引越し前の住所から転送されてくる郵便物に、幼稚園からの案内がぽつぽつ入るようになってきた。今住んでいる区の幼稚園からは一切アプローチはないので、これはやはり区が違うからなのか、それともまだ私たちの存在が幼稚園に知られていないからなのか、さてどっちだろう。ええ、どっちでもいいです、はい。
園の案内にはいろんな種類のがあって、ひとつどうしても読んでしまうのが、心理学的な根拠をほんとにフロイトとかから引っ張ってくるやつ。えー、本当ー、と突っ込みつつ、「心理学ではそうなんです」と言われると、「はあそうですか」と頷くしかないような気がしてくる。
カーサンがひっかかったのは、「園児が泣いたりしてうまく幼稚園生活がうまくいかない、自立出来ないのは、入園以前の母子の信頼関係が成立していないから」という一文。ふん。園側の「何でもウチのせいにしないでくれ」という一種の転嫁とも読めるが、それはあまりにうがった読み方かしら。
カーサン入院中娘を置いて帰らなくてはいけなかった、というのから、未だに娘が立ち直りきっていないように感じられてならないのだ。退院後、赤ちゃんの頃のようにカーサンと密着しないと眠らなくなった、とか、瑣末なことからそう思うだけなんだけど。
「信頼が成立していない場合、それを埋め合わせる行為が必要」なんて読むと、本当に来年から通わせていいのか、とふと迷う。
自分自身、2年保育だったし、とか。ま、当時は3年保育が少なかったというのもある。単純に比較するのもナンだが。
迷う気持ちが40%くらい。
もう一年、カーサンとまったり過ごしたからって、必ずしもその埋め合わせが出来るかどうか疑問、娘もお友達を欲している様子、と幼稚園という新しい環境に入れたい気持ちが40%、あとの20%は「一人の時間が持てる」という誘惑にカーサン勝てない、というのが正直なところだったりする。 ※合わせて60%、なんだかんだ言っても娘は幼稚園に行くことになるのであった。
うーん、考えてみると、通わすにしても、手元に置くにしても、所詮カーサンの都合でしかないわけね。
幼稚園に行く理由として、娘の持つ可能性を信じるという言い方も出来る。なにもかもどうってことないじゃん、オカーサン心配性ね、と笑い飛ばすのはきっと彼女自身だ。
そうとも、娘よ、こんなカーサンを笑っちゃってよ。
土曜日、またも車屋さん某ディーラーへ行く。そこの営業さんプロ意識が非常に高く、好感感じまくりだった我ら夫婦、ついに買い替えを決意。 今乗っている車に愛着はある。しかしいかんせん不具合連発。安心を買うってことでね(誰に言い訳・・・)。
週末には車屋さんと娘の中にもひとつ方程式が出来上がったらしく、「くるまやさん、いくー。くるまやさんのおもちゃ、いくー。」とリクエストしてくる始末。
確かにディーラー店舗内には、大概キッズコーナーというスペースがある。飲み物は出てくるわ、ビデオは見られるわ、おもちゃは目新しいわで言うことないわな。
さて、昨日も娘機嫌よくビデオを鑑賞しながらきっちーちゃん滑り台を満喫していたところ、小学校高学年姉妹が猛烈な勢いでキッズコーナーに登場。
ビデオを無言で「不思議の国のアリス」と取替え、見たい箇所まで早送り。君たちここの常連さんだね。こないだの続きを見るって決めてたの、というオーラを感じる。
それにしてもだよ、無言はないんじゃないのかね。
案の定娘は大泣きし始めた。うーん。なだめながら迷う。ここでガツンと彼女たちに言うべきか、それはオトナゲないことなのか。娘に「嫌だったら泣かないでお口で言おうね」と諭すべきか。うーん。
姉妹の両親は我らの隣のテーブルでアイスコーヒーをすすっておられる。偏見はいかんかもしれんが、オカーサマのお化粧がなんと申しましょうか、濃い。お面のような塗りっぷり、巻き髪で、マニキュアで、一世代前のお上品な奥様。あ、すごい書きようですか、私。
オカーサマはこちらを一瞥もしない。娘の号泣に気付いたのはオトーサマの方だったが、「アリス見てるの?」なんて姉妹に一言かけるのみ。
結局オカーサマから姉妹に掛けられた言葉は、「姉(名前)ちゃん、妹(名前)ちゃん、こっちきてアイスティー飲みなさい」であり「もうひとつクリーム欲しいってお店の人に言いなさい」であった。
姉妹はキッズコーナーを離れたり、戻ったり。ビデオを見たり、アイスティーを飲んだり。そのうち娘は機嫌を取り戻してブロックのおもちゃで遊びだした。
