股・戯れ言


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台湾ス・イン・ア・ライフタイム 後編〜 食い尽くしてしゃべくってそして苦茶にやられて

毎年書いているが、9月は旅立ちの月なのです。
おととしは関西周遊、去年は東北横断、そして今年は台湾だ。おかしいな、九州に行くはずだったんだが・・・まあ南方に行ったことには変わりはない。
そして台湾に行ったばかりだっつうのに、10月には京都なのです。
俺ってば贅沢三昧。(でもよく考えたら出張とかでいろんなとこ行ってるんだった)
仮予定なんですが、まあ、9割方行くつもりであるのです。だってだって、ルナが奇跡の来日をするのですもの。そりゃ行くよ!もう三連休の休日出勤はNGにしちゃったし。

というわけで台湾日記後編

9/24(三日目←生理っぽい)
この日は故宮博物館に行く組と行かない組に別れて行動。
って行かない組は私とりえ坊だけなのだが。2人だからもちろん起床も遅い。ホテル出るまでTVチャンピオンを見腐り、ホテルの近所で刀削麺2杯とチャーハンとピータンを2人で平らげる。言っておくがこれ、朝食だから。
そしてそのままトマト専門店に入り新鮮蕃茄汁。こっちのトマトジュースはひたすら甘いっす。しょっぱいのが好きなのよー俺たちは。でもうまかったです。
ホテルから地下鉄の駅までの距離は歩いて5分もしないのに、地下鉄に乗ったのはホテルを出てから1時間半くらい後のことなのだった。ダラダラするってなんて素敵なことなんだろう。
そして地下鉄に乗って新北投(ペイトウ)へ。途中から地下鉄が地上に出たので、外の光景を見ていたら高速で回る観覧車を見つけ、「あれに乗りてぇ」と大ハッスル。
北投は駅に降り立ったとたんに硫黄の香りがする街でした。りえちゃん曰く「別府に似てる!」とのこと。建物の雰囲気なども含めて。
そこから歩いて温泉の源泉に向かう。
途中、温泉博物館なるものがあったので、「俺たちも故宮に負けないよう、博物館に入ろうぜ!」と意気込みご入館。まあ規模の時点で負けてるんだけど。入場料もタダだった。もともと台湾の温泉を開発したのは日本人(しかも関西商人)だったそうで、見事なまでに日本式。素晴らしい。
その後「防空壕迷宮」というアトラクションがあるというので、「迷宮、すなわちラビリンス、すなわちデビッド・バウイ(高野拳磁風発音)」と期待しながら入っていったのだが、ただの草ボウボウのけものみちであった。防空壕がどこにあるのかもわかりやしねぇ。でかいカタツムリを見かけたのと虫に食われた程度で終了。
そしてようやく源泉へ。足湯に浸かれるとガイドブックには書いてあったのに見事に立ち入り禁止であった。
しかし、あんだけポコポコ沸き上がっているお湯に足など入れたら大変なことになっていただろう。常に湯気で空気が白いし。
そして龍乃湯温泉という銭湯へ。
ここがまた、ホントにただの風呂。頭も身体も洗ってはいけないのだ。(勝手に頭を洗ってるババアはいたが)そしてこの湯がすこぶる熱い。熱湯コマーシャルかと思いましたよ。私の足は靴擦れだのカミソリ負けだので傷だらけなもんで、お湯がいちいち傷口に染みる。ヒリヒリチクチクするどころじゃないってえの。
と思っていたら、横でりえ坊も「イタイ、イタイ」を連発。何事かと思ったらノーヘアーのトライアングル痴態、否、地帯一体が染みて染みてしょうがなかったらしい。無毛もつらいよ、いろいろと。
ちなみにここの銭湯でものすごい美乳兼巨乳の台湾娘を見ました。ああ、こういうのこそ乳ウォッチャに書くべきなのだが。

その後、公園でビールを飲み、遊園地に行こうとしたがすでに閉園後だったのでそのまま士林夜市へ。
物欲再び。スカートだのなんだの買いまくり。まんだらけのような店がおもしろかった。そして道ばたで買った小龍包を焼いた肉まんのようなものが美味すぎた。台湾で食べたものの中でナンバーワンでした。
ここで故宮組と合流したのだが、そちらはこの日一日食べ物がはずれっぱなしだったそうな。気の毒に。私らは全部当たりだったけどな!
合流してさっそく足裏マッサージへ。私も初体験してみたんだが、私の担当の人が日本語ペラペラだったため、どこが痛いとなると「睡眠がアサイネ、よく夢をみますか?」などと言ってくれるのだった。ありがたや。まあ、いちいち「イデーー!!!!」「痛いイタイイタイイタイイタイ」とギャースギャース騒いだりして笑われっぱなしだったが。
ちなみに私の身体の悪いところは頭、喉、歯、尾てい骨でした。頭ってのは狙って書いた訳じゃないから。睡眠が浅いって意味だから。喉は幼少の頃からエヘン虫が住み着いているんではないかと思われるほど咳払いをするので相当悪いのだろう。あと歯な。虫歯ぶり返してきてるから。あ、肩も悪いって言ってたなそういや。
肩こりなのか、それともガードレールに衝突して脱臼したからなのか。あ、尾てい骨ってのも階段から落ちてはり治療とかやった時の名残なのか。
そして夜市で再び食いまくり。小龍包焼きをもう一回買ってしまった。

