卒園式と謝恩会。
ほっとしました。 これで引っ越し準備に専念できます。 他にしたいこともあるけど、 当分は段ボールとの戦いっす。
卒園式には雲ちゃんと二人で歩いて行きました。 2年前の入園の時には、 ちゃんと歩いていけるかな〜とか、 途中で「行きたくない」とか言うんじゃないかな〜とか、 幼稚園に着くまでずっと心配していたのが、 今回は、謝恩会用の荷物をカートに積んで 引っ張っていこうと思っていたら、 それを幼稚園までずっと引っ張ってくれて、 なんか兄ちゃんになったなぁぁと感慨深かったです。
この2年間でできるようになったことは すごく多くて、確実に成長しているんですが、 時々こうして思い出さないと、 その成長ぶりっていうのを忘れてしまうんですよねぇ。 何もかわってないような気もするけれど、 全然違うんですよね。
こないだの夫の誕生日には、お手紙書いてたし・・・
卒園式ではもっと泣くかなって思ったけど、 意外に泣けませんでした。 なんでだろ。 感動して泣くというよりは、 なんかすごく微笑ましい感じがして、 ニコニコしながらビデオ回してました。 そういうのもいいよね。
謝恩会の話はまた後日。
たぶん、成長しようとしている・・・ていうか、 理不尽だ!と思うことに対して、 本当にそうなのか?と自問自答し、 理不尽だと思っている自分が理不尽なんじゃないかと ちゃんと考えている・・・ちゃんとって・・・。
私の悪いところが出てきているってのが よくわかるので、 それによって出てきている嫌な気持ちを、 それは飽くまでも自分のせいであるはず・・と 納得しようとしている。
そう、誰が悪いわけじゃない。 私がこのような結果を導いたのよ。 自分で撒いた種っていうの? 見返りを求めちゃいかん。 自分がそうしたくてしたことでしょ。 周りは関係ないでしょ。
周りのせいにしようとするのは、 こういう状態に陥った時の私の悪い習性です。たぶん。
だから、今のこの状態を上手く切り抜けられたら、 私は一皮剥けるはず。 そうして一回り大きな人間になれるはず。
上手く処理できますように。
疲れているだけ。 眠いだけ。 時間が経てば忘れるような話。
たぶんそう。 だから、今が踏ん張り時。
切れずにがんばれ! きっと誰かが認めてくれるよ。
今日、幼稚園で謝恩会の歌の練習があり、 立会い(?)のため行って参りました。 基本的には年長さんの父兄(おかあさん)皆来るんだけどね。
で、ま、まとまりあるようなないような、 見ていてむずむずするような雰囲気の中、 なんとか練習はできたんですけどね、 きっと子供たちも本番ではきちっとやるんでしょうけどね。
ま、それはいい。
だらだらしている子供もいつつも、 それでも、一応皆並んで歌っているんですが、 一人、列にも並ばず園内をうろうろして 練習に参加してない奴がいました。
ステージ練習の時には、ステージの部屋にはいたんですが、 ステージに上がって並ばず、 一人椅子に座り、 「並んで歌えば?」というと、 にやにやしながら、「いやだ」と言ってどっかに走っていく・・・
これまで 二回練習をしていて、私は一度は用事があり、 一度は具合が悪くて練習にいけなかったので、 ちゃんとは知りませんが、 どうもそいつは、毎回唯一練習に参加せず、 うろうろしていたらしいです。
そのせいかどうか、 10数人いたお母さんの誰一人として、 そいつを練習に参加するよう声をかけないんですね。 私とて、姿を見つけて二度ほど「いっしょに並ぼう」 と言ってみたけれど、 その後は、正直面倒くさいのと、 言っても無駄・・という気持ちで、 見てみぬフリ。 無理矢理参加させればできたのかもしれないけれど、 そのこが別のイベントで、同じ様な行動をし、 先生とその子の母親が必死で連れ戻して それでも暴れて、叫んで逃げ回るというのを目撃しているので、 自分の子でもないのに、 そこまで修羅場を演じるのはどうだろう・・とかいう思いもあり、 結局最終的には見てみぬフリ・・・ 誰一人参加させようともしなくなり・・・
