入院してから娘はちょっぴり変化した。成長というのか。
・拒否する言葉の種類が増えた せいぜい「たちゅけてくりー」が関の山だったが、「おわりにちまちゅー」「もうおちまーい」「さわらないでー」(!)「もうけっこうでーちゅ」「やめてくだちゃーい」と豊富なボキャブラリーを手に入れたようだ。
そうね、検査は痛くてやなんだもんね。
同室の、娘より年下の患者さんのお見舞いに見えていた年配の女性が「丁寧に叫ぶわねえ」と笑っていた。「おわりにちまーちゅ」「おわりにちまーちゅ」と繰り返していた娘。いや、本人は必死なんですけどね。
・好き嫌いがなくなった 青菜のものが苦手だった娘、しかしそんな悠長なことは言っていられる身分ではないのだ。お腹が空いても、次の食事まではなにも食べられない。
ようやくわかってきたようだね・・・(悪人母)。
ここ2〜3日、食事は10割完食となっております。
なかなか家ではここまで厳しく出来ない。こればかりは入院のおかげかも。
・習慣 血糖測定「ぱっちん」注射「ちっくん」をしないと食べられないこともわかってきた。
看護士さんが食事を持ってきてくれても、注射しなければ食べられないのだ。タイミングの悪いときだと、生殺し状態。
娘、「めのどくでーしゅ」と叫んだぞ・・・ほんとよ。 ※カーサンが呟いたのをそのまま真似た。コピー能力が向上したなあ。 うかつに娘の前で「ヤブ」とか囁かないようにしないと危ない危ない。
抱っこされておしりに注射していたのも、いまや自らベッドにうつぶせになり、「どうぞ」のスタイルをとる。脱力・・・。
思わず「プライドはどうした・・・((C)りつこさん)」とカーサン呟いたら、看護士さん吹き出した。
血糖測定では「ここ」と指を指定する。えらいなー、娘。ええ、親ばかですとも。
・ハスキーボイス 声が枯れたままだ。あの風邪のせいなのか、それともよく泣くせいなのか。
ある看護士さんが曰く、「明け方5時から「オカーチャーン」と泣き始めて、まあそのうち泣き疲れて寝るだろうと思ってたらお母さん、なんと6時半まで泣いてたんですよ、それから朝食までおんぶしてました」と。
「いやあ、根性ありますねー」って。
一時間半叫んでたのか。カーサンはそっちがやるせないがのう。
だからもう看護士さんの人数増やしてよ、と願うのは、親のエゴなんだろうか。もちろんおんぶには感謝しているけど。
| 2004年06月21日(月) |
寝かしつけながら思うこと |
入院し始めて2週間。今の病院に来てから11日目。
おかげさまで娘は大変安定している。これといった検査もない毎日。
ただ、3度の食事とおやつの前に血糖測定があり、インスリン注射があり、食後二時間で血糖測定をしている。
たぶん朝は7時頃起きて、朝ごはんやら入浴やらを看護婦さんに手伝ってもらい、柵の上がったベッドでひとりで遊び、昼ごはんを食べ、眠ければ昼寝し、おやつの頃にはオカーサンがやってくる、と病室の入り口をチラチラ見て過ごしているのだろう。
オカーサンの顔を見れば少し心が緩んで、つい涙のひとつも出て、よしよしと抱っこされ、それで娘は気が済む。ついでに「ちゃみちかったの(寂しかったの)」「ちゃんと待ってた」という殺し文句を並べてみたりする。ああ殺される。
おやつのあと18時の夕飯までの間に、可能なら実家のばばが来たりもする。夕ご飯を食べ終わる頃、ばば退散。以後は消灯までオカーサンとまったりする。
娘のいる病室は、20時消灯。年齢が低いためだ。同じ小児科でも他の部屋は21時が消灯なので、20時に部屋の電気が消えてもしんと静まり返ったりすることはない。むしろ看護婦さんの就寝前巡回が始まって、器具の触れ合う音やら、消灯前を一瞬でも惜しむようにはしゃぐ中高生の患者さんたちの声が響いてくる。
そんな中、私は娘にバスタオルを掛け、胸の辺りをとんとん叩く。前の病院のように、添い寝はできない。禁止されているから。 ※転院初日に、うるさがたの年配看護婦さんに厳しい口調で咎められた。彼女は言いにくいことを微笑んで言わなくてはいけない仕事柄なんだろうが、正直あったまきた。添い寝して壊れるベッドなんか置くなよ>小児科。
娘はそれが病院での就寝スタイルと理解しているらしく、「とんとんちてくだちゃい」「おふとんかけてくだちゃい」と丁重だ。
転院してすぐは、面会も20時までという決まりなので、娘が寝ようが寝まいが20時に病室を出ていた。当然娘は泣く。数日後には看護婦さんに抱っこしてもらえれば、さほどカーサンを求めなくなり、ほっとするやらさびしいやら。
