日記帳

2004年07月07日(水) 退院

おかげさまで、昨日娘が退院しました。

次は二週間後に外来で診察を受けます。その後は一ヶ月に一度。

新生児ちゃんの患者さんを除けば、娘は最年少のおちびさんだった。まだ憎まれ口も叩かない年齢ゆえ、とても可愛がられたように思う。

看護士の皆さんには本当にお世話になった。状態が安定してから、特に退院前の数日は、カーサン安心して預けることが出来るようになり、ひとりでとるランチをたぶん楽しんですらいた。現金なもんだ、つくづく>自分。

全然ちがうよ、という突っ込みを覚悟で書くけど、保育園に預けてお仕事するオカーサン方の気持ちがほんの少しわかったような気がした。やっぱり違うか。

さて当の娘、まるで黄昏泣きのように夕方激しく泣いた。ぐっすり昼寝しすぎて、寝ている間に自宅に着いたのが納得できないのか。

「おうちかえらないよ」「びょーいんいくよ」といわれましても。

どうやら前回の試験外泊の際、実家じじばば宅に寄ったのが楽しかったらしく、今日もそうなるはず、と娘の中で段取りされていたようだ。期待はずれに自宅だったわけか。すまん。・・・何故謝る>自分。

ひと騒ぎした娘はすっきりしたのか、寝るまでたいそう穏やかだった。
「どこにもいかない」のがカーサンの素振りからわかるのだろうか。

娘を寝かしつけたあと、散らばったおもちゃを集めながら、じーんと胸が熱くなってくる。これが感無量というやつか。

退院の喜びをいざ日記に、とPCに向かったカーサン、何故か糖尿病に関するサイトをぐるぐるしてしまった。あっというまに二時間。

ディープで生な情報にがつんとやられ、退院の喜びどころか娘の将来に不安がよぎる。しょせんまだ一ヶ月の初心者。

カーサンが出来る間は、きちんと管理してやりたいなあ。

最近、娘の血糖値の増減に対して、ゲーム感覚で一喜一憂していたことに気付く。そんなライトな感覚だけじゃだめなんじゃないか。大変な合併症の可能性を認識したうえで、それでも明るく管理する、そういうのでなくちゃ。

とにかくやれることをやる。あとは笑っていこう。



2004年07月05日(月) どこにもいかない

どうやら予定通り、娘は明日退院できる見込みです。
6月7日に入院して7月6日に退院。妙にきっちり一ヶ月の入院生活でした。

書き込みやメール、ほんとにどうもありがとうございました。とても嬉しかったです。

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さて、退院が決まったって、娘はまた今夜もひとりで病院泊まり。

消灯時間が近づくにつれ、「どこにもいかない」「どこにもいかない」と何度も念を押すように呟き或いはカーサンに尋ね、カーサンも「いかないよ」と答える。

頭の中では「あなたが寝るまではね」と限定的な言い訳をくっつけているのだが、娘は知る由もない。

「どこにもいかない」わけないのだ。そう、娘はほんとは知っている。
ふと目が覚めるとそこは病院のベッドで、柵があがっていて、カーサンはいつのまにかいなくなっている。そんなこと、もうとっくに何度も何度も身をもって経験しているのだ。

だから本気で、ものすごく真剣な切羽詰った眼差しでカーサンに確かめるのだ。「どこにもいかない」。

今夜で最後だから、叱られてもいいやと思って小さいベッドに添い寝した。お昼前に暑い中を地下鉄で移動してくたびれたのか、今朝に限ってきっちり8時に起きられたせいなのか、ほんとは眠くてたまらない娘。

まぶたがくっつきそうになると、「おうちかえりたい」「汗かいちゃった」「ここがかうい(かゆい)」「ばーばとこ行きたいよ」「おうちにかえりたい」以下エンドレスで繰り返し文句をつけては目を覚まそうと必死。

寝たらオカーサン帰っちゃうから。

添い寝したカーサンの腕をぎゅっと握り締めていたけど、さすが添い寝、いつものとんとん胸を叩くよりもずっと早く、ものの30分で娘はことりと深い眠りに落ちた。

明日っからカーサンほんとにどこにも行かないよ。



2004年07月04日(日) 二度目の試験外泊中です

金曜日一晩病院に泊まり、土曜日採血検査を済ませた。

血液中のHbA1C(ヘモグロビンエーワンシー)とかいうのを調べると、過去の血糖値がいかほどに保たれていたかがわかるらしい。

結果は良好とのことで、土曜晩から試験外泊第二弾。

前回の試験外泊で、病院食の再現に躍起になったカーサンだが、あれは無茶だった。つい力が入ってしまってくたびれた、と看護婦さんにこぼしたら、お母さんノイローゼになっちゃうからほどほどにね、と助言を頂いた。ほんとだ、思いつめると危ないぞ。