で、別にその子が何が障害があるとかいうんじゃなく、 そういう意味では普通の子で、 ただなんていうか、一人だけなんとなくはみ出しているんですねぇ。 いろいろな誤解を承知で敢えて書かせていただければ、 いわゆる問題児って感じなんですね。
ただ・・・ていうか、 別に、私いい人になろうとしているつもりじゃないし、 教育に関して特別に造詣が深いわけでも、 感心が高いわけでもないのはありますが、 ただ、まだ6歳だし、 その子、いつもさびしそうな、つまらなそうな顔しているんですよね。 単なる 悪がき って感じじゃない気がして・・・
単に悪がきって奴の場合は、 一人ぎゃあぎゃあ騒いでいて、注意すると、 ぱ〜んちとかしてきて、 あほかこいつと思いつつも、なんていうかかえってほっとするっていうか、 遠慮しらずなところにむきーーーとしつつも、 拍子抜けするくらい能天気な表情していて、 ある意味安心感のある悪がきなんですが・・・・ ま、そいつに対しても誰も注意しないのは、 どういうこと?って感じがしなくもないですが・・・ ちょっと話それますが、 私、どうしてもああいうの我慢できないので、 余計なお世話と思いつつも、 「前向け」とか「まっすぐ立ってなさい」とか 言っちゃうんですよねぇ・・・ 嫌われる〜〜・・・子供にもお母さんにも・・・・ ま、いいけど。
それはそれとして、 すんごく余計なお世話だし、勝手な憶測でしかないけど、 その子の家、4人兄弟で、その子の下に2人も小さい子がいて、 お母さんその二人にかかりっきりって感じで、 幼稚園終ったあとも、野放し状態で遊んでいて、 この寒空に裸足にゴムゾウリはいて外にいて、 ジャンバーの下はいつも半袖半ズボンで、 そりゃもしかしたら、その子が好きでそうやっているのかもしれないけど、 なんかあまり手をかけられてない感じがして、 いえ、そのお母さんだって、4人も子供いるから、 そうそう一人にかまけていられないってのはあると思うし、 余計なこと言うつもりはないんですけど・・って これだけ書いていてよく言うよって感じですが、 ともかく、あの数々の問題行動(?)の裏には、 やっぱさびしいっていう気持ちがあるんじゃないかしら・・・ なんてことを思っているわけです。
それと同時に、そういう風にはみ出している子供に対して、 人っていうのは、なかなか積極的に関わろうとしなくて、 要するに、一人別のところで別のことをしているのを、 力づくでも参加させようとまでする人はいなくて、 ちょっとはみ出すと、どんどん取り残されて、 どんどんはみ出していっちゃうんじゃないのかしら・・・ ってことを思い、 気にしながらも、結局何もしないで見ているだけになっちゃった 自分がふがいなくもあり・・・・・
幼稚園の先生とか学校の先生が投げ出したら、 本当にそういう子は救われないのかもしれないな・・なんてことを思い・・・
その子のお母さんも、悪い人じゃないんだけど、 なんとなく浮いてて、幼稚園に仲がいい人っていないみたいだし・・・
ぐだぐだ言わずに、気になるなら私が取り組んでみればいいじゃんか! って思うは易し、行なうは難しなのよねぇぇ。 自信ないし。
自信っていうのは、その子を導くとかそういう自信じゃなくて、 一旦関わって、それを最後までまっとうする自信がないってことです。
思いつきで、声かけたり、話をしてみたりってことはできるけど、 それをずっと続けていく自信がないです。
長く続ける自信がないからって一歩を踏み出さないのと、 一歩踏み出しておいて、やっぱ無理って手を引くのと、 どっちがひどいのかしら?
ほっときゃいい話なんでしょうがねぇ・・いや、 ほっときゃいい話なんでしょうか?