夜は大貧民大会。
ふぁる姐の提示するルールが訳わからんもので覚えるのに苦労した。
パスをした人間が今まで溜まったカードを全部受け取らなきゃいけないという理不尽なルール。ゲームが一生終わらないのかと心配になったほど。
ま、私は一番強かったですがね。誰か大貧民対決しよう。(調子乗りすぎ)

9/25(四日目)
この日も無論寝坊。
いや、純粋に言うと寝坊じゃないンだ。いちおう8時半くらいには起きるんだがパパイヤ牛乳を飲んだ後二度寝してしまうんだ俺たちは。
この日はさすがに掃除のおばはんに急かされましたが。
海外旅行の楽しみとしてデューティーフリーに行くのは、俺が腐ってもOLだからなのです。化粧品買いまくり。しかしアイライナーとリップグロスが欲しい色と違う色を渡されるという具合。アイライナーは色が違うことに気づいたのですぐ替えてもらえたが、リップグロスの色が違うことに気づいたのは帰国後だよオイ。
そして昼食は、これまたりえちゃんと2人だったので食いまくり。チャーハンとラーメンとワンタンと餃子となぜかキムチ(全部量多すぎ)。2人で460元も払うってどういうこと?あ、ビールも飲んだし。
その後苦しい、死ぬ・・・と思いながらお茶屋に行ってタダ茶を飲みまくり、さらに調子に乗ったわたくしはニガー茶、否、苦茶なるものも飲む。
ま ず い
ここで初めて食欲に歯止めがかかりました。何を食っても苦味、何を飲んでも苦味という始末。なんかあれだぞ、るっぱちゃんが初めてうんこを食った後に「何を食べてもうんこの味がとれないの」とか言ってたのと似てるぞコレ。(言ってたよね?)

その後タクシーで復興新路というところへ。そして再びチャイナシャツを買いまくる。そごうは閉店時間過ぎに茶器を買うという体たらく。しかし、こっちの店は閉店時間があってないようなもんだにゃ。私が学生のころバイトしていた某下町ローカルスーパーも閉店時間過ぎても中国人団体客が帰らなかったりしてさっさと帰れやゴルァとよく切れていたものだが、こういう習慣ならしょうがない。
そしてうろうろと町をさまよい、最後の晩餐なのでちゃんとした居酒屋へ。
台湾の飯屋は店内でタバコも吸えなきゃ酒も飲めないというところが多かったので、この店はよかったです。ただ私は苦茶効果でロクに飯も食えなかったが。
んで、さらに再び夜市へ。この日は杏仁牛乳だの西瓜汁だのよく飲んだ一日であった。おかげでトイレが近くて大変だった。
さらにさらに、ホテルに帰った後、りえちゃんと2人でスーパーへ。どんだけ出かけるんだ俺たちは。次の日6時半集合だというのにホテルに戻った時間は3時半でした。さらにその後「三沢光晴 五冠王への道」を見たし。
起きれんのかよ。

9/26(最終日)
起きれませんでした。
起きたのが6時25分。ありえねぇ。しかし奇跡的に7時のバスに乗ることができた。皆さんのおかげです。
空港でゆっくりするつもりが、ノースウェストの混み具合がハンパなかったのでタバコを買うだけで終了。免税の税金戻してもらうことすら忘れる。
あばよ台湾。また帰ってくるぜ。
帰りの飛行機内で熟睡するつもりだったんだが、みやらさんとるっぱちゃんの「ファイブスターストーリー」レクチャーを受けたり(ロボットというと「モーターヘッドだから」と声を揃えて怒られる)、窓から見える海や島をじっくり見てしまったりで寝られなかったのだった。たかだか3時間半だったし。

で、翌日朝7時半から仕事だったよ俺。


ところで今日はこの日記始まってついに4年目なのです。
いや、気が付けば4年。思えば遠くへきたもんだ。その場行進しかしてないけど。
というわけで次回から4周年企画なのです。乞うご期待。
2004年09月30日(木)

