今日はグウィネス・パルトロウと大好きなジェイク・ギレンホール の映画「Proof Of My Life」を見た。 Proof=証明。凄い頭使う映画だった。 数学の世界は奥が深いと思う。そして、世の中に数学学者というのが 存在し日々数式を研究していてる事を知った。
この映画は別に数学学者とはどういうものかだけを表現した映画じゃない と思う。つまり、証明について。人生の証明について。 自分が生きてきた道程、もし成長したというならばその証明。 自分が自分だという証明。揺るぎない規則性に伴う自分という人間の証明。 数学もだけど科学も医学も心理学も哲学も多種多様でその理論は進化 してきたけれど絶対は無いし証明する事は不可能に近い。
物語の最後は、主人公が解いた数式は素晴らしい物だったんだけど 本当にその人が解いた物か皆は疑問で、彼女は証拠がないから証明 出来ずにいた。 でも、そんな時は、もう一度最初に戻り自分にしか解けないのだと 分かる様にもう一度1つずつ解き、研究してみようという所で終わった。
物事を考える時、恋愛の事でも仕事でも一つ一つを組み合わせていく まるでパズルみたいに。それは自分が出した答えを証明する為に。 自分の実力や自分自身を証明する為に最善の組み合わせを考える。 もしかしたら、人間の頭の仕組み自体数学的なのかもしれない。
丸で何もも分からない状況に飛び込んだ時、規則性に安心したり するのも凄く数学的人間心理。
でも、この映画はっきり言っておもしろくなかったけど1つ学んだなー。 人が人を信じる時の条件となり得るものは、証明(証明された事実) と、それとまったく正反対の所にあるけど”信頼”なんだって。 何をもって信頼に繋がるかというと、裏切らなかったり、忠実な事が 証明されている人間性や事実なのかもしれないけど、証明出来ず 焦っていても、相手が自分を信頼してくれていれば焦る必要はない んじゃないか??って映画を見て思った。
最近、初挑戦の仕事ばっかりしてるんだけどフッと焦る事がある。 もし、これが出来なかったら、失敗したら今までの自分の実績や評価 が水の泡だと。 でも、焦る事なんかない。今まで通りでいい。
こうして、日々の迷いを日記として残してその日の気持ちを分析して みたり、友達に相談して自分になりに紐解いてみたりやっぱりパズル みたいだ。
2006年10月02日(月) |
me plus one |
だぁ...昨日は初ジムに行き、いっぱい汗流して岩盤浴つきでめちゃセレブな一日だったのに また今日は戦場に逆戻りである。
時間があってもあっても足りないこの感じ。先月、ライバルと私が勝手に思っていたgirlが辞め、 もはや向かう所、敵なしと思い込んでいたけど人間は油断した時に足元を救われる。 やはり敵はいないと思っても勝ちたければ修練を続けなければ。 いつでも下から不意打ちを喰らう。何もしなくて定位置をキープ出来る事なんか仕事の世界では無理だ。
少し余裕をかましていたら不意打ちを喰らった。会議中に憤りと悔しさと一体いつまで頑張れば? っていう疑問が生まれて疲れ果てて泣きたくなった。 社会は厳しい。本気になればなる程にそう感じる。
私はやっぱり何でも一番がいい。傲慢と言われようが。一番をキープするのは、一番を目指す今より難しくプレッシャーがあるから。それが自分の原動力となるはず。 いつかそこに立ちたい。揺るぎない一番に。
周りにはズルくて汚いライバルが多いけど、やっぱり私は自分自身で勝負でしょ。 とりあえず毎日頑張り続ける事。それは変わらない事実であり絶対に忘れちゃいけない事だ。
最近、白が凄く大好き。前は好きな色は?と問われれば必ず ピンクだった。無論、ピンクは大好きだけど最近、ホワイト のモノを見ると癒される。 事情があって、仕事場の壁紙がホワイトとシルバーになった。 居心地が良い。
ホワイトって不思議。見る度に心が洗われる。 常に自分もそうありたいと思えてくる。
結局、人間なんて弱いから弱っている時には自分がこだわって いた事や執着していた事を心の支えに、真ん中に引っ張りだして きたりなんかする。 たいして執着なんてもうないのに。
何らかの法則があるかの様に必ずね。 だけど、もうそういうのは嫌だ。弱っている時はそこに独りでも とどまる事にする。自分で立ち上がる事にする。
他人を気にしたりなんかもうしない。 自分は自分だから。自分の思う様に縛られないで過ごす。
何回も何回も同じ所でつまずいて同じ所で罪悪感を感じるのは もう嫌だ。
漠然としている事は嫌いだし、仮定や理想論で悩みまくる時間 なんて私にはない。
足はひねると癖になるっていうけど、そんな感じ。癖は治すもの。 同じ事は繰り返さない。
言葉だけじゃない本当の自分の強さを見てみたい。
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