そうなのよねぇ・・・ 悪がきの話のとこにも書きましたが、 普通に悪がきだったら、我慢しきれずにって感じで 「静かにしろ〜」とかいえるのに、 こういう子に対しては妙に構えてしまうのよねぇぇ。 偏見を持ってしまっているってことでしょうか? フィルターかけてみているから、 声かけすら躊躇するのかな? そうかもな・・・
いい出会いがあって、 何か目標とか、生きがいとか、そういうのを見つけられるといいけどね。
あああ、なんて無責任・・・
そうあるのよ、いろいろ。
武田鉄也が 「散歩の途中で富士山に登った人はいません。 富士山に登ろうと思った人だけが富士山に登っています」 とかなんとかいうことをテレビで言っていたことがあります。
志がなければ、大きな目標を達成することはできない。 大きな目標を達成するには、まず志を持て。 「○○をやる」という意志を持つことが、 目標達成の第一歩・・・とかいうようなことを 言いたかったわけね。
これ、結構心にしみておりまして、 実践すべく日々過ごしているわけです。
で、最初から自分の程度はこの位と、 低い目標を掲げていると、 本当に低いレベルで満足しちゃって、 努力しようとしない人ってのを垣間見、 富士山に登ることを、富士山に登ろうと決める前に あきらめているのね・・とちょっと悲しいというかさびしい気分に なったりする私でございます。
なんか百年前の言葉って感じですが、 「向上心」っていうんですか、 大事ですよね。
2005年03月04日(金) |
インフルエンザA型と運転日記その15 |
運転日記がその15かどうかはわかりませんが、 そのくらいは運転関係書いてるかしら?ってことで。
インフルエンザA型は、文字通りインフルエンザ。 雲ちゃんがついにかかってしまいました。
雲ちゃんは卵アレルギーがあるので インフルエンザの予防接種が受けられず、 毎年この時期は戦々恐々と過ごしていたのですが、 幸いなことに一度もインフルエンザには感染したことがなく、 今年も結構安易に考えていたら、 卒園間近のこの時期に来ましたねぇぇ。
痛いの、痒いの(痒くはないらしい)、熱いの寒いの言えるし、 赤ちゃんの時みたいな、得体の知れない怖さがない分 こちらのストレスは少ないです。 症状も、熱が高いこと以外は大してひどいことになってないので、 そんなに悲惨な感じじゃないですが、 それでも元気になったりそうでなかったりして、 タミフル飲んでも熱は下がらず(当然。初日。)、 食欲がないので、水分と果物だけで生きているような状態で、 やっぱかわいそう。
かわいそうといえば、インフルエンザの検査するのに、 鼻に綿棒つっこまれるのを断固阻止した雲先生。 最終的には、病院の診察ベッドに横にされ、私が馬乗りになって押さえるという・・・・ そう、そこまでしなくてはならないくらいの すごい抵抗をしたのでございます。
何かトラウマがあるのかしら? って感じで、鼻とか耳とかに何かつっこまれるのを すんごく嫌がるのよねぇ>雲先生。 耳鼻科でも、毎回戦い。
今日も暴れ、叫び、床につっぷして泣くっていう 「あんた6歳でしょ?」って言いたくなるほどの抵抗振り。
「こんなに抵抗するお子さんは珍しいです」って言われましたわよ。
おほほほほ
ま、それでも馬乗り作戦でなんとか検査し、 判定プラスだったので、タミフル出してもらったわけですが、 ほんとかわいそうな私。
がはは 私かよ。
だってだってだって〜。
ま、いいけど。 こうやって、私のプライドとか気取りとかそういうのを 全てひっぱがしてくれるのが、雲ちゃんです。
最後はすんごく怒って、病院のスリッパを両手に持ち、 どすどす歩いて診察室を出て行こうとし、 でも、医者の脇をすり抜ける時に、
「あじがどうごじゃいましたっっ!」
みたいな感じで、力こめてお礼言ってて、 私もおかしかったけど、お医者も「へ?」って感じの反応で 面白かったです。
ところで、最近突然運転に目覚めた私。
きっかけは先週の木曜日。 先週は私が風邪引いてて、悪寒はするわ頭痛はするわで喉は痛いわで ううううううとなっていたのですが そんな中、おうちが遠い仲良しと遊ぶ約束をしてきた雲ちゃん。