台湾ス・イン・ア・ライフタイム 前編〜雨の空港 街に繰り出し 食欲を振りまくるわたし

というわけで台湾に行ってきたニダ。(語尾はなぜか韓流)
いやー面白かった。日を追って書いていきます。

9/22(初日)
会社のメールやり取りだの、出発前に家の鍵が見つからなくて探し回ったりだのしていたせいで、リムジンバスで成田まで行くはずがすっかり電車で行くハメに。
船橋まで出てそこから京成に乗れば早く行けると思われたのだが、その船橋ですらあやうくなり、自宅から船橋までシータクというありさま。ちなみにうちの妹(ターミネーター)はこないだ韓国に行ったとき、同じく家を出る時間が遅れてターミネーターの分際で成田までシータクに乗ったらしい。
遅れるのは我が家のお家芸なのか。
そしていざ船橋についてみたら、今度はスカイライナーが止まらないのな!ロマンチックばりに!ちんたらと特急で成田へ。当然集合時間には遅れているわけであります。
駅に着いてからトランクを滑らせ、空港内カーチェイスならずトランクチェイスと名付けてもいいほど走る、走る、走る。すでに集まっていた人たちにも気づかずに駆け抜ける。
今回のメンツはりえ坊、みやらさん、ふぁる姐、るっぱちゃんに森下さんという女ばかりの6人旅行。(若干戸籍上は逆の性別ですが)というわけで、いつも通りのゆるい集合だったのでNO問題でしたが。
海外に行くときまでもゆるいのですよ私達は。搭乗するときだって、若干一名(Mやらさん←本人の名誉のために伏せ字)は空港内にアナウンスされていたし。
そして雨の降る成田を後にし、一路台湾へ。
行きの飛行機の中はるっぱちゃんとずっと喋ってた気がする。あ、行きからワイン飲んだりビール飲んだりしてたんだった、たかだか3時間半なのに。

そして台北到着。
バンコク到着時は「着いた途端に空気成分の中に香辛料が」と思わせる匂いがプンプンだったが、台湾は「おばあちゃんと一緒に住んでる人の家の匂い」がした。
ホテルに到着後、さっそくピータンや臭豆腐、ゆで落花生を食べに行き、さらに私はひとりでマンゴーかき氷(とにかく巨大)を食べるという具合。屋台のかき氷なので水がまずいんではないかと心配されたが案外平気なものでした。
そして明け方までJWPや全女、全日を見て過す。台湾なのに。だってタイガーマスク(二代目)VSダイナマイトキッドとかやってンだもン。全女もマリーンウルフですよあらビックリ。

9/23(二日目)
さっそく寝坊。なぜなら私の寝ていた部屋はダメ人間同志の部屋だったから★(黒星)
朝食というか昼食というかで小龍包やルーローファンを食いまくる。
市場に出て冬瓜茶などを飲みまくる。
そして午後になってマッサージに行くアダルトチームと台北市街に繰り出すヤングチーム(珍しいことに全員同学年!)に別れる。で、ヤングチームは飯を食った後なのに肉まんとか食っちゃったのだった。
そのヤングチームからさらにるっぱちゃんが別行動を取り、森下さんと2人で漢方薬の問屋街へ。ここが、とんでもなく上野アメ横で素晴らしい。適当な漢字筆談で「我肝臓悪←酒」などと伝えて「酒精肝薬 酒精丸」というものを買う。あ、あってるのか・・・でもアル中のことを酒精中毒とかいうらしいしな。それにしても一回につき12粒飲まなきゃいけないってどういうこと?
森下さんがフィリピーナのようなやり手台湾人クーニャン(語尾強めに「わかるぅ?」「ダイジョーブ」という言葉を乱発)に無理矢理胃腸の薬を買わされそうになっていた。
そのまま歩いて西門町へ。歩くあたりがヤング。そしてマックで休もうとする辺りもヤング。アダルトチームは西門町に来るのは遅れるであろう、と思われたがちゃんと時間通りに地下鉄でやってきたのでびっくりしました。みやらさんとふぁる姐がいるのだからてっきりシータクなのかと。
そして台湾なのに飲茶を食い(香港風のことを港式というらしい)、さらにみやらさん、森下さん、るっぱちゃんでチャイナシューズの店へ。大分迷う(主に道に)。
いや、これが全部かわいくて、わたくし、3足も買ってしまうという体たらくですよ。何を考えておるだのと。
そして「台湾のサブカルの殿堂」とかいうデパートへ。中身はただの中野ブロードウェイでした。しかしみやらさんとるっぱちゃんが「五星物語」を買ってイキイキしていました。日本で売っているのと版型が違うとかなんとか言っちゃったりして(広川太一朗)、ああ、オタクなんだなぁと思った次第。
そのまま西門町で買い物三昧。私も大分買ったが、みやらさんの物欲スパークスぶりにはびっくりしました。ブーツ買うと言い出したときにはどうしようかと。
買い物の合間もスイカジュースを飲み、マンゴーかき氷を食べ、合鴨料理(骨大杉)を食らっておったわけです。そしてホテルに帰ってからまた出かけてルーローファンに臭豆腐に卵焼きだのなんだのの屋台料理を買ってきて食いまくり。
前に台湾に行ったへれなさん(ABBA女先輩)も書いていたが、なんで台湾に行くと満腹中枢がいかれるのか。