どうやら彼らは納車で来店したらしい。そのうち車の方に移動してしまった。店内に戻ってこない。カーサンそっとアリスのビデオを止め、娘が見ていた方をデッキに入れた。お、おとなげないですかね。
ややしばらくして姉妹が戻ってきた。ちょっと首を傾げて何か言いたそうな姉妹、妹の方が「アリスを見てもいいですか」とカーサンに尋ねてきた。姉は無言を貫いた。
そうよ、そうやって一言断ってくれればよかったのに。 どうぞ、と気持ちよく譲ることも出来たのに。
車の購入とは全く無関係な所でおたおたするカーサン。情けない大人の典型だろうな>自分。
ところで娘が気に入って見ていたビデオ、入院中に繰り返し見ていたブツだったのだ。入院一ヶ月という期間分、カーサンの中にはいろんな物事がスイッチとして堆積したが、中でも強力な部類に入るよ、このビデオは。
あのときと同じビデオ。ビデオ以外の風景。まだ入院しているかもしれない、娘に優しかった、彼や彼女たち。
ヘンなときにスイッチが入るから困るよ。
ここ2・3日お腹の具合が不安定だった娘、祝日早朝二時にお腹が痛いと泣いて起きた。泣いて身を捩られると不安が募る。
ええい、近所の休日診療に事情をあれこれ説明するのもしゃらくせえ。いつものN大S病院に電話して、夫の運転で駆け込んだ。夜中二時半。
さっきまで痛い痛いと訴えていた娘、けろりと復活してにこにこと当直の先生登場を待つ。いや、治ればいいんですよ。いいんですけどね。
現れた先生は初対面の若い男性。こちらの話を聞くよりカルテの解読に必死な様子。が、がんばれー。
最近薬が変わったこと、お腹が痛くなる前日から低血糖気味であることなどを伝えたが、どうもただの便秘らしい。娘よ、私の遺伝子をそんなところで発揮するな・・・。
カーサンも高校生くらいまでは便秘症で、一度は夜中に七転八倒して母が救急車呼んでしまったほどなのだ。すわ盲腸炎か、と。
娘には整腸剤が処方され、無罪放免。入院覚悟でわたしたちすごい荷物の量なんですけど。ははは。4時に帰宅。
翌朝10時に快適に目覚めた娘に起こされ、ヘロヘロな親二人それでも実家のお墓参りに参加(しかも遅刻)。娘この日も肝心なブツは出ず、帰宅後カンチョーのお世話になりました。ビロウな日記で恐縮です。すみません。
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救急外来の診察室の消毒液の強い匂いときたら、否応なしにカーサン娘を抱いてタクシーに乗った6月のことを思い出させてくれた。その匂いに対する自分の拒否反応にも驚いた。
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ただのフン詰まりとわかって思い出したのが、カーサン自身の体験。母が救急車を呼んでしまったときの看護婦さんの台詞、「あんたのおかあさんおかしいんじゃないの」。
あの病院には二度と行かなかったっけなあ。
今夜の看護婦さんはとてもとても優しくて、それが無性に嬉しかった。
帰り際に入院中お世話になった看護婦さんと遭遇、帰っちゃうの?泊まっていく?なんて軽口を叩ける幸せ。大事にならなくて本当によかった。
連日幼稚園ネタ続きで恐縮だが、大穴幼稚園の見学に行った。
補欠幼稚園と同じくらい好感触。木陰のある園庭、保母さんたちは補欠より地味め(補欠の保母さん、やたらマスカラが濃かった)。
もう一度補欠に見学しに行って、補欠か大穴、どちらかに決めようと思っている。
たかが幼稚園の見学だが、えいやっと腰が上がるまで妙にエネルギーが要った。日々、いかにエネルギーを使わずに過ごしているかを痛感。
なんかねえ、ちょっとここ2日ほどダメダメに拍車がかかっているんですよ。気合が入らない。
まあ、そんなこともあります。ほっておこう>自分。
●金曜日 朝食後、思い立って本命幼稚園に電話、自転車かっとばして当日飛び込みみたいな形で見学させてもらう。
下見した甲斐あって、迷うことなく到着。しかし、距離を感じる。ちと遠いなあ。
予想外だったのは他にも見学者がいたこと。時期を考えれば当たり前か。我ら母子の他に7組の母子が来ていた。もうこの幼稚園に決めている人がほとんどのように感じた。
幼稚園の印象は、補欠幼稚園よりきっちりしている感じ。園服も着ているし(補欠は登下園時のみ着用)、先生のお話を並んで座って聞いてたし(補欠はもう少しカジュアルな感じ)。見学者にも、園児に話しかけるなというお達しがあったし、教室には入れてもらえなかった(補欠では娘が園児に入り混じって遊んだ)。
