日記帳

2005年01月20日(木) 月イチ

月に一度の病院詣で。

診察中、パーテションで隔てただけの隣りの部屋から絶叫号泣が聞こえる。娘とほぼ同年齢の女の子が採血しているらしい。

胸が苦しくなるような思いでそれを聞きながら、膝に乗せた娘を抱える腕に力が入る。大丈夫大丈夫。娘にではなく、自分自身に唱える。すると娘「オトモダチないてるねえ」と一言。そうだね、がんばっているんだよオトモダチ。外で待っているオトモダチのおかあさんもね。

娘もこの日は採血。しかし何故娘は泣かないんだろう。えらいねえ、と看護婦さんに誉められて「うかなかなかった」とカーサンにアピールするってことは、本人も努力しているということなんだろうか。意地みたいなものだろうか。

アンパンマンの絆創膏を貼ってもらってご満悦な娘であった。

早めに病院に着いたので、何もかも前倒しでさくさく進む。お昼には実家に到着することが出来た。慣れって素晴らしい。

また食事量を記録する用紙を渡されたけど、以前ほど気が重くない。娘は食べることが好きだ。それはカーサンにとって純粋に喜びであり、制限しなくてはいけないというプレッシャーを感じなくなったからだと思う。

というようなことを実家ばばに話すと、うまく飲み込めない様子だった。食べさせすぎてはいけない、という退院直後のカーサンの混乱を見て、彼女なりに考えるところがあったのだろう。実家ばばは孫娘の食事量について気をつけなくてはと決意していたらしい。娘と食卓を囲むと、それがよくわかる。

夫とカーサンの間に成立した、カロリー制限に意味なしという合意について話すと、ようやく私達のベクトルを理解してくれたようだった。いや理解にまでは至らなくとも、理解しよう、カーサンたち夫婦の意思を尊重しようという気持ちは伝わってきた。

それをきっかけに、というわけではないけれど、久しぶりに彼女と腹割ったトークが出来た。元旦早々じじとばばがけんかした話とか、その原因であるじじのダメ出しへの嫌悪感とか、わかるわかるーと共感できたのが嬉しかった。ダメ出しするときのしゃべり方って大事ですよね。

娘は夕飯の途中でばばの膝で眠ってしまい、それを抱える彼女は重そうだけど幸福そうだった。

ようやく、大きい重たい何かがまたひとつ、収束傾向を見せ始めたように思う。



2005年01月19日(水) 3日間凹み続けるの巻

長いうえに暗いです、今日の日記。

日曜日に同年代の親戚が集まる機会があり、どうもそれ以来低調モード。

とにかくカーサンの実家方面は親戚が多い。両親それぞれの兄弟姉妹や、祖父母にまでさかのぼって兄弟姉妹が多くて、しかも大概関東地方に住んでいる。

しかもしかも親達が同年代、生まれてくる子ども達も年齢層が10年以内に集約されている。

しかもしかもしかも正月だと言っては集まり、お彼岸だと言っては集まり、冠婚葬祭でももちろん集う。親達の世代では、世の中それが当たり前だったのだろうか。

会えば顔はわかるけど、自分とどうつながるのかがわからないおじおばアンドいとこたち多数。子どもの頃は正月の集まりが楽しみでもあり、苦痛でもあった。
※楽しいのはお年玉がたくさんもらえるから、苦痛なのは既に出来上がっているいとこ達の輪に入れず、それを父からくどくどダメ出しされるから。

そのうち子世代がそれぞれ家庭持ちになり、正月大集合は執り行われなくなったと聞いた。嫁たちの安堵はいかばかりか。

それでもごく近い親戚だけが、私の実家に集う正月二日。大阪帰省という名目で逃れることが出来た年は正直今でもラッキーと思う。場を取り仕切るのが父から兄に移りつつあるのが、苦痛に拍車をかける。彼の尊大な仕切り方が、酔うと特にひどくなる、それが大嫌いなのだ。

今年も難を逃れたとほっとしていたのに、また集まるんですか。子世代だけとはいえ、兄に振り回されるのはもううんざりなのだ。

気が乗らないと文句を垂れるカーサンに、夫が「正月二日に我々が居合わせなかったから開催されるのではないか、ならば行かなくては」と優等生発言。すまん。カーサンの方の親戚だっていうのにねえ。

