ライフ・ストーリー
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友人たちとの七夕イベントに参加してきました。
前日に復習した浴衣の着つけと半幅帯の都結びはなんとか様になっていたようで、浴衣姿で駅のホームへ向かうエスカレーターを上がっていたら、後ろからバタバタと駆け上ってきた男子高校生に、「すみません。きょうはどこかでお祭りがあるんですか?」といきなり訊ねらました。そんなことを訊ねられるなんて思ってもみなかったことですから、「いえ、違うんです。ごめんなさい」、と訳のわからないことを答えてその場をはなれました・汗。
夏祭じゃないのがわかって、寂しそうな表情をした男の子の顔が美しく、印象的でした。あとからホームへ上がってきた彼の友人たちが彼にひと言ふた言何か言って冷やかしている気配を背中に感じながら、「オバサンの浴衣姿で申し訳なかったなあ」、と思いつつも、「高校生の男の子に声をかけられるなんて何年ぶりだろう?」などとも考えていました・笑。
浴衣は紺地のところどころを縦に白く染め抜いて、そこに緑と紫の植物の葉を描いたオトナっぽい絵柄で、帯は黄色と赤のリバーシブルの半幅帯の黄色を表にした都結び(リボン結びの真ん中に上からたれをかぶせる結び方)にし、薄いピンクの細い帯締めを巻いてキラキラ光るブローチのような帯留をつけました。髪は着物のときと同じように自分でアップにしたので、ちょっと見は大人っぽく演出したつもりだったのですが、背が高くないせいか目指していた「色っぽさ」まではたどり着けなかったようです。
友人の建てたばかりの素敵な新居にお邪魔すると、青い芝生がまぶしい庭に面した濡れ縁には飾りのない笹竹が立ててありました。これから色とりどりの艶やかな(?)浴衣姿の女6人で七夕飾りを作り、短冊に願いを書いてこの笹竹につるすのです。乙女チックでよいイベントではありませんか。「サマージャンボ宝くじが当たりますように!」と書かれた短冊には思わず笑ってしまったけれど、明るい話題が少ない世の中ですから、このくらいの夢や願いを短冊に書くことを七夕さまは許してくださるでしょう。
飾りつけがすむと、友人が用意してくれたむかーし露店で見かけたような大きな手動のカキ氷機を使って、わいわいはしゃぎながらサクサクとカキ氷をつくり、イチゴとメロンのシロップをかけて美味しくいただきました♪
それから近くの公園まで散歩に出かけて夕涼み。ふたたび友人宅に戻ってケーキやメロンなどのご馳走をいただきながらのおしゃべりを堪能して帰ってきました。 こういう季節のイベントっていいですね。童心に戻れます。それにいろいろと情報交換ができるから脳トレにもつながりますし(笑)。
なにより、外に出ることが大切。今のわたしにとって、これが一番いいこころと体のリハビリになりそうです。
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七夕ですから星の詩などどうぞ
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水星
いまは地球がひつそりとして あだかも水星の霧と曇りの真下にあるのではないか この蘆(あし)と水のまんまんたる 片田舎の眺めを思へば うつうつたる情怨のこもれる 又はしんめりと照り漂ふ夕の色の 青い遊星として寂寥(せきれう)ばかりの 星の時代が地球にもあつたであらう その清らかな空中の旅よ 一瞬一千年の世界よ
/ 佐藤惣之助 『季節の馬車』より
☆佐藤怱之助は1890年(明治23年)神奈川生まれ。 17才で詩作を始めます。 後に高村光太郎に「詩魔に憑かれた魔性の人」と 言わしめた独特の感性の持ち主です。 昭和8年に妻と死別しますが、その年のうちに 萩原朔太郎の妹・周子と結婚するという行動派 でもありました。
風薫る5月だというのに、今年は爽やかな日が少ないですね。
なつかしい数人の方からメールをいただきました。
近いうちに雑記を再開予定とお伝えしましたが、まだその目途がたっていないので、こちらで一言(読んでくださっていればいいのですが・・・)。
もう少々お待ちください♪
話は突然変わりますが。
前髪が伸びてきたので、そろそろ美容室へ行こうと思っています。
数年前のきょうのわたしは何をしていたのかな? と日記をめくってみると、美容室へ行っていました。 髪を切りたくなる時って、なんとなく同じ季節の 同じ時期になることが多い気がします。
そんな日の日記を再録します。
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「月は東に日は西に」
久しぶりに美容室でカットとトリートメント。
その間ずっと、森本哲郎さんの『月は東に −蕪村の夢 漱石の幻−』を読んでいました。いやあ、いい本です。天明を生きた蕪村の俳句・詩歌と明治の文豪・漱石の『草枕』をはじめとする小説や詩歌の類似性を説かれています。ふたりを「結び付けていたのは、磊落な心境に達したいというひたすらな夢だった」と。 違う時代に生きながらふたりは同じ「桃源郷」を求めつづけたのですね。
オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガ(1872-1945)の名著『中世の秋』を引いてあるあたりがわたし好み。 あの有名な「より美しい世界を求める」ための三つの道、
第一の道「世界の外に通じる俗世放棄の道」 第二の道「世界そのものの改良と完成をめざす」現実への道 第三の道「生活そのものを、美をもって高め、社会そのものを、 遊びとかたちとで満たそう(理想の魅力によって、 現実を中和しよう)とする」道
のなかの、第三の道を蕪村と漱石のふたりは歩んだ、という説です。 ふむふむ面白い。
平行して読んでいる『漱石とグールド』(横田庄一郎編/朔北社)には、カナダのピアニスト、グレン・グールドが漱石の『草枕』をくり返し愛読し、自ら『草枕』を朗読しレコード化した、とありました。『草枕』は第三の道を象徴するような作品。『草枕』の世界を愛したグールドは、音楽によって「第三の道」を歩んだひとりだったのかも知れません。
こうして、好きな作家や詩人、音楽家たちが時代や国を超えてつながっていくのは、ほんとうに面白いものですね。
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一篇の詩をどうぞ・・・
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「心のなかで」
陽を受けた果実が熟されてゆくやうに 心のなかで人生が熟されてくれるといい。 さうして街かどをゆく人達の 花のやうな姿が それぞれの屋根の下に折り込まれる 人生のからくりと祝福とが 一つ残らず正しく読み取れてくれるといい。 さうして今まで微かだつたものの形が 教会の塔のやうに 空を切つてはつきり見えてくれるといい。 さうして淀んでゐた繰り言が 歌のやうに明るく 金のやうに重たくなつてくれるといい。
/野村英夫
(200○.5.25 一部改稿)
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野村英夫はわたしの好きな軽井沢派のカトリック詩人です。
上の詩をまたここに載せたくて、雑文を再録しました。
きょうは野村英夫の詩をもう一篇。
「心のなかの石段を」
心のなかの石段を一段一段昇つてゆかう。 丁度、あの中世の偉大な石工たちが 築き上げた美しい聖堂を 一段一段、塔高く昇つてゆくやうに、 私達の心のなかの石段を 一段一段、空高く昇つてゆかう。 さうしてもう一度だけその頂から 曠野の果ての荘厳な落日に 僧院の庭に音立てる秋の落葉に 人々の群がつた街かどに また愛するものの佇む窓辺に 別離の眼なざしを向けよう。 さうしていつか私達の生涯が このやうに荘厳に終えて呉れるといい。
/野村英夫 『司祭館』より
☆野村英夫は1917(大正6)年東京生まれ。 早稲田大仏法科に学び、毎年夏は病気療養のため 軽井沢(追分)で過ごします。 立原道造や堀辰雄に師事した「四季」派の詩人。 立原の死後、『立原道造全集』の編集に参加。 昭和21年に小詩集『司祭館』を発刊。 昭和23年、30歳。フランスを愛した詩人は 静かに世を去りました。
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堀辰雄 - 野村英夫 - 福永武彦
好きな人たちが、軽井沢というひとつの場所でつながっていくのは、ほんとうに楽しいものです。
そして、好きな作家や詩人たちは、わたしの心のなかという ひとつの場所でも、つながっていくのです。
2005年08月22日(月) |
「LOHAS」のススメ |
ご無沙汰しています。
2005年の夏。わたしは夏風邪の延長で急性肺炎に罹り、 7月31日から8月20日までのまる3週間入院しておりました。 おかげでまだ夏らしい夏を味わっていません。 (ダイエットもしていないのに体重が5kgも落ちました。 ↑これはちょっと嬉しいかも♪)。
計画していた南国旅行と中国大陸への旅行は、 すべてキャンセルです(涙)。
せっかくパスポートを更新したのになあ・・・ (38度以上の発熱の中、新しいパスポートを 受け取りに行ったわたしです)。
みなさまも夏の体調管理には充分お気をつけくださいね。
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大変遅くなりましたが、今年の春上梓した エッセイを載せていただいた本の紹介文を ブログ「一時間の航海」で公開しておりますので、 よろしかったら、ご覧になってみてください。
懐かしい方々はみなお元気でしょうか?
残暑厳しきおり、お体をおいといください。
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