プールがあって水泳の指導があるとか、体操の先生が来るとか、お勉強以外の方面でのお稽古に力を入れている様子。
計八組も見学者がいると質問もずびずばで、斬り込み隊長が一人、入園料授業料その他について突っ込みまくってた。聞き耳ダンボになる便乗カーサン。心の中でメモメモ。
仏教園で、お寺の境内を通って園の入り口に達する道を歩いてきたというのに、「クリスマス会はないのか」と質問し、「仏教園ですのでありません」という回答にあからさまにがっかりしていた人もいた。ははは。
なーんとなく、なんとなくの印象だけど、ここに通わせることはないような気がしている。
例えば娘が登園中に低血糖発作を起こしたとして、あの距離をかっとばす間ずっと彼女が倒れているのか、という危惧もあるし、見学のさせ方も補欠幼稚園に比べて表面的というか、あまり熱意が感じられなかった。
ただ、1型糖尿病であるということで入園を断られることはないということと、以前それらしき園児がいたようだ、という点で、ここもまだ捨てきれない。 ※「お砂糖を預かったことがある、今は砂糖ではなくお薬であるんでしょう?」と説明のおばちゃんが言っていた。
もうひとつの大穴幼稚園を見てから決めよう。
●土曜日 実家がある町内で秋祭り。山車とお神輿が出る。
実家じじは長年、町内会で会計をしており、毎年それは楽しげに参加している。娘が産まれてからというもの、この時期になると娘を連れて来いと矢の催促だ。
ばばは娘の裄と背丈に合わせて浴衣に二重揚げをして準備万端、預けた下駄持ってこいと鼻息荒い。これは連れて行かないわけにはいかない(わかりにくい文章)。
娘は最初、山車に群がる人の量に圧倒され、「もう行かない。おうちがいい。」とクールな反応を見せたが、夕方になって浴衣を着せ縁日に連れて行くとウハウハ。ええ、じじもウハウハ。
町会の役員で大抵の大人参加者と顔見知りという立場を知ってか知らずか、きちんと列を作るこどもたちそっちのけで「これ頂戴」と娘を抱いて横入りしまくり。娘として恥ずかしいぞ。たしなめてもたしなめてもノンストップ。酔っ払いの孫溺愛を止める術は皆無。
娘はヨーヨーの浮いたプールに突進、カキ氷に舌鼓、輪投げの的は目の前まで移動してもらっておもちゃゲット、「ひとつじゃ足りないわよ」と町会のおばさんたちから大量の焼きそばやみそこんにゃくを仕入れ、親二人で荷物持ち。
そのうち縁日がお開きになり、では、と帰ろうとしたらじじが呼び止める。これから大人が担いで、少しだけお神輿で周るから見て行け、孫に見せたいというのだ。はいはい、残りますですよ。
するとお鉢が回ってきたのは親の方。夫いつのまにか町会の若い衆に絡め獲られて法被を着せられ、お神輿の担ぎ手の輪の中に。
近場を一周して帰ってきたお神輿を迎えると、今度はカーサンまで担ぎ手に引っ張り込まれる始末。周りは男性ばかりで肩が届いてないんですが。しかも先頭なんですが。
こんな体験初めてだ。そして知ったよ。お祭りに夢中になる人の気持ちが。三社だ深川だと大騒ぎする知り合いが何人かいるが、初めて彼らの気持ちがわかったよ。
担いで揺らしている間、妙に血がたぎった。嫌な気持ちがひとつ残らずすっとんでしまった。解放感、高揚感。なんて言ったらいいんだろう、あの気持ち。
夫も実はお神輿を担ぐのは初めての経験だったそうで(後日談)、彼がお祭りに目覚めたらどうしようかと思ったが、それは取り越し苦労だった。「いつ終わんねんて思ってた」夫に比べると、はまりそうなのはカーサンの方。
やばい、また一つ好きなものが増えた。
●日曜日 車の点検をお願いしにディーラーへ。エンジンをかけるとキュルキュル大音響なのだ。二度目なので余計に不安。
点検の結果、ファンベルトが伸びて緩んでいたためと判明、直してもらってさあどうしよう。
このところ調子が悪いという理由で、夫は車買いたい熱が高まっているのだ。直っちゃったんですけど。
それでもまあ冷やかしで、ということでショールームを二軒はしご。寄る所寄る所で飲み物が出て親はお腹タプンタプン、娘はキッズコーナーのおもちゃでアドレナリン分泌。お土産まで頂いてなんのこっちゃ有意義な一日だった。
薬の処方が変わって4日目、なかなか快調な滑り出しである。よしよし。
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