というわけで後編に続く。
関係ないが「DEEP LOVE〜アユの物語」テレビドラマでもやんのかよ!
あの作者のYOSHIとかいうやつはおちまさとに続くうさんくさ臭がプンプンだとは思っていたが・・・

2004年09月26日(日)

台湾ス・イン・ア・ライフタイム 序章

我が家はしがない中の下流家庭(親戚はドキュソ!)なのですが、愚息ならず、愚娘2人もいい年になったので両親は年に2度も海外に行ったりするようになりました。ま、愚娘のうち1名はブルーカラーのような仕事でもう一人はターミネーター(しつこく説明するが、うちの中で「パラサイト」を指す言葉)なんですがね。
で、9月に入ってから両親はマレーシアのビーチに行きました。ターミネーターこと妹は韓国に行きました。(出発前日に母のところに「3万円貸して下さい」とメールでよこしてきたらしい、同じ家に住んでいるのに)
俺は唯一!9月に入ってから休みゼロの生活を送っておったのです。
でも9月の終わりになれば俺もマレーシアに行くのだ!という希望に支えられてがんばってきました。会社に置いてある卓上カレンダーにもマレーシアと書き込み、そこの時期には仕事を入れないように牽制してきました。

それが、諸事情によりオジャンになってしまったのです。
ギャース!・・・
何のために休みナシで働いてきたのかと。
何のために両親に「私もどうせマレーシア行くから土産、香水だけでいいや」と言ったのかと。(わかってたら化粧品大量に買ってきてもらったさ!)

そこで代案として、国内旅行に行くという考えが出たのですが、私はどうしてもどうしてもどうしてもどうしても海外に行きたくて、そうしないと会社にも家族にも立てる顔がないという状態(別に家族にそんな見栄を張る必要もないと思われるが、我が家はペナントレース一家で全ての基準に「勝ち、負け」「順位」をつけるもので)だったのでどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしても海外に行かなければならなくて、それを実行しないと自分があまりにもみじめだったのでどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしても海外に行くしかなかったのです。
そんな時にABロードがうまい具合に「海外にひとり旅」という特集を組んでいたので、「ひとりでも海外行ってやらぁ」と決意しました。
もちろん不安いっぱいだった。
海外は過去に行ったことはあるが、大学の卒業旅行として「織田裕二の『卒業旅行』の真似がしたい!チトワン国に行きたい!」という野望を秘めてタイに行っただけだったし。しかも4人で。それが今度は1人だ。1/4ロンリー海外はできるわけがない、と思っていたのだが、もう絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対行くしかないのである。
と、腹を括っていたときに、スターな女の子が同調してくれて一緒に行く、となり、あれよあれよのうちに6人で海外に行くことになりました。
行き先もあれよあれよあれよのうちに台湾になりました。
チケットもあれよあれよあれよあれよのうちに入手。出発4日前に手配して良く手に入ったモンだ。

まあ、ずっと働いてたんだから(日記だけ読んでるとずっと飲んでるような感じもするが働いておるのです)いっしゅん台湾に逃亡したっていいじゃないか。
昨日も11時近くまで労働してたんだよ俺は!

というわけでいってきます。
唯一心配なのは「台湾って満里奈っぺえな」ということだけだが、ナンシー関の初海外訪問先も台湾だったので、満里奈のことはあまり考えないようにしようと思う。

2004年09月22日(水)

下品ルーディババアたちへのメッセージ

前回の日記で来週は余裕があるであろう、日記も書けるであろうとほざいていたんですが、とんでもないウソでした。あいすいません。先週に引き続き馬車馬のように働かされていました。火曜なんか一瞬大阪に行かされるかもしれない状況でした。あまりに俺がだめぽな状態だったんで、俺の面倒見係の方がわざわざ夏休みを早めに切り上げて出勤してくださるという具合。人にたよるのイクナイ!
でも今週はついに!9月に入ってから悲願の休日が取れたのです。20日間よく頑張った、俺!あ、来週は1日しか出勤しないんですけどね。