理由は夫が考えたものではなかった。いとこだけでなく、はとこまで集まっていたのだ。10年くらい前に集まったことがあるメンツだ。

あまりに気が乗らないから事前に連絡も密に取らず、誰が参加するのかさえ聞いていなかったことに気付く(凹みポイント1)。

既婚だがまだ子どものいない年長のはとこ姉に育児について語られ、ちょっと目が虚ろになる。ほぼ同じ年のいとこ嫁が「とっても為になるわ」と素晴らしい相槌を心底打つのを聞いてさらに目が泳ぐ。

他人の話を素直に聞けない自分の性質に改めて気付く(凹みポイント2)。

危惧していた兄の暴挙は予想外なことにほとんど無く、それが年齢によるものなのかメンツによるものなのかと考える。

つくづく悲観的な自分の性格に嫌気がさす(凹みポイント3)。

次回はまた10年後かと笑っていたら、また夏に集まろうという流れになりやはりうんざりしてしまう。それを夫に話し、なだめられる始末(凹みポイント4)。

だって共通の話題なんて、子どもの頃の思い出話か親戚の誰がどうしたとかかつての親戚の栄光とか、そんな話しかないんだよ。当事者はともかく、その連れがそれを聞いて楽しいのかなあ。ルーツを知ってもらうことは出来るけど、話に参加しようがないじゃないか。

夫は冠婚葬祭で顔を合わせることが必ずあるんだから、それ以外のときにこうして顔をつなぐのもいいことだ、と言う。

低く低く自己嫌悪スパイラルにはまり、さらに娘にとばっちりをくらわせ、さらに凹む凹む。

今日友人が遊びに来てくれて、ようやくその下降曲線から逃れることが出来た。有難いよ、ほんとに。

子どもの頃は父にダメ出しされていたけど、自分自身でそれをやっちゃった。よくないよくない。どこまで行っても出口がなくて、本当に落ち込むばかりだった。

「おかあちゃんげんきだの?」と娘を泣かせるような、笑顔のない一日を送っちゃいけない。元気なの?と尋ねているようだけど、それは怒らないでという懇願なのだ。ささいな言い合いから、娘に意地悪なことを言ってしまったよ。まるであの日の父のように。



2005年01月14日(金) 公園淘汰説

昨年末、入園準備品のリストが幼稚園から送付され、今日がその提出日。

兄姉がいる園児は買わなくて済むものもあるからなんだろうけど、必要なものには丸をつけろという方式。うーん、必須なんだかよくわからない品物については直接幼稚園に尋ねてからにしよう。

幼稚園としては、「これは要りますか」と訊かれたら「あった方が・・・」と答えるのが筋ですよねそりゃ。結局一つだけ残してあとは全部丸。えーい面倒くせーや丸つけとけ丸。〆て1万6千円也。高いよ。

思いっきりカモられたような気分で公園に向かう。幼稚園の園庭で遊びたがった娘の気が済むかと。

午前中の公園は、娘より下の年齢のお子さんたちでいっぱい。相変わらず娘はおもちゃに執着丸出し。威嚇の視線を飛ばしながら不穏モード。はー。これってガンとばしですよね。視線だけでなく、言葉も出てくるからほんと洒落にならない。「うかのぶらんこかちてあげた」あなたのものではありません。

乳幼児の輪から娘を連れ出し、目を見て説教。そんなケチな根性ならもう公園には来ないと脅すカーサン。意味が通じてるんだか通じてないんだか、「出来ない」「でも公園には来たい」と矛盾しまくる娘。はー。

もう連れて帰ろう。最後にブランコ乗っておしまいにしなさい。

すると娘、隣りのブランコで遊んでいるママと坊ちゃんに興味津々。そのママが保母さんばりに遊ばせ上手で、通る声で楽しげなのだ。カーサンと雲泥の差。

その坊ちゃんがブランコを降りてかくれんぼを始めたら、娘がついていってしまった。娘にも楽しく声をかけてくれるママ。もはやこれって才能だよ・・・。素晴らしい。

さんざん後を追って遊んでもらい、お昼ご飯だから帰ろうと説得。自転車に乗ろうとすると、「おともだちにばいばいちる」と坊ちゃんのところへ走る娘。

自分が好きな子には義理堅く、それ以外のオトモダチには冷徹。そのテリトリー意識の強さはカーサンの遺伝か。

そして娘が最年長という感じだったあの公園。娘の年齢くらいのお子さんが公園に少ないのは、「仲良く遊べる子」しか遊びに来ないからなのではないかとふと思う。娘以外は和気藹々としてたみたいに思った。淘汰された公園で、娘の狭量な性質がまた一段と濃くあぶりだされた感じ。

