日記帳

2004年06月16日(水) 近況?

娘は先週の月曜日、近所の小児科からN大I病院に救急扱いで入院し、3日間急性期の治療をした。痛い怖いの連続だったはず。

木曜日にN大S病院という、小児糖尿を多く診察する系列の病院に転院、この日の朝から発熱し、どうやら娘、夏風邪を引いたらしい。

熱は38度から39度で医師の診立て通り5日間続き、昨日から平熱に戻った。

熱があっても食欲だけは衰えない娘だが、肝心の血糖値は変動が激しく、従って投与するインスリン量も増減してちっとも一定しない。

普通(夏風邪を引かなければ)急性期を過ぎた最初の一週間程度でインスリンの必要な数値が決まり、次の一週間で皮下注射等処置の仕方を親が覚え、最後の一週間で実際親が皮下注射をするのに慣れる、というのが糖尿病の入院スケジュールであるらしい。

娘は風邪を引いたので何日かロスしたが、明日明後日あたりには皮下注射を始める。今はお腹に皮下注射の針が入ったまま(痛みはない)、インスリンの箱をお腰に下げた桃太郎状態なのだ。
※この箱をカンゴクサンがいじるとご飯、と娘は覚え始めている。お腹が空くと「おなかちょこちょこってちてくだちゃーい」と叫ぶ。空腹に身を捩る娘を見るのがカーサン切ない。

それにしても、ようやく、ようやく少しずつ先が見えてきたよ。
熱が引かない数日は、さすがに焦れた。

これからカーサン覚えることがいっぱいだ。

皮下注射も、血糖値の測定も、栄養管理もみーんなカーサンの仕事だ。
ががががんばるよ。カーサン風邪引いてる場合じゃないんだがなあ。



2004年06月15日(火) ぱつぱつ

糖尿病というのは、小児慢性特定疾患という扱いになって医療費のほとんどを公的に援助してもらえる病気だ。

申請に必要な書類が揃ったので、自転車かっとばして管轄の保健所へ手続きしに行ってきた。

保健所の職員の女性がひととおり記載事項をチェックしたあと、保健士の女性とごく簡単な面接。

とてもかんじのよい女性で、娘の発病・入院に同情を寄せてくれ、母である私の身体・精神的状態も気にかけてくれた。

が、そのかんじのよささえ、今の私にはキビシイ。
やさしくしないでほしい。と身構えてしまうのだ。

何故だろう。
自分で思っているよりも、まだまだ状況を受け入れきれていないせいだろうか。

深刻そうにしたくない。いたわらないでほしい。

気を張っていないと、まだまだやっていけないのらしい。

義父母がいる生活というのは、案外気を張るという点では役立っているのかもしれない。

なんだか自分の家じゃないみたい。



2004年06月14日(月) 久々更新

何から書こうかなあ。

折々さばつぶでつぶやいてきたとおり、娘は今も入院している。
私は午後3時から8時まで付き添って帰宅。病院に通い始めて5日目。

たくさんご心配や励ましの書き込みをいただいて、ほんとに嬉しかった。心強かったです。どうもありがとう。

義父母が大阪から来ていて、義母が家事全般を引き受けてくれている。
とてもありがたいのだが、いや、ありがたいんですよ、ほんとに。

それが付き添いの始まった初日からのことだったので、タイミングが悪すぎというか、私が不安定すぎてきつかった。

娘のことだけで精一杯、病院を出て駅に向かって一歩足を出すにも力を振り絞って歩いているのに、どうして中華屋で酢豚、どうしてビール二本目、帰宅しても普段の音量の二倍で野球中継やバラエティを見なくてはいけないのか、夫とふたりで過ごす時間すらない、と、わたしのひりひり剥き出しになった神経はそんなアラサガシみたいなことばかりしてしまって。

夫に全部ぶちまけて、それでも義父母の気持ちも汲んでほしい、と言われたとき、「甘えてほしい」と義父母が言うなら、遠くからでも見守ってくれるだけでいい、そういう甘え方しかできない。

それもわかる、と夫が受け入れてくれ、「帰宅してもらうようはっきり言おうか」と言ってくれたことでわたしは胸のつかえがとれたような気がして、大丈夫、やっていけると思った。