しかし、先週の土曜日は最低でしたわたくし。
金曜の夜。「ティーネイジ・オブ・ザ・イヤー」というDJイベントに行ったんです。土曜日の朝9時から仕事があることは予めわかっていたことでした。でもお友達も多数DJなさるし、憧れの音楽評論家さまもDJなさるしなので行きました。酒はあまり飲まないようにしようと誓っていました。次の日起きれなくなるからね。
ダメでした。
しこたま飲んでしまいました。
愉快になりすぎてしまいました。
暴れまくりました。
数え切れないソソウを繰り広げ、まともな意識だった方々に連れられていつもの宿に帰ったのです。

そして、翌日。
「まーさん、起きて起きて。8時50分よ」
といういつもの宿の女将(心の性が)の声が彼方から聞こえてきて、ガバっと起き上がり、「マジで?ウソでしょ?」と騒ぐ始末。宿に泊まっていた人間(総勢8人)が全員目を覚ますほどの声で。その女将の方はいつもとんでもなくわかりやすいウソをつくので(私が「10月に京都に行く」と言うと「京都は10月に水没しちゃうんだよ」となぜか勝ち誇って言う、という感じにあからさまなウソをつく。我々はそれを「小ウソ」と呼んでいるんだが)またいつもの小ウソだと思ったのですが、時計を見たらホントに8時50分なのでした。
うぎゃー死ぬ!死にたい・・・と騒ぎながら二度寝をしてしまう俺・・・最悪だ・・・ホントに死ねばいいと思う。
結局10時過ぎに現場到着。午前中は目が回って回って大変でした。お昼をほとんど残したので(二日酔いで)、ホントに具合悪かったんだなと信じてもらえたようでよかったです。

あと酔っ払って会社に電話したのを思い出して鬱。
その電話に出た人が「あのこと、えらい人にいっちゃおーかなー」と微妙に脅してくるのでビクビクしてます。「チョコレートおごるんで勘弁してくれ」と言ってあるんだが。

そんなダメ仮面の告白はともかく。
最近はテレビもめっきり見ないので、細木数子が大ブレイクしていたことも知りませんでした。細木数子なんて「針すなおの似顔絵っぽい顔」くらいの印象しかなかったからな。
しかし世の中は「説教をするおばさん」が好きだなーサッチー然り、デヴィ夫人然り。説教というより「毒舌」とか「本音」とかが好きなのかな、よくわからないが。和泉もとやの母がいまいちブレイクしなかったのはこの毒舌とか本音とかいう部分が足りなかったからなんだろう。無論説教も。
いや、違うな。世の中は毒舌や本音や説教ではなく「下品」が好きなんだろうな。和泉もとやの母は顔かたちはともあれ話し方などは上品な感じだったから。あと伝統芸能村に属している時点で違うのかも。デヴィ夫人も話し方は上品かもしれないが、それを上回る下品のオーラを発散しているもの。化粧とか。
細木数子は「占い」で、しかもやたらと本を出版していることによる金持ちという時点で立派にうさんくさくて下世話で下品なのでやっぱりサッチー、デヴィ夫人ラインだ。「よくわからないが権力ありそう」「金持ち」ってのもこの人たちの共通項である。
次に説教しだすのは誰だ。松居一代だったらやだなぁ。説教される覚えがねぇよ。
藤田憲子が近いと思うんだがどうか。脱・伝統芸能(相撲だけど)だし、なんか下品だし。
あと杉本彩が思った以上に捨て身なので(私はどMなんです、とか、私は男の人がおしっこが大好きなんです、とかいうこっちが聞いてもいないような告白を次々にしていた)説教/毒舌熟女路線に進みそうで気がかりだ。下品を武器にしてるし、あんま関係ないがゴージャスって歌ってたし。(ゴージャスって言葉はなんてチープなんだろう、ゴージャス松野とか)



ところで、こないだも書きましたがこの日記もついに4周年なのです。オリンピックばり。4年前は単位が60単位くらい残っていた大学3年生だったのに、いまや立派に遅刻常習犯な会社員(共通項:どうしようもない)ですよ。時代は変わる。
続・戯れ言のログはきれいサッパリになくなってしまいましたが(ライコスから楽天に更新しなかったため)、股・戯れ言はがんばって残ってるなー。こんなにちんこまんこ連発/いつまで経ってもこの壁紙なのに成人ジャンルに移動されることもないという平穏ぶり。ひっそりほっそりと続いているからかしら。夜中にヴァネッサ・パラディなんかを聴きながら更新しちゃってるからかしら。(無駄な乙女アピール)
というわけで4周年記念に際して、ちょっとしたジコマン企画を。
「冗談じゃなくて!人のうちでオナニーばかりしまくってくれ!!」
というタイトルだけ告知してみます。
でも来週はワンタイあたりに行くんだよなー。あーうー。