これまでなら、自転車で同行するなり、 後ろに乗せるなりしていくところですが、 風邪気味な上、寒いので、とてもじゃないけど自転車は無理ってことで、 背に腹攻撃で車で行くことにしたのでした。
最初は難色を示していた雲ちゃんも、 どうも自転車は無理みたいと察したのか、 同乗してくれることになり、 久々の運転。 そして、雲ちゃんと二人でという意味でははじめてのドライブ・・・
いつもなら想像力350%であることないこと考え、 運転を躊躇するところを、 たぶん、具合が悪いので、少し感覚が鈍っていて、 あまりあれこれ考えられなかったのがよかったのか、 思いのほかスムーズに目的地に到着。 帰ってきてからの車庫入れも一発で決まり、
「あら、私、もしかして上手になったの?」
と少し自信をもったみたいです。
とはいえ、途中トラックにぶつかりそうになり(こわ〜)、 目的のおうちに一発でつけず、一旦前を通り過ぎて、 遥か先の空き地でユーターンするということはありましたが・・・ なんとかなったっていう実績が重要だったわけですね。
で、その後、幼稚園の用事に車で行ってみたり、 またお友達のおうちまで送ってみたり、 その帰りにスーパーに寄って買い物して帰ってみたり、 今日も雪降ったので、病院まで車で行こうとしてみたり・・・ 結局はそうならなかったんですが、 ともかく、少し敷居が低くなったのは確かです。
ただ、まだ速い車がびゅんびゅん走るところは怖いのよね。 あと、車線変更ができる気がしない。 まだまだ先は長いです・・・・ていうか、 これ運転できてるっていえるのか?
がはは いいの。 気にしない。
気にしろ〜〜!
2005年02月28日(月) |
ささいなことで落ち込むあたし |
そうなのよ。
些細なことで落ち込むのよ、わたし。 考えすぎっていうの? くよくよいじいじ考え込むのよね。
ていうか、 考え込むというより、 すんごく気になるんだけど、 考えているとどんよりするから、 考えないようにしているんだけど、 頭の隅でずっと考え込んでるっていう・・・・
いろんな人と深く関わろうとすると、 こういう負のパワーを使わなくちゃいけないことも起こって 面倒くさいから、 よくわからない人とは深く関わるのをやめようという姿勢で来て 早何年?
何年かわかりませんが、 少なくともこの10年くらいはそういう感じでいた私。
おかげですごく親しくできる新しい友達ってできてないけど、 人間関係のストレスゼロな快適な日々を過ごしておりました。
が、それは本当に快適なのか? っていう思いもあり、 やはりぶつかったり嫌な思いをしたりしながらも、 深く付き合える、親しい友人っていうのを 近くに作るべきじゃないのか?と 思いを新たに動き始めた21世紀・・・いや、 そんな大げさなもんじゃないですが、 そんな思いも少し出てきたこの数年。
しか〜し、長年、「深くつきあわない」っていう方針で来た私は 深く親しくつきあう術を忘れてしまったかもしれないのよねぇぇ。
とはいえ、昔とさして付き合い方がかわってないところを見ると、 もともと深く親しく付き合うのって苦手だったってことだわね。
いや〜ん、なんてさびしい人なの〜>私。
相手にすごく気を使っているようでいて、 実はすんごく自分勝手だったりする私・・・ 相手の気持ちを察することに長けていると自負している一方で、 それに安心して本心を見逃しているかもしれない私・・・ 遠慮のしすぎが嫌味になり、 お世話のしすぎが負担になってやしないかしら?
ま、一見誰とでも親しくおつきあいできているように見える人でも、 実はいろいろ思い悩んだり、 傍で見るほど親しくはないのよっていうこともあるんでしょうが。
そりゃそうよ、学生時代みたいなわけにはいかないわよ。 適当よ、適当・・・っていう意見もあるでしょうが。
なんかこう純粋っていうの? 心と心が触れ合って、お互いを尊敬しあい、助け合い、 信じあって、だからこそ言いたいことも言える・・みたいな・・・ そんなお友達って、おばちゃんになるとできないもんなの? ていうか、そんなお友達って、そもそもいるわけないの? 一見親しげでも、その実、 自分よりよくなるのを快く思ってなくて 常にけん制しているような感じって、 普通なのかしら?
