| 2001年11月25日(日) |
「不可能なことをやるのはちょっとした楽しみだ」 |
「不可能なことをやるのはちょっとした楽しみだ」 ウォルト・ディズニー
大好きなことばだ。こんなふうに思えたらステキだ。 わくわくするような、そんな感じが伝わってきて 余裕さえ感じる。いいなぁ。こんなふうに思いたい。
さて、明日からまた仕事が始まる。 「不可能なことをやるのはちょっとした楽しみだ」 そう心に言い聞かせて、頑張るとしよう。
| 2001年11月24日(土) |
「自己中心的」だから |
「自己中心的」 だから、まわりの強烈な選手群が目に入らず、自分のベストを発揮 することだけに専念できる。
「楽天的」 だから、結果や失敗を恐れずに、あれだけ振り回し走り回れる。
「おだてられ好き」 だから、今日の単打が明日の長打へと自己増幅してゆける。
「目立ちたがり」 だから、試合後の取材陣に対してあれだけ面白いコメントを 発することが出来る。
つまり、われわれ旧世代をいらただせてきた若者特有の「マイナスファ クター」が実は大いなる「プラスファクター」であったことを新庄は 見事に証明してみせたのである。 (新庄剛志選手の活躍について書かれたもの)
H13/11月24日朝日新聞 「私の視点」山藤章二氏
私はこの世代のちょうど中間だと思う。かなり半端な世代だと 思っている。
そこそこ「自己中心的」で「楽天的」で「おだてられ好き」で 「目立ちたがり」。 徹底的にでなくあくまで、そこそこ。 完全に自己中心的になれず、楽天的に馴染まず、あまりおだてられると こそばゆく、あまり目立つと居心地が悪い。もっともこれは、世代と 関係ないかもしれないが… たぶん、徹底的に極められる者がやっぱり能力があるのだと思う。
若者世代が羨ましいか…そう問われたら、決してそうは思えず、むしろ 気の毒だとさえ思う。何かをなくしてるように見えるからだ。 しかし、旧世代が羨ましいかと言うと、それも決してそうは言えない。 価値観が堅すぎて、どうにもついていけないからだ。
では、我々の世代はどうか…そう問われたら…なんて答えよう。 堅いのと、柔いのとの間。挟まれた世代はどうなんだろう。 今の私は…居心地はいいが、座りが悪い…そんな気がする。
| 2001年11月23日(金) |
「私たちは自分で考えを選んでいる」 |
「私たちは自分で考えを選んでいる」
同じ事を繰り返し繰り返し、考える癖があるために、自分で 選んでいるようには見えないかもしれないが、最初にどう 考えるかは、自分で決めている。
「ライフ・ヒーリング」より ルイーズ・L・ヘイ
同じ事を繰り返し繰り返し、考えてる…確かにそうだ。 その考えからなかなか離れられないことがよくある。 反芻ばかりして、同じ所から一歩もでれない。
そしてその考えの根っこにあるのが、「こうならないから こうなった」とか、「こうでないから、こうなのだ」とか 「誰が悪い」だの、「これが悪い」だの割合、誰かや、 何かが悪いという考えのような気がする。 もっとその根っこに「私は悪くない」「私は正しい」という 思いがあるような気がする。
そんなことより、問題解決したり、新しい一歩を踏み出すことが 大事かもしれないのに、自分の考えにとらわれている。 「だって、私は正しいんだもん」
その考えにとらわれているのは、実は自分の考え方にあるのだと 思う。 自分からみた考えしか、浮かばないからだと思う。
でもどうしたら考え方を 変えることが出来るのだろう…。
| 2001年11月22日(木) |
「人生に無駄はない」 |
「人生に無駄はない」
そう思える人だけが、人生の数限りない無駄を生かすことができる。
「出所」 不明
そうか…そうなのか… 無駄だと思っちゃ終わりだな… 無駄じゃない。
| 2001年11月21日(水) |
「強い者だけが感謝することができる」 |
今日は絶対にこのことばだと思った…
「強い者だけが感謝することができる」
「出所」不明
日常の生活のなかで、頼まれごとをして、それなりの 労力を使ってそれに応えるとはよくあることだと思うが、 その時に、頼んだ人が何のお礼も言わない事がある。
「ありがとう」を言えない人がいる。言いたくないのか 言えないのか、言うことが思いつかないのか…よくわからない。 しかし、その心の奥に「ありがとう」と言えない、 ことばに出来ない何かがあるのだろう。
ありがたくなかったのか、やってもらって当たり前と思うのか、 言いたいけど性格上言えないのか、甘えなのか… 本当に「ありがとう」のひとことも思いつかないかの… 言ったら借りを作るとでも思ってるのか… よくわからない。 やっぱりそこに何かがあるんだろう…
ちゃんと応えた側からすれば、「どうも」でも 「Thank you」でも「助かったよ」でもいいから一言くらい 言って欲しい。 そのくらい言っても、依頼した人の価値が下がるわけでも、 損をするわけでもないだろう。
つまりは…「応えて」くれた人の 気持とか、想いとか、労力を思いやれない、想像ができないという 事なのかもしれない。 自分のことでいっぱいな人なのかもしれない… なんだか、寂しいことだ。
せめて言おう、ありがたいと思った時には 「ありがとう」と惜しみなく、その時に。 誰かに感謝できることは幸せなことだと思から。
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