いや、今リビングに義父母がいるんですけどね。そこで日記書いてるんですけどね。どきどき。

病院もののドラマを見て涙ぐむ姿を見て、善良なひとたち、と冷めた目で見てしまうしょうもない嫁です。はい。

久々に書いてこんな愚痴炸裂で大変申し訳ない。



2004年06月04日(金) まだ心配

娘は今日も元気がない。
遊ぼうという意欲も見えないし、第一笑わない。

眠そうな目をして、そのまんまうっかりするとウトウトしてしまう。

昨日も夕方までそんな調子。食事もたいして摂らず水分ばかり。
こないだの暑さでばてたか、ばてて食欲減退で元気がないのか。

夕飯に納豆ご飯を4回おかわりしてから俄然元気になったのでちょっと安心していたら、また今朝は覇気がない。

公園に行ってもうつむいてブランコに乗ったきり、にこりともせず「おうちかえるよ」とカーサンの手をひく。

娘が昼寝している間に気になる症状で検索すると、重大そうな病気にヒットヒットヒット。これもあてはまる、これも、これも、とカーサンちと青ざめてくる。

娘の寝顔を見に行き、ほんとに大変な病気だったらどうしよう、と不安で胸がいっぱいになる。ドアの開いた気配を感じた娘が小動物のような声を出すので、添い寝したらカーサンぐっすり。おいおい。相変わらず無敵。

目が覚めると、不安はちょっと落ち着いていて、熱もないし、吐くでも下痢でもないし、もうちょっと様子を見ようという気になった。

土曜の午前中でも、こないだの小児科は診察してくれるしね。

いかん、冷静にならなくては。ネガティブにひとりで盛り上がってる場合じゃない。



2004年06月02日(水) 謝らない

今日は娘、元気がない。風邪でも引いたんだろうか。
リビングにおもちゃが散らからないくらい、元気がなかった。

さすがのカーチャンも心配だよ。

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昨夜、娘10時前くらいに寝た。とてもとても寝つきが悪く、部屋を出ようとすると「オカーチャン・・」と恨めしそうに呼ぶ。布団→ドア→布団、と5回くらい繰り返した(ため息)。

カーサン12時頃寝たんだが、それまでにも3回起き、そのたびに念のため紙オムツを替え、娘の要求に抗えず水を飲ませた。
飲ませるたびに「これでおしまいにしようね」とつい言い聞かせ、我ながらうんざり。いくら言っても飲みたいものは飲みたいのだ。飲んで困るというのは私の感覚的理屈(なんじゃそりゃ)であって、娘には娘の代謝があるのだろう。

その後2時頃また娘が起きた。今思えば少々体調が悪いせいだったのかもしれないが、「4回目かよ!」という思いの方が圧倒的で、しかもまた水水と泣いて要求。いい加減飲まずに寝てくれんか、と粘ったが勝ち目はない。

水を汲みにキッチンに向かうと、夫が深夜のリビングにいた。あー、何時に帰ってきたの。しかし私が取った行動は、目も合わさず、「おかえり」も言わず、大きな音を立ててドアを閉め、娘の布団に戻るという感情的な、いやそりゃもうヒステリックなもの。

娘を寝かしつつ、自分もまどろみつつ、どうにも気分が悪い。
※それでもちゃんと寝た。無敵の睡眠欲。

何度も起きる娘にも、2時なんて時間にソファに座ってこっちを黙って見ていた夫にも、無性にいらいらしている自分自身にも嫌気がさす。

朝起きて、外は爽やか。カーサンいくらか持ち直したものの、すっきりはしない。

いつものパターンだと、夫に謝罪メールを送ったりするんだけど、今日はしたくない。

私がこうありたいと思う自分っていうのは、ひょっとしたら仙人みたいなひとなんじゃないか。

そんなのまだ50年くらい先でいいや。

なりたくない自分、望まない自分でいることに、少し寛容にならなければ、カーチャンなんてやってられんぞ。

怖いオカーサンで結構。わけもなく開き直ってしまったのだった。はっはっは。


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