そういうのショックなんだけど。
私は、そういうのであたしが偉いとかって 思っているつもりはないんだけど・・・
なんてことを思う41歳って、どうよ。
早く大人になれよ(柳沢慎吾風)。
じじばばよりプレゼントのランドセル到着。
自分で選んだほうがよかろうと こっちで選んで買っておいていいよと言ってくれたけど、 せっかくじじばばが買ってくれるって言ってるんだからと、 じじばばに選んでもらおうよという夫の意見に従い、 あちらで選んでもらって送ってもらいました。
本人の注文は、「黒!」っていうのだけだったし、 店頭でランドセルを見かけても、 あまり反応してなかったので、 大して嬉しくないかも・・なんて思っていたら、 思いのほかよい反応。
ランドセルが到着したとき トイレに入っていた本人。 私が玄関でごちゃごちゃやっている気配を察し、 トイレの中から「誰〜〜?」と聞くので、 「ランドセルついたよ〜」と答えると、
「よし!」と前向きな返事。
トイレから出ると、 お尻を出したままで(そう、大きい方をしていて、 下半身全部脱いでたんですね。で、待ちきれずに、 手だけ洗って、脱いだものもって トイレから出てきたわけですね)、 早速ランドセルの箱に手をかけようとする本人。
あまりにあんまりなので、 「まずはパンツをはきなさい」と母親らしい言葉をかけ、 ちゃんとジーンズまではいたところで 開封。
出てきたランドセルは、美しく光るコードバンの黒。
コードバンってのは(いまさら私がいうまでもないが)、 馬のお尻の皮で、ランドセルとしては最高級品。
おおおお、すげぇぇぇ。 カタログを見ても、別枠で「最高級品!贈るならコードバン」 みたいな台詞が・・・ こんな高級品、いいのか、こんな子供に・・でも 子供が使わなかったら誰が使うランドセル。 ずっと大事に使って、最後までつやつやしていた私のランドセルですら クラリーノだったのに・・・ あと3年もすれば、あのピカピカの美しい蓋(正式名称があるらしい)が 傷だらけになることは目に見えているのに・・・ じじばばってほんとに・・と思いつつも、 私も嬉しいコードバン。 このありがたみがわかるのは、 きっと30年後でしょうが、 嬉々として背負い、 背中から下ろしては袖で蓋を拭きまくる姿を見ると、 本人も子供なりにありがたみがわかっているのかも・・ なんてことも思いつつ、 ああ、小学生になるのね・・と感慨深い私でございました。
ちなみに、今日は雪遊び遠足。 朝からスキーウエアに身を包み、 子供と先生方だけで遠足に行き、 くたくたになって帰ってきたはずでしたが、 ランドセル騒ぎで、 遠足の思い出はかなたへと飛んでいったようでございます。
私はというと、相変わらず忙しいんですが、 なんか今日はほんわかした気分ですわ。 ランドセルのせいでしょうか。
次々やることが出て来て 忙しい。
忙しくていやんな気分。
忙しいほうが活き活きすることもあるけど 今の忙しさはなんか私にあってない・・ あってないって・・・
明日はダンス。 午後は美容室かしら。 それとも、明日はお買い物? どっちがいいかな。 買い物つってもね、 子供の入学用品よ。
洋服とか欲しいって思わないのは、 今、何着ても似合う気がしないから。 これって最悪。
意を決してダイエットするぞ! とか言いつつ、ダイエット反対論みたいな本を 読んでいる私・・・ どうなるのかしら。
2005年02月07日(月) |
走行中にエンジンを止めてはいけない |
昨日、納車だったのよ〜♪
納車つっても、自分たちで取りに行ったんだけどね。
夫は非常にうきうきとハンドルを握り、 ずっとずっと運転していたかったらしい。 私は、自分ちの車が新車になったっていうことが いまひとつ実感できず、 なんだか不思議な感じで助手席に。 一晩過ぎて、今、なんとなくそわそわとしています。 その心は、
今日、運転しなくちゃいかんかしら?