本当にこんなで幼稚園に行って大丈夫なんだろうか。こんなだからこそ、幼稚園で揉まれてくれと願うカーサンは身勝手なのかもしれない。揉まれるのはいいけど、揉んじゃう可能性の方が激しく心配。

公園に行くたびに説教したら、少しはわかってくれるのだろうか>娘。



2005年01月13日(木) 時系列的日記

朝6時、娘に起こされた。大層機嫌が悪い。案の定低血糖だった。

昨日を振り返っていつもと変わったことといえば、張り切って出かけた公園だろうか。ほんの一時間程度、激しくはしゃいだわけでもないのに。あとから来るボディブローパターンか。それとも夕飯の内容?考えてもよくわからない。

なにしろ早くに起きたのは大変結構。朝をもう少し早くと、いつから思っていたっけ。年末年始はどうせ大阪でめちゃくちゃになるからいいや、と後回しにしたってことは、去年から考えてたんだな。なんて腰の重いカーサン。

とりあえず補食(なっちゃん&マリービスケットの定番黄金コンビ)で上げる。そのまま朝食を取らせる。迷ったけどここでインスリン打たなかった。きっと後でお腹が減る。そのときに打とうっと。

ほどなく「なんか食べるー」が始まり、みかんとパンをかじる。今度は打つ分量を迷う。なにせ上げた分、きっちり上がって血糖値500超。スケールを守ってみる。

銀行やら現像やらの用事を済ませ、娘の要望で公園に行く。割と暖かめな陽気に誘われてオトモダチがたくさん。と思ったら様子が変。また低いぞなもし。

打つ量が多すぎたか。主治医のスケール通りだけど、食べた量が少なかったな。

大慌てで帰宅、お昼ごはんを食べさせる。

さて落ち着いたか。買い物に行かなくちゃ。すると今度はスーパーのカート上で船を漕ぎ出した。ひー。妙に重さを増した娘を自転車に乗せて帰宅。

寝るの寝ないのと押し問答した挙句、ようやく昼寝。・・・長いな。起こす。また低い。

日記書いてる横でおやつを食べている娘。おやつ前は打たず、夕飯前に調整しよう。寝ている間に低くならないよう、ちょっと加減したほうがいいかな。さて晩の支度でもするか。

だらだら長くて失礼。今日のは自分の覚書だわ。



2005年01月12日(水) タイミングよすぎ

昨日のこと。

どうってことなかったと思いながら、保健センターで2時間かかった三歳児健診。娘も私もそこはかとなくぐったり。お昼ご飯のタイミングずれちゃったね。

と、夕方6時頃電話が鳴った。実家ばばからで「鏡開きして小豆を煮たから持っていけってじじが言い出したんだけど、今からいい?」。断りませんよ、いつだって。ええ、断れませんよ。しかし微妙なタイミングだな。夕飯そろそろなんだけど。

いくらなんでも部屋が汚い。ぐったりを背負ったままぱたぱた片付け掃除機をざっとかける見栄っ張りカーサン。

彼らが到着したのがジャスト7時。こりゃ待ちきれんとフライパンにすき焼きの残りの牛肉を投入して1分くらい。あーもうタイミングいいなあ。最悪ってやつか。オートロックと玄関の鍵を開ける為に火を止める。生焼けー。

じじのせいにしているけど、ばばの新年会旅行土産を持ってきたかったんじゃないの。こちゃこちゃバックから出して並べ始めたよ。ああキーホルダー。これ以上どこに着ければいいの。

なんとなくため息まじりに相槌を打っていたら、「あんたフライパンのお肉どうすんの」とばば。きー。どうするもこうするも焼くんだよ。焼いて食べますが何か。

一気に不機嫌になるカーサンを見てようやく何かを察知、「あらもうこんな時間よ、帰りましょ」とそそくさと帰っていった。滞在時間15分弱。

わざわざ車で届けてくれて有難いんだけどさ、孫の顔が見たかったのもわかるんだけどさ、事務所があるからこの時間になるのもわかるんだけどさ。

そしてまた、あまりに素っ気無い対応だったかしらとうじうじ思い返したりして、ああもうただでさえ少ないエネルギーを無駄使い。

ま、どれもこれも全部自分の選択ですからいいんですけどね。いいんですよ。いいって言ってるのに。


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