「人見知りはダメだ、喋れ、俺」という強迫観念が働くので人前では饒舌になるようになるのである。
そいから「運動ができない」うちの家庭は驚くほど運動能力が高い人間(母と妹)がいるので、50m走8秒台でも「遅い」と言われ、リレーの選手になったとしても「そんなのは当たり前だ」と罵られるよな具合。というわけで、俺はスピードでは勝てぬ、と悟りマラソン大会や持久走では努力の甲斐あって1位を取ったのだった。水泳も練習だりぃと思ってたが、「文科系の部活に入ってるようではダメだ、俺」と思って高3までいたのである。
それに関連することで言えばスノボもできなかったのでした。できる人たち4人に囲まれて「ここまで滑って来い」とスパルタ特訓をされ、泣きながら滑った時には「こんな思いをするくらいなら一生滑らない」と思ったんだが、滑れないままだとかっこ悪いし「泣きながら滑ってた」というのを広められたくなかったので過剰にスノボに出かけ、今に至ったのだった。
ああ、そいからなんでこの会社に入ったのかってのも負けず嫌いの賜物かもしれん。理系を目指していたんだが文系の大学に行ってしまったんで、仕事は理系のことをやらねばダメだという考えも多少あって今の会社だ。むしろ肉体労働系なので理系の意味間違ってるけど。
あと小さいところでは、私はまったくゲームをやらないで生きてきた人間なので昔、ゲーセンに行く/行かないで喧嘩した事があるのだが、なんかそれも「ゲームをする人間>ゲームをしない人間」と思い、今はする側になったというのもある。
とにかく、「できない=劣っている」なのである。「みんなができて当たり前のことができないのはバカだチョンだ」という信条があるのである。信条なのか刷り込みなのかわからないが。「こんなの簡単だよー」とか「なんでできないの?」と言われるのが今でも心底いやだなぁと感じる。トラウマか。それもあるが、「自分だけができない=和を乱している(遅れをとっている)」という状態に不快感を抱くのである。耐えられん。
というわけでダメだバカだチョンだの部分はすべて負けず嫌いの導火線に火がついて、気力のみで克服してきた。25年間生きてこられたこと自体気力みたいなもんだ。(それを上回る惰性が存在するんだが)

しかし、俺にとって料理というのは、もっとも「できない」ことでありながら、気力で克服するには至らなかったのである。「今に見てろ」とメラメラ不屈の闘志を燃やすこともなかったのである。
「炭酸が飲める」や「運動ができる」はとるに足らないことである。もっと言えば「人見知り」だって普通に巷にたくさん存在しているのだから、克服する必要はなかったのかもしれない。しかし料理はそれらとはレベルが違う。一目置かれるような立派な「武器」である。ことに女性であれば「年頃になったら料理は人並みにできるものだ」という認識が存在するくらいだし。私の親も偏った教育をしてきたとは思うが、「料理はできなきゃダメだ」ということは人並みに教えられた。
しかし。
私の作るものはマズイのである。料理とは呼べないんである。
「どこをどうすればこんなにまずくなるんだろう」というようなまずさ。「できないことがあると罵倒する/殴る/笑う」ということをしてきた親でさえ、無言で手をつけなくなるという具合。(最大の屈辱)ある日の晩に作らされたことがあるのだが、家族の誰もがほとんど手をつけずに食卓を去っていったことがある。
ああ、家族が罵倒しなかった代わりに付き合ってた男には罵倒されたな。死んじまえまで言われたんだった。確かにその時の飯はまずかったんだよな、自分でもビックリするほど。(思えばマズイ料理を作ったら死ななきゃいかんのか、と思った時に「だったら死にたくないから作らん」と決意したような気がする)で、それをどうにか克服しなければならないのだが、「よし!克服してやる」という気になれない。なんというか、料理にまったく興味がないのである。微塵も楽しい行為に思えなかったし(料理を作るということは義務だと思っていたから、最初に「料理が趣味」の人の存在を知った時は驚いた)、実際に作るものもまずいので楽しくない。よって、料理の作り方などを覚えようと思わない。少しは思ったほうがいいのは圧倒的な事実なんだが。まあ、いつまでも実家にいるわけにはいかんだろうし(居そうな気がするが)、老いてきたら自炊も余儀なくされることだろう。しかし、自分で食うものならば、その時はなんとかするんじゃないのか俺だって。(至極能天気な考え)
というか、「料理ができる」というのは「事実」というより「正義」である。圧倒的に当たり前な正義なのだ。もっと正確に言うと「他人が食う料理を作ることができる」というのこそがイコール正義だろう。
そして、私はその圧倒的な正義をなぞることができないのである。
「字が下手」「音痴」「絵が描けない」「数学ができない」と同じように「料理ができない」というものだってあってもいいように思えるんだが、どういうわけか料理は「やれば誰でもできる」とか「誰でもやってみれば、できて当たり前」みたいなところに並べられている(そこが絶対的正義たる所以)。
しかも厄介なことに「料理ができる」の前にはよく「実は」なんて言葉がつけられることが多い。なんだよ実はできるって。じゃあ、実はできないはなんでナシなんだよ。
それに、
「料理ができません」
「カンタンだよ、絶対できるって」
などという会話。もう、これがホントにつらいんだ私は。
不愉快千万!
できないんだよ。
知らないんだよ。
誰でもできるって誰が決めた価値観なんだ一体。
まあ、いちおうは人並みに家庭科の授業も受けてきたはずなんだがな。人並みに台所手伝いとかやってたんだがな。甘やかされて過保護とかは決してないんだがな。

そんだけ絶対的正義の料理ですから、それを拒否した時点で女としての評価も、もう、いいと諦めたわけである。克服心ももういいや。向上心ももういいや。料理のできる女はゴマンといる。そのうえ料理がうまい女もゴマンといる。ありがたいことです。彼女らのおかげでおいしいごはんが食べられるのだから。
いや、ホントは女だけじゃなくて、料理のできる男だってゴマンといる。そして、男の場合は料理のできない男もゴマンといる。
ここまでの三種類が「普遍」であり「正義」にカウントされていると言いたい。
そして私のよな、料理のできない女もわずかながらだが存在するのです。まあ、正義の前じゃいるもいないもわからんもんだが。
「料理ができる人=高評価」という価値観こそが最大の正義なのかもしれない。まあ、どっちが正義でもいいけれど。どっちにしろ正義から逸れているわけだし。自分で食う分の料理は作れるようにします。だから、お願いだから、料理という名の正義よ、私を責めたりしないでおくれ。辱めないでおくれ。

ああ、なんか「料理」って言葉見るだけでも胃がムカムカしてきた。
単に胃が痛いのが続行中なだけか。
2005年01月19日(水)

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