日記帳

2004年09月03日(金) 疑いつつ

学生時代の「徹夜で語る」という行為を思い出す。妙にテンションがあがって、ものすごくいい感じな言葉が次から次へと口から滑り出て、人間としてステージをひとつクリアしたような晴々とした気分。でも実はなにひとつ変わっちゃいない自分。

昨夜の我々夫婦はそれに近いものがあったぞ。

でもまあ、ぼんやり感じていた自分自身への違和感がはっきりして、収まるところに収まったというのは気分がいい。

高揚感めいた感覚に身を任せてなんとなく外出する。別に今日じゃなくてもいい用事を済ませ、あえて実家に寄る。

気が晴れたというか、浮かれているというか、ひょっとしてバイオリズム上調子なだけなんじゃないかと自分で勘ぐりつつ、カーサン今日はしゃべるしゃべる。実家じじばば内心べっくらこいたにちがいない。

今だけのハイテンションかもしれない。ちょっとだけ覚悟はしておこう。

・・・ああ、あくまでも「悲観的な私」は消え去らないのね。



2004年09月02日(木) ひと山越えたか

伊勢志摩ブラボーはともかく、宿はどうする。夫と雁首並べて深夜のネット徘徊。1時近くまで探し回って候補を決め、予約のメールを送った。

その後、娘の糖尿病絡みで最近感じたことを夫に話し始めたら、これがもう止まらない。意外なことに夫も止まらない。二人でしゃべくり倒す。

もっと話すネタはあったのだが、3時に娘が泣いてお開き。

さ、なだめて抱え込んで寝かしつけて・・・と思ったら、娘が強硬に夜泣き。もう寝ない、起きる、お茶をくれ、もう朝になった、と言い張る。

お茶を飲ませて、念のため血糖値を測り(低くなくてひと安心)、夫も巻き込んでなんとか寝かそうとするも、寝付きがいいにもほどがあるだろう>夫。アータのいびきで娘が起きてしまう。

せっかく添い寝してくれて嬉しいんだけどさ、向こうの自分の部屋で寝てください。夫を追い出す鬼妻。
※それ以上に夫を蹴飛ばしてた鬼娘>遺伝したか。いや学習か、それとも。

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娘の発症〜入退院以来ずっと抱えてきた重いものが、腹をくくるという一番底の部分を夫と共有することで消滅したように感じている。

たとえ目が見えなくなっても透析を受けることになっても娘は娘だ。

食べ物に関しても、血糖値と直結するものがどんな食べ物なのかを知ることが出来たので、カロリー制限のジレンマから少し脱け出せそうだ。

食べるということはコミュニケーションの場と密接に繋がっていて、それだけに親としてどう振舞うのが妥当なのか、ずいぶん考え込んでしまっていたカーサン。

1型糖尿病が心理的に厄介なのは、管理次第で合併症が避けられる可能性と、「それでも管理しきれない血糖値」という努力が報われない可能性とが、短期間で見ると拮抗してしまうことだと思う。

100%理想的な管理を目指せば食べることがストレスになる。この二ヶ月でそれを学んだよ。

目指すべき方向や、その方法を病院は教えてくれる。我々親ふたりはそれを頭に入れつつ、娘に幸せを教えなければいけないと思う。

わたしたちには出来なくて、病院がしてくれること。

病院には出来なくて、わたしたちには可能なこと。

・・・何書いてるのかわからなくなってきたぞ。



2004年09月01日(水) 歯医者さん

はっと気付けば15時50分。わー、何やってんだカーサン、歯医者は15時半の予約だってば。起きてても寝ててもやること同じ。

慌てて電話して、正直に「うっかり忘れました」と告白し、電話の向こうの受付嬢のテンションを若干下げる。

幸い今日は患者さんが少なかったようで、すぐ来てくださいねえと受付嬢。自転車かっとばして、大汗かいて真っ赤な顔してちょっぴりいやらしくアピールしつつ、無事フッ素を塗ってもらった。あ、娘にね。

娘は診察室に入る前からやたらと落ち着いていて、診察台にもひとりで横たわり、泣かずにあーんと口を開け、ミラーを使っての診察を受けることが出来た。いやびっくり。
※フッ素を塗られてその苦味で口をへの字に閉じて半べそになってしまったが。先生の指を噛まなかっただけ前回より進歩。

この歯科医Y先生は、前回の診察から娘が1型糖尿病という事情をよく飲み込んでくださったようで、毎日の処置について、移植という治療法について、高血糖の場合の歯科的リスクについて、はたまた注射針の進歩について、診察終了後長めの会話を交わした。