なにしろこの一ヶ月、家事ゼロ状態だったからね。余計に負担だったらしい。どの口で言うか>自分。

今回は迎えに行く前の時間で部屋の掃除をしたり洗濯をしたり、体を動かしたおかげで家事リハビリが多少できたらしい。さほど苦にならなかった。

しかし私にとって家事ってのは、家族がいてこそ価値があるようだ。

たぶん一人暮らししたら、大学生男子並みに部屋も生活も荒れる気がする(きちんとした大学生男子に失礼な発言)。
タンスからではなく、洗濯後のピンチから乾いたパンツを調達しかねない。

娘が家にいる。

あなたが家にいないと、カーサンの周りは色あせてたよ、まじで。
今日娘と夫とテラスでシャボン玉して、つくづくそう思った。

明日、もう一度病院に行きます。また一晩、娘には寂しい思いをさせるけど、火曜日には退院できるかもしれないからね。がんばろう>娘。



2004年07月02日(金) 試験外泊その3

昼ごはんに間に合うように病院に行った。

明日採血・検査をして、その後はまた帰宅してよいとのお達し。火曜日には退院かなという朗報だが、娘には通じない。

今晩が全てなのよね。今カーサンが帰ることが耐え難いのよね。

外泊から病院に戻ったオコサンというのは大概荒れるらしく(道理だ)、看護婦さんも「ええ覚悟できてます」と潔い。

新患の入院準備に追われながらも、娘をおんぶひもでがっちりキープしてくれた。その背中で「たちゅけて〜」と号泣する娘。

やはり母としては「申し訳ありませんがよろしく」と頭を下げる。

でも待てよ、あの状況で二歳児が泣くのは当然だとも思う。謝る必要なんてないのかな、とも考えた。

その次に、いやいや、仕事とはいえ、10キロの二歳児をおんぶしてくれる看護婦さんが少しでも快く引き受けてくれるなら、頭なんていくらだって下げるよ、とも考えた。

お腹が減って考えのまとまらない、病院から駅までの道。

今夜は満月ですか。



2004年07月01日(木) 試験外泊その2

看護婦さんの間で、娘は眠りが浅くしかも寝つきが悪いと悪評をとどろかせている。さすがカーサンの娘だ(実はカーサン耳栓が安眠の必須アイテム)。

ベッドの柱に貼られた一枚の紙に、毎日看護婦さんからのメッセージがあり、こちらも一言ふたこと書き残す交換日記めいたやりとりがあるのだが、夜勤だった看護婦さんたちからのメッセージには夜どれくらい泣いたか、どのように寝かしつけたかがけっこう詳細に記されている。

たとえば「ママ達帰ってからは途中2〜3回ほど泣いて起きましたが、そばにいると安心して眠ってしまいました」みたいな。

或いは「入院のストレス、血糖測定での恐怖心からか夜中は眠り浅いようです。看護婦の手を握り、安心したように眠りについています。「お散歩行く」と夜中に言いましたが、「朝になったらネ!」と約束しました。「うん」とお返事してくれました。早く慣れてくれるよう努力します。」とか。

なんでこんなに覚えているかというと、全部ノートに書き写しているから。こんな人怖い?いや記念にもとい記録としてね、なんだか大事に思えて。

娘は保育園とか幼稚園未経験なので、カーサン親族友人以外の人と娘のお世話を共有したことがないのだ。とても新鮮(おいおい)。

娘の性質をプラスに受け止めてくれる看護婦さんもいれば、そうでない方もいる。
※二つ目のコメントの彼女は、娘に「かわいい〜」を連発してくれる有森也美似のお若い看護婦さん(語尾の「ネ!」がカーサン的にはツボ)。娘もそれを感じ取るのか、彼女には比較的懐いている。うーん、動物的。

ちなみにそうでない看護婦さんには、年配の方が多いような。自分に子育ての経験があると、「あたしゃそんなの許さなかったけどね」みたいな厳しさが加わってるような気がする。なんとなくそういう匂いがする。

おっと話がそれまくった。

昨晩、娘は爆睡だったと、そう書きたかったのでした。


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