ていうかフジロック日記続き書かないのか俺。
2004年09月19日(日)

セプテンバー そして9月は忙しすぎの月

休日出勤の会社からビミョーに更新。
9月入ってから休んでないよ。ロクに日記もウプできやしない。
というわけで、仕事落ち着くまで携帯で合間に気軽にウプ可能な
コチラを借りたんで刑事ヨロシク。

ネタ・戯れ言

しかし仕事も大変だがいろいろ忙しいぜ、とても。こうしちゃいられねぇ。
気にすんなよ、気にすんなよ俺。

近況
●9月末にニッポンから逃亡するので、そのぶん仕事を入れられている
●10月連休に京都へ逃亡するので、そのぶん仕事を入れられている
9月1日〜9月11日までの週報

9月1日 仕事→女どアホウ甲子園飲み
    嗚呼、俺はホントに!絶対!藤村甲子園
9月2日 仕事→久々に姫御に会う
    大学生(でも同い年)は気楽だなと思う
9月3日 仕事→野毛ナイトwithわやさん
    次の日仕事があるのに結局朝まで。沖縄のナイス女子に会えてよかった
9月4日 仕事→犬鍋(1ヶ月に2回て!)
    ものすごく墨田区愛の強い人に会って自分はまだまだだなと痛感
9月5日 仕事→銀座
    30分で終わるはずの仕事が5時間待機に変わり、仕事終了後銀座でヤケ買い
9月6日 仕事→会社女子と定例飲み
    定例っても久々。この会社女子は結婚してもどこまでも下品で最高。
9月7日 仕事→会社男子と定例飲み
    定例っても久々。2杯くらい飲むつもりが気がつけばお互い10杯くらい飲んでた。
9月8日 休日→仕事→門仲飲み
    振休のはずが「どうしてもお願い」と頼まれて結局出勤。その後門仲。ふぁる姐おめでとう。
9月9日 仕事→ふぁる宅
    るっぱちゃんと3人で竹野内豊をポワーンと見ながら団欒。
9月10日 仕事→ティーネイジ・オブ・ザ・イヤー
    あこがれの音楽評論家Oさんにご対面。みっともないくらいはしゃぐ。しかしヨッパの定番「チューして攻勢」はどうかと俺。
9月11日 仕事
    これは「ネタ・戯れ言」のほうにちゃんと書きますわ。とほほ。
    あ、らもはだ最終回に行けなくて鬱。また飲みたいっすSさん。

来週中は時間も取れるだろうからまともな日記書きます。てか書かないとなーこの日記ももうすぐ4執念、否、4周年(ホームページは5年かよ)だしなー。
2004年09月12日(日)

ミートシッツ・イズ・まーだー活動中(らしい)

今朝は先週のようなミラクル起床を夢見て3時に帰宅したにもかかわらず。
当然のようにミラクルは起こることなく10時に起きてしまいました。着信を見ると5件。もちろん全部会社からです。
この先は何も言うまい。いや、しかし、俺は大名平社員(自称・静かなるドンや反則王と同じような身分)だからしょうがないのれす。その分アホみたいに深夜に働いたりしているからいいじゃないか。

