ええと、私が書いた日記がどんなものだったのかという説明が抜けていましたね。
日記自体は削除してしまったので残っていないのですが、兄の息子・娘が食事時に父親である兄の顔色を伺うのが気詰りだ、というようなことでした。
兄とはいえ、自分以外の所帯の躾方針についてとやかく文句をつけた私が悪かった、と心底思います。
好き嫌い、と表明していいこと悪いこと、常識で考えて私がルール違反。
その晩、もともと仲の悪い兄に、私の娘についてうんぬん言われてカチンときたのがそもそも。で、結局はなーんだ似たもの兄妹だなあ、というオチにしたつもりだったのですが、ここはネット上、もう少し私に分別があったらと後悔しても後の祭。
覆水盆に還らず。
=========================
そしてジオシティーのサイトをお休みしました。
サイトを続けるか止めるか考え、たどりついたのは親戚用のアルバム的サイトと、こちらのような本音トークサイトを分けるという、実に腹黒いもの。
腹黒いけど、これで丸く収まるなら、と悪魔が囁いてしかたない。
ので、こういう形で再開することになりました。
今までも粗忽な私のことですから、読んだ方が不愉快になるようなことを書いてきたかもしれません。ここでお詫びしておきたいと思います。
そして、懲りずにおつきあいいただけるなら、また遊びにきていただけませんか。
ご指摘ご批判、お待ちしております。
怒りのメールをもらい、謝罪のメールを送り、謝罪の手紙をポストに投函した。 義姉とのやりとりはそれだけで、直接電話をして話したりすることもなく、先週の日曜日、従姉妹の結婚式で義姉と会った。
日記のことについて、顔を合わせた直後に謝ったが、またその話は今度ゆっくり、という返事。その後はまあ、ごく普通に話もするし、笑顔を見ることもできた。
義姉との仲は、今までそう悪い方ではなく、人見知りがちとか、お酒に弱いとか、冴えない共通項でお互い連帯感があったくらいだ。
特に私が出産してからは、浮かない顔の私を心配してくれてもいた。
それだけに、私の書いた日記を読んで、裏切られた、と思ったのだろう。無理もない。
こんなことを思うのも図々しいのだろうが、私もまた、そんな義姉のメールに落胆していた。世間でいう逆ギレですね、これでは。
私がまず先に、棚に上がって、差し伸べられた手をはらいのけるような真似をしたのだから。
===========================
ここから先は、さらに愚痴はいります。お見苦しい点、ご容赦を。
義姉の怒りのメールの中で、何が一番こたえたって、兄の言葉をそのまま伝えてきたところだ。
あーー、引用なんてしちゃっていいのかな。
>以前、パパに相談したことがあるんです。 >「なんか悩んでるみたいだけど、なんとかしてあげられないかな?」って。 >そしたら「それはおせっかいだろ。それにあいつは自分より下だと思っている人の言うこと>なんか聞かないよ」って言われました。
しちゃいました。
あいたたた。
兄とはもともと仲が悪いので、兄の言葉自体は屁でもないのだが、これをそのまま私に言ってくるってことは、・・・。
この他にも、私の両親への不満や、いつ離婚するかわからない、のような捨て台詞が散りばめられた感情的な文面に、私は本当にびびってしまった。
そして同時に、義姉から自分がすうーっと遠ざかっていくのがわかった。 今後も、きっと溝は埋まらない気がする。お互いに。
しかしなんにせよ、私が日記に書いたことで、くすぶっていた義姉の気持ちに油を注いだわけで。
つくづく自分が粗忽な人間で、嫌になりました。
| 2003年12月16日(火) |
ぶっちゃけていいかしら |
ジオシティーのサイトをしばらくお休みしていたのは、私が書いた日記を読んだ義姉から、怒りのメールを受け取ったからだった。
兄のこういうところが好きじゃない、という表現が、兄一家の、と取れるとは、つくづくわたくし配慮も神経も想像力も、まったくまったく足りませんでした。
反省し、謝罪のメールも手紙も書き、義姉の育児を否定したわけではない、と理解を求めたが、果たしてどこまで伝わったか。
止せばいいのに、私もついアクセス解析を見て、彼女が毎日来ていることを知ってしまった。あああ。書けない〜。何も書けません〜。
だからといって、義姉非公開の日記をここで始めるのも反則なのでは・・。 あああ。考えても考えても、どうにもすっきりしません。
|