| 2002年06月16日(日) |
たいがいの人は自分が望むところをまったく知らず、 |
たいがいの人は自分が望むところをまったく知らず、 またそのことについて本当に考えてみることも めったにしないのである。
少数の人々にうちには、不可能なことを望んで、 無駄に過労してしまう人もあるし、 その欲するところが定まらず、そのために何ごとも なしとげないという人もある。
しかし、何か不可能なこと、自分の力にも、 現実の世界秩序にもかなったことを断固として、 持続的に意欲する人々は、おそらく常にそれを やりとげてきたのである。
ヒルティの言葉(秋山英夫訳編)
不可能を可能にする人がいる。 気持ちの持ち方が違うに違いない。 考え方も違うのだろう。 そして、そういう気持ちや、考え方を 持続しているのだろう。 どんな努力をしているのだろう… 本当にすごいなぁと、思う…
| 2002年06月15日(土) |
勝利と破滅を経験すること。 |
勝利と破滅を経験すること。 そのどちらにも惑わされないこと。
キプリングのことば
日本戦を見て、そう思った。 きっと選手は勝利と破滅の経験を超えたんだと思う。 一瞬のうちに。 願わくば、 これから先は、ただ、チャレンジャーであってほしい。 ただもう、サッカーを楽しくやってほしい。
| 2002年06月14日(金) |
わが国にもかつて「美しく死ぬ」ことを人生の目的として生きる文化があった。 |
わが国にもかつて「美しく死ぬ」ことを 人生の目的として生きる文化があった。 ただ、それだけでは歪みの生じることも われわれは知っている。 しかし、現代のように「生きる」ことだけに ガリガリしているのもどうかと思われる。 ときには「美しい顔で死ぬ」ことを考えたい。
「出会いの不思議」 河合 隼雄著
伯母の死に出会ったとき、身にしみて感じた。 せめて安らかに死にたいものだと。 伯母の死はかなりの苦痛に満ちたものだったから。 その頃から、死から見た生き方を考えるようになった。 「生きる」事だけ考えるのでは、欲深い気がする。 せめて、終わりをきれいにすることも考えたい。
| 2002年06月13日(木) |
私はシャッターを押す時はいつも無になろうと思っている。 |
私はシャッターを押す時はいつも無になろうと思っている。 最も大切なものに対してどれだけ無になれるか。 その時、被写体も無になる。 物になるといってもいいかもしれない。 その時もっとも深い関係性が出てくるのではないか。
「今こそ原色だ」 荒木経惟のことば
何だか妙に、このことばが気にかかる。 もっとも大切なものに対してどれだけ無になれるか… 無になる…どういう心境なんだろう。 無になれるのか…どうしたらなれるだろう。
時々、決して無にはなれないような、 よこしまな自分の気持ちを発見して、 ため息がでる。 聖人になろうとは思わないが、 無になれるような何かをみつけたい。 無になれる自分がほしい…
| 2002年06月12日(水) |
世の中っていうのは、いくら真面目にやっても誰も真面目を認めやしない。 |
世の中っていうのは、いくら真面目にやっても 誰も真面目を認めやしない。 いくら何をやっても、けっきょく自分のやりたいことを やった方が勝ちなんだ。
陶芸家 加藤 唐九郎氏のことば
本当にそうだと思う。 真面目にやっていたら、いつか誰かが評価してくれるという ような待ちの姿勢では…面白くない。 結局、誰も評価してくれなくて、腐るだけだと思う。 どうして評価されないんだと、怒りたくなると思う。 やりたいことをしたもの勝ちだと 最近はつくづく実感する。
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