って思っているから。 新しいし、運転したいんだけど、 やっぱりドキドキしてるのよ〜。 でも、この車は私も運転しやすいように っていうことも選択のポイントになっているし・・
きゃ〜。 運転しなくちゃダメ〜?
って、いつまでこんなこと言ってるつもりでしょう。 しばらくはあちこちで、うっとおしい車になるかもしれませんが、 開き直って乗るしかないね。
ところで、新車の購入をしたのがはじめての夫。 これまでは中古とか、人様から譲ってもらうとかだったらしい。
もちろん、一昨年免許を取った私は 当然新車の購入初めてです。
で、新車買ったことある人にとっては 当たり前だよな話でしょうが、
車にも取り説ってあるのね。 がはは
まだ全部読んだわけじゃないけど、 最初の方はちらちら見ました。 そうしたら、 巻頭の諸注意みたいなページに、 走行中の注意として、
「走行中はエンジンを止めない」
ってのがあったんですけど・・・・
そんな人いるのか? ていうか、走行中にエンジン止めるって、どういう状況? ていうか、走行中にエンジンって止められるの?
止められるかどうか、実験したくなったじゃないか!
私は・・って書こうと思って、 「わしは」って書いちゃって、 ちょっとウケてます。 なので、今日は一人称を「わし」にしてみます。
なんのために・・・・
わしは心理学が好き。
がはは。 誰だよ。
小学校6年生の時、本屋で見つけた 千葉大の多湖輝氏の「読心術」っていう本を自分で買って読んで以来、 硬軟あわせ量だけは読んだが、 本格的に勉強しようという体勢ではなく、 興味も波があるので、 系統だった知識があるわけではなく、 枝葉をあれこれ知っているという感じで、 知識も理解も中途半端なので いろいろとやっかいなのである。
特にこういうもの、人様に公開することが前提の場に 心のうちをさらすような文章を書く場合に、 思ったことを思ったとおりに書けないということが 多々ある。
こういうことを書くと、 私のコンプレックスとかが全部あばかれるのではないか ・・・とか思うわけ。
自分が理解しているコンプレックスだったら 自分でもわかっていてのことだから問題ない。 ある意味確信犯というか、 誰かにわかって欲しいと思いもあるわけで 自分を解放する意味で書いたりすることもあるのだけれど、 自分が気がついてない部分や、 気づきたくない部分、 指摘されたくない部分(おお、これらは結構核心かも)を さらけ出すような結果になるのは嫌なんだね。
逆に、言葉足らずで誤解されたら嫌だなと 思う部分もあり・・・
ていうか、本当はこういう意図で書いてるけれど、 こういう風にとられたらっていうのは、 心理学的にはないのかね? 自分では「そのようには思ってない」と思っていても、 相手が誤解して「そのように思っている」と捉えるってことは 実は、自分は「そのように思っている」ってことなのかな?
わかります?
まぁでも、深層心理がなせる業についてとかを ちゃんと理解していれば、誤解なく書けるだろうし、 その前にどうして自分がそう思うかがわかるだろうから、 問題は解決ってことじゃんねぇ。
何も知らなければ、あれこれ考えずに思ったことを思ったとおりに書けて、 それは逆に素直に自分を表せているってことで、 「なんだこいつ」と思われることがあっても、 正直な態度ってのには、好感もたれるんじゃないかと思ったりもして・・・
そんなわけで、だらだら書いているようで 結構あれこれ考えているということを 書きたいわけじゃなく・・がはは、 本題は
ボランティア。
日記仲間(勝手に仲間にしてすみませぬ)の mikiさん という方がボランティアで 日本語教師をなさっている(あってます?)。 日本語教師をなさっていることも実は最近になって発見し、 そして、今日、さっき、それがボランティアであったことを知りました。
単純に「偉いな〜」と思うわし。
(続く・・・おーーーい。すみません)
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