和田拓治郎の「夜景レストラン」

2006年09月17日(日) 6日目



画像1

ベルリンからケルンに移動。
話には聞いていた、ケルン大聖堂を拝観する。(画像1)
デカイ、なんという思い切りの良さ。
まだまだ伸びそうな成長感。
造形の無駄さ。
ところどころのFRPへの代替。

大聖堂の509段の階段をてっぺんまでのぼる(2ユーロ)

最上階に着くと、高さでめまいがしてフラフラ。






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的な落書きあったが、疲れと無礼さを感じ笑えない。

しかし、この建物はエゴだ。
印象は、まさに城である。

衝撃半分、呆れ半分というところだ。
観ていて良かった。

それにしても、日本出発直前に決断して、なぜか2サイズ大きなウエスタンブーツで渡独。
その、かつて無い厳しい履き心地。

以前は、小さすぎて外反母趾になったが、はたして大きすぎると足に何が起こるのか。

まさに、地面に2度足を着く感じ。
おそらく足首が疲労骨折する予感。

毎晩の足の腫れから、ネットオークションの恐ろしさに土下座する。
断念は近い。


画像2


※画像1は、大聖堂の途中からくっついている足場。(神業か)
※画像2は、車椅子の老人が、チェスで二人同時に対戦中。(やはり神業か)



2006年09月16日(土) 5日目




ドイツ行きを告げなかった人達から、携帯にジャンジャン電話がかかってくる。

容赦なく出たよ。
ただし、つながった瞬間、






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かけた人は、月末の請求見て架空請求だと思うかも企画。
黙っててごめん、っていうか日記を読めよ。

※初公開、弟(左)と私(右)、ユダヤ慰霊碑内にて。



2006年09月15日(金) 4日目




愚かな日本人から日本語を吹き込まれ、「お前はもう死んでいる」と丁寧にコミュニケーションをとってくれたドイツ人に駅まで送ってもらい、ニュルンベルグを離れ本日はベルリンに向かう。

音信不通の長かった弟の個展が、大勢のドイツ人に囲まれオープニングを迎えており、本人の濁った思想に反比例した作品の透明感が、説明できないギャップの魅力を創りだしていた。

その兄ということで、なんとなく誇らしげに思う。

打ち上げというか軽い食事を皆でするが、店選びをドイツ人に任せると、どうもアジア料理店を勧めてくることに気づく。
この日は多分、






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※画像は、作品。(解りにくい写真で紹介、解りたかったら現地へ飛ぶべし)



2006年09月14日(木) 3日目


昨日は、ニュルンベルグの大学で夕食。
お決まりの大勢でのもてなしではない、男一人が料理を振る舞ってひとりでもてなす。
こんな経験は今までに無く、あっさり、






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今日は、お決まりの大勢に混じって、祭りやバーで深夜まで飲みまくる。
途中、すれ違ったドイツ人が、「あなたは日本人ですか?」と聞くから、「はい」と答えると。
少し離れて、そのドイツ人が、





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と叫んでいた。
面白さでは、ドイツ1の台詞だと思って大笑いしたが、なんだ?
韓国の「お兄さん、完璧な偽物あるよ」の類いか?

※携帯電話の充電問題は、力まかせな引っこ抜きであっさり解決。
「繊細な機器には荒治療」と戦後のテレビから決まっておる。
この程度で壊れる携帯など、旅についてくる資格無し。



2006年09月13日(水) 2日目




ドイツに着くなり早速やったこと。
携帯に簡易充電器を差したまま、トイレでしゃがみ、接続部があっさり折れる。
折れた先端は携帯の中。

つい「あ〜あ」と声に出してしまう。
充電の問題については今日の仕事とする。
(電池残量2メモリ)


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