が、どうも看護婦さんとしても、どうせなら寝かしつけてからカーサンに帰ってほしいらしい。手が足りないのだ。
それがわかってからは、21時近くなろうがなんだろうが、カーサン娘が寝るまでとんとんし続けている。看護婦さんもなにも言わない。
完全看護をうたうなら、もっと人員を増やすべきだ、この病院。
近所の小児科で大きい病院に転送します、といって美人女医は3つ候補を挙げた。大学病院がふたつ、都立がひとつ。
自宅から近いほうがいいとか、知人がいるとか、かかったことがあるとか、ひとそれぞれ入院する病院を選ぶ条件はあるだろうが、カーサンあいにく何一つ材料を持っていなかった。
そのとおり女医に話すと、一番スタッフが揃っているのがここ、というのを3つの中から選んでくれ、カーサンそれに従った。
その病院にいるときにはたいして思わなかったけど、なるほどあそこはスタッフの数は膨大だった。患者数も桁違いだったが。
真夜中でもナースステーションに10人近く常駐している。あれならナースコールも呼びやすい。すぐ来てくれたし。
転院して、初めてそれがわかったよ。今いる病院、ナースステーション巡回のたびに空になってしまうのだ。点滴装置が鳴ったって、なかなか来てはくれないよ。
病院は入ってみないとわからない。とつくづく思うのだった。
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おまけ:
病院を選ぶときに、新しくてきれいなら都立だな、なんせドラマにも使われたし、と思い、そんな皮相な条件を考えついた自分があさはかで嫌だったが、今になってそれは案外的を得た条件だったのかもしれない、と思う。
病院は新しい方がいいよ。
今いるところは築40年以上経っている。空調設備をはじめ、なかなかお粗末な、昔ながらの大学病院ってかんじがする。 ※まあそれを「ひでえところだな」と義父に指摘されるのもオツなもんだが。
病院は弱ったひとが集うところだ。まして入院となったら、患者は病室が全世界になる。景色すら選べない。
自己治癒力が上がるような環境を整えた病院を、新しさという基準で選ぶのはけして間違いではないんじゃないかと私は思う。
自分で日記を読み返してみて、なんかわかりにくくてしかたないので少し整理させてくださいな。
娘は2歳6ヶ月、今まで大きな病気をしたこともなく、どちらかといえば健康を通り越して丈夫と形容されるオコサンだった。
先月くらいから大量に水を飲み、大量にオシッコするようになった。これは多飲多尿と呼ばれるもの、と後で知る。
6月初めから元気がなくなってきて、但し熱やら咳やらといった目立つ症状はなし。しかし「元気がない」というのが最大の症状であった、と後で知る。
近所の小児科に連れていくと、美人女医首を傾げながら血液検査と尿検査。尿からケトン体なるものが検出、血糖値も尋常でない高さで、糖尿病の疑いあり、ということで近くの大学病院に緊急入院。
3日間そこで検査・治療を受け、1型糖尿病と診断され、専門病院的な系列の他病院に転院する。またそこでも検査・治療。痛いねえ。怖いねえ。 ※転院の際、救急車で医師同乗で搬送されたんだけど、反対車線をぶっちぎる、モーセの十戒の如く渋滞車両を割って進む、という貴重な体験をした。娘は車酔いして斜めになってた。
あいにく転院の日から夏風邪を引いて、五日間発熱、点滴を受けたりしてウィルスの通過を待つ。長かった。
今は風邪も治まって、平熱。血糖値も徐々に安定してきて、投与するインスリン量を探っている状態。
娘はVTRを見たり絵本を読んだり、お絵かきしたり、と気ままに遊んでいる。食事の間隔が長いので、これは辛抱が必要。食べ終わったそばから「たべたいよ」と呟く。 ※それにしても、入院前の覇気の無さは消えました。あれは脱水症状もあり、インスリン欠乏もあり、娘にしてみりゃだるくて仕方ない状態でした。体内が酸性に傾いていたんだそうだ。
今後は私が糖尿病に必要な処置を覚え、それが済んだら退院。 通常と変わらない生活を送ることができる。 ※来年からの幼稚園も、予定通り3年保育で通うつもり。
てなところですか。
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しかし「糖尿病」って。 どう感じます?甘いものばっかり食べてたから、とか、肥満?というイメージが強くないですか?
