ことば探し
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2001年11月20日(火) 「人は利口じゃないが、それほどばかでもない」

「人は利口じゃないが、それほどばかでもない」
  
      11月20日 朝日新聞朝刊「ひと」欄より
                真鍋淑郎さんのことば


もう一つ同じような感じのことばがあったなぁ。


「人間は真実を真正面にすえて取り組めるほど強くもないし、
 またウソだけで生きていける程不真面目でもない」

                    「出所」不明


本当にそうだと思う。
きっと…そうなんだと思う。
人間って…そうなんだと思う。
それはとても、ステキなことに思える。
人間って捨てたものじゃないんじゃないか…
何となくだけど…そう思える。


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2001年11月19日(月) 私達の人生が苦悩に満ちてしまうのは、いくつかの原因があります。

「私達の人生が苦悩に満ちてしまうのは、いくつかの原因があります。
 その一つは、変化を受け入れられないということです。また、変化の
 能力を失ってしまうということです」
  (略)
「変化を受け入れられる人は、受け入れられるように生きているもの
 です。変化を受け入れられない人は、受け入れられないように
 生きているものです」

 「死ぬことが人生の終わりではないインディアンの生きかた」
                扶桑社    加藤諦三著


変化を受け入れることは辛いことだと思う。
変わらない方が安心だし、楽だし、心地いい。よくわかってるし。
しかし、世の中そんな自分の勝手な思いなど関係なく変わっていく。
仕事も人間関係も、時の流れもどんどん変わって行く。
じたばたしたって仕方ない。
変化を受け入れよう…

自分を変えることがどうしてこんなに困難なんだろう…
自分を変えていくことがどうしてこんなに嫌なんだろう…
変化を受け入れねばと思っているのにだ…
変化したら、自分が変わって今の自分じゃなくなるような
気がするからだと思う。
変化したら、その中でやっていけるどうか不安だからだと思う。
変えたくない気持もある。意地みたいなものだ。

パソコンの普及を認めたくない人がいる…
けれども…どうあがいても、パソコンのない時代に戻れない。
それなら、パソコンの良いところも認めて受け入れて行けば
いいと思うが、「必要ない」という。
仮にパソコンの良さを認めて、仕事に生かしてもその人自身の
価値や、その人自身がなくなるわけではない。

変化を受け入れられない人は…やっぱり受け入れられないようだ。
少なくても、その人が受け入れようと思うまで、
受け入れることはないと思う。

私は同じ変化を取り入れるなら、楽しく取り入れたいし、
受け入れたいと思うし、そうしたい。そうしよう。


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2001年11月18日(日) 「これでいいのだ」「十分にやっている」

自分で自分のことを「これでいいのだ」「十分にやっている」
「お前はなかなか元気がいい」「はつらつとして明るい」と
いうふうに、自己評価することは、人の評価に比べると
より大きな力となる。

                    「出所」 不明



いつも自分の中に、

「やっていることは無駄ではないのか」
「全く意味がないのではないのか」
「全く役に立ってないのではないか」
「全く伝わってないのではないか」
「結局は分かってもらえないのではないか」
と言う思いがある。これは心の奥底に巣くっている。

時々その思いに押し潰されそうになる。
全くその前で力をなくしてしまうこともある。
そんな時に、救われることばの一つである。

「やっていることが無駄ではないのか…」この思いは
自分から強烈に力を奪う。ため息がでる…情けなくもなる。
誰かに、「そんなことはないよ、ちゃんと役立ってるよ、
無駄ではないよ、きっと意味があるよ」と言って欲しい…
そして、結果も早くほしい、みたい。

しかしながら、現実はそうはうまくいかない…
そんな時に、自分で自分に言い聞かせねばならない、
「そんなことはないよ、ちゃんと役立ってるよ、
 無駄ではないよ、きっと意味があるよ」
自分で自分をちゃんと評価してあげないと、たぶん
前には進めない…何かをし続けることも困難だと思う。
自分で前に進むこと、せめて自分を否定しないこと、
自分のしていることを卑下しないこと、無駄だと思わないこと、
そんなことが、自分にとってなにより必要なことかも
しれない。


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2001年11月17日(土) 「悪い可能性を恐れてもしようがない」

「悪い可能性を恐れてもしようがない」

             出所 不明


最近、この経済状態の中で、いつも「悪い可能性」を考えている。
考え始めると、この「悪い可能性」がどんどんとふくらんでくる。
「悪い可能性」とは、とっても考えやすいことなのではないか。
「悪い可能性」が力づくと、「良い可能性」がかすむ、あるいは
見えなくなる。

しかし「悪い可能性」を恐れて、何もしなかったら何も始まらない。
たぶん、「悪い可能性」を恐れるだけで、何もしないほうが
よっぽど恐いことに違いない。

しかし、「悪い可能性」はやっぱり恐い。
その前で身がすくむ。
じっとして、身を縮こめて通り過ぎるのを待ちたくなる。
気が付かないふりもしたい。
見ないふりもしたい。

「悪い可能性」は、なかなか心の中からは出ていかない。
いつも心のどっかにある。

きっと…そういう「悪い可能性」の対処の仕方に
人間の器の大きさがあるんだろうと思う。
「悪い可能性」を考えて、その事実を受け止めて、
あらゆる対処方法を考えて、そして「悪い可能性」に
向かっていくんだと思う。恐れず、自分と自分の力を
信じて。

私はどうだろう…せめて「悪い可能性」ばかりを
見て恐れてばかりいないで、「良い可能性」も見るようで
いたい。






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2001年11月16日(金) 「裁くことをすべてやめただけよ」

プラスの変化をどうやって作り出したのかと、尋ねると彼女は
「裁くことをすべてやめただけよ」
と答えました。

「ゆるすということ」ジェラルド・G・ジャンポルスキー著


「裁くことをやめる」…難しい。
毎日毎日何かを裁いてる…
意識せずに、ちょっとしたことでも、些細なできごとでも、
他人も、自分のことも、「裁いてる」

何が悪い、誰が悪い、どうすればいいと「裁いてる」
それをやめるとどうなるんだろう…
「裁くことをやめる」とどうなるんだろう…
いいも悪いもなくなるのか…
そのままでいいと受け止めることか…

ついつい裁きたくなる…自分がそれほど正しい人間でないことを
百も承知なのに、裁きたくなる。その方が気持の中の収まりが
いいからだ。
誰かのせい、何かのせいにするってこと、あいつは駄目、この人は
いいと決めつけることは、自分にとって心の精神状態を安定させる
方法だと思っていた。
「裁かない」とどうなるか…課題だな。


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