うっかり乗馬なんて始めさせてしまった去年の6月。
娘が「乗りたい」「おうま乗りたい」とノリノリなものだから、ついその気になって、ちょっと遠いなとか、ちょっとお高いなとか、ちょっと強引な勧誘だなとか、そういったモロモロの「ちょっとひっかかる」を呑み込んで申し込んでしまった馬鹿母です。
が、しょせん子どもですよ。ノリノリが長続きするか。いやしない。
するとどうなるか。モロモロの置き去りにした「ひっかかる」がゾンビのように蘇り、カーサンやる気なし子さん。秋くらいから、月に一度通えるかどうかになってきた。
レッスン場に着いてしまえば、ウマのかわいさにカーサンもなにかが緩む。だが、とにかく腰が重い。予約を取るのも億劫、大荷物なのも億劫。とにかくウマに関してはキックがかからんのだ。
このままではいけないのはわかっている。そしてカーサンは娘にピアノ習わせたいとも願っている。ウマとピアノを天秤にかけ、ああ重さが拮抗して天秤がゆらーりゆらり。いかんいかん、こんなことではいかんのだ。
カーサンうじうじ考えていたら、さすがの夫も母子の怠惰なウマへの通いっぷりに気付いたのか、「どうするつもりなんだ」と正月早々妻を詰問。
詰問されてようやく蘇ったゾンビたちとまじまじと対面、いちいち答えがグレーなことに自分でもあきれ果てる。ああ、正月っから辛気臭い…。
娘がやりたがっていることを、自分の都合で取り上げてしまう罪悪感もある。おとなの都合で。カーサンの都合で。
あのね。ウマのレッスンって、おもに3つやるんですよ。馬装、乗馬、ミーティング。
娘は最後のミーティング前後に、必ずと言っていいくらいへたれてしまう。抱っこ抱っこと号泣することもある。
要するに、娘にとってレッスンとは、観光牧場とかで楽しめる「曳き馬」感覚でしかないのかな、と疑っているのですよ。娘は楽しいところだけが欲しくて、「きちんと」のお稽古の感覚に欠けているのではないかと。
疲れてしまうのか、字が書けない、書くのが遅いのがプライド傷つけるのか、低血糖起こしてしまうのか。たぶん全部が混ざってそうなってしまうんだけど。
「始めるのが早すぎたんじゃないのか」「通わせるならきちんと通わせないとだめだ」という夫のごもっともなご指摘でカーサンようよう重い腰をあげた。
幼稚園始まる直前、春休み中にレッスンに連れて行った。娘に「もう今日で最後にしよう」「遠いし泣くし、あなたには早すぎたのだ、もっと大きくなってから再開したまえ」と話すと「うんわかった」とあっさりうなづいた。あ、あれ?拍子抜け…。もっとごねると思ったのに。そんなにあっさりなの?拍子抜けというか、落胆してしまうね、カーサン…。
「泣かずに最後のミーティングまでやりとげなさい」と諭してレッスン前に多目に補食。これで低血糖はなくなるだろう。
結果、泣かずににこにことミーティングまで終え、「今日じゃなくて、もう一回来たら(やめ)にする」とちょっと思い直したような顔の娘。ふうむ。様子を見るか。 ※ただの低血糖だったのか?とあとからカーサン海より深く反省…。
そして最後の一回と決めた日曜日、夫が「今日で最後にするけどいいんだね?」と改めて確認すると「やめたくない、もっと乗りたい」と泣く娘。
泣かせておいてなんだが、カーサンほっとしちゃった。やりたい、やめないという娘の意思を見せてほしかったのだ。
この日のレッスンは「今日も泣かないってこと?」「うかが習うものだから?」と語尾上げで確かめてから「一人で行ける」(←馬装の間は付き添っていた)ととことこ一人で厩舎に向かい、ミーティング終わるまで上機嫌。
夫は「やはりカツを入れないといかんのだ」と虚弱な妻(ごがっ←殴られた音)をちらっと見た。
自覚を持たせるってのは、大事なんですね。こんなやり方が褒められたもんじゃないのはわかってるけど、必要だったのねと納得している次第です。
年末帰省で、仙台から伊丹まで飛行機に乗った。さすがに新幹線2種類(はやて→のぞみ)乗り継ぎはきついでね。
仙台空港のロビーみたいなところで、娘より背の高い地球儀が、ゆるいスピードで回っていた。「日本はこれだよ」「アメリカ大きいねえ」などと指差していたら、娘が訊いてきた。
「おかあさん、ダビデの町はどこ?」
だびでのまち。さすが神の子。幼稚園の聖劇で娘の歌う歌詞に「今日ダビデの町に救い主が生まれます」というのがあったからね。ま、ね。
そして「ベツレヘムは?」と続いた。
カーサン曖昧にイスラエルあたりを指差しておいたけど、合ってんのかおい。
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カーサンと娘とでお風呂に入る。いつも娘はカーサンより先に上がって、隣の洗面所で体を拭き髪を拭き、パジャマに着替えながら歌を歌う。鏡の前のワンマンショー。
昨日も「じゃーねー」とお風呂場の扉を閉め、しばらく鼻歌を歌っていたが、そのうち一生懸命バスタオルを大人みたいに体に巻きつけようと奮闘しているのが見えた。ずん胴だからタオル落ちてきちゃうのよね。カーサンにも覚えがあるわ。お風呂場のドアはスリガラスっぽいのでシルエットがよく見える。
そして、
「どうしておとなって生きているの?どうして?でもね、それが人生。」
…女優?いや、ラビアンローズ(←そんなこと言ってない)…シャンソン?新春新人シャンソンショー?