それが、すごく嬉しかった。気にかけてもらっているんだなあ。

今のところ、炎症もなく、きれいに磨けているとお褒めの言葉をいただいたから余計に嬉しかったにちがいない。

歯髄炎を起こしているという診断も、抜歯という治療も、そのあとの入れ歯的処置の必要性も、大学病院の歯科で当然ですとつきつけられた全てのことが一体なんだったんだろうと疑問に思えてならない。

特に入れ歯的処置については、年齢的に酷じゃないかなあ、無理だよとY先生かなりびっくりしていた。

そうですよね。あのときカーサンが感じた違和感は、真っ当なものだったのかな。素人だから、専門家じゃないから、とあんまり卑屈になるのも考えものなのかな。

子どもの恐怖感を和らげるために、うちでは手足を縛ったりしませんのでお母さんもスタッフと一緒に押さえつけてくださいね、と語った大学病院の歯科医。

いや、ふと思い出しただけなんですけどね。

専門家の意見はもちろん尊重されて然るべきだけれど、こんなケースもあるんだなあ。

カーサン専門家とか権威とかに従順であるべし、と卑屈なまでに義務感が強い優等生タイプなので、なんかね、考えてしまうのよ。



2004年08月31日(火) 夏休みの予定は?

来週、夫が遅い夏休みを取ることになった。

大阪へ帰省するついでに、どこかに寄っていきましょうよ。とすかさず提案する。
まっすぐ大阪に行ってもいいんだけどさ、家族三人でという時間も欲しいんですよ。

思いつきで海なんかどう、娘に見せたいねと言うと、伊勢志摩辺りに寄るか、と夫。いいねいいね、ミキモト?>安直な発想。

就職して最初の長期休暇だったか、会社の友人と和歌山に旅行に行ったことがあった。那智の滝と高野山というお若いOLにしては抹香くさい選択。

しかしこれが素晴らしかった。熊野古道も歩いたし、那智の滝のスケールのでかさには圧倒されたし、海は山の緑を映して深い青だった。日本の海ってこんなに美しいのか、と驚いたもんだ。
※なんせそれまでの私の最南端の海は伊豆だったもので・・・。いや伊豆もきれいだけどさ。

電車を待つ間だったか、人気の無い駅で降りて、すぐそばの海で貝を拾った。そんな場面が一番覚えていたりして。

いや、ほんとに記憶に残っているのはカマスの焼いたのが美味だったことかも。洗濯物が干してあるような定食屋で、カウンターの向こうは晩のおかずだかなんだか大量のおいなりさんが大皿に山積み(ちょっと誇張記憶かも)。

炭火で焼いたカマスに、半分に切ったかぼすがついていて、こんなにおいしいお魚を、当時あまり外出しなくなっていた祖母に食べさせてやりたいと心底思ったのを覚えている。

うん、伊勢志摩いいんじゃない。
※伊勢志摩と和歌山は近くて遠いのかしら・・・ここまで書いておいて・・・。

いや、かなりわくわくしてきた(強引)。



2004年08月30日(月) この週末

土曜日、横浜方面の友人夫妻宅に招かれ集まり花火大会鑑賞。自宅から花火が見られるっていいわー、うらやましいわー。

夫妻の愛嬢Rちゃんとは3〜4回目のご対面。二歳児同士手をつないじゃったりして、なんて微笑ましいのかしら。カーサン嬉しい。

あいにくの雨降りだったけれど、ばっちり花火が拝めた不思議。湿気ないのだろうか。

毎年夏冬と年二回は集まっているいつもの顔ぶれ。今回は短期留学中がひとり、先約ありがひとりと欠席もあったけど、かれこれ10年くらいのおつきあいになる。

娘の病気についても、血糖値を測っているときにそう説明すると「自分の親父もしてた。知ってる。」とあっさりした答えだったり、あれこれ詮索するようなことは一切なく。途中で公表というか、きちんとカミングアウトすべきかしら、とタイミングを探してみたりもしたが、うまく見つけられず、むしろ不要のような。

測定用具や注射を説明するのにかこつけて、ちょっと小声で愚痴めいたことを口にしても、ふんふんと静かに聞いてくれた男性二名。とても有難かったのだよ。わざわざ言わなかったけど。

触れてはいけないと腫れ物に触るようにされるわけでもなく、程よい距離感としか表現のしようのない感覚を味わった。

有難いです。

翌日曜日。

昼ごろまで眠ってしまった親子三人、ぼーっと過ごして夕方からカーサンの実家へ。野菜を持ってけと実家母から電話があったのだ。

草津での一件で、カーサンわだかまっているのか全然くつろげない。どっと疲労して帰宅。

いつか居心地よく感じられるようになるのだろうか。それともこのままなのか。カーサンのやり方次第という気もするが・・・。まだ放置しとこう(面倒くさがり)。


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