詳しいことを初めて知ったのですが、糖尿病には二種類あるそうで。 ひとつはイメージしたものに近い、生活習慣病、成人病といえる2型糖尿病。
もうひとつが1型。これは食生活・肥満や遺伝とは無関係に発病し、主にオコサンに多い。娘はこれ。
発病の原因は不明らしいが、どうも免疫がどうこう、風邪なんかを引いたときに、間違って必要な大事なもの(インスリンを作るすい臓の中の細胞)までぶっ壊してしまったというのが有力。 ※そのためすごくしつこく何度も聞かれた。「最近風邪を引きませんでしたか?」と。
娘の場合思い起こせるのは3月下旬の嘔吐と発熱。でも一日で収まったんだけどなあ。しかし怪しいのはこれらしい。
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尿に糖が出るから「糖尿病」。 なぜかというと、インスリンというホルモンによって糖が分解されないから。まんま尿に、血液に糖が出る。
分解されないとどうなるか。糖がエネルギーとして活用されない→元気がない。ひどくすれば昏睡。他合併症。
2型はインスリンがはたらきにくい状態、対して1型はインスリンが体内でいっこも作られない状態。インスリンゼロ。
なので1型は必ずインスリンを補う必要がある。それが皮下注射。 ※インスリンは飲んでもだめ。胃で壊れてしまうから。
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1型糖尿病は0〜14歳の小児人口の10万人に1.5人という稀な病気。 稀ではあるが、難ではない。何故なら治療法が確立されているから。
治ることはないけれど、管理さえすれば健康なオコサンと同じ生活を送ることができる。食事も運動もこれといって制限はない。
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以上、主治医からの受け売りで、ざっと説明してみました。 もちろん素人のカーサンが書いた文章ですから、きちんと知りたい方は「1型糖尿病」で調べてみてくださいね。
というわけで、今日も娘は血糖値を測り→インスリン注射→ご飯→二時間後血糖値を測る、という入院生活を送っています。
私はオベンキョ中です。なんでも覚えようと思います。大丈夫、娘に負けないくらい、がんばるよ。
義父が木曜日に、義母が今日大阪に戻った。それぞれ実に一週間と10日の滞在。
死ぬかと思った。
すみません、罰当たりな嫁で。
でも、最後の何日かは義父と食卓を囲んでいると動悸がしてきたし、あれ以上一緒にいたら本気で倒れていたと思う。
義母は私が留守の間、家のこと一切を引き受けてくれ、洗濯から食事まで丸投げで面倒をかけた。ありがたいことだと思う。
娘の入院を知った彼らは私の実家に電話をかけ、迷惑じゃないかと念を押したという。実家の父は無論迷惑と答えるはずもなく、よろしくお願いしますと言うしかなかっただろう。それが通行手形になってしまった。私に聞いてくれ。
善意で差し伸べられた手を煩わしいという理由でふりほどくのは、予想以上にエネルギーの要ることで、まあ私が彼等にどう思われるかを覚悟さえ出来れば避けられた事態なんだから、非は私にあるんだけどね。
夫と二人で囲む食卓は今夜が初めてで、隣に娘がいないことがとても寂しくてつい涙ぐんでしまったけれど、そんなことも今まで出来なかったのだ。
義母は来月頭にはまた来るから、と意気込んでいたが、今度は丁重に、でもはっきりお断りしようと思っている。
娘の体から、針やらチューブやらが全て取れた。うれしい。
病院に入院する中で、たぶん娘にとってつらいのは、検査という痛い怖い体験と、ひとりで過ごす時間が長いという二点だと思う。
検査はほんとにかわいそうだった。治療のために必要だとわかっていても、娘の泣き声を聞くと涙がこぼれた。
どんなに呼んでも叫んでも、オカーサンは助けにきてくれないし、白衣の人たちは止めてくれない。二歳にして娘は絶望というものを味わったかもしれない、と大袈裟に思う。
最初は「オカーチャーン」と呼んでいた声が、徐々にただ痛いだけ、怖いだけの叫びに変わっていくのを何度も聞いた。
患者が小さい場合、親の姿が見えると助けを求めて暴れたりするから、或いは親にとって残酷な場面を見せないように、という配慮からなんだろうが、処置するたんびに密室に連行するのは納得がいかない。
見たっていいじゃないか。大事な娘の体になにしてるのか、カーサンは知りたかった。
目の前でシャッと音を立ててカーテンを閉めた、あの看護婦さんの表情を私は忘れない。
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