浴槽に浸かったまま耳をそばだてていたら、そのまま
「もーろびとおー、こぞーりーてー」と大声で歌い出した。
やっぱりシャンソンショー。しかもまだクリスマスバージョン。
2008年01月08日(火) |
「後付け」っていい言葉 |
帰省中に気が付いたのだが、カーサン指の爪のかたちが変になっている。うねっているというか、爪の断面が波状に曲がっている。おかしい。
足の爪の色もなんだか変。急に厚みも増したようだし。おかしい。おかしい。
…栄養?思い当たるフシがありすぎる。フシフシフシ…。
チョコフレークばっかり食べてるからだー!絶対そうだ。
以前キットカット中毒になったことがあったけど、今回はチョコフレーク中毒なんだよなあ。よくないなあ、いかんなあと思いながらもやめられない止まらない。だって中毒だもの。
温泉の鏡に映った下っ腹のぽっこり加減も「ぎゃー!」てな塩梅だったしなあ。義妹ちゃんを見習わなくちゃ。腹筋するのもいいがその前にチョコフレーク止めろだよね。
というわけで、今年の目標は、食生活改善。
カーサンのチョコフレーク中毒ももちろんだが、娘のコントロール的にも朝食をパンじゃなくてお米にしてみようかと。
もっと基本的なことを言うなら、台所に立つ時間と回数を増やしてみようかと。
そんな目標、カーサンにとってはかーなーりー大きい目標掲げてみた。
で、とりあえずサーモスの保温ポット買ってみた。←え?
や、とにかく寒くてね。←え?
いいの!お湯が欲しかったんじゃー!必要経費必要経費。
東京から仙台に戻ってきた日、カーサンは心底ほっとした。仙台の駅や街の景色が、馴染みのある「懐かしい」ものとして映ったからだ。
夏休みに東京に帰省したときは、もっと未練たらたらでねえ。東京がおらが村が恋しくて恋しくて、胃が痛くなるようだった。
またあんな風に切ない気分になるのか?感傷的になってしまうのか?ええ、どうなんだ?と思いながら新幹線に乗っていた。本当に37歳ですか。
昨日の日記でぶーぶー書いた帰省だが、大阪も東京もどちらもカーサンには「懐かしく」、いや大阪に住んだことはないんだけど、馴染み度というか、お客さん度が低いというか、親しい気分になれるとかほっとするとか、そういう場所だなあと再認識した次第で。急にフォロー入れてるかのようですが、まあまあまあ。
そして仙台も徐々にそういう場所になってきているみたいで、それがとてもうれしかった。
帰省して、どっぷり浸かっている日常から離れたから気付くことができたのかもしれないじゃーん。と更にフォローを重ねていれてみる。ふ。
ま、楽しいこととそうでないことのバランスっていうのかしらね…。←まとまりようがなくなってきている
ここを訪れてくださる皆様、今年もよろしくお願いいたします。もうとっくに新年明けておりますが。
さて、年末年始は激しく帰省しておりました。夫の大阪実家に5泊、カーサンの東京実家に4泊。東京を離れて初めての年越し、ま、実家滞在期間、按分としてはこんなものでありましょう。
大阪の家族たちはますます行動力を増し、テレビの音量はでかく、とにかくせわしく年越し。
義妹ちゃんには「さばさん「規律正しい生活」とかって、ハナから捨ててるやろ?」と的確なつっこみを頂きました。ええ、そのとおりですとも。「己には決定権のかけらもない」という投げっぷりが態度に表れておりましたな。どんな嫁やねん。
娘が小さかったときには「もっと早く寝かせたい」「夕ご飯が終わったら静かに、興奮させないで」「布団に入れて寝かしつけている間くらい、せめてテレビの音量3分の2に抑えられないものだろうか」と空しく願ったものだが。娘が発症まもないときは、食事のタイミングが狂うことでずいぶん悩んだものだが。
もうね。いいんです。流れに身を任せる。←いいのかそれで
そんなだから、娘はほぼ毎日日付が変わってから寝ていた。朝はカーサンたちより早く目が覚めるし、昼寝は滅多にしないので、娘は大阪にいる間常に睡眠不足。5泊が限界。あれがもっと長引いていたら、確実に風邪引いてたな。免疫力下がった顔つきだったもの。←だったら早く寝かせる努力をせよ
一転東京の実家、こちらは規則正しい生活だが、運動量が極端に減る。年の近い子どもがいないせい、じじばばの出不精のせい。茶の間の掘りごたつから出ないんだもんなー。
大阪に居る間は、激しい小学生甥っこ達のおかげで娘の血糖値が適正値。東京に来てからはおもち1枚で振り切れる〜るるる〜。
足して2で割ると双方ましになると思うのだが。
そして東京実家、テレビの音は小さいが、今回は親戚一同の集まりにうっかり間に合ってしまった。以前は傍若無人に酔っ払う兄がうっとうしかったが、最近は実家じじの品性欠いた物言いにうんざりだー。年々ひどくなっていく気がする>品性欠如。身内の、思いやりのない発言ってのはこたえるもんですね。
会いたかったお友達に会えるでもなく、足がないせいか妙な束縛感。
一度でいいから家族水入らずで年を越してみたいものだ。無理だから切に願ってしまう。そんな感想で年をまたいでよいものか。むう。
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