で、大名は昨晩、六角橋の大道芸見世物祭りというものに行ってきたのですが、そこにあった極楽レコードというレコード屋が最高の品揃えで震えました。買ったのは大江慎也のユーロビートなソロのみでしたが。このジャケットの大江が見事なまでに爆笑問題田中似。
そこで久々にドールを買いました。なんてったってグラインド・コア特集。表紙はナパームデスの「FROM ENSLAVEMENT TO OBLITERATION」。ああ、買うよ、買うさコレ見ちゃったら。もうパブロフの犬状態ですよ。
んでさらさらと読んでいたらグラインドコアの歴史的重要アルバムのようなものが羅列してあったんだが、そこにMEATSHITSを発見して気が動転したのであった。なんつうか、もう、赤面。ミートシッツを愛聴していたことこそ「初めて行ったライブがデビッド・リー・ロス」なんかよりうれしはずかしな事実なんですよぉぉぉぉ。
って書いたところでなにがなんだかサッパリわからないだろう。いや、ミートシッツっていうのは3秒とか5秒間ギャギャギャギャードワワワワグワァーと騒ぐだけの「グラインドコア」という音楽のバンドなんですけれども(そんな秒数の曲なので一枚のアルバムに30曲以上収録とかだった)、曲の始めに洋ピンの音声が入っていたのです。
ちょうどその頃(私が中学の頃)、うちの父親がアメリカに一ヶ月間旅行に行ったのだけれど、その際にものすごい数の洋ピンを持ち帰ってきてたのでした。だから私のアダルトなビデオ初体験は洋ピンだったのです。父親のビデオ隠し場所を探り当てて見まくりました。安っぽいスーパーのBGMのよな音楽にあわせて「OH!CO〜ME〜」と喘ぐパツキン女!(同時にダミーオスカーなども読んでいたもんだから俺にとっては今でもパツキン女はエロスの象徴なわけだ)
しかし、ビデオは父親と喧嘩した時に「こんなところにエロビデオ隠してんじゃねえよ!!!」と母親の前で暴いてやって以来、隠し場所が変わってしまったらしく自由に見ることができなくなってしまい、それでも性的にムラムラとかしたらどうすりゃいいのだ!という時にキクぜ!(ダブルミーニング)だったのがミートシッツだったのでした。
そもそもメルツバウなどを聴くとなんだか下半身がムズムズするなぁと思っていた頃なので、ポルノのモロ音+ぐちゃぐちゃノイズという組み合わせは性的刺激にはもってこいだったわけです。
もちろんしましたよ、ひとりでアレを。(当時はもっぱら!角オナニー)
しかし、無能で不毛な10代でしたから、ひとりでアレをするたびに罪悪感的なものを感じ、そのうちマイナースレッドなんかに熱中する頃には「ミートシッツは卒業しなきゃ」と思い(間違ったストレートエッジの影響)、だんだんと聴かなくなったのだった。封☆印。

でもアナルカントもメルツバウも今でも大好きなのに、なぜ私はミートシッツだけを切り捨てたのだろう。勿体無い。家にあるとどうしてもダメだ、とまで思い、ユニオンに売ったりもしてしまったんだった。
と、言えるのも、すでに自分が「オナニー is マーダー」と思わない人間になってしまった(殺人とまでは思っちゃいねえけどさ)からなんだろう。それって成長したってことなのかしら。
でも今とてつもなくミートシッツ聴きたいですよ。
ちなみに3Pをしているらしき野太い声の女の喘ぎ声の効果音がお気に入りでした。

って、祭りのことなんも書いてないなこりゃ。
大日の商店街プロレスは店を一軒破壊しただけでやや拍子抜け。
六角橋商店街は東横線という感じがまったくしなくてよいところでした。
ジャズ喫茶もいい感じだったし、レコ屋がもう一軒あったので今度行くぜよ>オカモト君への私信

で、フジロック日記はまた次回に持ち越し。ゴメン。誰に対して謝ってるんだ、俺。(たぶんりえ坊)
次回こそはこのスクール水着熟女の暴れップリをレポートしますんで。
とりあえず予告編的写真だけ見切り発車ウプ



2004年08月30日(月)

もう、ぎたぽ。〜永遠の童貞ファイティングミュージック

一ヶ月のうち一体俺は何日家で寝ているのだ!

と、深夜の繁華街の片隅で叫びたくなる今日この頃。今日も出張しています。もちろん丑三つ時に作業です。しかも今週は土日も仕事なんだってさ、ハッ。
先週末はかろうじて週末仕事は避けることができたものの、金曜の夜と朝のあいだに起こった酔っ払いスパーキングとか(久々に泥酔の翌日に自己嫌悪)、月曜朝7時から仕事だというのに前日3時まで飲んでしまうというアクシデントとかでなんだか全然休めてないような気がします。

まあ、酒を飲まなければいいだけの話なんですが。

ちなみに日曜の夜は「あしたのために!」と頭の中で呪文を唱えながら、酒を飲まないように努力してたんですよ私なりに。グァバジュースとか飲んだりして早く帰ろうとしてたんですよ。
それが夜中の3時帰宅・・・気がつけば、アラ、まあ、ちんぽの毛がもじゃもじゃ生える時間という体たらく。まあしょうがねえ。私のルーツの一部が目の前に降臨したんじゃな。
でも翌日は奇跡的に自力で5時40分起床に成功したので、作業には差し支えませんでした。午前中で終わる作業と聞いていたのに終わったのは夕方5時過ぎという過酷労働でしたが。
そんな労働ブリでヘトヘトだったのでさっさと家に帰ろうと思ったのだが、日曜日に仕事を入れられて頭にきたので反動でマシュー・スイートとヴェルヴェット・クラッシュのライブに行くことにする。もう俺の、踏んだり蹴ったりですさみまくった心に効く特効薬はギタポしかないのだ、と。
といっても会社を出たのが7時だったので、最初の30分は断念せざるを得ない・・・VCとマシューだったら、おそらくVCのほうがトリなのだろう、どうせマシューが前半なのだろうと踏んでいたのだが、思ったとおりにマシューが前半にライブをやっていた。ガックシ。着いた直後にはもう「シック・オブ・マイセルフ」やっちゃってるし。
そしてVCの方々が出てきてVCライブ開始。と思ったらマシューもステージに残留しギターを弾いているではないか。
つーかクアトロ名物の柱が邪魔してよく見えなかったが、VCの人たちも最初から一緒に出ていたのか?曲もマシューの曲ありーのVCの曲ありーのでめくるめくギターポップの楽園ステージとなっていた。ああ、この勢いでティーネイジファンクラブやレモンヘッズも一緒に出てくるのではないか、と錯覚するほど。(ギターポップジャンボリーみたいなのはいつか絶対開催するべき!)

今でこそギタポ大好きというのは公言しているわけだが、10年位前の私はギタポは好きではなかった。正確に言うと好きではない、ということにしていた。
甘いメロディにとろけるような声、恥ずかしげもない歌詞。そういうのがかっこ悪いと思っていたのだ。当時私はバーンを読んでいたし、脳みその足りないガキにありがちな「過激こそかっこいい」という思い込みがあった。まあ、その通り実際にスレイヤーやナパームデスはかっこよかったし、ノイズや早いビートのものは刺激的だったわけだが、その一方でビートUKやソニーミュージックTVやサウンドジャンプ(千葉テレビで昼間ずっと音楽ビデオを流しっぱなしにしていた番組)で流れるティーネイジファンクラブなどはこっそりと愛聴していた。
しかし、当時のロッキンオンでパンテラのヴィニーが「オルタナってジャンルはおかしいぜ、俺たちはレモンヘッズみてぇな女々しい音楽と一緒にされてたまるかってんだオイ」というようなことを言っていて、あうう、女々しい音楽だよなやっぱ、好きだけどさ、と思ったりしていたのだった。
今考えれば激しくどうでもいい意地だった。だってその甘いメロディやとろけるような声はその当時からすでに「聴いていて気持ちいい」ということをわかっていたのだから。馬鹿である。
あと「ベイビー、君のことが好きで好きでたまらないのさ」的な世界観を生きたことがなかったから心底おぼれられなかったのかもしれない。当時はバリバリの処女でしたから。なんのコンプレックスだったんだか。
そうやって振り返るとその当時はカッコイイと思ってた行為がすべてかっこ悪く思えてくる。まあ、概して10代なんてのはかっこ悪くてイタイことしかしないものなんだが。カッコイイ10代なんて見たことねぇよ。まさに10代は不毛の時代。ピートはいいこと言った。

だからギタポというのは私にとってはナヨナヨとした音楽ではなく、全裸で堂々と街を歩き回ってるようなかっこいい音楽なのである。あ、音楽がじゃなくてギタポ好きを公言している人が、か。音楽自体も「こんなことでウジウジして切ないんです」ということを告白しているのだから潔い音楽だ。
もちろん童貞臭プンプンであることには変わりはない。ちんぽだって皮に包まれていることだろう。それでもギタポは全裸で「君にモテたくてたまらない」と叫ぶのだ。

そしてこの夜に出ていたマシュースイートとベルベットクラッシュはデブとハゲとチビというモテから程遠いところにいる御姿の方々だったわけである。それでも「キミガスキダヨライフ」なんてことを言うわけだ。
その姿勢は清清しい。潔い。かっこいい。神々しくすらある。
10代のうちからギタポに姿勢を学んだ、なんて言うのはやっぱりそのくらいの年齢だったらいろいろと抵抗があるのかもしれないが、「この空見つめて自分を感じたい」とか想像力欠如も甚だしいがんばれパンクなんか聴かないでいいよ。底が浅いセックスなんかに憧れるな。ブログなんかに「こんな情報ゲットしましたー」なんてひけらかしてる場合じゃねえよ。
声に出して叫ぶんだ。一緒に歌うんだ。
自分の立ち位置とか今を認識すれば自ずと道は開けてくるもんである。ちんこまんこのことをいっぱい考えて夜も眠れないのを美しいメロディに乗せて歌ったっていいじゃないか。
この夜の客層はエバーグリーン童貞風外見の人が多かったけれど、彼らが一緒に合唱する「ガールフレンド」などは、パンク会場で見かけるパンクかぶれ小僧が突き上げる拳なんかよりずっと熱かった。殴られたら痛いよ、きっと。喧嘩は負けるだろうけど。

と、ここまで書いて思ったけれど、私はものすごく童貞臭のする女だな。
たまたま女に生まれたことがよかったのか悪かったのか。
まあ女なんだからせめてワキゲでも剃ることにしよう。肺胞肺胞。
2004年08月25日(水)

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